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イエスとマグダラのマリア(5)

 私が今回土台にしましたチャネリング情報によりますと、マグダラのマリアはエルサレムにあったイシス神殿の巫女だったようです。それのみか彼女は、エジプトやスペインなど当時各地に点在していたミステリースクール(秘教学校)のイニシエーションをクリアーした、高度の女性イニシエートだった可能性すらあります。
 もしそれが事実なら彼女は「女性キリスト」とでも呼ぶべき存在で、イエスキリストの伴侶としてはまさにうってつけの女性だったわけです。

 ところで「イシス」は、古代エジプトにおける主要な女神です。イシスの夫はオシリス神です。エジプト神話によりますと、オシリスは弟のセトにより体をバラバラに切断され世界各地に捨てられてしまいます。それを妻のイシスは必死で探し出し、オシリスを元のようにつなぎ合わせます。その結果、甦ったオシリスは冥界の王になったといわれています。
 マグダラのマリアがイシス神殿の巫女だったというのは、極めて象徴的です。

 イエスとマグダラのマリアの結婚は、イシス、オシリス神話と深くリンクしているようなのです。同情報の他の個所では、「(キリストがイシス神殿の巫女・マグダラのマリアと結婚したことにより)イシスを通じてオシリスの男根をつけ直し、断ち切られていた男性性を回復したのである」とあります。
 ローマカトリック教会がイエスとマグダラのマリアの真実の関係を隠したのは、再びオシリスの体を切断するような行為であり、それゆえ「ローマカトリック教会の全構造とは、手足を切断されたオシリス神の上に成り立ってい」ることになるのです。これは、私たち人間の歴史そのものでもあったといえないでしょうか?

 私たちが認識を新たにすべきは、イエスは2000年前精力旺盛な生身の男性として、生命力溢れるキリストの生涯を生きたということです。ただしかつめらしく神の国を観念的に説いていた、「去勢されたキリスト」ではなかったのです。
 「他の弟子たちは、主がマリアを愛しているのを見た」(『フィリポによる福音書』)。時にイエスは、マグダラのマリアと聖なるオルガズムを分かち合う、エロティックな錬金術師でもあったのです。
 水をぶどう酒に、ぶどう酒をキリストの血に。錬金術とは、「平凡なものを貴重なものに変換するプロセス」とも定義されます。そのプロセスには、「性エネルギーの昇華」が不可欠なのです。

 同情報では、二人の間に(生身の人間の)娘が生まれたとしています。名前は「サ・ラー」。(確か映画『ダ・ヴィンチ・コード』では、「サラ」という名前になっていたでしょうか?) 「ラー」は、これまたエジプト最高の太陽神の名前です。ここからマグダラのマリアはパレスチナのユダヤの民ではなく、エジプト出身の女性だったのではないだろうか?とも推測されます。
 ともかくこうして「キリストの血」は、サ・ラーを通して受け継がれていき、今日では100代目にあたる子孫がこの地球上に現存しているそうです。

 ならば私たちは、『ダ・ヴィンチ・コード』のようにキリストの子孫を探すべきなのでしょうか?いいえ、そんな必要はありません。なぜなら直系の子孫ではなくとも、キリストは現在の人類すべての体内のDNAに生きているからです。
 まさか?とお思いなら、ご自分の先祖をずっと過去に遡っていってみてください。10代前で千余人、20代前で百余万人、30代前で十億余人、40代前で一兆余人…。これを引っくり返してみてください。たった二組の始祖のカップルから100代も経過するとそれはまさに天文学的数字、直系ではなくてもどれだけの子孫の数になることか。まさに65億人余の現人類に、幾重にもキリストの血が注ぎ込まれていることになるのです。

 だいぶ長かった本拙文の結論です。
 イエスキリストとマグダラのマリアの結婚の真の目的とは、2000年後の今日の人類すべてに「キリストの血」を行き渡らせることにあったのではないだろうか?と思われるのです。特に「2000年後の今日」に限定したのは、「水瓶座新時代」の入り口にさしかかっている「今この時」こそ、私たちのすべてがやがて「キリスト」になるべき時代だからです。
 これは以前『天皇家3代の御名・考』で述べました、「ヒロヒト→アキヒト→ナルヒト」の「ヒトの意義」と完全に一致します。「一十(ヒト)」つまり「真(まこと)の人」とは、「キリスト」に他ならないからです。

 そうなれば、キリスト教をはじめとする「組織宗教」は必要なくなり、皆悉く崩壊することでしょう。有史以来私たちをこずき回してきた「彼ら」の呪縛から、今度こそ完全に抜け出せるのです。 私たちは元々自由な存在です。いかなる「首輪宗教」も最初から必要ではなかったのです。  ―  完  ―
 
 (大場光太郎・記)

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コメント

こんにちは。
イエス様とマリアの記事、「直系の子孫ではなくとも、キリストは現在の人類すべての体内のDNAに生きている」は、とても興味深く読ませていただきました。
まだ読んでいる途中ですが、『失われた福音』(桜の花出版)では、いままで謎とされていたイエス様の「私」の部分も詳しく書いてあります。
おっしゃるように、イエス様は決して神格化された存在ではなく、生命力溢れる素晴らしい男性だった。
また、マリア様は大変重要な役割を持った特別の方だったようです。
もしお読みになっていましたら、このブログで感想等読ませていただけたら嬉しいです。

投稿: haru | 2016年11月22日 (火) 11時41分

haru 様

 コメントありがとうございます。

 イエス死後、古代ローマ帝国の首都ローマを拠点としたのが初代キリスト教会(後のカトリック教会、バチカン)でした。大衆を同教会に信従させるために、長い年月をかけて聖書原典の取捨選択、教義の策定などが行われていきました。

 その過程で「イエスキリスト絶対化」が確立されていったわけです。その中で出てきたのが、父と子と聖霊の三位一体説、イエスキリスト神の一人子説などであろうと思います。

 私はかつて新約聖書などを何度か読みましたが、イエス自身はそんな教義は説かなかったように思います。また正典から外された外典によりますと、素顔のイエスはもっと自由自在な教えを説いていたようです。

 イエスキリスト絶対説は、カトリック教会絶対支配を構築するために必要だったのです。

 本シリーズはあくまで仮説ですが、中でもイエスの妻だったらしいマグダラのマリアは邪魔な存在だったわけです。そこで初期教会はマグダラを娼婦にまで落としました(近代になってようやく「列聖」された)。

 お教えいただきました『失われた福音』、私は今まで存じ上げませんでした。今後読む機会があリましたら是非読んで見たいと思います。

 なお私からも本をご紹介します。『ハトホルの書』で有名なトム・ケニオンという人の本に『マグダラの書』があります。驚愕の内容ですが、この本の最初はマグダラ自身のチャネリング情報です。イエス在世のこと、イエスとの関係、二人の間の子供の「サラ」の事、イエス死後サラを伴ってイングランドにまで逃れたことなどが詳細に述べられています。もしまだでしたら、是非ご一読をお奨めします。
 

投稿: 時遊人 | 2016年11月22日 (火) 19時45分

コメント返信有難うございます。
『マグダラの書』のご紹介も有難うございます。

私は、クリスチャンではないですが、誕生日が近いということで、
イエス様がとても身近に感じられ(勝手にですが)、大好きです。
それで、新聞広告で『失われた福音』を見たとき、すぐに注文しました。

クリスチャンの方には許容しがたい内容もあるようですが、
私は、人間イエスの姿に触れ、ますます大好きになりました。
聖人イエス。
素晴らしい方だと思います。

今年のクリスマスは、『マグダラの書』を読み、静かにイエス様に
想いを馳せたいと思います。

投稿: haru | 2016年11月29日 (火) 19時39分

 またコメントいただき、ありがとうございます。

 これは8年前の当ブログ開設年のある記事でも述べたことですが、私が新約聖書を読んだのはずっと昔、32歳の時でした。中でも『マタイ福音書』の有名な「山上の垂訓」には大きく心を揺さぶられ、涙がとめどなく流れました。

 この山上の垂訓などはイエスの教えそのままの再現であるように思います。本当に「愛そのものの教え」ですよね。

 直近で『クリスマス、来る、来ない』記事を出しました。昨年末、フランシスコ法王と英国のエリザベス女王が、「今年(昨年)で最後となるクリスマスを存分に楽しんでお過ごしください」というような、大変気になるメッセージを残したのです。

 私はこの二人は「サタニズム勢力」における主要人物と見ていますが、今のところ何事もなく今年のクリスマスが迎えられそうで何よりです。
 

投稿: 時遊人 | 2016年11月30日 (水) 00時52分

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