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俳句を始めた頃(1)

 『梅雨の名句(3)』で鷹羽狩行について述べながら、私が俳句を始めた頃のことを思い出していました。今回はその頃のことを述べてみたいと思います。

 私が拙い俳句を始めたのは、今から10年ほど前のことです。
 その頃は現業務を開業して2、3年ほど、また自宅で母を介護して1、2年ほどでした。その頃は思うように業務が確保出来ず、その上連日の母の介護による疲れ、両方から知らず知らずのうちに身心にストレスがかかっていた時期でした。
 今考えれば、当時は軽いうつ病にかかっていたのではないかと思われます。何となく諸事やる気が湧かなかったのです。また例えば深夜母のその日の介護を終えて、座イスを適当に倒しながら身を横たえ見るともなしにテレビを見ていますと、『死にたい』という想いが意識の表面に上ってくるのです。次の瞬間『そんなことを考えてはダメだ』と打ち消せるほど軽症なものながら、その想いは毎晩のように続きました。

 また同時期、若年ボケのような症状も自覚されました。とにかく我ながら呆れるほど、物忘れやとんでもないポカが多かったのです。お客や横浜の県庁窓口に行ったのに、肝心な書類などを忘れてお話にならず、出直しというようなことがけっこうありました。
 『これは放置していたらとんでもないことになるぞ』。早めに何とかしなければと焦りました。何かリハビリの必要性を痛感したのです。しかし当初は何をどうすればよいのか、皆目見当がつきません。しかし先ず思ったのは、『頭の働きを元どおりにしなければ…』ということでした。
 人間の「力」というものを「知力」「体力」に大別した場合、私は若い頃から体力の方はからきし自信がありませんでした。そのため(元々有るか無きか分からないながら)ともかく知力だけが私のすがるべき力なのでした。なのに『肝心の頭がダメになってしまったら…』、それこそ私という人間の一巻の終わりだと思いました。

 そこでボケ症状を直し、知力を取り戻すにはどうすれば良いのか?その方法は意外なところで見つかりました。多分ビデオだったと思いますが、以前評判になった映画『梟の城』(司馬遼太郎原作)を観ていた時でした。その中で戦国武将の前田利家が、居城にいて家臣の者に何事か指示する、というようなシーンがありました。見ればその時利家の手のひらには3個のクルミの実があり、それをくるくる回していたのです。
 途端に『これだ ! 』と思いました。そこでクルミの実をどこからか探し出すことが、当面の懸案事項ということになりました。

 とは言っても、それはそう簡単には見つけられないだろうと思っていました。しかし必要を強く感じているものはどこからか手に入るもののようです。
 時は3月上旬早春の頃のことでした。中津川堤防道のことは、当ブログでしばしば述べてきました。ある午後、いつもの地点より下流(大堰より数百メートル下流)の堤防道端に車を停めて、そこから川に降りて行ったのです。その辺では川の本流は向こう岸側にあり、こちら側はわずか1m弱のちよろちょろとした流れがあるばかり。早春の午後の日を浴びて輝いている細い流れをまたいで、広い中州に入って行きました。
 というのも、そこの州に胡桃の木が3本ほど植えられているのを知っていたからです。その季節葉はすっかり落ちた裸木になっていました。ひょっとしてその木の下に実が落ちていないだろうか?と淡い期待を抱いて木の根元に向ったのです。

 すると、そこら一面に実がどっさり落ちていたのです。思わぬ展開に小躍りしながら、『どうせ今もって誰も拾っていないんだから…』とばかりに、私は一心にクルミの実を拾いました。既に皮は無く黒くて固い殻むき出しの実を、コートとズボンのポケットいっぱいに、詰めるだけ詰め込みました。(なお3本ほどの川中の胡桃の木は、現在では伐採されてもうありません。)
 そして家に持ち帰って、早速その日から掌でのクルミ回しトレーニングを開始しました。当初は回しているうちに、殻表面の黒っぽいのが手に付着したりしましたが、構わず回しているうちに徐々にピカピカ光るほどツヤが出てきました。と共に天辺の角もとれて、より滑らかに回せるようになりました。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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