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十六夜(いざよい)

   十六夜の窓辺に寄りし人の影   (拙句)

 きのうの十五夜は既報のとおり雲が多い夜空となり、名月が見られるかどうかはらはらさせられました。雲間より十五夜月がその全貌を現し、そして黒雲の間に紛れ込んでしまった午後6時前頃。満月本来の溢れる光が全く遮られてしまうほど、空全体が漆黒の闇に覆い尽くされてしまい、もうこれきり今夜は無月になってしまうのだろうと思いました。

 しかし変わりやすきは秋の空、それは夜空とて同じこと。7時過ぎあまり期待もせずに夜空を仰いでみると、あれほど全天をすっぽり覆っていた雲が特に中空では切れ始めていて、名月は雲を透かして全貌が見えたり、雲間からすっかり姿を現したりしていました。その時分満月は、夕方の黄金色から冴え冴えとした白銀に面を変えています。
 それからずっと見続けるわけにもいかず、時折り見てみるに、依然雲間を出たり入ったりの観月ショーが夜通し見られたようです。

 きょう10月4日は、きのうとはうって変わってすっきりした秋晴れの一日となりました。日曜日でもあり、各地の行楽地は家族連れなどでさぞ賑わったことでしょう。我が国でこのようなレジャースタイルが始まったのは、意外に早く大正時代のことでした。都会から郊外に電車が開通したことによりまたその後の自動車の普及により、一般庶民にとっても都市から近郊へ、さらに遠い行楽地へというレジャーの流れが確立していったのです。

 ともかく夕方になっても雲一つないと形容してもいいような、すっきりした秋の夕暮れ。ある家の庭には他の植木に混じって柿の木が見られます。実が大きく黄色に熟して、たわわに生っています。
 またとある家の建物に隣接した所には、平屋の屋根と同じ高さの酔芙蓉が見られ、今を盛りと花を咲かせています。まるでプラタナスの葉を思わせるような大振りな葉が全体に繁り、その所々からそんな葉に不釣合いなピンクの見事な花が開いているのです。なるほど酔芙蓉は、日照の加減なのか気温の加減によるものなのか、ある時は白々とした色で、またある時は本当にほんのり酔った佳人の頬のようにピンクがかった芙蓉さながらのゴージャスな花です。
 また少し近郊に車を走らせますと、当地では既に稲刈りを済ませた田んぼも見られます。まだの田でも稲穂が黄色く色づき重そうに下に垂れています。
 街並みのようすも街の景観の添物として置かれた自然の種々(くさぐさ)も、皆々静かな秋の夕暮れの佇(たたず)まいです。

 今宵も十六夜(いざよい)の月を見ようと、中津川堤防道に向かいました。そこでは東の空が川向こうに大きく広がって見渡せます。午後5時20分、何と既に十六夜月は昇っていたのです。いつもの堤防中段では、十六夜月は川向こうの大きな工場の陰に隠れてしまいます。そこで少し上流側の中段にずれて座りました。
 その位置では月は工場の左側、そこの屋根より少し低い所に昇っています。満月といっていいほどの大きなまん丸月です。わずか何分か見ているさえ月の上昇は明らかで、月は工場の屋根と肩を並べ、そのうち屋根を抜き去ってぐんぐん昇っていきます。それとともに見始めの頃は薄ぼんやりした明るさだったのが、暮色の深まりとともにくっきり明るさを増していきました。

 川そのものも静かな秋の夕川原の趣きです。この時期最近のぐずつき気味の天候の割には、川の流れはやや少なく穏やかです。下流からの南風のせいか、水面(みなも)が川上側にわずかに波紋して広がっている感じです。
 下流の大堰のこちら側に、見れば十羽ほどの鴨の群れが気持ち良さ気にめんめめんめに泳いでいます。
 こちら岸の水辺の葦群れも向こう岸の葦原も、天辺に穂波が連なって白く見えています。ことによく見えるこちら岸の葦群れは時折り吹きつける下流からの川風に、緑の葉も枯れた葉もかさこそ音を立てながら、白い穂とともに上流側に身をなびかせます。

 葦原の手前に私の位置より少し上流側に、8月上旬頃雑草を総刈りして以降生えたものと思しき、背の低いコスモスが一株夕風に吹かれながら咲いています。数年前まで上の堤防道の両側には、この時期コスモスが連なって咲いていて見事でした。それがいつしか同じコスモス科のオレンジ色の外来種に乗っ取られ、本来のコスモスはどんどん姿を消しつつあります。
 だからそうしてぽつんと数輪咲いているコスモスは、言ってみれば上の道に連なって咲いていたその忘れ形見。募りゆく暮色の中で、可憐さの上どこか哀れさを感じさせます。

 川にあって鳴く虫は早や盛りをすぎたのでしょうか。一頃のようなあっちこっちからひっきりなしにリンリンとではなく、葦陰の遠い所からか細く聴こえるのみ。
 午後5時45分。周りはすっかり夕闇に包まれ、十六夜月はいよいよ輝きを増し加え、早やもう工場のだいぶ高い所まで昇っています。川を見れば、何十メートルかの川幅いっぱいに、月影が千切れ揺らめきながら一本の帯のように連なって映っています。
 その様を眺めやった帰り際。近代西洋のさる画家が、水面に映じた月影によほど魅せられたらしく、何枚もそれを画題とした絵を描いていたことをふと思い出しました。

 (大場光太郎・記) 

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