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夏の名句(2)

                  水原 秋桜子

   滝落ちて群青(ぐんじょう)世界とどろけり

  …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 水原秋桜子(みずはら。しゅうおうし) 明治25年、東京神田生まれ。東京帝国大学医学部卒業。医学博士となり家業の産婦人科病院を継ぎ、昭和医専教授、宮内省侍医。初め「渋柿」で句作、虚子門に入り、東大俳句会を興す。「ホトトギス」で頭角を現わし、四Sの一人にあげられる。昭和6年「馬酔木(あしび)」独立。芸術性高き主観俳句を追求、石田波郷、加藤楸邨らを育て、綺麗寂びの世界を築く。句集『葛飾』『霜林』『残鐘』『帰心』『余生』など。昭和56年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 暑い夏に、つかの間でも涼(りょう)をと「滝の名句」をご紹介します。
 
 滝は四季を通じて見られますが、しかし夏でも滝壺付近に立つと肌に迫る涼しさを覚えます。そのためなのか、滝は「夏の季語」となりました。ただし滝が季語となったのは近代以降のことです。というよりも、秋桜子のこの句によって夏の季語として定まったもののようです。

 この句は「滝の水が滝壺に落ちて、その音が群青色の世界にとどろいていることよ」というような大意です。この句における滝とは、有名な熊野の那智の滝です。同滝は落差133mもある大滝です。その天辺から落下する滝水のさまを詠んで、実に力強い句であると思います。

 参考まで「那智の滝」とは―。和歌山県那智勝浦町の那智川にかかる滝で、那智四十八滝の一の滝のこと。華厳の滝(栃木県奥日光)、袋田の滝(茨城県久慈郡)と共に「日本三名滝」に数えられる。
 那智山一帯は滝に対する自然信仰の聖地であり、「一の滝」は現在でも飛瀧神社の御神体であり、同社境内に設けられた滝見台からその姿を見ることができる。2004年に、ユネスコの世界遺産『熊野山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「那智の滝」その他より)

 この句を非凡なものにしているのは、何といっても「群青世界」という表現だと思われます。これは秋桜子による造語だそうです。群青とは、「あざやかで美しい藍色(あいいろ)がかった青色。ウルトラマリン」のことです。大滝の周囲に聳える千古の杉木立、滝壺の水色、滝そのもの、それら滝全体渾然一体のものとして、秋桜子は直観的に「群青世界」と把握したのでしょう。その色彩感覚の鋭さが先ず見事だと思います。

 ところで「世界」は、元々は仏教用語であることをご存知でしょうか。この言葉の元は梵語の「loka(ローカ)」の訳で、「世」は移り流れる意でつまり「時間」を、「界」は東西南北の境衆生が住む国土つまり「空間」を表わす用語です。
 時間と空間が十字交差し、そしてそこに人間たちが存在する場所。この三次元地球世界はその「一世界」に相当するわけです。仏教ではそのような世界が「三千世界」存在すると説きます。仏教における「三千」とは、無数にという意味です。何やら今日の多次元宇宙論を先取りしていたかのような壮大な宇宙観です。

 この句では「群青世界」。那智の滝はそれ自体が御神体です。秋桜子の先輩俳人であった高浜虚子に、
   神にませばまこと美はし那智の滝
という句もあります。神におわせば、滝全体が「一世界」であることも納得出来ます。それも緑陰の中、美しい藍色がかった青で荘厳(しょうごん)された「群青世界」。ただ凡人には、神の滝に突っ立っていくら眺めていても、「群青」も「世界」も思い浮かびはしません。

 この大滝の景観にあっては、「先ず初めに群青世界在りき」という感じがします。それは本来は森閑とした音無き静寂世界のはずなのです。しかし実際は「群青世界とどろけり」。間断なく滝水が落下して、滝壺に音声が轟いている。ただその音声は雑音ではなく、世界を常に創造的かつ活動的に在らしめる、初源的な「音霊(おとだま)」であるように思われます。
 「群青世界とどろけり」と把握した時の秋桜子は、世界をかく在らしめている根源的秘密に限りなく迫っていた。まさに天地のただ中に存在する「無我の人」になっていた、つまり「天地人一体」-主客融合していたのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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