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秋の名句(2)

              石田 波郷

   朝顔の紺(こん)の彼方の月日かな

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 石田波郷(いしだ・はきょう) 略歴は『夜もみどりなる(1)』記事参照のこと。

 略歴では触れられませんでしたが、石田波郷が本格的に俳句を始めるきっかけとなったのは旧制松山中学4年時、同級生からの勧めによるものだそうです。その同級生とは中冨正三、後の俳優・大友柳太朗(1912年~1985年)でした。と言っても今の若い人たちはピンとこないかもしれません。私たち団塊の世代より前の人たちしか知らないかもしれませんが、大友柳太朗は戦後の映画全盛の頃、嵐寛寿郎や片岡知恵蔵などと共に往年の大スターだったのです。
 愛媛県松山市といえば、近代俳句の創始者・正岡子規やその継承者・高浜虚子を生んだ土地柄です。当時地元の才能ある少年の多くが俳句を志したことでしょう。そのような切磋琢磨の中から、後に戦後昭和期を代表する俳人の石田波郷のような俊秀が育っていったものと思われます。

   朝顔の紺の彼方の月日かな
 若い頃の波郷句に共通してみられる叙情性がこの句にも漲っています。朝顔の句といえば今眼前する事象を叙述、叙景した句が圧倒的に多いようです。そんな中でこの句は、朝顔の「紺の彼方」に「月日」を透かし見ているのです。これこそが波郷による新発見であったわけです。
 波郷が眼前の朝顔の彼方に透視した「月日」とは、どんな月日だったのでしょう?来し方の「過去の月日」だったのか。それともまだ見ぬ「未来の月日」だったのか。それをうかがい知るには、この句が作られた頃の時代背景を探ってみる必要がありそうです。

 この句は昭和18年5月刊の句集『風切』に収録されています。ですからこの句が作られたのは前年の昭和17年の秋と考えてよいのでしょう。
 昭和17年6月波郷は結婚し、同句集が発刊された同月に長男が生まれています。波郷30歳頃のことですが、その頃が波郷にとって幸せのピークと言ってよい時期だったと思われます。だからこの句の「月日」は、やがて生まれてくるわが子と共に歩むであろう、遠い未来の月日と捉えられないこともありません。
 しかし当時の時代状況を考えてみますと、必ずしもそうとばかりは言い切れないように思います。既にお分かりかと思いますが、この時期は我が国の歴史始まって以来最大の戦争の真っ最中だったからです。「戦争」という重苦しいものが国民全体の上に覆いかぶさっていたのです。

 昭和16年12月8日真珠湾攻撃で始まった日米戦争は、開戦当初こそ日本軍が勝ち戦を重ねたものの、土台彼我の戦力、国力の差は歴然で、月日を重ねるごとに日本軍の旗色が悪くなる一方でした。
 ちょうど波郷が結婚した昭和17年6月の5日、日本軍の負け初めとなる大きな出来事がありました。ミッドウェー海戦です。同海戦の敗北以後、日本陸海軍は一度も態勢を盛り返せず、ガダルカナル、アッツ島、インパールなどの各戦線で敗退に次ぐ敗退を重ねていくことになるのです。

 何しろ言論統制下の戦時中です。大本営は国民に負け戦を隠し続けました。だからこの句を詠んだと思われる昭和17年秋、波郷が正確に戦局を認識していたかどうかは分かりません。そもそも波郷が戦争をどう捉えていたのか、私は寡聞にして知りません。
 しかしその後の波郷の歩みから推測するに、波郷は同戦争の積極的支持者だったとは考えにくいのです。むしろ、長引くだけでいまだ帰趨の見えない戦争に、どこか厭戦(えんせん)気分があったのではないでしょうか。

 少し回りくどくなりましたが。そんな時局であったことを考えると、この句の「紺の彼方の月日」は、将来展望としての未来の月日ではなく、回想としての「過去の月日」だったのではないだろうかと思われるのです。
 以前ご紹介した、1932年19歳で上京し「プラタナス夜(よ)もみどりなる夏は来ぬ」のみずみずしい句を作った頃の、東京の叙情的なとある路地に咲いていた朝顔。さらにはそれ以前の郷里の村や松山市に咲いていた朝顔…。重苦しい戦時下の彼方の、来し方の懐かしい追憶の月日。

 朝顔には赤や水色など数多(あまた)の色がある中で、「紺色」。その時代の色として、俳人は無意識的にこの色を選び取ったのでしょうか。
 まもなく波郷の身にも戦争の暗い影が襲いかかり、運命が暗転してしまうことになります。それはいずれまた別の句でお伝えできればと思います。

 (大場光太郎・記)

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