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2009年8月

新政権の厳しい船出

 少し前まで、この国ではまず政権交代は起きないだろうと思われていました。しかしそれが現実に起こってしまいました。起こしたのは他でもない私たち国民の力です。「民主党308議席」。それにしても凄まじいほどの大勝利です。
 今回民主党に託した、有権者の一票一票への思いはさまざまなものだったことでしょう。政権交代への全面的支持から、リスク覚悟で「とりあえず任せてみよう」という人まで、投票動機は実にさまざま。しかしこれ以上自公政権に任せていたら、この国と我々の生活は更にどん底になる、そんな危機感は共通していたのではないでしょうか。

 そのような国民の期待を一身に背負ったかたちの、民主党を中心とした新政権は、果たして本当に国民の負託に十分応えてくれるのでしょうか?残念ながら、当面はあまり過度な期待はしない方が良いと思います。4年前の「郵政が民営化されればすべてが良くなる」式のバラ色の夢を抱いてしまうと、早晩幻滅させられることになるのは必至かと思います。
 小泉政権以降の「新しい失われた10年」、さらには1955年発足以来半世紀以上にも及ぶ自民党一党支配によるこの国の「負の遺産」は、それこそ膨大なものです。どの党が政権を取って国の舵取りをしていこうと、一朝一夕で解決を見るような生易しいことではありません。

 国地方合わせて1000兆円超とも言われる莫大な財政赤字をどうやって減らすのか。六本木ヒルズと地方のシャッター商店街、一部の億万長者とワーキングプアなどの格差の是正をどうやって図るのか。輸出頼みの外需依存型から内需拡大型へどうやって経済を質的に転換させていくのか。本当に景気浮揚は出来るのか。どのようにして食糧自給率を高めていくのか。高齢者、失業者、身障者など社会的弱者へのセーフティネットをどう構築していくのか。少子高齢化が急速に進む社会にどう有効に対応するのか。医療、介護などの社会福祉の充実をどうやって図るのか。地方分権、地方への財源移譲問題とどう向き合っていくのか。問題の多い教育をどう立て直すつもりなのか。犯罪多発、薬物汚染拡大をどう防ぐのか。地球環境問題には、どう取り組むのか。従来の従属的な関係から対等の日米関係にチェンジするにはどうすべきなのか。真の国際貢献とはどのようなものなのか。中国、韓国との近隣外交はとのようなスタンスでいくのか。北朝鮮とは…。
 懸案の問題、難題は数多くあります。

 民主党をはじめとして連立を組むどの党も、政権与党の経験がないことも不安材料の大きな要因です。しかしこれは自民党に代わって受け皿となる政党を育ててこなかった、我々国民にも責任があります。これについては、経験不足から生じる多少の齟齬(そご)は寛容の心で見守るしかないと思います。
 また経験がないことだからこそ、新鮮な気持ちでチャレンジ出来るということもあるものです。それに民主党には、今回の新当選組も含めて勉強熱心で優秀な若手の人材が大勢います。ベテランの藤井裕久(元大蔵大臣)や菅直人(元厚生大臣)のような閣僚経験者とともに、それら若い力による現状突破力にも大いに期待したいものです。

 次にマニフェストに掲げた政権公約実行に当たって、選挙期間中にもしばしば問題にされた「財源はどうするのか?」ということがあります。自民党は政権交代が起きることを見越して、「民主党に渡すな」とばかりに「埋蔵金」を悉く使い果たしたのです。だから確信を持ってそう言うわけです。大マスコミもそれに同調していたとおり、確かに厳しいと言わざるを得ません。
 しかしそれは政官財癒着構造で、予算を分配する仕組みの自民党政権下での旧思考です。そのシステムを根本から改めてムリ、ムダ、ムラを見直せば、政策実現に必要な財源は必ず確保出来るはずです。

 その前に立ちはだかるのは、明治以来連綿と続いてきた「官僚の壁」です。これに対して小沢一郎が代表の時、「民主党が政権を取ったら、霞ヶ関に100人の議員団を送り込み、霞ヶ関改革を断行する」とぶち上げました。中央官僚はさぞびびったことでしょう。新政権では後を継いだ鳩山由紀夫が首相になるわけですが、その「脱・官僚」の基本姿勢は変わっていないと思います。
 ただ初めからけんか腰で乗り込むと、小泉政権下の田中真紀子外相のように、お役人から総スカンをくらい物事が一歩も進まない事態も考えられます。官僚は任された分野では国会議員が太刀打ち出来ないほどのプロ、優秀で確かに手ごわい相手です。そして己の保身には極めて敏感です。
 一方で脱・官僚、霞ヶ関改革を進めながら、もう一方ではうまく官僚を手なづけて協力させなければならない。難しいことながら新政権の成否は、実にこの一点にかかっているといっても過言ではなさそうです。

 こうしてみますと、新政権にとっては実に厳しい船出と言えそうです。308議席を獲得しても、鳩山代表はじめ民主党首脳の顔に笑みはありませんでした。身の引き締まる思い、とても浮かれている気分ではないのでしょう。政権担当は初めてという初々しさから、自公政権のように数の力を頼みとした暴挙に出る心配はないと思います。

 8月30日は、以前述べましたように、徳川幕府の大政奉還にも匹敵する「歴史的な日」となりました。とにかく新政権に、この国の浮沈と私たち国民の命運がかかっています。前途は多難でも、これまでの閉塞感、絶望感ただよう暗雲垂れ込めた状況から、天の一角に光が射し初めたのです。理想的な政治形態にはまだまだです。しかしそれに何歩か近づいたことは確かです。
 光をよりいっそう輝かせるべく暗雲を払おうと、新人も含め当選した308人の民主党議員たちは、それこそがむしゃらに仕事をすることでしょう。私も「よしっ。オレも自分の立場でしっかり仕事をしていくぞ ! 」という、新たなやる気をかき立てられました。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(12)

 以前より繰り返してきましたように、酒井事件よりはるかに重要なのは押尾事件の方です。極論すれば、もし仮に押尾事件が発覚していなければ(「関係者」にとって押尾がヘマさえやらかさなければ)、酒井事件もまた起きていなかった可能性があるのです。「初めに押尾事件ありき」です。

 その押尾事件の主役の押尾学被告は、28日東京地裁によって正式に保釈が認められました。保釈金400万円が工面でき次第、予定では今週初め頃にも保釈される見通しのようです。
 地裁のこの度の決定には、『やっぱりね』という思いと同時に、『どうして !?』というやりきれない気分にさせられます。同事件にはとにかく、依然解明されない「ナゾ」があまりにも多過ぎるのです。巨大な麻薬スキャンダルの森にほんの少し踏み込んだだけなのに、「もうそこから先は危険ゾーンだから、行っちゃダメだ」という通告を、法の番人たる東京地裁が下したかのような印象がぬぐえないのです。

 押尾事件では、まず事件の発端となった六本木ヒルズレジデンス一室で変死した、田中香織さんの死亡原因が未だはっきりしていません。さらに田中さんの自宅マンションを捜索した結果コカインが押収されました。押尾被告は同マンションにも出入りしていて、同被告がそこに隠して使用していたとして捜査中なのです。つまり「コカイン使用による麻薬取締法違反」容疑でも、警視庁は押尾の再逮捕を狙っていたわけです。
 それに対して東京地裁は、「もうそんなことはいいから。とにかく捜査は打ち切りなさい」と言っているようなものです。

 しかしこんなのはほんの序の口で、既報のとおり同事件には問題の六本木ヒルズ一室の借主である「PJ(ピーチ・ジョン)」の野口美佳社長の薬物疑惑も浮上しています。その「野口社長逮捕」を阻止すべく、警察官僚出身のH議員が強い圧力をかけたと言われています。また押尾事件が発生中、ヒルズの別の一室で乱交中だったとも噂されるM元総理の長男の「“麻薬&売春”疑惑」も発覚しています。それが表ざたになってスキャンダルにならぬよう、元総理からも圧力がかかったと言われています。

 またバックに控えるM元総理の意向を受けたものなのか。富永保雄は、薬物履歴があることをとうの昔から掴んでいた高相祐一被告を、夜の渋谷の薬物取引の場におびき寄せた疑いが濃厚です。その上で酒井被告とともに現場に現れ立ち去り、その後の「のりピー失踪」を演出し、世間の耳目を酒井事件に集中させ、まんまと「押尾事件隠し」を成功させた可能性大です。
 その他押尾事件のもみ消しに圧力をかけたとされる財界人、闇社会の存在。押尾や酒井や高相同様“シャブ漬け”と見られる、多くの有名タレント、歌手、アスリートたち…。

 28日の保釈に至るまで、東京地裁の判断は二転三転したようです。しかし既に報道で明らかなように、多くの謎が未解明のまま、すべての闇を葬りかねない保釈を決定しました。
 そこには「政権交代が起きる前に、ヤバイ事件は決着させておこう」という地裁トップの判断があったのかもしれません。法の番人であるべき東京地裁もまた、さまざまな圧力に屈したということなのでしょう。

 とにかく東京地裁は、何とも後味の悪い幕引きをしてくれたものです。本日遂に待ちに待った「政権交代」が実現致しました。こうなったら後は、民主党を中心とした新政権にこの問題の解明を期待したいと思います。
 というのも、民主党のマニフェストの厚生行政で掲げた項目の中に、「麻薬、薬物汚染」が取り上げられているからです。それには、
 <省庁横断的に薬物取締体制を強化し、薬物の供給源の根絶に取り組む>
 <覚せい剤、大麻のみならず、『MDMA』など錠剤合成麻薬や、いわゆる脱法ドラックの乱用が青少年を中心に広がっていることを受け、薬物乱用の低年齢化を防ぐ>
と明記してあります。

 要は民主党政権として、「蔓延している薬物汚染を徹底的に撲滅します」と、国民に約束しているわけです。他のマニフェスト(政権公約)同様、この項目も力を注いで公約実現に取り組んでもらいたいものです。
 その手始めとして、この迷宮化しそうな押尾事件を再度問題にし、改めて「再捜査」し直すくらいの姿勢を見せてもらいたいものです。上記の者たちが「逃げ得」になることのないように。
 それは、この国を真に浄化するための重要な一環だと思うのです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(11)

 酒井事件、押尾事件という両薬物事件について、今週末注目すべき動きがありました。

 まず酒井事件についてー。
 酒井法子(本名:高相法子-38)が、拘留期限である28日覚せい剤取締法違反(所持)の罰で東京地検に起訴されました。また酒井被告は、覚せい剤を使用した疑いでも追送検されており、同地検は捜査継続中で9月中に追起訴する方針です。
 南青山の自宅マンションから押収された覚せい剤は0.008gという微量なものでした。これは大粒の塩10余粒分相当くらいの量です。そのため「こんな微量では起訴は難しいのでは?」とする専門家もいました。しかし酒井本人からの具体的供述が得られたこと、さらには夫の高相被告が逮捕された現場に立会い、警察から出頭を求められながら立ち去り以後数日間逃亡したことを重くみて、起訴に踏み切ったものと推測されます。

 起訴を受けて、酒井の所属事務所である芸能プロダクション・サンミュージックは、相沢秀禎会長と相沢正久社長らが同日都内で会見し、酒井被告とのタレント契約の解除(解雇)を正式に発表しました。
 酒井が14歳から、25年間も見守り続けてきて肉親以上と言ってもいい“育ての親”である相沢親子にまで見放されたかっこうです。しかし会見の中で相沢社長は、「反社会的行為は決して許されるべきものではなく、断腸の思いですが解雇します。…まずは深く反省してほしい。へたに手を差し伸べない方がいい」と述べながらも、「本人に更正の意思がみられた段階で、相談に乗ることはやぶさかでない」とも述べました。また同社長の父である相沢会長は、「裏切られたという気持ちと、何でこうなったのかなと思います。廃人になる前に自分のことを考えて更正してほしい」と、“親心”をにじませながら鎮痛な面持ちで語りました。

 そもそも一連の酒井事件にあって、サンミュージックは終始つんぼ桟敷に置かれていたような感じです。不確かな情報では、酒井本人から電話連絡があったのは出頭直前の1度だけというし、酒井の継母、逃亡を手助けしたとみられる富永保雄、酒井の弁護人、更には警視庁からも、連絡や問い合わせはまったくなかったようです。このことも、相沢親子が無念さをにじませた要因かもしれません。

 ところでこの事件に関しては先週末あたりから、上記の建設会社「トミナガ」社長・富永保雄(71)のインタビューが各テレビ局で繰り返し流されています。その中で保雄は、酒井被告が覚せい剤を使用していた事実を「まったく知らなかった」と言っています。しかしこれは酒井被告の、「失踪は覚せい剤を抜くためでした」という供述と明らかに矛盾します。
 富永保雄は高相被告が逮捕された現場に、酒井とともにいて酒井とともに立ち去っています。なおかつ自分が所有する東大和市のマンションに匿ってもいます。その後の隠れ家となった箱根の別荘は、保雄の兄の元弁護士・富永義政(75)所有のものです。

 知らなかったはずがないのです。それのみか酒井の逃亡を手助けし、尿や毛髪から覚せい剤の痕跡を抜く方法を指南したのも、富永保雄または兄の富永義政元弁護士であることは明白です。
 とにかく失踪以後、酒井をがちがちに取り囲んでいたのは「富永一族」です。酒井の夫である高相祐一被告の弁護人と、酒井被告の弁護人は同一人物です。「みやび法律事務所」(東京都港区虎ノ門2-5-20)の榊枝弁護士です。同法律事務所を設立したのは、保雄の兄の義政元弁護士です。同元弁護士は、5,468億円という巨額負債による大型倒産で話題になった「麻布建物」の資産を隠匿し、公正証書原本不実記載の疑いで逮捕され、弁護士資格を剥奪されたいわくつきの人物なのです。
 そしてこの「富永一族」のバックにいるのが、M元総理と言われているのです。M元総理は、ここでも「後見人気取り」ということでしょうか?

 富永保雄がこの時期に、(顔は出さずとも)のこのこ出てきたのは、押尾、酒井両事件の決着が見えた、自分が逮捕されるようなことはもうない、と判断したからなのでしょう。それにしてもよくもまあ「善人づら」出来るものです。「本当のワル」とはああいうものなのでしょう。公共のメディアを使って、臆面もなく「自分は何のやましいこともしていない」と言い切れるのですから。世の中をナメ切っています。とても常人の神経ではありません。良心がとことん曇っていないと、とてもああはなりません。

 それに言いたいのは、ああいう発言を放送してしまうテレビ局の倫理の問題です。押尾、酒井両事件は密接に関連し合っていて、誰が陰で糸を引いていたかなどおおよその構図は、各局とも皆分かっているはずです。それを百も承知で、富永保雄に免罪符を与えるような、愚にもつかない「戯れ言」を述べさせる。
 とにかく今「日本の中枢」は、どこもかしこも腐り切っています。こんな腐り切った国が滅亡しなかったことは、古今東西例がありません。  

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(6)

 長かった投票日まで、あした29日(土)1日を残すのみです。懸念された不測の事態も幸い起きず、無事あさっての投票日を迎えられそうです。

 マスコミ各社の事前予測では、軒並み民主党の歴史的大勝が予測されています。それがはじめて出された先週の予測には、とにかく驚きました。「民主300議席をうかがう勢い」(8/20・朝日新聞)「民主300議席を超す勢い」(8/21・読売新聞)「民主320議席を超す勢い」「自民100議席割れも」(8/22日・毎日新聞)。
 日を追うごとに民主党の優勢がどんどん増していくようすが、はっきりわかります。これが噂の「バンドワゴン効果」というものなのか。同効果は、1選挙区で1人しか候補者を選べない小選挙区制では、自らの1票が死に票となることを避けようと、有権者に「勝ち馬に乗る心理」が働くことを言うそうです。確かにこの時点では、同効果が裏付けられた予測結果となりました。まさに前回の郵政選挙の結果を、まるっきりひっくり返したような予測です。

 私はこの推移を見て、『こんなに早くから民主党絶対優位の数字が出て、こりゃヤバイぞ』と思っていました。あと1週間余もあるのに、今後どんな「ゆり戻し現象」が起こるか分かったものではないからです。それを見越してか、民主党の鳩山由紀夫代表は、党都府県連に対して、「報道に浮かれ幻惑されるならば、政権交代は水泡に帰す」との電子メールを送ったようです。
 確かにそうなのです。事実今週になって、強力な「危機バネ」が働き、以前は落選危機が伝えられていた自民党大物議員が何人も、急速に息を吹き返しているようです。(その中には、押尾事件で警察に圧力をかけた疑いが濃厚な、石川2区のM元総理も、東京17区のHも含まれています。『こんな黒い連中が当選とは…』と嘆かわしい気持ちです。)
 
 しかし今週再び行われた予測でも、依然各社の「民主300を超す勢い」との予測結果は変わらないようです。それでも私は、最終的に300議席には届かないのでは?と予測しています。それでも以前の(4)記事で述べましたとおり、すべての委員会で委員長のポストが確保出来る「269議席以上」が得られればOK、大勝利と考えます。
 いずれにしても、あす土曜日あるいは投票当日、まさかの大天変地異でも起きない限り、「民主党大勝利」「政権交代」の流れは動かないと思います。

 これが「民意」というものなのでしょう。
 前回小泉元首相の「郵政民営化。イエスかノーか」「郵政が民営化すればすべて良くなる」式の、バラ色のワンフレーズに雪崩をうって投票したはいいけれど。郵政民営化は結局国民生活の向上にはまったく直結せず、逆に「かんぽの宿問題」など弊害ばかりが目立って。景気は一向に改善されず、格差はどんどん開き、一般庶民の生活は苦しくなるばかり。その上圧倒的多数の数の力を背景に、自公政権は国民無視でやりたい放題。総理大臣は次々に無責任に政権を放り出して、3回も変わるし。とどめの麻生総理が、今後とも政権を担当するなど真っ平ごめんだし…。

 とにかくこれは、多くの国民有権者の、この4年間の積もりに積もった怒りが奥深く内向していることの現れだろうと思います。譬えてみれば、普段は従順だった昔の農民たちが、いざとなったら莚旗(むしろばた)を立てて一揆を起こしたようなものなのではないでしょうか。「一票一揆」。
 だから、自公両党がいかにシャカリキになって民主党のネガティヴキャンペーンを続けようが、マスコミ各社が「総選挙隠し」をしようが、インフルエンザ問題で恐怖心を煽られようが、今更意思を変えることはないのだろうと思います。

 ところで、私は本日「期日前投票」を済ませてきました。投票所は厚木市本庁舎3階の一室。午後7時過ぎて暗くなっていましたが、同投票に市民が次々に来庁してきます。10台くらいの記載台は、空きが2、3台しかないような混みようです。さながら投票日当日を思わせられます。中には、20歳前半と思われる女性も何人かいます。これらからも、今回の選挙に対する関心の高さが十分うかがえます。
 投票当日はゆっくりし、投票締め切り直後から始まる各テレビ局の「総選挙特番」に食い入り、「歴史的瞬間」をじっくり見届けたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(5)

 解散から投票日まで40日間という、バカ長の衆議院選挙戦もようやくゴールが見えてきました。投票日の30日(日)まであと2日と迫りました。

 4年前のあの郵政選挙が思い出されます。同選挙が異例づくめだっただけに、どうしても前回と今回を比較してしまうのです。何といっても大きな違いは、選挙戦に対する各マスコミの取り扱いの違いです。
 特に、郵政選挙におけるテレビ各局の過熱報道ぶりは尋常ではありませんでした。郵政造反議員に対して、小池百合子、片山さつき、佐藤ゆかりなどの女刺客あるいは当時のマスコミの寵児・ホリエモンこと堀江貴文をぶっつける小泉流手法に、無批判で丸ごと乗っかりとにかく朝から晩まで「選挙報道一色」でした。

 小泉内閣発足当初から、私は小泉純一郎なる人物にうさんくささを感じていました。以前も述べましたが、小泉内閣の5年余ただの一度も支持しなかった稀な存在だったのではないでしょうか。そんな私からして、「小泉劇場」に熱狂するメディアそして国民の姿にものすごく異常で危ないものを感じたのです。
 そこで私は過熱報道自粛を求めて、NHK、日テレ、TBS、フジTV、テレ朝に対して、何度か電話または文書で抗議を行いました。(新聞社に対しては、「小泉不正年金問題」のもみ消し時、朝日、毎日、読売、サンケイに抗議しました)。私のみならず、当時抗議した人は少なからずいたのではないでしょうか。しかし当然のことながら、そんな抗議も虚しく、選挙報道が加熱する一方だったことはご承知のとおりです。

 さて今回の選挙戦の各マスコミの取り扱いについてです。まあ、何という様変わりなのでしょう。私はイラク戦争以来新聞購読をやめています。だから新聞のことは分かりません。また最近はテレビのニュースや報道番組もあまり見ていません。ですから確定的なことは言えませんが、前回とはうって変わって、今回は異常なほど総選挙についての扱いが小さいのではないでしょうか。
 特にテレビなどで代わって連日トップニュースになっているのは、例の酒井事件そして新型インフルエンザ流行問題です。それに日々のニュース、例えば「M・ジャクソンの死は主治医のマーレー医師による他殺だった」とか、福岡県の警察官が飲酒運転によるひき逃げ事件を起こしたというようなものが続き、短いニュース番組では選挙の「せの字」も出さないことも珍しくはありません。

 これは、テレビ各局が4年前の過熱報道を心底反省し、今回は選挙報道を自粛しているということなのでしょうか。なら良いのですが、それにしては自粛の度が過ぎています。国民有権者として当然知りたい、例えば注目選挙区の最新動向などをさっぱり報道しないのでは、とても国民のニーズに応えているとは言えません。明らかな「総選挙隠し」と思われても仕方ないと思います。
 「総選挙隠し」によって最も得するのは何党なのでしょう。言わずと知れた自公政権与党です。今回は大変な逆風で、大物議員ですら各選挙区で苦戦が伝えられているからです。だからといって、国民に「見せない」「知らせない」というのでは、メディアの公共性に著しく反しているのではないでしょうか。その意味で、前回が各マスコミによる「翼賛選挙」だったとするならば、今回だってまったくそうなのです。

 大新聞、大テレビ局は、自民党政権によほど恩義を感じているということなのでしょう。何か大きな弱みを握られているということもあるのでしょう。また長い間の政官財癒着構造の中で甘い汁をたっぷり吸い、そういう恩恵に預かれなくなりそうな政権交代は出来れば起きてほしくない、これがトップたちの本音でもあるのでしょう。

 酒井事件は「押尾事件隠し」の上に「総選挙隠し」、「インフルエンザ問題」は「総選挙隠し」と「政権与党への引き込み狙い」、このような意図があるのは明白だと思います。
 酒井事件は別記事で何度も触れました。インフルエンザ問題について言えば、それまで何ヶ月もまったく報道がストップしていたのに、公示日前後急に降って湧いたように。これが怪しいのです。理由は「死者第1号が出たから」。本当にそうだったのでしょうか。厚労省による情報操作など、やろうと思えばいくらでも出来るのです。実はとっくに死者が出ていたとしても、別の死因にしてしまえばいいわけですから。「発表はまだ時期尚早」と関係者が秘匿して、公に報道しなければ国民は知りようがないわけです。

 インフルエンザ問題によって、まあ「暗い自民党」の象徴のような枡添厚労相のムクツケキご尊顔を、毎日嫌というほど拝さなければならないわけです。不人気でとんでもないチョンボをしでかす麻生総理はこの際隠して、代わって国民に人気のある枡添を前面に、という猿芝居的作戦でもあるのでしょう。

 この記事をお読みの方々は、意識レベルの高い方々です。そうでなければ、当ブログをご訪問になりしかも長ったらしい本文を丁寧にお読みにはなりません。しかし権力側が選挙などで常にターゲットにするのは、意識レベルの高い人たちではありません。そのような煙ったい人々は、前もって対象外なのです。テレビ報道を一々真に受ける「大衆レベル」こそが、かっこうの狙い目です。(とかつて、小泉元総理の知恵袋だった飯島秘書官が言っていました)。同じ有権者であることに変わりはなく、そしてこのような「大衆レベル」が相当数を占めているわけですから。

 大切ですから本シリーズ(4)で述べたことを繰り返します。「恐怖心をあおり、大衆を引き込む」ことは、古代から使い古された「闇の勢力」の常套手段です。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(10)

 焦点の押尾事件に関して、つい先日注目すべき動きがありました。
 東京地検は24日、合成麻薬MDMAを使用したとして、押尾学(31)を「麻薬取締法違反(使用)」で起訴したのです。しかし事件の発端となった、六本木ヒルズレジデンス・B棟2307号室で変死体で発見された、田中香織さんに対する「保護責任者遺棄致死容疑」については立件せず、再逮捕はしない方針を固めたもようです。
 
 これは警視庁が、押尾が重篤の田中さんを放置して逃亡したことに関して、当初のとおり「事件性無し」と最終的に結論づけたことを意味します。田中さんは「勝手にMDMAを服用して誤って死んだだけ」と言うわけです。
 田中香織。30歳。銀座の高級クラブ「ジュリア」ホステス(ホステス名「麗城あげは」)。身長172cmのスレンダー美女。全裸の状態で死亡が確認された。背中に刺青あり。
 田中さんは、一体どんな状況で死亡に至ったのか。押尾被告の「2錠目を飲んだ時に泡を吹き、異変が生じた」「心臓マッサージを施したがダメだった」などの断片的な供述が洩れ伝えられているだけです。異変が起きて3時間も経ってから通報したのはなぜなのか。本当に押尾の言うとおり、服用死だったのか。他殺の可能性はないのか。他殺ではないとしても、十分保護責任者遺棄致死罪に相当するケースなのではないでしょうか。
 
 密室状態の部屋で人が一人亡くなっているのです。これはどう考えても明らかに事件です。遺族ならずとも国民の多くが、真相解明を強く望んでいたはずです。なのに所轄の麻布警察署、警視庁は、何一つとして明快な見解を発表していません。

 警察当局はこれで押尾事件の幕引きを図りたい考えのようです。前回の(9)記事でお伝えした、「野口美佳社長の逮捕」さらには「M元総理長男の“麻薬&売春”疑惑の捜査」も一切なし。死因の特定はおろか事件そのものを迷宮化させ、すべてを押尾学一人に押しつけて、この事件の背後に広がるどす黒い闇をうやむやにしようという意図は明白です。
 某ブログでは「これほど誰から見ても納得できない事件は前代未聞だろう。法治国家・日本で、こんなことが許されてしまうとは、もはや日本は暗黒国家だ」と嘆いています。まったく同感です。

 「関係者」にとって最大の誤算は、田中さんの死亡に当たって119番通報し、「救急車」を呼んでしまったことだというのです。真っ先に呼ぶべきは110番、「警察」だったのです。そうすれば「いつものとおり」事を表ざたにすることなく、うまく内密に処理出来たのです。
 麻薬、覚せい剤などの常用で体がボロボロに蝕まれ、急死、変死するケースはままあることのようです。当然六本木ヒルズレジデンスでも何度もあって、これまでは幸い(?)表ざたになってこなかっただけなのです。

 今回の押尾事件では、各方面からあらゆる圧力が警視庁や麻布警察署にかけられたようです。六本木ヒルズを管理する「森ビル」、押尾が所属していたエイベックス。野口社長率いるピーチ・ジョンの親会社「ワコール」も財界の力を使って圧力をかけたと言われています。更には薬物が関係しているだけに、薬物疑惑タレントが多く出入りしている西麻布のクラブ「A」(エーライフ?)など、闇社会からの圧力もあったと見られています。
 それにこの事件には、政界の中枢からの圧力があった可能性が高いのです。例えばM元総理です。

 M元総理は、長男の祐喜に「“麻薬&売春”疑惑」が持ち上がっていることは、既報のとおりです。そして「永田町の三バカ息子」の一人と言われているこの長男は、問題の西麻布のクラブに出入りしており、銀座界隈のホステスとこれも問題の「やり部屋」(六本木ヒルズの例の部屋のこと)を利用していたようです。
 その他政界筋として、官僚機構のドン的立場のU内閣官房副長官の影も見え隠れしています。

 この事件は政界の中枢や闇社会とつながっているため、マスコミも恐がって腰が引けているようなのです。それのみか、警察が闇社会と癒着しているのと同じように、マスコミ企業人も麻薬や覚せい剤を通じて闇社会との関係が出来ていると見られています。この事件は調べれば調べるほど、どこもかしこもズブズブの泥沼の様相です。

 自民党政権下の闇社会との癒着構造では、この事件の真相解明は不可能です。押尾、酒井両事件の終息と同時に、それまでなりを潜めていた「ヤクの売人」たちも、これまで以上に大っぴらに動き出すことでしょう。こうして闇はいっそう拡がり、列島全体が薬物まみれになっていくのです。

 (追記) 押尾被告の弁護士は、26日同被告の保釈請求を東京地裁に請求しました。東京地裁は、「逃亡や証拠隠滅のおそれがないか」などを慎重に検討のうえ、27日午後以降結論を出すもようです。これに対して東京地検は「保釈すべきではない」旨の意見書を地裁に提出するとのことです。
 もし保釈が認められるようなら、押尾事件はいよいよ「ジ・エンド」ということでしょう。

 (大場光太郎・記)

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ご報告致します(8)

 昨8月24日で、総訪問者20,000人を越えました。開設後483日目での到達です。私と致しましては、開設当初の心もとなさを振り返ってみますと、『意外と早かったな』と率直に思います。しかし実際のところ、早いのか遅いのかは私には分かりません。でも簡単に2万人と言いますが、よく考えてみれば大変な数字です。私ごとき者のブログにかくも大勢の方々がご訪問くださり、まことに感謝に堪えません。
 いつものとおり、訪問者等の概略を以下にご報告申し上げます。

(1)開設(‘08年4月29日)~‘09年8月24日(延べ日数-483日)
    訪問者合計         20.025 人
    日 平 均            41.4 人
(2)15,000人到達時点(6月23日)~8月24日(延べ日数-62日)
    訪問者合計          4,979 人
    日 平 均            80.3 人
(3)訪問者5,000人当たり対比
    前回   70日で到達  (4月14日~6月23日)
    今回   62日で到達  (6月24日~8月24日)
    今回/前回比         0.88
(4)直前1ヵ月間(7月25日~8月24日)
    訪問者合計          2,406 人     
    日 平 均            80.2 人

 以上の数値は、あくまで平均値です。少し前の『記事数500越えました』で申しましたように、『皆既日食』記事のように、1日300人という訪問者数を記録することもあれば、「季節報告文」「名句、名詩」などのような地味な記事、あるいは更新休みの日などは50人台というように、日によってかなりのばらつきがあります。ただ一つ言えることは、50人を下回ることはなくなったということです。

 今回の数値から判断する限り、現時点における当ブログ実力は、1日当たり「80人」ということになろうかと思われます。こうなると更に欲が出ます。いつの日か、「常時100人」を記録出来るようになりたいということです。そしてあわよくば、どんな記事の日であろうがたとえ更新を休もうが、コンスタントに100人を刻んでいければと思います。
 しかし現時点で100人を越えるのは、月にほんの1、2回程度です。今回/前回比でお分かりのとおり、(前回の0.70に対して)今回は0.88と、訪問者の増加は明らかに鈍っています。当ブログのように「堅めの文章のみ」で勝負するブログにとって、「100の壁」はなかなかなのです。道なお遠しの感を深く致します。

 1年以上前私は、「“芸能ネタ”“政治ネタ”の類は、当ブログでは扱いません」と言い切りました。しかし一年以上経った今日ではどうでしょう。今や扱わないはずだったそれらの記事が、主力になりつつあるようにも思います。
 これはやはり、ある程度の訪問者獲得のためやむを得なかった面があります。何度か触れましたとおり、たいがいのブログには「アクセス解析」機能が備わっています。以前述べましたが、テレビ局が視聴率を気にするように、やはりブログを運営しておりますと「訪問者数」と「訪問者の動向」は大変気になるものなのです。訪問者動向とは、「どのような記事のどういう内容に惹かれて、訪問されているのか」という傾向性のことです。
 やはりそれを分析致しますと、「芸能ネタ」あるいは「今最も旬なニュース記事」へのご訪問が圧倒的です。『じゃあ、やっぱりポイントポイントでそういう記事を入れていこうか』ということに、どうしてもなってしまいます。(「政治記事」は思ったほどの訪問者数は得られません。)

 これは考えてみれば、私の方針の変節であり転向ととられても致し方ない面もあります。特に開設以来ずっとご訪問されておられる方には、お詫び申し上げなければなりません。
 ただ私と致しましては、これらを加えたことにより、私自身の「心のレパートリー」が少しばかり広がった感じが致します。大新聞のような正確で高尚な内容ではなく、時に三面記事がかった内容になろうかと思いますが、このような記事も当ブログの可能性の拡大とお受け取りいただければと存じます。
 私は当初申し上げました「癒しブログ」としての役割も、決して忘れてはおりません。今後とも開設当初のような記事と、芸能、時事的記事とのバランスを考えた記事作りを心がけていくつもりです。もし何か著しい偏向が見られるようでしたら、ご遠慮なくご指摘たまわればと存じます。(今週から来週半ば頃までは、「衆院選期間」「薬物問題期間」などでどうしてもそちらの記事が主になるかもしれません。)

 次回のご報告は、またまた大いに間のびするかもしれませんが、「3万人到達時点」とさせていただきます。
 当ブログは、時に「本音丸出し」で述べさせていただいている、珍しいブログ(?)かもしれません。それゆえなおのこと、出来るだけ多くの方々にお読みいただきたいと思うのです。かつてない重要な「今この時」、その時々に生起する諸問題をご一緒に考えていければと思います。
 それでは当ブログ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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秋の気配

   我が心早や秋風と思ひけり   (拙句)

 『薬物汚染の拡がりを憂う』につい熱中し、関連する新情報を追いかけ3回連続で同シリーズを載せました。しかしふと気がついて調べてみますと、昨23日(日)は二十四節気の一つである「処暑」なのでした。
 処暑のことは去年記事にしましたが、「暑さが峠を越えて、後退し始める頃」という意味です。二十四節気という暦上の季節の変わり目と実際の季節には、多くギャップが見られるものです。しかしこの処暑は、ほぼ実際の季節感覚と一致しているようです。

 例えばきょう24日です。当地では午前中から昼過ぎまでは日差しが明るくやや暑いくらいでしたが、2時過ぎ頃から空に何やら秋めいたうす雲がかかり始め、徐々に日が翳りだしました。曇りゆく景色の中町並みはどことなく沈みがちで、真夏の頃とは明らかに装いが違います。
 風もやや強く吹き渡り、揺れる道の辺の草花は早や秋草の風情です。

 並木道上の梢では確かにまだ蝉声は聞こえつつも、以前ほどのかまびすしさではありません。蝉といえば、旧盆前頃までは、夜中の10時過ぎても木立があろうものなら、そこからけたたましいほどの夜蝉の鳴き声が聞かれたものでした。しかし今は同時刻夜蝉はバッタリで、代わって草むらからひっきりなしにリンリンと鳴く虫の声が聞こえてきます。

 夕方5時頃例の中津川堤防を降りてみました。7月まではこちら側は草が伸び放題でした。しかし今月に入って、県から委託された業者が草刈機で刈り取り、今は堤防の上から下までキレイな丸坊主状態です。
 私がいつも腰を下ろす所の手前、下段にはマツヨイグサ(月見草)が雑草に混じって群生して咲いていました。夜に訪れると、黄色い花々が咲きそろいそれなりに風情がありました。しかし今はそれも含めてきれいさっぱりです。ずっと100m上流まで見渡せます。

 空全体をいよいよ厚い雲が覆い尽くしています。座って見上げているのは東空ですが、その中空より少し低い辺りの雲間から、夕べの薄い光が漏れ出しています。周りの雲がうす茜色に染められています。
 川の中ほど20mほど上空を、鳶(とび)でしょうか、黒い大きな羽をグライダー状に広げっぱなしでゆったりと旋回しています。

 少し下流の大堰からこちら上流側は、さながら堰止め湖のような具合です。満々たる水を湛えています。強い夕の川風が吹き渡っているせいか、川面(かわも)は一面細波(ささなみ)が立っています。やや上流の中洲や向こう岸の際(きわ)のみ波は収まり、そこの葦の連なりが水面(みなも)に映じ、その深緑のさまに何となく涼しさを覚えます。実際川を渡る風はけっこう強く、涼しさを通り越して少し肌寒さすら感じるほどです。

 と、(さすがそこだけは刈り残された)こちら岸の水際の少し上流の葦群れの陰から、つがいなのでしょう、2羽の鴨がツツゥーと姿を現しました。私が座っている堤防中段から、ほんの数m先をゆっくり通っていきます。私は息を殺してじっと身動きせず見ています。鴨は悠然と通り過ぎ下っていきます。
 少し下流のこちら岸沿いに、2列並んで20くらいのテトラポットがあります。この満水時期は、丸い天辺だけ水面に突起している状態です。2羽の鴨は、そのテトラポットの1つそして隣の1つに、1羽ずつ乗っかりました。逃げ出さぬよう、私はいよいよ用心して彼らを見守ります。(幸い私がいる間中、ずっとそのテトラ上で羽を休めていました。)

 川の中ほどに、その鴨を何倍も小さくしたような、1羽の水鳥の姿が見られます。一応水鳥としての形は整っているものの、本当にびっくりするほど小さな水鳥です。全長せいぜい7、8cm、首はいたって細く直径1cmあるかないかといったところです。
 数年前まで私は、この鳥の名前を知らず勝手に「小水鳥(こみずどり)」と名づけて、俳句にもそう詠みました。その後今から4年ほど前、たまたま訪れた「厚木市郷土資料館」の1階陳列棚の中に、この水鳥の剥製が置いてありました。名前を見ると「カイツブリ」。

 このカイツブリ、ただ泳ぎ回っているのではありません。少し水面に浮いていたかと思うと、意を決したかのように、小さな頭からクルリと水中に潜っていきます。小さな波紋を残して、瞬く間に姿が見えなくなります。そうやって必死で小魚を探しているのです。何10秒、時に1分以上も潜りこんでいて、『あれっ。どこに行っちゃったの?』と心配していると、意外な離れた所にパッと姿を現すのです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(9)

 前日の『本シリーズ(8)』に、tokumei様よりコメントをいただきました。それによりますと、同記事でプロフィールを紹介した野口美佳社長の「逮捕秒読み」だというのです。私も内心『この女怪しいぞ』とどこか思いながらも、『まさか』という思いの方がまさっていました。 しかしtokumei様の情報が正確なら、野口社長自身が薬物使用に関わっていたということになり、事は重大です。

 私は押尾事件については、けっこう先を行っているつもりでした。しかし事態は私などの知らないところで急展開しており、『六本木ヒルズ“魔窟”レジデンスの闇は、想像以上に深く広いのかもしれんぞ』と思わせられました。
 真相を知るのに、大手新聞やテレビなどの情報はまるであてになりません。情報操作、隠蔽のオンパレードですから。そこで私は、ネットで同事件関連を少しあたってみました。そこにはもちろん、虚実取り混ぜた玉石混交の情報が入り乱れています。が中には、驚愕の内容も含まれています。
 
 以下にご紹介するのは、そのような情報であることをくれぐれもお含みおきください。いずれ近いうち、真偽のほどは明らかになると思いますが。

 その核心は、「(押尾事件関連で)一週間以内にもとんでもない事件が発生する」という噂が、某大手テレビ局内に流れているということについてです。一週間以内ということは今週中、すなわち衆院選の最終コーナーのこの時期に、ということです。それではその「とんでもない事件」は「野口社長逮捕」か?というとさにあらず。もちろんそういう事態も十分あり得ますが、事はもっと“ドエライ深刻な問題”です。
 それはズバリ、「M元総理の長男の“麻薬&売春”疑惑」が表面に出てくるだろうというものです。
 M元総理といえば、安倍元総理以下現麻生総理までの後見人を自認し、ことあるごとに政局にうるさく口をさしはさんできた御仁です。そして今回はご自身の選挙区で、民主党の女性候補の急追にあい、青息吐息のさなかです。

 前記事(8)で触れた、六本木レジデンスに関係しているとされる大物政治家とは、M元総理だった可能性があるわけです。もしそれが真実であれば超大スキャンダルです。M元総理自身はもとより、自民党ひいては政界、国民に与える衝撃は測り知れません。
 もちろんM元総理自身のことではありません。しかしご子息の不祥事です。「オレは知らん」で済まされることではありません。国民は元総理の出来事として受け取るのは明らかです。

 “麻薬&売春”疑惑。うすうす感じていましたが、「薬物とセックス」は表裏一体の関係にあるわけです。野口社長のモットーは「情熱と快楽」。同社長はかなりのやり手実業家であるとともに、かなりの好き者社長でもあったようです。問題の一室に出入りしていた者たちの「下の世話」を喜んでしていたようなのです。現在妊娠中の子供の父親は誰なのか?明かせないのは当然でしょう。
 “魔窟”では、薬物の乱用とともに、乱交まがいのことが日々夜な夜な繰り広げられていたのだろうか?セレブたちの乱脈性態を垣間見る思いです。
 もし情報が本当なら、M元総理の長男もその一員だったわけです。元総理自身、総理在任中W大学在学中の売春疑惑を取り上げられたことがありましたが、血は争えないといったところでしょうか。

 ところでtokumei様のコメントによりますと、薬物を厳しく取り締まるべき赤坂警察署そのものが、「地域闇勢力」とズブズブだったようです。のみならず、警察上層部にも“シャブ漬け”の者がけっこういるというのです。
 もう滅茶苦茶です。おそらく六本木ヒルズレジデンスの件も、実態をとうの昔に知っていながら「見て見ぬふり」をしてきた可能性があります。そんな当局側にとっても、押尾事件は青天の霹靂だったのではないでしょうか?くだんの部屋で人が一人死んで表ざたになったのです。いくら何でも見て見ぬふりは出来ません。いや実は同室で変死体が出たのは、今回が初めてではないようです。今まではうまく内密に処理してきたようなのです。
 ですから当局は、『お塩(押尾のこと)のヤツ。とんだヘマやらかしやがって』と舌打ちしたことでしょう。

 なおこの件には、酒井事件で一躍有名になった「富永兄弟」が一枚かんでいるようです。特に元弁護士・富永義政の弟の富永保雄が、「のりピー失踪」を画策、演出したようなのです。何のために?もちろん「押尾事件隠し」のトリックとして。
 富永元弁護士とM元総理の親密な関係は、業界(産廃業界、法曹界)では有名なのだそうです。

 今回はあるネット情報をもとに、M元総理長男の関与を中心に述べてきました。が、それ以外にも怪しい有名タレント、有名歌手、有名アスリートなどが、いるわいるわ。本当に「芸能人を見たら“クスリ”を疑え」といった状況です。

 押尾事件、酒井事件に関しては、次々に驚愕の新事実が明らかになってきています。言ってみればこの両事件は、今のこの社会の先鋭化された「鏡、縮図」のようなものです。つくづくこの国の劣化、堕落を痛感させられます。
 こんな日本に誰がした !? そう叫びたい気分です。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(8)

 今は衆院選挙の真っ最中です。しかしテレビなどは、酒井事件と新型インフルエンザ流行問題が連日報道されています。選挙戦はすっかり霞んでしまっているようです。4年前の郵政選挙時の、あの過熱報道とのさま変わりには驚きます。

 さて酒井事件の陰に隠れてついつい忘れがちですが、同時期に起こった押尾学容疑者(31)の事件も忘れてはいけません。それのみか「薬物問題」の本筋からすれば、こちらの方がはるかに重要だと言えそうです。というのも、酒井事件の方はあくまで夫婦間あるいはつながりのある芸能人の所持、使用というレベルですが、押尾事件の方は「汚染の拡がり」のスケールがまるで違うからです。
 捜査の進展しだいでは、芸能界のみならず政界、IT業界、スポーツ界などを巻き込んだ大スキャンダルに発展する可能性が大なのです。

 なのになぜばったりなのでしょう?あるマスコミ関係者が言ったそうです。「上から出来るだけ“のりピーのネタ”を取り上げるように言われています。押尾の方は難しい問題があるから控えめにというお達しです。何らかの圧力がかかっているようです」
 これはどういうことなのでしょう。実は押尾事件では、大物政治家の名前が取りざたされているのです。問題の六本木ヒルズマンションの一室で、押尾と一緒にいて死亡した女性(30)は一時「政治家の娘」と言われましたが、どうやらその政治家との関連でそのような噂が流れたようなのです。
 それ以外にも、同事件では何人ものIT企業のトップの名前が取りざたされていますし、これらと関係の深い大物政治家もいるようです。実際、問題の一室には政界関係者も出入りしていたという情報もあるくらいです。

 六本木ヒルズレジデンスはセキュリティ万全で、当然防犯カメラも設置されていて、その中に出入りした人たちがいっぱい写っているわけです。中には「どうして?」と思われるような人物も写っているようです。例えば、紅白出場経験のあるグループのメンバー、アスリート、女性歌手のマネージャー、さらには政界ジュニアなど。警察は既にチェックに入っていると言われています。

 ところで、この事件の発端となった問題の「六本木ヒルズレジデンス」の借主の実像が明確になってきました。借主は、通販下着会社「ピーチ・ジョン」の野口美佳社長(44)。同室は野口社長が賃貸契約している1LDKで家賃40万円以上の3部屋の一室で、別名「ミーティングルーム」。親しいタレントや関係者に自由に使わせていたようです。
 野口社長は「ミカジョン」の愛称で知られ、ヒルズ族の中心的存在だとか。人脈は華麗で、堀江貴文、IT社長の野尻佳孝、歌手の浜崎あゆみ、タレントの吉川ひなの、あびる優、梅宮アンナ等々。(ただし同社長を含め以上の人たちは、薬物とは無関係と信じたいです。)

 野口社長は1965年仙台市生まれ。高校卒業とともに上京し、グラフィックデザインを学び、‘94年に女性向け下着通信販売会社ピーチ・ジョンを設立。‘06年にはワコールホールディングスと資本業務提携を結び、‘08年には完全子会社に。野口社長はワコール株を670万株所有している筆頭株主で、同株だけで80億円を超える超資産家なのです。これを彼女一代で築いたわけですから、相当のやり手女性なわけです。
 彼女のモットーは「情熱と快楽」。そのせいか結婚、離婚を繰り返し、バツ2で子供4人の母親。現在5人目の子供を妊娠中ですが、父親の名前は明かしていないそうです。

 その野口社長は、今年6月の自身のブログで押尾容疑者を「押尾先生」と呼び、その顔や肉体美を賞賛していたとのこと。今回亡くなった女性と押尾が知り合ったのは、同社長の知人に連れて行かれた銀座の高級クラブだったようです。
 ただ事件後はさすがに、「押尾を安易に信用したことを反省している」とのコメントを発表しました。

 押尾事件には捜査一課も乗り出しているようです。つい先日警視庁長官が、「芸能界の薬物一掃のため、関係者には再発防止に努めていただきたい」旨の発言をしたばかりです。
 本シリーズなかなか結論に至れませんが、薬物中毒は肉体のみならず「諸体」にも極めて深刻なダメージをもたらします。「今回の人生」だけで済むような生易しいものではないのです。もうこれ以上の薬物汚染の拡がりを防ぐためにも、警視庁は政治的思惑などに左右されることなく、六本木ヒルズ“麻薬窟”レジデンスの怪しい実態解明のため、徹底的に捜査のメスを振るっていただきたいものです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(7)

 拘留を延長しての連日の取調べにも、なかなか肝心の自供をせずしぶとかった酒井法子容疑者(38)でした。しかし遂に観念したのか、「去年夏前から吸っていました」と新供述を始めているようです。
 何しろ尿検査はシロ、それに代わる毛髪検査ではかろうじて覚せい剤の陽性反応が認められたものの、これでは時期をはっきり特定出来る確たる証拠とはなり得ず。拘留延長の切れる今月28日、証拠不十分で不起訴釈放かとも見られていました。

 しかしこんなおかしなことはないわけです。夫・高相祐一(41)は21日、覚せい剤の所持・使用で既に起訴されました。その高相被告が、「妻も数年前から一緒に吸っていた」「先月の日食で奄美大島に行った時も、妻と一緒に使用した」などと具体的に供述しているのに、酒井の方は不起訴だなんて。
 
 その後次々に明らかになった事実から、数日の消息不明期間それを手助けしていたのは、酒井の継母の知り合いの建設会社社長その兄で元弁護士などであったことが判明しました。これらの関係者の連係プレーによって、酒井は山梨県身延町、東大和市、箱根の別荘などに潜伏していたのです。
 その期間は、尿から覚せい剤使用の陽性反応を消すための「逃亡期間」だったことは明らかですし、毛髪も検査されることを折り込み済みで逃走中髪の毛も短く切ったというし。

 何もかも計算づくだったわけです。なのにもし証拠不十分で不起訴などとなれば、それこそ「逃げ得」の極み、社会的公平性に著しく反するところでした。しかし今回の新供述で、少なくとも不起訴はなくなったのではないでしょうか?
 酒井の取調べ関係者も、「これで外堀は埋まった。後は具体的な自供を待つだけ」と話しています。それでなくとも、まるで底なしのような芸能界の薬物汚染の歯止めをかけるべく、つい先日警視庁長官が「この際、芸能関係者は薬物を一掃するよう再発防止に取り組んでもらいたい」との異例の会見を行いました。警視庁の面子に賭けて、再拘留までした酒井容疑者を何が何でも起訴に持ち込む方針でしょう。

 覚せい剤を「使用した日時、場所、方法」などを特定出来るような供述が得られれば起訴は確実だと思われます。それも執行猶予なしの「実刑」だってあり得るケースです。一部同業者(芸能人)からは、「連日の報道で既に社会的制裁は受けている。その上起訴じゃ可哀そう」という声も聞かれます。がしかし、これはとんでもないことです。
 とにかく、「逃走」そして「証拠隠滅」さらには法律の専門家の助けを借りて、世間と警察を欺いたことは極めて悪質です。ちなみに元弁護士というのは富永義政氏(75)です。同氏はイトマン事件の許永中と親交を持ち、本人にも逮捕歴があり弁護士資格剥奪といういわくつきの人物のようです。東大和市のマンションは弟の建設会社社長が、箱根の隠れ家は同氏が提供したものとされています。

 とにかく酒井法子容疑者には、心底前非を悔いて覚せい剤とは永久に決別してもらうともに、「芸能界復帰」などという淡い期待や幻想はかなぐり捨てて、受けるべき罰は甘んじて皆受けてオールクリアーになって、今度こそ一社会人としてまっとうに生きていってもらいたいものです。酒井法子本人のためそれが何よりです。がしかし、人一倍「虚栄心」が強そうな彼女のこと。果たしてどこまでまっとうになれるのかな?
 
 (大場光太郎・記)

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閑さや

                松尾芭蕉

   閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 今さら説明するまでもないほど有名な句です。数多(あまた)ある芭蕉の名句の中でも、代表句といってよいのではないでしょうか。というよりも、芭蕉以降作られ続けてきた膨大な俳句の中でも、最も広く日本人に知られた句といっていいかもしれません。

 この句は、元禄2年(1689年)新暦8月上旬最上川沿いの大石田に逗留中、梅雨晴れ間のある日立石寺に足をのばして、その地で詠まれた句です。その何日か後には、最上川を下って
   五月雨をあつめて早し最上川
の名句も完成しました。「最上川の句」といいこの句といい、我が出身県で作られたことは密かな誇りとするところです。

 この句の背景となった立石寺(りっしゃくじ)は、現山形市にある天台宗の寺院です。山寺(やまでら)の通称で知られています。創建は寺伝によると、貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされますが、実際の創立者はその弟子の安慧(あんえ)であるとする説もあるようです。
 鎌倉時代には幕府の保護と統制を受け、関東祈祷所となり寺は栄えますが、後に兵火によって消失してしまいます。13世紀中頃には幕府の政策により禅宗に改宗となるも、後に斯波兼頼が出羽探題として山形に入部した後、兼頼により再建され天台宗に戻りました。

 大永元年(1521年)またもや兵火により全山焼失しました。現存する立石寺中堂は後世の改造が多いものの、室町時代中期の建物とされています。なお焼き討ちの際、比叡山延暦寺から分燈されていた法燈も消滅し、再度分燈することとなりましたが、元亀2年(1571年)の織田信長による比叡山焼き討ち後の延暦寺の再建には、立石寺側から逆に分燈されることになりました。
 立石寺は、江戸時代の山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていました。同寺には同家から寺領1,300石が与えられました。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「立石寺」の項より)

 山寺(立石寺)といえば―。私は高校3年生の時、当時のクラスで私が音頭を取って3回ほど「郷土の史跡めぐり」をしました。その締めくくりが山寺でした。といっても夏ではなく、コートを着込まないと寒いくらいの10月の日曜日、クラスの半分くらいが参加しました。
 何しろもう40年以上前のことです。その時のようすは詳しくは覚えていませんが、参道の途中にこの句の古色蒼然たる句碑が建っていたことは記憶にあります。(いずれそのことも含めて、高3の頃の思い出を綴れればと思います。)

 さてこの句の観賞文となると、骨が折れます。とにかく難解なのです。そのゆえんは?やはり何といっても、
   閑さ = 蝉の声
 という不思議な等式の解を得ることの難しさです。

 本当にどういうことなのでしょう?山寺はとにかく鬱蒼たる木立に覆われた山の寺です。木立に紛れ込むように、あっちこっちに塔中が建っているといった趣きです。時は夏真っ盛り。全山を覆わんばかりの蝉の鳴声です。そのかまびすしさといったら、「岩にしみ入る」ほどなのです。
 この第2句は特に秀逸だと思います。山頂の本堂まで、曲がりくねった石畳の上り参道がかなり続きますが、参道沿いといい少し離れた所といい、切り立った崖状の高くて大きな岩が到る所に認められます。その奇岩にしみ入るほどだというのですから、蝉声の凄まじさが想像出来ようというものです。

 なのに、発句に「閑さや」を持ってきている。強い感嘆を表す「や止め」が、森閑、静寂のさまをさらに深めているのです。これが謎の謎たるゆえんです。
 参考まで、この句に至るまでの『奥の細道』のくだり、これも古今名高い名文ですから以下にご紹介します。

 〈立石寺〉
 山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊(こと)に清閑(せいかん)の地也。一見すべきよし、人々のすヽむるに依りて、尾花沢よりとって返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌(いはほ)を重ねて山とし、松柏年旧(しょうはくとしふり)、土石老て苔滑(なめらか)に、岩上の院院扉を閉(とじ)て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這(はひ)て、仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行(ゆく)のみおぼゆ。
  閑さや岩にしみ入(いる)蝉の声
 
 芭蕉は、さしもの蝉の声など全く気にならないほど、全山を領する神気、霊気と深く感応道交していたということなのでしょうか。涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の境地に入らば、あるいはこのような句が詠めるものなのでしょうか。
 俳聖・芭蕉の句境測り難し。凡人は説明し難い解を求めて、ただただ味読するのみです。

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(4)

 公示日のきのうからほぼまる1日が経過し、総選挙まで後残すところ10日です。
 後10日というのは、「ついにあと10日に迫ったか」という見方と共に「まだ10日もあるのか」という見方も出来ます。選挙のプロは、「選挙は最後の3日間で決まる」と言っています。前回の郵政選挙のような、政官財それに各マスコミこぞっての「翼賛選挙」ならいざ知らず。選挙は水もの、この先本当に何が起きるか分かったものではありません。
 
 さすがに北朝鮮によるテポドン発射は先のクリントン訪朝でなくなり、アメリカの「デフォルト宣言」のようなメガトン級の事態もないようです。がしかし、自公政権は何らかの“爆弾”を用意しているという怪情報も流れています。
 もしかして、ここのところ急になった「新型インフルエンザ流行報道」もその一環かもしれません。今までピタッと報道しなかったのに、何でこの時期に?何か変なのです。「恐怖心を与えて大衆を引き込む」というのは、古来使い古された権力側の常套手段です。(用心は必要ですが、いたずらに恐怖心を持つのは止めましょう。恐怖心を抱くようだったら、同報道など見ない方が賢明です。)

 気になるのは、アメリカの知日派(一般の日本国民より、我が国の政治状況などをよく知っている知性派)の多くが、「今回の選挙では政権交代は起きないだろう」と見ていることです。彼らの見立てでは、民主党が比較第一党になっても自公伯仲となり、選挙後の政治状況は一段と混迷し、前に進めないような混沌としたものになると言うのです。その結果、来年夏の参院選は衆参同時選挙となり、その時が政権交代を賭けた本当の勝負となるだろうとの見方のようなのです。
 『えっ?ホントかよ』と思うような話ですが、決して有り得ないことではないと思います。

 今回民主党は「勝つ」のでしょうが、その「勝ちっぷり」が問題なのです。
 月刊誌『文芸春秋』9月号で、かつて大連立を仕掛けた中曽根元首相、渡辺読売新聞会長という、2人の「平成の妖怪」が対談しています。
 その中で渡辺恒雄は、「自民党の議席が“100減”で収まるのだったら、自民党は復活する可能性が十分にある。“150減”というレベルに達したら、自民党は半永久的に野党となるでしょうね」と発言し、中曽根元首相も同意していました。おそらく現自民党幹部たちも、「負け」は既に折り込み済みのはずです。しかし渡辺発言のように、負けが「100議席」か「150議席」で、自民党の今後の運命が大きく変わると見ているのではないでしょうか。

 自民党の解散時の議席数は303人。公明党は31人。対して民主党は112人です。したがって「自民100減、民主100増」だと、自民党203人民主党212人です。民主党はかろうじて比較第一党にはなるものの、過半数(241議席)には遠く及びません。確かに鳩山内閣は誕生するのでしょうが、社民党や国民新党との連立となります。当然自民党は下野ですが、公明党と併せても過半数には及ばないものの、連立与党と僅差の勝負が出来るのです。
 そこで自民党が、もろい連立政権を揺さぶり、民主と社民あるいは国民新との間にくさびを打ち込み分断させれば、民主は窮地に追い込まれ政権運営は行き詰ることになります。(先ほどの米知日派たちは、このケースになると見ているわけです。)

 一方「民主150増、自民150減」となると、民主党は260以上となり単独過半数となります。参院で過半数に達していないため連立政権とはなるものの、衆院での数が圧倒しているため、じっくり政権運営に臨めまた長期政権が見込まれます。来年の参院選でもおそらく勝利し、衆参そろって過半数議席獲得となります。
 そうなれば自民党は万事休す。逆に民主党から手を突っ込まれて、解体にまで追い込まれるかもしれません。

 思えば「100」は大変な議席数です。しかしその程度の増減では、この国の旧体質が根本から改まることはないということです。
 民主党が腰を落ち着けて、マニュフェスト(政権公約)実現に向けた政権運営を目指すのであれば、最低でも過半数の241(129増)以上は確保しなければなりません。出来れば、絶対安定多数の262(150増)以上を得たいところです。とにかく241以下では、政局が流動、混迷化することを覚悟しなければなりません。

 これまで万年与党で権益をむさぼってきた自民党にとって、今回の総選挙はまさに天国か地獄かの正念場です。残りの10日間、それこそなりふり構わぬ死に物狂いの選挙戦になることでしょう。民主党へのネガティヴキャンペーンも一段と激しくなるかもしれません。インフルエンザ流行問題で一段と恐怖心をあおってくるかもしれません。ある民主党幹部のスキャンダル暴露を準備しているという噂もあります。とにかく、この先は「何でもあり」です。

  しかし要は国民が、どれだけ心の底から「政権交代」を望んでいるかということです。底の浅い望みでは、老獪な旧来型の自公勢力に簡単に覆されてしまいます。
 本当にこの国に、浮上のきっかけとなる大きな「チェンジ(変化)」をもたらしたいのか。それとも旧来型政治に引き続き任せて政官財の泥沼構造に国民もろともぶくぶく沈み、亡国に至りついても構わないのか。二つに一つの選択。「主権在民」「国民主権」なのですから、決めるのは私たち国民です。

 (大場光太郎・記)

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総選挙あれこれ(3)

 きょう8月18日総選挙が公示されました。解散から投票日まで総選挙史上最長の選挙戦も、後残すところ12日間です。
 今回の選挙のテーマはハッキリしています。「政権交代、イエスかノーか?」。実にこの一点に絞られます。もし今回の選挙で政権交代が実現すれば、約60年間も続いた自民党一党支配にピリオドが打たれます。この国に本当の意味での議会制民主主義が根付き、「政治後進国」の我が国も、遅ればせながら先進国の仲間入りが出来ます。我が国の政治、社会、経済は大きく変わることになります。それは江戸幕府の大政奉還にも匹敵するような、歴史的出来事であるのかもしれません。

 今後の12日間で形勢がどう動くのか分かりませんが、現時点までの各種世論調査では、民主党の圧倒的優位を示しているようです。麻生首相はじめ自民党首脳は、「選挙戦を長引かせれば長引かせるほど、わが党に有利に働く」と読んでいたのでしょう。しかしとんだ読み違いだったと言うべきです。実際はその逆で、序盤は断然有利と見られていた自民党大物議員たちですら、日が経つにつれて小沢戦略による民主党のアイドル女性候補に急追され、今や青息吐息のようなのです。
 
 ‘07年の参院選では、新人の姫井由美子が「姫の虎退治」のフレーズで、片山虎之助をを破りました。今回も各地で、大物議員打倒を掲げる女性候補者たちのキャッチコピーが有権者に受けているようです。
 例えば「エリのクマ退治」。これは長崎2区の久間元防衛相に対する、福田衣里子のケース。また「姫のシオ干狩り」。これは愛媛1区の塩崎元官房長官に対する、永江孝子のケース。そして極めつけは「美女のサメ退治」。石川2区の森元首相に対する、田中美絵子のケースです。森氏はかつて「ノミの心臓」ならぬ「サメの心臓」と揶揄(やゆ)されたことをもじったもののようです。
  それ以外にも、福田前首相(群馬4区)、海部元首相(愛知9区)、与謝野現職大臣(東京1区)、古賀元幹事長(福岡7区)、武部元幹事長(北海道12区)、中川元幹事長(広島4区)、町村元官房長官(北海道5区)、深谷元大臣(東京2区)、中川元酩酊大臣(北海道11区)、赤城元バンソウコウ大臣(茨城1区)など、苦戦を伝えられる大物議員が大勢います。もし仮に首相・幹事長経験者が落選などとなると、自民党史上前代未聞の汚点として残ることでしょう。

 結果がどうなるにせよ、自民党議員たちをこのような窮地に陥らせたのは、麻生首相の優柔不断です。孫子の兵法には「戦いは巧遅より拙速を旨とすべし」とあります。麻生首相にとってベストのタイミングは、就任直後の支持率50%以上の時だったでしょう。そうすれば議席減は確実としても、自公政権は引き続き維持出来たことでしょう。しかし麻生首相はその時ですら、解散をためらって選挙から逃げたのです。
 もし仮に国家的な緊急事態に見舞われた場合を想定してみても、一国のトップリーダーには迅速かつ正しい「決断力」が強く求められます。解散総選挙をめぐってばかりではなく、就任後の幾多の政策決定に当たって、麻生首相には「決断力の欠如」がままみられたのではないでしょうか?「ブレる総理」というフレーズが、そのことを如実に物語っていると思います。

 「政権交代。イエスかノーか?」はまた、「麻生政権存続。イエスかノーか?」の選択でもあります。

 (大場光太郎・記)

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『気骨の判決』を観て

 久しぶりにコクのある優れたテレビドラマを観ました。8月16日(日)夜9時からのNHKの1時間半番組『気骨の判決』です。「NHKスペシャル」と銘うってはいるものの、事実上清水聡原作『気骨の判決-東条英機と闘った裁判官』のドラマ化でした。

 戦時中の東条英機内閣の下で行われた総選挙における、選挙妨害による「選挙無効の訴え」をめぐってストーリーが展開されていきます。史実に基づいているものであり、綿密な時代考証を重ねて制作されたものと見受けられ、作り話的な部分があまり感じられず、リアリティ溢れた感動作との感想を持ちました。
 特に主人公である、大審院第三民事部長・吉田久(よしだ・ひさし)役の小林薫の抑制した重厚な演技が光り、『いよいよ名優の域に達したなぁ』とうならされました。

 ドラマは太平洋戦争真っ只中の昭和17年、東条内閣の下に施行された第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)に端を発します。同選挙においては、「戦争に勝つため」というスローガンの下『翼賛政治体制協議会(略称「翼協」)』が推薦した候補者に圧倒的な支持が寄せられ、一方「自由主義的」「戦争に非協力的」などの理由で非推薦となった候補者には露骨な選挙妨害が繰り広げられ、政府主導の大政翼賛会が議席を独占した総選挙でした。
 選挙後落選した、鹿児島県第2区の兼吉征司(渡辺哲)らから「選挙無効の訴え」が、大審院(現在の最高裁)に起こされました。裁判官の多くは時局を考慮し尻込みする中、裁判長・吉田久だけは持ち前の実直さで同訴訟と真正面から取り組みます。

 吉田は、渋る大審院長の児玉高臣(石橋蓮司)を説得し、気鋭の陪席裁判官・西尾智紀(田辺誠一)ら4人とともに鹿児島に出張し、187人もの証人を尋問します。しかし吉田らはその過程で、同地の見えざる締めつけによる証言拒否にあい、吉田自身も宿屋を訪ねてきた証人の一人、国民学校校長の伊地知健吉(國村隼)に「早くこの事件から身をひかないと、身の安全は保証出来ませんよ」とブラフをかけられます。
 しかし屈することなく、苦労の末証言者の本音を聞き出したり、鹿児島県知事・木島浅雄(篠井英介)が出した「推薦依頼状」を入手もします。だが黒幕と思しき木島本人への尋問を行うも、「知らぬ、存ぜぬ」で逃げ切られてしまいます。

 東京に戻ってからも、直属の上司である児玉や、司法大臣の竹下正弘(山本圭)によって直接的、間接的な圧力をかけられます。また大審院を尋ねてきた新警視総監に就任した木島からは、伊地知校長が自殺したことを告げられ、「あなたが自殺に追い込んだのですよ」となじられます。
 その上昭和19年2月の「全国司法長官臨時会同」には、東條首相自らが乗り込んできて、「司法権が戦争遂行の障害となってはならない」と強い圧力をかけられます。そんな折り、吉田は自宅にいてさえ常に特高警察の監視下に置かれることになるのです。

 最終段階で竹下大臣からは「原告敗訴の判決」を出すよう命じられもした、昭和20年3月1日。吉田は遂に法曹人としての誇りにかけた判決を行います。

鹿児島県第二区選挙無効訴訟事件大審院判決(翼賛選挙無効判決)
主文
昭和一七年四月三十日施行セラレタル鹿児島県第二区ニ於ケル衆議院議員ノ選挙ハ之ヲ無効トス
(以下省略)

 「戦争遂行」の美名の下、厳しい言論統制、思想弾圧が恒常的に行われていたファシズム体制下、よくもこんな勇気ある良心的判決が出せたものです。
 劇中、ワルの演技が秀逸だった篠井英介演ずる木島新警視総監から、「肩肘張らずに、法律とうまく付き合え。もっと利巧になりたまえ」と助言(?)されて吉田は、「私は一生愚か者でけっこう」と突っぱねるシーンがありました。あの時代、自分の身の安全、今後の更なる栄達などを計算に入れれば、東條以下の権力者の意向に反する同判決などとても出せなかったと思います。
 吉田久という御仁は、稀に見る「阿呆者、愚か者」だったと言うべきです。しかしそんな吉田によって、暗黒時代の裁判史上唯一と言ってよいような、光明射す奇跡的な判決が残されることになったのです。
 吉田久は、稀に見る名裁判長と言ってもよさそうです。

 なお吉田久は、同判決の4日後に司法大臣に辞表を提出し大審院を去り、教職の道(中央大学講師)に進みます。しかし終戦時まで「危険人物」として特高の監視下に置かれました。戦後は鳩山一郎(現民主党代表・鳩山由紀夫の祖父)の推薦により日本自由党に加わり、同党の憲法改正要綱中の司法権の強化に関する規定を起草しました。現憲法下での「三権分立、司法権の独立」は、吉田に負うところが大きいのです。
 昭和21年の貴族院議員選挙に勅選されるも、翌年同院の廃止により議員を退任し、以降中央大学法学部教授として迎えられました。(かつて同大学法学部は弁護士を多数輩出し、東大法学部よりレベルが高いと評価されましたが、このような背景があったわけです。)昭和46年逝去。享年87歳。

 ところでこの歴史的判決は、これまであまり知られることがありませんでした。これには理由があります。同判決間もなくの3月10日の東京大空襲で大審院も被害を受け、同判決原本は消失したと見られていたのです。大審院判決集にも登載されておらず、「幻の判決文」とされてきました。しかしごく最近の平成18年8月、最高裁の倉庫から61年ぶりで発見されたのです。
 時の司法大臣(実名は松阪広政)の指示を受け、どさくさにまぐれて大審院長らが隠匿したものであることは明らかです。これ一つを取ってみても、本当に暗い時代でした。

 (大場光太郎・記)

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原民喜-原爆詩

     コレガ人間ナノデス

  コレガ人間ナノデス
  原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
  肉体ガ恐ロシク膨脹シ
  男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
  オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
  爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
  「助ケテ下サイ」
  ト カ細イ 静カナ言葉
  コレガ コレガ人間ナノデス
  人間ノ顔ナノデス


            水ヲ下サイ

  水ヲ下サイ         天ガ裂ケ
  アア 水ヲ下サイ       街ガ無クナリ
  ノマシテ下サイ       川ガ
  死ンダハウガ マシデ   ナガレテヰル
  死ンダハウガ          オーオーオーオー
  アア               オーオーオーオー
  タスケテ タスケテ      
  水ヲ              夜ガクル
  水ヲ              夜ガクル
  ドウカ             ヒカラビタ眼ニ
  ドナタカ            タダレタ唇ニ
   オーオーオーオー     ヒリヒリ灼レテ
   オーオーオーオー     フラフラノ
                   コノ メチャクチャノ
                   顔ノ
                   ニンゲンノウメキ
                   ニンゲンノ


    火ノナカデ 電柱ハ

  火ノナカデ
  電柱ハ一ツノ芯ノヤウニ
  蝋燭ノヤウニ
  モエアガリ トロケ
  赤イ一ツノ蓋ノヤウニ
  ムカフ岸ノ火ノナカデ
  ケサカラ ツギツギニ
  ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ
  サケンデユク 火ノナカデ
  電柱ハ一ツノ芯ノヤウニ

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 原民喜(はら・たみき) 詩人、小説家。明治38年11月15日~昭和26年3月13日。広島県広島市に生まれる。昭和8年慶應義塾大学英文科を卒業。また同年、評論家・佐々木基一の姉である永井貞恵と結婚した。昭和10年、処女作品集『焔』を自費出版。昭和11年頃より、雑誌『三田文学』を舞台に短編小説を多く発表し始める。昭和17年、千葉県立船橋中学に英語教師として就職。昭和19年、妻が死去。昭和20年、郷里の兄の家に疎開し、8月9日原爆投下にあい被爆。この体験は『夏の花』(昭和22年)『鎮魂歌』(昭和24年)などの作品を生んだ。昭和25年、広島のペンクラブ主催の平和講演会に参加。昭和26年3月13日、吉祥寺西荻窪にて鉄道自殺。享年45歳。代表作は『夏の花』『廃墟から』『壊滅の序曲』『鎮魂歌』『原爆小景』など。

 原民喜の原爆詩3詩をご紹介しました。かくもリアルな極限詩には、何か付け加えるべき説明など不要かと思います。
 
 そこで原民喜本人のことについて少し―。
 多くの人の証言から察するに、原民喜という人は寡黙で孤独を好む人というよりは、人がこの世で生きていく上で必要とされる生活観念が欠如していたような、透明感漂う不思議な人だったようです。本当はこちらの世界に来るべきはずではなかった妖精的な存在が、何かの行き違いで生まれてきてしまった、そんな印象を受けます。

 原民喜は、戦前の青年時代「杞憂」という俳号を持っていたそうです。杞憂とはご存知のとおり、天が崩れ堕ちることに心を痛めた杞国人の憂いという、『列子』という書物の中の故事からきたものです。要はいらざる取り越し苦労の喩えです。
 しかしあの1945年8月6日、原の青年の日の杞憂が実現してしまうことになりました。古代中国の杞国人の荒唐無稽な憂いが、20世紀半ばの日本国・広島で現実のものとなってしまったのです。

 ある人は「原さんが生きるためには、そのいのちをこの世界に結びつけることのできる強いきずなが必要だった」と記しています。昭和19年の妻の死に深く悲しみ、その日から1年後に死のうと決めたそうです。しかし決めた日の1週間前に原爆投下が起こりました。原はなおそれから数年間生きることになったのです。
 何やら原民喜という人は、広島原爆に身をもって立会い、それを証言、告発する目的のためだけにこの世に生きた人だった、そのように思われるのです。

 (大場光太郎・記)

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64回目の終戦記念日

 きょう8月15日は64回目の終戦記念日です。「戦争と平和を考える季節」の締めくくりとなるこの日。8月6日の広島原爆の日あたりから、各マスコミ特にNHK総合テレビでは先の戦争の特集を組みもし、またこの日は恒例の政府主催の全国戦没者追悼式典が催されます。
 しかし戦後64年も経過すると戦争の記憶は年々に薄れていってしまうのは、いかんともし難いものがあります。毎度申し上げるとおり、かく言う私は昭和24年生まれで「戦争を知らない子供たち」の世代なのです。

 しかし歴史的な出来事の中には、それが自国民にとって苦痛を伴う記憶であったとしても、決して忘れてはいけない出来事というのがあります。遠ざかりゆく昭和にあって、分けても開戦、戦争、敗戦(終戦)という重い事実は特にそうだと思います。
 そもそもなぜ開戦に至ったのか。開戦は本当に不可避だったのだろうか。もし仮にそれが不可避なものだったとしても、戦争を始めるからには予め「終結時点」を定めておくのが国家戦略上の基本かと思いますが、それがきちんと定められていたのかどうか。戦時中我が国はいつどこで何をしたのか。良いことも悪いことも一切合切白日の下にさらして、国内外の広い検証を待つべきです。それが健全な国家としての在り方です。

 どこかの党はもし政権を取った場合、「東アジア共同体構想」を進展させると言っています。私は従来の「対米従属」は国として健全な在り方ではない、従って同構想には前々から大賛成ですが、ならばなおのこと。我が国の戦争検証は避けて通れない問題となることでしょう。大いにやればいいと思います。我が国、中国、韓国それぞれの専門家同士が、侃々諤々の議論を重ね、共通の歴史認識に至るのであれば。

 64年前のこの日は、抜けるような青空の暑い日だったそうです。当地は同じく暑い日となりました。日盛りの中、全国に何百とあるであろう都市の街中を歩く人々に、果して「きょうが終戦記念日」という意識が、どれだけあるのだろうか?
 当時とは何もかもがさま変わり。当時のさる街と今現在のどこかの街を並べて比べあったら、「これが同じ国の街か?」と驚くのではないでしょうか。当時とは比べものにならないくらい異質な素材による高層のビル群、街そのものも街行く人々も、キラキラカラフルな装い。
 しかし見る人が見たら、今日の光景に、何かしら「たましい」がすっぽり抜け落ちているような、虚無的なただよいを感受するかもしれません。然り、人々の意識そのものが、昔と今とでは全く違っているのです。

 ちなみにぎんぎらぎんに髪を染めて、耳にピアスのあの色黒の若者はどうだろう。「君はきょうがどんな日か知ってるかい?」と聞いたとしたら。一体どんな反応を見せるのだろうか。『チェッ。ウザッタイおやじだ』とばかりに、急ぎもの言わず立ち去るのだろうか。それとも一言くらい何かしゃべってくれるのだろうか。
 若者のみならず、けっこうの年配者でも、きょうのこの日かつての戦争に深く思いを致す人がどれほどいるのだろうか。

 「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」。こんな誰かの言葉があったかと思います。要は痛い思いをして分かるのか、それをしなくても分かるのかの違いかと思います。先の戦争そして終戦は、極めて深刻で悲惨な国家的体験でした。それだけにその中には、いまだに学ぶべきものがどっさりあるはずです。
 なのにそれをきっちり教える学校がない。また教わる側にも、しっかり咀嚼(そしゃく)するしかるべき学力がない。そして今という刹那、街をさしたる目的もなくただ漂いながら歩いているだけ。こんな人種を次々に増産し続ける国。
 この国は一体どこに漂着しつつあるのでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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アウシュビッツの聖者・コルベ神父(1)

 8月15日終戦の日を期して、「二木紘三のうた物語」の『長崎の鐘』にコメントすべく、ネットで資料をあたりました。同コメントの中で、長崎と縁が深かったコルベ神父のことにも触れたくなり、少し同神父の事跡について検索してみました。すると本日8月14日が同神父の記念日であることを知りました。
 「アウシュビッツの聖者」と讃えられたコルベ神父は、1941年8月14日同収容所で殉教したのです。それを記念して,カトリック教会においてこの日を同聖人の日と定めたようです。

 コルベ神父については、昨年6月の『バラの思い出(番外編)』において少しご紹介しました。すなわち同神父は、才気煥発、いたずら盛りの幼少時、聖母マリアの示現を受け、聖母より「純潔」と「殉教」を意味する赤白2本のバラ(異説では、赤白2つの冠)を授けられたというエピソードについてでした。
 とにかくコルベ神父は規則に厳格なヴァチカンが、列聖(聖人と認めること)したほどの霊的巨人です。また彼は、もし仮に信仰者の道に進まなかったら、科学者として大きな業績を残しただろうと言われるほどの天才です。だから私たちとは無縁な人だったのだろうか?私は決してそうは思いません。キリスト者という特殊な分野ではあっても、コルベ神父の残した足跡は、人類全体にとっての一つの偉大な道しるべとなるはずです。
 今回は同神父の足跡を簡単に述べてまいりますが、どうぞそのことを踏まえられまして、最後までお読みいただければ幸甚です。
                          *
 マキシミリアン・マリア・コルベ(本名ライムンド・コルベ)は、1894年ポーランドのズドゥニスカ・ヴォラで生まれました。聖母示現によって信仰に深く目覚めたコルベ少年は、13歳の時当時のガリシア国の首府・ルヴォフにある宣教師養成所であるコンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会し、聖職者としての第一歩を歩み始めます。
 1911年18歳の時、同修道会の上長たちはコルベが卓越した才能に恵まれていることを発見し、ローマのグレゴリアン大学(大神学校)に入学させることに決定します。このローマ留学中の1914年、第一次世界大戦が勃発します。しかし「神を愛する人にとり、すべてが、戦争さえもが有益なのである」。第一次世界大戦はコルベを成長させ、第二次世界大戦は彼に栄光をもたらすことになったのです。

 マキシミリアン修道士(コルベ神父のこと)は、大学の時から「鉄のような論理」に生きており、彼ほど信仰上の幻想から遠い人は稀だったといわれています。明晰な思考、科学者のような緻密な知性こそが彼に備わった特質だったのです。
 彼はあらゆる学科に秀でていましたが、特に数学に優れ、どんな偉い教師をもやり込めることが出来たそうです。当時学長を務めていた神父は、「私の手にゆだねられていた人のうちで、(マキシミリアン修道士は)最も優れた頭脳の持ち主でした。彼は“恐るべき知力”を持っていました」と述懐しています。

 このように稀に見る明晰な頭脳の持ち主だったマキシミリアン修道士は、同大学で優秀な成績を収め、受けるべき試験は「賞賛つきの最高点」で次々にパスしていきます。そして1915年には、21歳の若さで哲学博士の学位を獲得し、4年後には同じ熱意で神学博士の学位も獲得してしまいます。
 しかしそんな輝かしい日々の1917年の夏、突然の喀血続いて激しい出血が彼の体を襲いました。彼は生涯健康に恵まれたことは一度もありませんでしたが、この時は当時不治の病だった結核に冒されてしまったのです。

 だがしかし彼はその後も、自分の病気について語ることはありませんでした。神学生仲間は、彼が重篤な結核に罹患していることを全く知らなかったといいます。その頃から彼は激しい頭痛にも襲われていたそうですが、後の皆の証言では彼は決して苦痛を訴えることはなかったそうです。
 彼は、そんな生死にかかわりかねない病気であっても、まるで気にかけていなかったようなのです。むしろ「この病によって速やかに天国に行ける」と喜んでいたフシすらうかがえます。彼はどんな試練に直面しても、その都度従順かつ英雄的に耐え忍び、その度ごとに大きな「霊性」を獲得していった人のようです。

 そんな苦しい病の中マキシミリアン神父は、大学時代7人の仲間に働きかけて、「M・I(Militia Immaculatae)-無原罪聖母の騎士会」を設立することになるのです。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記)

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帰郷

                中原 中也

  柱も庭も乾いてゐる
  今日は好い天気だ
        縁の下では蜘蛛(くも)の巣が
        心細さうに揺れてゐる

  山では枯木も息を吐く
  あヽ今日は好い天気だ
        路傍(みちばた)の草影が
        あどけない愁(かなし)みをする

  これが私の故里(ふるさと)だ
  さはやかに風も吹いてゐる
        心置きなく泣かれよと
        年増婦(としま)の低い声もする

  あヽ おまへはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云ふ

 …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 中原中也の略伝については、『サーカス』参照のこと。

 今は旧盆のただ中、あした13日は中日にあたります。全国各地それぞれの故郷に帰省している人もずいぶんおられることでしょう。今回はそんな時期にうってつけの詩として、中原中也のこの詩を取り上げてみました。

 昭和初期、時代を先取りするするかのような、斬新かつシャープな詩を作り続けた青春詩人である中原中也にしては、何やら土俗性すら感じられる詩です。私などはそのことにまず深い共感を覚えます。
 この詩は4聯詩です。出だしの1聯から3聯までは整然とした各聯4行で、中也を暖かく迎え容れてくれる慈母のような故里のさまが、中也独特の表現で描かれています。さながら「故里賛歌」といった趣きです。また中也の故里(山口県現山口市湯田温泉)に寄せる、並々ならぬ想いが伝わってくるようです。

 しかし最終聯である4聯に到って、事態は急変します。それを示すように、この聯のみは、2行とそれまでと比べて破調となっています。
  あヽ おまへはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が云ふ
 「おまへはなにをして来たのだ」と叱咤する「吹き来る風」は、もちろん故里に属する五大(地、水、火、風、空)のうちの一要素です。「故里に声なし。風をして言わしむ」といったところでしょうか。とにかくここに到って故里は、それまでの慈母のようなさまから一転閻魔大王のような審判者としての厳しい面を露わにするわけです。

 ところでこの詩は、昭和5年5月中也が当時所属していた、音楽団体の機関誌『スルヤ』に発表されたのが初出のようです。中也23歳頃のことです。
 中也はそもそも大正14年3月18歳の時、早稲田大学受験のため上京しました。4月には、後に昭和を代表する評論家・小林秀雄と知り合います。(但し手続の不備により、早稲田は受験出来ず。)その前の年には、長谷川泰子と同棲もしています。

 余談ながら。以前の『サーカス』に、「中也が愛した女事務局」の方が、2度ほど4月に上演される『中也が愛した女』のPRコメントを寄せられました。この「中也が愛した女」こそが長谷川泰子で、共に上京するもその年の10月、泰子は中也のもとを去り小林秀雄に走りました。私は『機会があれば…』と思っていましたが、結局舞台は観られずじまいでした。同演劇では、中也、泰子、秀雄の微妙な関係を、ドラマチックに上演したものと推測されます。
 なお小林秀雄は、死後(30歳)すっかり世間から忘れられて無名だった中也を、(同じく友人だった大岡昇平と共に)ことあるごとに紹介しました。小林らの尽力がなければ、中也が今ほどメジャーな詩人たり得たか、疑問です。

 翌大正15年日本大学予科に入学するも、同年9月家に無断で退学。昭和3年には父が逝去するも帰郷せず。このように中也の東京生活は、後に無頼派と呼ばれた坂口安吾、太宰治、織田作之助らの走りのような、無頼なものだったのかもしれません。

 第4聯は以上のようなことを踏まえると、より理解出来るかと思います。
 「おまへはなにをして来たのだ」。だからこれは「吹き来る風」に仮託しているものの実はそうではなく、中也自身の自責の念、悔恨の想いが綴らせた言葉だったわけです。
 確かに離郷者に対して、故郷は決して甘いものではありません。久しぶりに帰郷でもすると、離郷の間の生き様を厳しく問い返す側面がある―それを私も痛感したことがあります。
 しかしそれゆえにこそ、故郷は「ありがたきかな」なのです。

 (大場光太郎・記)

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記事数500越えました

 前記事『夏の名句(2)』で、開設以来の記事数が500に達しました。既にご承知のとおり、当ブログは他のブログに比べて1記事あたりの文章が圧倒的に長文です。これを毎回読みこなしていくのは、大変難儀なことなのではないでしょうか。にも関わりませず、ほぼ毎日のようにご訪問いただいております方々には深く感謝申し上げますと共に、「なみなみならぬ読書家」と心より敬意を表させていただきます。

 今回調べましたところ、1記事あたりざっと1500~2000文字。つまり400字詰め原稿用紙4、5枚くらいになりそうです。仮に1記事400字詰め原稿用紙4.5枚としますと、 4.5×500=2250枚となります。
 中には一部矢嶋武弘様、くまさん様のコメント文をそのまま記事として公開したものもありました。それらを差し引いても、十分2000枚以上にはなりそうです。もし仮にこれが首尾一貫したストーリーを有する小説だとしたら、それこそ何巻にも及ぶ大長編小説になりそうです。(ただ残念ながら私には、そのような大長編をものするための構想力も筆力も気力もありませんが。)

 このような節目に何度か申し上げましたが、昨年4月末の開設当初は、『ホントに今後新しい記事を書き続けていけるの?』と不安でいっぱいでした。しかし本当に「必要は発明の母」というものです。折角二木紘三先生のお勧めによるものであり、中途半端に挫折してしまっては申し訳ないという思い、その上何かしら使命感のようなものが私を今日まで衝き動かしてくれたように思います。

 先月下旬のある記事が、当ブログとしては驚異的な訪問者数、アクセス数をはじき出しました。何だと思われます?意外とお思いかもしれませんが、『皆既日食』記事です。日食当日である22日未明同記事を完成させ、その日の昼前当ブログの「アクセス解析」を開いてみてびっくりです。何とその時点で、既に「訪問者120人」が表示されていたのです。時間帯によっては1時間30数人ということもありました。
 ちなみにそれまでの最高訪問者数は、5月21日『草なぎ剛 手紙』記事の156人でした。たった半日でそれに迫ろうかという勢いだったのです。
 
 私は結局見逃してしまいましたが、当日列島各地は曇りがちだったものの、午前11時前に日食があったことが大きかったと思われます。昼少し前のニュース番組でそのことを知りましたので、『さすがに訪問も下火だろうな』と思っていました。しかしその後も同記事へのアクセスは一向に衰えることなく、夕方6時頃には訪問者200を軽く越えました。その時点で当ブログとしては前代未聞の領域でしたが、『こりぁ、ひょっとすると300にいくんじゃないの?』と期待させるに十分なものでした。

 結局当日の相訪問者数は301人、アクセス数342件。私としては本当に目をむくような驚異的な数字となりました。もちろんこれは『皆既日食』だけの数字ではありません。しかしざっと見たところ、約90%くらいは同記事への訪問、アクセスでした。
 また同記事は「雑記」「日常」「身辺雑記」「思い出」カテゴリーに載せましたが、翌日の各カテゴリーの「ディリー部門」はすべて1位でした。特にブロガーが集中しやすい「雑記」でも、その時ばかりはぶっちぎりの1位だったと確信しています。

 その前数日間訪問者数が減少気味でした。それでてこ入れのために、タイムリーな記事として同記事を選んだという理由はあります。そこそこはいくだろうと思ってはいましたが、『小室哲哉』『草なぎ剛』『レッドクリフ』『天地人』『酒井法子』といった芸能がらみではないだけに、そんなに期待はしていませんでした。
 この息苦しい現在の社会システムの中で、ともすれば見失いがちな「本当の自分」というものを、日食という珍しい自然現象を通して確かめたい欲求からなのか。あるいは古代から連綿と続く、日食というものへの畏れと憧れがないまぜになった心情が、現代人の血の中に依然として流れているからなのか。それとも単に、事前に各マスコミがはやし立てたからなのか。とにかく今回の異常な関心の高さには驚きました。

 それに引きかえ、「自然観察文」「季節の報告文」「名句・名詩観賞文」「スピリチュアルな内容の文」などは、アクセスが減少します。これらは私が最も力を入れて、推敲を重ねて公開しているものです。ですからこれらの文こそ、本当は多くの方にじっくりお読みいただきたい記事なのです。
 しかしこれらの「不人気記事」も、後になってから思いがけない検索フレーズでご訪問されお読みいただくケースがままあります。アクセス解析でそのような方を発見しては、『お読みいただきありがとうございます』と思っています。

 ここのところすっかり無頓着になっていますが、当月中に総訪問者数20,000人に達しそうです。また本日で、(推定)アクセス総数が30,000件に達しました。
 なお今後は、3、4記事を公開したら1日は「更新なし」くらいのペースでやっていこうかな、と考えております。折角軌道に乗り始めた当ブログ、長く続けたいですから。そのためにはそう気負うことなくゆったりしたペースで、と考えるきょうこの頃です。どうぞご了承の上、これをお読みの皆様も、気長く当ブログとお付き合いください。

 (大場光太郎・記) 

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夏の名句(2)

                  水原 秋桜子

   滝落ちて群青(ぐんじょう)世界とどろけり

  …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 水原秋桜子(みずはら。しゅうおうし) 明治25年、東京神田生まれ。東京帝国大学医学部卒業。医学博士となり家業の産婦人科病院を継ぎ、昭和医専教授、宮内省侍医。初め「渋柿」で句作、虚子門に入り、東大俳句会を興す。「ホトトギス」で頭角を現わし、四Sの一人にあげられる。昭和6年「馬酔木(あしび)」独立。芸術性高き主観俳句を追求、石田波郷、加藤楸邨らを育て、綺麗寂びの世界を築く。句集『葛飾』『霜林』『残鐘』『帰心』『余生』など。昭和56年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 暑い夏に、つかの間でも涼(りょう)をと「滝の名句」をご紹介します。
 
 滝は四季を通じて見られますが、しかし夏でも滝壺付近に立つと肌に迫る涼しさを覚えます。そのためなのか、滝は「夏の季語」となりました。ただし滝が季語となったのは近代以降のことです。というよりも、秋桜子のこの句によって夏の季語として定まったもののようです。

 この句は「滝の水が滝壺に落ちて、その音が群青色の世界にとどろいていることよ」というような大意です。この句における滝とは、有名な熊野の那智の滝です。同滝は落差133mもある大滝です。その天辺から落下する滝水のさまを詠んで、実に力強い句であると思います。

 参考まで「那智の滝」とは―。和歌山県那智勝浦町の那智川にかかる滝で、那智四十八滝の一の滝のこと。華厳の滝(栃木県奥日光)、袋田の滝(茨城県久慈郡)と共に「日本三名滝」に数えられる。
 那智山一帯は滝に対する自然信仰の聖地であり、「一の滝」は現在でも飛瀧神社の御神体であり、同社境内に設けられた滝見台からその姿を見ることができる。2004年に、ユネスコの世界遺産『熊野山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「那智の滝」その他より)

 この句を非凡なものにしているのは、何といっても「群青世界」という表現だと思われます。これは秋桜子による造語だそうです。群青とは、「あざやかで美しい藍色(あいいろ)がかった青色。ウルトラマリン」のことです。大滝の周囲に聳える千古の杉木立、滝壺の水色、滝そのもの、それら滝全体渾然一体のものとして、秋桜子は直観的に「群青世界」と把握したのでしょう。その色彩感覚の鋭さが先ず見事だと思います。

 ところで「世界」は、元々は仏教用語であることをご存知でしょうか。この言葉の元は梵語の「loka(ローカ)」の訳で、「世」は移り流れる意でつまり「時間」を、「界」は東西南北の境衆生が住む国土つまり「空間」を表わす用語です。
 時間と空間が十字交差し、そしてそこに人間たちが存在する場所。この三次元地球世界はその「一世界」に相当するわけです。仏教ではそのような世界が「三千世界」存在すると説きます。仏教における「三千」とは、無数にという意味です。何やら今日の多次元宇宙論を先取りしていたかのような壮大な宇宙観です。

 この句では「群青世界」。那智の滝はそれ自体が御神体です。秋桜子の先輩俳人であった高浜虚子に、
   神にませばまこと美はし那智の滝
という句もあります。神におわせば、滝全体が「一世界」であることも納得出来ます。それも緑陰の中、美しい藍色がかった青で荘厳(しょうごん)された「群青世界」。ただ凡人には、神の滝に突っ立っていくら眺めていても、「群青」も「世界」も思い浮かびはしません。

 この大滝の景観にあっては、「先ず初めに群青世界在りき」という感じがします。それは本来は森閑とした音無き静寂世界のはずなのです。しかし実際は「群青世界とどろけり」。間断なく滝水が落下して、滝壺に音声が轟いている。ただその音声は雑音ではなく、世界を常に創造的かつ活動的に在らしめる、初源的な「音霊(おとだま)」であるように思われます。
 「群青世界とどろけり」と把握した時の秋桜子は、世界をかく在らしめている根源的秘密に限りなく迫っていた。まさに天地のただ中に存在する「無我の人」になっていた、つまり「天地人一体」-主客融合していたのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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百合根掘り

   掘り出だす百合根芳(かぐわ)し風の原   (拙句)

 いつもご紹介しております「水路道」は、両側の住居群が尽きると、その先数十mは木々や草花はなくただ雑草だけの道になります。
 6、7月は伸び放題の雑草の中、真ん中のコンクリート部分を歩く感じでした。しかし先月半ば頃、市役所の関係者か近隣の人たちかの手によってきれいに刈り込まれ、今は見通しよく歩きやすい道となっています。

 この道は一直線に数十m続いて、やがて東西に走る車道と直交します。その左側手前に、2階建て×1階あたり4所帯分のアパートが建っています。いわば全国どこででも見られそうなステレオタイプのアパートです。反対側が玄関、水路道に面した側は裏になります。通路際から建物まで約2mくらい。
 同アパートの真ん中くらいの通路に近い所に、一株の大きな百合が植えられています。毎年6月末頃から7月中旬頃までが最盛期で、大きな白百合が咲き誇っています。いわゆる野生の山百合ではありません。多分観賞用として品種改良を重ねたものなのでしょう。高さ80cmくらい、茎は太くてしっかりしています。その上の方に、白い花が集中して次から次へと咲き続けるのです。
 私は、行きは水路道の途中から西に直角に曲がって行きますが、町からの帰りはここを通ることにしています。その季節はいつも、この花を眺めながら通るのが楽しみの一つです。

 観賞用としての百合のみならず、当地では車で少し遠出でもすると山百合を見かけることが出来ます。例えば元は小山だった所を切り通しにして車道にした、その法面(のりめん-傾斜面)の上辺りに、山百合の白い花がしなだれるようにせり出して咲きこぼれているさまに、ハッとすることがあるのです。

 このような百合の花を見ると、少年時代の郷里の百合の思い出が甦ってくることがあります。山百合はもちろん、私が小学校1年の秋から過ごした山形県(旧)宮内町外れの野山にもずいぶん咲いていました。
 しかし思い出すのはなぜか、母の実家で私の生家のある山の中の七軒部落の水林での思い出です。町場の母子寮に越してからも、小学校時代夏休みと冬休みにしばしば寄越されました。そのことは今年1月の『雪に埋もれし我が故郷(1)』記事、あるいは「二木紘三のうた物語」の『花嫁人形』コメントで触れたとおりです。

 小学校5年頃の夏休みもやはり、水林で過ごしました。ある晴れた日の昼下がり。実家の中にいると、そこの叔母(私の母より数歳年長)が、「コタロ。えっしょに外さあえべ。(光太郎。一緒に外に行こう)」と言うので、私はついて行きました。
 といっても、わずか七軒だけの狭い山部落のこと、そんな遠くではありません。行き先は、部落の奥から二軒目の実家からでも、歩いてすぐの部落のたもとに広がる野ッ原でした。それこそ草という草が勢いよく繁茂しています。

 むせかえるような草いきれの中、草をかき分けて叔母に従って野ッ原に入っていきました。丈高い草に混じって、白い山百合が所々に咲いています。叔母は百合が何株か群生して咲いている所で止まりました。そして持ってきた鍬(くわ)かスコップだかで、やおらその根元を掘り出したのです。そうして土を掘り返すと、白くて大きな山百合の球根が現われます。
 周り中に百合根独特の芳しい匂いが漂ってきます。百合根は実は、おおむね食料に乏しい山部落にとっては、貴重な山の幸でもあるのです。これを採ってきては、茹でたりして食べるのです。

 だから叔母は、初めから根っこだけが目的だったのであり、野に咲く百合の花を眺めにきたのではありません。ですからおよそ花には目もくれず、ただ黙々と次々に根っこを掘り出しては、側で私が袋を持って待って立っているもので、その中に一塊りを入れていきます。そうして袋が一杯になるまで、叔母は百合根を片っ端から掘り続けたのでした。
 花はそのままうっちやっかといえば。記憶にはありませんが、その幾花かは仏花として持って帰ったのだったかもしれません。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(6)

 酒井法子よ、お前もか !?

 (注記)本文中にも書きましたが、途中まで「酒井容疑者逮捕」の事実を知らずに記しました。その点、ご了承ください。

 押尾学(31)の麻薬取締法違反容疑での逮捕と、ほぼ時を同じくして起きた薬物事件が、驚くべき展開となってきました。今月3日未明、都内道玄坂付近で自称プロサーファー高相(たかそう)祐一(41)が大麻取締法違反で逮捕され、その場に居合わせた女優で妻の酒井法子(38)がその場を立ち去り、それ以降失踪していた事件です。

 もう同事件の概略については、新聞、テレビ等の連日の報道で先刻ご承知のことと思いますが、一応ざっと今日までの事件の経過をたどってみます。
 3日未明挙動不審で職務質問された高相容疑者の電話で呼び出された妻の酒井法子は、黒っぽい服装にサングラスで、「社長」と呼ばれる知人男性と共に現場に現われました。その時の酒井はかなり取り乱し、常軌を逸していたようです。例えば高相容疑者のズボンの中に小さな巾着袋を縫いつけ、そこに覚せい剤を隠していたわけですが、警察がそこから粉末状のビニール袋を取り出し高相に問い詰めると、酒井は「うちの主人は下半身にコンプレックスを持っていて、そのための薬です」と強硬に主張。警察官から「全員で署に来てください」と言われると「ここでいい」といった突っ張ったやりとりが、約1時間ほど続きました。
 酒井は結局しぶしぶクスリの簡易検査に同意し、クロと分かった瞬間泣きくずれました。署への任意同行を拒み、尿検査を求められても「絶対にイヤ」と拒否。結局子供を理由に、知人(酒井の義母が親しくしている、会社経営の男性?)と共にその場を立ち去りました。

 それ以降行方不明となり、その時点では10歳の長男も一緒とみられることから、所属事務所であるサンミュージックが高相容疑者の母と相談して、捜索願を出しました。5日のスホーツ全紙は一面で「酒井失踪」を扱い、サンミュージックの相沢社長が記者会見を開き「最悪の事態を避けたい。とにかく連絡してほしい」と訴えました。また事務所の先輩だった森田千葉県知事も異例の呼びかけをしました。
 これら一連の報道で、酒井失踪はビックニュースとして全国を駆け巡りました。のみならず、多くの酒井ファンのいる中国、台湾などでも大きく報じられました。

 酒井の携帯電話の電波が最後に確認されたのが、山梨県身延山付近だったことから、山梨県内にいるものとして警視庁は山梨県警に捜査協力を要請。山梨はそもそも父親(故人)が住んでいて、近くに親戚もおり土地勘もあるようです。
 しかし親戚の女性も全く連絡はなかったと言い、また身延町には酒井と関係の深い宗教団体があるそうですが、同団体は「ここには絶対来ていない」と完全否定しているようです。

 失踪後数日が経過し生死すら危ぶまれ出した7日、事態は急展開します。まず一緒と思われていた長男は、都内の知人宅に預けられて無事であることが確認されました。
 子供を預けて単身失踪ということは、よほど思いつめてのことに違いない、あるいは既に…。と懸念された矢先、昼前頃とんでもないニュース速報が流されました。「酒井法子に覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕状」というものです。これにはびっくり仰天でした。
 悲劇の妻、悲劇のヒロインから、逮捕逃れの逃亡者への転落ですから。清純派女優にして、ママドルだった酒井法子は、以後「酒井容疑者」と呼ばれるようになるのです。大激震です。

 逮捕状の決め手となったものは、7日午前の東京・南青山の自宅マンションの家宅捜索で覚せい剤、同吸引器具などが発見されたことです。酒井容疑者とは別居中であった高相容疑者は「自分のものではない」と供述しました。そして8日には、押収した吸引器具から検出したDNAが、酒井容疑者のものと一致。
                         *
 とここまで作成してきて、念のため今現在の酒井容疑者の状況をと、ネット検索してみました。何と驚くべきことに、「酒井容疑者逮捕」とあるではありませんか。私は『どうせ逮捕はもっと先だろう』と思っていましたし、今夜はテレビも見ていませんでした。
 その事実を知ることなく、まどろっこしい経過などを述べてきました。もう書き直しも出来そうにありませんので、上記の文はそのまま残します。
 その上で『ネット版毎日新聞』の酒井容疑者逮捕時のようすを、以下にご紹介します。

 警視庁によると、酒井容疑者は8日夜、弁護士や親族3人に付き添われ、東京都文京区の警視庁富坂庁舎に出頭し逮捕された時、「うん」と言ってうつむき、応じたという。しかし、行方不明となっていた際の居場所については「言いたくありません」と話しているという。

 酒井容疑者は午後9時半すぎ、渋谷駅近くの警視庁渋谷署に移送された。報道陣約80人がつめかけ、署の前の歩道橋の上などに通行人約300人が足を止める中、酒井容疑者を乗せたシルバーのワゴン車が到着すると、通行人も携帯電話のカメラで一斉に撮影。酒井容疑者はワゴン車の3列シートの最後方に座っていたとみられるが、外からうかがえなかった。

 日付が変わった9日午前0時8分、酒井容疑者を乗せたワゴン車は渋谷署から留置所となる東京湾岸署に向った。120人以上の報道陣が待ち構える中、同27分に到着。車にはカーテンがかけられ、やはり表情は見えなかった。
                         *
 逮捕状以来、酒井容疑者の明るく、華やかで「清純派」のイメージが壊れるような新事実が、次々に明るみに出されました。まず長男を預った知人とは、夫である高相容疑者の愛人だったようです。そしてこの女性と酒井は友人でもあり、夫との仲は酒井公認だったようです。長男がなついていたため、預ってもらったようです。
 また失踪に際しては、直後新宿の量販店で下着を購入、ATMから2度にわたり数10万円を引き出していた…。これらはどう見ても「逃亡目的」としか考えられない行為です。酒井夫婦を知るある知人によれば、酒井らの覚せい剤使用はきのうきょうの話ではなく、だいぶ以前からだった可能性があるようです。
 さらには酒井本人ではないものの、福岡市在住の酒井の実弟が先月同じく覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで逮捕されていたようです。しかもこの弟は、暴力団員です。

 とにかく、今回の酒井容疑者の一連の行動には幻滅です。「地に堕ちたスター」とでも言うべきか。深く失望させられました。国内のみならず、中国、台湾などの前からのファンもそんな想いでしょう。
 今回の件でうかがえる酒井法子の本当の素顔は、清純派などとんでもない。とんだ食わせ者、もっと下品な言い方をすればアバズレだったのではないか、とも思われてきます。
 覚せい剤使用に加えて、逃亡ですから。草なぎ剛の場合とは全く違います。CMはアウト、女優引退となるかもしれません。
 『ひょっとして、皆吸ってんじゃないの?』。もう芸能人は誰も信用出来なくなりそうです。そう思わしめる酒井法子の今回の行為は、現実の罪以上に重いものがあると言わざるを得ません。
  
 (大場光太郎・記)

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けふ立秋(2)

   外階段昇りて夕の星涼し   (拙句)

 きょう8月7日は「立秋」です。と去年も同じ書き出しで『けふ立秋』を記事にしました。早いものであれから1年が経過したわけです。同記事で立秋そのものには触れませんでしたので、例によって簡単に触れてみたいと思います。

 立秋は二十四節気の一つ。8月7日頃。またはこの日から「処暑」までの期間。太陽黄経が135度の時で、初めて秋の気配が表れてくる頃とされる。江戸時代の『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆゑ也」と説明している。
 夏至と秋分の中間にあたり、昼夜の長さを基準に季節を区分すると、この日から「立冬」の前日までが秋となる。暦の上では秋になるが、実際には残暑が厳しく、1年で最も暑い時期でもある。
 なおこの日に至っても梅雨が明けない場合は、「梅雨明け」の発表はされなくなる。それゆえに東北地方などでは、「梅雨明けなし」となることが過去に何度かあった。  (フリー百科事典『ウィキペディア』「立秋」の項より)

 上記のうち、今年は先日東北地方の梅雨明けが発表され、これで列島全体の梅雨が明けたことになります。今年は以南の地方よりいち早く梅雨明けが発表された関東甲信地方でしたが、当ブログで何度か指摘しましたとおり、その後戻り梅雨と思しきぐずついた天気が続きました。しかしさすがにここ何日かは、夏本番と確信される暑さが続いています。
 ただ暑いことは暑いとしても、どちらかというと曇りがち。今年は例年に比べて日照時間の少ない夏とはいえそうです。それを示すように、収穫量が減少しているのか、スーパーなどに並んでいるナス、トマト、きゅうりなどの野菜の値段がここのところ急騰しているようです。

 また、「残暑が厳しく1年で最も暑い時期」というのもそのとおりです。
 例えば我が家の三毛雑種の飼い猫(親子猫)2匹。以前若い頃ならば暖かくなり始める4月頃から10月半ば頃まで、夜ともなるとどこかで外泊して、早朝エサを求めて帰ってくるというパターンでした。それがここ何年かは夏時分の外泊期間が年々狭まっていました。しかしさすがにこの暑さで、年中毛皮を着込んでいる身には「こりゃ、たまらん二ャー」とでも思ったか、最近はやはりどこか外にお泊りです。
 また「夏の高校野球」も、いよいよ明日8日から開幕です。よく「熱闘 ! 甲子園」と言われるとおり、抜けるような青空の下、勝ち進んで連投に次ぐ連投のエースピッチャーが投げるマウンドは、輻射と地熱で40℃以上と言われます。全国何千校の頂点を目指す、暑い戦いはまさにこれからです。

 そんな中、先日午前中近くの水路で、見事な朝顔がいっぱい咲いているのを見かけました。この水路は、いつもの「水路道」ではありません。(もっとも水路道でも、ちらほら赤系の朝顔は咲いていますけれども)そこより先の、車道に面した10m未満の狭い水路です。
 去年の晩秋、「二木紘三のうた物語」の『野菊』の中で、数年前まではそこに野生の野菊が群生していたが、ある年根っこから引き抜かれてしまい、以後野菊の姿が見かけられず残念です、というようなコメントをした場所です。
 その水路の車道に近い際、隣の某店舗駐車場の白いフェンスにもたれるように、幅2mくらいで朝顔が咲いているのです。技術未熟なため、当ブログでは画像をアップ出来ませんが、皆様にお見せしたいほどの可憐な朝顔です。澄んだ水色と青紫を白く縁取りされた、いかにも涼(りょう)を感じさせる色合いです。どなたが植えられたのか、花を愛(め)でる心映えのほどが偲ばれます。

 「涼」といえば、きのう6日夕方、所用で平塚市街を目指して車を走らせていました。市街地にさしかかる手前で、左(東)の空に何か奇妙なものがふわふわ浮かんでいるのに気がつきました。『何だ、ありゃ?』。その方をよく見ますと、何とパラセーリングだったのです。それも3つも。
 ああいうものは、沖縄など南の島でやるものだとばかり思っていました。それが意外や意外、相模川上空でも見かけるとは。『何と優雅なことよ。カネもかかるだろうに。それにしても、あれは免許なんかいらないのか?』
 そんな私の懸念をよそに、3機(と数えていいのかどうか)は風の向くまま気の向くまま、それぞれがてんでにぷかぷか空に浮いているのです。数10mから100m上空です。乗っている人は、さぞ絶景と涼を満喫していることでしょう。

 また同日7時過ぎ平塚からの帰り、東の中空より少し低く、雲間から真ん丸い月が認められました。後で調べましたら十六夜(いざよい)の月だったのですが、まるで満月といってもいいような、冴え冴えとした神々しいほどのお月様でした。
 その月を仰ぎながら、しみじみ『あヽもう夏月ではなく、秋月だなあ』と思ったことでした。

 (大場光太郎・記)

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喜びのタネをまこう(3)

 -意識レベルの高い人ほど「喜びのタネをまこう」と心がけるものなのである-
 
 ところである人が「意識の地図」というのを提唱しています。人間個々のさまざまな感情レベル、意識レベルを10数段階に分類して、それぞれの段階におけるレベルの数値化を試みているのです。それは大変示唆に富み、時々私自身それを読み返してみて、今現在の自分のレベルはどのレベルにあるのかの指標としています。

 「意識の地図」を簡単にご紹介しますと―。
 そうとうの覚者や達人ならいざ知らず、私たちの「心」は日々刻々揺れ動いています。「一日中考えていること、それ自体が取りも直さずその人自身である」という、19世紀アメリカの思想家エマーソンの有名な名言があります。常日頃の「想い、考え、心構え」などが原因となって、現在ただ今あるいは未来のその人間を形成することになるのです。
 その意味で私たちは、「想い一つ、考え一つ」で日々刻々上昇(アセンション)か下降(ディセンション)かを繰返していることになります。その「心のバランスシート」がプラスかマイナスか、その総和で今後の行き先が決定されていくわけです。決して「外なる神」によって決定されるのではなく、「内なる心」が決定するのです。

 その上昇か下降かの、分かれ目となるのが「勇気(肯定)」だそうです。これを数値化すると200です。これ以下は下降となり、以下「プライド(軽蔑)」「怒り(憎しみ)」「欲望(切望)」「恐怖(不安)」…「罪悪感(責める)」「恥(屈辱)」となります。下に行くほど負のスパイラルがきつくなり、エントロピーがどんどん増大するだけの、どうしようもない状況となります。「外は内の反映」ですから、内心の苦しみに応じて、思うにまかせない環境、状況に置かされることになるわけです。

 対して、「勇気」を起点とした上昇局面は、「中立(信頼)」「意欲(楽観)」「受容(許し)」…と続き、今回問題となる「喜び(落ち着き)」では540という高い数値となります。さらにその上に「平和(幸福感)」(600)そして「悟り(言語に絶する)」(700~1000)が最上位の境地となります。
 このように「喜び」は極めて高い意識レベルなのです。

 ある人(上記「意識の地図」提唱者とは別の人物)はかつて、「人間は喜びの表現体」と言いました。これは幼い子供たちを見ているとよく分かります。「幼子は天国の型」という言い方もされますが、とにかくピュアで喜びにはちきれんばかりです。このように常に喜びに満ち溢れていることこそが、人間としての自然な在り方なのです。
 しかし私たち大人は、「喜びの表現体」でないことが多いものです。どうしてなのでしょうか?それは上記でご説明しました「プライド」「怒り」「欲望」「罪悪感」「恥」などに我が心を占領されてしまいがちだからです。心の中で常に他者との比較があり、「憎い、惜しい、嫉ましい」となりがちです。欠乏、飢餓、闘争などの想いが渦巻いています。肉体生活に付随した「小我(エゴの我)」に、内なる「大我(真の我)」が覆われてしまって、外に光が出られない状態なのです。
 
 「神は喜びなり」。「大我」はまた「神我(=真我)」といわれます。ゆえに「大我は喜びなり」とも言い換えられます。覆っていた不純物、邪魔物(小我=エゴの心)を取除いて、それを輝き出させるようにすれば、いつしかふつふつと「喜び」が湧いてくるのが道理です。
 肉体の自分を通して大我を周囲に輝かせるためには、禅家で言うさまざまな「静中の工夫、動中の工夫」が必要でしょう。私はその中の重要な工夫の一つが、「喜びのタネをまこう」なのではないだろうかと思うのです。

 大我は、肉体に付随した小我を遙かに超えた文字どおり「大きな我」です。小我が見る世界は、肉体として別なら赤の他人という、分離、分割、対立の世界。対して大我が観る世界は、肉体としては別々でも深いところでは一つにつながっている「共通的生命の兄弟同士」という、統合意識です。片や「我善し(小我=不調和)」、片や「皆善し(大我=調和)」。
 このように「あなたは私であり、私はあなたである」という認識に立てば、「怒り」や「憎しみ」などというネガティヴなものを蒔くことなど出来ましょうか。心の奥底からの自然な発露として、「喜びのタネ」を蒔くはずだと思います。

 以上、偉そうなことを申し述べさせていただきました。未熟者の私自身、「喜びのタネをまこう」という高い意識状態から外れることがままあります。しかし心の片隅でいつも、そのことを心がけていることもまた事実です。
 ともあれ、私たちは「今喜べているだろうか?」と時折り自問してみる必要がありそうです。地球全体が「アセンション(次元上昇)」しようとしている「今この時」、自然万物と共々そのコースに乗っていることの大切なバロメーターとして。   ― 完 ―

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(5)

 元グラビアアイドルの小向美奈子と、元大相撲尾車部屋の十両力士だった若麒麟真一(本名:鈴川真一)が覚せい剤取締法違反(使用)によって逮捕されたのは、今年の1月のことでした。それを取り上げた本シリーズは、その後完結に到らず中断していました。しかしそれで同法違反事件が収まったわけではなく、時折り使用・所持等が発覚しては検挙される事件が後を絶ちませんでした。
 この度既にテレビの報道番組などでご存知のとおり、ほぼ同時に芸能関係者による2つの薬物事件が起こり、またまた世の中を震撼させています。今回はこの事件を取り上げてみたいと思います。

 まず、俳優の押尾学(31)が麻薬取締法違反容疑で逮捕された事件からです。
 のみならず、押尾が使用していた東京・六本木ヒルズのマンションの一室から、30代女性の全裸死体が発見されたことで一気に事件性を帯び、より一層世間の関心を集めることになりました。
 警視庁赤坂署は押尾を逮捕するとともに、4日川崎市にある自宅マンションや六本木ヒルズの複数の部屋を捜索。その結果ヒルズの別の一室から薬物所持を示す事実が見つかったようです。また押尾の供述から、押尾と変死した女性は同室で共にMADA(合成薬物)を使用、女性が2錠目を使用しようとしたところ容態が急変し、慌てた押尾はマネージャーに連絡の上その部屋を立ち去ったもようです。
 変死女性の司法解剖の結果は1、2週間かかるものの、今のところ事件性はないというのが警視庁の見解です。

 死亡した女性は、新橋付近にある銀座の某高級クラブに勤めていたホステスのT・Kさんとみられ、享年30歳、岐阜県出身のようです。押尾容疑者とは勤めていた銀座のクラブで知り合い、互いに格闘技が好きだったことから意気投合し、いつしか共に薬物を使用し合う仲にまで発展したということでしょうか。
 警察が「事件性なし」としてTさんの名前の公表を控えているのは、Tさんが政治家の娘か親戚と見る向きもあるようです。事件化してTさんの名前を被害者として発表すれば、選挙に影響を及ぼしかねないからというのです。

 押尾学容疑者は、Tさんが変死体で見つかった(推定死亡時間10時間後くらいに押尾の知人の訪問により発見)六本木ヒルズの同室の合鍵を持ち、自由に出入りしていたそうです。関係者が注目しているのは、事件が起きた部屋の名義人が超有名人であることです。
 名義人は、若い女性に絶大な人気を誇る下着通販会社の女社長。バツ2で独身の44歳。ミニスカートがトレードマークで、よくテレビや雑誌に登場する名物社長とか。その上彼女は交友関係が広く、芸能界にも顔が利き、歌手の浜崎あゆみとは大親友だそうです。
 以前はホリエモンことライブドア元社長・堀江貴文とも交流があり、逮捕直前のホリエモンと電話で話しをしたことをブログに掲載して話題になったこともあるようです。

 ここで問題となるのは、同女社長の芸能界における幅広い人脈です。「現場」には押尾以外にも多くの有名人が出入りしていたそうです。その一室でMADAを使用していたのは押尾だけとは考えにくいことです。
 もし今後の押尾の供述などから、イモヅル式に事件が広がった場合、一大スキャンダルに発展する可能性が十分にあるのです。

 押尾容疑者が使用した疑いのあるMADA(通称エクスタシー)は、セックスの際に快感を高めるために使用される「セックスドラッグ」の側面が強く、そのため「ラブドラッグ」の隠語で呼ばれているとか。MADAは覚せい剤に化学構造が似ており、飲むと強い興奮、多幸感、幻覚などの症状が出るようです。
 1錠単位で使用した場合覚せい剤ほど作用が強くないとされ、若者らが軽い感覚で使うケースが後を絶たないようです。

 私が本シリーズで後に訴えたいのは、薬物使用が未成年者(高校生から中学生)にまで及んでいるという憂慮すべき事態です。これ以上の薬物拡大を食止めるためにも、とにかく今回の六本木ヒルズ一室は、芸能人を中心とした薬物使用の魔窟であった可能性がある以上、徹底的に全容解明してもらいたいものです。

 気の毒なのは押尾学の妻で女優の矢田亜希子(30)です。二人は半年くらい前から既に別居しているようです。しかし今回の件では「妻として責任を感じます」とコメントし、心身ともに憔悴しきった状態のようです。
 押尾が芸能界追放になると共に、育児期間を経て女優復帰したばかりの矢田にとっても、ダメージは計り知れません。好調だったCMはもうダメかもしれませんし、テレビ出演すら難しいかもしれません。
 それもこれも、所属事務所や関係者らが、スキャンダルの多い押尾との結婚を何とか思い止まらせようとの必死の説得も聞かず、結婚に踏み切った矢田の自己責任ということなのかもしれません。

 次回は、続けて起こった、自称プロサーファー高相祐一容疑者の覚せい剤取締法違反容疑と、その妻「のりピー」こと酒井法子の失踪についてです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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喜びのタネをまこう(2)

 以下では「喜びのタネをまこう」について、私が考えますことを少し述べてみたいと思います。

 まず確認したいことは「喜びのタネ」をまくことがなぜ重要なのかということについてです。
 「蒔かざる者は刈り取ることを得ず」とは、イエスの有名な言葉です。当然のことながら、種(たね)を蒔かなければ、作物は育たないし果実を収穫することなどなお出来ない道理です。これは「原因結果の法則」と言われているものですが、この法則は実はこの地上世界のみならず、そのままどこの世界、どこの星系でも適用される「宇宙法則」であるようです。
 
 イエスはまた別のところで、「汝(なんじ)が与えたものを汝は受け取る」とも教えています。つまりここでは与えたもの(=蒔いたもの)がどのようなものなのか、その内容が問われるのだというわけです。これは原因結果の法則と同じ内容ながら、特に「ブーメランの法則」とも呼ばれます。
 つまり「喜びのタネ」を蒔けば喜びが、「悲しみのタネ」を蒔けば悲しみが、「憎しみのタネ」を蒔けば憎しみが、蒔いた(与えた)当人にそのまま返ってくるということです。

 ただ当然の事ながら蒔く(与える)ことと、刈り取る(受け取る)ことは同時ではありません。この三次元世界では、過去・現在・未来という直線的時間が錯覚(幻想)されているため、当然のようにタイムラグがある(ように感受される)わけです。(到る所に時計が溢れかえり、時計とにらめっこし、時間に追いまくられている現システムそれ自体が、「幻想」の上に成り立っているシステムであるということです。)
 
 今まではこの世で行った行為の結果を、あちらの世界あるいは来世、来々世で、ということもままありました。その分なかなか「原因結果の法則」に気づけず、勝手気まま好き放題してきた人たちも多かったわけです。
 しかし間近に「タイムゼロ」が迫っている、今回は違います。既にお気づきの方もおられるかと思いますが、原因=結果の世界にどんどん近づいているのです。すべてスピード化、加速化です。己の為した行為の結果がどのようなものであるのか、良いことも悪いことも驚くほど短時日のうちに確かめられ検証し得る、そんな「嬉しい恐い」時代なのです。

 いずれにしてもどれを蒔くかは、個人の自由意志に委ねられています。なぜならこの世界それ自体が「自由意志の世界」であるからです。「自由意志」は神聖なもので、原則として他が侵してはならないものです。
 ただし「蒔いたものを刈り取る」「与えたものを受け取る」のが、この宇宙のシステムです。そこで人間個々は自由意志を自己責任で行使して、時に不都合なものを蒔いたり与えたりして、辛く苦しい思いを刈り取りながらスタディし、レッスンして、より完全な存在に成長、進化していくシステムなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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喜びのタネをまこう(1)

 ご存知の方も多いかと思いますが、「喜びのタネをまこう」という言葉は株式会社ダスキンの企業理念を表わす標語です。私は同社とは何の関係もない人間ながら、この標語は以前から心に深く残っています。そこで今回はこの言葉について、少し考えてみたいと思います。
 まずこの言葉を社会に提供してくれている「ダスキン」についてご紹介します。

 株式会社ダスキン(本社:大阪府吹田市)は、モップをはじめとするお掃除用品、浄水器・空気清浄機などの生活用品のレンタル、販売や、ミスタードーナツというファーストフード店を展開している会社です。
 同社の創業者・鈴木清一は1964年社名を「株式会社ゾーキン」とするつもりでした。しかし「人に言いにくい」「嫁が来なくなる」などの社員の反対により、「ダスト(ほこり)」と「ゾーキン(雑巾)」の合成で「ダスキン」という社名にしたのだそうです。その時鈴木元社長は、「自分が汚れただけ人が綺麗になるのだ。“ぞうきん”で何が悪い」と語ったそうです。
 その創業者・鈴木清一は「祈りの経営」を掲げ、そのコーポレイトステートメントに掲げたのが「喜びのタネをまこう」だったのです。

 鈴木清一がダスキンを社名にした1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが開催された年でもあります。我が国の高度経済成長がいよいよ上昇気流に乗りつつある時期でした。それ以降急激な経済発展を遂げ、世界第二位の経済大国にまでなりました。しかし同時にさまざまな負の遺産もこの国にもたらしました。ただひたすら経済至上主義で突っ走る我が国国民の姿が、諸外国から「エコノミック・アニマル(経済動物)」と顰蹙(ひんしゅく)を買ったこともありました。
 そんな中での「祈りの経営」、「“ぞうきん”で何が悪い」と言い切る信念、そして「喜びのタネをまこう」。何やら鈴木清一という人は、高度経済成長期などはるかに飛び越えて、21世紀の今日の企業理念を先取りしていた先見性のある経営者だったように思われます。

 ただしこういうタイプの企業は、とにかく業績を拡大し成長するためには手段を選ばず式のアコギな体質ではない分、そんなに急激な伸びは期待出来ないはずです。しかし時間が経つほどじわじわ社会にその良さが浸透していき、着実に成長していける企業だと思います。同社はそのとおりに堅実に成長を続け、2006年(平成18年)には東証一部、大証一部に上場を果たしました。
 なお翌年、上場後初の株主総会が大阪の某ホテルで開催されました。開催前に般若心経を唱和したそうです。いかにも同社らしいエピソードです。
 ただ長い歳月が経過するとどんな企業も創業時の理念やモラルが風化しがちです。現にダスキンでも、2002年(平成14年)には傘下企業であるミスタードーナツの禁止添加物事件とその隠蔽加担により、当時の社長が辞任するという出来事があったことはまだ記憶に新しいところです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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夏の名句(1)

                            山口 青邨

  祖母山(そぼさん)も傾山(かたむくさん)も夕立(ゆだち)かな

  …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 山口青邨(やまぐち・せいそん) 明治25年、盛岡市生まれ。東京帝国大学工科採鉱学科卒。古河鉱業、農商務省を経て東京帝大工学部教官となり、教授、名誉教授となった。大正11年虚子門に入り、東大俳句会を興す。四S時代の提唱者。昭和4年、「夏草」創刊。6年、杉並に家を定め、雑草園と称した。東大ホトトギス会を興す。句集に『雑草園』『雪国』『花宰相』『庭にて』『粗饗』『寒竹風松』などがある。昭和63年没。  (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 たびたび引用しております『現代の俳句』中、「山口青邨」でこの句を見出した時、何となくユーモラスで面白い句だなあと思いました。青邨には他に秀句がずいぶんありますが、その一つとして初めから印象深い句だったのです。

 この句の大意としては「まあ、祖母山も傾山も夕立のただ中にあることよ」という、ただそれだけの夕立の一情景を詠んだ句です。そんな単純素朴な句になぜ惹かれるのだろうか?考えてみますと、やはり何といっても「祖母山も傾山も」という固有名詞の組み合わせの妙にあるのではないかと思われます。

 私は当初祖母山も傾山も、山口青邨の想像から生まれた山とばかり思っていました。しかしだいぶ前の某俳句雑誌の夏の号にこの句が取り上げられており、そこで両山とも実在の山であることを知りました。フリー百科事典『ウィキペディア』から、両山のことを少しご紹介してみます。

 祖母山(そぼさん)は、大分県(豊後大野市、竹田市)と宮崎県(西臼杵郡高千穂町)にまたがる標高1,756mの山であり、宮崎県の最高峰である。日本百名山の一つ。祖母山連山は熊本県、大分県、宮崎県と3県にまたがる。火山活動によって形成された山であるため巨大な岩石が随所にみられ、登山ルートは整備されたものから獣道(けものみち)まで多種多様である。祖母山周辺は鉱物資源が豊富で、江戸時代から昭和中期まで採掘が行われていた。
 傾山(かたむきやま)は大分県と宮崎県にある祖母山系の山。山頂は大分県豊後大野市緒方町に位置し、標高1,605m。祖母傾国定公園に指定されている。山頂は3つの岩峰からなり、南から後傾、本傾、前傾と呼ばれる。

 こうしてみると私が知らなかっただけで、両山とも名だたる名峰であったわけです。
 ところで傾山の正式な呼び方は「かたむきやま」のようです。しかしこの句が載っていた『現代の俳句』ではわざわざ「かたむくさん」とルビがふってありました。おそらく作者の山口青邨自身もこのように読ませたかったのではないだろうか?と推測されます。
 「かたむき」と「かたむく」、わずかに「き」と「く」の違い。「かたむき」の場合は、悠久な造山活動によって自然と傾いて現在の形になったというニュアンスです。しかし一方「かたむく」となると、山それ自体の意志によって傾いたと捉えられます。もちろん、山は祖母山を慕ってそちらの方に傾いたというわけです。
 なお同山を「やま」ではなく「さん」としたのは、祖母山(そぼさん)との句調を整えるためだったと考えられます。

 我が国では昔から「おばあちゃんっ子」という呼び方があります。孫がなぜか祖母にすっかりなついてしまって、実の父母以上に事あるごとに「おばあちゃん。おばあちゃん」。しかし今日では、これは昔懐かしい日本の家族関係になりつつあるのではないでしょうか。
 特に都市部では核家族化が進み、祖父母-父母-子供という三世代同居の大家族が少なくなってきています。かつては父母と子供の他に祖父母がいて、親子に何か難しい緊張関係が生じた場合、祖父母がクッションのような役割を果たしていました。そのようにして、家族関係のバランスがうまく取れていた側面があったように思われるのです。
 
 またお年寄りが日常身近な所にいることによって、年長者を敬う気持ち、もっと言えば「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という日本的美風が涵養される土台にもなっていたと思うのです。
 以前の社会では、今日問題となっているような親子の断絶、さらにはその行き着く果ての子殺し、親殺しなどという悲惨な出来事はまずありませんでした。

   祖母山も傾山も夕立かな
 昔懐かしい家族形態が「破壊された」と言ってよい今日の世の中。この激しすぎる驟雨(夕立)のような現社会システムによって、「祖母山も傾山も」すっかりその姿がかき消されてしまっているようです。
 
 (大場光太郎・記)

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日々雑感(5)

 暑中お見舞い申し上げます

 8月になりました。それでも本当に梅雨が明けたのやら、明けていないのやら。どうも今一つはっきりしない今年の夏模様です。
 ここ2、3日の天気の移り変わりをみましても。当地では30日は真夏の暑さだったかと思うと、7月末のきのうはうって変わって曇りがちのしのぎやすい一日で。そしてきょう8月1日は、午前中は曇りで昼過ぎから日が射して夏らしい暑さがぶり返す。ここで一気に夏本番かと思いきや、さにあらず。明日2日は全国的にまたぐずついた天気に逆戻りのようで、中部地方などでは豪雨が心配されそうな予報です。

 こういう年は「暑中見舞い」をいつ出すべきか迷うところです。気象庁が梅雨明けを発表した先月14日から3日ほどは、それこそ真夏を思わせる暑さでした。発表後すかさず出せばよかったものを。その後はすっかりぐずつき気味の天候で、出すタイミングを逸してしまいました。
 しかしこれ以上ぐずぐずしていると、今月8日はもう暦の上の「立秋」です。どなたもご存知かと思いますが、マナー上この日を過ぎてしまえば「残暑見舞い」となり少々具合の悪いことになってしまいます。そこであす、あさってあたりまでには、急ぎ取りまとめて現実上の暑中見舞いを出さなければと、大いに気が焦っているきょうこの頃です。

 というような次第で、当ブログでも大変遅ればせながら、本記事をもちまして「暑中見舞い」とさせていただきます。(ちなみに去年は、『暑気所感』記事の7月27日のことでした。)
 さすがにここ近年の「猛暑型」でない分しのぎやすいと申しましても、やはり夏ですから暑いことは暑いです。曇りでも雨でも、少し動きでもすれば、体の中からジトッと汗が吹き出してきます。どうぞ皆様。お体大切に、暑さ本番の今月を乗り切っていただきたいと存じます。
 と申しておりますこの私が、諸事、雑事に追われがちな日々の中で、早くも少し夏バテ気味です。それが当ブログにも影響しておりまして、ここのところ更新が滞りがちです。毎日のように新記事を楽しみにご訪問いただいております皆様には、ご期待に添えない日もあり、大変申し訳なく存じます。と申しましても、食欲がないとか夜眠られないというような重症ではありませんので、ご心配なきよう。

 それに致しましても、当月は選挙戦一色になりそうですが、何せ何十年ぶりかという八月・真夏の選挙ですから、全国各選挙区の候補者の方々はさぞ大変なことと思います。かんかん照りの中街頭に立ちっ放しで、自身や所属政党の政策を声を限りに訴えたり、聴衆のただ中に飛び込んで握手をして回ったり…。それも1、2ヶ所ではなく何ヶ所、十何ヶ所と回るわけですから。
 衆議院議員という国家の選良(エリート)と言えども、先ずは頭脳戦よりは体力戦を強いられるわけです。特に70歳以上の高齢候補者にとって、真夏の選挙戦は一段とこたえるのではないでしょうか。有権者何千万人分の一の一人に過ぎない者ながら、ご同情申し上げますといったところです。

 話は全く変わりまして―。例の草なぎ剛の、芸能界復帰はほぼ順調のようですね。確か他のSMAPメンバーに混じっての、何かの大型新作CMも、きょうあたりからオンエアーされるのではないでしょうか。
 また事件当時総務相の鳩山邦夫の厳しい批判で、「地上デジタル担当大使」はもう金輪際ないだろうと見られていましたが、結局先月下旬地デジ・メインキャラクターに再び任命されたとのこと。「たかが酔っ払ってハメを外したくらいで逮捕とは」という世間の同情の声に押し切られた形なのか。日本郵政の西川社長留任を受けて辞任した、鳩山大臣という重しが取れたせいなのか。
 とにかく草なぎ剛にとってのその後の芸能活動。「雨降って地固まる」的状況のようで、本人もやれやれといったところでしょうか。
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 既にお気づきのとおり、当ブログ背景をこれまでの『若葉』から『Winter』に変えました。昨年よりご訪問の方はお分かりと存じますが、このテンプレート引き続きまして今年も使用致します。ココログでは、ブログ背景として数多くのテンプレートを取り揃えていますが、いざ探してみますとなかなかピンとくるのがないものです。そこで私は各シーズンごとに同じものを繰り返し使用する方針です。なお去年梅雨時使用しました『カッパ君と雨』、愛着はあるものの短期間のため割愛しました。どうぞご了承ください。
 なお「Summer(夏)」なのにどうして「Winter(冬)」なのか?につきましては、既に去年ご説明したとおりです。8月も冷夏続きで寒々とした背景にならぬよう、本来の(ただし猛暑ではなくそこそこの)暑さを望みたいものです。
 
 (大場光太郎・記)

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