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梅雨だより(3)

   青梅雨の哲学の道逍遥す   (拙句)

 ここ何日か晴れて暑い日が続きました。それは梅雨のさなかの気まぐれの晴れ間というようなものではなく、まるで梅雨がすっかり明けきって盛夏になってしまった感じでした。
 しかし本日当地は朝から雨となり、久しぶりに梅雨本来の姿を取り戻しました。この雨こそは、何日も続いた晴天により、プチ日照り状態で雨を欲していた青苗やきゅうり、トマトなどの農作物や草や木々にとって、かっこうの慈雨、喜雨となったかもしれません。

 午後外出し、いつもの水路道を通りました。道沿いの木々も草花も息を吹き返したように青々とした生気ある緑になっていました。
 ただその中で一群の赤紫の紫陽花は花の盛りを過ぎて、既に腐(く)たれ気味。せめて本当に梅雨が明けるだろう7月中旬頃までは咲いていてよ、と思わないでもありません。梅雨といえば紫陽花、紫陽花といえば梅雨なのですから。

 当地近郊の田んぼの早苗は、丈を既に20cmくらいまで伸ばしています。神奈川県央の当地では、街を離れると青田が遠くまで連なっている田園風景にも出会います。そんな青田のさまを眺めると何となく心が落ち着いてきます。
 雨に打たれる時はしっかり打たれて、やがて来る炎暑に身をこがされながら、ずしりと重い稲穂になっていくのでしょう。

 冒頭の句は、ある人のブログで画像と文章で「哲学の道」が紹介されており、それに触発されてにわかに詠んだものです。
 「哲学の道」は京都市左京区にある小道です。その昔『善の研究』という名著などで名高い哲学者・西田幾多郎が、この道を散策しながら思索にふけったことからいつしか「思索の小径」と呼ばれました。その後西田の愛弟子だった田辺元や三木清なども好んでこの道を散策するようになり「哲学の道」と名づけられ今日に到っています。
 「日本の道100」にも選ばれている散歩道です。古都京都に憧憬の思いはあっても、私自身はまだ京都の由緒あるスポットを見て回ったことがありません。『いつかは…』と思いつつも、さていつのことやら。そこで往時の京都学派の優れた業績に思いを馳せながら、せめてイメージの中だけでもその道を歩いているつもりになって作ってみました。春は桜、秋は紅葉が見事なら、きょうのような梅雨の風情もまた格別なのではと…。

 …夕方雨は上がりました。この季節は雨雲が垂れ込めた夜7時過ぎでも、外はほんのり明るさをとどめた薄暮の感じです。帰路のため少しの間バス停で待っていますと、思いのほか強い風が街路に吹きつのっています。2、300m先の本厚木駅に続く街路の木々が身もだえのように白っぽい葉裏を見せています。
 住居への道を北に向って歩いていますと、風はいよいよ強い向かい風に思われました。なるほどよく確かめてみますと、この季節にはそぐわない北風なのです。そのせいか風をまともに受けながら進む身には、涼しさをとおり越して幾分肌寒さすら感じられるほどでした。

 (大場光太郎・記) 

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