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「9・11」とは何だったのか(1)

 9月11日は、「9・11テロ」(アメリカ同時多発テロ事件)が起こった日です。起きたのは2001年でしたから、早いものであれから満8年が経ったわけです。衝撃的な事件であっても、これだけの年月が経過しますと少しずつ事件の記憶も薄められつつあるようです。
 そこで本シリーズでは、今この時点で改めて「9・11とは何だったのか」ということについて考えてみたいと思います。あれだけの世紀的大事件です。本来は私ごとき者が扱える「素材」ではありません。しかし無謀にも敢えて試みようと思います。足らざる点また独断的解釈の段、予めご容赦くださいますようお願い申し上げます。

 同事件は発生とほぼ同時くらいに、CNNなどのメディアを通して、全米中はおろか全世界にその衝撃的な映像が流され続けました。
 私たちはそのようにしてニューヨーク市のWTC(世界貿易センター)のツインタワーの北棟への大型旅客機突入後のようす、続いて南棟への2機目の突入のようす、そしてとどめは両棟が続けざまに丸ごと崩落、崩壊していく衝撃的なようすをリアルタイムで見守ったわけです。それは例えとして不適切かも分かりませんが、まるで『タワーリングインフェルノ』や『ダイハード』といった大カタストロフィー(大破局)タイプのハリウッド映画さながらの“劇場型事件”でもありました。

 事件後しばらくは同事件のことが、イヤというほど連日集中的に報道されました。ですからWTCやペンタゴン(米国国防総省)に突入した、同多発テロ事件のおおよその全貌はどなたもご存知のことと思います。しかし私たちが9・11について知っていることのすべては、米国政府の公式発表、あるいはその大きな規制の下で流された世界中の主要メディアを通してのものです。
 米国政府は「待ってました ! 」とばかりに事件後いち早く、同事件はイスラム過激派「アルカイダ」の犯行と断定しました。WTCに自分が操縦する旅客機もろ共突っ込み自爆した(と言われる)、モハメット・アタ容疑者ら10数名による犯行だったといち早く断定したのです。

 一体何が起こったのか訳が分からない、アメリカの一般国民そして全世界の人々は、当初からメディアが流し続ける米国政府による「プロパガンダ放送」を真に受けました。
 同年1月に就任後、民主党のゴア候補と争った大統領選での不正疑惑などもあり、支持率が30%台という不人気に喘いでいたジョージ・ブッシュでした。しかし事件後は、「テロに屈することなく国民一丸となってこの試練を乗り切ろう」式の訴えをしたことにより、米国民の間にかつてないほどの愛国心、ナショナリズムが醸成され、ブッシュは一躍救国的大統領として何と支持率80%台にまで急上昇したのです。

 そしてご丁寧にも、ブッシュ政権に取って何とも好都合な頃合を見計らって、アルカイダの首魁であるウサマ・ビンラディン容疑者の犯行声明ビデオあるいは同予告ビデオが出てくるはで…。
 「世界が変わった日」である9・11はまた「世界が騙された日」でもある(と私は考えおります)とおり、世界中が丸ごとすっかりその気にさせられてしまいました。
 こうして世界中から「対テロ戦争」という大義名分を得、なおかつ国連決議という天下のお墨付きも得た米国政府は、テロから一ヶ月ほどという短期間で、(実は前のクリントン政権時代から共和党が密かに計画を練り上げていた)アフガニスタン侵攻を開始したのでした。

 「不朽の自由作戦」という、米国民にとっては涙が止まらなかったであろう美しいスローガンの下、アフガン侵攻は断行され、ここが「軍需産業製造の最新兵器の10年分の使い時」とばかりに、クラスター爆弾やバンカーバスターやら何やらアフガンの大地や住宅地に雨あられ。元々米国の比ではないタリバン勢力はあっという間に蹴散らされました。元凶のアルカイダもパキスタン国境の森林地帯に追い詰め、しかしなぜか首魁のビンラディン一味だけはどうしても捕まらない…。
 こうしてまんまと、アタガン領土の実質的統治権と天然資源利権を手に入れることに成功したブッシュ政権は、次に父ブッシュ以来の念願であるイラク侵攻に照準を定めたのでした。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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