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2009年9月

悪運強い !?森元総理

 28日自由民主党の新総裁に谷垣禎一元財務相が決まりました。投開票直後の両院議員総会で谷垣氏は、「思い切った党改革も必要だ。もう一度国民の信頼を取り戻し、政権に復帰できるよう全身全霊を傾ける」と決意を表明しました。
 この決定に敵方の亀井静香金融相も、「今の自民党の中で最高のタマでしょう」とエールを送りました。私も森ー小泉ー安倍ー福田ー麻生と続いた過去の総裁よりはずっとマシな人選だと思います。(政権与党であるうちになぜもっと早く、そう出来なかったのでしょう?)

 しかし国民の多くがそうでしょうが、私は野党に転落した自民党の総裁に誰が就こうとさほど関心はありません。問題は谷垣氏が選出されるまでのプロセスです。その舞台裏を少しのぞいてみるとガックリ、『やっぱり自民党はダメだ ! 』と思わせられるのです。
 その一端がうかがえるシーンがあります。会場だった自民党本部8階ホールから1階玄関に現れた森喜朗元総理は、待ち受けたカメラに向かってにこやかに笑いかけ、右手でVサインまでしたというのです。
 森元総理は、総選挙時は終始ピリピリカリカリ。時には鬼の形相で記者を追っ払ったり、投票日当日の夜は石川2区の選挙事務所の前面にロープを張りめぐらせ、そこから中へは地元記者以外立ち入り禁止の報道管制まで敷いたくせして。
 なぜこの時上機嫌だったかと言えば、総裁選で谷垣氏300票と、河野太郎の144票をダブルスコアで圧勝したからです。『してやったり。オレの影響力もまだまだ捨てたもんじゃないわい』とばかりにご満悦だったわけです。

 台風の目候補の河野太郎は、総裁選の遊説先などで「そろそろ出所進退をお考えになるべきだ」「腐ったリンゴを樽(たる)の中に戻せば、全部が腐ってしまう」と、名指しで森元総理を痛烈に批判していました。それに森氏は怒り心頭、「河野だけは許せん」となったのです。
 しかし世論は党再生のためにズバズバ直言した河野太郎に拍手喝さい、マスコミの評判も上々でした。ムリもありません、河野が訴えたことは多くの国民が感じていることだったからです。

 ただ旧態依然たる自民党内の力学はそうではなかったのです。当初は森元総理とたもとを分かったはずの中川(女)-中川秀直元幹事長に対する記者用語。ちなみに中川昭一元財務相は、中川(酒)-や、もう少し気骨があると思われた菅義偉は河野支持に回っていましたが、終盤は森に遠慮して手を引く始末。それのみか、普段はテレビの討論番組に出まくって火のような正論を吐いている山本一太、世耕弘成、大村秀章らの若手議員もびびってしまったというのです。まさに恐るべき森元総理の影響力という感じです。暴力団顔負けの締付力、恫喝力を改めて見せつけられた感じです。

 今回の総選挙では、「美女のサメ退治」をキャッチフレーズに小沢一郎から送り込まれた田中絵美子は、大接戦及ばず選挙区で森の当選を許し比例区で復活当選しました。その田中は新人議員として注目度も高く、若い頃の乳房モロ出しのAV出演などが発覚し、話題、問題になっています。
 しかしそんな事は、森元総理の諸々の隠れた悪事に比べたらかわいいものなのではないでしょうか?それに良くも悪しくもAV女優は、とうの昔に国民に広く認知されていて、必ずしも「悪」とは言えないわけだし(強いて言えば「必要悪」?)。イタリアではかつて、チチョリーナという元ポルノ女優が国会議員を務めました(但し出身国はハンガリー)。選挙期間中その事実を公表しなかったという問題は多少あるにせよ、AV出演経験者が国会議員になっていけないということはないと思います。(少し余談でした。)

 森元総理の悪事の中で、特に問題視したいのはやはり例の一件です。これまでの『薬物汚染シリーズ』で何度も取り上げてきましたとおり、押尾学事件に関して森元総理サイドから捜査に圧力があった疑いが極めて濃厚なのです。六本木ヒルズレジデンス一室での、田中香織さん変死事件に森の長男祐喜が直接現場に居合わせたとされる、そのもみ消し疑惑です。
 今のところ確かな証拠があるのかどうか、私ごとき者には分かりません。一部の方からは「証拠もないのに変な情報流すなよ ! 」とお叱りを受けそうですが、ネットなどから日々洩れ伝わってくる情報はとにかくリアルで臨場感のあるものです。「火のない所に煙は立たぬ」で、特定の誰かが森氏を陥れるために作為的に流しているものではないだろうと思われるのです。

 それにしても。史上最低の支持率に喘いでいた元総理が、総理辞任後かくも長きに亘って隠然たる影響力を行使し続けられるとは。「今回は危ない」と言われながら、辛うじて選挙区当選してしまうとは。総裁選では森の思惑どおり、谷垣が河野に圧勝してしまうとは。押尾事件では長男の名前や森元総理自身の圧力など一切表ざたにならないとは…。
 森喜朗はつくづく「悪運が強い」御仁です。しかしこんな人物が無傷のまま影響力を行使し続けられるような政治システムは、(上の悪運の事例は「根っこが皆同じ」なわけで)とにかくいびつで異常です。その意味で、河野太郎の「引退勧告」は至極まっとうな主張だったのです。森元総理の引退はひとり自民党再生に必要であるばかりか、政界全体、ひいては日本再生のためにも是非必要だと考えるきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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模様のちがふ皿二つ

             原 石鼎

   秋風や模様のちがふ皿二つ

  …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 原石鼎(はら・せきてい) 明治19年島根県塩治村(現出雲市)生まれ。中学時代子規門の教師竹村秋竹に俳句を学び、松江の奈倉梧月の句会に投句。文学との葛藤の末京都医専中退。家業の医者を継がず放浪。深吉野の次兄の診療所を手伝っていた時、俳句開眼。その秀句を虚子に賞賛された。「ホトトギス」編集を手伝ったのち、大正10年「鹿火屋」主宰となる。以後、神経障害などと戦いながら秀作を残し、二宮(現神奈川県中郡二宮町)に隠棲、療養につとめた。生前の句集に『花影』『石鼎句集』などがある。昭和26年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』などより)

 周りを秋風が吹き抜けています。ふと見れば皿が二つあります。その皿の絵柄の模様が違うのです。詠まれているのは、たったこれだけ。『えっ。こんなことでも俳句になるの?』と思ってしまうような単純素朴な句です。
 「秋風」と「皿二つ」がこの句の基本的な構成要素です。原石鼎の視野の中には、種々雑多な物があったことでしょう。しかしそんな中で石鼎はなぜか皿二つにフォーカスしたのです。言ってみればそれは、石鼎によって恣意的に選ばれた対象物です。

 なぜ選んだのでしょう?「なぜだかよく分からないけれど…」というのがその答えなのかもしれません。それは多分に直感的なものであり、それはしばしば表面的な意識の理由づけを拒否する場合があるからです。
 しかし部外者があえて詮索を試みるなら、それは皿が互いに「模様のちがふ」ものだったからではないかと思われます。おそらく石鼎は、「模様のちがふ皿二つ」が深いところで「秋風」とリンクしていると直感したのです。

 これはどんな状況で(屋外なのか屋内なのか)いつ頃作られた句なのだろうか?私は何となく気になって調べてみました。そうしましたら、この句にはやや長めの「前書き」があったのです。
 「父母のあたたかきふところにさへ入ることをせぬ放浪の子は、伯州米子に去って仮の宿りをなす」。
 先天的に詩人的だった石鼎には、家業の医者の道は向かなかったのでしょう。それで略歴にあるとおり学校も中退し、その後各地を放浪していたようです。それは遠い先人の松尾芭蕉の「わび、さび」の風(ふう)を慕ったのかもしれないし、直近の漂泊の歌人若山牧水などに憧れたのかもしれません。

 大正2年深吉野(みよしの)を去って、以後山陰の「海近きあたりをさすらへる時代」を送っていたのです。だからこの句は、その頃米子(現鳥取県米子市)に立ち寄った宿屋での一光景だと思われます。
 時に原石鼎27、8歳の頃。さすがに年老いた放浪者としての絶望感などはなかったはずです。しかしなにせ若い身空で一人流離(さすら)っている身、孤独感、悲哀がなかったといえばウソになるでしょう。「自分探し」のための放浪でもあります。それゆえ、未(いま)だ己の人生上のテーマが定まっていない焦燥感もあったことでしょう。

 そのような心境に、「秋風」は実によくフィットしていると思います。そして秋風に対応している「皿二つ」が、これまた「模様のちがふ」もので。その二枚の皿の不揃いさ、アンバランスさは、そのような石鼎の心の憂愁、焦燥、欠落を埋めるどころか、むしろざわつかせ助長させもした…。
 しかしそれが幸いして、このような名句となって結実したのだと思われます。

 (大場光太郎・記)

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差別用語・考

 先日あるブログのコメントで、「乞食(こじき)」の思い出話が語られていました。私は興味深く読ませてもらったのですが、しかし考えてみれば乞食という言葉は今日では「差別用語」に当たるものであり使用自粛の方向にあるわけです。
 だったらこの言葉は一切使用してはいけないのでしょうか?さあこうなると大変複雑な問題をはらんでしまいます。今回はこの言葉を契機として、差別用語について少し考えてみたいと思います。

 折角ですから、まずは問題の乞食から始めます。ご存知の方も多いかと思いますが、乞食の元々の意味は仏教用語の「乞食(こつじき)」から来ています。それは比丘(僧侶)が自己の色身(しきしん-肉体)を維持するために食料などを人から乞うことを意味していました。「行乞(ぎょうこつ)」「托鉢(たくはつ)」とも言われ、仏教さらにそれ以前のバラモン教における重要な修行の一つであったのです。

 それが我が国ではいつの間にか、僧侶ではない者が路上などで物乞いをする行為やその当人を呼ぶのが一般的になりました。その転機はずいぶん大昔のことだったろうと思われます。なぜならこの世には「貧富の格差」は古来常に存在していたからです。さまざまな理由から自力で食料などの生活物資の確保がままならず、周りの人々に物乞いして露命をつなぐしか手段のない人たちがいたのです。その人たちを卑しいと見るかどうかは別として、それらの人々はいつの世の最底辺にも存在し続けたのは冷厳な事実です。

 世の種々相を赤裸々に描き抉り取ることを使命の一つとする文学作品でも、乞食は各時代の作品の中でさまざまに取り上げられてきたことでしょう。
 差別用語論議がかまびすしい今日の作家なら、このテーマを描く場合どうするのでしょう?現代ならばホームレスでしょうが、厳密にはそれと乞食とはニュアンスが違います。乞食という言葉は、ある意味立派な文化的伝統を背負ってきた言葉の一つでもあるのです。一時代以上前の時代が背景の作品では、やはり乞食は乞食として表現していく以外に、その時代の雰囲気を正確に伝えることは出来ないのではないでしょうか?

 乞食の例のように、差別用語は特定の属性(例:少数民族、被差別階級、性別、同性愛者、特定疾患の罹患者、職業など)を持つ人々に対する差別を目的として使用されている俗語、蔑称を指す用語とされます。明確な基準があるわけではありませんが、一般的に日常会話においては禁句、また主要メディアにおいては「放送禁止用語」として扱われています。

 差別用語特に放送禁止用語として挙げられている言葉は、実に夥しい数にのぼります。当ブログでこれまで何気なく使ってきた中にも、差別用語・放送禁止用語があるわあるわ。「百姓」「土方」「つんぼさじき」「田舎」「垂れ流す」「狂気」「川向こう」「片手落ち」「芸人」「後進国」「表日本」「裏日本」「身分」「部落」「ヤバイ」…。
 私自身既に使っているから言うわけではありませんが、もしこれらの言葉のすべてを今後一切使用禁止とする、仮に使用した場合は法的に処罰するなどとなったらどうでしょう?私たちの日常会話、文章表現は著しく制限され、言語生活はずいぶん貧しいものになるのではないでしょうか?

 確かに中には、「穢多(えた)」「非人」「廃人」「賎民(せんみん)」など最初から差別を目的として作られた用語もあります。このような言葉は常識的に判断して当然使うべきではありません。その他身体上の障害者に対する「めくら」「つんぼ」「おし」「どもり」「かたわ」なども多分に侮蔑的用語であり、使うのは控えるべきだと思います。(ただ以前の邦訳聖書や文学作品では、これらの言葉も頻繁に使われていたように記憶しています。)

 といっても、「盲人」「盲目」「文盲」もダメというのは、少し行き過ぎなのでは?と思ってしまいます。それらに変わる言葉として、盲人は「目の不自由な人、視覚障害者」、盲目は「分別に欠ける、理性がない」、文盲は「字の読めない人、非識字者」というように置き換えなければならないのです。
 ずいぶん回りくどい表現ではないでしょうか。例えば昔から「恋は盲目」という表現がありますが、これがダメなら「恋は分別に欠ける」?これでは折角の詩的表現が台無しです。

 差別用語あるいは放送禁止用語として無制限に規制の網をかぶせることは、憲法で保障された「表現の自由」を侵害することにもなりかねません。差別用語という言葉の「差別」にもなり、とどのつまりは「言葉狩り」にまで行き着いてしまいます。
 一応は差別用語や放送禁止用語として挙げられている言葉も、時と場合に応じて臨機応変に使用しても良いのではないでしょうか。また差別用語は使っていても、全体としての文脈が必ずしも差別を意味していなければОKということで。時には差別用語を使っていなくても、全体の文意として著しく差別しているということもあり得ます。私はこっちの方がずっと問題だと思います。

 差別用語はもちろん時には大問題となりますが、それより何より当今の極端な格差社会の問題、さらには私たち一人一人の心に潜む「差別意識」の方が遥かに深刻な問題だと考えます。
 というわけで私は自己責任で、使いたい用語は今後とも使っていきます。この問題、皆様はいかがお感じでしょうか?

 (追記) そういうわけで後日、私自身の「乞食さん」の思い出を綴ってみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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9月26日の上弦の月

   半月も地軸も国も傾ぶけり   (拙句)

 当地では、ここ三日ほどすっきりした秋晴れに恵まれています。シルバーウィークこそ終わったものの、いよいよ本格的な秋の行楽シーズン到来といった感じです。

 さて本日は午後から本厚木に行き、7時過ぎに帰ってきました。帰りは乗る時の一つ手前のバス停で降りて、そこから700mほど歩いて我が家に帰ります。行きのバス停より距離はありますが、何せ普段は運動不足の身、努めて歩かねばと本厚木方面に行った帰りは決まってそのコースで帰るのです。
 そのバス停の表通りの反対側のブックオフ店を右折して何10mかすると、近年整備された遊歩道がその道に直行する形で真っ直ぐ先の方まで通っています。私はいつも左折して北に伸びたその遊歩道を通ります。

 整備される以前そこは草ぼうぼうのただの水路でした。草丈の低い冬や春先などはそこの土手を伝って歩けることは歩けます。しかしそこには入らず、もう少し行くと高層団地群の側道があるのでそこを通っていました。
 その水路を市で何年度計画かで整備されたのが今から数年前です。途中2本の車道があり、したがって水路も2つに別れていますので、それを年度を違えて整備工事したのです。水路は幅員3mほどを暗渠にして隠し、表面は茶褐色の歩きやすい特殊アスファルト歩道に、そして両側にはその歩道に並行する形で花壇も設けられました。

 整備したての頃は何となく、それまでの当たり前の自然の姿が損なわれたような違和感がありました。それに私個人の勝手な考えとして、『どうせだったら花壇じゃなく、一定区間に植樹してほしかったな。そうすれば自然の中を歩く感じがもっと出たのにな』と思いました。しかしそれは土台無理な注文で、市の公園緑地課などとしては剪定(せんてい)や落ち葉のメンテナンスで手間のかかる植栽などもとより計画にないわけです。
 それでなくても手前の一本目の遊歩道は、片方に元々あった数本の桜の大木をそのまま残したために、今の季節はその桜落ち葉が路面に散り敷き始めているくらいだし。

 しかし以来その遊歩道には、地元のボランティアのご婦人たちの手によって、四季折々きれいな花々がいつも植えられ、通る人たちの目を楽しませてくれます。さすがに真冬や真夏は花々は少なくなるとはいえ、何しろ総延長で約250mずっと花壇続きです。その手入れの労たるや大変なものだと心のどこかで思いつつ、さながら「花野の道を行くごとし」。私もいつも花々を見やりながら帰っています。
 
 何のことはない、この遊歩道は2本目の車道の先は何度もお伝えしてきた、例の「水路道」につながるのです。ただし水路道の方は、施工はずっと古く遊歩道仕様でもありません。
 さてこの遊歩道をいつものとおり歩いていた私は、2本目の道で何となく後ろ(南の方向)を振り返ったのです。そうしますと、少し西よりの中空に半月が出ているではありませんか。月を眺めたくなった私は、少し先に設けられているベンチに腰かけました。私が座って面している東側隣接地には公民館があります。当地域の行政的なセンターとしての機能を有し各種選挙の投票所であり、またいつぞやお伝えしました当市の防災無線の「夕焼け小焼けチャイム」も、当地区ではここに設置された無線塔から流されていたのでした。

 半月は雲一つなく澄み渡った夜空に冴え冴えと掛かっています。少しばかり傾いた上弦の月です。地上に目を移せば、ちょうど折りよく公民館施設の際に少しばかりのすすき群が見られます。十幾つほどの穂波が、半月の仄(ほの)明かりに白く照らされています。
 遊歩道には一定間隔で街灯が設置されていて、決して暗い夜道といった感じではありません。しかし裏道には違いなく、この時刻滅多に人は通りません。「月にすすき」の風情の上さらに、花壇の花陰のあちこちから、良夜を寿(ことほ)ぐような心地良いすずろな虫の音も聴かれます。

 冒頭の句は、そんな上弦月の風情をそぐような少しブラックジョークがかった句です。これは本日の月を詠んだものではなく、小泉政治華やかなりし数年前半ばヤケクソで作った句です。鳩山新政権になって、少なくとも今のところはこんな句を詠むこともないようです。
 また本記事のタイトルは、それから帰って真っ先に開いたマイブログに、「9月26日6時の半月」という検索フレーズでアクセスしてこられた人がおり、それをちょいと拝借したものです。

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(19)

 酒井法子が保釈されて謝罪会見を開いた夜のフジテレビ『ニュースJAPAN』で、コメンテーターの箕輪解説委員が印象深いことを述べていました。それはおおむね次のとおりです。
 「覚せい剤など薬物を使用する者は自分で自分の体を蝕んでいく、いわば自業自得なのだから仕方ないだろうというような見方もあります。しかし本当にそれでいいんでしょうか。よく考えていただきたいのです。薬物の売買で吸い上げられた収益は、結局は暴力団の重要な資金源になっていくのです。それは一体いくらくらいになるかといいますと、何と年間4,800億円にもなるんです。それが次の犯罪のために流用されていくわけです。それを考えると、たかが薬物くらいいいだろう思って入手する者は、そういう犯罪に知らず知らずのうちに加担していることになっているのです。このようなことを自覚して、薬物には決して手を出さないでいただきたいのです」。
 今まで漠然としか感じていませんでしたが、改めてはっきり言われて『なるほどなあ』と納得させられます。

 なお余談ながら。私は最近は夜の報道番組といえば、もっぱら『ニュースJAPAN』だけです。これは何も同番組が取分けひいきなのでも、滝クリ(滝川クリステル)がお気に入りだからでもありません。同番組は短時間で、その日の主なニュースをコンパクトに伝えてくれるのでありがたいのです。
 余談の余談ながら。斜め45度の女王・滝クリは、25日(金)で7年間務めた同番組を降板しました。最後の挨拶ではだいぶウルウルしていました。今後はフリーとして活躍の場を広げていくもようです。

 末端まで闇流通されている薬物は、売買によって結局は闇社会に吸い上げられていっている構図です。そういえば押尾学の事件でも、政治家や財界人と共に、西麻布の怪しいクラブ「エーライフ」や押尾の保釈金を都合したパチンコ業界のドンなど、闇社会の影がちらついていました。当然といえば当然のことで、薬物と闇社会はいわば切っても切れない関係にあるわけです。
 ここ数年覚せい剤の押収量は年々増加の一途をたどっています。それだけ、薬物による暴力団への資金流入も増加していっていると見るべきなのかもしれません。

 これまで本シリーズで見てきましたとおり、旧自民党政権下では政官財の癒着構造に加えて、さらに捜査、取り締まり当局や政治家と暴力団、闇社会との癒着もまた見られたのでした。これではとても薬物汚染の実態解明もましてやその根絶も出来はしません。
 しかし今回政権交代が起こり、民主党中心の鳩山連立政権がスタートしました。そこで鳩山新政権の下で「薬物問題」はどのような展開を見せていくのか、少し検証していくことにします。

 本シリーズ(12)で述べましたとおり、民主党のマニフェストに「麻薬、薬物対策」という項目があり、その中で<省庁横断的な薬物取締体制を強化し、薬物の供給源の根絶に取り組む>と述べてあります。私は各党のマニフェストを仔細に検討したわけではありませんが、おそらくマニフェストの中で「薬物対策」をきちんと打ち出しているのは民主党だけなのではないでしょうか。薬物一つ取ってみても、ここまで踏み込んだ主張が出来るのは、同党が闇社会との癒着がないからだと思われます。
 その意味では自公政権よりは大いに、この問題に対する取り組みが期待出来るものと思われます。

 この政策を主導するのが民主党の「麻薬対策プロジェクトチーム(PT)」で、メンバーは既に30人ほどいるそうです。PTの座長は、三井わきお衆議院議員(北海道2区選出)で、同議員は薬剤師の資格も持っているそうです。その三井議員は抱負を次のように述べています。
 「薬物問題は日本の国家存亡の危機というべきレベルまで深刻化しています。関東信越厚生局麻薬取締部は、表面化していない薬物事犯は現実の30倍もあり、約50万人が薬物に手を染めていると言っているんです。これは私の持論ですが、PTの活動は“国家対策”に格上げし、国家戦略局内にチームをつくるべきと考えます」。
 
 将来的には、PTを菅直人国家戦略相直属組織に。そうなれば暴力団をも含めた「薬物業界(?)」に対する宣戦布告モードがより鮮明になることでしょう。民主党全体が本当に薬物問題を「国家存亡の危機」と捉えているのなら、先の話ではなく今すぐにでも是非そういう組織化を進めてもらいたいものです。
 いずれにしても新政権下で三井座長のPTなどがまず真っ先に考えいるのは、やはり一番深刻だと思われる芸能界の薬物汚染の実態解明、そこから密売ルートの洗い出しなどでしょうか。前回は少しおちょくり気味に「現警視庁幹部と元幹部の手打ち式」などと表現しましたが、過日の警視庁と音事協の会合は、そのような新政権の取組みを見越した上での協議だったのかもしれません。

 しかしここまで本シリーズを進めてきた私としては、何より先に迷宮入りしそうな押尾事件の全貌解明を真っ先に進めてもらいたいと思います。三井議員はじめメンバーらも、押尾事件の全容やどの政治家などから圧力がかかって、今の藪の中的状況に到っているのか、私などよりはずっと詳しく掴んでいるはずですから。その気になれば警視庁にハッパをかけることだって出来るのではないでしょうか。
 薬物問題でどれだけ「脱官僚依存」「政治家主導」が発揮されるのか。今後の成り行きが注目されます。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(18)

 押尾学、酒井法子、高相祐一らの一連の薬物騒動のみならず、今薬物汚染は世間一般に広く浸透していると見なければなりません。たまたま3被告は逮捕、起訴処分となったものの、芸能界一つ取ってみても、それ以外にも彼らの人脈から広がる薬物疑惑タレントは数多くいるものとみられています。

 そのため酒井事件報道華やかなりし8月、警察庁の安藤長官が「芸能界の薬物汚染を一掃するように」との異例の通達を出しました。それを受けて今月上旬、警視庁と日本音楽事業者協会(略称「音事協」)が、「薬物乱用根絶のための意見交換会」を開きました。なお音事協は芸能プロ、テレビ局など142社からなる団体です。
 これは警視庁からの申し入れによって開催されたもので、芸能界がまず率先して“ストップ・ザ・ドラッグ”を呼びかけ、「一般の人が薬物に手を出さないよう啓蒙活動にも協力していく」との結論に達したようです。しかしまずもって、芸能界自らが本当に「浄化」出来るものなのでしょうか?

 そもそもタレント志望の男女はアウトローに憧れがちな連中が多く、ともすれば平気で違法行為に走る傾向性を潜在的に持っています。(ただし全員がそうだと言うわけではありません。)そこに所属プロなどの管理が甘いと、すぐに違法ドラッグに手を染めてしまう素地が多分にあるのです。それに同業界ではタレントのみならず、映画やテレビの製作スタッフの中にも薬物汚染が拡がっています。入手ルートはいくらでもあり、こと欠かないのです。
 それに加えて、音事協に入っているエイベックス(押尾の元所属事務所)やジャニーズ事務所など大手芸能プロには、役員として警察庁、警視庁OBが天下りしているケースも見受けられます。(酒井が所属していたサンミュージックは老舗プロながら天下りがおらず、これが今回の事件でつんぼ桟敷に置かれた一因とも思われます。)

 当然に、それら芸能プロに所属するタレントたちがもし仮に薬物に手を染めていたとしても、大物であればあるほど逮捕などを事前にストップさせる力が働いてきたと見るべきなのです。その意味で今回の会合は、芸能界の薬物撲滅は対世間的なポーズで、実は現役警察官僚と同元官僚とが「まあ今後とも穏便に行こうや」という手打ち式だったとも考えられます。
 いずれにしても、「官僚の天下り」がいかに弊害が大きいものであるか、今回の薬物騒動で図らずもその一端が垣間見られた感じがします。

 芸能界以外でも特に押尾事件に関して、これまで何度も述べてきましたように、政界ジュニアの同事件への関与が、今や「公然の秘密」として語られています。また問題の六本木ヒルズレジデンスの防犯カメラには、そこに出入りしていた中央官僚や財界人などの姿も映っていると言われています。表には出ていませんが、政治家の姿だってあったかもしれないのです。
 それ以外にも薬物を厳しく取り締まるべき立場の警視庁上層部、さらにはそれを大きな社会問題として取り上げ追求すべきテレビ局関係者等々、「薬物汚染」は底なしの拡がりを見せているようなのです。

 それでは薬物問題は、東京一極集中化による東京だけに見られる現象なのでしょうか?しかし実態はそうではありません。つい先日は札幌弁護士会の副会長を務めている大物弁護士が、自宅への覚せい剤の所持の罪で現行犯逮捕されました。またどこかの県に住む一市井人が、自宅のベランダで大麻を栽培して逮捕などという事件が後を絶ちません。

 そして汚染は、政治家、官僚、財界人、芸能人、力士、アスリートといった特殊社会の人間だけかと言うと、決してそうではありません。近年は東大、早稲田大、慶応大、同志社大など有名国立私立大学の学生が薬物使用などで逮捕され、世間を驚かせました。そして薬物使用はさらに低年齢化し、高校生時には中学生の使用が発覚することもあります。
 次回では、「だから鳩山新政権の薬物問題解決に期待する」というようなことを述べてみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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芋の露と連山と

                 飯田 蛇笏
 
   芋の露連山影を正(ただ)しうす

…… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 飯田蛇笏(いいだ・だこつ)の略歴については、昨年11月の『魂の映る菊見とは?』で述べました。高浜虚子に次いで近代俳句の発展に大いに寄与した巨匠です。それは、俳句界で最も権威ある賞が「蛇笏賞」であることにも表れています。

 当然ながら蛇笏は、秀句、名句を数多く残しています。それらの一句一句が彫心鏤骨(ちょうしんるこつ)の名品といってよく、そのどれもが彼の代表句といってもよさそうです。その中でもこの句は、代表句の筆頭に挙げられるべき句であるかもしれません。それほど「蛇笏俳句の精髄ここにあり」と思われるほど完成度の高い、近代俳句の一つの頂点を極めたような句であると思います。

 この句の場合、芋と露と季語が二つあります。共に秋の季語です。普通は一句で季語を二つ使うのは「季重なり」といってご法度です。一つ一つの季語は、大きな季節的イメージを背景として有しているため、季語が互いにぶつかり合って一句が壊れてしまうから、というのが主な理由だったかと思います。
 しかしそう厳しく規定されだしたのは近代以降のことで、それまでの俳人はもっと自由に季重なりの句も作っていたようです。それに当時は季語でなかったものが、新しく季語として加えられた例もあります。(例えば「運動会」が秋の季語に、「遠足」が春の季語となったように。)

 この句では発句で「芋の露」と、いきなりの季重なりです。ではそれで一句が壊れてしまっているか、うるさくなっているかというと、この句に限ってはそういうことはまったく感じられず、二句、三句に自然につながっていっている感じがします。だからこの句が作られて以降だと思いますが、「芋の露」を一つの季語として掲げている歳時記もあるようです。

 それはともかく。「芋の露」を発句に持ってきたということは、これがこの句における主眼目であるからに他なりません。またそれは作者の立ち位置をも明示しています。つまり蛇笏はとある芋畑の中の「芋の露」と間近に対面しているのです。

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 ところでご年配の方ならどなたもご存知でしょうが、俳句の場合芋とは「里芋」を指しています。改めてこう申し上げますのも、今の子供や若者たちにはそれが分からない、里芋自体どんなものかを知らないことが圧倒的に多いようだからです。
 里芋は夏からちょうど今頃の9月にかけて、茎が太く長く伸び、その上に丸くて大きな葉を広げて畑一面に生(な)っているのが見かけられます。そしてこの葉は、水をはじくのです。はじかれた水は、真ん丸い玉のような大きな露になって、風でも吹いて葉を揺らそうものなら、葉の表面をあっちこっち転げまわっているさまを見かけることがあります。

 さて露には「夜露」と「朝露」がありますが、この句の場合はどちらなのでしょう?それは二句と三句に示されています。「連山影を正しうす」。この句の場合の「影」は、いわゆる一般的な意味での「影(シャドー)」ではありません。蛇笏は「正しくす」ではなく「正しうす」と古雅な表現をしているように、影も古典的解釈が必要です。すなわち我が国古典における影の意味は、第一に姿、第二に光、そして三番目がいわゆるシャドーの意味だったようです。
 ですからこの句にあっては、「連山の姿を」の意味となります。つまり蛇笏の眼に止まった芋の露の中に遠い山並みの姿が映っている、という構図です。夜は真っ暗で連山の姿が夜露に映ることなどあり得ませんから、露は朝露、時刻は朝ということになります。

 露は時に、果敢(はか)ない命やこの世を表わす比喩として使われることもあります。その果敢ない露の玉に、蛇笏の住居(故郷)の山並みである南アルプスの連山が映っている。露と連山の対比は実に見事だと思います。超近景の果敢ない刹那的な露の玉に、遠景の雄大で悠久な連山の姿が整然と映り、納まっているのです。何やら単なる俳句の範疇を超えて、露の玉が曼荼羅(まんだら)世界を胎蔵(たいぞう)している、そんな仏教的世界観に踏み込むような心地すらしてきます。同時に、「全体は一部であり、一部は全体である」という最新のホリスティックな世界把握を先取りしていた句のようでもあります。

 そして「連山影を正しうす」。露の玉に映った、居住まいを正して整然と連なる南アルプスの姿は、また飯田蛇笏自身のピーンと背筋を伸ばしたストイックで潔い生き方の反映でもあるように思われます。他の句からも、蛇笏のそういう生き方がうかがえる句が多いようです。

 芋の露の中に映じた連山のさまを見て、当然のように蛇笏は背後の南アルプスの遠い山並みを振り返ったことでしょう。そして連山は秋の朝の澄み切った大気の中に、実際整然と連なっているのを再確認したことでしょう。

 (大場光太郎・記)

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ブログ背景変えました

   街にふとコスモスありて安堵かな   (拙句)

本日23日は秋分の日です。また同時に秋彼岸の中日でもあります。「暑さ寒さも彼岸まで」と昔からよく言い習わしています。思えば「暖かさ、暑さ」に向かう起点であった春分点から、ちょうど180度真反対に、きょうの秋分点は位置しているわけです。
 10月中旬頃まで、時にまだ暑い日もあることでしょう。しかしそれでもきょうを境に、確実に「寒い季節」に向かうことになるわけです。春分そして今日の秋分の日。なるほど確かに、共に季節を截然と「分ける日」なのですね。

 そのようなことで、季節を分ける秋分の本日、当ブログの背景も模様替えしてみました。いくらなんでも、これから「winter」では寒々しすぎると。候補は幾つかありましたが、これからの季節的なこと、背景全体のバランスなどを考慮の結果、ご覧のとおりの「紅葉(もみじ)」をしばらく採用することに致しました。まだ紅葉の季節には間があり、少し早いような気もしますが…。
 全山ならぬ全背景、紅葉色で少し記事が見づらい、読みづらいかもしれません。しかし「winter」もそうでしたが、そのうち目になじんでくるのでは、と考えております。それでも読みづらい場合は、言っていただければその時点でまた検討したいと思います。

 本日は日本海に秋雨前線が長々と伸び、そのため日本海側の各県は曇り、雨、所によっては雷雨に見舞われた地方もあったのでしょうか?(と推測なのは、本日のニュースよく見ておりませんので)
 当地(神奈川県県央地区)はおかげ様で、多少雲が多目ながらよく晴れた秋晴れの一日となりました。雲も天高き薄い秋特有のすじ雲が多く、そのさまからもいよいよ深まりゆく秋の気配を感じたことでした。

 (大場光太郎・記)

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清純派・考

 酒井法子が先日保釈され、1ヶ月半にも及ぶ酒井失踪、逮捕という一連の「酒井フィーバー」もやっと一段落したかっこうです。事件が起こる前の酒井法子のイメージは「清純派」というものでした。笑顔が可愛らしく、何となくチャーミングで清潔そうで、彼女はまさに清純派にうってつけと思われていました。
 しかし失踪以後、彼女のそんなイメージは総崩れに崩れてしまいました。連日テレビなどが暴く実像は目を疑うようなものばかりで、それまでの清純なイメージがいかに作り上げられた虚像であったかを思い知らされ、幻滅すると同時に時に暗澹たる気持ちにもさせられました。

 私自身は酒井法子を事件が起きるまではよく知りませんでした。というよりもあまり関心がなかったといっていいくらいです。
 そんな私の家には、彼女に関するある気がかりなものが残っています。それは亡母が使っていた部屋の、亡母専用の和ダンスにあります。そのタンスの上から二段目の引き出しの左隅に酒井法子の写真が貼りつけてあるのです。それは引き出し幅に少し足りないくらいの縦長のものです。よく見ると、あの問題官庁、社会保険庁からの「お知らせ」ステッカーのようです。そこに今から20年以上前の、デビューしたての頃16、7歳くらいの、白いセーラー服姿ののりピーが、天真爛漫な笑顔で、顔の左側に左手を当ててこちらに開いた、ちょっと身をかがめた立ちポーズで大きく写っています。

 今思い返してみますと、ずっと以前からそこに貼ってあったようです。というのも、それを貼ったのは私ではなく、亡母だからです。母が当時のりピーのそんな愛くるしい姿を気に入って、年金受給手続きで訪れた社会保険事務所からもらってきたステッカーを、そこに貼ったのだと思われます。
 以来私も母の部屋に入った折り、何度も目にしてきました。それは彼女の生まれ育った特殊な家庭事情など知る由もない私には、山の手辺りの育ちの良いお嬢さん、まさに清純派そのものに見えました。

 なのに今回の事件です。一連の大騒動によって酒井法子のイメージは地に堕ちてしまいました。『おい、のりピー。あの写真どうしてくれるんだよ』と言いたい気分です。それは多分裏のシールをはがしていったん何かに貼ってしまえば、もう容易にははがせないシロモノでしょう。ムリにはがそうとすれば、亡母の大切な遺品の一つを痛めてしまいかねません。それに亡母にとってのりピーはお気に入りで元気な頃、よく眺めていたのかもしれないし…。
 海外を含めた多くののりピーファンは、ずっと大切にしていた心の中のイメージを今回ズタズタに引き裂かれてしまったことでしょう。そのファンの心中たるや、私の家の写真云々の比ではないことでしょう。

 思えばわが国では特に映画産業を中心に、「清純派の系譜」のようなものがありました。その走りは、戦前から戦後にかけての、今でもその清楚な美しさを絶賛する年配の人が多い田中絹代でしょうか。そして戦後は、小津安二郎監督の作品の多くにヒロインとして登場した「永遠の処女」原節子。私個人としては、小津監督の代表作『東京物語』に原と同じく出演していた香川京子の名前も上げておきたいと思います。
 さらに時代が下って、高度経済成長の始まりの昭和30年代後半の映画『キューポラのある街』で、女子高生役として鮮烈デビューした吉永小百合。

 ここで私の連想はピタッと止まってしまいます。およそ客観的に判断して正統派としての清純派と認められるのは、吉永小百合あたりが最後だったのではないだろうか、そう思われるのです。その後強いて上げれば、私と同世代の酒井和歌子がぎりぎりセーフかな、というくらいで。
 その後なぜ正統清純派がいなくなったかと言いますとー。「清純」には根っこの部分で、「性的な純潔」に結びついている面があるように思われるからです。

 ある説によりますと、そもそも我が国の清純派のルーツは、大正期に活躍した武者小路実篤や有島武郎らの「白樺派」の恋愛小説に登場するヒロイン像にまでさかのぼれるそうです。そこに描かれているヒロインはまさに、清楚で可憐で、しかし人間らしい内面の葛藤を見せることのない女性像です。世の悩み多き男どもは、そんな清純派ヒロインに己のさまざまな想い、もっと言えば「着せ替え人形」的妄想を投影してきたわけです。
 ところで「白樺派」は、明治以来の文明開化によってもたらされたキリスト教文化に、多大な影響を受けていると言われています。そして清純派は、突きつめていけばマドンナ、聖母マリアの「処女懐胎」にまで行き着くわけです。それを反映した白樺派文学のヒロインが、その後娯楽の中心となった映画の中で白樺派作品の映像化、そして今日に到るステレオタイプの清純派が形成されていったと言うのです。

 ところが私などが青春期を送った昭和40年代以降、「フリーセックス」という考え方が欧米からどんどん流入され始めました。特に良くも悪しくも時代の最先端を走っている芸能界において、それは決定的な流れだったことでしょう。その後時代が進むにつれて性の自由化は一段と定着し、芸能界はおろか一般女性にも、「性的純潔」など求める方がヤボという状況です。
 今日では「清純派」などという言葉は、もはや「死語」であるはずなのです。

 なのになぜか芸能界では、酒井法子を持ち出すまでもなく、未だ「清純派女優」というものが流通しています。なぜなのでしょう?それは世の男どもの中には、今なお清純派という「幻想」を追い求める者が多いからだと思います。いわゆる需要と供給のバランスで、その需要に応えようと、今時は特に商魂たくましい芸能プロ、テレビ局、広告代理店の手によって、「清純派もどき」が次々に供給、増産されているわけなのです。

 このような清純派もどきを求める男たちは、どこか現実逃避の傾向のある「幼児性」が見られるとも指摘されています。その意味で今回の酒井法子の一件は、そんな甘ちょろい男どもの目を覚まさせるのには、かっこうの教材であったのかもしれません。
 
 (大場光太郎・記)

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老いない奇跡

 本日9月21日は「敬老の日」です。わが国の国民の祝日のうちの一日です。「国民の祝日に関する法律(祝日法)」では、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨とすると定められています。
 2002年までは毎年9月15日を敬老の日としていましたが、前年の祝日法改正(「ハッピーマンデー」制度の適用)により、2003年からは9月第3月曜日となりました。これにより今年のように、土曜日の19日を休日とすることにより、23日の秋分の日まで5連休となり(22日は振替休日)、5月の「ゴールデンウィーク」に対して新しく「シルバーウィーク」と呼ばれる年も出てきます。

 敬老の日のそもそもの始まりは、戦後間もない1947年(昭和22年)兵庫県多可郡野間谷村(現多可町八千代区)の村長らが提唱した「としよりの日」が始まりのようです。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期にあたり気候もよい9月中旬の15日を「としよりの日」と定め敬老会を開きました。これが1950年(昭和35年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がったもののようです。
 その後「としより」という表現は良くないということから、1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称、1966年(昭和41年)正式に国民の祝日の「敬老の日」となりました。例えば5月の「母の日」はアメリカにならって導入された記念日ですが、敬老の日は日本独自の祝日であり諸外国には例がありません。  (フリー百科事典『ウィキペディア』「敬老の日」より)

 私も今年4月満60歳を迎えました。意識して気にしないようにはしていますが、「老い」という人類普遍の命題はやはり気になります。ご存知のとおりわが国は世界でも1、2位の長寿大国になっております。それは必然的に高齢化社会に突入していることを意味します。年々出生率が減少しているため、正確には「少子高齢化社会」です。わが国がかつて経験したことのないような、逆ピラミッド型の人口構成になりつつあるわけです。これが、就労人口の減少、福祉、医療費の増大など、現下の難しい社会的問題の一つとなっていて、有効な対応を迫られているわけです。


 私がもう一つ気になったのは、それでは「老人とは何歳からをいうの?」ということでした。『60歳はもう「老人」なのか?まさかそんなことはないだろう』。世の中全般が「こうだ」と物事を規定してしまうと、人はいつしかそれに無意識的に従ってしまう傾向があります。『世の中が老人というんだから、やっぱり年寄り然としていなければならない』というように。私は気になって調べてみました。そうしましたら、あくまで人口動態調査、統計上の数字ながら、
   15歳未満が、幼年人口
   15歳~64歳が、生産年齢人口
   65歳以上が、老年人口
というように大別されるようです。つまり「老人」とは一応65歳以上の方々を言うわけです。私は辛うじて後何年かのモラトリアム(猶予)期間があるわけで、少しほっとした気分です。

 でもそれでは65歳過ぎの方々が、皆々お年寄り然としているかというと、最近の高齢者はとてもお若くてお元気のようです。昨日たまたまテレビニュースを見ていましたが、「日韓交流おまつり」というようなイベントが、東京とソウルで同時開催され、東京の会場で新しくファーストレディになった鳩山幸さんがスピーチしていました。幸さんは66歳、れっきとした「老人」(もっと正確にいえば「前期高齢者」)なわけですが、壇上の幸さんの何と若々しいこと ! 容姿はもちろんながら、そのスピーチが歯切れのよい元気な声でとてもそんなお年には見えませんでした。

 どうも高齢になればなるほど、「若い感じ」「老けた感じ」という個人差がどんどん開いてくるように思われます。その差を現しているのは一体何なのでしょう?気力、精神力などといえば堅苦しくなります。簡単にいえば「生きよう」「生きるぞ」「元気で若々しく生きるぞ」という、「意欲」が強いか弱いかの差ではないのかなと思われます。それと難しいことながら、「自分が一番輝いていた若い時の姿」をいつも心のスクリーンに映し出しているかどうかでしょうか。
 かつてない超高齢社会を迎えつつある今日、何より元気で若々しくあることが、ご本人のためにも社会的要請としても今求められていると思います。

 本記事のタイトルは『老いない奇跡』です。実は本記事はこれをタイトルとする本をじっくりご紹介する予定でした。しかしもう紙面的余裕がありません。そこで取り急ぎー。
 この本は、「老いは必然なのか」という問題提起から始まって、「若返りは可能か」「いつまでも元気で若々しくあるためにはどうすべきか」などを、多角的に述べてあります。1993年アメリカで原書が発売された時は、9ヵ月にわたって全米ベストセラーを記録したそうです。

 誰かの言葉に、「体には栄養を、頭には刺激を、心には感動を」というのがあったように記憶しています。この本はまさに、体に栄養をは別として、「頭に刺激を」「心に感動を」十分与えてくれる本です。「意識」「生命」「若返り」の探求はここまで来たのか、と驚かされます。人類にとって不老不死も間近いんじゃないの、とも思わせられます。特に50歳以上の方には是非お奨めしたい本です。

    チョプラ博士の 老いない「奇跡」
     -「意識パワー」で永遠の若さを生きる
        (沢田博+伊藤和子=共訳)
      講談社刊  定価 1,800円(税別)

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(17)

 17日の酒井法子被告の保釈によって、これでその前日の夫高相祐一被告8月31日の押尾学被告と、今回の薬物事件の主役3人すべてがシャバに戻ってきました。後は各被告とも、それぞれの罪を法廷の場で裁かれていくことになるわけです。
 裁判の過程で3被告の罪状がより明らかにされ、刑が確定し結審ということになるのでしょう。しかしその前に酒井被告が保釈されたことをもって、8月上旬から世間を騒がせ続けてきた一連の薬物事件は急速に終結に向かいそうな雲行きです。

 再三述べてきましたとおり、酒井、高相両被告の事件は、(元はといえば夫婦して覚せい剤を所持、使用していたのが悪いとしても)あくまでも「押尾事件隠し」に利用された可能性が高いと思われます。両被告の関連では、直前の奄美大島に滞在中の使用、また千葉県勝浦市の夫婦の別荘での覚せい剤常用などから、何人かの芸能人の薬物疑惑も浮上しています。しかしこれすらも今後どこまで追求されていくものやら、疑問に思われる展開です。

 これも何度も強調しておりますが、今回の一連の騒動の核心はなんといっても「押尾事件」の方です。警察、検察、司法当局は、押尾学という二流役者を裁くだけのトカゲの尻尾切りで本当に済ませてしまうつもりなのでしょうか?依然国民の多くの間でくすぶり続けている、押尾事件また捜査当局への疑念を今後とも無視し続けていくつもりなのでしょうか?

 と私個人は憤懣やるかたない思いをしておりましたら。最近思わぬ展開になってきたようです。捜査打ち切りが囁かれていた中で、六本木ヒルズ一室で変死した田中香織さんの岐阜県内の遺族のもとに、捜査関係者から「捜査は継続しています。近々詳しい説明が出来るでしょう」という連絡が入ったというのです。
 連絡があったのは、遺族が真相を明らかにするべく押尾学への民事訴訟を検討中の、提訴前だったようです。押尾を契約解除したエイベックスは、「遺族に謝罪に行きたいが、“捜査が終わるまで待ってほしい”と止められている」ということで、どうやら捜査継続は間違いなさそうです。
 同事件の徹底解明を望む世論に押されたのか、あるいは「薬物汚染」に厳しい姿勢で臨もうとしている鳩山新政権の発足に、「このまま終わりにしちゃあ、まずいぞ」と思い直したものなのか。いずれにしても歓迎すべき新展開ではあります。しかし、どれだけ解明が進むのかは依然疑問符がつきます。

 ところで押尾事件に関して、またまた驚くべき新情報が飛び込んできました。田中さん変死事件に関しては、押尾のMADA使用は尿検査から明らかでした。しかしここにきて、問題の一室に関わっていた人物がもう一人いるというのです。
 噂に上っているのは他でもない、森元総理の長男祐喜です。以前は、森祐喜は事件発生当時は別室にいたとされていましたが、実は事件が起こった“やり部屋”にいた。もちろん問題の2307号室は密室であり、現時点での証拠はありません。しかし事情通の間ではかなりの信憑性をもって、そう語られているようです。

 そうなると、田中さん容態急変時問題の部屋にいたのは森祐喜の方で、押尾も一緒だったかあるいは押尾は別室にいた可能性すら出てきます。しかし何せ当事者は超大物政治家のバカ息子、しかも時あたかも天下分け目の総選挙真っ只中。「いやあ困った、どうしよう」と思案投げ首し、森祐喜は別室にいたお友だちの押尾を呼びに行った。
 当事者同士でおろおろしている間に、遂に田中さんが息を引き取ってしまった。切羽詰った森祐喜は「学ちゃん、頼むよ。一生のお願いだ」とばかりに拝み倒して、押尾に「身代わり」を押し付けた。森と押尾との間で何らかの交換条件が成立して119番通報した時には、田中さん変死から3時間も経過してしまっていた…。(以上は推測)

 これがもし真相だとしたら、捜査当局だって捜査に二の足を踏むだろうし、大マスコミも同事件報道を躊躇するわけです。もちろん表ざたにでもなれば、ただでさえ大敗北しそうな自民党にとっては更なる大打撃、場合によっては党が土台から瓦解しかねません。
 そこで事件の真相を祐喜から知らされた森元総理は、例の西松建設で民主党小沢前代表バッシングの際「自民党に捜査は及ばないだろう」発言をして物議をかもした、麻生内閣の官房副長官で元警察官僚の実力者Uに、事件の揉み消しを依頼した。Uはなりふり構わず警視庁や麻布警察署に強い圧力をかけまくった…。(以上は推測)

 その結果、事件の核心部には一切触れることなく幕となり、押尾学は保釈されました。森元総理は、民主党の美人候補(この形容は余計か?)田中美絵子の急追を受け際どく選挙区当選、野党転落の自民党で今後なお影響力を行使しようといろいろ画策しています。肝心の森祐喜は、週刊誌でもまったく取り上げられていません。押尾事件隠しのための酒井逃亡事件の陰の演出家富永保雄も、事件の一切の終結を確信し今や悠々自適。
 また“やり部屋”の提供主のPJ野口美佳社長も、一時週刊誌などで自身の薬物疑惑を大きく取り上げられたものの、今は名前すら聞かれなくなりました。何でもPJ新商品発売にかこつけて、「従来の倍の広告費を出す」として、テレビや出版業界を黙らせたのだとか。いやはや。

 「巨悪ほどよく眠る」式の、旧自民党的体質を見過ごしていてはいけません。こんな由々しき事態にメスを入れずして、何の「日本再生」か ! 民主党鳩山政権下での、この事件の全容解明も強く望みたいものです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(16)

 酒井法子被告の保釈はさすが関心が高く、特に同17日夕方行われた謝罪会見(都内千代田区内・如水会館)は各方面からさまざまな声が上がっているようです。「やっぱりかわいい」「涙につられてついウルウルしてしまった」という好意的な見方がある一方、「納得がいかない」「セリフを読んでいるだけ」と厳しい意見も目立ちます。中には酒井を離れて、「押尾学も会見を開くべきだ」というごもっともな意見までありました。

 深夜フジテレビの『ニュースジャパン』で酒井被告の謝罪会見の一部始終を見て、私も「女の涙」についほだされてしまいました。それで前回記事はその時感じたままを、ネットニュースを参考にただちにまとめたものです。まる一日経過して冷静に判断してみますと、確かに『少し甘かったかな?』と思わないでもありません。

 そこで今回は酒井被告についての補足をー。
 振り返ってみますと失踪から数日後出頭してからしばらくの酒井被告は、「はっきりとは覚えていません」式のあいまいな供述を繰り返していました。それが途中から一転して罪状も認め始め、「深く反省しています」「皆さんに謝りたい」と態度も急にしおらしくなっていきました。これはどうも保釈や初公判などを見据え、世間や裁判官らの心証を良くしておいた方が賢明だという判断が働いたためのようです。
 いくら初犯でも「逃亡」という悪質性からして実刑は免れないという見方も多く、対して「実刑ではなく執行猶予を」という計算が働いたようなのです。もちろんその段階で助言したのは、例の「みやび法律事務所」所属の、酒井の弁護人の榊枝真一弁護士。その助言などによる方向転換であったわけです。

 保釈の日に向けて酒井被告自身、謝罪会見で語った内容を数日前から繰り返し練習していたそうです。まるで舞台初日に向けたセリフ覚えのように。そうなると当日の会見で語った内容も流した涙も…。上記の「セリフを読んでいるだけ」という批判は案外的を得ているのかもしれません。
 そうなると酒井法子は、存外にしたたかな「女狐タイプ」にも思われてきます。しかしあの会見を見ていた多くの国民が多少なりとも心証を良くしたはずで、その点では酒井側の作戦勝ち、あるいはさすが女優酒井法子の演技勝ちといったところでしょうか。

 保釈から謝罪会見までを取り仕切ったのは、やはりサンミュージックだったようです。既報のとおり、同社は酒井出演のテレビCM中止による数億円規模の損害賠償を請求されていますから、解雇はしたもののおいそれと酒井を見放せない事情があるわけです。酒井自身もサンミュージックも、謝罪会見で世間の心証を良くし、なおかつ裁判で執行猶予を勝ち取り、その先の芸能界復帰という道筋を思い描いているのでしょう。
 酒井の今後については、小向美奈子の場合のようにストリップ業界がてぐすね引いて待っている、ヌード写真集を出版する、あるいは独占手記出版も考えられるなどさまざまな噂が駆け巡っています。

 それらも確かに一時的に大金を得ることは出来ます。しかしトップアイドル→覚せい剤所持・使用罪→際どい仕事という、絵に描いたような転落人生にもなりかねません。聡明そうでしたたかな酒井法子のこと、今後の自分の進路を拘留中どう考えていたのでしょう?案外サンミュージックと再契約して女優復帰、会社と共に、発生した多額の損害賠償金問題の解決の方途を探っていくということになるのかもしれません。実はサンミュージック自体が酒井の復帰を検討しているようです。それは会見に同席した日本ビクターも同じことで、酒井関連CDなどが出荷ストップになっていて、やはり復帰を望んでいるものと思われます。
 
 たとえ芸能界復帰となるにしても、今回の一連の事件・騒動によって、酒井法子は大いに「色つきタレント」になってしまったわけで、従前のようなママドル路線ではもう行けまいし。どうでしょうか、この際思い切って「悪女路線」で再出発してみては?

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(15)

 覚せい剤取締法違反の罪で起訴されていた酒井法子(本名:高相法子-38)が、17日保釈されました。酒井被告は証拠隠滅や逃亡の恐れなしと判断され、14日既に東京地裁から保釈を認められていました。
 しかし酒井被告側は保釈金500万円をすぐには払わず、翌15日半額の250万円を払っただけでした。その間酒井が拘留されている警視庁東京湾岸署前は、保釈して出てくる酒井被告の姿を捉えんものと、連日大勢の報道陣でごったがえしました。

 そして3日後の17日酒井側が残りの250万円を払い、同日保釈されました。午後4時半頃、逮捕から41日ぶりで同署内から姿を現した酒井法子は、黒の上着、黒のズボン姿。クスリを絶って健康的留置所生活を送っていたせいか、顔はふっくらし見るからに元気そうでした。
 元トップアイドル。しかしこのたびは世間を大騒ぎさせた被告人。スポットライトならぬ無数のカメラフラッシュが酒井の姿に容赦なく浴びせられます。しかしそこは極道の父を持つ酒井のこと、それに怯むでもなく気丈にも背筋を伸ばし真っ直ぐ前を向いて歩を進め、一瞬笑みさえ見せました。

 カメラの放列の中署の玄関前にやってきた酒井被告は、立ち止まって2、3秒ほど頭を下げた後、「今まで酒井法子を応援してくださった皆様、本当にこのたびは申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を述べました。目にはうっすらと涙が浮かび、再度数秒ほど深々と頭を下げました。
 ファンとはつくづくありがたいものです。これほど堕ちてしまった酒井をなおも見捨てないぞとばかりに、沿道から「がんばれ ! 」という声援の声と指笛がなったのです。

 酒井被告の保釈が遅れた理由として、押尾学被告のように保釈金がネックになったわけではなく、身元引受人を誰にするかがなかなか決まらなかったからのようです。酒井にはしかるべき人がいなかったようなのです。
 まず第一には夫・高相祐一の両親ですが、高相被告も昨日保釈されており当然両親がその身元引受人だったわけです。しかし法的に両被告の身元引受人を兼ねることは出来ません。例え夫婦ではあっても共に被告人。一緒に住ませて口裏を合わせられては困るのです。
 次に継母ですが、同人はガンの宣告を受け現在入院治療中でこれも不可。するとやっばり「アヤツ」か?本来なら逃亡ほう助罪で逮捕されてしかるべき、「トミナガ」会長の富永保雄です。しかしこれが「逃げの一手」なのです。それはそうでしょう。酒井や高相は「押尾事件隠し」に利用しただけ。その押尾も保釈され、これ以上同事件は広がらないと分かっている今、何を好き好んで手を差し伸べましょうや。

 そこで酒井が最後に頼ったのは、やはり解雇されたサンミュージックだったようです。身元引受人は、酒井事件のせいで社内降格となった相澤秀禎相談役か、相澤正久副社長か。会社としては既に解雇していますから、あくまで個人としてとなります。
 事件後酒井法子は、結局サンミュージックに一切連絡していなかったようです。ただ獄中で改悛したのか、実の父以上の恩人といっていい相澤相談役にはお詫びの手紙は出したようです。結局酒井は相澤親子にすがるしかなかったのです。またサンミュージック側にも、酒井事件によるスポンサーからCM中止などで5億円もの損害賠償問題が発生しているという事情もあり、むげにも断れなかったのでしょう。

 次に酒井被告は、都内千代田区のホテル内に設けられた謝罪会見の場に姿を現しました。サンミュージックの相澤正久副社長、三枝照夫ビクター取締役会長、そして弁護人のみやび法律事務所の榊枝真一弁護士が同席しました。
 酒井は席上「このたびは一社会人として、人として、決して手を出してはいけない薬物というものに自分の弱さに負け、そして今このように世間を騒がし、多くの皆様にご迷惑をおかけしました。これまで私を支え、応援してくださった皆様には、どれほどの残念さと、私の無責任な行動に幻滅なさったことかと。今まで応援してくださった日本や海外のファンの皆様、そして今まで支えてくださったスタッフの皆様、このたびは本当に申し訳ありませんでした」と涙ながらに謝罪の言葉を述べました。

 また時折りハンカチで涙をぬぐいながら、「決して二度とこのようなことで、皆様の信頼を裏切ることはありません。この気持ちを決して忘れることなく、皆様のお気持ちに恩返しをしていきたいと思います。この罪の償いを今後どのようにして償っていくのか、まずは自分の罪を悔い改め、二度とこのような事件に手を染めることのないよう、一生の約束として固く心に誓います」と約束し、約10分間に及ぶ会見を終え、治療入院のため病院に直行しました。

 拘留中酒井被告は「捕まってよかった。そうでないとずっとクスリを止められなかった」と漏らしたそうです。今回酒井被告は心底改悛したのでしょう。会見をニュースで聞きながら、私は不覚にももらい泣きしていまいました。「罪を憎んで人を憎まず」。人は大なり小なり罪を犯します。心底悔いている人間を人は裁くことはできません。
 私は今回酒井法子を初めてしげしげと見ました。さすが若い時から歌手やタレントとして大舞台にも立ち、修羅場もくぐってきただけのことはあります。『意外と聡明だな』と感じました。しかしそんな人間をも薬物やここではとても公開出来ないような倒錯した世界に踏み込ませてしまう、芸能界という魔力の世界。まだまだいるであろう薬物疑惑タレントたち…。

 覚せい剤は常用していると、止めても体が覚えていて、完全に断ち切るのは本当に難しいといいます。いわゆる禁断症状との戦い。それが一生続くことになるようです。酒井被告もこれからそのような「自分との戦い」が続くことでしょう。
 しかし今会見を初心として、真に厚生の道を歩いていってほしいものです。出来れば保釈を目撃した30代主婦が言っていたように、「薬物撲滅のための活動」でもしていってもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)

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続・新政権の厳しい船出

 8月30日の歴史的な総選挙から半月あまり、16日ようやく民主、社民、国民新3党による鳩山連立内閣が発足しました。この間、3党間での連立協議や閣僚人事などをめぐって少しもたもたしていた感じで、折角の「政権交代」の感激も冷めかけていました。

 ともかくも17人の閣僚も決まり、鳩山内閣が発足しました。閣僚人事では蓮舫参院議員など華のある女性閣僚を多用するとか、民間人からの登用なども噂されていました。しかしいざフタを開けてみると、テレビなどで既におなじみのメンバーばかり。その意味では地味でやや新鮮味に欠ける印象はいなめません。
 しかし新閣僚の顔ぶれを改めてよく見てみますと、いずれも政策通の実力者ぞろい。オールスターといったメンバー構成で、現時点で考え得る最強の布陣という感じがします。まさに名を捨てて実を取った「仕事師内閣」といったところでしょうか。この布陣からは、鳩山新首相の「政治とこの国の仕組みを根本から変えていくぞ」という強いメッセージが読み取れるようです。

 その姿勢は、鳩山新首相の就任記者会見にも顕著に表れています。
 「総理に選出いただいた瞬間に、日本の歴史が変わるという身震いするような感激と、この国を本当の意味で国民主権の世の中に変えていかなければならない、そのためにの先頭を切って仕事をしていく強い責任もあわせて感じました」と、冒頭こう切り出しました。
 (引用が長くなりますが)続けて「まだ歴史は変わっていない。本当の意味で変わるのはこれからの私たちの仕事いかんだ。今回の選挙の勝利者は国民であり、国民の勝利を本物にしていくために、国民のための政治を作り出していく。そのために脱官僚依存の政治を今こそ世の中に問うて、実践していかなければなりません。」

 鳩山演説はさらにー。そのためには国民も共に政治に参画するという意識が必要であること。何しろ「未知との遭遇」にも等しい経験のない世界に飛び込んでいくのだから、試行錯誤し時に失敗もあるだろう。国民には寛容の心をもって辛抱強く新政権をお支え願いたい、というような内容でした。
 私は従前の官僚の作文の棒読みではない、鳩山首相自身の血の通った肉声で国民に直接話してくれたな、という印象を強くもちました。「政治家は言葉が命」とはよく言われます。しかしこれまで政治家の不誠実な言葉をずいぶん聞かされ続けてきた身には、久しぶり政治家の本心の吐露を聞いたな、という新鮮な感じがします。

 オバマ大統領の就任演説に勝るとも劣らないと思われる、今回の「名演説」にはどこもケチをつけるところはありません。ただ政治家は「言葉」とともに、その放った言葉(つまり政治公約)を着実に実行していく実行力、実現力の方が遥かに重要です。政治家なかんずく首相に求められるものは、ただ一つ「結果責任」。

 鳩山由紀夫はテレビなどを通しても、とにかく「育ちのよさ」が感じられます。それに輪をかけて「友愛」を公然と語り、また時に「宇宙人になりたいと思っているんです。地球人を超えたい」「UFOというものの存在も、頭の中では理解しています」と言ってはばからない御仁。私なら丸ごと受容出来ます。しかし一般国民、特に従来の永田町的政治風土では、どこか頼りなく青臭い政治家との印象が強かったかもしれません。
 しかしここのところの鳩山氏は顔がきりっと引き締まり、眼光鋭く、まさに「闘う男」「闘う政治家」の面目躍如という感じがします。ついつい『この男ならやってくれるんじゃないか』と期待してしまいます。

 それには国家戦略相の菅直人をはじめ、外相の岡田克也、財務相の藤井裕久、国交相の前原誠司、厚労相の長妻昭、行政刷新相の仙石由人、郵政・金融相の亀井静香など、各大臣の個人的力量と共に、鳩山首相の下一致結束して「歴史的大改革」のためのチームプレーも欠かせません。(なお閣僚ではないものの、衆院の外交委員長に決まった新党・大地の鈴木宗男が面白いと思います。おそらく外務官僚には恨み骨髄でしょうから。この際「伏魔殿」の実態を白日に曝してもらいたいものです。)

 とにかく鳩山新首相の下、これだけの強力な布陣でこの「腐り切った日本」が変わらないようなら、もうこの国は本当に「ジ・エンド」だと思います。鳩山首相も言ったように、私たち国民も政権に参画しているんだという意識のもと、寛容さをもって見守り、育て、サポートしていきたいものです。

 (大場光太郎・記)

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夕星(ゆうずつ)の歌

              サッフォー

  夕星は、
  かがやく朝が(八方に)散らしたものを
  みな(もとへ)連れかへす。
  羊をかへし、
  山羊をかへし、
  幼な子をまた 母の手に
  連れかへす。

             (呉 茂一訳)
 …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 サッフォー(「サッポー」とも) 紀元前7世紀末~紀元前6世紀初めの、レスボス島出身の古代ギリシャの女流詩人。生前から詩人として著名であり、シチリア島のシュラクサイに亡命の時期に彫像が建てられたともいう。
 後世の哲学者・プラトンはサッフォーの詩を高く評価し、サッフォーを「十番目のムーサ(詩の女神)」と讃えたといわれている。

 この詩は、高校2年の時の現代国語の教科書に載っていました。とにかくあの頃は、見る詩文、読む文学、聴く音楽…すべてが私にとって新しい啓示のように、圧倒的な感激をともなって私の心に迫ってくるような時期でした。
 それは今となっては再現しようにも再現しがたい、「青春の不思議な力」としか形容できないような不思議な感動でした。

 後世サッフォーは「女流閨秀詩人」などとも呼ばれ、官能的な詩も残しているようです。その中でこの詩は、今から2,500年以上前のレスボス島の牧歌的夕暮れの情景を、平易に歌い上げています。時代も国もまったく異なりますが、昨年記事にしました中村雨虹作詞の『夕焼け小焼け』にも共通する詩的メンタリティを感じます。

 朝つまり太陽はものを「散らし」、夕星は「連れかへす」。この対比は面白く、さすが詩人的発想だと思います。
 なお「夕星(ゆうずつ)」とは、宵の明星すなわち金星のことを指しています。どなたもご存知のとおり、夕闇迫る頃合、西の空の中ほどに一番星としてひときわ強く輝いているのが見かけられます。地上のさまは大変わりしても、「夕星」は何千年経とうといささかも変わらないわけです。

 ところで「サッフォー」を語る場合、述べておかなければならないことがあります。サッフォーの詩は頽廃(たいはい)的であるとして、古代ローマ時代から非難の的となり、特にキリスト教の隆盛と共に彼女の詩は異教的頽廃の代名詞とされ、その過程で多くの作品が失われたようです。
 非難の中にはサッフォーを貶めるため、彼女を同性愛者とするものもありました。そのため「サッフィズム」という用語が生まれ、女性同性愛者を呼ぶのに用いられました。また今日女性同性愛者を呼ぶ一般的呼称である、「レスビアン」もサッフォーがレスボス島出身であることに由来しています。

 サッフォーは故郷レスボス島にて、ある種の学校を作り、若い娘たちを生徒として文芸、音楽、舞踊をはじめとする教育を行ったようです。彼女の詩の一部はその生徒のために書かれたものもあるようです。
 しかしサッフォーの生涯自体不明な点が多く、「生徒と同性愛の関係にあった」とする説は根拠がありません。上記のようなサッフォー詩排斥の過程で生じた曲解であったようです。

 (注記) 本記事は、「フリー百科事典『ウィキペディア』の「サッポー」の項」を参考にまとめました。なお、岩波文庫『ギリシャ・ローマ抒情詩選』(呉茂一訳)中の同訳詩のタイトルは『夕星』ですが、私の記憶では『夕星の歌』として残っており、今回はそれをタイトルと致しました。

 (大場光太郎・記) 

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「9・11」とは何だったのか(5)

 結論ー私の「9・11観」

 以上に述べてきましたようなことから、私は米国政府が発表し世界中のマスコミがそれをそのまま報道してきた「定説としての9・11テロ」はでっち上げであると考えます。つまり9・11を引き起こしたのは、「アルカイダ(だけ)ではなかった」ということです。

 特にWTCに突入したとされる2機の飛行機は、民間航空機ではなかった可能性が高いと思われます。おそらく米空軍がお得意とする遠隔操作による、ミサイル搭載の自動操縦ジェット機だったのでしょう。ということは、乗っ取られたとされる2機の民間旅客機は、何らかのトリックによって行方不明になったのであり、突入した飛行機にはテロ犯人も乗客も誰一人いなかったと考えられるのです。だから同時テロで死亡したとされるモハメッド・アタら19名は全員今でも生存している可能性があります。事実同事件後数日の9月23日、英米政府とは唯一距離を置いているメディアであるBBC(英国放送協会)が「19名のうち4名は生きている」と報道、その後生存者は11名と報道し直しているのです。19名のうち11名が生きているのなら、あるいは全員そうなのでは?
 
 テロ実行犯とされる彼らは、一応イスラム教徒ではあっても特別過激派でもなく、ましてアルカイダメンバーなどではなかったようです。それにもしWTCに突っ込んだのが本当に大型旅客機だとしても、彼らは小型飛行機の講習をたった半年習っただけ。「大型機を操縦すること自体考えられない。まして特定のターゲットに突入するという高度な技術などとてもムリ」と多くの熟練民間パイロットたちは話しています。

 上記で「アルカイダ(だけ)ではなかった」としたのは、9・11を仕掛けた「謀略グループ」の中には当然アルカイダメンバーも含まれていたと思われるからです。それもとっておきの役者、ウサマ・ビィンラディンらアルカイダ主要メンバーが。彼らはこの事件においては不可欠の役者たちであったのです。
 そもそもウサマ・ビィンラディンの出たビィンラディン家はサウジアラビアの名家の一つであり、同家とブッシュ家とは父ブッシュ以来親交があったのです。多分事件の直接実行機関あるいは米国政府とウサマ・ビィンラディンとは、裏でツーカーの仲だったはずです。ビィンラディンは何しろ世紀の悪役を演じたのです。米軍による掃討作戦を装いながら、身柄は安全に保護され、相当の報酬も手にしたはずです。

 前回引用しましたサイト『911の真相とは?』の中で、イタリアのコシガ元大統領が「9・11はCIAとモサドの犯行」と大手新聞で暴露したと紹介しています。これはおそらく真実でしょう。CIAは言わずと知れた「米国情報機関」、そしてあまり聞きなれない「モサド」は「イスラエル秘密情報機関」。共に諜報機関、国際社会の暗部に切り込むことを専門とする「暗い機関」であることで共通しています。
 しかし「CIAとモサド」は、9・11の直接実行部隊のようなものであり、同事件にはさらに大掛かりな背景があると考えられます。例えばCIAは米国の一国家機関ですから、最終的に時の米国政府、つまりブッシュ政権中枢にまで行き着くのです。

 そこでいろいろ調べますと、ブッシュ政権における同事件の最大の黒幕はチェイニー副大統領であった可能性が高そうです。チェイニーは大手民間企業の役員でもあり、戦後のアフガン、イラクでは同社が莫大な利権を手に入れたと言われていますから。それにラムズフェルド元国防長官ら「ネオコン」メンバー。
 ブッシュはお飾り的なものだったと思われます。かと言ってブッシュが9・11を事前に知っていたことは確実で、世紀の大犯罪の首謀者の一人であったことの責任は免れません。

 ブッシュ政権の背後には、さらにロックフェラーなどのユダヤ系財閥が控えています。特にイラク侵攻は、石油利権などの他に、イスラエル共和国にとっての最大の脅威を取り除くという目的もあったことを忘れてはいけません。なおユダヤ系としてはもう一つロスチャイルドという巨大財閥がありますが、同財閥はどちらかというと民主党寄り、したがって9・11への直接的関与はなかったかもしれません。
 その他FBI、FEMA、NY市(特に当時のジュリアーニ市長)、CNN、ABC、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなど、国家機関、民間企業を問わず、実に多くの各機関が直接的間接的に関与していたはずです。まさにアメリカ合衆国そのものの「国家的大犯罪」との感を深くします。

 最後に9・11の隠れた目的としてー。人類に「圧倒的な恐怖を与えること」という目的があったようです。実は、これこそが真の目的であったのかもしれないのです。以前の『喜びのタネをまこう(2)』記事をお読みの方はお分かりかと思いますが、恐怖、不安、心配、疑念、憎悪などは人間の意識レベルを著しく低下させます。
 あの当時、人類総体として「意識レベルの向上」はめざましいものがあったようです。困るのが、有史以来人類を陰からコントロールしてきた「非物質的存在たち」です。人類のレベルを一定以下に抑えておかないと、自分たちのコントロールが不可能になるからです。そこで「彼ら」の操り人形であるブッシュやチェイニーらを操って、WTC崩壊という「Oh my God !」的恐怖の出来事を演出させたわけです。

 それに人類が吐き出す恐怖などのネガティヴ感情は、(信じられないかもしれませんが)「暗黒勢力(非物質的存在)」にとって格好の「食料源」でもあるのです。あの時世界中でどれだけ膨大な量のマイナス感情が吐き出され、「彼ら」に供給されたことでしょう。

 米国政府→ユダヤ系財閥→イルミナティ(結社)→レプティリアン(爬虫類人)+暗黒勢力奥の院(低位アストラル階層の非物質的存在)

 9・11から10年目で起きた「3・11」にみられるように、「彼ら」の日本と世界に対するラスト・アタックが熾烈を極めています。
 2012年12月22日以降、地球はパラレルワールドに分化していくようです。彼らに完全に乗っ取られ、終いには生命の息吹がまるで感じられない「死に絶えた地球」と。もう一つはアセンションを果たして、暗黒勢力などどこにも存在しない「真の平和な地球」と。
 私たちはどちらを選択するのでしょうか。憎悪、不安、闘争、絶望か。受容、協調、喜び、平和か。
 光か闇か。すべては一人ひとりの意識レベルにかかっています。  - 完 -

【注記】結論部は、11年9月11日トップ面再掲載に当り書き替えました。

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(4)

 何といっても「WTC崩壊」は9・11全体を象徴するような出来事でした。果たしてそれは、本当に米国政府発表のように2機の旅客機突入テロによるものだったのか、それとも何か別の要因が働いた結果だったのか。それ次第では、9・11という「アメリカ同時多発テロ事件」の結論が180度変わってきてしまいます。

 ここまでお読みいただいてお分かりかと存じますが、当ブログでは徹頭徹尾「9・11謀略説」という立場を取っております。主要メディアが垂れ流し続け今や全世界的定説になっている、米国政府見解をただなそるだけではつまりませんし、第一ナンセンスですから。
 そこで今回は「WTC崩壊」に的を絞って、「謀略説」を裏付けるような事例をどっさりご紹介してみようと思います。なおそれについては『911の真相とは?』というサイトが、箇条書きで要点をよくまとめています。そこで同サイトなどを参考に致しました。

 まずは(事前の不思議な動き)についてです。

1 9・11の前週、アメリカン航空とユナイテット航空(9・11には両社の旅客機が使用されたとされる)の株取引が、それまでの「12倍」にもはね上がっていた。
2 CIA関連会社が事前にアメリカン航空などの株を空売りしていた。一番儲けたのは、これもユダヤ系財閥であるモルガン・スタンレー。
3 WTCの低階層のビルメンテナンスをしていた者の証言では、事件の何日か前その階の四隅に何かの装置のようなものを取り付けている男たちを目撃した。(ひょとして起爆装置?チェック厳しい同ビルにアルカイダメンバーが事前に侵入するなどは不可能。)
4 事件数日前、WTC内から多数の荷物が運び出されている。
5 ツインビルと共に「謎の崩壊」を遂げた第7ビルを含め、あるオーナーがWTCを7週間前に買い取り、事件前に多額の保険金を掛けていた。

 そしていよいよ、9・11当日の数々の疑惑についてです。

1 元WTC管理人の証言。1機目が北棟に衝突する6秒前に「地下で」爆発音があった。
2 同元保全責任者(ウィリアム・ロドリゲス)の証言。強い衝撃を受けたと思ったら館内放送で「65階がやられた」と告げられ、この爆発で65階から44階が崩れ落ちた。実際に旅客機が突入したのは100階付近である。
3 救助に駆けつけた消防士たちは、ビル解体時のような数回の爆発音をビルの内外で聞いている。その数は22名にも及ぶ。
4 ニューヨーク消防署の主任放火調査官は、事件翌日の12日のテレビインタビューで、内部からの爆発がWTCを崩壊させたと証言した。
5 1機目の航空機は7:45ボストン発のアメリカン航空11便(B767)と言われているが、最初に目撃した女性によると小さなプライベート・ジェットだったと証言している。
6 2機目の航空機がWTCに突入するよりわずかに早く、同じビルの反対側が爆発を起こしている。
7 南棟に突っ込んだのはユナイテッド157便だと言われているが、民間航空機なのに窓がなく他の航空機と入れ替わっていると、米空軍に30年いた軍人や民間航空機のパイロットが証言している。
8 南棟に突入した航空機の胴体下部に不審な物体が取り付けられている。これは「劣化ウラン弾」ではないかとするリポートもある。また突入寸前をスローモーションで見ると謎の閃光が見られるが、ミサイルが打ち込まれたのではないかという説もある。
9 近くの大学の地震計が、それぞれのビルの崩壊の8秒から10秒前に揺れを観測している。そして本来なら残骸が地面に落下した瞬間に最大値を記録するはずなのに、倒壊が始まる瞬間に記録された衝撃の方が、倒壊した時のものより20倍以上大きかった。
10 鉄が溶解するには1600℃が必要だが、ジェット燃料ではせいぜい800℃にしかならない。過去に鉄骨高層ビルが火災で崩壊したことはない。
11 WTCビル崩壊の時、一瞬早くビルの真ん中で爆発が起きている。
12 ツインタワーとは数ブロック離れている47階のWTC第7ビルが、航空機が突っ込んでもいないのに8時間後になぜか崩壊した。周辺で崩壊したのはこのビルだけである。このビルから飛行機をリモートコントロールしていた疑いがある。実際23階にはジュリアーニNY市長(当時)の「緊急事態指令センター」があった。このビルのあまりにも不可解な崩壊については公式発表で無視され、マスコミも報道しようとしない。
13 崩壊した3つのビルはいずれも、通常のビル解体時に見られるような現象を示している。まっすぐ下に自由落下しており、そのようすから多くの解体業者が「ビル解体とまったく同じだ」と述べている。

 以上列記しました事例をお読みになり、どうお思いになりましたでしょうか?私は「ねっ。だから絶対“謀略説”でしょ」などと強要するつもりはありません。本シリーズ次回はいよいよ結論としたいと思いますが、それも含めまして、ご判断はお一人お一人に委ねたいと思います。  (以下次回につづく)

 (注記) 参考にしました、『911の真相は?』のアドレスは下記のとおりです。
        http://rose.eek.jp/911/

 (大場光太郎・記) 

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「9・11」とは何だったのか(3)

 「9・11」が起こった2001年の12月、東京都内の小さなグループが隔月で出している、『森のたより』という10ページ強の会報が私のもとに届きました。同会報は通常は時事的なことは扱っていませんでしたが、その時に限って会の代表の文章の中で9・11に触れていました。
 それは米国在住の米国通の邦人ジャーナリストのリポートを紹介したものでした。それによりますと、旅客機に突入され崩壊したWTCにはユダヤ系財閥のロックフェラー系企業も入っており、同社社員だけでも相当の数が同ビルで勤務していたわけです。しかし同社社員に対して、「9月11日は出社せず自宅待機しているように」という通知文が事前に届けられていたというのです。

 これは驚くべき情報です。もしこれが本当なら、犯行グループとされるアルカイダしか知りえないはずの「テロ決行日」を、ロックフェラー系企業幹部が事前にキャッチしていたことになるからです。ロックフェラーといえば時々の米国政府を裏からコントロールしている「陰の政府」的存在で、本当は民主党のゴア候補に負けていた共和党のブッシュに「戦争を起こすこと」を約束させて大統領の座に就かせたとも言われているし…。
 ということは、ブッシュ政権そのものが、当日何が起きるのかを事前に知っていたのではあるまいか?

 ともあれユダヤ系企業ですから、同社に占めるユダヤ人の数も多かったものと推測されます。しかしWTC崩壊による犠牲者数2,752名のうちユダヤ人の死者数はわずかに3名だけです。ちなみに日本人の死者数が24名ですから、その少なさは際立っており、同情報が事実であることを裏づけているのではないでしょうか?

 私は9・11以前から、表の米国史では決して語られることのない、建国以来の「裏面史」を多少知っていましたので、当初から米国政府による公式発表にはどうにも腑に落ちないものを感じていました。同事件以後のブッシュ人気の沸騰ぶり、手際よすぎるアフガン侵攻など、まるで米国に、ブッシュ政権に有利な方向に事が運びすぎている…。
 『なるほど、こういうことだったのか ! 』。私はその会報によって、同事件の真相に迫る大きな手がかりを得た感じがしました。

 その後年が明けて事件が一段落し、世情がようやく落ち着きを取り戻した頃から、書店には9・11の真相を暴いた内容の書籍も出るようになりました。私がパソコンを備えインターネットに接続したのは‘03年頃からでしたが、グーグルで「9・11の真相」などで検索してみますと、関連情報があるわあるわ。
 インターネットもご多分に漏れず、元はと言えば米国の軍事利用の一環として開発が始められたものです。しかしそれは当初の軍事利用目的など遥かに飛び越えて、パソコンの普及と共に世界中をあっという間にネットワーク化し、世界各地の各家庭にまでネット情報がダイレクトに届くことになりました。
 さすがに米国政府も「陰の政府」も、世界中の主要メディアはコントロール出来てもインターネットはもはや規制し切れない状況になっていったのです。

 もちろん中には米国政府発表の筋書きをなぞっただけのサイトもありました。しかしそれに異を唱えるサイトの方が圧倒的に多いことにはびっくりさせられました。米本国はもとより先進諸国の学者、科学者、ジャーナリスト、研究家などからも、「米政府の発表はおかしい」という異論が事件発生当初から上がっていたようなのです。
 例えばー。当初から「旅客機が突入したくらいでWTCがあんなに簡単に崩落するはずがない」と、強く主張していた人がいます。他でもない、わが国の日本鋼管(当時呼称)に所属していた人です。わが国の優秀な鉄鋼技術を見込まれて、1966年の同ビル建造に当たっては同社製の鉄骨部材が使用されたのです。

 実は、高層ビルへの飛行機突入は過去に前例があったのです。1945年7月28日あのエンパイアーステート・ビルの79階にB25爆撃機が衝突し火災が発生、14名の死者が出たという出来事です。当日はニューヨーク全市に濃霧がたちこめ、そのため方向を誤ったがための事故と見られています。
 そういうことが既に教訓としてあり、WTCという超高層(両棟とも110階、最長高411m)の鉄骨部材は、たとえどんな大型機が突入しても崩落しないような強度を持つ部材として設計、製造したもの。だから当時主任の立場だったその人は技術者としてのプライドと同社のブランドに賭けて、「絶対あり得ない」と断言したのです。
 しかしこのような異論、反論が起きても、広く知られることはありませんでした。世界中の主要メディアが無視、封殺して、そのような「不都合な真実」は決して取り上げないからなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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二木紘三のうた物語(6)

 今回のこの記事をお読みの方は、『二木紘三のうた物語』というサイトをご存知の方も多いことと思われます。あるいは「ご存知」などというレベルを通り越して、「『うた物語』なしでは夜も日も明けぬ」くらい病みつきの方もおられることでしょう。

 さて私は昨年末の(5)記事で述べましたように、『うた物語』コメントから完全に撤退するつもりでした。そして事実4、5ヶ月はほとんどコメントしませんでした。しかし同サイトそしてコメントの行方はやはり気になるのです。
 かといってコメントする立場から離れてしまうと、以前ほど他人様のコメントは注意して読まなくなるものです。特に毎日のようにコメントを繰り返す人のものは、『またアンタかい。いい加減ウザッタイんだよ』と嫌気がさして、ハナから読む気にもなりません。けっこうなご年配の人が、よくもまあ臆面もなく「愚にもつかない」コメントを毎日2つも3つも出来るものです。よほどの「おひまびと」なのでしょうが、その常人離れした神経にはただただ驚くばかりです。(しかし振り返ってみますと、私自身も多少そういう傾向があったわけで大いに反省すべきところです。)

 しかしポイントとなるコメントには目を通していたつもりです。そんな折りの5月上旬、以前私がコメントしたものについて感想を述べられた方がおられました。それは同サイトコメントの「カラオケ大会化」を憂いておられるようで、私に『何とか元に戻してもらえまいか?』というSOSのシグナルのように感じられました。
 私は『多くの方もそうお感じなのでは?』と早合点してしまい、以後今度は「Lemuria(レムリア)」というハンドルネームで定期的にコメントし今日に到ったような次第です。

 その間4ヶ月余ほど。率直に申しますと、昨年末の時点で感じました時より今回はさらに「手応え」が感じられませんでした。初代の人そしてそれを受け継いだ2代目による、短コメント連発式の「カラオケ大会方式」がすっかり定着し、私のような堅いコメントは敬遠されがちになっていたようなのです。
 私は自身がコメントを始めた頃から比べてすっかりさま変わりしてしまったなあ、という違和感を感じるばかりです。しかしそれでご満足の方もけっこう多いようなのです。

 「カラオケ大会」とは、もっとあけすけに申せば、「お年寄りカラオケ大会」ということです。そうなのです。私が今回特に感じたのは、うた物語はしょせん「お年寄りブログ」なんだなということなのです。
 それらの方々は年齢的にも仕事をリタイアされ、年金や貯金でこの不景気にもさほどお困りではない。そして一日一日をどう過ごそうかと思うほど、余暇がたっぷりある。そういう方々が多いわけです。そこでまずは近くのカラオケやパチンコで暇つぶし。いやそんなカネのかかるめんどくさいことも省略して、パソコンの前に日がな一日座って『うた物語』サイトとにらめっこ。都合のよいことに同サイトには、昔懐かしい「懐メロ」がどっさり収録してあるし…。

 そういうことは、ご同好の方々のコメントからも十分うかがえます。ほぼすべての方のコメントが「過去」と「現在」についてのもの、将来展望や将来ビジョンを述べたものは滅多にありません。もっとも同サイトコメントの趣旨の一つが「歌にまつわる思い出など」ですから、致し方ない面もあることはありますが。

   大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大
   そして威力の霊感を受ける限り、
   人の若さは失われない。   (サミュエル・ウルマン『青春』より)

 私が「お年寄り」という時、何も肉体年齢のことだけを申しているのではありません。「心の中の実年齢」を指して言っています。現に齢80歳を過ぎても、十分若々しい「青年」のような方もおられるわけですから。(逆もまたあります。)
 現役時代からしみついた本音隠して建前だけで。一人が何かの歌にコメントすると右ならえで続けてぞろぞろと…。この国の国民性の一端を垣間見る思いです。そういう事なかれ主義が「お年寄り」の「カラオケ方式」の一例だと思うのです。そこには革新性も若々しさもまったく感じられません。ましてインスピレーションを得ることなどまず期待できません。
 
 「お年寄り状態」を何より厭(いと)う「反逆児」たる私は、今回も多少「ショック療法」のつもりで、少し踏み込んだコメントも幾つかさせていただきました。しかしそれは当ブログでこれまで述べてきた内容を、落とし薄めたものです。それでも「お年寄り」にはダメなんですねぇ。「精神的その日暮らし」が脅かされそうで、断固受け入れたくないしとにかく目障りなわけです。なんだかんだ言っても、今のぬるま湯が一番。この安穏な現状がいつまでも続くと幻想しているのです。だから本当の意味での変化(チェンジ)など、まるで望んでおられないのです。
 一体これらの方々は、(何度も繰り返しますが)史上かつてない重要な「今この時」を、ただパソコンの前に座して死を待つおつもりなのでしょうか?

  私はそんな方々によって、『うた物語』コメントから永久追放されることになるのでしょう。そして大変申し訳ない物言いながら、私もそんなご同好の方々にはとことん嫌気がさしつつあります。

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(2)

 イラクのフセイン政権はテロ組織アルカイダとつながっている、大量破壊兵器を所有している疑いがあるという名目のもと、やっとこさこじつけた国連第1441条決議あたりを錦の御旗として、アメリカはイギリス、オーストラリアなど多くの同盟国に呼びかけて連合軍を組織し、2004年3月19日イラク侵攻を開始しました。(小泉政権下のわが国もサマワに自衛隊を派遣)。ここでも彼我の戦力の差は歴然で、同年5月には首都バグダットを陥落し、フセイン政権の崩壊に成功しました。
 その後逃亡していたフセイン大統領も見つけ出し逮捕、米国傀儡の新政権を樹立するなど、ここまではブッシュ政権の思惑通りに事が進みました。

 しかしその頃からシナリオが少しずつ狂い始めていきました。大義名分だった大量破壊兵器はいくら捜しても発見出来ず、終いには「もともと存在しなかった」と認めざるを得ず、またアルカイダとのつながりを示す根拠も見つからなかったのです。
 また厄介なことに、イラク正規軍との戦闘には勝利したものの、同軍は地下に潜ってゲリラ化し、他国からテロ組織メンバーも続々入国、民衆の一部も武装化して各地で自爆テロなどが頻発するようになり、イラク国内の治安は悪化の一途をたどりました。
 さらには米軍自体にも、強制収容所におけるイラク人捕虜への虐待が明るみに出て、国際社会の非難を浴びることとなりました。同盟諸国でも同戦争を疑問視する世論が上がり始め、イラクから軍を撤退する国が相次ぎました。

 ここでイラク戦争における「情報操作」の一例をご紹介したいと思います。
 イラク戦争では、「エンベディト・ジャーナリスト」という新しい種類の記者が誕生しました。これは米軍と生活を共にしながら一緒に行動し、戦場にも出かけてそこからリポートするという記者のことを指します。読者や視聴者は、生の情報だからこの新タイプの記者の記事は絶対間違いないと思い込まされたわけです。しかし実際は、軍隊と一緒に行動している記者の動向を軍の司令部は一部始終把握しており、不都合なところは一切取材させなかったのです。
 翻って、米軍と行動を共にしないフリージャーナリストも大勢いました。彼らはどうなったのでしょう。多くのフリーの記者は米軍によって撃ち殺されたのです。それを米軍は、イラクの武装勢力の攻撃による不慮の死として発表しました。彼らはなぜ殺されたのか、理由は明白です。都合の悪い報道をされたくなかったからです。

 もう一つ。同戦争では、当時19歳の可愛らしい女性兵士が奇跡的に救出されたとして、そのようすがマスコミで報道され、彼女は一躍アメリカ中のスーパーヒロインに祭り上げられた出来事がありました。彼女はイラク兵に撃たれて、歩行も出来ないほどボロボロになっていたところを、間一髪米軍に救出されたという感動的ストーリーでした。
 しかし真相は、彼女は一発も撃たれていなかったのです。その怪我は交通事故による大たい骨骨折などだったのです。それを国民向けの美談に仕立て上げたかった米軍は、事故で負傷した彼女がいる病院を徹底的に攻撃する場面を演出、実行しました。だがその病院には敵、つまりイラク兵は一人もいなかったのです。だから彼女を治療していたイラク人医師たちは、突然の米軍の闖入(ちんにゅう)に唖然呆然…。
 なおこの演出を手伝ったのは、『ブラックホーク・ダウン』という戦争映画を撮ったことのあるリドリー・スコットという映画監督だそうです。

 だいぶ「9・11」から逸れて、同事件後イラク戦争までを見てきました。これは他でもありません。9・11以降のブッシュ米国政府のやってきたことが、いかに欺瞞に満ちたものだったかを確認したかったからです。しかし考えて見ますと、一時期全世界が「アメリカ一極支配」状態になったそもそもの原点は、やはり9・11です。
 次回はまた9・11に戻って、同事件における「欺瞞」や「謎」を少し探ってみたいと思います。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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「9・11」とは何だったのか(1)

 9月11日は、「9・11テロ」(アメリカ同時多発テロ事件)が起こった日です。起きたのは2001年でしたから、早いものであれから満8年が経ったわけです。衝撃的な事件であっても、これだけの年月が経過しますと少しずつ事件の記憶も薄められつつあるようです。
 そこで本シリーズでは、今この時点で改めて「9・11とは何だったのか」ということについて考えてみたいと思います。あれだけの世紀的大事件です。本来は私ごとき者が扱える「素材」ではありません。しかし無謀にも敢えて試みようと思います。足らざる点また独断的解釈の段、予めご容赦くださいますようお願い申し上げます。

 同事件は発生とほぼ同時くらいに、CNNなどのメディアを通して、全米中はおろか全世界にその衝撃的な映像が流され続けました。
 私たちはそのようにしてニューヨーク市のWTC(世界貿易センター)のツインタワーの北棟への大型旅客機突入後のようす、続いて南棟への2機目の突入のようす、そしてとどめは両棟が続けざまに丸ごと崩落、崩壊していく衝撃的なようすをリアルタイムで見守ったわけです。それは例えとして不適切かも分かりませんが、まるで『タワーリングインフェルノ』や『ダイハード』といった大カタストロフィー(大破局)タイプのハリウッド映画さながらの“劇場型事件”でもありました。

 事件後しばらくは同事件のことが、イヤというほど連日集中的に報道されました。ですからWTCやペンタゴン(米国国防総省)に突入した、同多発テロ事件のおおよその全貌はどなたもご存知のことと思います。しかし私たちが9・11について知っていることのすべては、米国政府の公式発表、あるいはその大きな規制の下で流された世界中の主要メディアを通してのものです。
 米国政府は「待ってました ! 」とばかりに事件後いち早く、同事件はイスラム過激派「アルカイダ」の犯行と断定しました。WTCに自分が操縦する旅客機もろ共突っ込み自爆した(と言われる)、モハメット・アタ容疑者ら10数名による犯行だったといち早く断定したのです。

 一体何が起こったのか訳が分からない、アメリカの一般国民そして全世界の人々は、当初からメディアが流し続ける米国政府による「プロパガンダ放送」を真に受けました。
 同年1月に就任後、民主党のゴア候補と争った大統領選での不正疑惑などもあり、支持率が30%台という不人気に喘いでいたジョージ・ブッシュでした。しかし事件後は、「テロに屈することなく国民一丸となってこの試練を乗り切ろう」式の訴えをしたことにより、米国民の間にかつてないほどの愛国心、ナショナリズムが醸成され、ブッシュは一躍救国的大統領として何と支持率80%台にまで急上昇したのです。

 そしてご丁寧にも、ブッシュ政権に取って何とも好都合な頃合を見計らって、アルカイダの首魁であるウサマ・ビンラディン容疑者の犯行声明ビデオあるいは同予告ビデオが出てくるはで…。
 「世界が変わった日」である9・11はまた「世界が騙された日」でもある(と私は考えおります)とおり、世界中が丸ごとすっかりその気にさせられてしまいました。
 こうして世界中から「対テロ戦争」という大義名分を得、なおかつ国連決議という天下のお墨付きも得た米国政府は、テロから一ヶ月ほどという短期間で、(実は前のクリントン政権時代から共和党が密かに計画を練り上げていた)アフガニスタン侵攻を開始したのでした。

 「不朽の自由作戦」という、米国民にとっては涙が止まらなかったであろう美しいスローガンの下、アフガン侵攻は断行され、ここが「軍需産業製造の最新兵器の10年分の使い時」とばかりに、クラスター爆弾やバンカーバスターやら何やらアフガンの大地や住宅地に雨あられ。元々米国の比ではないタリバン勢力はあっという間に蹴散らされました。元凶のアルカイダもパキスタン国境の森林地帯に追い詰め、しかしなぜか首魁のビンラディン一味だけはどうしても捕まらない…。
 こうしてまんまと、アタガン領土の実質的統治権と天然資源利権を手に入れることに成功したブッシュ政権は、次に父ブッシュ以来の念願であるイラク侵攻に照準を定めたのでした。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(14)

 8月31日夜押尾学被告が釈放されてから、一週間以上が経ちました。身元引受人である実父の多摩市内の某マンションで、しおらしく亡くなった田中香織さんの供養をしているのかと思いきや。5日土曜日銀座のゲイバー「G」に、押尾と思しき人物がパチンコ店経営のY氏(保釈金を出したのとは別人)らと入っていったそうです。何でも同店は座っただけで5万円というような超高い店とか。押尾らはここのVIPルームで、明け方までドンチャン騒ぎをしていたというのです。
 派手に「出所祝い」を、と言ったところでしょうか。押尾自身といい怪しげな取り巻きといい、何とも懲りない面々です。

 ところで押尾被告のMDMA使用という軽微な罪だけを裁く、麻薬取締法違反事件の初公判が10月23日に決まりました。その頃合を見計らったように警視庁麻布警察署は、六本木ヒルズレジデンスで変死体で発見された田中さんについての捜査を打ち切る決定をしました。これで、押尾に対する「保護責任者遺棄致死容疑」での再逮捕の可能性は完全に消えたわけです。
 『やっぱり麻布署はグルだったんだな』。この事件に関心を持つ多くの国民は、きっとそう思ったに違いありません。

 とにかくこの事件について所轄の赤坂警察署は当初から「事件性なし」として、ロクに捜査も行ってきませんでした。押尾は逮捕後の取調べの過程で、事件の核心に迫るようなことを供述していた可能性があります。それらも含めて麻布署は事件の真相をすべて隠蔽し、終わりにしてしまったのです。
 警視庁特に赤坂署のやり口を見ていると、警察官僚上がりの自民党議員、同党大物議員、一部財界人のみならず闇社会などとのズブズブの関係を、自らが世間にさらけ出したかっこうです。
 この決定に対して到底納得できない田中さんの遺族は、民事訴訟の訴えを起こして徹底的に押尾被告側と対決していく姿勢のようです。遺族感情としては当然ですが、その過程でこの事件の真相にどこまで迫れるのでしょうか?大いに期待したいところですが、「関係者」と「取締り当局」がズブズブである以上、甚だ望み薄と言わざるをえません。

 その後事件当日の新情報が洩れ伝わってきています。押尾は六本木ヒルズレジデンス(B棟2307号)に生前の田中さんを一人残したまま、野口美佳借主の別の部屋に向かったようです。そこには「友だち」の森元総理の長男や別の大物政治家の息子らがいたというのです。その部屋でしばらく「ヤク」に耽りすっかり出来上がった頃合、押尾はセックス目的で田中さんが待つ問題の部屋に戻ったようです。
 その時田中さんは既にMADA1錠を飲んでいたのでしょう。当初押尾は「死人に口なし」で、「田中さんから進められて飲んだ」と供述していましたが、事実は逆で押尾から田中さんに渡したのだと思われます。というのも、押尾は直前渡米履歴がありそうだからです。MDMAは米国から持ち込んだ可能性があるのです。米国の合成麻薬は粗悪品も多く、田中さんはそのせいで、押尾と飲んだ2錠目で容態が急変し死に到った可能性があります。

 森元総理の長男・祐喜は、今やこの事件の「陰の常連」といった感じですが、ヒルズの各部屋をフリーパスで使わせてもらえるほどツーカーだったわけです。森祐喜は、これももう一つの「魔窟」で、「疑惑タレント」たちも大勢出入りしている東京西麻布のクラブ「alife(エーライフ)」の常連で、以前から押尾とは大の友だちだったようです。押尾は取り調べの過程で、祐喜に関する何らかの証言をした可能性があり、そのため先月末頃「森祐喜が逮捕される」という情報も流れたようです。
 以上、「魔界都市東京」のほんのさわりをお伝え致しました。

 (大場光太郎・記)

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荒海や

            松尾 芭蕉

   荒海や佐渡に横たふ天の川     
                
  …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 「奥の細道紀行」を続けていた松尾芭蕉は、元禄2年旧暦7月4日(新暦8月23日頃)夜越後の国の出雲崎(いずもざき・現新潟県三島郡出雲崎町)にやってきました。この句は出雲崎で宿をとっていた時に詠まれたものです。

 一読雄大な感にうたれる名句です。夜更けに出雲崎のとある浜辺に立つ芭蕉の姿。荒れて波浪逆巻く日本海。その遥か先に望まれる佐渡が島。そして佐渡と言わず中天を覆わんばかりの天の川の輝きなどが現前されてきそうな句です。
 これほどの大景を詠みきった句は、古今稀なのではないでしょうか。俳句という超短詩形でも時としてこのような大景も詠めてしまうのだ、という証明のような句です。

 それを可能にしているのは、まず何といっても「天の川」という季語です。天の川は、「月」「星月夜」などと並んで秋の季語です。秋冷の候は大気が澄んで、月や星が特にくっきり冴え冴えと輝いて見えることから、ずいぶん昔にそう定められたものと思われます。(念のため申し添えておきますが、昔々は夜間照明などほとんどなかったのです。夜空の星々の輝度はいかばかりだったでしょう。)
 わずか「5、7、5」の17音だけでこれだけ大きな世界を描き出すには、「季語の力」が不可欠です。天の川という季語を一つ置くだけで、多言を要せずとも、万葉集、古今集の昔から日本人が共有してきたイメージが浮かび上がってくるからです。
 次いで「荒海や」と冒頭に、「海」という大自然を持ってきたことも大きいと思います。そして芭蕉の立ち位置から「佐渡」までの遥かな距離感。深遠な「芭蕉的天地観」の表明のような句であると思います。

 実際はどうであれ、一般の日本人にとって、日が昇る太平洋は「陽の海」片や日が沈む日本海は「陰の海」という通念があります。それは昔から、山陽に対する山陰また表日本に対する裏日本などという呼び方にも表われています。
 そして芭蕉は、陽の季節といってもいい春から夏にかけて太平洋沿いを北上し、陰の季節の秋から冬にかけて今度は日本海側を南下しています。それは偶然の巡り合わせだったのでしょうが、芭蕉が今身を置いている場所の風土性、季節、気候などが相俟(あいま)って、このような類稀な名句が生まれたのではと独断ながら考えます。

 ところで後世の読者たる私たちは、この句は上記のように浜辺に実際に立って詠んだものだろうと考えがちです。それほどこの句は「写生的真」に迫っています。しかし実際は違っていたようです。その謂れを少し述べますが、まずは「おくのほそ道」の芭蕉自身の文をー
<越後路>
 酒田の余波(なごり)日を重ねて、北陸道の雲に望(のぞむ)。遥々(えうえう)のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百三十里と聞(きく)。鼠(ねず)の関をこゆれば、越後の地に歩行(あゆみ)を改(あらため)て、越中の国一ぶりの関に到る。此間(このかん)九日(ここのか)、暑湿の労に神(しん)をなやまし、病(やまい)起こりて事をしるさず。
   文月や六日(むいか)も常の夜には似ず
   荒海や佐渡によこたふ天河

 奥の細道紀行に同行した曽良(そら)の日記(『曽良日記』)によりますと、鼠が関辺りからずっと雨が続いていたようなのです。「暑湿の労」とあるようにそれに残暑も加わり、早や晩年を迎えていた芭蕉には何ともこたえる道中だったようです。そのため「神をなやまし、病おこりて」、普段は筆まめな芭蕉も「事をしるさず」というほどすっかり体調を崩していたようです。
 そしてこれを記している旧7月6日の夜も大雨、我が病重し。そんな中で「あヽあしたの七夕は見られないに違いない」という詠嘆を潜ませた前の句とともに、「荒海や」の句は詠まれたのです。

 そのイマジネーション恐るべし。さすが芭蕉ならではですが、遥か後世の誰かが言った「文学上の真」というようなことをつい考えてしまいます。

 (注記) 冒頭句は、岩波文庫『おくのほそ道』と角川文庫『俳句歳時記・秋の部』を参考に、私独自の表記をしております。ご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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夢の話(2)

 昨年7月以来の「夢の話」です。私はほぼ毎晩といってよいほど夢を見ています。夢見の最中(いわゆる「レム睡眠」中)は夢を見ていることが分かっているのです。しかし目が覚めてみるともういけません。せっかく見た貴重な夢は脈絡を失い、急速に忘却の彼方に消えていってしまい、わずかに夢の断片が残っているのみ。
 見る夢は日常生活の延長のような雑夢も確かにあります。いやその方が多いかもしれません。しかし時として『えっ。オレってけっこう凄いじゃん ! 』と思われるような奇想天外な冒険譚の夢もまたあるのです。そんな貴重な夢に限って、目覚めとともに忘却の彼方とは…。本当に宝石が粉々に砕け散ってしまったような愛惜を感じることがままあります。

 これは、記銘ー保持ー想起という三つの記憶機能のいずれかが衰えてきていることの表れだろうか。それとも最近は夢にさほど関心をはらっていないからなのだろうか。そういえば40代前半のある時期、夢に関心を持ったことがあります。その頃はとにかく忘れまいと、目覚めに何度も見た夢を反芻し、なるべく早い段階で「夢ノート」に記録したりしていました。
 これは意外と時間がかかり面倒でそのうち止めてしまいましたが、夢に関心を持っていた頃は、そんな私のリクエストに応えるようにずいぶん鮮明な夢も見たものです。しかし関心が薄れていくとともに、夢は次第にぼけたものになっていきました。
                          *
 今回久しぶりで「夢の話」を持ち出したのは他でもない、5日の明け方とっておきの夢を見たからなのです。といっても、例によって夢の一部始終を覚えているわけではなく、夢の最後のシーンだけです。それはー。

 …長い夢の末に、私はとあるビルを上階に昇って、多分4、5階のある一室に入って行きました。その部屋には私の他にもう一人、私より若い男がいたようです。部屋の窓は、上から下まで一面の総ガラス窓です。私は窓辺に寄って外のようすをうかがいます。夕方のようです。なぜか周りにビルなどの建物はなく、一面少しグレーがかった空の色です。(私は「カラーの夢」はめったに見ないのです。)
 すると窓外の左下の方に、何やらプカプカ浮いている小さな黒い物体が認められます。『何だろう?』とよく見ると、何と円盤型のUFOなのです。それはオードブル用の大皿に丸くいっぱい盛り付けしたくらいの大きさでした。上と下に2機見えています。
 その夢とともに目が覚めたのでした。

 私は夢の中でさほど驚きもしていなかったようです。しかしUFOは実物はもちろん、今まで夢の中でも見たことはありません。さすがに「UFOの初夢」が気になって、後でそれが意味するものを調べてみました。当たったのは我が家に3冊ほどあったはずの夢関連の本の1冊です。(他の本は見つからず)その本の夢解釈の「UFOの項」を抜粋してみますと概略ー
 「 UFOには超常世界からの使者としての意味があり、不思議を体験することで現実を乗り越えようという心理が強く働いている。人智を越えた存在という点では、神の代役をなすものと考えてもよい。宇宙船には、良くも悪しくも飛躍という意味がある。」
というように述べられています。
 UFOの夢はまた「霊夢」の可能性が高く、夢見後も気になって仕方がない夢もまた霊夢である可能性があるようです。この夢に関して私自身まだ十分な夢解釈が出来ていません。
                         *
 UFOの夢のついでとしてー。時おりしも、今度新しくわが国のファーストレディとなる(鳩山由紀夫の奥方の)鳩山幸(はとやま・みゆき-66)の、「UFOに乗って金星に行ったことがある」という話などが、最近海外のメディアに大きく取り上げられたようです。鳩山由紀夫もかつて、政治家に似つかわしくない言動から「宇宙人」と呼ばれました。幸婦人は更に輪をかけた宇宙人だったわけです。
 しかしこのぶっ飛びそうな発言を、海外メディアからは意外にも「変革の象徴」などと好意的に受け止められているようです。これは、今やUFOは世界的なコンセンサスとなりつつあることの証明と思われ、私個人としては大変喜ばしいことと考えます。

 幸さんのこの話は少し補足が必要です。出どころは幸さんが昨年出版した『私が出あった世にも不思議な出来事』(共著)です(売り切れで入手出来ず)。その中で「眠っている間、私の魂が三角形のUFOに乗り、金星に行った。とても美しく、緑でいっぱいだった」という趣旨の内容を紹介したものだったようです。
 当ブログでも今年6月の『UFO記念日(2)』記事で、横尾忠則らの同様の出来事を紹介しました。「私の魂が」というのは正確には「私のアストラル体が」とするべきで、同記事で触れました「アストラルトリップ(幽体離脱)」を指すものと思われます。

 現在の天文学で解明されている金星は、2、300℃の灼熱で高温ガスに覆われた惑星で、とても生命体が住める環境ではないという結論です。しかし実は、それが「3次元天文学」の浅はかなところなのです。
 幸さんたちに共通しているのは「アストラル体で行った」ということです。つまり金星の真の姿は、肉体よりも高次元の精妙体で行かないと分からない、見えない世界なのです。(そういう体は、時間空間をいとも簡単に超えられるのです。)
 ちなみに金星を初めとする太陽系の諸惑星は、地球以外は既に「アセンション(次元上昇)」を終えているようです。そして近未来我が地球もアセンションして、ようやく他惑星の仲間入り(「銀河市民」の仲間入り)が出来る予定です。3次元から(4次元を一気に飛び越えて)5次元へ、惑星丸ごとの上昇です。

 幸さんの話の真偽のほどは確かめようもありません。もし本当の体験だったのなら凄いことです。私のような凡人は『羨ましい』と思いつつ、せめてこの次は『すっきりした青空をバックに、もっと大きな本物らしいUFOを見せてよ ! 』と思ってしまいます。

 (大場光太郎・記) 

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『天地人』について(14)

 久しぶりでNHK大河ドラマ『天地人』についての感想記事です。前回の(13)記事以来ずいぶん間が空いてしまい、ドラマは第27回「与六と与七」(7/5放送)から第35回「家康の陰謀」(8/30放送)まで進んでしまいました。

 その間、千利休(神山繁)の死、朝鮮出兵、淀殿(深田恭子)の捨丸(後の豊臣秀頼)出産、関白秀次の死、上杉家の越後から会津への国替え、そして前回の太閤・豊臣秀吉(笹野高史)の死と、めまぐるしい展開を見せました。
 この何回かはさすがの私もあまりケチのつけどころなく、それなりに楽しんで観ていました。「天地人 おもしろくない」検索フレーズもここのところ、皆無ではないもののだいぶ減ってきています。
 やはりポイントは、いよいよ「関が原合戦」へとなだれ込む手前の、緊迫した戦国絵巻がメーンステージであることだと思われます。それに絡めて、上杉景勝(北村一輝)、直江兼続(妻夫木聡)の上杉主従の激動の世への対処、苦慮ぶり。また秀吉亡き後いよいよ勢力を増しつつある徳川家康(松方弘樹)と、それを必死で食い止めようとする石田三成(小栗旬)のつばぜり合いなどを描いているのが面白いのだろうと思います。

 上杉藩は秀吉の命により、父祖伝来の地・越後を後にし会津へとやって来ました。北の伊達政宗、南の徳川家康両勢力の牽制のため、百二十万石に加増されてです。私の郷里(出羽の国・置賜地方)も旧領地だった上杉藩の米沢減封まで後少しであることも、いっそう興味を引きつけられる要因です。
 会津への国替えに当たって、上杉家筆頭家老とは言え直江山城守兼続に出羽・米沢三十万石が、豊臣家から与えられたのは異例中の異例と言えます。兼続は上杉藩にあっても名門の出ではありません。むしろ父親は下っ端役人だった可能性すらあります。なのに三十代後半という若さでの異例の栄達。戦国末期の群雄割拠の時代にあって、直江兼続の政治的力量、軍事的才能、人間的器量がいかに群を抜いていたかが推し量られます。

 何回か前から、直江役の妻夫木と三成役の小栗は同時に口ひげをつけての演技となりました。それにより二人とも、だいぶ役の貫禄と風格が増して感じられます。
 ところで今進行中のドラマでは、妻夫木兼続と小栗三成とが「差しで」対面するシーンが度々あります。これは史実がどうであったのかは別として、ほぼ同年代の気鋭の役者同士、互いが役者としてのプライドを賭けてのぶつかり合いとの感もあり、なかなか興味深いものがあります。
 話は変わりますが、当ブログでこのところ「天地人 小栗三成の演技」といった検索フレーズがふえています。3日の検索フレーズランキングでは、「天地人 小栗三成主役の方が良い」が第1位になりました。
 その対面、対決の場面では、主役の妻夫木兼続もなかなか迫真の演技です。しかし私も客観的に両者を比較するに、小栗三成の方によりいっそうの凄みを感じるのです。どうも小栗の演技力は妻夫木に勝っているなあ、主役を食っちゃってるなあ、と感じられるのです。ドラマは「関が原合戦」まで間近です。それ以降小栗旬はドラマから退場となるわけですが、何となく残念な気がします。

 ところでNHK総合テレビで、「トップランナー」という番組があります。各分野の第一線で活躍している今最も「旬」な人物をゲストに迎え、司会者とゲストとの対話などを通してその人物像により深く迫っていこうというような企画番組です。
 本5日未明の同番組ゲストが小栗旬だったのです。私はたまたまですが、終いまで観ました。それまで小栗は、何となく今売れっ子の生意気なアンちゃんタレントという印象でした。しかし今回の番組を通して認識を改めさせられました。とにかく小栗旬は役者としてプロ根性が凄そうなのです。こと演技に関しては、ストイックなまでに精進努力しているようです。『何とも見上げた役者根性だ。コイツはまだまだ伸びるぞ』と唸らされました。(ただし小栗にも例の疑惑がないではないが…。)

 ドラマは「天下分け目の関が原」に向けて、ますます白熱していくことでしょう。家康役の松形弘樹の、誇張された老獪な狸爺(たぬきじじい)ぶりも堂に入っています。小栗三成いびりの迫真の演技もさすがです。

 (以下独り言)ところで、これも今旬であるはずの「清純派女優」長澤まさみ(初音役)の出番が極端に減ってしまったのはどうしてだ?長澤は体調不良なの?それとも長澤に関して、NHKは何か重大情報をかぎつけたのかなあ?
 さてまさみちゃんのお友だちでもある深キョンは、準主役級の淀君役。大阪夏の陣までは出てもらわなければなるまいし…。でも結局何だかんだ言って、大河ドラマや紅白クラスの「大物」タレント・歌手は全員セーフということなのか?

 (大場光太郎・記)

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秋来ぬと

                               藤原敏行

  秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

                            (『古今集』・169)

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 藤原敏行(ふじわらのとしゆき) 生年不詳~延喜7年(907年)または延喜元年(901年)。平安時代初期の歌人、書家。藤原南家の藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麿の子。従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人で、家集に『敏行集』がある。
 空海とともに能書家としても名高い。『古今集』に十六首、『後撰書』に四首が採られている。一世代前の歌人と比べて技巧を増しながら繊細流麗、かつ清新な感覚がある。和歌史的には、六歌仙の一人の在原業平(ありわらのなりひら)から紀貫之(きのつらゆき)へ橋渡しをした歌人である。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「藤原敏行」の項などより)

 本歌は『古今集-秋歌』の冒頭に掲げられており、立秋の日に詠んだと言われています。「秋が来たと目にははっきりとは見えないけれど、風の音にハッと秋の気配を気づかされたことよ」というような意味となります。

 この歌が詠まれた背景として、「立秋の日から風は吹き渡るもの」という当時の常識があったようです。それは「生活実感に基づいた常識」というよりは、平安貴族たちの「文学的な常識」です。したがってこの歌もそれを踏まえて詠まれたのであり、実景をそのまま詠んだわけではなく、写生的な要素のまったくない心象風景の歌であるのです。

 さはさりながら、写生さながらの「目にはさやかに見えねども」「風の音にぞおどろかれぬる」。この描写の確かさ、豊かな感性には「驚かされ」ます。視覚と聴覚の対比が実に巧みだと思います。見ても秋は感じられないが、風の音ではじめて秋の気配が感じられたというのです。写実に迫る、あるいは写実を超える「イマジネーションの力」というようなことを考えてしまいます。
 
 赤子が獲得する五感は、視覚よりもまず聴覚だそうです。興味深いことにこの歌は図らずも、赤子の成長のプロセスと符合しているわけです。そこに、ともすると平安貴族という高等遊民の「言葉のお遊び」に堕してしまいがちだった、後代の和歌と一線を画する何かがあるように思います。
 それらの言葉のお遊びとは、イマジネーションの深度が何段階も違うようなのです。それがこの歌を古今有名なものとし、後世多くの類歌、類句が作られたゆえんなのではないでしょうか。

 ところで、ハッと驚かされた「風」とはどんな風だったのでしょう?その風とてもイマジネーションの中の風であるわけです。人のイメージの世界を盗み見ることは不可能です。ですから作者・藤原敏行にしか分からない風です。がしかし、「強い風」だったのか「弱い風」だったのだろうか、という問いかけだけはしたくなります。

 さてどっちだったのでしょう?二百十日前後に吹き荒れる野分(今の台風)のような激しい風だったのだろうか。そうすると確かに「風の音」が現実味を帯びてきます。しかしこの歌が詠まれたのは立秋、それにこの歌の風趣からしてそのような凄まじい風はそぐわないように思われます。

 案外、涼を運んでそよと吹くような微風だったとも考えられるのです。ですから本来は風音など聞こえないはずです。しかし藤原敏行は心の耳でしかと風の音を聞いた、それは秋の気配を感じさせて思わずハッと驚かされる確かな音だった…。

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(6)

   ほうぼうに幾草(いくくさ)ありて虫の夜   (拙句)

 このところ政権交代、薬物事件などすっかり世事、人事のことに気を取られておりました。が気がついてみますと、早や9月も3日。知らぬ間にすっかり秋めいてきました。

 そういえばおととい9月1日は防災の日であるとともに、二百十日でもありました。二百十日は昔から天気が荒れる日が多く、台風の特異日とも言われています。ちょうどその日ではなかったものの、その前日の8月31日台風11号が関東地方に接近し、暴風雨に見舞われた地方もあったようで、当たらずといえども遠からずといったところでしょうか。昔からの言い伝えは、さまざまな先験的知恵の集積と思われ、あながち無視すべきではないのかもしれません。

 通常は台風一過ともなると、翌日はスカッとした秋晴れが続くものです。しかし今回の台風は本式の秋の訪れを告知するように、ここ何日かの涼しさをもたらしました。ちなみに「涼し」は、秋の季語です。
 どうやらきのうきょうは、最高気温が25℃を下回ったようです。25℃は、それ以下だと半そでシャツの上に何か着込んだ方がいい目安になるとのこと。どおりで私も、ここ何日かは背広を着込んで外出しております。

                         *
 『薬物汚染シリーズ』。今年1月たまたま起こった、小向美奈子の覚せい剤使用による逮捕事件をきっかけに始めたものでした。間を置かず大相撲の元若麒麟真一(本名:鈴川真一)による同様の事件が起こり(4)まで記事にしました。
 しかしその後私自身何となく「薬物問題」に触れる気にならず、同シリーズしばらくほったらかしの状態でした。(気にはなっておりましたが。)
 それが8月上旬、押尾、酒井両事件が立て続けに起こりました。特に「のりピー失踪事件」が世間の注目を集めたことで、私が本来持っている「やじ馬」の血を呼び覚まさせ(笑)、また再開ということになりました。そして気がつけば『天地人シリーズ』の(13)と並んでしまいました。

 どこかでも述べましたが、この両事件は探れば探るほど今のこの社会の「鏡、縮図」のように思われてきます。事件そのものも、臭いもの、どす黒いものにフタをしてしまうことも含めて…すべて。しかし「関係者」「当局」が隠そうとすればするほど、余計見たい、本当のことが知りたいとなるのが人情と言うものです。
 とにかくこの両事件特に押尾事件は、奥が深く(「闇が深く」と言うべきか)探るべきミステリー性に富んでおります。今後名誉毀損には気をつけながら(もう既にかなりヤバイか?)、皆様より一歩先んじた新情報をお伝えできればと思います。
                         *
 「8月30日」という歴史的な日の前もその後も、なぜか世の中静かな感じがします。そもそも今回は選挙報道が極端に少なかった中で、民主党はあの郵政選挙時の自民党の獲得議席をも上回ったのです。
 国民有権者は、あの時以来今日に至る政治状況から相当教訓を得たようです。つまり有権者はこの4年間でかなり成熟したのだと思われます。ジャーナリストの中には、前回の自民大勝には一言の文句も言わなかったくせして、今回の民主大勝に対して「前はあっち(自民)今度はこっち(民主)と振り子のように両端にドッと振れる。おかしい国民は ! 」とあからさまに憤慨する者もいました。ねっ、田原総一朗さん。

 (以下独白)でもおかしいのはあなたの方ですよ。テレビ業界を上手く泳ぎまわろうとするから、そういう見方になるんです。今回国民は各マスコミの「総選挙隠し」の目にあいながらも、いたって冷静な判断をしたんです。言ってみれば今回の投票行動は、国民有権者による「静かなる無血革命」なんです。
 それを何ですか、あなたも各マスコミも。これから船出しようとする新政権の足を引っ張るような論評ばかり繰り返して。結局は「既得権益」を失うのが恐くて反対したいんでしょ。今後とも足を引っ張り続けるおつもりですか?
 8月25日に亡くなった政治評論家・細川隆一郎氏は、最後まで「鳩山政権の誕生」を楽しみにしていたことはご存知でしょ?時代の空気をしっかり読んで、大先達に少しは見習ったらどうなんです。でないと、あなたも新聞もテレビも、自民党と一緒で、国民からそっぽを向かれてしまいますよ。
                          *
 空き地の隅でコスモスの幾花かが、風に揺れながらひっそりと咲いています。そのすぐ上には2、3羽の赤とんぼがすいすいと。季節の移り変わりを鋭敏なセンサーのように察知し、咲いたり現れたりする動植物たち。
 何度もお伝えしてきたとおり、当地にもミニ開発や宅地造成の波が押し寄せ、新住居やアパート、マンションがどんどん建ち、年々身近な自然が狭められている状況です。しかしそんな当地でも、夜ともなれば本当にわずかな草花があれば、その陰からリンリンたる虫の声が聞こえてきます。懐かしさを呼び覚まされる虫の音です。

 (大場光太郎・記)

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自民党は再生出来るのか !?

 総選挙で自民党は大惨敗を喫しました。改選前の303議席から119議席と、1/3近くまで減少してしまったのです。1955年以来守り続けてきた第一党からすべり落ちて第二党となるとともに、政権の座を民主党に明け渡すという歴史的大敗北となりました。今後自民党はどうなっていくのでしょう。果たして再生は可能なのでしょうか?

 選挙後の「選挙特番」で、テレビ朝日は午前零時少し前からその第二部として、田原総一朗司会による、当選を果たした与野党の若手論客たちが一同に会した討論形式にしました。その中で自民党議員たちはえらく張り切っていました。厳しい選挙戦を勝ち抜いてきたという高揚感からなのか、『よし。オレが自民党を立て直してみせるぞ』というような気迫さえ感じられました。
 しかし思うのです。『さて、彼らの元気とやる気はいつまで持つのだろう?』と。
 
 1990年代前半細川、羽田両内閣の時、自民党は第一党でありながら過半数に至らず、自民党を飛び出した小沢一郎に連立政権を仕掛けられ、野党に転落したことがあります。その時、「野党の悲哀」をイヤというほど味わったと言うのです。その時の惨めな経験から、当時の自民党議員たちは「もう二度と野党になってはダメだ」と決意したと言われています。ですからその後は、日本社会党(当時)を抱き込んで同党委員長の村山富市を担ぎ出して首相に据えたり、公明党と連立したりと、なりふりかまわず何とか政権を維持してきたわけです。

 しかし今回は、およそその時の比ではありません。議席数が119と改選前の民主党並み、もっと言えば55年体制時代の万年野党・日本社会党並みにまで減少してしまったのです。自民党自身そうだったように、300超の議席数を得た民主党は4年間解散しないでしょう。その期間果たして自民党は持ちこたえられるのだろうか?ということなのです。
 
 政党助成金は数十億円も減額になります。野党に転落した党には企業献金も大幅減でしょう。国有地上の巨大な自民党ビルを維持していけるの?というレベルです。職員数も秘書数も減らさざるを得ません。すべての委員会の委員長ポストは民主党に握られ、自民党の主張は簡単には通らなくなります。今までは呼びつければ各省庁の次官クラスが飛んで来たのに、呼んでも来るのは課長代理クラス、まるで話が前に進まなくなります。何か調べようと各省庁に資料請求しても、資料の開示を拒否されてしまいます。それより何より、今までは族議員としての旨味にたっぷり預かれたのに、もうそんなことも出来はしません。

 小沢一郎は以前から、「民主党が政権を取って2、3回予算を組めば、自民党は立ち直れなくなる」と言っていました。官僚の天下り先に真っ先に予算をつけ、見返りとして企業献金を受け取るような旧来の自民党方式ではなく、そんな税金搾取システムを改めた「国民本位」の予算を何度か組まれれば、自民党の族議員たちは本当に音を上げ、四分五裂してしまうかもしれません。

 仮にそうなったとしても、自業自得というものです。今回国民有権者が「無血革命」とも思われる投票行動を起こしたように、自公政権の暴政、悪政はとにかくひどいものでしたから。(なお、大田代表、北側幹事長、冬柴元国交相などが軒並み落選するなど、結党以来の大惨敗となった公明党は「天罰が下った」と言うべきでしょう。政教一致政党が与党となるのは国民にとって「百害あって一利なし」です。もう二度と与党に復帰しないでいただきたい ! )
 それなのに冷や汗かいてやっと当選した「問題の」森元総理などは、またぞろキングメーカー気取りでいるようです。(「枡添新総裁」を担ぎ出そうとして失敗したようですが)これこそ「KY」の極みです。民意、時代の空気がまるで読めていません。このような旧体質の真っ黒けなロートル議員たちに牛耳られるようでは、自民党の未来は本当に真っ暗です。

 しかしこの国で民主主義が真に成熟するには、二大政党による政権交代が一定期間ごとに起こらなければなりません。政権を新たに担うことになる民主党は、出発の今は確かに清新でフレッシュです。しかし「権力は絶対的に腐敗する」、これが古来の鉄則です。アメリカのように、最長8年くらいで交代可能にするべきです。
 それには、民主党政権が行き詰った時の受け皿政党がどうしても必要です。それはやはり自民党しかないのでしょうか?今回の政権交代の真の立役者である小沢一郎は、どうもそうは見ていないフシがあります。「自民党はとっくに耐用年数が過ぎた政党。だからそれに変わる新しい政党が必要なのだ」と。小沢はやはり今回の政権交代の先に、民主と自民をガラガラポンしたような大政界再編を考えているのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(13)

 押尾学被告(31)が8月31日保釈されました。弁護人を通じて同日午後4時過ぎ保釈保証金400万円を東京地裁に納付し、同日午後6時過ぎ、台風11号の接近でたたきつけるような嵐の中、逮捕以来28日ぶりで公の前に姿を現しました。
 警視庁三田警察署から出てきた押尾被告は、黒いシャツの上にチェックのYシャツはボタンをつけずにはだけた状態、サンダル履きというラフな格好でした。約200人の報道陣を前にして、「この度はご迷惑かけて申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べました。
 
 とその時、女性リポーターらから「どうして現場から逃げたんですか !? 」「死亡した女性について一言」などという厳しい声が飛びました。その質問には無言を貫き、報道陣や約50人ほどのやじ馬に再び一礼して車に乗り込みました。
 さてそれからが大変だったようです。押尾被告を乗せた車と、報道車両(いわゆる「パパラッチ」)約50台とのカーチェイスがスタートしたのです。同車はまず三田署から4キロほど離れた霞ヶ関ICから首都高に入り、外環道の埼玉・川口西ICでいったん下りると、今度は東京・池袋方面へとんぼ返り。追走車をまくため都内から埼玉南部にかけて走りまくり、逃走時間は4時間10分、走行距離110キロにも及びました。結局最後は車を乗り捨て、東京メトロ有楽町線と副都心線が入る小竹向原駅に逃げ込み、地下鉄で逃走し行方をくらましました。

 以来行方不明でしたが、本1日午後7時過ぎ、身元引受人である東京・多摩市の父親の家に、弁護人とともに帰ってきました。服装は昨晩の三田署の時と同じ格好。
 警備の警官も、待ち受けていた報道陣も、誰も押尾とは気がつかなかったようです。昨夜姿を現した時は、一応謝罪はしたものの目付きは鋭くどことなくいきがって見えましたが、逃走劇に疲れたのか精彩を欠き、タレントとしてのオーラがまるで感じられず、どこかのアンちゃんといった感じだったそうです。そのため、押尾を正面から撮った者はいなかったようです。

 以後押尾は、裁判による判決が出るまでの間、父親のいる実家で過ごすことになるのでしょう。気になるのは裁判の行方です。押尾被告は、「合成麻薬MDMAの錠剤を若干量飲んだ」とする起訴内容を認めています。ズバリどうなるのでしょう?
 板倉宏日大名誉教授(刑法)は、一緒にMDMAを飲んだ田中香織さんが死亡し、押尾被告が現場から逃走したことを重くみて、「服装や行動の心証が悪く、麻薬取締法違反の罪だけでも2年ぐらいの実刑になる可能性が高い。執行猶予はつかないでしょう」と断言しています。その裁判の過程でどれだけ真相が解明がされるのか、これにも注目です。

 さらに気になるのは、「保釈金400万円」を誰が出したかということです。押尾自身が出せれば問題はなかったわけです。しかしすったもんだの末、28日夜東京地裁が保釈を最終決定してから31日まで保釈が延びたのは、その金の工面のためです。押尾自身にも、身元引受人である実業家とされる父親にも工面出来なかったのです。
 では誰が?次に考えられるのは、妻である女優の矢田亜希子ですが、矢田は既に押尾事件発覚直後離婚を決意していますから出すはずがありません。ではやはりあの女か?六本木ヒルズ“魔窟”レジデンスの借主で「ピーチ・ジョン(PJ)」社長の野口美佳?何しろかつて自身のブログで押尾を褒め称え、お腹の子の父親は押尾なのでは?とも噂されるくらい。野口社長にとって400万円などはした金。出してやりたいのは山々なれど。今は野口美佳自身に「薬物使用疑惑」が向けられている身、とても表立って動くことは出来ません。

 そこで押尾事件にまたまた新たな人物の登場です。保釈金を立て替えたのは、全国パチンコ機器製造販売会社や関東各地でゴルフ場を展開する「C社」代表の「I氏」だと言われているのです。I氏は「パチンコ業界のドン」と言われ、警察官僚にも絶大な力を持つ闇社会に通じた人物らしいのです。数年前は巨額脱税を指摘されたこともあるようです。
 そしてこのI氏とPJの野口社長とは面識があるらしく、こうして野口社長はやはり今回の保釈、逃走に関わっていた可能性が出てくるのです。さらにI氏は、押尾事件のもみ消し圧力疑惑のある、「元警察官僚」で自民党の平沢勝栄議員とも、パチンコ利権で関係が深いと言うのです。もちろん森元総理とも。

  押尾学ー野口美佳ーI氏ー森元総理(長男・祐喜)ー富永保雄(富永義政)ー高相祐一ー酒井法子……
 あヽどこまで続く「疑惑の連鎖」ぞ。

 (大場光太郎・記)

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