64回目の終戦記念日
きょう8月15日は64回目の終戦記念日です。「戦争と平和を考える季節」の締めくくりとなるこの日。8月6日の広島原爆の日あたりから、各マスコミ特にNHK総合テレビでは先の戦争の特集を組みもし、またこの日は恒例の政府主催の全国戦没者追悼式典が催されます。
しかし戦後64年も経過すると戦争の記憶は年々に薄れていってしまうのは、いかんともし難いものがあります。毎度申し上げるとおり、かく言う私は昭和24年生まれで「戦争を知らない子供たち」の世代なのです。
しかし歴史的な出来事の中には、それが自国民にとって苦痛を伴う記憶であったとしても、決して忘れてはいけない出来事というのがあります。遠ざかりゆく昭和にあって、分けても開戦、戦争、敗戦(終戦)という重い事実は特にそうだと思います。
そもそもなぜ開戦に至ったのか。開戦は本当に不可避だったのだろうか。もし仮にそれが不可避なものだったとしても、戦争を始めるからには予め「終結時点」を定めておくのが国家戦略上の基本かと思いますが、それがきちんと定められていたのかどうか。戦時中我が国はいつどこで何をしたのか。良いことも悪いことも一切合切白日の下にさらして、国内外の広い検証を待つべきです。それが健全な国家としての在り方です。
どこかの党はもし政権を取った場合、「東アジア共同体構想」を進展させると言っています。私は従来の「対米従属」は国として健全な在り方ではない、従って同構想には前々から大賛成ですが、ならばなおのこと。我が国の戦争検証は避けて通れない問題となることでしょう。大いにやればいいと思います。我が国、中国、韓国それぞれの専門家同士が、侃々諤々の議論を重ね、共通の歴史認識に至るのであれば。
64年前のこの日は、抜けるような青空の暑い日だったそうです。当地は同じく暑い日となりました。日盛りの中、全国に何百とあるであろう都市の街中を歩く人々に、果して「きょうが終戦記念日」という意識が、どれだけあるのだろうか?
当時とは何もかもがさま変わり。当時のさる街と今現在のどこかの街を並べて比べあったら、「これが同じ国の街か?」と驚くのではないでしょうか。当時とは比べものにならないくらい異質な素材による高層のビル群、街そのものも街行く人々も、キラキラカラフルな装い。
しかし見る人が見たら、今日の光景に、何かしら「たましい」がすっぽり抜け落ちているような、虚無的なただよいを感受するかもしれません。然り、人々の意識そのものが、昔と今とでは全く違っているのです。
ちなみにぎんぎらぎんに髪を染めて、耳にピアスのあの色黒の若者はどうだろう。「君はきょうがどんな日か知ってるかい?」と聞いたとしたら。一体どんな反応を見せるのだろうか。『チェッ。ウザッタイおやじだ』とばかりに、急ぎもの言わず立ち去るのだろうか。それとも一言くらい何かしゃべってくれるのだろうか。
若者のみならず、けっこうの年配者でも、きょうのこの日かつての戦争に深く思いを致す人がどれほどいるのだろうか。
「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」。こんな誰かの言葉があったかと思います。要は痛い思いをして分かるのか、それをしなくても分かるのかの違いかと思います。先の戦争そして終戦は、極めて深刻で悲惨な国家的体験でした。それだけにその中には、いまだに学ぶべきものがどっさりあるはずです。
なのにそれをきっちり教える学校がない。また教わる側にも、しっかり咀嚼(そしゃく)するしかるべき学力がない。そして今という刹那、街をさしたる目的もなくただ漂いながら歩いているだけ。こんな人種を次々に増産し続ける国。
この国は一体どこに漂着しつつあるのでしょうか。
(大場光太郎・記)
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