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つげ義春『ねじ式』

 時として思いがけない人や物や出来事に出くわすことがあるものです。
 先日のある午後、私は街のコーヒーシップを利用しました。途中トイレで用を済ませ洗面所に立ちながら、ふとそこの際の下に置いてある、丸くて小さなゴミ箱に目がいきました。するとその中にはスポーツ紙らしきものと共に、少し厚めの文庫本が投げ込まれているのが目に止まりました。
 『んっ?』。いくら何でも、本などは滅多に捨ててあることはないはずです。元来本好きな私は『どんな本だろう?』と、誰かが読み終わって捨てたくらいだからどうせつまんない読み物なのに違いないと思いつつ、一応そこから取り出して手に取ってみたのです。

 見ると、それは「ちくま文庫」中の一冊で、題名が『ねじ式/夜を掴む』とあります。左上には「つげ義春コレクション」ともあります。つげ義春の『ねじ式』 !?ちくま書房では、マンガも文庫化しているわけ?ともかく有名なマンガですから、題名は知っています。いつか機会があれば読んでみたいとまでは思っていたかどうか…。
 何となく興味が湧いてきて、中のページをパラパラとめくってみました。ページの所々に、何やらエロチックな画も見られるではありませんか。私が本来的に持っている劣情も刺激されて(笑)、『よしっ。一通り読んでみるとしよう』。そう決めて同本を持って自分の席にて戻ってきたのでした。

 さあそれから予定変更で。早速それを読み始めました。マンガですから「見る」というべきか、いえこれに限っては「読む」といった方がよりふさわしいようです。最初はタイトルの『ねじ式』、次に『ゲンセンカン主人』『夢の散歩』と続き、いずれも短編、全部で10数編くらいありそうです。とりあえず最初の『ねじ式』から始めて、知らず知らずのうちに「つげ義春ワールド」に引き込まれ、あっという間に5編ほどを読み終わりました。
 いくらなんでも業務予定もある身、全部を読み終えるわけにもいかず。本当は一通り読んだら、また元のゴミ箱に返すつもりが、捨てるのが惜しくなってバッグにしまいこんでその店を後にしたのでした。

 家に戻って夕方続きを読み直し、結局全編読み終わりました。どこぞの「マンガ好きの(前)総理」と違って、私がマンガに没頭するなどずいぶん久しぶりです。私が大のマンガ好き少年だったのは小学校4年生頃まで。当時の人気漫画『赤胴鈴之助』『猿飛佐助』『まぼろし探偵』『月光仮面』『鉄腕アトム』などは夢中で読みました。
 しかしその頃「読書の楽しみ」を知ってしまった私は、いつしかマンガはほとんど読まなくなっていったのです。20代、30代の現実対応に大わらわで読書どころではなかった頃も、マンガはあまり読みませんでした。
 今回図らずも「つげ作品」に接して、『やっぱりマンガもバカにしたものではないな』と認識を新たにした次第です。

 つげ義春の代表作とも言われる『ねじ式』は特にそう思います。本の後の解説によると、つげがこの作品を最初に発表したのは、昭和43年のことだそうです。当時「ガロ」という有名な漫画雑誌があり、それまで全く売れなかったつげは、この雑誌の連載でようやく少しずつ読者を獲得していったようです。
 同年6月のガロ臨時増刊号が「つげ義春特集」で、原稿締切り迫る中何も書けずに困っていたつげが、ある時見た夢をモチーフに、「えぃやっ」とばかりに軽い気持ちで描いたものだそうです。

 それにしては、何とも純度の高い「芸術作品」というべきです。漫画というよりは、コクのある文学短編を読んだような、味わい深い作品だと思います。俗に小説などでも、「2度繰り返して読みたくなる作品は良い作品だ」と言われます。私はもちろんその後捨てることはせず、この『ねじ式』はもう10回近く読み返しました。
 これをお読みの方で興味を持たれ、近くの本屋さんで早速立ち読みでもしてみようと思われた人もいることでしょう。ですからストーリーには触れないでおきます。「夢」に題材を取っただけあって、シュールな展開そして絵。全編に流れるユーモアとペーソス…。

 つげ義春は、昭和12年東京葛飾区生まれで5歳で父と死別。以後母子家庭で苦労して育ち、間が悪いことに小学時代がちょうど戦時中。新潟に疎開するも集団生活になじめず、以来成人しても極度の赤面恐怖症に悩まされ続ける。学歴は小学校卒業のみ、メッキ工として就職するも対人恐怖症のため、一人でやっていける仕事として漫画家の道へ。
 漫画家で親交があったのは赤塚不二夫だけ。手塚治虫伝説で有名なトキワ荘にも短期間住んだことがある。全く売れずに錦糸町の下宿代を2年間滞納し、以後8年間便所を改造した一間に幽閉状態になっていたことも。昭和37年には自殺未遂を図り、病院に担ぎ込まれる。
 『ねじ式』など彼の作品には、そんな苦労人のつげの人生が投影されている作品が多いように思われます。

 ところでこの作品が発表された昭和43年といえば、私が山形の高校を卒業して現居住地にやってきた年です。世間知らずの田舎少年が突然火宅の首都圏に投げ込まれたような感じで、まるで生きた心地がしない時期でした。それで当時は、こんな作品が出たことなど全く知りませんでした。

 当時は70安保の学生運動が激しさを増しつつあった頃。ちょうどフォークソングがブームになりかけた頃で、巷ではフォーク・クルセダースの『帰ってきたヨッパライ』、ピンキーとキラーズの『恋の季節』、ザ・タイガースの『花の首飾り』、黛ジュンの『天使の誘惑』、小川知子の『夕べの秘密』などという歌が流行っていました。
 社会的には、2月に暴力団員2名を殺害して静岡県寸又峡温泉の旅館に一週間立てこもり続けた金嬉老の事件、10月の川端康成の日本人初のノーベル文学賞受賞の報、年の瀬の12月に府中市で起きた3億円強奪事件などがあった年でした。
 そんな中今の時代でも通用しそうな、シュールで社会の暗部を抉り取った不条理劇のような漫画作品があったなんて !

 この作品は私が知らなかっただけで、当時の「全共闘世代」の大学生や若者たちから支持され、世間に衝撃を与え、その後の日本漫画界に多大な影響を及ぼしたのだそうです。今回初めて読んでみて、『なるほどねえ』と納得させられるものがあります。当時はこのような手法で描かれた作品は皆無だったはずです。まさに革命的な作品だったのではないでしょうか?
 後の漫画家、例えば長谷邦夫の『バカ式』、赤瀬川原平の『おざ式』、蛭子能収の『さん式』、江口寿史の『わたせのねじ式』などさまざまにパロディ化もされていますし、また映画化もされているようです。

 (大場光太郎・記)

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