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イエスとマグダラのマリア(3)

 「イエスキリストが妻帯していたか否か」。これを巡る論争は、伝統化している教義上「イエス妻帯説」の方が不利と言うべきで、誰もが納得せざるを得ない決定的な証拠、例えばイエスの子孫を見つけ出しDNA鑑定の結果間違いなくイエスキリスト(とマグダラのマリア)の子孫であるということが証明されない限り、「イエス独身説」を打ち破ることは不可能です。(その場合は、聖遺物からイエス自身のDNAが採取されなければならないという二重の困難を伴います。)にもかかわらず、今日「イエス妻帯説」は『フィリポの福音書』などを根拠に、「イエス独身説」への斬りこみをかけています。
 この論争は、キリスト教会の姿勢如何では、永遠の堂々巡りになる可能性があります。

 以下ではその論争から離れて、最近の「特殊情報」でこの問題がどのように述べられているかのかをベースに、私自身の考えも織り込んで述べていきたいと思います。特殊情報(米国発)とは、「ある存在」からの「チャネリング情報」です。(出典等は伏せておきますが)どうやらこの存在は人類を「何万年も」見続けてきた存在のようです。そして実はこの存在のみならず、いくつもの違う存在による情報がこの問題について触れているのです。(裏を返せば、これは人類にとってそれだけ重要な問題であるということです。)そしてその何れもが、「イエスは妻帯していた」ことを示唆しているのです。
 私が以下のことを述べるのは、私自身が『どうやらこれが真実なのではあるまいか?』と考えるからです。しかし皆様にそれを信じるよう強要するつもりはありません。「チャネリング情報」の真偽も含めて、何事によらず一つ一つを自分で吟味、判断、識別して「真実」を見つけ出すこと。この姿勢が、今そしてこれからの私たちに強く求められていることなのです。
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 「イエスが妻帯していたか否か」を問題にする場合、先ず見ておかなければならないのは、2000年近くもの長い間人類社会に絶大な影響力を及ぼしてきたローマカトリック教会(ヴァチカン)の存在です。
 なぜならイエスキリストの独身性は、(キリスト教をその支配下に置こうとするローマ皇帝・コンスタンティヌス一世の招集による)西暦325年の第一回ニカイア公会議以降の何度かの宗教会議で徐々に教義化されていったものだからです。それまではイエスが独身だったということを示す文献などは存在しなかったのです。(その辺の経緯については、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の中でも描かれています。)
 
 時のキリスト教父たち(当時の宗教的権威たち)の、長きにわたる幾度かの宗教会議での激しい論争の結果、あるものは採用されまたあるものは捨てられまたあるものは捏造(ねつぞう)されて、新約聖書などという形で徐々に今日に到るキリスト教の根本教義が形成されていったのです。
 その過程は、2000年前パレスチナの地に「生身の人間」として生きていたイエスが、「神の独り子・キリスト」として絶対的に神格化されていくプロセスでもありました。キリスト教義の中でも、父と子と聖霊の「三位一体の神概念」と「キリストの独身性」はその根幹をなすものです。

 本考と直接関係はありませんが―。それらの宗教会議の過程で抹殺されたものに、「転生(てんしょう)の知識」があります。この真実を隠すことによって、「人間は一回限りの人生で死んで消滅する儚い存在」と信じ込ませ、「死の恐怖」を植えつけたのです。そしてひたすら従順な子羊のように、キリスト教会による救済を待ち望むように民衆を誘導してきたのです。(イエス自身は、弟子たちに転生に関することを説いていた可能性があります。)
 また悪魔=ルシファー説も、キリスト教会の奥から本当にコントロールしている存在を隠すための陽動作戦であったようです。ルシファー(元々の意味は「光輝くもの」)は確かに堕天使に違いないとしても、少なくとも悪魔ではなさそうです。
 それにまた、聖母マリアによるイエスキリストの「処女懐胎」にも大きな疑問符がつきます。これはキリスト物語でも最も美しい奇跡物語です。しかしイエスがあくまで三次元のこの世に生身の肉体として生まれてきた男子である以上、通常の性行為を経ずして遺伝学上の基本であるY染色体をどうやって入手出来たのか?が大問題になるのです。

 少しお考えいただければお分かりかと思いますが、人間を操作(コントロール)するには、「宗教」を用いるのが一番簡単です。
 以上のようなことから、ローマカトリック教会は「何ものか」によって人類社会をコントロールするために被せられた「巨大な網(ネット)」だったと言えるのです。そのコントロールの大きな手段としての「キリストの独身性」(上記情報によれば「キリストの去勢」)は、「人類史上最大の嘘」と言えるものなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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