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閑さや

                松尾芭蕉

   閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 今さら説明するまでもないほど有名な句です。数多(あまた)ある芭蕉の名句の中でも、代表句といってよいのではないでしょうか。というよりも、芭蕉以降作られ続けてきた膨大な俳句の中でも、最も広く日本人に知られた句といっていいかもしれません。

 この句は、元禄2年(1689年)新暦8月上旬最上川沿いの大石田に逗留中、梅雨晴れ間のある日立石寺に足をのばして、その地で詠まれた句です。その何日か後には、最上川を下って
   五月雨をあつめて早し最上川
の名句も完成しました。「最上川の句」といいこの句といい、我が出身県で作られたことは密かな誇りとするところです。

 この句の背景となった立石寺(りっしゃくじ)は、現山形市にある天台宗の寺院です。山寺(やまでら)の通称で知られています。創建は寺伝によると、貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされますが、実際の創立者はその弟子の安慧(あんえ)であるとする説もあるようです。
 鎌倉時代には幕府の保護と統制を受け、関東祈祷所となり寺は栄えますが、後に兵火によって消失してしまいます。13世紀中頃には幕府の政策により禅宗に改宗となるも、後に斯波兼頼が出羽探題として山形に入部した後、兼頼により再建され天台宗に戻りました。

 大永元年(1521年)またもや兵火により全山焼失しました。現存する立石寺中堂は後世の改造が多いものの、室町時代中期の建物とされています。なお焼き討ちの際、比叡山延暦寺から分燈されていた法燈も消滅し、再度分燈することとなりましたが、元亀2年(1571年)の織田信長による比叡山焼き討ち後の延暦寺の再建には、立石寺側から逆に分燈されることになりました。
 立石寺は、江戸時代の山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていました。同寺には同家から寺領1,300石が与えられました。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「立石寺」の項より)

 山寺(立石寺)といえば―。私は高校3年生の時、当時のクラスで私が音頭を取って3回ほど「郷土の史跡めぐり」をしました。その締めくくりが山寺でした。といっても夏ではなく、コートを着込まないと寒いくらいの10月の日曜日、クラスの半分くらいが参加しました。
 何しろもう40年以上前のことです。その時のようすは詳しくは覚えていませんが、参道の途中にこの句の古色蒼然たる句碑が建っていたことは記憶にあります。(いずれそのことも含めて、高3の頃の思い出を綴れればと思います。)

 さてこの句の観賞文となると、骨が折れます。とにかく難解なのです。そのゆえんは?やはり何といっても、
   閑さ = 蝉の声
 という不思議な等式の解を得ることの難しさです。

 本当にどういうことなのでしょう?山寺はとにかく鬱蒼たる木立に覆われた山の寺です。木立に紛れ込むように、あっちこっちに塔中が建っているといった趣きです。時は夏真っ盛り。全山を覆わんばかりの蝉の鳴声です。そのかまびすしさといったら、「岩にしみ入る」ほどなのです。
 この第2句は特に秀逸だと思います。山頂の本堂まで、曲がりくねった石畳の上り参道がかなり続きますが、参道沿いといい少し離れた所といい、切り立った崖状の高くて大きな岩が到る所に認められます。その奇岩にしみ入るほどだというのですから、蝉声の凄まじさが想像出来ようというものです。

 なのに、発句に「閑さや」を持ってきている。強い感嘆を表す「や止め」が、森閑、静寂のさまをさらに深めているのです。これが謎の謎たるゆえんです。
 参考まで、この句に至るまでの『奥の細道』のくだり、これも古今名高い名文ですから以下にご紹介します。

 〈立石寺〉
 山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊(こと)に清閑(せいかん)の地也。一見すべきよし、人々のすヽむるに依りて、尾花沢よりとって返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌(いはほ)を重ねて山とし、松柏年旧(しょうはくとしふり)、土石老て苔滑(なめらか)に、岩上の院院扉を閉(とじ)て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這(はひ)て、仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行(ゆく)のみおぼゆ。
  閑さや岩にしみ入(いる)蝉の声
 
 芭蕉は、さしもの蝉の声など全く気にならないほど、全山を領する神気、霊気と深く感応道交していたということなのでしょうか。涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の境地に入らば、あるいはこのような句が詠めるものなのでしょうか。
 俳聖・芭蕉の句境測り難し。凡人は説明し難い解を求めて、ただただ味読するのみです。

 (大場光太郎・記)

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