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「9・11」とは何だったのか(2)

 イラクのフセイン政権はテロ組織アルカイダとつながっている、大量破壊兵器を所有している疑いがあるという名目のもと、やっとこさこじつけた国連第1441条決議あたりを錦の御旗として、アメリカはイギリス、オーストラリアなど多くの同盟国に呼びかけて連合軍を組織し、2004年3月19日イラク侵攻を開始しました。(小泉政権下のわが国もサマワに自衛隊を派遣)。ここでも彼我の戦力の差は歴然で、同年5月には首都バグダットを陥落し、フセイン政権の崩壊に成功しました。
 その後逃亡していたフセイン大統領も見つけ出し逮捕、米国傀儡の新政権を樹立するなど、ここまではブッシュ政権の思惑通りに事が進みました。

 しかしその頃からシナリオが少しずつ狂い始めていきました。大義名分だった大量破壊兵器はいくら捜しても発見出来ず、終いには「もともと存在しなかった」と認めざるを得ず、またアルカイダとのつながりを示す根拠も見つからなかったのです。
 また厄介なことに、イラク正規軍との戦闘には勝利したものの、同軍は地下に潜ってゲリラ化し、他国からテロ組織メンバーも続々入国、民衆の一部も武装化して各地で自爆テロなどが頻発するようになり、イラク国内の治安は悪化の一途をたどりました。
 さらには米軍自体にも、強制収容所におけるイラク人捕虜への虐待が明るみに出て、国際社会の非難を浴びることとなりました。同盟諸国でも同戦争を疑問視する世論が上がり始め、イラクから軍を撤退する国が相次ぎました。

 ここでイラク戦争における「情報操作」の一例をご紹介したいと思います。
 イラク戦争では、「エンベディト・ジャーナリスト」という新しい種類の記者が誕生しました。これは米軍と生活を共にしながら一緒に行動し、戦場にも出かけてそこからリポートするという記者のことを指します。読者や視聴者は、生の情報だからこの新タイプの記者の記事は絶対間違いないと思い込まされたわけです。しかし実際は、軍隊と一緒に行動している記者の動向を軍の司令部は一部始終把握しており、不都合なところは一切取材させなかったのです。
 翻って、米軍と行動を共にしないフリージャーナリストも大勢いました。彼らはどうなったのでしょう。多くのフリーの記者は米軍によって撃ち殺されたのです。それを米軍は、イラクの武装勢力の攻撃による不慮の死として発表しました。彼らはなぜ殺されたのか、理由は明白です。都合の悪い報道をされたくなかったからです。

 もう一つ。同戦争では、当時19歳の可愛らしい女性兵士が奇跡的に救出されたとして、そのようすがマスコミで報道され、彼女は一躍アメリカ中のスーパーヒロインに祭り上げられた出来事がありました。彼女はイラク兵に撃たれて、歩行も出来ないほどボロボロになっていたところを、間一髪米軍に救出されたという感動的ストーリーでした。
 しかし真相は、彼女は一発も撃たれていなかったのです。その怪我は交通事故による大たい骨骨折などだったのです。それを国民向けの美談に仕立て上げたかった米軍は、事故で負傷した彼女がいる病院を徹底的に攻撃する場面を演出、実行しました。だがその病院には敵、つまりイラク兵は一人もいなかったのです。だから彼女を治療していたイラク人医師たちは、突然の米軍の闖入(ちんにゅう)に唖然呆然…。
 なおこの演出を手伝ったのは、『ブラックホーク・ダウン』という戦争映画を撮ったことのあるリドリー・スコットという映画監督だそうです。

 だいぶ「9・11」から逸れて、同事件後イラク戦争までを見てきました。これは他でもありません。9・11以降のブッシュ米国政府のやってきたことが、いかに欺瞞に満ちたものだったかを確認したかったからです。しかし考えて見ますと、一時期全世界が「アメリカ一極支配」状態になったそもそもの原点は、やはり9・11です。
 次回はまた9・11に戻って、同事件における「欺瞞」や「謎」を少し探ってみたいと思います。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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