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原民喜-原爆詩

     コレガ人間ナノデス

  コレガ人間ナノデス
  原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
  肉体ガ恐ロシク膨脹シ
  男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
  オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
  爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
  「助ケテ下サイ」
  ト カ細イ 静カナ言葉
  コレガ コレガ人間ナノデス
  人間ノ顔ナノデス


            水ヲ下サイ

  水ヲ下サイ         天ガ裂ケ
  アア 水ヲ下サイ       街ガ無クナリ
  ノマシテ下サイ       川ガ
  死ンダハウガ マシデ   ナガレテヰル
  死ンダハウガ          オーオーオーオー
  アア               オーオーオーオー
  タスケテ タスケテ      
  水ヲ              夜ガクル
  水ヲ              夜ガクル
  ドウカ             ヒカラビタ眼ニ
  ドナタカ            タダレタ唇ニ
   オーオーオーオー     ヒリヒリ灼レテ
   オーオーオーオー     フラフラノ
                   コノ メチャクチャノ
                   顔ノ
                   ニンゲンノウメキ
                   ニンゲンノ


    火ノナカデ 電柱ハ

  火ノナカデ
  電柱ハ一ツノ芯ノヤウニ
  蝋燭ノヤウニ
  モエアガリ トロケ
  赤イ一ツノ蓋ノヤウニ
  ムカフ岸ノ火ノナカデ
  ケサカラ ツギツギニ
  ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ
  サケンデユク 火ノナカデ
  電柱ハ一ツノ芯ノヤウニ

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 原民喜(はら・たみき) 詩人、小説家。明治38年11月15日~昭和26年3月13日。広島県広島市に生まれる。昭和8年慶應義塾大学英文科を卒業。また同年、評論家・佐々木基一の姉である永井貞恵と結婚した。昭和10年、処女作品集『焔』を自費出版。昭和11年頃より、雑誌『三田文学』を舞台に短編小説を多く発表し始める。昭和17年、千葉県立船橋中学に英語教師として就職。昭和19年、妻が死去。昭和20年、郷里の兄の家に疎開し、8月9日原爆投下にあい被爆。この体験は『夏の花』(昭和22年)『鎮魂歌』(昭和24年)などの作品を生んだ。昭和25年、広島のペンクラブ主催の平和講演会に参加。昭和26年3月13日、吉祥寺西荻窪にて鉄道自殺。享年45歳。代表作は『夏の花』『廃墟から』『壊滅の序曲』『鎮魂歌』『原爆小景』など。

 原民喜の原爆詩3詩をご紹介しました。かくもリアルな極限詩には、何か付け加えるべき説明など不要かと思います。
 
 そこで原民喜本人のことについて少し―。
 多くの人の証言から察するに、原民喜という人は寡黙で孤独を好む人というよりは、人がこの世で生きていく上で必要とされる生活観念が欠如していたような、透明感漂う不思議な人だったようです。本当はこちらの世界に来るべきはずではなかった妖精的な存在が、何かの行き違いで生まれてきてしまった、そんな印象を受けます。

 原民喜は、戦前の青年時代「杞憂」という俳号を持っていたそうです。杞憂とはご存知のとおり、天が崩れ堕ちることに心を痛めた杞国人の憂いという、『列子』という書物の中の故事からきたものです。要はいらざる取り越し苦労の喩えです。
 しかしあの1945年8月6日、原の青年の日の杞憂が実現してしまうことになりました。古代中国の杞国人の荒唐無稽な憂いが、20世紀半ばの日本国・広島で現実のものとなってしまったのです。

 ある人は「原さんが生きるためには、そのいのちをこの世界に結びつけることのできる強いきずなが必要だった」と記しています。昭和19年の妻の死に深く悲しみ、その日から1年後に死のうと決めたそうです。しかし決めた日の1週間前に原爆投下が起こりました。原はなおそれから数年間生きることになったのです。
 何やら原民喜という人は、広島原爆に身をもって立会い、それを証言、告発する目的のためだけにこの世に生きた人だった、そのように思われるのです。

 (大場光太郎・記)

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