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俳句を始めた頃(2)

 何日かクルミ回しを続けた結果は効果てきめんでした。それまでクモの巣が張られているようで何となくもやもやしていた頭の中が、少しずつ晴れていく感じがしました。それと共に失いつつあったやる気も、徐々に取り戻しつつあることが実感されました。

 手はよく「第二の脳」「脳の出先機関」などと表現されることがあります。実際最新の脳科学によりますと、手のひら全体また手の各指は脳の特定の部位と密接に関連し合っていると言われています。よってクルミ回しという一見何の変哲もない運動は、実は脳全体に直接的、間接的に大きな刺激を与えていることになるのです。ちなみに、左手は右脳へ、右手は左脳への刺激となります。
 とにかくこのシンプルな手の運動を、気がついた時特に夜寝る前や車で遠出した運転時など、1日15~30分ほど毎日続けるのを習慣にしました。我が錆びついた頭の機能が、少しずつ回復していくのが実感されました。特にやり始めの頃、普段なら夢はほとんど覚えていないのに、明け方しばしば鮮明な夢を見るようになりました。

 こうして頭と心が少しずつ元気回復して半年ほど経ったその年の秋頃、次に始めたのが「俳句」でした。クルミ回しが我が脳トレの基礎編なら、俳句はその応用編、実践編というべきものだったでしょうか。
 当時も今も、高度な脳トレあるいはボディワークは数多く存在します。しかしいかに高い成果が見込まれるとしても、長続き出来なければあまり意味はありません。その点何事も飽きっぽく三日坊主的傾向のある私には、この2つのワークはまさにうってつけだったようです。毎日欠かさずとはいかないまでも、今日に到るまで継続出来ているからです。

 何で俳句をと思いついたのか、今となっては仔細に覚えていません。しかし思い当たるのは、30代半ば頃(昭和60年頃)脳科学者・品川嘉也の著した『俳句は右脳から飛び出す』といういっぷう変わった俳句入門書を読んで、いたく感じ入ったことです。多分その時その本を思い出し、『イメージ脳である右脳を鍛えなければ。それには俳句が一番いいのでは?』と思ったのだろうと思います。

 俳句は中学2年の国語の授業で、(当ブログ『名句観賞』でも取り上げた)高浜虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」「流れ行く大根の葉の早さかな」などの句を教わり、社会人になってから河出書房版・日本文学全集中の『現代詩歌集』の、子規、虚子、飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男といった有名俳人の句をぱらぱらと拾い読みしたくらいでした。
 いや中学時代詩作を始めた頃、実は句作を試みたことがありました。しかし頭をひねりにひねってようやく出来たのは、
    世の波に忘れられゆくすすきかな  (拙句-中学3年)
という一句だけという、大変お寒い状況でした。以来俳句を作るのは大変難しいというのが、私の固定観念となっていたのでした。

 その後30数年も経ってから、改めて俳句に取り組もうというのです。しかしその後人間社会の大波にもまれて、さまざまな人生経験を積んできた大人なのだから、今度は俳句を作るのは簡単だろうと思ったらさにあらず。いざ句作を試みても、やはり難しくてなかなか一句として形になってくれないのです。
 10年前俳句について知っていたことと言えば、原則として一句は五・七・五の十七音であること、そして一句の中に「季語」を一つ入れるということだけでした。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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