夜討ヶ窪と云ふ地名
秋風や夜討ヶ窪と云ふ地名 (拙句)
過日の台風18号は「非常に強い台風」ということで、さては数年前アメリカ南部各州を襲ったカテリーナクラスの超強力台風上陸かと覚悟していました。それに2年ぶりかで日本列島のどこかに上陸ということですから、不安は倍増されました。
しかし実際は8日愛知県の知多半島かどこかに上陸後、確かに通過した都道府県に被害はもたらしたものの予想以上に深刻なものではなく、列島北上後北海道の太平洋上にまた抜けてくれました。
それ以降は秋雨前線もどこかに退いてくれて、連日まあまあの秋晴れに恵まれています。ただ代わって西高東低の冬型の気圧配置が早々と現れ、連休中はうすら寒い日もありました。そんな日は秋風が分けても身に沁みるものです。
しかし変わりやすきは秋の空。本日はすっきり大快晴で汗ばむほどの陽気でした。だからきょうは特別風を意識するほどのこともなかったものの、季節柄なぜか「秋風」が想われました。
古来「秋風の歌」として有名なのは、かの万葉歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)の歌でしょうか。おっと、危うく以下に引用しそうになりましたが、この歌はいずれ『和歌・短歌鑑賞』でご紹介したいと思いますので、その時まで未公開とさせていただきます。
代わってといっては何ですが、私の拙い句を冒頭に掲げました。これは今から7、8年前に作ったものです。秋風というそこはかとなく哀れをさそう季語の上、さらに夜討ヶ窪ですから。何か総毛立つようなおどろおどろしい句であるかもしれません。
しかし「夜討ヶ窪」は、当厚木市に実際あった地名なのです。「実際あった」と過去形なのは、その後町名変更によりどうなっているか分からない、多分無くなった可能性の方が高いと思われるからです。
もちろんそんな地名、厚木の旧市街ではありません。場所は当市の西外れに近い「飯山(いいやま)」という大字(おおあざ)地内の小字(こあざ)名だったのです。東京など関東にお住まいの方なら、飯山は「飯山温泉」や「飯山観音」でご存知かもしれません。しかし飯山はかなり広い地域で、夜討ヶ窪は飯山の南外れ、北側の飯山観音に隣接した飯山温泉の近くではありません。いや、かなり遠いです。
どちらかといえば、これも有名な「七沢(ななさわ)温泉」の方が近いくらいです。もっといえば、以前厚木市に青山学院大学キャンパスがありましたが、同学園はさらに近いです。(ただし同大学キャンパスは、2003年相模原に移転したため閉鎖となりました。)
多分古くからの地元の人しか知らないであろうそんな地名を、元々の地元の人間でもない私がなぜ知ったかといいますと、以前の職業柄でです。
以前何度か述べましたが、私が当地に来て最初に就いた仕事は測量でした。町の小さな測量事務所ですから、広大な土地の測量はあまりなく、小規模宅地造成や個人が農地転用、宅地化して転売などに伴う分筆(ぶんぴつ)など、表示登記がらみの土地家屋調査士業務が主体でした。詳述は省きますが、それには横浜地方法務局厚木支局で閲覧した、「公図(こうず)」という各土地土地の古くからの地図が必要だったのです。(ただしその後法務省もコンピュータ化され、今では旧来の不正確な公図に代わり、かなり精度の高い「旧土地台帳附属地図」として、市民などからの請求があればコンピュータからすぐ取り出せるシステムになっています。)
今から35年も前私がまだ20代の頃、業務上で飯山の同地区の公図を調べていた時、たまたまその字名(あざめい)を発見したのです。『へぇー。おもしれえ地名だなぁ』と思い、記憶のどこかに残っていたわけです。
昔の地名というのは、何かしらその元になった謂われなり出来事などがあったものなのでしょう。ですからこの「夜討ヶ窪」でも、昔々江戸時代あたりその辺で、ばっさり夜討ちで斬った者と斬られた者がいたということなのではないでしょうか?もちろんその当時はまったく灯りなどなく、真っ暗闇の夜中にです。
それが当時としては周辺どころか、瓦版級の殺人事件、ビックニュースとなって近隣近郷に噂が広まるほどだった。それが後々まで人々の記憶に残り、いつしかその土地は夜討ヶ窪という地名になっていった、というようなことではないでしょうか?
その辺は公図から判断するに、少し距離は離れているものの、名門ゴルフコースの本厚木ゴルフ場と同じ高台の一角だったようです。その辺にたまたま窪んだ一角があったのでしょう。私が当地に来た昭和40年代は、その辺一帯は見渡す限りの田園風景が広がっていました。(もっともその手前は、市街から高台の入り口に名門厚木高校があり、緑ヶ丘という規格化されたネーミングの広い住宅地、さらには「尼寺原工業団地」というこれまたおかしな名前の工業団地がありましたが。注-今もあります。)
しかし今ではその辺は新しい幹線道路も整備され、同路線沿いにはきらびやかな店舗が続いています。そしてその一帯は大住宅地です。今となっては、その辺を車で通ってみても、「さて、どこが夜討ヶ窪であるのやら」というほどの変わりようです。
(大場光太郎・記)
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