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秋来ぬと

                               藤原敏行

  秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

                            (『古今集』・169)

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 藤原敏行(ふじわらのとしゆき) 生年不詳~延喜7年(907年)または延喜元年(901年)。平安時代初期の歌人、書家。藤原南家の藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麿の子。従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人で、家集に『敏行集』がある。
 空海とともに能書家としても名高い。『古今集』に十六首、『後撰書』に四首が採られている。一世代前の歌人と比べて技巧を増しながら繊細流麗、かつ清新な感覚がある。和歌史的には、六歌仙の一人の在原業平(ありわらのなりひら)から紀貫之(きのつらゆき)へ橋渡しをした歌人である。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「藤原敏行」の項などより)

 本歌は『古今集-秋歌』の冒頭に掲げられており、立秋の日に詠んだと言われています。「秋が来たと目にははっきりとは見えないけれど、風の音にハッと秋の気配を気づかされたことよ」というような意味となります。

 この歌が詠まれた背景として、「立秋の日から風は吹き渡るもの」という当時の常識があったようです。それは「生活実感に基づいた常識」というよりは、平安貴族たちの「文学的な常識」です。したがってこの歌もそれを踏まえて詠まれたのであり、実景をそのまま詠んだわけではなく、写生的な要素のまったくない心象風景の歌であるのです。

 さはさりながら、写生さながらの「目にはさやかに見えねども」「風の音にぞおどろかれぬる」。この描写の確かさ、豊かな感性には「驚かされ」ます。視覚と聴覚の対比が実に巧みだと思います。見ても秋は感じられないが、風の音ではじめて秋の気配が感じられたというのです。写実に迫る、あるいは写実を超える「イマジネーションの力」というようなことを考えてしまいます。
 
 赤子が獲得する五感は、視覚よりもまず聴覚だそうです。興味深いことにこの歌は図らずも、赤子の成長のプロセスと符合しているわけです。そこに、ともすると平安貴族という高等遊民の「言葉のお遊び」に堕してしまいがちだった、後代の和歌と一線を画する何かがあるように思います。
 それらの言葉のお遊びとは、イマジネーションの深度が何段階も違うようなのです。それがこの歌を古今有名なものとし、後世多くの類歌、類句が作られたゆえんなのではないでしょうか。

 ところで、ハッと驚かされた「風」とはどんな風だったのでしょう?その風とてもイマジネーションの中の風であるわけです。人のイメージの世界を盗み見ることは不可能です。ですから作者・藤原敏行にしか分からない風です。がしかし、「強い風」だったのか「弱い風」だったのだろうか、という問いかけだけはしたくなります。

 さてどっちだったのでしょう?二百十日前後に吹き荒れる野分(今の台風)のような激しい風だったのだろうか。そうすると確かに「風の音」が現実味を帯びてきます。しかしこの歌が詠まれたのは立秋、それにこの歌の風趣からしてそのような凄まじい風はそぐわないように思われます。

 案外、涼を運んでそよと吹くような微風だったとも考えられるのです。ですから本来は風音など聞こえないはずです。しかし藤原敏行は心の耳でしかと風の音を聞いた、それは秋の気配を感じさせて思わずハッと驚かされる確かな音だった…。

 (大場光太郎・記)

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コメント

 ちょうど3年前の2009年9月4日公開でしたが、先月の半ば頃からこの記事へのアクセスが少し増えていますので、今回トップ面に再掲載しました。
 あくまでも当地(神奈川県県央地区)基準ながら。先月いっぱいは大晴天の厳しい残暑が続き、月が変わった1日からうって変わって雨がちのぐづついた日が続きました。 
 こういう時の雨は、はっきりと季節を区切る雨になるものです。見慣れた街並みもどこか侘しさ、寂しさの気配が感じられ、いよいよ「秋来ぬと」実感されてくるのです。

投稿: 時遊人 | 2012年9月 4日 (火) 09時42分

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