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俳句を始めた頃(3)

 俳句を作ろうと思い立った当初、私の俳句心得は、俳句とは五・七・五の十七音で季語を一つ入れて作るものという、初心者の域を出ないものでした(でも後々分かったことには、この基本こそがいつの場合も句作で最も大切なのです)。当初は、入門書や歳時記や有名俳人の名句集など何一つ用意せず、ぶっつけ本番で『とにかく俳句を作ってみよう』という甚だ無謀なものでした。

 しかしいざ句作に取り組んでみると。子供の頃からどちらかというと、知的関心があっちこっちと分散、拡散しやすい散文タイプの私にとって、予め「十七音」に制約されている俳句という詩形を作るということは予想外に難しいことでした。例えば「すすき」という秋の風物を目の当たりにすると、その周辺の事物の連想が広がり『あれも、これも句の中に盛り込みたい』となってしまって収拾がつかなくなり、一句として凝縮、収斂させていくのが困難だったのです。
 それに(当時)50歳という年齢も意識され、いくら初心者でも子供じみた稚拙な句は作れない、というような変な気負いのようなものもあったと思います。

 こうして、一句目がなかなか作れずに何日も過ぎてしまいました。しかしある時、俳句を作るのは人様に読んでもらうためではない、あくまで自分の能力開発の一環なんだと思い直し、目先の事物をとにかく一句にまとめてみようと思い立ちました。そしてまた「すすき」を一句だけでまとめようとするからかえってまとまらないのであって、関連した句を幾つ作ってもいいじゃないかと考えることにしました。
 これ自体は、アィデア創出法の一つである「ブレーンストーミング法」にならったやり方だったかもしれません。通常は会議などで、良し悪しを一切判断せず参加者に自由気ままにアィディアを出させる手法ですが、私は句作に当たって「一人ブレーンストーミング法」を試みたことになります。

 そのためには、字余りでも季語がない句(無季句)でもなんでも構わない。散文、雑文でも構わないから、思いつくままどんどん作ってみよう、ということになったのです。そうして思いついた「俳句もどき」を、用意した一冊の小さなノートに次々に筆記していきました。後で気がついたことですが、自前のにわか俳句手帳だったわけです。
 すると大いに気が楽になって、「十七文字」がポツリ、ポツリと出てくるようになりました。大変お恥ずかしい話しながら、時には変なエロの句も飛び出してきました。それらを委細構わず、小ノートにどんどん書きとめていったのです。業務上車で少し遠い所に移動している時など、移り行く風景を眺めているうち途中から調子が乗ってきて、その日1日で100以上の句が出来た時もありました。

 こうして気がついた時には、小ノートは4、5ヶ月で「俳句もどき」でほぼびっしり埋め尽くされていました。数えてみますと、ゆうに1000句以上。当初のそのプロセスは、長年私の心の奥深くで重く澱んでいたものが、これをキッカケに表面に浮上させられた具合でした。そのため作ったものの大半は、自分自身で後で読み返しても恥ずかしいようなもので、とても公に出来るようなシロモノではありませんでした。
 しかしそれが呼び水となったのか、途中から10数句に1句くらい(あくまで初心者の判断ながら)『んっ。これはいけそうだぞ ! 』という上澄みのような句が、ポツリポツリと混じり出したのです。例えば上に例に出しましたすすきの句として当時出来たのは、以下のようなものです。
   薄穂(すすきほ)のそこだけさはなる夕の風   (拙句)
 なお「さは(さわ)なる」は、「多なる」の古語、雅語として用いたものです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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