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差別用語・考

 先日あるブログのコメントで、「乞食(こじき)」の思い出話が語られていました。私は興味深く読ませてもらったのですが、しかし考えてみれば乞食という言葉は今日では「差別用語」に当たるものであり使用自粛の方向にあるわけです。
 だったらこの言葉は一切使用してはいけないのでしょうか?さあこうなると大変複雑な問題をはらんでしまいます。今回はこの言葉を契機として、差別用語について少し考えてみたいと思います。

 折角ですから、まずは問題の乞食から始めます。ご存知の方も多いかと思いますが、乞食の元々の意味は仏教用語の「乞食(こつじき)」から来ています。それは比丘(僧侶)が自己の色身(しきしん-肉体)を維持するために食料などを人から乞うことを意味していました。「行乞(ぎょうこつ)」「托鉢(たくはつ)」とも言われ、仏教さらにそれ以前のバラモン教における重要な修行の一つであったのです。

 それが我が国ではいつの間にか、僧侶ではない者が路上などで物乞いをする行為やその当人を呼ぶのが一般的になりました。その転機はずいぶん大昔のことだったろうと思われます。なぜならこの世には「貧富の格差」は古来常に存在していたからです。さまざまな理由から自力で食料などの生活物資の確保がままならず、周りの人々に物乞いして露命をつなぐしか手段のない人たちがいたのです。その人たちを卑しいと見るかどうかは別として、それらの人々はいつの世の最底辺にも存在し続けたのは冷厳な事実です。

 世の種々相を赤裸々に描き抉り取ることを使命の一つとする文学作品でも、乞食は各時代の作品の中でさまざまに取り上げられてきたことでしょう。
 差別用語論議がかまびすしい今日の作家なら、このテーマを描く場合どうするのでしょう?現代ならばホームレスでしょうが、厳密にはそれと乞食とはニュアンスが違います。乞食という言葉は、ある意味立派な文化的伝統を背負ってきた言葉の一つでもあるのです。一時代以上前の時代が背景の作品では、やはり乞食は乞食として表現していく以外に、その時代の雰囲気を正確に伝えることは出来ないのではないでしょうか?

 乞食の例のように、差別用語は特定の属性(例:少数民族、被差別階級、性別、同性愛者、特定疾患の罹患者、職業など)を持つ人々に対する差別を目的として使用されている俗語、蔑称を指す用語とされます。明確な基準があるわけではありませんが、一般的に日常会話においては禁句、また主要メディアにおいては「放送禁止用語」として扱われています。

 差別用語特に放送禁止用語として挙げられている言葉は、実に夥しい数にのぼります。当ブログでこれまで何気なく使ってきた中にも、差別用語・放送禁止用語があるわあるわ。「百姓」「土方」「つんぼさじき」「田舎」「垂れ流す」「狂気」「川向こう」「片手落ち」「芸人」「後進国」「表日本」「裏日本」「身分」「部落」「ヤバイ」…。
 私自身既に使っているから言うわけではありませんが、もしこれらの言葉のすべてを今後一切使用禁止とする、仮に使用した場合は法的に処罰するなどとなったらどうでしょう?私たちの日常会話、文章表現は著しく制限され、言語生活はずいぶん貧しいものになるのではないでしょうか?

 確かに中には、「穢多(えた)」「非人」「廃人」「賎民(せんみん)」など最初から差別を目的として作られた用語もあります。このような言葉は常識的に判断して当然使うべきではありません。その他身体上の障害者に対する「めくら」「つんぼ」「おし」「どもり」「かたわ」なども多分に侮蔑的用語であり、使うのは控えるべきだと思います。(ただ以前の邦訳聖書や文学作品では、これらの言葉も頻繁に使われていたように記憶しています。)

 といっても、「盲人」「盲目」「文盲」もダメというのは、少し行き過ぎなのでは?と思ってしまいます。それらに変わる言葉として、盲人は「目の不自由な人、視覚障害者」、盲目は「分別に欠ける、理性がない」、文盲は「字の読めない人、非識字者」というように置き換えなければならないのです。
 ずいぶん回りくどい表現ではないでしょうか。例えば昔から「恋は盲目」という表現がありますが、これがダメなら「恋は分別に欠ける」?これでは折角の詩的表現が台無しです。

 差別用語あるいは放送禁止用語として無制限に規制の網をかぶせることは、憲法で保障された「表現の自由」を侵害することにもなりかねません。差別用語という言葉の「差別」にもなり、とどのつまりは「言葉狩り」にまで行き着いてしまいます。
 一応は差別用語や放送禁止用語として挙げられている言葉も、時と場合に応じて臨機応変に使用しても良いのではないでしょうか。また差別用語は使っていても、全体としての文脈が必ずしも差別を意味していなければОKということで。時には差別用語を使っていなくても、全体の文意として著しく差別しているということもあり得ます。私はこっちの方がずっと問題だと思います。

 差別用語はもちろん時には大問題となりますが、それより何より当今の極端な格差社会の問題、さらには私たち一人一人の心に潜む「差別意識」の方が遥かに深刻な問題だと考えます。
 というわけで私は自己責任で、使いたい用語は今後とも使っていきます。この問題、皆様はいかがお感じでしょうか?

 (追記) そういうわけで後日、私自身の「乞食さん」の思い出を綴ってみたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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