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『ヴィヨンの妻』など

 今年は作家の太宰治生誕100年だそうです。太宰は1909年(明治42年)6月19日生まれですから、なるほどちょうどそうなるわけです。
 ちなみに太宰治とまったく同じなのが、松本清張(同年12月21日生まれ)だそうです。しかし2人は個性も作風もまるで違う上、太宰の方は戦前作家、そして清張の方は戦後作家というイメージがあります。それもそのはずで、太宰が愛人山崎富栄とともに玉川に入水心中したのが昭和23年6月13日38歳のこと。その時清張はまだ作家活動はしておらず、ようやく処女作『西郷札』を書き始めたのがその翌年、清張40歳過ぎのことだったからです。

 ともかく節目の今年は、太宰治に関するイベントがけっこう多いようです。その一環として太宰の代表的な作品が、今年相次いで映画化されています。まず手始めは、6月頃に封切られた『斜陽』です。原作『斜陽』は、青森県五所川原市の生家が「斜陽館」(太宰治記念館)として残されているほどの、彼の代表作の一つです。
 高校2、3年の頃、学校の図書館で借りて一気に読み通し1日で読み終わりました。何事にも過敏感激症(裏を返せば過敏落込み症)だったあの頃の私は、心の底まで嬉しくなるような感動を覚えました。しかし漠然とながら作家を夢見ていた私は、同時期読んだ夏目漱石の『こころ』、島崎藤村の『破戒』、志賀直哉の『城の崎にて』、谷崎潤一郎の『春琴抄』などとともに、その完成度の高い作品に圧倒され打ちのめされもしたのでした。

 その時以来、『斜陽』は一度も読んでいません。確か戦後まもなくの頃の、没落華族令嬢がヒロインだったかな?くらいで、詳細なストーリーなどまるで思い出せません。『斜陽』だけではありませんが、あの頃あれほど感動した諸作品を、60歳過ぎた今読み返してみたらどんなだろう?と思うことがあります。案外面白い試みであるかもしれません。

 続いて今映画『ヴィヨンの妻』が公開されています。監督は根岸吉太郎で、主演は松たか子、浅野忠信です。この映画について、先日深夜の民放番組で予告編をやっていました。面白そうなので近いうち観てみようと思います。それに先立って、短編で読みやすいため原作をざっと1回読んでみました。
 そして同時に『パンドラの匣(はこ)』という作品も映画化されているようです。これは監督が冨永昌敬、主演は窪塚洋介。窪塚といえば、数年前横須賀の自宅マンション9階から謎の空中ダイブをし、一時は重体となりましたが、九死に一生を得てその後タレント復帰を果たしました。同事故をめぐっては、「あれは薬物以外考えらんねえぞ」という噂もありますが、さてどうなのでしょう。この映画は観るかどうか決めていません。その時の気分次第ということで。

 さらに来春には『人間失格』が封切られるようです。
 『人間失格』については些細な思い出があります。今から20年以上前のこと、私が本厚木駅目指して歩道を歩いていた人影まばらなある午後のこと。すると駅の方から一人の女性がやって来るのが見えました。見たところ20代後半くらい、やや大柄で太めな感じです。私がその女性に目がいったのは、何と本を読みながら歩いているからです。『今時、女二宮金次郎か?』。ついぞ出くわしたことのない光景に、すれ違いざま何の本なのか確かめたくなりました。読んでいるのは文庫本、そしてちらっとタイトルも分かりました。『人間失格』。
 彼女は知的に見えないこともないけれど、器量はイマイチ、はっきり言って不美人。おそらく電車の中でも読んでいて、止まらなくなったのでしょう。周りのことなどまるで眼中になく、本に釘付けのまま遠ざかっていきました。私は一度後ろを振り返って、『ありゃ、かぶれてるわ』。

 ことほどさように、太宰治の作品は読者をとりこにする魔力のようなものがあるようです。彼の独特な文体や、言葉の魔術師的技巧、思わず蕩(たら)されそうな機微をうがった描写などによるものなのでしょうか?それが証拠にこの『人間失格』は、新潮文庫中漱石の『こころ』と何十年も売上げ累計トップを争っているのだそうです。
 私はその何年も後40代前後の頃、はじめて『人間失格』を読みました。もちろん感受性は鈍磨し、人間世界の垢がずいぶんくっついた身。それなりの面白さは感じたものの、『斜陽』の時のような沸き立つような感動など望むべくもありませんでした。しかしそうは言っても、太宰最晩年の遺作とも自叙伝的とも目されている作品。この映画化は今から楽しみで、その前今度はもう少し丹念に読んでみようと思います。

 最後に『ヴィヨンの妻』を読んだ感想らしきものをー。
 『斜陽』と同時期の昭和22年の作品です。さすが太宰は小説の名手、『うまいなあ』の一言です。大谷というはちゃめちゃな売れない詩人の妻の視点から描かれた短編です。
 最近の文体の流れは、シャープで小気味よい短いセンテンスが主流であるのに、この短編は会話文でも地の文でも、話があっちに飛んでこっちに飛んで、いつ終わるかしれないほどやたら長い文章で、しかしこれも太宰は戦略的にそんな文体にしたのに違いなく、なるほど最後でぴたっと筋道がついて、大谷や大谷に戦前から飲み代を踏み倒されっぱなしで、しまいにはタンスの中の年越しの虎の子の五千円まで盗まれる飲み屋の夫婦のことも、語り手の妻のことも、彼らを取り巻く状況も戦後まもなくの逼迫した世相なども、何もかも判然としてくる仕掛け、この辺が太宰の真骨頂に違いありませんです。

 しかし読みながらタイトルにある「ヴィヨン」とは一体何者、それでタイトルの『ヴィヨンの妻』とは何を暗示しているのかしら、と疑問を感じながら読んでおりましたら、ありましたのです文の途中に、それは「フランソワーズ・ヴィヨン」という詩人として出ていましたので、これはまた太宰創作の架空の人物か、はたまた19世紀末フランスのボードレールのようには売れなかった退嬰的な詩人の名前を拝借したものかと推量し、しかし気になって調べてみましたら、意外なことに実在の人物で、何と15世紀中世フランスのけっこう有名な詩人、貧しい生まれながらパリ大学にも入ったはいいが、生来のアウトサイダー的、破滅型的性格から盗賊団や売春婦と付き合い、身を持ち崩しながらも後世に残るような瑞々しい詩を書き上げ、30歳過ぎた頃忽然と歴史から消え去ったという大変面白い人物で、無頼派の太宰は自分と響きあうヴィヨンを知って、その人物に託して大谷なるデカダンな人物像を作り上げたものなのでございましょう。

 と太宰の文体を少し模倣して述べてみました。作るにも読むにも骨が折れますね。ともあれ、映画『ヴィヨンの妻』は原作をどのように料理しているのか、大谷の妻を松たか子はどのように演じているのか、楽しみです。

 (大場光太郎・記) 

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