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百合根掘り

   掘り出だす百合根芳(かぐわ)し風の原   (拙句)

 いつもご紹介しております「水路道」は、両側の住居群が尽きると、その先数十mは木々や草花はなくただ雑草だけの道になります。
 6、7月は伸び放題の雑草の中、真ん中のコンクリート部分を歩く感じでした。しかし先月半ば頃、市役所の関係者か近隣の人たちかの手によってきれいに刈り込まれ、今は見通しよく歩きやすい道となっています。

 この道は一直線に数十m続いて、やがて東西に走る車道と直交します。その左側手前に、2階建て×1階あたり4所帯分のアパートが建っています。いわば全国どこででも見られそうなステレオタイプのアパートです。反対側が玄関、水路道に面した側は裏になります。通路際から建物まで約2mくらい。
 同アパートの真ん中くらいの通路に近い所に、一株の大きな百合が植えられています。毎年6月末頃から7月中旬頃までが最盛期で、大きな白百合が咲き誇っています。いわゆる野生の山百合ではありません。多分観賞用として品種改良を重ねたものなのでしょう。高さ80cmくらい、茎は太くてしっかりしています。その上の方に、白い花が集中して次から次へと咲き続けるのです。
 私は、行きは水路道の途中から西に直角に曲がって行きますが、町からの帰りはここを通ることにしています。その季節はいつも、この花を眺めながら通るのが楽しみの一つです。

 観賞用としての百合のみならず、当地では車で少し遠出でもすると山百合を見かけることが出来ます。例えば元は小山だった所を切り通しにして車道にした、その法面(のりめん-傾斜面)の上辺りに、山百合の白い花がしなだれるようにせり出して咲きこぼれているさまに、ハッとすることがあるのです。

 このような百合の花を見ると、少年時代の郷里の百合の思い出が甦ってくることがあります。山百合はもちろん、私が小学校1年の秋から過ごした山形県(旧)宮内町外れの野山にもずいぶん咲いていました。
 しかし思い出すのはなぜか、母の実家で私の生家のある山の中の七軒部落の水林での思い出です。町場の母子寮に越してからも、小学校時代夏休みと冬休みにしばしば寄越されました。そのことは今年1月の『雪に埋もれし我が故郷(1)』記事、あるいは「二木紘三のうた物語」の『花嫁人形』コメントで触れたとおりです。

 小学校5年頃の夏休みもやはり、水林で過ごしました。ある晴れた日の昼下がり。実家の中にいると、そこの叔母(私の母より数歳年長)が、「コタロ。えっしょに外さあえべ。(光太郎。一緒に外に行こう)」と言うので、私はついて行きました。
 といっても、わずか七軒だけの狭い山部落のこと、そんな遠くではありません。行き先は、部落の奥から二軒目の実家からでも、歩いてすぐの部落のたもとに広がる野ッ原でした。それこそ草という草が勢いよく繁茂しています。

 むせかえるような草いきれの中、草をかき分けて叔母に従って野ッ原に入っていきました。丈高い草に混じって、白い山百合が所々に咲いています。叔母は百合が何株か群生して咲いている所で止まりました。そして持ってきた鍬(くわ)かスコップだかで、やおらその根元を掘り出したのです。そうして土を掘り返すと、白くて大きな山百合の球根が現われます。
 周り中に百合根独特の芳しい匂いが漂ってきます。百合根は実は、おおむね食料に乏しい山部落にとっては、貴重な山の幸でもあるのです。これを採ってきては、茹でたりして食べるのです。

 だから叔母は、初めから根っこだけが目的だったのであり、野に咲く百合の花を眺めにきたのではありません。ですからおよそ花には目もくれず、ただ黙々と次々に根っこを掘り出しては、側で私が袋を持って待って立っているもので、その中に一塊りを入れていきます。そうして袋が一杯になるまで、叔母は百合根を片っ端から掘り続けたのでした。
 花はそのままうっちやっかといえば。記憶にはありませんが、その幾花かは仏花として持って帰ったのだったかもしれません。

 (大場光太郎・記) 

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