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若き日の夢に別れて

                         前田 夕暮

  魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

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《私の観賞ノート》
 前田夕暮(まえだ・ゆうぐれ) 明治16年、神奈川県大住郡生まれ。本名洋造(洋三)。尾上柴舟に師事。44年「詩歌」を創刊。自然主義歌人として出発するが、昭和初年代には自由律短歌運動の先頭に立つなど、振幅の大きい作歌人生をおくる。歌集『収穫』『陰影』『生くる日に』『水源地帯』など。昭和26年没。 (講談社学術文庫・高野公彦編『現代の短歌』より)

 先ずもって鮮烈な「青春挽歌」という感じのする短歌です。「見のししうら若き日の夢」。人は「大人」になる過程で、うら若き日に夢を見たこと、その夢を見残したことなどすっかり忘れてしまいます。ですからこのような歌を詠めるのは、「うら若き日」に近接した世代だけです。なるほど調べましたら、この短歌は明治43年刊歌集『収穫』に収められている歌です。ということは少なくとも前田夕暮27歳以前の短歌ということになります。

 この短歌からは清新な「明治の青春」といったものもまた感受されます。平成21年の今日の私たちにとっては既に「昭和は遠くなりにけり」ですが、大正、明治はさらに遠い過去、歴史時代のようになってしまっています。
 だから私たちの観念で捉えている明治は、ずいぶん古ぼけた時代という感覚です。しかしこの歌に見られるように、今の時代以上に真摯でみずみずしい青春性があったのだ、ということは記憶のどこかにとどめておいた方がよさそうです。

 さらにこの短歌からは、前田夕暮の「鎮魂歌」といった哀切な感じが伝わってきます。人は誰でも、「うら若き日の夢」を「見のこし」ます。見残したことに敏感であるからこそ哀切なのです。

 いわゆる鎮魂歌といった場合、西洋音楽では「レクイエム」、つまり死者の魂を慰め安からしめるための音楽を指していいます。

 しかし以前どこかの記事で述べましたように、我が国古神道の行法で「鎮魂」という場合、それは生きて行をしている当人の「御魂鎮め(みたましずめ)」という意味となります。「魂よいずくへ行くや」。通常人の生にあって魂は、とかく浮遊しがちで肉体内にピシッと落ち着くことが少ないのです。そのため人生の焦点はぼやけ、真の目的から逸れた人生を送ってしまいがちです。それを鎮め、真の自己を取り戻すための行法が、古神道の「鎮魂法」といわれているものです。

 前田夕暮が、そんな行法の存在を知っていたかどうかは定かではありません。知らなかった可能性の方が高いと思います。しかしそれでもこの短歌は、やはり鎮魂歌であったと思います。そしてこの短歌における御魂鎮めの要(かなめ)となるものは、「うら若き日の夢」ということだろうと思われます。前田夕暮にとって、うら若き日の夢に別れることなしに、ピタッとその夢に寄り添っていることが魂がさ迷わない、つまり彼にとっての「鎮魂」に他ならなかったわけです。

 確か後年『愛と認識との出発』の作者・倉田百三だったかが(断定はできませんが)、述べていたかと思います。

 「汝の夢を清からしめよ。夢を見ることを止めた時青春は終わるのである。」

 だから「うら若き日の夢」=「清き夢」なのです。それはまた「気高い理想」と言い換えることもできます。魂から発せられる、純度100%の混じり気のない理想(ゆめ)。

 ともすれば私たちは、この現実なるものにのめり込み世俗に紛れていくにつれて、理想(ゆめ)は純度を失い、果ては理想そのものさえ忘れ去っていきます。これこそは人生最大の悲劇の一つであるはずなのです。だからある人は言っています。
 「我々は、日常生活に埋没することの恐ろしさを知らなければならない。」

 考えてみますと、今は恐ろしく現実主義的で計算高い世の中です。そんな時代の中、大人ばかりでなく多くの若者にとっても「理想」などということは死語に近く、こんなことを語ろうものなら「ダサい ! 」の一言で片付けられてしまいそうです。そうして刹那的な生き方によりいっそう拍車がかかっていくのです。世の中全体が。

 「理想(ゆめ)無き時代」だからこそ、時にはこのような短歌をじっくり味わってみたいものです。

 (大場光太郎・記)

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コメント

  魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

 今回トップ面に再掲載したことにより、私自身久しぶりにこの短歌を読み返し、あらためてみずみずしい青春の歌との感を深くしました。「夢見る頃を過ぎて」、齡(よわい)幾つであろうとも、内なる青春性を涸(から)さないためにも、心のどこかで「見のこししうら若き日の夢」にこだわっていきたいものです。

投稿: 時遊人 | 2013年11月17日 (日) 14時26分

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