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梅雨の名句(2)

              与謝蕪村

   さみだれや大河を前に家二軒

…… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 与謝蕪村(よさぶそん、よさのぶそん) 享保元年(1716)~天明3年(1784)は江戸時代中期の俳人、画家。摂津の国(現大阪市)の生まれ。20歳の頃江戸に出て俳諧を学ぶ。27歳の頃松尾芭蕉に憧れ、その足跡をたどり東北地方を周遊した。42歳の頃京都に居を構え、この頃から与謝を名乗るようになった。以後京都で生涯を過ごし68歳で没した。

 松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖と言われる。また俳画の創始者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。独創性を失った当時の俳諧を憂い「蕉風回帰(芭蕉に帰れ)」を唱え、絵画用語である「離俗論」を句に適用し、天明調の俳諧を確立させた中心的な人物である。  (フリー百科事典『ウィキペディア』「与謝蕪村」の項より)

 芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」を取り上げた以上、蕪村のこの句も取り上げざるを得ません。それくらいこの2句は昔から「五月雨の句」の代表句として、必ずと言っていいほどどの歳時記にも掲載されている有名な句です。
 二大巨匠の同一テーマの句の、それぞれの句風の違いなどを読み比べてみるのも面白いかもしれません。

 なお「梅雨の名句」と銘うった割には、私自身がピンと来る「梅雨」という季語の句があまり見つからず、そこで「五月雨の句」を多く取り上げることになるかもしれません。どうぞご了承ください。

 さてこの句です。「さみだれが降り続く中、川には水が溢れている。勢い大河になってしまった川の前に家が二軒ある」というような大意かと思います。

 略歴にもありますとおり、優れた画家でもあった蕪村は、風景を絵画的に描いた句が得意な俳人だったようです。この句はまさにそのとおりで、極めて絵画的です。と同時に芭蕉の最上川の句同様、どんどん水かさを増していく大河の臨場感が伝わってきます。そしてその真ん前の二軒の家はどうなってしまうのだろうという、スリルとサスペンス的要素も感じられます。こういう情景こそは「俳句的場面」というべきです。

 この句の「二軒」という家の数に関しては、昔から「二軒というのが絶妙なのだ」というのが定説になっています。いわく、一軒だけでは極めて危うい感じで、読み手は『ああだダメだ。こりゃあ、家は間違いなく流される』と感受される。また三軒では安定性が増してしまい、先ほどのスリル、サスペンスな面白味がそがれてしまうというのです。
 私もなるほど言い得て妙だと思います。

 そこで気になるのは、この二軒の家はこの先どうなったのだろう?ということです。蕪村はただ現前する情景を絵画的に叙景するのみ。「二軒の家は、その後かくかくしかじかになったのですよ」というような、事後報告的な次の句は詠まないのです。前にも述べましたが、そういうことはすべて読者の想像に委ねられているところが、俳句という超短詩形の味わいの一つだと思います。

 だから私も独断と偏見により考えて見ますに―。芭蕉の最上川の句の場合は、「五月雨」と漢字表記で、荒々しい男梅雨を想像させます。最上川の水かさを増した急流、激流を表現するにはそれが最もふさわしかったわけです。

 対して蕪村のこの句では「さみだれや」とかな表記にしています。そこから、穏やかに降り続ける女梅雨が連想されます。そうしますと、さみだれは静かに降りたいだけ降ってしまえば止んでしまう。(増水して川幅が膨れ上がった)大河の前の二軒の家は、結局大事には到らなかったのではあるまいか?と思われるのです。
 皆様の捉え方はいかがなものでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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