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『レッドクリフPartⅡ』を観て

 大いに時期を外してしまいましたが、『レッドクリフPartⅡ』観てきました。
 実は5日夕方『天使と悪魔』を観を終わって、『観られる時に観ておくか』と引き続き観ることにしたのです。以前『観ないつもり』と言っておりましたが、結局気になっていたわけです。
 「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」は、海老名サティというデパートの2階にあります。デパートの買い物客がついでに映画でも…という思惑からか、こういう形式の映画館は全国の地方都市でふえているのかもしれません。これ一つ取ってみても、まさに「大衆娯楽社会」の極みのような良き時代です。

 しかしどこもかしこも「禁煙」なのには、愛煙家の私などは本当に困ってしまいます。映画館内の2時間強の禁煙は致し方ありません。世の中のマナーですから。しかし『天使と悪魔』が終了と同時に、やたら長いエンディング字幕などそこそこに館内を出ました。もっともトイレにも行きたかったもので。外に出て一服して、見ると外はざあざあ雨の本降りで…。その時ふと『このまま帰ってもつまんないな。レッドクリフやっぱり観るか』となったのです。
 決断が少し遅れた分(今度は別のスクリーン)、既に本編に入っていました。どうやら前編のダイジェストを先ず持ってきているようでした。それからタイトルが出て、PartⅡ自体がそこから始まりますからぎりぎりセーフといったところです。
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 『レッドクリフPartⅡ』。全体を通した印象では、中国映画とはいえ監督は中国生まれながら、アメリカで長く映画を作ってきたジョン・ウーですから、ハリウッド映画の手法が随所に見られる映画だなという印象を強く持ちました。
 確かにハリウッド映画仕込みの、迫力あるスピード感溢れるストーリー展開は魅力です。「三国志」をあまりご存知ない観客、特に欧米の観客にとっては、歴史エンターティーメント映画として十分楽しめたかもしれません。

 しかし中学2年以来の「三国志ファン」である私にとって、観るほどに原作をこれだけ改変していいのだろうか?という疑問が湧いてきました。それがすんなりストーリー展開されていれば文句のつけようもないのですが、どうも違和感を感じてならなかったのです。
 原作はたびたび述べますとおり、『三国志演義』です。それまでさまざまに語り継がれてきた三国時代の説話や民間伝承を基に、明代初期羅貫中らによって『演義』という形にまとめられたのです。これ自体が史実とは大きく異なるフィクションです。ですからこれをいかように変えようとも、誰も文句を言えないこともまた事実です。
 しかし『演義』は、千古の歳月を経てきた中国三大奇書中の一書です。それを簡単に変えて果して、原作を超えることが出来るのだろうか?ということなのです。

 『三国志演義』は中国民衆の判官びいきを受けてか、魏・呉・蜀の三国のうち蜀を中心に描かれた物語です。しかしジョン・ウー監督は、広東省広州市(三国時代は呉の領土)生まれで香港育ちのせいか、当初から呉を中心とした『三国志』を作りたかったのではないでしょうか。それには「赤壁(レッドクリフ)」に的を絞るに限る。その意図は分からないでもありません。おおむね蜀と魏の抗争史としての色彩の濃い三国志の中で、唯一呉が精彩を放つのが、「赤壁の戦い」であるからです。
 しかし呉への思い入れが強すぎて、『三国志演義』の骨子を大きく崩してしまったようです。

 呉の中でも中心人物は、大都督・周諭。演じたのは、トニー・レオン。この映画では、「美周郎」と讃えられた美丈夫としてよりも、魏の曹操の大軍襲来に国運を双肩に託された沈着冷静な総司令官としての周諭像を全面に出していたようです。なかなか味のある「周諭ぶり」だったと思います。
 しかし周諭を主人公にしてしまったため、完全に割を食ってしまったのが諸葛孔明です。『演義』では常に周諭を上回る神の如き明察で、周諭は殺意を抱きことあるごとにその殺害を企てます。しかし周諭びいきのジョン・ウーは、それでは困るわけです。ですから、孔明の「神秘力」をそいでしまって、共に魏の大軍に立ち向かう同志(あけすけに言えば「お友だち」か?)にしてしまうわけです。そのため、赤壁というより全三国志中のハイライトの一つである、南屏山に壇を築いて「孔明東南(たつみ)の風を七星壇に祈る」の名場面までカットしてしまったわけです。

 神通力を失った孔明役として、金城武はそれなりによく熱演していたと思います。しかし金城武には悪いけれども、中国電視台制作『三国志』で孔明を演じた唐国強には遠く及ばなかったな、という印象です。
 敵方の曹操は、チャン・フォンイー。いかにも内に狡猾な才知を隠しもっていそうな曹操像で、これも気に入りました。しかしこちらも中国電視台『三国志』の曹操役・鮑国安の勝ち。(なお鮑国安と唐国強は同『三国志』で、共に中国映画界最高賞である金獅子賞を受賞しました。)
 その他主だった配役では。劉備役はいかめしい顔立ちで、もう少し温和な顔立ちの役者の方がよかったのかなという気がします。張飛役の凄いメーキャップには失笑気味です。関羽役は迫力不足に感じました。趙雲役に到っては、終いまで顔が覚えられませんでした。結果として私が思うに、周諭役のトニー・レオン以外は全員中国電視台『三国志』キャストの方が勝っていたということです。

 艶話が何度か出てくる『水滸伝』と違って、『三国志演義』は騒乱に明け暮れる男くさい物語です。それにジョン・ウーはハリウッド的味付けで、印象的な女性二人をけっこう主要な場面で用いています。一人は呉の君主・孫権の妹(架空の人物)役・孫尚香役のヴィッキー・チャオ。兄に内緒で魏軍に単独潜り込み、敵情を偵察する役柄です(以下は省略)。
 もう一人は、周諭の妻・小喬役のリン・チーリン。小喬欲しさに、曹操は南征を決意したと『演義』で述べられている、絶世の美女役をリン・チーリンは良く演じていたと思います。その美貌も小喬に迫るものがあり、何よりも一つ一つの挙措に気品が感じられました。私が知る限り、残念ながら日本の女優にはこのような気品ある女優はいないようです。(匹敵するのは、『宮廷女官・チャングム』のイ・ヨンエくらいなものでしょうか?)

 しかしいくら何でも、この小喬が夫の周諭にも内密で、赤壁大戦直前に単身魏陣営の曹操に面会に行くという設定はいかがなものか?と思います。大変失礼な物言いながら、「ジョン・ウーさん。あなたは中国人でしょ?母国の大切な古典物語を勝手に作り変えて、アンタ一体何様のつもりだ ! 」と言いたくなります。
 ヒロインが果敢に敵陣に立ち向かい、十中八九は首尾よく行くものの、結局は危難に陥る。それをヒーロー(この場合は周諭)が敢然となぐりこみ、危機一髪ヒロイン(小喬)を救い出す。めでたし、めでたし。いわゆるハリウッド映画のワンパターンです。

 赤壁の戦いの戦闘シーンは確かに、大スペクタクルらしい凄い迫力がありました。しかしそういうことが結果として、中国史上名高い「赤壁大戦」を単なるハリウッド映画的アクションシーンに貶めてしまったのではないだろうか?と思われてなりません。
 この映画は誰も彼もがおおむね好意的な感想のようです。そこで天邪鬼な私は、『一人くらい辛口コメントもいいだろう』とばかりに、いささか辛辣な批評をしてみました。

 (大場光太郎・記)

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