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中川元財務相を悼む

 4日衝撃的な訃報が飛び込んできました。中川昭一元財務相(56)が都内の自宅寝室で急死したというのです。その第一報に接して私は真っ先に、『さては自殺か?』と思いました。そう思わせられる根拠があったからです。
 しかしその後の続報では、警視庁の行政解剖により死因は循環器系疾患による病死とみられるとのことです。近くには睡眠剤が残っていたものの大量に飲んだ形跡はなく、遺書などもなく自殺の可能性は低いと見られています。(遺族は「急性心筋梗塞」と説明。)

 中川昭一氏で記憶に新しいのは何といっても、今年2月のG7後のローマでの「もうろう会見」です。そのようすは国内のみならず全世界に配信され、世界中の心ある人々の大顰蹙を買いました。それまでは自民党内の“若きプリンス”でしたが、この一件で中川氏の運命は急暗転。将来の総理、総裁候補の芽は消えました。
 直後に財務相を辞任。しかしそれでは済まず、先の総選挙では地盤である北海道11区から立候補するも選挙区落選。武部元幹事長、町村元官房長官らロートル議員が比例で復活当選するも、中川氏はそれも適わず衆議院議員の身分も失いました。

 どういうわけか子供の頃から大の“自民党嫌い”の私は、もうろう会見の折りは絶好の機会とばかりに、中川氏そして自民党を思い切ってこき下ろしました。またつい先日の森元総理記事では、「中川(酒)」という記者用語も紹介しました。今となっては、故人への誹謗中傷であり謹んでお詫び申し上げます。

 私は中川昭一氏に、個人的な怨恨などは何も持っていませんでした。すべて「自民党バッシング」の材料として使わせていただいただけです。そして中川氏は、そんなに嫌いな政治家ではありませんでした。むしろ“自民党嫌い”の私にしては珍しく、政策通の中川氏を内心では密かに評価してもいたのです。
 またもうろう会見は極端な形で表面化してしまいましたが、憎々しい他の自民党議員などと違って、どこか憎めない愛嬌のようなものも感じていました。(ただし、同氏の「核武装やむなし論」だけは今もってお断りです。)

 それより何より中川昭一氏は、かつて「北海のヒグマ」の異名を取った中川一郎氏の忘れ形見だったのですから。一時は自民党総裁選に名乗りを上げようと、あの闇将軍田中角栄と対等に掛け合ったという、豪放磊落な生前の父一郎氏を私は大いに買っていたのです。
 しかしその中川一郎氏も、昭和58年(1983年)1月9日札幌市内のパークホテル一室の浴室で変わり果てた姿で発見されたのでした。享年57歳。最初は病死とされたものの数日後自殺と判定。しかし遺体発見の状況に数々の謎が残されたことから、親しかった一部政治家の中には、外国の情報機関が関与した「謀殺説」を公然と唱えた者もいました。一郎氏の死は今に到るも、戦後政治史の大きな謎の一つとして現在も語り継がれているのです。

 思い返せば、中川一郎氏の逝去を受けてその後継者として、当時一郎氏の秘書だった鈴木宗男と長男の昭一が対立し、それまでの一郎氏の支持基盤が分裂する騒動にまで発展しました。分裂したまま迎えた‘83年総選挙には、昭一と宗男が共に譲らず立候補。当時の中選挙区制の下2人とも当選しました。
 時に中川昭一氏30歳。興銀マンから政界への転身でした。以来今回の選挙で落選するまで8期衆議院議員を務めたわけです。

 (議員の身分を失ったとはいえ)政治家としては若すぎる死だったと言わざるをえません。どうしても父一郎氏の死がダブって見えてしまいます。昭一氏の場合自殺ではないというものの、親子そろって「非業の死」だったなという想いがぬぐえないのです。

 遺体からは睡眠薬の他にアルコール成分も検出されたそうです。その他前々から腰痛の持病があり、その鎮痛剤の服用もあったといわれています。今回は鎮痛剤服用の痕跡は認められなかったようですが、少なくとも睡眠薬とアルコールが複合的に作用して死期を早めた可能性は否定出来ないと思います。
 昭一氏は最近家族に「あまり眠れないんだよ」とこぼしていたそうです。前々から同氏の飲酒問題は関係者の間では公然の秘密、その上睡眠剤の常用。昭一氏は元々ナイーヴな気質、その上今回は体調不良や心労が重なっていたとみられます。

 やはりこたえたのは、例のローマでの「もうろう会見」以降の運命の暗転でしょう。順調にエリートコースに乗っていた昭一氏にしてみれば、人生初にして最大の挫折、試練を想像以上に感じていたのかもしれません。
 しかしそれがどうしたというのでしょう。そんなに深刻に思い悩むことでしょうか?私ら一般ピーピルには、東大法学部に合格、卒業などはおろか、興銀(日本興業銀行)マンとして勤務すること、さらには衆議院議員となって主要閣僚を何度も歴任すること…、すべて夢のまた夢なのです。「夢のまた夢」ならば、あのもうろう会見も議員落選もまた、夢のまた夢だったのです。深刻に悩まず思いっきり笑い飛ばして、再起に向けた前向きなリアクションを起し続ければよかったのです。
 中川昭一氏にはそれが出来なかったのですね。エリートゆえの、(お友だちの安倍晋三元総理もそうでしたが)二世議員ゆえのひ弱さでしょうか?

 一時期「骨肉の争い」をした鈴木宗男の場合はどうだったでしょう。昭一氏と同じ年代の頃、(今となっては「国策捜査」の臭いもする)‘02年の一連の「宗男問題」で衆院予算委で集中砲火は浴びるは、自民党離党の上衆議院議員の身分は剥奪されるは、長い留置所生活は送るは、懲役2年の有罪判決は出されるは、その上自身の身にガンを患い手術を受けるは…。ありとあらゆる試練、逆境に遭いながらそれらを全部はじき返して、新党大地を立ち上げ衆議院議員としてカムバックしたのです。北海道の一ドン百姓の子せがれの、たたき上げの負けじ魂を見る思いではありませんか。
 その鈴木宗男は昭一氏の訃報に接し、「驚きと悲しみでいっぱいです。この政治の世界私自身の経験も含めて、つくづく厳しいものだと思う」と、涙をボロボロこぼしながら話していたのが印象的でした。

 中川昭一氏の長女中川真理子は、現在フジテレビ報道局の記者だそうです。かつて小渕恵三元総理の急死を受けて、TBS勤務で政治のズブの素人小渕優子が、父のジバン、カンバン、カバンを引き継ぎました。
 一部では早くも、昭一氏の跡目としてその真理子氏や、「ガンバレ ! 日本一 !」の掛け声で一躍有名になった郁子婦人の名前が取りざたされているようです。世襲論議が切実な当今、ご本人たちも後援会もそういう選択だけは止めてもらいたいものです。

 末尾ながら。謹んで中川昭一氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記) 

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