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そゞろあるき

           アルチュール・ランボー

  蒼き麦の夜や
  麦の香に酔ひ野草をふみて
  こみちを行かば
  心はゆめみ、我足さはやかに
  わがあらはるる額、
  吹く風に浴み(ゆあみ)すべし。

  われ語らず、われ思はず、
  われたゞ限りなき愛 魂の底に湧き出るを覚ゆべし。
  宿なき人の如く
  いや遠くわれ歩まん。
  恋人と行く如く心うれしく
  「自然」と共にわれは歩まん。

          (永井荷風・訳詩集『珊瑚集』より)

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud) 1854年10月20日~1891年11月10日。19世紀のフランスの詩人。20世紀の詩人に多大な影響を与えた。主な作品に散文詩集『地獄の季節』、『イリュミナシオン』など。
 永井荷風(ながい・かふう) 1879年(昭和12年)12月3日~1959年(昭和34年)4月30日。小説家。号は断腸亭主人、金阜山人。代表作『つゆのあとさき』『墨東綺譚』など。

 私がこの詩(訳詩)に初めて出会ったのは、高校三年生のちょうどこの詩の季節頃でした。高3の現代国語で学んだ何篇かの詩の一番初めにこの詩があったのです。
 何度も繰返すようですが、私の人生で最も多感な時期で、とにかく詩でも、漢詩でも、訳詩でも、外国歌曲でも『これだ ! 』と思うものは心にびんびん響いてくるような時期でした。 この訳詩も何と鮮烈に私の心を捉えたことか !

 「蒼い麦の夜や」でまずハッとさせられます。私の郷里に麦畑はあまりありませんでしたので、余計「蒼い麦の夜」は新鮮でした。
 しかし後に続く情景は、郷里の情景とさほど変わりません。どんどん感情移入でき、まるで私自身がこの詩の中の「こみち」を歩いているような感覚にとらわれました。爽やかで涼しげな夜の野道を闊歩する感じです。

 この詩はランボー15歳の時の詩だそうです。彼の略伝によりますと、15歳から詩を作り始めピークは19歳だったそうです。何とも恐るべき「早熟の天才」ですが、この詩はそうするとごく初期の詩ということになります。
 「心はゆめみ、我足さはやかに わがあらはなる額、吹く風に浴みすべし」。「われただ限りなき愛 魂の底に湧き出るを覚ゆべし」。今まさに内なる天才が花開かんとする予兆に、心が躍っているようです。

 (ここで話題一変)「宿なき人の如く いよ遠くわれ歩まん」。これは、詩人のその後を予見していたかのような一節です。というのも、間もなくランボーは故郷を捨てパリに出て行くことになるからです。そして年長の詩人・ヴェルレーヌと知り合い、一時深い仲(同性愛)となり、ヴェルレーヌがランボーの左手首を拳銃で撃つという悲劇的結末が訪れます。
 直後代表作『地獄の季節』をまとめ、21歳で詩作を止め、亡くなる直前37歳で病を得て南仏に戻ってくるまで、遠くアラビアにまで赴き、まさに「宿なき人(原詩ではジプシー)」のような人生を送ることになるのです。

 考えてみれば、ランボーの原詩をいっそう光彩あるものにしているのは、永井荷風の訳業のたまものと言えます。荷風自身アメリカやフランスに滞在したこともある、当時の欧米通です。しかし同時に、『墨東綺譚』などに見られる豊かな江戸情緒や、漢文の素養も十分に持ち合わせていました。そのためか、訳詩にままありがちな生煮えのバタくさい感じがまったくありません。我が国の自然風土に無理なく溶け込ませたような、名訳詩だと思います。

 この詩はその後、中原中也をはじめ、フランス文学者なども訳を試みているようです。それらを読み比べてみると、(当時は何の抵抗もありませんでしたが)確かに文語調で幾分古めかしさはあります。しかし私にとってこの詩は、多感な時期に初めて読んだ、荷風の『そゞろあるき』に限ります。

 (大場光太郎・記) 

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