『天地人』について(15)
「天地人 小栗三成良い」 「小栗三成 主役の方が良い」
「天下分け目の関が原」に向けて、あるいは慶長5年旧9月15日(1600年10月21日)同合戦の真っ最中、そして関が原以後と、ここ3話ほどは、小栗旬演じる石田三成を中心にストーリーが展開しているような具合でした。
もちろん第38話「二つの関が原」にありましたように、関が原の戦いと同時に奥州出羽の国でも、東軍の徳川方に異を唱える上杉軍と東軍方の最上勢との間でも「天下分け目の」合戦が繰り広げられていたわけです。
しかし本来の主役である直江兼続(妻夫木聡)やその主君上杉景勝(北村一輝)の働きを食ってしまうほど、小栗三成の演技は群を抜いていたと思います。
冒頭に掲げましたフレーズは、いずれも過去の当ブログ本シリーズにアクセスしてこられた最近の検索フレーズの代表的なものです。それも1人、2人ではありません。何人もの人がこのようなフレーズでアクセスしてこられたのです。いかに石田三成を演じた小栗旬の演技が光っていたか、印象深かったかを物語るものだと思います。
私はだいぶ前の回で、元服前後の樋口与六(後の直江兼続)が織田信長に上杉藩を代表して会いに行くという、およそ考えられない設定に疑問を呈したことがありました。その時石田佐吉(後の石田三成)役の小栗旬も初登場したのでした。その時の彼のカツラや衣装などから『何だこりゃ。さまになってねぇ』と率直に思ったのでした。私が漠然とながら抱いていた石田三成像とは著しく隔たっていると感じたのです。
しかし後で分かったことには、当時からそしてその後ずっとそれで通すことになる小栗三成のカツラと衣装は、実は小栗自身のアィデアを採用したものであることが分かりました。なるほどそういえば、回を追って小栗三成の登場場面が増えていくごとにその三成の姿がさまになっていき気にならなくなりました。
前の記事でNHK総合の『トップランナー』に小栗旬がゲスト出演した時のもようをご紹介しました。小栗はこと演技の道を極めるためには貪欲であるようです。陰の苦労話などを漏れ聞くと、本当に見上げた役者根性だと思います。井上ひさし原作、蜷川幸雄監督の舞台『ムサシ』で共演した、同じ年(26歳)の藤原竜也とは、良きライバルとして互いに切磋琢磨し合っているようです。
秀吉(笹野高史)亡き後の豊臣家を守るべく、豊臣恩顧の諸大名に触れを出し西軍を組織し、徳川家康(松方弘樹)の東軍と全面対決した石田三成。西軍約10万と数の上では、家康の東軍を上回っていたものの。そこは過去に武田信玄との三方が原の戦いなどで大惨敗を喫するなど、戦(いくさ)を知り抜いておりなおかつ人身掌握術に長けた老獪な徳川家康のこと。
早朝歴史的大合戦の火蓋が切っておとされ、昼過ぎになっても勝敗の行方が分からない一進一退。後は自陣にでんと構えてなぜか動こうとしない小早川秀秋(上地雄輔)が撃って出てくれれば勝算はこちらのもの。そこで三成自身小早川の陣に赴き出撃を促すもやはり動かず。小早川に動いてもらわなければならないのは家康も同じこと。そこでかねて内通していた古今稀なる優柔不断の武将小早川のハラを決めさせるため、小早川陣に鉄砲を撃ち込ませる。ビビッた小早川は、あろうことか西軍の大谷刑部吉継や三成の陣めがけて突進してくる。
古来多くの歴史家が指摘するように、これが関が原の勝敗の分岐点だったと思われます。その結果本来なら負けるはずのなかった西軍は総崩れ。わずか一日にして関が原合戦の帰趨は決し、その瞬間徳川家康が天下を掌握する舞台が整えられたのでした。
小早川の裏切りの他にも、福島正則(石原良純)は当初から東軍につき、西軍の毛利輝元(中尾彬)も陣取った山上から様子見して動かなかったなど。歴史的人物としての石田三成は政務には明るくても、大軍を掌握しそれを組織化して手駒のように自在に動かす軍事的才能に欠けていた、そしてよく指摘されるように人望もまた欠けていたことも事実なのでしょう。
結果石田三成は戦いに敗れ再起をかけて逃亡するも捕らえられ、京の六条河原で斬首の刑に。その関が原以後を描いた第39話「三成の遺言」は、私が思うに『天地人』でも屈指の出来で感動ものでした。捕らえられてから処刑に到るまでの、小栗旬の三成は鬼気迫る演技で。あの若さでこれだけの凄みを出せるとはと唸らされました。
また以前の関が原物ではただ卑怯者、裏切り者として片付けられていた小早川秀秋の内面、そして東軍についた福島正則の葛藤も描かれていて、これは今までにない視点であり評価したい点です。
今回は小栗三成のことが主となり、肝心の上杉藩そして直江兼続らのことには触れられませんでしたが。直江兼続の出した「直江状」が徳川家康の逆鱗に触れ、関が原の遠因になったというのはそのとおりかもしれません。直江状を読んだ家康は激怒して、自ら先頭に立ち会津討伐軍を繰り出し、今の栃木県小山市までやってきます。その虚を衝く形で、西軍を組織していた三成が「頃合は良し」とばかりに、北と南の両方から家康を挟み撃ちにしようとしたからです。
最上義光軍との長谷堂城の戦いは我が出身県での戦いであり、もう少し詳細に触れるつもりでした。しかし残念ながら紙面が尽きてしまいました。いよいよ米沢減封に到る、家康の上杉藩の処罰の次第次回が楽しみです。
(大場光太郎・記)
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