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2009年11月

事業仕分けが終わって

 来年度予算編成における「事業仕分け」が終わりました。鳩山政権下で始まった同仕分け作業は前半後半2週間にわたりましたが、「予算のムダ」に斬り込むまったく新しい試みとして、終始国民有権者の高い関心を呼びました。

 「仕分け人」と呼ばれる政府関係者VS各省庁のお役人という対立図式。
 仕分けする側とされる側の役人たちが、一つ一つの予算案をめぐって「これはどうして必要なんですか?いらないんじゃありませんか?」「いえ、これはかくかくしかじかの理由で必要なんです」「どう考えても必要ないでしょ。止めましょう、今回は」というような丁々発止のやり取りが続き、「いる、いらない」が次々に判定されていく。そのプロセスを国民希望者が自由に傍聴も出来る。またネットでその映像を見ることも出来る。
 一部からは、「まるで公開処刑のようだ」という批判の声も挙がりました。それが的を得ているかはともかく。まったく画期的な仕分け作業となりました。

 同仕分け人は、時にかつての名時代劇ドラマをもじって“必殺仕分け人”と呼ばれもしました。その代表格が、民主党の蓮舫参議院議員であり、枝野幸男衆議院議員であり、菊田真紀子衆議院議員でした。特に蓮舫議員の、さしものお役人もたじたじの鋭い突っ込みが連日テレビなどで映し出され、多くの国民の注目を浴びました。
 一躍“時の人”となった蓮舫議員を簡単に紹介しますとー
 蓮舫(れんほう)は1967年(昭和42年)11月28日、台湾出身の父と日本人の母との間に東京で生まれました。青山学院大学法学部卒業後、グラビアアイドル、テレビ司会者などを経て、‘04年民主党からの誘いにより参議院議員となった異色の議員の一人です。テレビ朝日の深夜の名物番組『朝まで生テレビ』には、議員になる前からパネリストとして度々出演し、社民党の福島瑞穂や辻元清美らと共に舌鋒鋭い女性論客の一人として知られていました。

 さて事業仕分けについて、野党に転落した自民党幹部は「新政権のかっこうの攻め時」とばかりに、スタート直後「本来は大臣や副大臣がやるべきこと」「きちんと詰めないと政治ショーに終わる」「事業の優先順位をどう考えるか、削減理由をきちんと説明すべきだ」(石破茂政調会長)あるいは「わずか1時間で、事業の良い悪いを裁断するのはパフォーマンスにしか見えない」(大島理森幹事長)といった批判が相次ぎました。
 自民党幹部のネチネチした繰り言にも関わらず、国民有権者の7割以上は同仕分けを支持しました。そんな国民の意思を察知したのか、作業が前半を終了する頃には、「こりゃおもしろいわな。新鮮に映る。ヒットしている」「なんで自民党の時にああいうことをせなんだかなぁ。出来なかったのは正直言って、非常に残念だと思っていますよ」(谷川秀善参院幹事長)と一転ベタ褒めするやら、悔しがるやら。

 そもそも50年以上にも及ぶ自民党政権下では、予算編成過程など国民にとっては五里霧中不透明なまま、どこの省庁がどういう理由で各予算を上げてくるのか、何の説明もなく「はい。これが来年度の国家予算です」とある日突然総額のみニュースで知らされるだけ。今回それに初めてメスを入れて仕分けしただけで、目標の3兆円には遠く及ばぬものの1兆8千億円もの予算がカットされたのです。
 従来の旧自民党型の国家予算にはどれほどのムダがあったことか。それが今日、国、地方合わせて八百数十兆円という世界にも類を見ない財政赤字となって国民全員に重くのしかかってきているわけです。とにかく今回の仕分けによってその一端が垣間見えたわけで、これぞ「政権交代の意義」と言うべきです。
 政官癒着ズブズブの旧自民党政権では、このように予算編成のプロセスを透明化することなど、この先も出来っこなかったのです。『あなた方のおかげで国民一人一人が六百数十万円もの借金を背負わされているんです。元々出来なかったんだから、文句言わずに黙って見ていなさい』。自民党のお偉方にはそう言いたい気分です。

 行革担当相の仙谷由人は今回の仕分けの成功に気を良くして、「来年はゴールデンウィーク明けくらいから始めるか」と、来年度以降も仕分けを続けていくことを表明しました。
 しかしこの「事業仕分け」、手放しで評価してばかりもいられないようです。幾つかの重大な問題点も見えてきたからです。

 その一点は、事業仕分けは結局「財務官僚主導」なのではないだろうか?という疑問です。確かに同仕分けの席では、財務官僚が進行役をやっていました。「歳出カット」が至上命題の財務省が行司役となって、民主党を利用している図式と見えなくもありません。
 というのも「脱・官僚依存」とスローガンでは言ってみても、仕分け人である民主党議員にも予算の一々についてはよく分かっていないわけです。そのため蓮舫議員が科学技術開発予算をカットしようと、「どうして一番でなければならないんですか?二番じゃダメなんですか?」と鋭く斬り込んだのに対して、ノーベル賞受賞者たちが決起し「科学技術は日本の生命線である」旨の緊急会見は開くは、鳩山首相に面会を申し込むはで、首相もとうとう「我が国は今後とも技術立国を目指していく。その上で科学技術予算も必要である」と言わざるを得なくなりました。どの程度の依存なのかは不明としても、そのような現状では、財務官僚の手の上で踊らされるのもやむを得ない面があります。

 そして次は、各省庁が仕分け会場に持ち込んだ予算は本物か?という疑問もあります。最初からムダな事業を自分たちで選び出し、行政刷新会議に“お土産”として差し出した予算案だったのではないだろうか?そして本当に隠したい事業や身内にウマミのある予算は民主党政権には手をつけさせない…。結局は財務省のみならず「全官庁がグル」なのでは?という疑惑です。狡猾な官僚組織のこと、このような「予算隠し」が行われたとしても、決して不思議ではないのです。
 
 エコノミストの中からは、「仕分け人のメンバーの中には民主党が掲げる“国民の生活が第一”という理念に反する人たちが多くいる」という指摘もあります。例えば川本裕子、翁百合、高橋進、土居丈朗といったエコノミストや大学教授は、消費税引き上げ推進派だったり、小泉・竹中(デタラメ)路線の賛同者でもあるのです。
 また亀井静香金融担当相が噛みついたように、どうして日本の財務の仕分けに、モルガン・スタンレー証券のロバート・フェルドマン部長という外国人が入っているのか?このことも疑問です。肝心の「仕分け人」の人選、大いに問題がありそうです。

 国民有権者は、「劇場型事業仕分け」が面白いからと、ただ手放しで礼賛したり拍手喝采するだけではなく、このような諸問題も見据えて、来年度以降の事業仕分けを冷静にチェックしていく必要がありそうです。

 (大場光太郎・記)

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薬物汚染の拡がりを憂う(29)

 27日午前東京地方裁判所(以下「東京地裁」)において、覚せい剤取締法違反(使用、所持)罪の高相祐一被告(41)の判決公判が行われました。
 判決は「懲役2年、執行猶予4年(求刑2年)」というものでした。これは「実刑になるのでは?」「実刑は回避できても“保護観察処分”が付くのでは?」という事前の大方の予想を覆す、「大甘判決」でした。

 判決文の中で稗田雅洋裁判官も認め、暗に再犯の危険性を予測しているにも関わらずです。初犯とは言え高相被告は、「20歳の頃から(覚せい剤を)常習していました」「妻の酒井法子にも勧めました」と自ら供述しています。人生の半分以上を覚せい剤常習者として過ごしてきたのです。薬物の専門家が言うように、いかに法廷内で「今後覚せい剤ときっぱり縁が切れますか?」「はい」と誓ったとしても、そう簡単に断ち切れないのが「覚せい剤常習者の特殊性」なのです。通常常習者が断ち切るのに必要とされる期間は、「常習期間の3倍」の年月だそうです。
 そうすると高相の場合は、(現在の年齢)41+(常習期間)21×3 = 104。つまり、高相が104歳というべらぼうな年齢まで生き続けて、やっと覚せい剤と縁が切れるということです。高相被告の場合は、それだけ「再犯率」が極めて高いということなのです。

 東京地裁は、今以上の芸能界さらには社会全体の薬物汚染の拡がりを食い止めるためにも、「実刑」もしくは「保護観察処分付き」とすべきだったのではないでしょうか?そういう社会的な影響効果を果たして考慮していたのか?同地裁の見識が問われかねない判決だったように思います。

 この判決は、一足お先に今月9日「懲役1年6月、執行猶予3年」の判決が出ている、妻の酒井法子被告(38)の今後にも重大な影響を及ぼしかねないと見る芸能関係者もいます。同関係者は「これで酒井法子との離婚も状況が厳しくなった」と言っています。刑が軽いものであるだけに、以前から「酒井とは夫婦関係を維持していきたい」と言っている高相が、今後それを強く主張する可能性が高いからです。
 ほとんどの薬物の専門家が、「夫婦で常習している場合は再犯の可能性が著しく高まる」、したがって「離婚して互いに別々に厚生の道を歩んだ方がいい」と忠告しているのです。泥沼の「離婚闘争」にならないことを祈るばかりです。

 高相のことはこれくらいにして。今度は酒井法子の近況についてです。
 酒井法子は、既報のとおり現在都内南青山の酒井名義のマンションに住んでいます。そしてこれも予定通り、群馬県高崎市に本部がある「創造学園大学」のソーシャルワーク学部に入学しました。今月18日には学園本部に初登校しています。
 「のりピー入学」とあって同大学には、入学の問い合わせが殺到しているといいます。ここ数年間厳しい学校経営を強いられてきた同大学にとっては、大変な「のりピー効果」というべきです。そのため大学側は「福祉を学んでいただき、音楽療法の専門家としてもご活躍されるよう応援します」(同大学学長室)と大変な厚遇ぶりです。

 その上驚くべきことには、酒井が早くも『創造学園大学ELDホームページ』で“広告塔”として登場しているのです。それはネットを使った「E.L.D」という講義システム(e-ラーンニング)の紹介ページです。酒井が利用するのもこのシステムで、大半がパソコンを通した自宅学習で、リポート提出により単位を取得し、卒業まで4年程度かかるというものです。
 とにかくこのシステムの紹介ページで「酒井法子さんも学んでいます !」と大宣伝し、動画サイト「You tube」内の大学チャンネルのリンクを掲載しているのです。(注 現在同ホームページは、【酒井法子さん映像掲載について】というタイトルで、以下酒井入学関連についてコメントしています。また同タイトルクリックで動画にも入っていけます。)

 「酒井法子オリエンテーション」と名づけられたこの動画では、オリエンテーション風景のスライドショーと、酒井の音声メッセージを聴くことが出来ます。その中で酒井は、「皆さん、一緒に学びましょう」などと、女優時代と変わらない明るくハッキリした口調で、判決後初めてとなる肉声を披露しています。
 動画は29日未明現在再生回数176,000余回とかなり注目されているものの、ネット上では「やっぱりかわいい」といった声がある一方で、「執行猶予の身で広告塔になっていいのか」という厳しい見方もあるようです。

 既報のとおり同大学を卒業すれば、准介護福祉士の資格が与えられ同時に介護福祉士国家試験の受験資格を得ることが出来ます。しかし仮に介護福祉士試験に合格しても、厚生労働省の定めるところにより執行猶予が解けてから2年間、つまり今後5年間は実務には従事できません。それでは向こう5年間、資金的余裕はあまりないと見られる酒井法子はどうするのでしょう?
 ある芸能プロ幹部は、「元々介護福祉士の話は二次的なもので、芸能界復帰が本質ですからねぇ」と、冷ややかな見方を示しています。

 酒井には、事件によってCMスポンサーやレコード会社との間で損害賠償が発生しており、1億円以上酒井が支払う方向で話が進んでいるもようです。たとえ数年先介護の仕事に就けたとしても、介護士は“薄給”として有名です。介護関係ではとても支払える額ではありません。そのため芸能関係者の間では、酒井の芸能界復帰が囁かれているのです。
 例えば。都はるみなどがそうだったように、酒井も何かと面倒見の良い元所属事務所のサンミュージックに復帰するのでは?芸能界復帰は来年春ごろでは?いやいくら何でもそれでは早すぎるだろう、大学を卒業して世間の心証が良くなった数年先ではないのか?といったような具合です。

 中には「アジア進出」という見方も根強くあるようです。中国国営テレビの中国中央テレビは判決後、酒井法子を「玉女から毒女に転落し、同情されている」と報じたようです。「玉女」とは玉のように美しい女性のこと、「毒女」とは薬物に染まった女の意味だそうです。
 ともあれ酒井は今なお中国では、高倉健や山口百恵と並ぶトップスターであることに変わりないようです。そこで「酒井は十分ビジネスになる」と踏んでバックアップしようとしているのが、「台湾マフィア」や「香港マフィア」だというのです。例えば香港では酒井で何十億、何百億の金になるというのです。酒井サイドとしてもおいしい話です。いずれにしてもアジア進出計画は、既に水面下でサンミュージックや富永保雄にも話が来ているようです。

 また酒井本人に直接関係はないことながら。何とも気の早いことに、「のりピー事件」が映画化されることが決定したというのです。これは芸能リポーター梨本勝の事件後の著書『酒井法子 隠された素顔』を原作とした映画で、タイトルは『刹那(せつな)』。同事件を題材にしたもので、週刊誌の女性記者が主人公。実際のドキュメンタリー映像も交えたドラマとのことです。事件発覚は8月でしたが公開は来年1月とのこと。映画の製作スパンとしては異例の短さです。“ブーム”が去らないうちにと、現在急ピッチで制作が進行中のようです。(商魂たくましい業界では、今後「押尾学事件」「木嶋佳苗事件」「市橋達也事件」などの映画化、テレビドラマ化も検討中と見られています。いやはや。)
 何でも一時は酒井事件のテレビ視聴率が、「紅白」を超えるものだったそうです。国民のただならぬ注目を浴びた酒井法子の、アイドルからトップ女優に上り詰めたタレントの“転落”ドキュメンタリー映画、さて今度はどのくらいの関心を集めるのでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(12)

 生い立ち(2)ー中学時代から「援交」?秀才少女の裏の顔

 中学時代の木嶋佳苗のことをもう少し続けます。当時の同級生によれば、「とにかく頭が良くて、成績はいつもクラスのトップ5に入っていた。特に英語ができて(早い段階で)英検3級を取ったり、英語の暗誦大会に出たりしていた。高校受験の時もほとんど焦るようすはなく、当たり前のように合格していた」と話しています。
 とにかく中学校の卒業文集での文章力といい、佳苗は秀才少女として一目置かれていたようです。

 ところが、あまりにも厳しい家庭内のしつけに対する反発、反動からなのか。中学校時代の佳苗は、陰では徐々に「親としては受け入れがたい出来事」を起こすようになっていったというのです。
 元級友の話では、「中学時代、(佳苗が)援助交際をしているのではないかという噂が広まった。隣の中標津町で40代後半の男性相手に売春をして小遣いを稼いでいる、というもの。“ないだろう”とは思っていたけど、火のないところに煙は立たないし、気になった。そもそも他の子にそんな噂が立つことなんてなかったからよく覚えている」というのです。
 
 佳苗は小学校に上がる前から小太り気味だったようです。一部週刊誌には、中学卒業当時の写真も掲載されていますが、確かに太っています。それもあってか、周囲の男子には人気がなかったものの、年上からはかわいがられていたようです。「外見はいい方ではないので、男の子に人気があるわけではなかった。ただ勉強ができることもあってか、なぜか先生たちからは気に入られていた。体も他の女の子より大きかったし、援交の噂が出ても、変に納得してしまう部分があった」と同級生は話しています。

 佳苗はまた性格面では、見た目の地味さからは想像もつかないほどプライドが高かったようです。「大人びていて、口に出すわけじゃないが“自分は天才だ”と思っていたようだ。自分に自信を持っているというのは見て取れたし、違う世界の人物という感じを出そうとしていた。今思えば、自信満々で計算高いあの性格なら、殺人はともかく、結婚詐欺ぐらいはやってもおかしくないかも」とは、別の同級生の話です。
 佳苗は、身も心もかなりおマセな早熟少女だったようです。そして同世代の男の子には興味を示さず、ターゲットは常にうんと年上の男性ばかり。とにかく名家の長女として、勉強やピアノの稽古を一生懸命するうち、大人の男性に好まれる術を早くから身につけていったということでしょうか。

 思えば「援助交際」という買春、売春行為が社会問題化したのは、1990年代半ば頃。携帯電話やインターネットの出会い系サイトで爆発的に広まってからでした。しかし佳苗が中学生だった1980年代後半頃は、ケイタイもネットも普及しておらず、「援交」という言葉すら存在していなかったのです。
 
 元同級生のいうとおり「火のないところに煙はたたぬ」で、中学時代からの「援交」の話については、複数人からぞろぞろ出てきています。
 ある地元住民は、「郵便局に私書箱を開いてそれを使って親にバレないように複数の男と連絡しあっている、と聞いたことがあります。私が直接佳苗の母親にそのことを質すと“私書箱はね。お友だちを募集するために開いてるの。それだけよ”っていう返事でした」。
 また中学時代のある同級生は、「彼女の家は中標津町にアパートを持っていて、そこに年上の男性と入っていくのを実際に見た子がいたんです。相手は身内でもなく、学校で話題になりました。中2か中3の頃です。噂は高校に上がってからもあって、彼女の名前が出ると“怪しいことしてるよね”と話したものでした」。
 その他、高校時代佳苗の財布には“万札”が詰まっていたという話。また地元のレストランで年配の男と一緒のところを目撃された、などなど。この手の逸話は枚挙にいとまがないようです。

 こうして佳苗は中学生頃から早くも、今日世間を騒がせている「結婚詐欺師」の片鱗を見せ始めたわけです。それはともかく。
 佳苗は、別海中央中学校を卒業して同町内にある別海高等学校に進学しました。同校は1950年(昭和25年)創立の公立(北海道立)高校です。佳苗在学の頃は普通科だけでしたが、‘07年酪農経営科が設置され今日に到っているようです。

 別海高校に進学後は、部活の代わりに「ボランティア局」に所属。高校3年の夏休みには、町が主催する2泊3日のボランティア体験会に参加し、その感想を町の広報誌に次のように書いています。
 「この時代に、制度的な福祉だけに頼っているだけで、果たして人間的な潤いのある社会の実現が望めるのでしょうか。(略)相手にしてあげられる喜びを大切にして実行していきたいです」。(これは20年後安藤建三さん事件などで、歪んだ形で顕れてしまいます。)
 また高校に入ると、国語、英語、音楽以外にも、家庭科を得意としたようです。後にもつながっていくことになる「料理好き」は、料理好きの父親の影響もあったとみられています。
 
 ところで。広大な北海道には、当然高校も数多くあります。偏差値60以上の高校がゴロゴロしており、70以上の高校も珍しくはありません。その中で別海高校普通科は「40」。私自身は「偏差値だけがすべて」とは決して思いませんが、一応の目安にはなります。それからすれば、道内の高校の中でも低い方と言うべきです。何を言いたいのかといいますと、中学時代あれだけの文章を書ける知的レベルにあった佳苗に、同校は果たして合っていたのか?と疑問に思われるのです。

 これは札幌、函館などと違って、地域的な制約で致し方なかったとはいえ、佳苗の能力からすれば、偏差値60以上の高校へも楽に進学できたはずです。そうすれば、周りには自分と同レベルかそれ以上の者たちがぞろぞろいるわけです。とても独りよがりな「天才気取り」は通用せず、ライバルたちの刺激を受けて佳苗の負けん気な性格では、肝心な勉強の方に軌道が修正されて行ったかもしれません。その結果“援交”という変な癖も改まり、しかるべき大学、しかるべき就職、しかるべき結婚…。
 結婚詐欺であれほどの才能を見せたのですから、別のまっとうな道で才能が生かせたのではないだろうか?ということも考えさせられます。

 これもテレビで紹介されましたが、高校の卒業文集があります。
 【自己PR】欄では、「ニックネーム きじかな」「血液型 A型」「夢 かわいい奥さん&お母さん」「好きなタイプ 逸見政孝、志村けん、梅宮辰夫」(なるほど皆ずっと年上ばかりだ)「嫌いなタイプ 不潔、貧乏、バカ」(これは特に強調して取り上げられました。嫌味なほどのプライドの高さと言うべきです)「好きなTV番組 今日の料理、スーパー競馬」(高校生で競馬か?と、これも問題視されました)「3年間で辛かったこと 太ったこと、ダイエット」など。東スポで、「高校時代の全身写真」が既に公開されていますが、確かにその頃でも60㎏超と思われるほど太目だったようです。

 そして【FREE SPACE】欄には。
 「私は温かい家庭を築くのが夢です。専業主婦になって、だんな様に尽くす素敵な奥さんになるんだもん。(略)
 3月から私は東京人となります。(略)やっぱりTOKYOはすごいと思う。ありとあらゆる楽しみがいたるところに散りばめられている。いろんな情報をしっかりキャッチして、自分が楽しめる方法を見つけられたなら、TOKYOは、いつもドキドキ興奮し続ける街。(略)」

 確かに達筆ではあるけれど、そしていかにも18歳の女の子らしくはあるけれど。中学校卒業時のあの早熟な文章を知っているだけに、佳苗は高校の3年間で「精神的な成熟度」が少し退行してしまったのかな?と思えなくもありません。「援交」と「お料理」に忙しくて、勉強や読書や内省はおろそかになっていったのでしょうか? 
 ともあれ木嶋佳苗は、高校卒業と同時に、火に吸い寄せられる夜の蛾のように「TOKYO」へと向かうことになるのです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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かなえの殺人レシピ(11)

 佳苗の生い立ち(1)ー絵に描いたような名家の優良少女

 木嶋佳苗(きじま・かなえ) 1974年(昭和49年)11月27日北海道中標津(なかしべつ)町生まれ(?)。小学校3年時、隣町の別海町(べつかいちょう、べっかいちょう)に移り、以後高校卒業時まで同町で育つ。

 佳苗が小学3年から過ごした別海町は、北海道東部(根室支庁)に位置する人口1万6千人ほどの町です。東の海岸線の向こうには北方領土の一島・国後(くなしり)島が浮かんで見えます。町の西部には、陸上自衛隊北部方面隊第5旅団別海駐屯地(矢臼別演習場)が置かれています。南は根室市、浜中町、厚岸(あっけし)町、西は標茶(しべちゃ)町、北は弟子屈(てしかが)町、中標津町、標津町と接しています。ただし別海町役場から中標津の中心街までは30km以上離れており、他の市町もほぼ同じようなオーダーです。町の西の方向数十kmには釧路湿原、ほぼ同じ距離で北西には摩周湖があります。(「北海道東部地図」
 道内では5番目に大きな市町村で、町の大半は原野を切り開いた丘陵地帯です。写真などで町の遠景を見ますと、町外れには広々とした牧草地が広がり、木立の中に西洋風の瀟洒(しょうしゃ)な家並が連なっている、どこか北欧の町が連想されるようなシャレた町並みです。同町は牛が12万頭もいるような酪農の町でもあるようです。

 別海町を地盤とする父方は、同地方では名家とみなされる家系でした。母方の実家は中標津町ですが、父方のようにはよく分かりません。ただ、そこそこの家柄であろうことは推測できます。
 父方の祖父は同町で長く司法書士事務所を経営しており、町議会議長を3期も務めた名士です。また同氏は今秋急死した元財務相・中川昭一氏の同町の後援会長的立場でもあり、ビザなし北方領土訪問団団長を務めたこともあるといいます。
 同氏は1999年(平成11年)秋の叙勲で、勲五等双光旭日章を受賞。翌年の1月14日にはウェラプラザ別海にて受賞記念祝賀会が催され、町内外から100名が出席、発起人の一人だった当時の町長が祝辞を述べています。

 父親は行政書士。(佳苗の)祖父の業務を補佐するため、それまでの勤務先を退職して中標津から一家で引っ越すことになったものと思われます。母親はピアノ講師。2人の間に長女の佳苗を筆頭に、1男3女4人の子供をもうけました。
 母親はもとより父親もまた料理好きで、佳苗が子供時代は「毎日のように家族中で手の込んだ料理を作ったり、また毎年近所の写真館で家族写真を撮っていた」とは当時を知る近隣住民の話です。

 母親がピアノ講師であったことから、当然子供たちにもピアノは教えたことでしょう。父親もクラシック好きで、父方の祖母も昔は中学校の音楽教師だったといいます。(そのような経歴からか、佳苗は上京後、肩書きの一つとして「ピアノ講師」を名乗っていました。旅行先のホテルで見事なピアノ演奏を披露したこともあったようです。)
 祖父の肩書きといい、家庭内の暮らしぶりといい。まるで絵に描いたような、人も羨む名流家庭ぶりが浮かんでくるようです。

 「しかし」と、ある近隣住民は話します。「家庭内でのしつけは厳格を極めた」と言うのです。(たいがいの名家にありがちですが)特に母親が事のほか教育熱心で、下の弟妹たちが小学校時代にはPTAの役員を務めていたそうです。
 その住民は続けます。「教育熱心なあまり、あの家にはテレビがなかった。子供の小遣いもなし」そのため見かねて「子供が欲しがってるんだから、テレビくらい買ってやんなよ」と父親に言ったこともあったそうです。その甲斐あってか、子供たちはみな成績優秀。特に長女の佳苗は両親にとって「自慢の子」だったようです。

 そんな厳格な家庭の子女として育った佳苗はどんな子だったのでしょう?
 佳苗の当時を知る同級生は、「小学校時代はおとなしくて勉強ばかりしていました。みんなでワイワイ遊んでいても、彼女は隅の方でポツンとしていた」と話しています。しかし佳苗は親の厳しいしつけと勉強の甲斐あって、別海町立中央中学校へ進むと順調に成績を伸ばしていきます。「授業中一人だけ高校のドリルをやっていました。先生も彼女だけは別格扱いだった感じです」とは、中学時代の同級生の話です。
 小学校時代から町の感想文コンクールでたびたび賞を取り、中学2年時は最優秀賞を受賞。町の広報誌に名前が載ったのも一度や二度ではなかったと言います。

 事件発覚後、テレビなどでも中学卒業時の文集の一部が公開されました。同文集には、「特技 ピアノ・食べること・寝ること」「趣味 読書・料理・映画鑑賞」と前書きがあり、続いて長い本文が続きます。とても中学生とは思えない大人びた文章です。一部を以下に引用します。
 
 …中学校生活を振り返ってみると、(略)実にいろいろな事があったものだ。一時は組織の中で部品化しているような大人達に、善人顔して、教育という名の嘘を教えられている様で耐えられなかった。そんな私に「もっと素直になれ、素直になれ、やってみろ」と教えてくれたのが、映画であり、音楽であり、絵画であり、先生達であったのかもしれない。

 この三年間、さまざまな「出逢い」と「別れ」があった。どれもすばらしい、大人へのステップになったと思う。いろいろな人と接するということは、自分が「世間」を広げるために、本当に大切なことだと思う。私の世間というのは、まだ別海町でしかない。でも、だんだん広がっているような気がする。広がれば物の見方が変わってくる。

 人間は決して一人では生きていけない。つくづく考えさせられた。だから、集団生活での決まりというものは必ず守らねばならない。守らないからこそ、大人達はより厳しいきまりをつくる。守っている者にとってこれほど迷惑なことはないし、大人達だっていい気はしないだろう。自分の考えを通すということと、自分勝手とは違う。自分がそこに生存していることを考えて、かつ、位置を見極められる人間にならなければいけないと思う。……。
 (木嶋佳苗『別海中央中学校卒業文集』より←全文が読めます) (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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『龍馬伝』は面白そう !

 今年のNHK大河ドラマ『天地人』は22日(日)で終わりました。いささか気が早いことながら、心は既に来年の大河ドラマ『龍馬伝』に飛んでいます。タイトルからも分かるとおり、同ドラマは幕末の風雲児・坂本龍馬の生涯を描いたドラマです。
 英雄、偉人数々おれど。日本人にとって最も人気があり、その名を知られている日本史上の人物として、“坂本龍馬”は間違いなくそのベストスリーに入るのではないでしょうか?いや、あるいはナンバーワンであるかもしれません。

 ところでNHK大河ドラマは『龍馬伝』で第49作だそうです。1963年(昭和38年)幕末の大老・井伊直弼の生涯を描いた舟橋聖一の同名小説『花の生涯』のドラマ化が第1作でした。1968年(昭和43年)には司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』で、既に坂本龍馬は主人公になっています。そして同ドラマを契機として、その頃「司馬遼ブーム」「龍馬ブーム」「明治維新ブーム」が沸き起こったように記憶しています。
 それ以降も、『勝海舟』(‘74年)『獅子の時代』(‘80年)『翔ぶが如く』(‘90年)『篤姫』(‘08年)と、「幕末明治維新もの」で龍馬はドラマに欠かせない人物として何度も登場したことでしょう。(申し訳ありませんが、私は上記のどれも観ておりません。よって断定はできないのです。)

 『龍馬伝』は、坂本龍馬と同郷の土佐藩出身で、後の三井財閥の創業者・岩崎弥太郎の視点を通して龍馬の生涯を描いたものであるようです。来年1月3日からの放送です。
 プロデューサーは鈴木圭。同氏は「“龍馬伝”で描こうとしている龍馬像は、“ネバーエンディングな人”。つまり進化し続ける人、自分に終着点を設けない人、果てしない伸びシロを持った人です」と言っています。そして「そんな“昇り龍”である龍馬を演じられるのは、当初からこの人しかいないと考えていました」と、主役の坂本龍馬を福山雅治(ふくやま・まさはる)にした理由を述べています。
 私は福山雅治(39)は今まで名前くらいしか知りませんでした。でも既に彼の龍馬としての肖像写真らしきものが出来ています。それを見る限りでは、どことなく実物の龍馬を写した写真と風貌が似ていそうで期待が持てます。とにかく大河ドラマの「顔」になるわけですから、これがミスキャストですと、視聴者は1年間つまらない思いをすることになります。しかし来年度は、福山龍馬に大いに期待してもいいのかな?と思います。

 演出はテレビドラマ『ハゲタカ』や同ドラマ『白洲次郎』の大友啓史。脚本は映画『陰陽師』やテレビドラマ『HERO』『ガリレオ』などの実績をもつ福田清。
 そして副主人公格の岩崎弥太郎役として香川照之。香川は映画『沈まぬ太陽』のラスト近くで重要な役どころで出ていました。また年末までの日曜日夜放送の“プロジェクトJAPAN”スペシャルドラマ『坂の上の雲』では、主人公の一人である正岡子規役でもあるようです。私はかつて“司馬遼”の原作を読んだ関係で、同ドラマを『龍馬伝』以上に期待しているのですが、ともかく香川照之は今年は乗りに乗っている感じです。

 大河ドラマですから当たり前ながら。それ以外のキャストがこれまた豪華メンバーです。以下に順不同で列記してみます。:役名(出演者名)
 坂本乙女(寺島しのぶ)、坂本八平(児玉清)、坂本権平(杉本哲太)、坂本伊与(松原千恵子)、坂本幸(草刈民代)、岩崎弥次郎(蟹江敬三)、武市半平太(大森南明)、平井加尾(広末涼子)、平井収二郎(宮迫博之)、山内容堂(近藤正臣)、近藤長次郎(大泉洋)、沢村惣之丞(要潤)、お龍(真木よう子)、千葉定吉(里見浩太朗)、勝海舟(武田鉄矢)、西郷隆盛(高橋克実)、吉田松陰(生瀬勝久)、桂小五郎(谷原章介)etc。

 私個人としては、「幕末明治維新もの」は「戦国時代もの」と並んで興味があります。何しろ日本史の中でも最大の動乱期だったわけですから。そしてこういう動乱期には、時代的要請なのかとてつもなく傑出した人物が大勢出現します。坂本龍馬は当然そんな同時代にあって、ずば抜けたスーパーヒーローだったわけです。
 しかし私は、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通や長州藩の吉田松陰、高杉晋作ほどには、土佐藩の事情を知りません。といより坂本龍馬を知らないと言うべきです。ですから、『龍馬伝』を通して改めて竜馬の人物像に迫っていければと思います。龍馬という土佐藩から日本へ、日本から世界へと広く目を向けていった気宇壮大な男の生涯を、どのようなスケールで描いてくれるのだろうか?今から大いに楽しみです。(また1年間通してシリーズ化したいと思います。)
 最後に、「龍馬伝 NHkホームページ」のPR文の一部を以下にご紹介します。
 
 【名もなき者は、その時「龍」になった】
 「幕末の奇跡」と呼ばれた風雲児・坂本龍馬33年の生涯を、幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描くオリジナル作品。
 土佐から江戸、そして世界へ。龍馬の行くところ、時代が怒涛のように動き始める。
 
 (大場光太郎・記)

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時の話題(2)

 2週間ぶりで市橋容疑者が食事を取ったことなど

 英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)死体遺棄容疑で取り調べ中の市橋達也容疑者(30)が、逮捕後2週間目の24日ついに食事を食べました。

 市橋は、今月10日夕方大阪警察住之江署員に身柄を拘束、逮捕されてから、翌11日未明千葉県警行徳署に身柄を移送されても、水分(水、緑茶)を補給するのみで以来2週間食事を一切取らず、健康面などを含めて懸念されていました。
 24日の朝もやはり食事は取りませんでした。しかし昼に出された和食弁当に2週間ぶりで手をつけ、すべて食べきったということです。

 所轄の千葉県警行徳署捜査本部は「健康面に配慮が必要」と判断して、同日午前中には裁判所の許可も得て、同署を出発して市橋を千葉刑務所(千葉市若葉区)の拘置施設に移送する手はずを整えていました。そのため市橋は同日昼過ぎ同署を出発し、午後3時頃同拘置施設に入りました。ただ食事は取ったものの、依然黙秘は続けているもようです。

 行徳署幹部は、「医師や弁護士からも(食事を取れと)アドバイスを受けていたようだし、何か心理的に変化があったのかもしれない」と話しています。実際“断食”が2週間にも及びそうになり、医師も「そろそろ限界」と危険性を指摘していました。
 警察嘱託医も務める医師の話では、「絶食して4、5日も経過すると思考能力が低下する。その後も水やお茶ばかり飲んでいると、体内の電解質、ミネラルバランスが崩れ、顔がむくんで腎不全、肝不全、心不全などを引き起こす可能性も出てくる」と話していました。
 市橋容疑者は16日に栄養剤を注射され、その後「気分が悪くなった」と訴えていました。その点に関して同医師は、「静脈注射で栄養分を急に送り込んだため、気分が悪くなったのではないか。どちらにしてももうフラフラの状態になっているはずだ」とも推測していました。それにしては、移送の際市橋は、自分で歩いて車に乗り込み、ふらつくことはなかったと言います。

 全く関係ないはずの私も、このニュースを聞いて思わず『良かったな』とホッとしました。このまま食事を取らずに衰弱死などとなったら、ご両親が一番悲しんだことでしょう。
 また逮捕時遠いイギリスの自宅から、リンゼイさんの父親が「これで私たち家族の長い戦いが終わった」とコメントしていました。しかし実際は、娘のリンゼイさんがいつ、どこで、どういう方法で殺されて、どうして遺体が市川市内の市橋のマンションベランダに置かれていたのか?それらが明らかになり、また裁判が結審して最終的に刑が確定するまでは、リンゼイさん一家の「戦い」は終わらないはずです。中途半端な形で死んでもらっては困るのです。市橋は今後ともきちんと食事を取って、話すべきことは話すべきです。

 ところで。市橋容疑者は17日の接見で自ら口を開いたとされます。弁護団が差し入れた「被疑者ノート」に取調べを記録し、それを見せながらの相談だったようです。同容疑者は検察官からの取調べで「死刑も有り得る」「黙っているなら、(同容疑者の)親が死刑になるべきだ、ということを言われた」と話しました。弁護団は同容疑者から「“死刑”という言葉が取調べ中に相次いでいる」との相談を受け問題視しました。
 現在の市橋の「逮捕容疑の死体遺棄の法定刑は懲役3年以下。逮捕容疑を“殺人”と勘違いしていないか?」「黙秘権の侵害で、違法、不当だ」として、弁護団は19日、同容疑者に対する千葉県警と千葉地検の取調べ方法について、不満を訴える通告書を発送したことを千葉県庁で明らかにしたのでした。

 これに対して千葉地検の山田賀規次席検事は20日、「取調べに問題はない」とのコメントを発表しました。県警は市橋が例え今後も黙秘を続けても、「殺人罪での立件は可能」とみているようです。2年半も逃亡を続け千葉県警の“メンツ丸つぶれ”の上、捕まえてみれば食事は取らないわ黙秘を続けるわの市橋容疑者に業を煮やし、思わずポロッと本音を漏らしたということなのでしょう。
 それにしても、冤罪(えんざい)事件が相次いでいます。市橋の場合のみならず、何十年か前の暗黒捜査じゃあるまいし、弁護団の主張するとおり「捜査の全面録画(可視化)」を真剣に考えるべき時期に来ているのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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続・映画『沈まぬ太陽』

 この映画で、恩地元(渡辺謙)と行天四郎(三浦友和)の生き方の違いは、大いに興味をそそられるものがあります。
 昭和30年代後半当初は共に国民航空労働組合の幹部同士。恩地は同労働組合委員長そして行天は同副委員長。社員の待遇改善と「空の安全」の確立を求めて、社長以下経営陣と激しく対立。後に行天の愛人となる三井美樹(松雪泰子)と共に、互いが共通目的を目指す同志だったのです。「首相フライト」の日にも関わらず、恩地は経営陣にスト決行を強硬に主張して譲りません。行天は恩地のそんな強硬姿勢に「仰天」してしまいます。
 ストの件は結局会社側が折れて、労組側大勝利の決着をみます。

 しかしその後の2人の会社での立場は、180度違ったものになっていきます。ほどなく恩地元は、パキスタンのハイチ、イランのテヘラン、アフリカのナイロビへと、10年もの海外僻地への出張勤務を命じられることになるのです。特にナイロビは、日航機の乗り入れのない超僻地でした。
 対して行天四郎は、役員に取り込まれ労組活動から離れ、ますます首脳陣の覚えめでたくエリートコースまっしぐら。ジャンボ機墜落事故の昭和60年頃には、常務の地位にまで上りつめていたのです。

 この差を生んだのは一体何だったのでしょう?それは労働組合時代の信念、信条を貫いたかどうか、という差だったように思われます。とことん貫いた恩地は終始日の当たらない場所に追いやられ、それを捨てた(当時の言葉では「転向」した)行天は順調に出世コースに乗って行った…。
 これは今の社会で己(おのれ)の信念、信条あるいは今年のNHK大河ドラマ『天地人』のテーマでもあった「義」を貫くことがいかに困難であるか、またいかに損な生き方であるかを、まざまざと示しているように思われます。

 とことん「義」を貫く生き方は、それこそ人間として最高の気高い生き方です。しかしこの映画で、行天をはじめとした(柴俊夫や西村雅彦らが演じた)経営陣が体現しているものは、決してそんなものではありません。義が義として通らず、捻じ曲げられ歪められた不条理な組織です。
 それでも筋を曲げずになおも義を通そうとすると、恩地自身はもとより、母親(草笛光子)や妻りつ子(鈴木京香)や長男(柏原崇)や長女(戸田絵梨香)家族全員がそのために苦しむことになるのです。

 ここに到って世の多くの人たちは、青年時代の「青臭い理想(ゆめ)」など早々と捨てて、事を荒立てない、波風の立たない穏便な生き方をしてしまうわけなのです。行天のように成り上がるプロセスで、違法行為に手を染めるのならともかく。妻子の幸せを考えれば、それはそれで仕方のない生き方だと思われます。
 とにかく本来の「道理」「義」が180度引っくり返ってしまっているような、業(ごう)の逆巻く世の中にあって、己の義を貫くとなると、それこれ命が幾つあっても足りなくなりそうですから。時には「のらりくらり」とかわす処世的な知恵も必要というものです。

 私は映画を観ている最中は、『恩地のような人物、今の世にいやしねえよ。どうせ山崎豊子が創り出した男だろ』と思っていました。しかし実は驚いたことにモデルがいたのです。
 小倉寛太郎(1930年~2002年10月)という人です。経歴は恩地元とほとんど一緒です。東大法学部時代あの伝説の「東大駒場祭」を創設、主催。日航労組時代は日航初のストライキを指導。その後の人事異動で、社内規定を大幅に越える海外僻地(ハイチ、テヘラン、ナイロビ)勤務。日航ジャンボ機墜落事故などが国会で取り上げられる中、いびつな労務対策を是正する一環として国内勤務に。
 1985年事故後会長室部長に抜擢。伊藤会長(映画では石坂浩二演ずる国見会長)率いる新体制の下、社内改革を実行するも反対にあい中断を余儀なくされ、再びアフリカへ。定年退職後はアフリカ勤務の縁で、アフリカ研究家、動物写真家、随筆家として活躍。東アフリカの人と自然を愛する同好の士を集めて事務局長を務めた。‘02年10月逝去。享年72歳。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 いずれにしても、恩地元の生き方は観る者の心を激しく揺さぶります。およそ割りに合わない不器用で損な生き方に、スカッと爽快感を覚えるのです。そして恩地のモデルとなる小倉寛太郎という人物が実在した。『世の中捨てたもんじゃないな』。心からそう思います。ある映画館では、ラストと共に一斉に拍手が起こったといいます。めったにあることではありません。

 思えば「国内航空」が抱えていた組織的不条理は、高度経済成長時代多かれ少なかれどの企業も等しく抱えていた問題です。いな、企業のみならず当時の社会全体が抱えていたと言っても過言ではありません。その中では、この映画がその一端を告発しているように、社会全体も大企業もそれこそ無数の闇の行為が行われていたに違いないのです。
 しかし「天網恢々(てんもうかいかい)粗(そ)にして漏らさず」。悪は必ず露見するのが理(ことわり)です。結果、国内航空にあっては「ジャンボ機墜落事故」という大惨事を引き起こし、我が国全体としてもほどなく「バブル崩壊」という深刻な事態を迎えたわけです。

 それ以降世の中は少しはましになって来た、ということはいえます。恩地(小倉さん)のような「正義の人」が、この映画ほどには苦しまなくてもよい時代になりつつあるのです。
 しかしそれでも、国内航空をそのまま「日本航空」に置き換えてしまいますが、事故後新会長の下、小倉さんらを中心に社内改革の機運が高まったのに、その芽を摘み取る勢力が依然強かったわけです。そのことが、今日日航をして会社存続か更正法適用か?というようなのっぴきならない瀬戸際にまで追い込まれてしまった最大要因だと思われます。
 長期化した自民党政権下の我が国全体についても、同じようなことが言えます。後を引き継いだ新政権は、その巨大なツケに四苦八苦です。各個人も各企業も我が国も、真の「立替え立直し」は本当に大変だなあと思わせられます。

 ともあれ。恩地元という男の生き様を通して、久しぶりに『俺の人生これでいいのか?』という問いかけを迫られました。年とともに、『映画なんて、しょせん作り話だ』という、どこか冷めた眼で映画を観てしまうところがあります。しかしこの映画は、否応なくそんな「問いかけ」を突きつけてくる優れた作品だと思います。

 (大場光太郎・記)

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映画『沈まぬ太陽』

 21日(土)夜またまた見ごたえのある映画を観てきました。『沈まぬ太陽』です。
 山崎豊子の同名原作の映画化作品です。これまで『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』など、他の山崎豊子原作は次々に映像化されてきました。しかし『沈まぬ太陽』は原作の内容から映画化は困難と言われてきました。が角川映画によって、今回遂にスクリーン登場となったわけです。

 この映画は「国民航空」という巨大航空会社の、言ってみれば社内史的なフィクションです。しかし実質的に国民航空は、そのまま「日本航空(JAL)」と置き換えがきくようなところがかなりあります。その意味でこの映画は、「日本航空再建問題」が新政権にとっての最重要課題の一つである今、実にタイムリーな映画とも言えそうです。

 角川映画というより角川グループの総帥・門川春樹の「この映画、何としてもメガヒットにしてみせる」という大号令のもと、監督は『ホワイトアウト』の若松節朗、製作総指揮角川歴彦(春樹の弟)、脚本は企業ドラマ『日はまた昇る』の西岡琢也という映画界最高のスタッフで制作に臨みました。
 そしてキャストがまた豪華メンバーで。主人公の不屈の男・恩地元に渡辺謙、恩地とは対照的なエリートコースを歩む元同僚・行天四郎に三浦友和、恩地の同僚で行天の愛人の三井美樹に松雪泰子、恩地の妻りつ子に鈴木京香、母に草笛光子、娘に戸田恵梨香。政府から国民航空という巨大企業の再建を任される国見会長に石坂浩二。その他会社社長や重役陣として、神山繁、横内正、柴俊夫、西村雅彦など。時の総理大臣や閣僚として、加藤剛、小林稔侍など。航空機墜落事故の遺族として、宇津井健、木村多江、鶴田真由など。まさにオールキャストといってよいような豪華キャストです。
 そして上映時間が3時間22分と、途中で休憩が入るほどの長さなのです。

 映画は主演の渡辺謙と現地人による、アフリカでの象狩りのシーンから始まります。何で?という疑問は、物語が進むにつれて明らかになっていきます。そしてタイトルが画面に大きく表示されると、この映画で大きなウェイトを占めることになる、御巣鷹の尾根でのジャンボ機墜落事故がリアルに描かれていきます。いきなり一気に物語は緊迫の場面を迎えます。それは同事故が、この映画全編を通して大きなウェートを占めることになるということを暗に示しているようです。

 同事故は、1985年(昭和60年)8月12日に起きた「日本航空123便墜落事故」のほぼそのままの再現です。事故現場となった御巣鷹の尾根(群馬県多野郡上野村)という地名も、後に同地に建立された慰霊碑も映画の中でそのまま使用されています。
 墜落直前の機内のようす、墜落後の尾根斜面現場のジャンボ機大破の生々しいさま。乗客乗務員524名のうち、死亡者数520名生存者わずかに4名という、我が国航空機事故上最大の悲劇がリアルに再現されています。

 早いもので実際の事故から四半世紀ほど経過していたわけです。当時世間に大変な衝撃を与えた同事故も、最近ではすっかり風化した遠い記憶になっていました。しかし今回これほど生々しく映像化されてみると、同事故の凄まじさを改めて再認識させられました。
 甚だ不謹慎ながら。遺体安置所となった体育館のような広い場所に、500以上もの白い棺(ひつぎ)がずらっと並んでいるさまは壮観です。その一つ一つの棺の中の亡骸(なきがら)には、それまでのそれぞれの人生があったわけです。人生コースの一コマをよりスムーズなものとするため、たまたま事故機に乗り合わせてしまった。そして全く予期せず人生の軌道をそこでバチッと断ち切られてしまった。
 そして今では、棺に覆われているからには最早老若男女という区別すら定かではない。その場は、ただただ「死者の沈黙」だけが深々と領しているだけ。

 「死者は語らず」。ならば残された遺族たちが声を挙げて、怒り、悲しみを訴えるしかありません。「怒り」を、息子夫婦と孫とをいっぺんに亡くした老いた硬骨漢・坂口清一郎が激しく代弁しています。同役を演じた宇津井健はさすが名優です。
 また「悲しみ」は、木村多江が夫を失った鈴木夏子役で熱演しています。「日本一不幸が似合う女」木村の真骨頂の演技もまた見ものです。

 同航空機事故に対する、国民航空の対応はどうだったか?坂口が同社の遺族説明会の席で、遺族を代表する形で激しい怒りをぶつけたように、その後の遺族個々へのお見舞いや補償問題も含めて、不誠実な対応がまま見られたわけです。
 その中で、遺族との交渉役を命じられた渡辺謙演ずる主人公の恩地元だけは、会社からの「一遺族にそんなに時間をかけるな」との命にもかかわらず、心からの誠意をもって丁寧に交渉に当たる…。

 今話題の「日本航空」は映画化について、「ご遺族の中には映画化を快く思っていない方もいらっしゃる。すべてのご遺族の心情をきちんと汲んで欲しい。またフィクションとはいえ、日航や役員・社員を連想させ、日航と個人のイメージを傷つける」などと、映画化反対のコメントを出していました。また同社は角川に対して、「名誉毀損の恐れがある」と警告文を2度送付し、法的な訴えも辞さない構えのようです。
 しかし再建問題で崖っぷちに立たされている今、日航は一映画に対してクレームをつけるほどの余裕が果たしてあるのでしょうか? (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

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「ウェブ魚拓」って何?

 11月17日(火)、当ブログで「大椿事」が起こりました。俗に「春の椿事」とは言うけれど。まさか冷たい雨降る寒い初冬のこの日に。しかも当ブログで起ころうとは !
 ここまでお読みの皆様は『はぁ。一体何のこと?』とお思いでしょう。これからその大椿事の次第を、かいつまんでお話致します。

 午前中はまあまあ何事もなく、当ブログ推移していました。17日未明に公開したのは『かなえの殺人レシピ(7)』でしたが、昼少し前の時点では「60人台」とまあまあの訪問者の出足でした。
 ところが、ところが。午後1時半頃改めて確認してみて、びっくりです。何といきなり「220人」くらいにまで、一気に跳ね上がっていたのです。たった1時間半くらいの間に、150人以上の増。通常はあり得ません。何があったのかわけが分からず、驚いてアクセス解析をたどってみました。

 するとなぜか、リンク元として「megalodon.jp」という表記がやたら多いことに気がつきました。googleやyahooはおなじみですが、開設以来初めて目にするリンク元です。その「megaldon.jp」がまあ、次から次へとぞろぞろと。他にも通常のアクセスはあっても、ずらっとそれに占拠されたような状態です。なお見てみると12時半過ぎから、一気にそうなったようです。そして12時の1時間だけの訪問者数が「98人」と過去前例がないほどの多さです。(結局17日の訪問者数は「632人」という、当ブログ開設以来の驚異的数字でした。)
 『一体何が起こったの?』。それでも当初は訪問者の急増に『しめしめ』と喜んでいましたが、時間が経つにつれてだんだん薄気味悪くなってきました。そこで日付が変わった18日未明。その日の新記事を作成、送信終えてから、少し調べてみることにしました。

 それには、まず「s01.megalodon.jp」というので検索するのが早そうです。その結果「ウエブ魚拓」という目新しい用語が飛び込んできました。『えっ、ウェブ魚拓って何だ?』。なお調べてみますと、概略以下のようなことが分かりました。
 まず「魚拓」とは。今さら言うまでもないことながら、「釣りで釣った魚の像を、墨を使って紙などに転写したもの。釣り上げた魚の原寸大の記録を残すために使われるもの」です。
 対して「ウェブ魚拓」とは。インターネットウェブサイト(ウェブページ)をキャッシュとして保存する無料のサービス。日本の株式会社アフィリティーが2006年から運営している、一種のスナップショットによるウェブアーカイブである、とあります。(フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 要は、誰か分からない当ブログ訪問者が、‘09年11月17日時点の当ブログを、ウェブ上で「魚拓」として取ったらしいのです。そのため「s01.megalodon.jp」表記に続いて、当日の年号月日時刻が表記され、続いて当ブログURLがそのまま表記されているのです。 
 『一体誰が、何の目的で?』。いよいよ不安になってきました。それで次は、アクセス元となっている
 http://s01.megalodon.jp/2009-1117-1223-25/be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/
で検索してみることにしました。すると上記アドレスが、検索項目として既に存在していたのです。それをクリックしてみると、なるほど11・17の当ブログが出てくるのです。
 こういう形でウェブ上に残してしまえば、当ブログ開設以来17日までの全記事が、そっくりそのまま「魚拓」として残せるという仕組みのようです。後で私が、それまでの何かの記事を訂正、削除しても、この魚拓では訂正、削除前の記事のまま残ります。

 一体誰が何の意図で?不安はますます募るばかりです。そのうち「誰が」というのは分かりました。同検索中、【34歳結婚詐欺女★19】という見出しがあったからです。そこでそのサイトを訪問してみました。
 結婚詐欺女・木嶋佳苗をメーンとして取り上げている2チャンネルサイトのようです。『ははあ、これかぁ』。実は今月初め頃、木嶋佳苗関連の情報が欲しくてネットをいろいろ当たっていて、2、3度訪れたことのあるサイトです。投稿者がすべて「可愛い奥様」であることから、すぐ気がつきました。

 同サイトは、「既婚女性@2ch掲示板」と銘うっています。もちろん訪問は老若男女誰でも自由ながら、投稿者は「既婚女性に限る」という掲示板のようです。
 私は2チャンネルの仕組みはよく分かりませんが、「19」ということは「1~18」までが既にあるということなのでしょう。とにかくこの「19」のどこかに、問題の当ブログ魚拓関連の記事があるはずです。探ってみますと、これが膨大な書き込み量で探すのに苦労しました。が、やっと見つけました。それは下掲のとおりです。(当ブログが「魚拓」に取られたくらいですから、同掲示板の関係者の方々どうぞ「一部転載」ご了承ください。)
【34歳結婚詐欺女★19】 http://unkar.jp/read/hideyoshi.2ch.net/ms/1258360057
                        *                                                
                                                   
555 :可愛い奥様:2009/11/17(火) 12:30:02 ID:cIBNO3DNP
4人の事件詳しくまとめてる
http://s01.megalodon.jp/2009-1117-1223-25/be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/

リサ爺、結婚相談所もやってたのか。
556 :可愛い奥様:2009/11/17(火) 12:31:44
  (関係ないコメントのため、省略)
557 :可愛い奥様:2009/11/17(火) 12:44:26 ID:Q0J5xXYO0
>>555
その筆者大場光太郎ここにいるかも。

>写真を見るかぎり美由紀容疑者は、率直に言いますと“キモイ(気持ち悪い)”感じです。
>実物は「さらにキモイ」という証言もあります。なのになぜ…?
>私が思いますに、上田美由紀にも確かに「詐欺師」的要素は多分にありますが、
>同時に「粗暴犯」的要素もかなりありそうで。今ひとつ強い関心が持てません。

佳苗に対する変な肩入れ、“キモイ(気持ち悪い)”感じです。
(以下に別の方の関連コメントが若干ありますが、省略)
                    *
 当ブログ〔11・17時点〕の魚拓を取られたのは、「555:可愛い奥様」だったわけです。
 「4人の事件詳しくまとめてる」とのお褒めの言葉、大変嬉しく思います。貴女様がどんな意図をもって当ブログの魚拓を取られたのか真意は図りかねますが、 少なくとも今のところ実害は出ていないようです。しばらく推移を見守らせていただきますね。
 また「557:可愛い奥様」。「その筆者大場光太郎ここにいるかも」。既に述べましたとおり、18日未明確かに読ませていただきました。それに続く御文、確かにおっしゃるとおりです。『殺人犯に変わりないのに、おかしなこと書いちゃったなぁ』。私もその下りは気になっていたのです。

 なお、『かなえ殺人レシピ(7)』の末尾の方で、2チャンネル関係者の方々に少し非礼な物言いをしてしまったかな?と反省致しております。お気に障りましたら、謹んでお詫び申し上げます。
 私自身は例の押尾学、酒井法子の事件以降、たまに2チャンネルを訪問させていただいております。『可愛い奥様』掲示板はじめ、今後とも大いに利用させていただきたいと考えています。2チャンネル掲示板からは、時にハッとするような貴重な情報が得られることがあるからです。現にそうして、既に当ブログ記事の中でさりげなく使わせていただいたこともあります。また「知的なおしゃべり」に感心することもしばしばです。
 ご関係の皆様。今後ともどうぞ、「共存共栄」でお付き合い願えればと存じます。

 (大場光太郎・記) 

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『天地人』について(17)

 その後NHK大河ドラマ『天地人』は進みに進んで、気がついてみたら15日(日)の「大坂城炎上」で第46話。次の22日はもう最終回だそうです。

 ここ何話かは、上杉景勝(北村一輝)直江兼続(妻夫木聡)の上杉主従が、関が原以後徳川家康(松方弘樹)の裁断により、会津から米沢に移封させられてからの物語でした。
 何もない地で一から藩政を新たに始めるための、兼続を筆頭とした上杉藩士らの苦闘。父惣右衛門(高嶋政伸)の死。またまたご登場の加藤史郎君の兼続の子竹松(後の直江景明)のこと。徳川寄りの政策を強力に進める兼続への風当たりの強さ。その不満を代表した弟大国実頼(小泉孝太郎)を高野山へ追放。景勝の正室菊姫(比嘉愛未)の死。家康の重臣本多正信(松山政路)の次男政重(後の勝吉-黄川田将也)と、兼続・お船(常盤貴子)の長女お松(逢沢りな)との婚礼。そのお松の死。そして主君景勝の母の仙桃院(高島礼子)の死などが描かれました。

 その間広く天下を見渡せば、関が原以後はすっかり家康の天下。遂に征夷大将軍にまで上りつめ、徳川家が将軍家となりました。対して豊臣秀頼(吉岡澪皇)は65万石の一大名に転落。秀頼の母・淀殿(深田恭子)は、織田信長の妹・お市の方の娘という貴種、家康の増長許しがたく、両者の対立、確執は年々深まるばかり。
 後の世まで徳川将軍家を磐石にせんものと、老狸家康の構想抜け目なく、慶長10年には嫡男秀忠(中川晃教)を2代将軍に。名実共に徳川の世としたところで、齢70歳に到った家康の最後の詰めは気がかりな豊臣秀頼を亡き者にすること。そのため慶長16年(1611年)方正寺鐘銘事件で難癖をつけ、「大坂冬の陣」を仕掛けたのでした。

 省みますれば14年前、六条河原で斬首さる石田三成(小栗旬)の無念、忘れたわけではござらぬが。上杉家存続のためやむを得ず、昔の主家の豊臣に弓矢向けんと、いざ遥々と大坂へ。道の奥なる米沢から馳せ参じたる三千騎。景勝60歳、兼続55歳の老主従。しょせん外様に過ぎぬ身は、敵陣深く斬り込みてただただ武勲挙げんのみ。「上杉の働きあっぱれ。もう退かれよ」との家康公のお言葉ながら、さりながら。ここは戦(いくさ)のただ中ぞ、武将は戦場にありては君命とても受けぬもの。他藩に譲りてなるものか。「者ども進め、進むのじゃ」。愛の兜も勇ましく、兼続なおも叱咤せり。(いささか講談調で)

 冬の陣を家康は収束させ、いったん豊臣方と和睦。しかし老獪な家康はとどめの戦の布石のため、大坂城の外堀をすべて埋めさせたのでした。城の土造りの出城から攻撃をしかけ、天下に真田幸村(城田優)の名を轟かせた、その出城“真田丸”は真っ先に取り壊されました。
 そして翌年慶長17年(1162年)「大坂夏の陣」で、両陣営は最後の激突。天下一の名城を誇った大坂城は遂に落城、炎上したのです。これにより淀殿、秀頼親子は自害して果てました。

 この両戦でその名を後世に残こしたのが、真田幸村です。どうしても幸村に触れたくなります。冬の陣後“真田丸”は取り壊され外堀が埋められてしまったため、籠城戦では勝ち目がないとみた幸村は、秀頼に大坂城外への出陣を要請します。城の外で徳川勢と決戦しようとしたのです。しかし淀殿の反対にあい、やむなく自身は茶臼山に陣を構えます。
 
 豊臣家の要請により、冬の陣に馳せ参じた時はまだ、父・昌幸、兄・信之の名声に隠れ評価は低かった幸村でした。家康は恐るべき真田家から、無名の次男の幸村が大坂に入ったと聞いてほっと安堵したと伝わっています。
 その頃幸村は既に齢49歳。歯は抜け落ち、白髪交じりで、腰も曲がっていたといいます。ドラマで城田優が演じたような、颯爽たる武者ぶりとはかけ離れたイメージです。そのため、大坂城の門番に山賊の頭目と勘違いされたほどだったと言います。

 しかしいざ実戦をさせてみると。あれよあれよという間に父を超えるような機略縦横、獅子奮迅の軍略の天才で。敵味方とも幸村株は急上昇。家康からは再三のヘットハンティングの誘いがありました。終いには「信濃の一国の主といたそう」とまで持ちかけています。しかしそれを蹴って、幸村は敢えて豊臣家と運命を共にすることにしたのです。
 幸村には最初から勝算などない戦いでした。「いかに見事な死に花を咲かすか」その一点を見据えた悲壮な戦い。

 ともあれ、夏の陣の最終局面。「もはやこれまで。狙うは家康の首一つ」と、捨身の戦法で家康の本陣深く何度も突入し、その鬼神のような攻撃に、一時家康は自害も覚悟したほどでした。しかし多勢に無勢はいかんともし難く、幸村は遂に徳川方の武将によって討ち取られてしまったのです。
 やはり若い頃の越後上杉家への人質時代、幸村も謙信公以来の「義の精神」を注入されていたものか。景勝、兼続にも劣らぬ「義」を貫いた武人の、壮烈な最期でした。

 ところで第44回の「天地人紀行」は、「兼続の功績」。その中で、何と私が幼少から高校卒業までを過ごした宮内町(現山形県南陽市宮内)と、母校の長井高校のあった長井市がセットで紹介されていたではありませんか !
 長井市はNHK教育で数年前、市上げてのエコロジーへの取組みが30分番組で取り上げられました。また3年ほど前は、NHK総合の『小さな旅』で、山形交通フラワー長井線(私が汽車通学していた頃はただの「長井線」)が取り上げられていました。
 しかし取り立てて何もない、我が郷里の町・宮内が全国放送で取り上げられるなんて ! そんなこと金輪際ないと思っていましたので、ただただ嬉しく思います。

 同紀行では、長井市では「總宮(そうみや)神社」が、そして宮内町では「熊野大社」が紹介されていました。總宮神社とその境内に兼続が植樹したと伝えられる「直江杉」のこと、そして番組の中で伊達政宗(松田龍平)と共に兼続が置賜の国見をしたという「赤崩山(あかくずれやま)」のことなどは、今年5月の『鷹桜同窓会報(2)』記事で。そして熊野大社のことは昨年11月の『菊祭りの思い出』で触れてあります。熊野大社には、当時社殿の修復に当たって、伊達政宗や直江兼続が寄贈したことを示す古文書が残っているそうです。

 なお『続・菊祭りの思い出』で触れました、宮内町の「双松(そうしょう)公園」は、元の城跡だったようです。同公園は、元は「宮沢城」「宮内館」「宮内城」「三桜城」などと呼ばれていたそうです。慶長3年(1598年)3月の越後から会津への国替えに伴い、信州飯山の尾崎三郎左ヱ門重誉(兼続の母方の実家)が配置され、その後米沢移封後は色部松丸(興三郎光長、兼続の妹婿)が城代となりました。かつてのおらが町も、けっこう兼続とはご縁が深かったわけです。
 同公園は現在きれいに整備され、6月はバラまつり、秋(10月~11月初旬)は菊まつりが開催されています。いやあ、小学校1年秋から高校卒業までを過ごしたのに、そんな歴史今まで知りませんでした。

 本当は今回は、米沢における「兼続の功績」をじっくり見てみるつもりでした。しかし残念ながら出来ません。『天地人』終了後にでも、改めて兼続の業績を含めそれ以降のことを『米沢上杉藩物語』というような数回シリーズとして、お伝え出来ればと思います。

 (大場光太郎・記) 

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身捨つるほどの祖国はありや

                             寺山 修司

  マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
 
…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 私など団塊の世代より、一つ前の世代の人たちにとっては懐かしい短歌なのではないでしょうか?すなわち60年安保で首都東京が騒乱状態になった、昭和35年前後20代だった人たちにとっては。
 同騒乱によって死亡した東大生樺美智子(かんば・みちこ)さん、当時学生運動家たちに好んで歌われたという西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』、「♪ 夜霧の彼方に 別れを告げ 雄々しきますらお出でてゆく …愛しの乙女よ 祖国の灯よ」の『ともしび』などを歌いあった街角の歌声喫茶、そしてこの短歌。
 
 寺山修司は昭和40年代、『書を捨てよ、街へ出よう』などの評論、あるいはアングラ的な実験演劇集団「天井桟敷」を主宰したり、映画『初恋・地獄篇』(‘68年-当時新宿の映画館で観た覚えあり)の脚本など、本来の詩人、歌人というより、当時は私たち若い世代をアジテート(扇動)する前衛活動家といった趣きでした。
 当時私は、山形から高卒で首都圏にやってきたばかり。当地での生活と仕事に慣れるのにおおわらわ、優雅に学生運動をエンジョイしている(?)諸君とは意識の上でかなりの温度差がありました。

 一般労働者たる私たちにとってこの短歌は、もはやさほど注目されるものでもなかったようです。私がこの短歌と出会ったのは、学生運動が挫折して(あるいは国家権力によって強制的に封じ込められて)世の中がすっかりおとなしくなった、昭和50年代前半の頃だったと思います。
 それも『寺山修司詩集』を読んでというような、しかるべき手続きを踏んでのことではありません。まったくの偶然の出会いによって、この短歌が目に飛び込んできたのです。

 私は当時車で外回りをしていました。ある日昼食のため、どこかの町のとある食堂に入ったのです。昼のかき入れ時、中は先客でいっぱいです。何かを注文して、出てくるまで時間がかかりそうです。そこで私は、時間つぶしに備え付けの漫画週刊誌を手に取って読み始めました。と、ある劇画風の漫画がありました。その中に、この短歌がバッチリ大きく書き込まれていたのです。

  「マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」「寺山修司」
 昼食のとんだ予期せぬ添え物と言うべきです。『何てこの時代を突いた歌なんだ ! 』。私はそのカットから目が離せなくなりました。肝心のストーリーなどまるで忘れてしまっています。しかしいかにインパクトを与えたことか。食事を終えて食堂を出る頃には、もうすっかりこの短歌が頭に入っていたのです。

 立ちこめる夜霧とともに、この歌全体に流れる青春の叙情性。そして何より強烈なのが「身捨つるほどの祖国はありや」という問いの終わり方。いわく言いがたい、余韻と言おうか余情と言おうか。おそらくこの短歌を初めて読んだ誰しもが、寺山が投げかけたこの言葉にはズキンと心に響くものがあるのではないでしょうか?

 今改めて調べてみますと、この短歌は昭和33年刊の処女歌集『空には本』の中に収録してあります。当時のことは今、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などで「古き良き」オールディーズ戦後として見直されています。
 しかし早稲田大学などとっくに中退していた若き寺山にとって、その時代既に「祖国喪失」をひしひしと感じていたわけです。この歌で寺山が言いたかったのは、「身を捨てるに値するような祖国?そんなもの、もうとっくの昔にありゃしねえんだよ」ということだったのではないでしょうか?

 なるほど今では、「国」を表わす言葉としては「国家」というのが一般的です。「祖国」などと口走ろうものなら、『こいつ右翼か?』と思われかねず。公の場でも私的な会話でもめったに使われることがなく死語と化してしまいました。ちなみに「国家」と「祖国」と、どう違うのでしょう?

 「国家」。①〔易経・繋辞篇下〕くに。②(state;nation)一定の領土とその住民を治める排他的な統治権をもつ政治社会。近代以降では通常、領土・国民・主権がその概念の三要素とされる。
 「祖国」。①祖先以来住んできた国。自分の生まれた国。「ーを捨てる」②国民の生まれた国。 (『広辞苑・第六版』より)
 なるほど「国家」は欧米式の近代法概念に基づく用語。対して「祖国」は読んで字のごとく、「祖(おや)の国」か。 

 独断的解釈では、「国家」からは一定の領土という平面的な空間、そしてそこに住む国民とその主権の主張し合い、せめぎ合い、そして他国とのマキュアベリ的外交戦術などしか感じられません。対して「祖国」からは、今日ただいまこうして身を置いている国の、悠古の祖先からの連続性、つまり三次元的空間に時間軸が一つ加わった四次元的かつスピリチュアルな広がりが感じられます。

 いやもし仮に、私たちの日々の営為を遥か高い所から鳥瞰している宇宙的存在がいるとするなら。連綿と続く血のつながりを断ち切り、エゴ的個体としてただやみくもにあっちにぶつかりこっちにぶつかりして生きている今の私たちの姿は、蟻と同じ二次元上の平面的生物にしか見えないのかもしれません。

 今から半世紀も前、若き寺山修司が感受した祖国喪失。私たちはその間ずっと、喪失状態のまま生きたきたわけです。ますます混迷を深め、凶悪犯罪が増加する一方の世の中。それは深いところで、「祖国喪失」とリンクしているのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(10)

 佳苗「殺人容疑」で立件へ

 ここのところ伝えられなかった木嶋佳苗被告(34)の動向でしたが、久しぶり新たな報道がありました。19日付け読売新聞朝刊によりますと、警察当局が佳苗と関わった東京都千代田区の会社員・大出嘉之さん(当時41)と、千葉県野田市の安藤建三さん(当時80)に対する殺人容疑で立件する方針を固めていることが分かったということです。

 木嶋佳苗は既報のとおり、「婚活サイト」を通じて知り合った男性4人に対する詐欺及び詐欺未遂罪で起訴されています。さらに埼玉県警は、18日「4度目の逮捕」に踏み切ったというのです。
 これは佳苗が今年7月、50代の男性から料理学校の学費名目で、百数十万円を騙し取ろうとした容疑によるものです。同男性は、「佳苗とは“婚活サイト”で知り合い、結婚を持ちかけられていた。自分も被害にあったのではないか」と相談してきたのだそうです。

 捜査関係者によりますと、佳苗は“婚活サイト”などで知り合った少なくとも20人の男性から、多額の現金を受け取るなどしていたといいます。このうち数人が、「佳苗と食事後に突然寝込んでしまった」「睡眠薬を飲まされたようだ」と話しています。寝ている間に、財布から現金を抜き取られたケースもあったようです。
 警察当局は大出さんと安藤さんの不審死は、これら複数の詐欺事件の延長線上にあるものと位置づけ、「殺人罪での立件」には犯行に類似性がある詐欺事件の解明が欠かせないとして、まず男性4人に対する詐欺や詐欺未遂で起訴し、今回は4度目の逮捕に踏み切ったものです。
 これら詐欺、同未遂事件の捜査を終え次第検察などとも協力し、来月にも殺人容疑で逮捕に踏み切る構えとみられています。

 2年前の‘07年8月の千葉県野田市のリサイクルショップ経営者・福山定男さん(当時70)と、今年2月4日の東京都青梅市の会社員・寺田隆夫さん(当時53)の不審死のケースでは、殺人罪での立件は不可能に近く、立件を断念したものとみられます。福山さんについては千葉県警が「病気による突然死」と判断、また寺田さんについても警視庁青梅署が「自殺」と判断。いずれの場合も、司法解剖や行政解剖なしで荼毘に付されました。今となっては物証らしきものは何一つないに等しく、断念せざるを得なかったのでしょう。
 このように両不審死とも、警察の「初動捜査の失敗」が最大の原因であることを改めて指摘しておきたいと思います。福山さん、寺田さんの不審死の際きちんと捜査していれば、今回立件見通しとなった安藤さん、大出さんの事件は阻止出来たはずなのです。

 さて本シリーズでもこれまで見てきたとおり、4人の不審死についていずれも佳苗被告の“クロ”は明らかだと思われます。
 しかし、その中でも詳細に分かっているはずの大出嘉之さんのケースを取ってみてもと、警察出身のジャーナリスト・黒田昭雄氏は言うのです。
 「状況証拠は揃っていますが、どれも殺人を裏付ける直接の証拠にはなり得ません。練炭や睡眠薬は偶然と言われればそれまでだし、仮に車内から拭き取られた指紋が見つかったとして、一緒にいたことの立証にしかならない。ただし、レンタカーの鍵が犯人の関係先から出てくれば別です。鍵を持ち去った人物は、車内に七輪や練炭があることを知りながら、施錠して立ち去ったことになる。殺意・殺害に結びつけることができます。自供によって、鍵の在かが引き出せればいいが、それ以外の証拠は決め手を欠きます」。(11月3日付け「日刊ゲンダイ」より)

 素人目には証拠だらけに見えますが、それらはすべて「状況証拠」にすぎないのであり、殺人に関する「直接証拠」ではないわけです。しかし今回警察は「立件」の方針を固めました。さて、立件してどうやって佳苗を殺人罪で有罪に持ち込むつもりなのでしょう?
 “確たる証拠”がなくても、状況証拠を積み重ねる手法を取るものとみられています。実はこの手法には前例があるのです。あの「和歌山県毒入りカレー事件」です。

 和歌山毒入りカレー事件は、今年4月最高裁が上告を棄却し、林眞須美被告(49)の死刑判決が確定しました。この事件では、同被告の犯行であることを示す直接証拠のないまま公判が維持された異例の裁判となりました。取り調べで林被告は一貫して完全黙秘したため自白は得られず、被告がカレーにヒ素を混入した目撃供述なども存在しませんでした。
 そのため検察は、被告の犯人性について数々の状況証拠を立証し、そこから推認するという手法を取ったのです。こうして同裁判は我が国の裁判史上、自白や直接証拠がなくても状況証拠を積み重ねることで有罪を立証できるという重要な判例となったのです。
 今回の木嶋佳苗による、安藤さん、大出さん不審死事件についても上記事件と同じような手法で公判を維持し、有罪に持ち込もうとしているとみられます。

 対して肝心の木嶋佳苗はどうなのか?やはり今もって、警察にとって「手ごわい強敵」であることに変わりはなさそうです。
 既報のとおり、佳苗は罪が軽い詐欺については、「はい、やりました。すみません」と頭を下げて罪を認めています。ところが“殺し”に話が及ぶと「知りません」の一点張り。しかも長期戦を見越して体力をつけるために出された食事をモリモリ食べ、さらにふくよかに(あけすけに言えば100㎏超のデブに)なっているといいます。
 並みの容疑者であれば、『自分が罪を認めてしまうのではないか』と怯えて、眠られぬ夜を過ごすものです。しかし佳苗に限ってはそんな心配はいらず、グースカピーピーと高イビキで眠っているそうです。  (以下次回につづく)

 (注記) 本記事は、直近の「YOMIURIONLINE」、11月20日付け「日刊ゲンダイ」、11月5日付け「東京スポーツ」を参考にしてまとめました。

 (大場光太郎・記)

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ヴェルレーヌ『落葉』

     落 葉

        ヴェルレーヌ

    秋の日の
    ヴオロンの
    ためいきの
    身にしみて
    ひたぶるに
    うら悲し。

    鐘のおとに
    胸ふたぎ
    色変へて
    涙ぐむ
    過ぎし日の
    おもひでや。

    げにわれは
    うらぶれて
    ここかしこ
    さだめなく
    とび散らふ
    落葉かな。

      (上田敏訳詩集『海潮音』より)
 …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 ポール・マリー・ヴェルレーヌ 1844年3月30日~1896年1月8日。フランスの詩人。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらと共に「象徴派詩人」と呼ばれる。多彩に韻を含んだ約540篇の詩の中、絶唱とされる詩を含みながら、その人生は破滅的であった。その一生には、酒、女、神、祈り、反逆、背徳、悔恨が混在していた。晩年には「デカダンスの教祖」と仰がれたが、初期の作品の方が評価が高い。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 今手元に一冊の文庫本があります。角川文庫。上田敏訳詩集『海潮音・牧羊神』です。高校2年生の頃、母校のあった(山形県)長井市内のある書店で求めたもの。もう40年以上前のことです。今思えばずいぶんもったいないことをしたと思いますが、私は後になって懐かしい思い出につながるような、本も含めた品々をこれまで数多く処分したり散失させてきました。どうもそういうものに、あまりこだわらない性質(たち)のようです。

 そんな中で、国木田独歩の『武蔵野』や『立原道造詩集』といった当時求めた本と共に、辛うじて残っている何冊かの一冊です。
 当時文庫本は今のようにシャレたカバーではなく、半透明のセロファン紙状のカバーがしてあっただけの廉価なものでした。そんなカバーなどとっくの昔にとれて、本体がむき出しの文庫本です。

 パラパラとめくるとずいぶん変色してしまっていて、40余年の歳月の長さを偲ばせます。本の奥付(おくづけ)を見ますと、「昭和二十七年一月三十日初版発行 昭和四十年五月三十日二十一版発行」とあり、「定價百圓」とあります。『落葉』以外にも『山のあなた』『花のをとめ』など十篇以上の詩に「レ(チェック)」を入れています。ある詩には下手くそな字で書き込みも入れてあります。

 今はどうか分かりませんが、昭和30年代当時『落葉』は有名な詩で、学校などで教わらずとも中学生の時既に知っていました。

 私は東北の片田舎町の出身です。18の時まで郷里で過ごしました。そして現在は神奈川県県央地区にある市に住んでいます。

 なぜそんなことを持ち出すのかといえば、郷里と当地での、晩秋から初冬にかけての紅葉、落葉のさまがまるで違うからなのです。もちろん東北の郷里での紅葉、落葉の方が段違いに色鮮やかなのです。それは時にハッと胸を衝かれるような鮮やかさです。比べて当地は標高低くめったに雪も降らないことから、郷里よりずっと季節感に乏しく、紅葉などもどこかくすんだ冴えない色です。

 これは気温が違うからなのでしょう。秋の深まりと共に、厳しい秋冷の気候が、より鮮やかな色に木々の葉を染め上げるのでしょうか。

 そんな郷里のさまでしたから、余計この季節この詩が、深く少年時の私の胸に迫ってきたのでしょう。「ヴオロン(バイオリン)」や「鐘のおと」という西洋的な響きのする詩的言語から、19世紀末の巴里(パリ)の色鮮やかな落葉散り敷く街並みを、当時の私はどれだけイメージ出来ていたものか?

 ただ何となく、落葉舞い散る季節にバイオリンの音色はふさわしいと感じていたようです。木立に囲まれたさる洋館から、誰が奏でるのだろう、物悲しい旋律が木立をぬって広がり、落ちて散り敷く落葉をさらに悲愁の色に染め上げていく…。そんなことを漠然とながら感受していたようです。

 そしてバイオリンの哀調を帯びた旋律が、この詩全体を通して流れているようで…。詩人の境涯を「ここかしこ さだめなく とび散らふ」落葉に仮託しているのならば、聴こえてくるバイオリン曲はどんな曲なのだろう?今の私には、『タイースの瞑想曲』あたりがふさわしいのかな、と思うのですが…。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(9)

 (「大出嘉之さん中毒死事件」のつづき)

 大出さんが、練炭による一酸化炭素中毒死体で発見されたレンタカーの中には、大出さんの財布や免許証は残っていたものの、現金やカードなどは見つかりませんでした。さらには「旅行に行ってくる」と家族に言って出たはずなのに、旅行道具やカバンも見つかりませんでした。ドアがロックされていたにも関わらず、レンタカーのキーもなかったのです。
 また練炭を運ぶのに使ったはずの箱などもありませんでした。そもそも木嶋佳苗が供述しているように、「練炭自殺した」のであれば、夜10時頃だというのにそんな遅い時間に、どこから練炭や七輪を入手できたというのでしょう?佳苗が予め計画性をもって車中に持ち込んだとしか考えようがないのです。なお付近には、練炭に火をつけるためのマッチの燃えカスはありましたが、ライター類は見当たりませんでした。

 さらに同乗を認めていながら、レンタカーからは佳苗の指紋も検出されていません。かなりの酩酊状態だった大出さんを乗せて運転したのは佳苗だったと思われますが、ハンドルに佳苗の指紋がないのです。これは予め指紋がつかないように手袋をはめてハンドルを握っていたものと推測されます。8月5日という残暑厳しい折りだったことを考えると、これも前もって計画的にそうしたとしか考えられない、奇妙な行動です。
 その他車内のどこにも佳苗の指紋が残されていないことから、捜査当局(埼玉県警)は佳苗が指紋をふき取る隠ぺい工作をしたものとみています。しかし同乗していたのなら、指紋が残っていて当たり前、なのに残っていない。

 夜の10時頃とはいえ、いつ何どき人が来るとも限らない駐車場。かなり焦っていたのかけっこうちぐはぐな点がありそうです。結婚詐欺では天才的な知能犯の佳苗も、殺人犯としては必ずしもそうでもなかったということでしょうか?
 取調べの段階で、当然そのような矛盾点を警察は厳しく問いただしているはずです。最近取調べの情報がさっぱり洩れてきませんが、これらについても佳苗は「知りません」で通しているというのでしょうか?

 時間を少し戻して、板橋区内の佳苗のマンションを出る際のことです。大出さんはかなりの酩酊状態、その上睡眠薬を飲まされて満足な歩行も困難な状態だったと思われます。しかも男性です。相当の重さがあったはずです。
 対して佳苗は当時100㎏前後の体重があり、それなりの力はあったとしても女性です。果たして、佳苗一人で自室から下の駐車場までスムーズに運んで行けたのでしょうか?
 板橋区は都心から外れた埼玉寄りとはいえ、まがりなりにも都内です。夜9時過ぎとはいえ、人通りもあったはずです。またマンションの住人に不審な物音を聞かれる可能性もあります。
 青梅市の寺田隆夫さんの自宅マンションに、6個もの七輪や練炭を素早く運んだ手際といい、今回の大出さんの件といい、「共犯者」がいてもおかしくないケースです。

 ところで。大出さんは人一倍結婚願望が強かったようです。結婚詐欺師・木嶋佳苗にとっては、またとないかっこうの餌食だったわけです。「学生だから金がかかる。欲しい物がある」などとウソを言って、佳苗から470万円を騙し取られた上命まで奪われてしまったのです。
 既に述べてきましたとおり、予め睡眠薬を用意していたり、直前にネットで練炭を購入していたりと、佳苗に前もって殺意があったことは明らかだと思われます。
 大金をせしめながら、その上何で殺す必要があったのでしょうか?佳苗はターゲットの男性に「“かなえキッチン”を見てくださいね」と勧めていたそうです。あるいは佳苗も逆に、大出さんのブログをチェックしていた可能性があります。あれほど舞い上がっていたからには、「結婚詐欺にあった」と分かった時の大出さんの落胆や怒りはただならぬものでしょう。ブログを通して、不特定多数の人々に佳苗の氏名や罪状をばらされる恐れもあります。
 自供を待たなければ分かりませんが、そういうこともあって佳苗は『殺(や)るしかない』と決めたのでしょうか?

 ともかく大出さんは、事件直前「結婚の喜び」を自身のブログに書き綴っていました。対して『かなえキッチン』はどうだったでしょうか?実は事件前後、大出さんを思わせる記述は一切なかったのです。
 それのみか事件直後佳苗は、「別の男性」と福島県の裏磐梯に旅行に行ったのです。また直後、‘06年8月から借りていた(大出さんをもてなした)板橋区のマンション(家賃13~14万円)から、池袋駅前の14階建マンションに引っ越しています。当然家賃は一気に跳ね上がり219,000円でした。  (以下次回につづく)

 (注記) 「大出さん中毒死事件」につきまして、下記サイトなどを参考にしてまとめました。深く感謝申し上げます。
   http://ee-news.seesaa.net/article/131430539.html

 (大場光太郎・記) 

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かなえの殺人レシピ(8)

 婚前旅行のはずが死出の旅にー大出嘉之さん中毒死事件

 今年8月6日東京都千代田区の会社員、大出嘉之(おおいで・よしゆき)さん(当時41)が、埼玉県富士見市内の駐車場に停めてあった車の中から遺体で発見されました。(発見は6日午前7時頃)。車は、大出さん自身がその前日レンタカー会社から借りたもので、その車中で大出さんは一酸化炭素中毒死していたのです。助手席には、七輪に入った燃え残りの練炭が残されました。また司法解剖の結果遺体から睡眠薬が検出されました。

 千葉県野田市の安藤建三さん焼死事件あたりから、警察内部で「どうも木嶋佳苗という女が怪しい」という極秘情報が上がっていたのでしょう。そんな中またも起きた不審死事件。練炭や睡眠薬を使う手口も、今年5月に起きた安藤さん焼死時と酷似しています。
 大出さん事件発覚後の埼玉県警の対応は素早いものでした。『本シリーズ(3)』で既報のとおり、佳苗に気づかれようがお構いなしの複数の捜査員による、24時間態勢の佳苗の「行動確認(尾行)」をスタートさせたのです。

 その過程における捜査や9月25日の逮捕後の佳苗の供述から明らかになった、大出さん中毒死事件の概要はー
 佳苗は睡眠薬を東京都板橋区内の診療所で、今年1月から9月にわたり計7回処方してもらっていました。ハルシオン、レンドルミン、デパスの3種類の睡眠薬でしたが、司法解剖の結果大出さんの体内から、佳苗が処方されていた3種類と同じ成分の睡眠薬が検出されたました。なお大出さんは、睡眠薬は普段まったく使用していませんでした。

 今となっては確かめようもありませんが、安藤さん、大出さんのみならず、千葉県野田市の福山定男さん、青梅市の寺田隆夫さんの不審死にも、「死亡導入」を容易にするために睡眠薬が使用された可能性が高いと思われます。
 また逮捕後押収された佳苗のパソコンを解析したところ、安藤さん、大出さんが死亡する前に、ネットで練炭を箱ごと大量に購入していた履歴が見つかりました。

 事件前の大出さんの行動と、事件前後の佳苗の行動が明らかになってきました。
 大出嘉之さんは木嶋佳苗と、「会員制婚活サイト」で知り合いました。大出さんは自身のブログを持っており、10日前の7月27日のブログでは、「ジュエリー売り場にしばらくいました。理由は秘密。クフフ…」と、結婚間近の嬉しさを抑えきれなかったような書き込みをしています。

 また亡くなる前日の8月5日のブログには、
 「実は41歳のトマちゃん(大出さんの愛称)は婚活中でしてwつか今日相手のご家族と会うのです。
 ここ最近ずっと相手と新居を探したり新生活のことを話し合っているんです。
 今夜から2泊3日で相手と婚前旅行に行きます。
 結婚したらしばらく模型は無理でしょうけど、パワーアップしていつか必ず復活しますよ」と記してありました。大出さんはネット仲間に知られた「模型マニア」だったようです。
 まさに「幸せの絶頂」をブログで仄めかした直後、最悪の事態を迎えてしまったわけです。埼玉県警は当初から、現場の状況そしてこのブログ内容からも「自殺」の可能性は極めて低いと判断していました。
 
 大出さんは死亡前日の8月5日レンタカーを借りて、佳苗が当時住んでいた板橋区内のマンションに迎えに行きました。家族には「旅行に出る」と言って、着替えなどの旅行道具を入れたカバンを持って。
 佳苗のマンションにやってきた大出さんを、佳苗は自慢の手料理でもてなしました。佳苗も「ビーフシチューを一緒に食べた」と供述しています。それを裏付けるように大出さんの胃から、ビーフシチューと思しき食べ物が摘出されています。またこの夜、大出さんは普段あまり飲まないというお酒も飲んだようで、体内からはアルコールの成分も検出されました。

 同夜午後9時過ぎ、佳苗は酩酊状態の大出さんをレンタカーに乗せ、埼玉県富士見市に向かったものと思われます。レンタカーのメーターの走行距離から、ほぼ一直線で向かったと推定されます。所要時間は約30分。
 佳苗は、遺体発見現場となった富士見市内の月極駐車場に同夜いたことを認めています。しかしその後は、「大出さんとケンカをして駐車場で別れた。(大出さんはそのショックで)自殺したのではないか」と、寺田隆夫さんの時とよく似た供述をしています。
 埼玉県警は、佳苗が同夜午後10時頃、現場の北東約300mの入浴施設からタクシーで帰宅したことを確認しています。  (「大出さんの項」次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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かなえの殺人レシピ(7)

 「介護やります」と徹底奉仕の末にー安藤建三さん焼死事件

 今年5月15日千葉県野田市内の一戸建て自宅が焼失し、焼け跡から安藤建三さん(当時80)が焼死体で発見されました。安藤さんは一人息子(36)と一緒に住んでいました。その子息氏の証言によりますとー
 「火災当日、僕は8時前に家を出ました。その日は部屋の模様替えをする予定だったので、父は9時には起きていたはずです。木嶋は業者が帰った後に来たのでしょうか…。昼頃、職場にいた僕のもとに火災だと通報が入りました。車を飛ばして駆けつけましたが、もう屋根が落ちていた。父は辛うじて人の形をしていましたが、無残な姿で表情などは分かりませんでした」。

 また子息氏は、「父はヘビースモーカーで、タバコの灰を部屋中に落とすような人です。“タバコの火の不始末が原因でしょう”ということで、一旦は落ち着きました」と言っています。
 現場検証した当初、そう判断したのは千葉県警です。しかしその後の捜査の結果、安藤さんの遺体のすぐ側に練炭が燃やされた七輪があったこと、司法解剖の結果遺体から睡眠導入剤の成分が検出されたなどの不審な点から、千葉県警は「事件の可能性あり」として極秘捜査を開始することになったのです。
 なお安藤さんは、糖尿病のクスリを服用していた程度で、睡眠剤は飲んでいませんでしたし、練炭を使うこともありませんでした。

 実は、事件の翌朝子息氏の携帯に佳苗から電話があったのです。「“お父さんの携帯がつながらないんですけど、どうされましたか?昨日伺ったんですけど”と連絡がありました。火事のことを告げると絶句していた。“当日いらしていたのなら、県警の方にお名前と連絡先を教えることになりますが、報告してもいいですか?”と言うと、特にためらうこともなく“別にいいですよ”ということでした」といったやりとりだったようです。

 そもそも安藤建三さんが木嶋佳苗と知り合ったのは、出会系サイトを通じてです。焼け跡から見つかった安藤さんのパソコンを解析したところ、ネット上で佳苗が安藤さんに最初に接触した時のものと思われるデータが出てきました。
 妻を10年以上前に亡くしてから安藤さんはネットにはまり、これまでパソコンを5台も買い換えたそうです。

 子息氏が、父の件で市に介護保険を申請すべきかどうか悩んでいた矢先の昨年10月、安藤さんから「木嶋さんという女性にボランティアで手伝ってもらっている」と説明を受けたそうです。安藤建三さんは「介護やります」といったことが書かれた、ネット上の佳苗の出会い系掲示板を見つけたのです。月に何度か安藤さんの方から「きょうは来てくれないか?」と連絡していたようです。
 なお子息氏は電話の声だけで、佳苗を見たことは一度もなかったそうです。それもそのはずで、佳苗は子息氏の不在時にしか安藤さん宅を訪問していなかったのです。

 ところでネット掲示板には、上記紹介文と共に“顔写真”も添付されていました。その写真は佳苗の本物の写真をパソコンで加工したもので、けっこう美人に写っているといいます。ところが実際会ってみると、写真とは似ても似つかない佳苗がやってくるわけです。大抵の男は写真と実物の違いにがっかりしたはずです。
 にも関わらず、その後被害者男性たちは佳苗との「深い関係」にはまり込んでいきます。なぜなのでしょう?
 佳苗に金を騙し取られた結婚詐欺被害者からの聴取で分かったことは、佳苗はまず徹底的に“男に尽くす”らしいのです。

 言いなりに何でもやってくれるので、気分が悪かろうはずがありません。特に安藤さんのような老人には、「介護やります」の言葉どおり、下の世話から何から何まで全部やってあげる。そうした「徹底奉仕」によって、男を骨抜きにしてしまうのだそうです。
 佳苗の凄まじいところはそれのみにとどまりません。男の「性的な要望」にも全面的に応えていたというのです。とにかく割り切り方は中途半端なものではなかったようです。既に見てきたように、佳苗は男を騙す際は「吉川桜」の偽名を使っていましたが、その時は本当に「吉川桜という別人格」になり切ったのでは?と思われるほどの割り切り方だったそうです。『本シリーズ(5)』で、「木嶋佳苗は多重人格者だ」という現捜査関係者のぼやきを紹介しましたが、それがここでも裏付けられたかっこうです。(安藤さんのケースでは最初は「吉川桜」で、途中から本名を名乗ったのでしょうか?)

 ともかく。その後の千葉県警の捜査により、銀行の防犯カメラの解析の結果、火災当日安藤さんのキャッシュカードを持ち出し、ATMから現金180万円を引き出している佳苗の姿が映し出されていることが判明しました。そのため千葉県警は内偵を続け、7月には近隣住民に佳苗の写真を見せ、目撃証言を集めていたといいます。(さらにそれまでに、多額の現金が佳苗に渡った形跡があるといいます。)
 捜査情報通によりますと、この件では「詐欺もしくは窃盗で決着の可能性」があるようです。自宅火災により証拠は残っておらず、福山定男さん、寺田隆夫さん同様殺人罪での立件は難航必至と見られています。

 なお安藤建三さんは、画家の安藤義茂(1967年、79歳で没)の次男でした。義重画伯は、1940年代塗り重ねた水彩絵の具を刀で削る「刀画(とうが)」の技法を確立した画家のようです。現在作品の多くは、故郷の愛媛県北条市の「北条ふるさと館」に寄贈されているとのこと。
 ただ残された絵の何点かは、次男だった建三氏が遺産として受け取っていた可能性があります。それを火災の際佳苗は持ち出したのです。というのも、逮捕時まで同居していた千葉県内の40代男性マンションを家宅捜索の際、運び込んだ生活用品と共に同画伯の絵3点が発見されたからです。
 佳苗は同居男性に、「安藤さんに300万円貸しており、その代わりとして受け取った絵なの。一部は生活のために売却したのよ」と説明していたそうです。

 ところで、安藤さん焼死事件では「異様な殺意が見られる」と指摘する専門家もいます。というのも、室内に練炭は置かれていたものの、死因が焼死だったからです。「練炭偽装自殺」だけに終わらせず、なぜ佳苗は火までつけたのか?証拠隠滅のためとも考えられますが、「もっと奥深い情念があったのではないか」と言うのです。ある心理学博士は以下のように続けます。
 「考えられるのは感情と感情の争い。犯人は(例によって“徹底奉仕”の)報酬としてしかるべき(かなり高額の)お金を要求したが、安藤さんはそれを拒絶。その上、“お前の正体は分かっている”などと罵倒した。その言葉に犯人のプライドは傷つけられ、より強烈な殺意を抱いた。だから家に火をつけて焼死に追い込んだのでしょう。一種の情動殺人です」。

 自身のブログ『かなえキッチン』で、5月15日当日のことを「サスペンスドラマのような一日でした」と悪ノリ記述をしていたそうです。  (以下次回につづく)

 (注記) 本記事は、11月12日号「週刊文春」「週刊新潮」11月5日付け「日刊ゲンダイ」などを参考にまとめました。

 (大場光太郎・記) 

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映画『ゼロの焦点』

 14日(土)夜凄い映画を観てきました。この日全国一斉公開となったばかりの『ゼロの焦点』です。映画館は、毎度行っている「ワーナー・マイカル・TOHOシネマズ海老名」。松本清張(まつもと・せいちょう)の同名小説の映画化作品です。
 同原作を清張自身は「代表作の一つ」と言っていました。原作は1958年3月から1960年1月まで、月刊『宝石』に連載されたもの。後に光文社の「カッパ・ノベルズ」の一冊として発刊されて大評判となり、これまで映画、テレビで何度も映像化されてきました。
 この度は松本清張生誕100年(1909年12月21日生)記念として、電通、東宝、テレビ朝日、朝日新聞社などの同映画制作委員会の手によって映画化されたものです。

 (あらすじ)板根禎子(後の鵜原禎子)は26歳。昭和32年11月、広告代理店勤務する鵜原憲一と見合い結婚をします。新婚旅行間もない11月末憲一は、「仕事の引継ぎをしてこなければならない」と禎子に言い残し、北陸の金沢へと旅立ちます。しかし予定の12月8日になっても憲一は帰京しません。そのまま何日かが過ぎ、不安に駆られた禎子は、一人金沢に向かいます。金沢で憲一の後任となった本多の協力を得ながら、憲一の行方を追います。その過程で彼女は、夫の隠された過去と生活を知ることになる…。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 よく「細部に神が宿る」と言われますが、全編を通してどこにもわざとらしさや破綻が見られず、スリリングなストーリーが小気味よいテンポで展開されていきます。単なる事件物、サスペンス物という枠を超えて、観る者にこの社会が抱えるさまざまな問題を考えさせる、重厚で奥行きのある映画だと思います。
 これは監督の犬童一心、脚本の犬童と中園健司らスタッフ陣の制作技術に負うところが大きいのでしょう。と共に、やはり何よりも「社会派」推理作家と称された松本清張の原作の緻密な世相描写、状況描写のたまものだと思われます。

 ストーリーの本筋とは関係ないながら。昭和30年代前半頃の、東京や金沢の町並み、当時の庶民の暮らしぶり、商業活動などが何の誇張もなくリアルに描かれています。小学校低学年ながら当時を生きた者として、『あヽ確かにこの通りだったよなあ』と、当時にタイムスリップして、画面のその場に身を置いているような臨場感が味わえました。
 それと金沢や能登など、北陸の冬の描写が見事です。テレビでおなじみの金沢市街や兼六園などはさておき。日本海に面した能登の寂れた漁村などの、荒寥(こうりょう)として陰鬱(いんうつ)な冬景色が、時に詩的な映像で迫ってくるのです。北国、雪国で生まれ育った私などは、思わず懐かしさを覚える風景です。

 この映画は、日本アカデミー賞を受賞した3女優が競演していることも大きな話題のようです。広末涼子、中谷美紀、木村多江の3人です。
 ヒロインの鵜原禎子役の広末は、‘08年の『おくりびと』で。室田佐知子役の中谷は、‘03年の『壬生義士伝』と‘06年の『嫌われ松子の生涯』で。田沼久子役の木村は、‘08年の『ぐるりのこと』で。
 広末涼子は日頃テレビ画面で、木村多江は「日本一不幸が似合う女」の称号(?)を得た『白い巨塔』の薄幸な女役で知っていました。しかし中谷美紀は、これまでは名前と顔を何とか知っていただけ。この映画によって、『何と凄い存在感のある女優なんだ ! 』と、すっかり認識を新たにしました。
 鵜原憲一役の西島秀俊、その兄鵜原宗太郎役の杉本哲太、憲一の部下の本多役の野間口徹など男性陣もよく好演しています。特に、一代で成り上がったアクの強いレンガ製造会社社長の室田儀作役の、鹿賀丈史の迫力ある演技には脱帽です。

 ストーリーは、ラストの大破局に向かって息もつかせぬサスペンス的展開を見せていきます。能登金剛という断崖絶壁でのシーンなどは、何やら現代版シェークスピア悲劇を見ているような、荘重で、鬼気迫る迫真のシーンで、必見です。

 原作『ゼロの焦点』で松本清張が訴えたかったのは、経済白書で「もはや戦後は終わった」と述べた昭和30年前半に到っても、「戦争の傷跡」は当時の社会の各層に色濃く影を落としているのだ、ということだったのではないでしょうか?(早速新潮文庫版を求めましたので、今後確認しながら読んでみます。)
 特に、中谷美紀演ずる室田佐知子と木村多江演ずる田沼久子の2人が共演しているシーンでは、戦後まもなく流行した名曲『星の流れに』の、
   こんな女に誰がした
というフレーズが聴こえてくるようでした。その“哀しさ”に思わず涙がこぼれてしまいます。

 さすが、「清張生誕100年記念作品」と銘打っただけのことはあります。私はこの映画は今年の邦画を代表する作品なのでは?と思います。
 ただ一方では、既に公開中の渡辺謙主演の『沈まぬ太陽』こそ年度代表作に相応しい、という評価もあるようです。『さて、どっちなの?』。近いうちそちらも観て、じっくり比べてみよう思います。といっても、『ヴィヨンの妻』結局観そびれたように、確約は出来かねますが。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(6)

 はじめて「練炭」が登場ー寺田隆夫さん中毒死事件

 寺田隆夫さん(当時53)は、今年2月4日東京都青梅市東青梅4丁目の自宅マンションの一室で死体となって発見されました。上から布団をかぶって仰向けの状態でした。
 寺田さんは1月30日夜立川市内の勤務先を退社後、出勤していませんでした。不審に思った会社の上司らが、寺田さんの自宅を訪れ遺体を発見したのです。死亡した一室それにそれ以外も4LDKの各部屋、洗面所に、練炭が燃やされた6個もの七輪が置かれてありました。

 寺田さんは同マンションに一人住まい。窓は密封状態、部屋にも施錠がされていたことから、現場を調査した警視庁青梅警察署は、「練炭自殺」による一酸化炭素中毒死と判断。寺田さんの遺体は司法解剖されることなく荼毘に付されました。
 しかしその後全部で3個あるはずの鍵が1つなくなっていることなど、死亡の経緯に不審な点があることから「殺人の疑いがある」と見て捜査をやり直すことになりました。
 すると寺田さんの携帯電話の着信履歴から木嶋佳苗の存在が浮上。なおも調べていくうちに、寺田さんは例の「婚活サイト」を通じて佳苗と知り合っていたことが判明しました。
 青梅署員が電話で佳苗に、寺田さん死亡に関して何か心当たりがないか尋ねたところ、「(寺田さんは)もし結婚できないんだったら、もう死にたいと話していました。だから自殺したのでは」と平然と答えたというのです。

 佳苗の答えも答えなら、「ちょっと、青梅警察署さん。そんなんでもう尋問終わり?電話でちょこっと向こうの言い分を聞いただけで?」ということなのではないでしょうか?いくらなんでも直接会いもしないで、佳苗が一方的に言ったことを「あヽそうだったんですか。了解です」と引き下がったということなのでしょう。
 まことに勝手な推論ながら。この場合「どうもおかしい」というのは署内から出たのではなく、寺田さんの関係者から突き上げられて、それで仕方なくということも考えられます。でも一旦「自殺」として処理済である以上、それが覆えるとなると青梅署ひいては警視庁の信用問題にまで発展しかねない。そこで形だけ捜査したふりをしてお茶を濁した、ということなのではないでしょうか?押尾学事件の田中香織さん変死時の、「事件性なし」とした麻布警察署の対応ぶりからもついそう勘ぐりたくもなるというものです。(余談ながら。たるみ切った全国の警察組織の覚醒を促すために、今年の流行語大賞候補として「事件性なし」をノミネートしてはいかがでしょう?何なら赤坂警察署に「流行語大賞」を差し上げては。でもやっぱり今年は「政権交代」で決まりか !?)

 ともかく。今回の寺田さん中毒死事件では、新たに「練炭」を使用しています。その後今年8月の大出嘉之さん(当時41)中毒死の時も、遺体が見つかった車中から練炭が発見されました。4LDKの広さには、つごう6個の七輪で。周到な計画性が感じられます。
 なお寺田さん事件に関しては、果たして木嶋佳苗の単独犯行だろうか?と疑問視する声も一部にはあるようです。というのも、急を要するはずなのに女の力で「6個もの七輪」を一気に運び込むのは大変なはずだ。誰か他に「男の共犯者」がいたのではないか?と取りざたされているのです。
 その人物が事件に関与していたかどうかは不明ながら。佳苗には確かに特別視していた男性がいたようなのです。(それについてはまたいずれかの機会に取り上げます。)

 いずれにしても寺田隆夫さんは、佳苗に1,700万円を振り込んでいました。寺田さんが亡くなった直後のブログ『かなえキッチン』2月13日付けには、
 「昨年(‘08年)秋に購入した中古のシルバーカラーのベンツのCクラスから、メルセデス・ベンツの上級車のEクラスに乗り換えた」
との記述が見られるようです。


 ネット関係者の間で佳苗は「赤飯婆」として有名だった

 まだ少しスペースに余裕がありますので、本題から脱線した話を以下にー。
 木嶋佳苗はネット上で、かなり前から「おかしなオンナ」として知られていたという話です。

 既にご存知かと思いますが、獲物の男どもを釣り上げるための罠として、ネットの「婚活サイト」の他に、佳苗は自身のブログ『かなえキッチン(ごはん日記)』をうまく活用していたとみられます。そして同ブログには赤飯に関する記述が多かったため、2チャンネル関係者の間では「赤飯婆(せきはんばばあ)」として有名だったというのです。
 
 あるITジャーナリスト氏によると、「ネット上には、大勢の変な人たちがいるのです。ウオッチしているときりがないくらいです」と前置きして、「自分の不倫日記にうっとり酔いしれている人妻。温泉の中で必ずオシッコをすると告白した医者…。自分の昔の日記をオークションに出品するトンチンカンな人もいるし、“なりすまし”も多数います。(中略)こういう人たちはネット住民の大好物。みんなで“バカ”を発見して掲示板に持ち寄り、楽しむ習性がある。マークされている人は、たいがいあだ名や符丁がつけられています。“赤飯婆”もそのうちの一人だったのでしょう」と話しています。 (夕刊紙「日刊ゲンダイ」より。日付不詳)

 (以下独り言)いやはや。だいぶ以前筒井康隆編で『人間みな病気』という短編小説アンソロジーがあったけれど。それから10余年、病気は快方に向かうどころか、世の中全体により広く深く蔓延しているわけで。「笑われる」ネット記事公開者も、それを見つけてきては寄ってたかって「笑いものにする」ネット住人たちも、皆々病気だ。
 私のこのブログも、どっかの掲示板で“笑いもの”になってるの?と考えるとゾッとする。もっとも、私ごとき弱小ブログには誰も関心ないか。「笑われる」のも有名ブログだからこそ。ならばいっそ思い切って、笑われる有名ブログになってやるか。といって、とにかく「有名ブログ」になることが、一番難しいのだし…。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(5)

 「皇族出身の母」に関する衝撃的ニュース

 今回は予定を変更して、最近起きた木嶋佳苗被告(34)の身内の痛ましい出来事をお伝えします。
 それを伝えているのは11月13日付け夕刊紙「東京スポーツ」です。(余談ながら)「東スポ」は誤報が多く内容が下品極まりないとの酷評も多く、お上品な人たちは決して読まない夕刊紙です。私は押尾学に関して新情報がほしくて、それ以来時折り購読を始めました。例えば木嶋佳苗については、他紙に先駆けてその顔写真や氏名などを第一面でスクープしてくれるなど、けっこう助かるのです。
 また夕刊紙「日刊ゲンダイ」の方は、数年前に大新聞の購読を止めてからほぼ欠かさずといっていいくらいに読んでいます。全体的に反権力で、パンチの効いた論調が小気味いいからです。

 さて木嶋佳苗の身内とは、母親のことです。その母親が今月初旬自殺していたことが明らかになったというのです。自殺の引き金になったのは、娘の佳苗が関わった一連の重大疑惑による心労のためと見られています。
 前回の『かなえの殺人レシピ(4)』で、福山定男さんに対して「お母さんは皇族の出身」と極めつけの騙し言葉を発したことを紹介しました。しかしもちろんそんなことはなく、母親は近所の子供たちに自宅でピアノを教えていました。6年ほど前佳苗をはじめ子供たち全員が上京したのをきっかけに、夫(佳苗の父親)とは別居し、佳苗が生まれ育った北海道別海町の家から30kmほど離れた実家で実母(佳苗にとっては母方の祖母)と一緒に暮らしていたそうです。

 いずれ「生い立ち」のところでもう少し詳しく述べるつもりですが、父親は(たまたま私と同じ)行政書士で、その父(佳苗にとっては父方の祖父)の経営する司法書士事務所に勤務していました。しかし4年ほど前、地元の人たちが「自殺では?」と噂している謎の死を遂げています。今回の母親の死によって、一家はまたも悲劇に見舞われてしまったわけです。

 母親は別居後また夫死亡後も、別海町の家に月に1、2回は立ち寄り家の掃除をしていましたが、娘の疑惑報道が出てからは姿を見せることがなくなっていたそうです。母親をよく知る人は、「すごくまじめで、責任感のある人だった。事故で足が不自由になってからも普段からボランティア活動をしていたし、今回の事件で“社会に対して申し訳がたたない”と思い悩んでいたようだ」と話しています。
 また突然の悲劇にショックを隠せない別の近隣住民は、「世間で娘さんが騒がれだした頃から表に出てこなくなった。こうなってしまって、悲しくてやりきれない」と話しています。

 父方は地元の名士の家系、そして元ピアノ教師だった母親。4人の子供たちはみな学業優秀で、毎日のように別海町の家で手の込んだ料理を作り、毎年近所の写真館で家族写真も撮っていたといいます。分けても一番早く生まれた長女の佳苗は、両親にとって自慢の娘だったようです。
 そんな近隣住民がうらやむような幸せな家族が、かくも無残に崩壊してしまうとは。

 その原因となった、「不幸を呼ぶ女」佳苗の近況はどうなのでしょう?結婚詐欺事件については「やりました」とペラペラしゃべり、「騙される男が悪い」としゃあしゃあと供述しているそうです。ただ複数の不審死事件について、「自殺に見せかけて殺したのでは?」と水を向けられても、「知りません」の一点張り。本人は『証拠がないから立件できない』と高をくくっていて、追い詰められたようすはまったくないというのです。
 逮捕後4日目になっても、食事にはまったく手をつけようとしない市橋達也とは対照的に、佳苗は出された3度の食事をペロッと平らげているそうです。

 留置所内の佳苗にも、実母の死は知らされているはずです。上のようすはその前なのか後なのかは分かりません。
 そういえば、最近は「佳苗報道がばったり」と思っていたら。テレビや新聞などの「節操のない報道」の自粛を求めて、10月30日埼玉地検が県警記者クラブに抗議文を送付したのだそうです。地検は情報をリークした埼玉県警にも怒り心頭。それで県警が急に情報を絞るようになったのだとか。

 ある捜査関係者は、「木嶋佳苗は一種の多重人格。自分が殺人を企てたことさえ忘れてしまったようだ」と言っているといいます。もし本当にそうだとしたなら、捜査員は今後とも相当てこずることでしょう。れっきとした性格、記憶を持った人格が佳苗の中に複数入れ替わり立ち代わり現われ、肝心の「殺人をそそのかした人格」は取調べ中決して出てこないとすると、嘘発見器も厳しい尋問もどこ吹く風なわけですから。
 多重人格は学術上の小難しい定義よりは、「アストラル界の複数の低級霊による憑依現象」と説明すれば話は簡単そうです。それにしてもとんだ“毒婦”がいたものです。
(以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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ご報告致します(9)

 11月11日すなわち〔イレブン・イレブン〕は、12月12日の〔トゥエルヴ・トゥエルヴ〕と並んで大変重要な日です。〔イレブン・イレブン〕の意義についてある情報ではー
 「まったく新しいレベルないしは局面の発見の開始、別な次元の体験ないしは別な周波数の体験。ポータルの道が開いた」
とあります。車のナンバーなどでこの数字に出あった時は、上記のような意味について考えるのはとても意義深いことのようです。
 そんな大げさなことはともかく。この日当ブログではおかげ様で、開設以来の総訪問者数が3万人を越えました。いつものとおり、訪問者数の概略を以下にご報告申し上げます。

(1)開設(‘08年4月29日)~‘09年11月11日(延べ日数ー562日)
   訪問者合計          30,035 人
   日 平 均             53.4 人
(2)20,000人到達時点(8月24日)~11月11日(延べ日数-79日)
   訪問者合計          10,010 人
   日 平 均            126.7 人
(3)訪問者10,000人当たり対比
   今回    79日で到達  (8月24日~11月11日)
   前回   132日で到達  (4月14日~8月24日)
   今回/前回           0.60      
(4)直前1ヵ月(10月14日~11月11日)
   訪問者合計           5,407 人
   日 平 均            180.2 人

 前回2万人到達は8月24日のことでした。それから79日で1万人もの方のご訪問をいただいたことになります。私は途中、『今年いっぱい、出来ればクリスマスイヴの前まで』と考えておりました。それからすれば、意外にも早くクリアー出来たなと思います。
 これは考えるまでもなく、この期間連続して起こった、押尾事件、酒井事件、木嶋佳苗事件、上田美由紀事件そしてつい先日の市橋達也の逮捕劇など、世間的関心の高い出来事や事件を積極的に取り上げて記事にしてきたためです。まさに「押尾学特需」「酒井法子特需」「木嶋佳苗特需」と言うべきです。(特に直前1ヵ月の日平均「180.2人」は出来すぎも出来すぎです。とても額面通りには受け取れません。)

 しかし訪問者の推移を見ますに、11月10日の市橋容疑者の逮捕がピークだったようです。世間の耳目を集中させる大事件などそうそう起きるはずもなく、またそうしょっちゅう起きる世の中だったら大問題というものです。
 私と致しましてもここで一段落ついたところで、今後はまたじっくり腰を落ち着けて着実な記事作りを心がけてまいりたいと存じます。
 
 ところで開設以来の総記事数も、あと数記事で「600」に達しようとしています。1年半余で600記事。我ながら「書きも書いたり」と驚いています。中には「一記事入魂」のつもりで(少しオーバーなから)心血をそそいで作成したものもあります。また先日の市橋逮捕の時のように、ビックニュースが舞い込んで勢いにまかせてまとめたものもあります。出来の良い記事、悪い記事。あまたありながらも、今となってはその一つ一つに愛着を感じます。
 訪問者数と共に、トップ面左窓の「アクセス数」表示でもお分かりのとおり、あと2,200弱で「50,000アクセス」に届きます。この数字は訪問者数同様、私自身の数を除外した純アクセス数です。こちらは早ければ今月中にも到達可能かな、と思います。

 一概に3万人とは申しましても。ご訪問者の内容は実にさまざまです。中には開設当初から、ほぼ毎日のように訪問されている方もおられます。そういう方はお一人で「500人以上」をカバーしてくださったわけで、改めまして心より深く感謝申し上げます。
 また昨年途中から「お気に入り」に登録し、それからほぼ連続でご訪問の方。年初から連続でご訪問の方。何ヶ月か前から、つい最近ご訪問の方。そして検索でたまたまご訪問の方。諸般のご事情で途中からご訪問くださらなくなった方…。
 当然のことながら、実にさまざまな方がおられます。どんなお方であろうとも、一度は当ブログにご縁くださったすべての方々に、心よりの感謝とご多幸をお祈り申し上げます。

 以前にも申しましたが。私ごとき者のブログ、北は北海道から南は沖縄まで、47都道府県すべてからまんべんなくご訪問いただいております。また時には、言語「English」「Chinese」「Korea」「French」「Spanish」「Germany」などでのアクセスもあります。(それらの方が日本在住の外国人の方なのか、海外からアクセスされているのかは不明です。)
 ともあれ全国各地から広くアクセスしてこられることを思う時、さらに「ガンバロー ! 」という元気をいただきますとともに、私の場合「大場光太郎・記」と実名入りで記事を公開している以上、あまり変な記事は書けないな、と改めて自覚させられる次第です。ただし最近は、けっこうバカなことも書いております。これは「サービス精神の発露」と、多少は大目に見ていただきたいと存じます。

 当ブログは、ブログ構成に凝っているわけでも、シャレた画像や音楽をアップしているわけでもありません。ただただ「文章一本」で勝負しようとしているブログです。その意味では今後とも、1日1万人訪問者・アクセスなどはとても望めそうにありません。
 ただせっかく開設したからには、当ブログ『今この時&あの日あの時』を出来るだけ多くの方に知っていただき、お読みいただきたいというのが、私の念願とするところです。
 どうぞ今後とも、当ブログよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(4)

 「お母さんは皇族の出身」ー福田定男さん変死事件

 稀代の詐欺師・木嶋佳苗の本領が最も発揮されたのが、2年前の千葉県松戸市の福山定男さん(当時70)変死事件です。この事件は詐欺罪のみならず、佳苗による最初の殺人事件ともなったのでした。
 佳苗は福山さんから、一連の事件でも最高額となる7,400万円もの大金を巻き上げ、なおかつ福山さんを変死に到らせたのです。そしてこれが、後に世間を騒がせることになる知人連続不審死事件の序章となったのです。

 そんな大金をいとも簡単に騙し取られた福山さんは、脇の甘いお人好しの大金持ちだったのでしょうか。いや長年の親友の証言によりますと、「私たちには千円札すら出さない人で、近くのサティには商品が安くなる閉店前に行く」ほどの倹約家、悪く言えば吝嗇家(ケチ)で鳴らした人だったというのです。そんな人がなぜコロッと佳苗に騙されてしまったのか?
 佳苗は最初から『このジイさんかなりお金持ってそうだぞ』とにらんだらしく、相当の気合の入れようで、福田さんに騙(かた)りまくった話は半端ではありません。途中『ここまで言うか !?』と思わず「クックックッ」と笑ってしまうような佳苗の騙しのテクニック、とくとご覧あれ。

 福田定男さんは元々は古紙回収業や古本屋をやっていて、十数年前からリサイクルショップに転じたといいます。主に千葉県を中心に何店舗かを展開させていました。本宅は柏市にあるものの奥さんとは不仲でほとんど帰っておらず、普段は(死亡現場となった)松戸市内のリサイクルショップ本店の2階で生活していました。
 福山さんの30年来の親友によりますと、「ちょっと偏屈で取っつきにくい人。仕事には熱心、事業の展開では先見の明がありました。ギャンブルはしないけど、インターネットで株を売買して相当儲けていました」。数年前店の看板に『結婚相談所 幸せ売ります』と書かれていたこともあり、儲かることなら何でもやっていたようです。実際福山さんは周囲の人に「地元では私が一番金持ちだ」などと豪語していたそうです。

 「結婚相談所」の看板を掲げていた福山さんが、結婚詐欺師・木嶋佳苗と出会ったのはおよそ5年ほど前のことで、きっかけは例の「婚活サイト」。そこには以下の書き込みがされていました。
 <国立音大卒で今はヤマハに勤務していますが、ケンブリッジ大学に音楽留学したいと思っています。資金援助をしてくれる方を探しています。 吉川さくら>
 略歴から名前まで嘘で塗り固められた文面です。なお「吉川さくら」「吉川桜」は木嶋佳苗が20代の頃頻繁に使っていた偽名で、いずれまた取り上げる機会があるかもしれません。

 これを当の福山さんは何の疑問も持たず信じきって、メールを送ったのです。上記親友に、「凄い女と知りあったんだよ。28歳くらい。留学の支援を始めたんだ」と言って、すっかり舞い上がったようすだったといいます。
 佳苗の虚飾の仮面には、さらに幾重もの分厚い化粧が施されていきます。
 <国立音大を主席で卒業したんです><ヤマハの偉い人と一対一で話をして、特別にケンブリッチ留学を認めてもらったんです><おじいさんもケンブリッチを卒業したんですよ>…。
 メールのたびに明かされる“新事実”に驚きと喜びを隠せない福山さんは、そのたび「いやあ。凄いことが分かりましたよ。さくらちゃんのお父さんは東大の教授なんだって」などと、親友に頻繁に電話を入れていたそうです。

 そして‘07年3月頃になると、佳苗は極めつけのエピソードを伝えます。
 「お母さんは皇族の出身で、雅子様からお手紙をもらったこともあるんです。体調を崩して、今は家政婦さんと2人で暮らしています。雅子様はお見舞いにも来てくれました。お父さんは昔、セスナ機の離陸に失敗して死んでしまいました。一緒に乗っていた私も、その時怪我をしました」。

 「よくもここまで騙(かた)ったものよ」ではないでしょうか?ここまでくればもはや、「空軍パイロットでエリザベス女王の親戚」を名乗って女を次々に騙した“クヒオ大佐”も真っ青の、天才詐欺師の面目躍如といったところです。共に騙し取った総額1億円。奇しくも共に北海道出身。ただし大きく違うのは、クヒオ大佐(本名:竹内武男)は金は騙し取っても、人を殺(あや)めることはしなかったことです。それが「誇り高き詐欺師の矜持(きょうじ)」なのです。(なお『クヒオ大佐』は映画化されて、10月10日から全国ロードショー中です。出演:堺雅人、松雪泰子など)

 さて福山さんはというと、「華麗なる一族」への支援にすっかり陶酔気味だったようで、微塵も疑うようすはなかったといいます。ある時は「(彼女への支援額は)もう2千万円くらいかな」とも言っていたそうです。
 親子ほども年の離れた2人でしたが、ホテルに泊まることもあったそうです。「男女の関係もあったかもしれませんが、ただ“彼女は頭がいい”というだけで、容姿のことは一言も話さなかった。正直キレイとは言えないですし、福山さんもそう思っていたのでしょう(笑)」とは親友氏の言です。

 ただ、「少しずつ返します」と約束しておきながら、一向に借金を返そうとしない佳苗を、「老後の面倒を見てもらう」というほど信頼していた福山さんも、次第に怪しいと感じ始めます。親友氏は「亡くなる直前には、“そろそろ金を返してもらわないと。ヤマハの人や弁護士さんとも会って相談する”と言っていました。彼女にも“いつ返してくれるんだ”と言ったんでしょうね」と話しています。
 しかしそれから1ヵ月後。福山さんはリサイクルショップ本店2階の風呂場で、全裸で泡を吹いて死んでいたのです。発見したのは「一日中連絡が取れない」との従業員からの連絡を受けて部屋の鍵を開けた次女でした。

 発見直後救急車が呼ばれたものの、千葉県警は「事件性なし」と判断。当時は佳苗との金銭トラブルが明るみに出ておらず、司法解剖をされることもなく荼毘に付されました。
 今回の福山定男さん、そして次回の寺田隆夫さんについては、証拠が乏しすぎるため立件は絶望視されています。  (以下次回につづく)

 (注記) 本記事は、11月12日号「週刊文春」の“木嶋佳苗特集”の一部を引用しながらまとめました。

 (大場光太郎・記)

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横浜晩秋暮色

   さざんかの花弁落ちたる暮色かな   (拙句)

 巨大な雨雲に日本列島全体が覆われたこの日、『こんな雨の中、行くの嫌だなあ』とも言っておられず、かねての予定どおり横浜に行きました。
 横浜駅から根岸線に乗り継いで、今回は2つ目の関内駅で降りました。神奈川県庁担当部署に申請書類を提出するのが目的ですが、途中独立行政法人○○共済機構神奈川支部で某証明書を取ります。それを添付しないと受理されないからです。

 関内駅と隣接した横浜市庁舎の間の広場には、ケヤキが何本も植えられています。春は鮮やかなケヤキ若葉、夏には鬱蒼と日陰をつくるケヤキ並木の風情です。しかしこの晩秋、横浜港が目と鼻の先の海抜といってもあるかなきかの土地柄とはいえ、さすがにケヤキもだいぶ色づいて通る者の心を衝(つ)くものがあります。
 とはいえとにかく役所に急ぐ身には、十分に都会の中のケヤキ紅葉を味わういとまなどなく。降りしきる雨に濡れた舗道に散り敷く落ち葉をちらちら見やって足早に通るのみ。それでもふと、かのヴェルレーヌの名詩『落葉』の一節が頭をよぎりました。そして『そうだ。ブログで同詩を取り上げるんだったな』とも。ここ最近当ブログ、すっかり事件記事づいてしまって。

 ○○共済機構で証明書を発行してもらい、なおかつ日本大通沿いのいつもの日本生命ビル内の分庁舎の何階かに上ります。今回はそこでは、神奈川県の収入証紙を求めるためにです。ついでに申せば、国民、県民、市民あるいは民間業者などが担当機関に書類提出する場合、大きく「○○申請」と「○○届」の二種類があります。どこがどう違うのか?私にも今もって分からないところがあります。しかし確実な区別として、申請の場合はほとんどが「申請料」を納めるかたちとなります。つまり間接的な税金ですね。それが今回は、県の証紙を申請書所定ページに貼付という形態を取っているわけなのです。
 このように各行政機関は、実にさまざまな目に見えない形で「税」を徴収しています。なのに、それでも税収不足だというのですから。今回のテーマではないながら、現システムは根本的に間違っているところがあるのでしょうね、きっと。政権交代云々などでは解決できない根深いものが。

 今回は「経営事項審査申請」という申請のための来庁です。建設業者にとって、指名参加官庁の各工事ごとの基礎点数(ランク付け)が決まる重要な申請です。常時受け付けというわけではなく、各年度初めに県が決めたスケジュールの日だけの申請となります。そのため比較的大勢の業者、行政書士が押しかけるため、建設業課のある日本生命本社ビルでは対応できません。日本大通を越えて、より横浜港に近い民間のさるビルの何階かが以前から受付会場となっています。
 2社分の提出です。そのうち1社分は、先月末申請したものの、『そんなこと大勢に影響ないじゃん』というようなことを指摘され、不受理。業者に不正が多いからなのか、それとも単に国土交通省、各県お役所の権威をさらに強化したいだけなのか。建設業関係の申請はほぼ毎年のように手続き変更で。「役所の仕事はめっきり減ってるのに、こうやって業者を苦しめるようなことばかりやって」と、各業者さんのこぼすことこぼすこと。
 いずれにしても、前回は空戻りの厄日となりました。今回はその補正申請です。

 私は何年か前から、中途半端な時間に来庁すると、えらく待ち時間が長いもので、受付終了(今回は3時半)ぎりぎりくらいに行くことにしています。入ってすぐの長机の上の番号札を取って、ずらり並べられた待機用の長机の後ろの方に座ります。幸い本日はガラガラ、そんなに待たなくてもよさそうです。
 一番奥に長机が2つ並べてあり、来庁者と対面で4人の受付担当者が着席して書類審査しています。見れば前回はねられた時の、30代と思しきメガネをかけた痩せぎすの女性(私の最も苦手なタイプ)もいるではありませんか。私は内心『どうかあの人じゃありませんように』と念じながら待っていました。
 きょうは厄日ではなかったようで。物分りの良い男性職員で、審査の次第は順調に進み、両社ともめでたく申請受理とあいなりました。4時15分過ぎ頃、会場を後にしました。

 終日の雨のせいもあって、街はすっかり暮色が兆しています。本日深夜には例の市橋容疑者逮捕、千葉県警行徳署までの移送劇でてんやわんやでした。しかし街をひっきりなしに行き交う人々にとって、一夜明ければそんなことはまるで関係ないわけで。一人一人のスケジュール、行動パターン、生命(いのち)の軌道に急(せ)かされるように、めんめめんめに通りを足早に歩くのみです。
 街路樹や植込みの草花は、人事にはさらに頓着ないわけです。舗道上には、人の手のデフォルメのような大小さまざまなプラタナスの落ち葉が、定めなき人の世を暗示するようにてんでばらばらな方向に散らばり、濡れて舗道にべったり張りついています。さすが季節の移ろいというもので、植込みはもう山茶花(さざんか)が主流です。そのピンクの花が深まりゆく暮色の中で、引き立って見えています。また直下の地面には、早や散り急いだ花の幾片かが落ちていて、それもまたやけに生き生きと目に迫ってきたのでした。

 (大場光太郎・記)

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速報 ! 市橋容疑者逮捕 !!

 英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)死体遺棄容疑で、全国に指名手配中の市橋達也容疑者(30)が、10日午後8時過ぎ大阪府住之江警察署で逮捕されました。
 市橋は同日午後6時すぎ、フェリーで沖縄に向かうべく、大阪府住之江区内の大阪南港フェリーターミナルの待合室で一人で待っていました。6時45分頃「市橋によく似た男がいる」という会社からの通報を受け、2人の警察官が駆けつけ職務質問したところ、「自分は市橋です」と素直に答えたためその場で身柄を確保され、その後の逮捕となったものです。その際市橋は、「弁解することは何もありません。何も話したくありません」と言ったといいます。(「市橋逮捕」の号外も出されました。)

 ‘07年3月千葉県市川市内の市橋の自宅マンションから、数人の警察官の職務質問を振り切って素足のまま逃走してから960日(約2年半)。とうとうこの日を迎えたわけです。
 フェリー待合室での市橋は、グレーのニット帽を目深にかぶり、上下グレーのスエット姿で、サングラスをかけうつむき加減に席に座っていたそうです。

 逮捕後市橋容疑者は大阪駅から新幹線に乗り込み、日付が変わろうする深夜JR東京駅に到着、混乱を避けるため一般乗客を先に降し、市橋の乗っていた中ほどの12号車から車内を歩いて先頭の16号車まで移動。そこから車外に出た市橋は、すぐさま近くの駅構内エレベーターで降り、11日午前0時4分同駅日本橋口に待機していた警察車両に乗り込み、捜査本部が置かれている千葉県行徳警察署に移送されました。

 同日午前0時40分、市橋を乗せた車が行徳警察署に到着。折からの激しい雨の中、車を待ち構えていた夥しい報道陣が取り囲み、たちまちもみくちゃ状態、なかなか前に進めないほどでした。同車は警察署裏手に回り、午前0時46分市橋はようやく車から降り警察署内へと入っていきました。
 黒いフードで頭からすっぽり覆われ、顔かたちを確認することはできませんでした。

 市橋容疑者逮捕の報を受け、イギリス中部コベントリーにあるリンゼイさんの実家前でリンゼイさん一家が会見に応じました。その中で父親は、「逮捕の一報を受け、体が震えて何度も聞き直しました。私たちは警察と協力しながらここまできた。決してあきらめることはありませんでした。正義がなされると信じていましたから。家族にとって最良の日となりました。ようやく長い闘いが終わった」と応えていました。
 リンゼイさんご一家には心からの祝意を申し上げます。それとともに、だいぶ失墜していた日本警察の国際的信用も、今回の逮捕で少しは取り戻せるのかな?と思います。

 市橋容疑者整形後写真の公開を受けた、6日の当ブログ記事『市橋容疑者は生きてたの !?』の中で、「今回の整形の件で市橋容疑者は、自ら墓穴を掘った」「包囲網は確実に狭められ、逮捕にそう時間はかからないかもしれません」と述べました。結果はまさにこのとおりになったわけで、そう述べた以上、本来何の関係もない私もほっと一安心という感じです。
 それにしても、私は『もう名古屋市内から一歩も出られないだろう。逮捕は名古屋でだろう』と思っていました。しかしどっこい。同市内で先月24日に鼻の整形手術を受けてから、やすやすと同市を脱け出し、今月初めには福岡市内のネットカフェを利用していたというのです。

 そして今回は10日午後2時頃、神戸のフェリー港で「沖縄に行きたい」と申し込み、「ここから沖縄には行けません。大阪南港で申し込んでください」と言われて、午後6時頃同港へと。結局そこで身柄確保となったわけですが、新写真公開後の厳しい捜査網をかいくぐって、名古屋ー福岡ー神戸ー大阪…(沖縄)と、よくもまあ好き勝手に移動できたものです。
 
 岐阜県羽島市の医師の両親の子として生まれた市橋達也。子供の頃は運動神経抜群の目立つ子。小さい時は「礼儀正しい良い子でしたよ」という近所評なのに、高校生の頃から「独りよがり」が目立つように。卒業文集には(木嶋佳苗、上田美由紀など最近は事件のたびに「卒業文集」がよく紹介されること)「牙が欲しい。強い牙が。誰にかかっていっても折れることのない、知恵の牙が」と。「俺が俺が」「俺が一番でないと気がすまない」目立ちたがり屋に変わったと言います。
 しかし千葉大学卒業後は仕事に就かず、その日暮らし。どうも今回の事件を引き起こすきっかけとして、高校時代の変貌ぶりが鍵となるのかな?とも思われます。

 逃走後の一部の足取りが、通報情報により明らかになりました。市橋は大阪府茨城市内の建設会社に、土木作業員として働いていたというのです。この会社で働き始めたのは昨年8月19日。大阪市西成区の路上で、「自分を雇ってほしい」と売り込んだのだそうです。その時は既に今回公開された顔になっていたとのこと。
 「井上康介、大阪出身、32歳」と名乗り、以後1年2ヶ月もの長期間住み込みで。社員寮の市橋の部屋からは指紋も検出されました。
 その時の市橋は同僚が「あの子が市橋?あんなまじめな子が?」と評するほどの、最初は土木の経験はなさそうだったものの、とにかくまじめにこつこつ仕事をし、食事も風呂も一人で…という人物像。月手取り15万円。ほとんど浪費せず、腹巻に金をしまいこんで持ち歩くほどの倹約潜伏生活。ここで100万円ほど蓄えたものとみられています。(同社時、海外逃亡を考えていた時期もあったもようです。)

 しかし今年10月11日、何か異変を察知したのか、給料を受け取った後に姿をくらまし、2日後に既に報道されている福岡の美容整形外科を訪れ、「予約なしでは」と断られ同月24日に名古屋市内の病院で整形手術…と、ここで足取りがつながるわけです。
 なお同建設会社以前は、あまり足取りは掴めていないものの、大阪市北区の堂山町にある“ゲイタウン”や西成区の飛田新地に出入りしたいたという情報もあるようです。

 最後に、父親の市橋逮捕後のインタビューをー。
 「ほっとしました。これ以上逃げても、リンゼイさんのご家族も私たちも、ともに苦しい思いをするだけだった。(達也は)事件の全貌を明らかにし、法の裁きを受け、自分で罪を償ってほしい」。ご自宅玄関前で両親揃っての会見でした。お二人とも聡明そうな立派な顔立ちのお方で…。何で市橋達也は道を間違えてしまったのか。土木作業員の時に見せた、ひたむきな仕事ぶりを自分の天職の分野で発揮していれば、相当の社会貢献が出来た男だったろうに。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(3)

 埼玉県警は殺人での立件を視野に逮捕した

 一部報道によりますと、木嶋佳苗が関与していたとされる複数男性の不審死は、結婚詐欺容疑での逮捕後の取調べの過程で浮上してきたものとされています。しかしこれは事実ではありません。

 埼玉県警が殺人事件としての立件を視野に、木嶋佳苗への本格的な捜査を開始したのは、逮捕前の8月からでした。実際にまず動いたのは、千葉県警の方だったようです。5月15日千葉県野田市の自宅火災で安藤建三さん(80)が焼死。それに佳苗が関わっていることを突き止めたことから、同県警は水面下で捜査を進めていたのです。
 そんな中今度は8月6日埼玉県内の駐車場に停めていた車中で、大出嘉之さん(41)が一酸化炭素中毒による死体となって発見されました。これにも佳苗が関与していることが分かり、所轄の埼玉県警が素早く動いたのです。県警関係者の話では「すぐさま、24時間態勢の(佳苗の)行動確認を始めました。」

 同警察関係者は続けます。
 「木嶋が自宅にいる時も外出している時も、ベッタリと複数の捜査員が張り付いた。行動の確認というと、対象者に悟られないように尾行するのが普通ですが、今回は違った。本人に悟られることなどお構いなしで、対象者の身辺に密着したのです。
 例えば、木嶋が電車に乗ると、捜査員が隣に座る。そして“天気いいですなぁ。きょうはどこに出かけるんですか?”と声をかけることもありました。」

 一見変わった捜査手法を選択した理由は、「対象者の心理動向を探ることが目的」だったのだそうです。関係者は続けて、
 「突然捜査員に張り付かれ、声までかけられた時に対象者がどういった反応をするかを見るのです。ポリグラフ(嘘発見器)にかけているようなもの。埼玉県警は、‘98年に発生した会社社長による保険金殺人事件の際にも同じ捜査手法を取って解決に導いた実績があります。」
 結局埼玉県警が結婚詐欺容疑で木嶋佳苗を逮捕したのは、9月25日のことでした。同県警はそれまで約50日間にも及び、上記のような佳苗の行動確認を続けたのです。その結果同県警は一つの結論を導き出します。
 「これは、完全否認事件になる。“本件”である殺人容疑で取り調べても、自白は得られない」。この同県警の判断は、警察庁にも報告として上げられているといいます。(事実佳苗は、詐欺罪についてはおおむね認めているものの、殺人については否認を続けているようです。)

 捜査関係者いわくー、
 「つまり、行動確認に木嶋は全く動揺しなかった。“相当なタマだ”と感想を漏らした捜査員もいますが、ともかく木嶋の行動は大胆極まりないものだったのです。」
 しかし捜査員を驚かせた佳苗の動向が、逮捕を早めさせる要因にもなったのです。行動確認をしている最中に、佳苗が埼玉県ふじみ野市の30代男性に接触していることが判明。「このままでは彼が第5の被害者になる」と、着手を判断したのです。
 また既に幾つかのテレビ局が取材、「室内の火災報知器すべてが持ち去られていた」などと報道しているように、佳苗は逮捕の6日前からネットで知り合ったばかりの千葉県在住の40代男性のマンションに転がり込み、同棲をスタートさせてもいました。
 9月25日の逮捕日は、そのマンションに捜査員が踏み込み、木嶋佳苗に任意同行を求めたのです。何が起きたのか分からないでおろおろしている同居男性に、佳苗は「大丈夫だから」と涙ながらに言い残したといいます。

 以上は、11月12日号「週刊新潮」の“木嶋佳苗特集”の一部を引用しながらまとめたものです。上記の中に、「このままでは彼が“第5の被害者”になる」という埼玉県警の判断を紹介しました。つまり佳苗が関与していると思われる不審死した男性は、捜査当局は合計「4人」と見ていることになります。
 しかし一部夕刊紙などでは、不審死した男性は「6人」としています。県名は明かされていないものの、後の2名はいずれも「関東在住」としています。それなりの裏づけがあってのことなのでしょう。捜査当局もさらに今後、その2名の不審死について何らかの情報を開示することになるのでしょうか。  (以下次回につづく)

 (注記) 本シリーズ、当初は数回くらいでまとまるだろうと気楽に考えていました。しかしどうもそんなものでは収まりそうになく、10回は軽く越えてしまいそうです。
 現在世間的関心は「鳥取県不審死事件」の上田美由紀の方に移ってしまったようです。現に9日には同事件関連でまた一つ新事実が報道されました。‘08年2月40代の鳥取県警の巡査部長が、謎の死を遂げていたことが判明したというのです。『えっ。警察官まで !?』と言うところです。この死はあくまでも自殺と見られていますが、同警察官は当時美由紀と不倫関係にあり、別れ話が持ち上がった直後の死だったようです。

 写真を見るかぎり美由紀容疑者は、率直に言いますと“キモイ(気持ち悪い)”感じです。実物は「さらにキモイ」という証言もあります。なのになぜ…?
 私が思いますに、上田美由紀にも確かに「詐欺師」的要素は多分にありますが、同時に「粗暴犯」的要素もかなりありそうで。今ひとつ強い関心が持てません。
 そのようなわけで。あくまでも『かなえ殺人レシピ』をメーンとし、美由紀情報は適宜にということにさせていただきます。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(2)

 逮捕のきっかけとなった結婚詐欺事件について

 3千万人首都圏人口の巨大な無名性にまぎれて、木嶋佳苗(34)は人知れず恐るべき闇の行為を重ねていたのでした。闇が現れようとしていた時には、現在露見している犯罪のすべては仕上げられ、なおかつ次なる獲物に間近に接触もしていたのです。
 30代半ばの女の恐るべき事件が表に現れ出るきっかけとなったのは、9月25日佳苗が結婚詐欺容疑で埼玉県警から逮捕されたことです。いやその時は、日常茶飯事に各種犯罪が恒常的に頻発している当今、一人の30代女の結婚詐欺のことなど報道機関も世間もまったく関心を寄せませんでした。

 それがにわかに注目され出したのは、逮捕から1ヵ月あまり経った10月26日のこと。それまでマスコミに伏せられていた佳苗の本当の「逮捕事実」を、読売新聞がスッパ抜いてからです。
 それによりこの事件は単なる結婚詐欺事件にとどまらず、複数人の男性が謎の死を遂げており、いずれにも木嶋佳苗が関与しているらしいということになり、「稀に見る大事件」とばかりに各報道機関が以後狂乱的に報道合戦を繰り広げたのでした。

 いずれにしても9月25日逮捕のきっかけとなったのは「結婚詐欺事件」です。まずはこの事件から振り返っていくことにします。
 結婚詐欺を遂行する上で佳苗が使ったのは、ネットの「婚活サイト」でした。世の中の「婚活ブーム」にあやかり、現在婚活サイトの運営会社は4000社にも上るといわれています。その中で佳苗が利用したのは検索サイト「ヤフージャパン」が運営する婚活サイト「ヤフーパートナー」でした。最も信用度が高く利用客の多い同サイトを利用することで、佳苗は登録者のうちでも「カネを自由に使える」いわゆるお金持ちの男性を特にピックアップし、ターゲットにしていったものと考えられます。

 佳苗は同サイトで「学生」や「介護ヘルパー」と自己紹介。そうやって関係が進み結婚話が出ると、さあそこからが口八丁手八丁の佳苗の本領発揮です。「私は大学院生です。学費が3ヶ月未納で卒業できません。卒業したらあなたに尽くします」と持ちかけ、生活費や学費などを無心していったのです。
 今回はその中で、長野県塩尻市内の50代男性と静岡県の40代男性の2人から、合計330万円を詐取した疑いで逮捕されたのでした。同容疑では、佳苗は10月21日起訴されました。
 また同じような手口での、長野県の50代後半男性と埼玉県の30代後半男性への詐欺未遂容疑でも、10月21日再逮捕されています。
 佳苗は詐取した金は「クレジットの返済に充てた」と言い、生活費への充当目的で詐欺を繰り返していたとみられています。そしてこれら一連の「詐欺罪」について、佳苗は容疑及び起訴事実を認めているとされます。

 ところで木嶋佳苗は、押収したパソコンを解析した結果、ヤフー婚活サイトのような大手サイトの他に「不倫サイト」「愛人サイト」へも顔を出していた可能性が高いことが分かったといいます。実際佳苗は、不倫相手を探す出会い系サイトに名前を登録し、交際にこぎつけた83歳の無職男性を脅し、百数十万円を受け取ったとされています。
 幾つもの偽名を使いながら数十人の男性と接触し、同じような手口でやられた被害者はゆうに20人を超えるとみられています。しかしそこは知能犯の佳苗のこと、予め社会的地位が高く被害届を出しずらい男性を狙い撃ちしていて、捜査当局も実態を把握しにくい状況のようです。

 こうして見てきますと、改めて「婚活サイト」や「出会い系サイト」の持つ怖い一面が垣間見えてきます。いくらヤフーの同サイトが「本人確認」をきちんと取っている優良サイトとはいえ、時に木嶋佳苗のように最初から詐欺目的で同サイトにアプローチしてくる輩を防ぐことは難しいわけです。いわんや偽名や偽情報をいくらでもデッチ上げられる、出会い系サイトに至ってはなおさらです。
 
 今回の木嶋佳苗の一連の事件によって、せっかく盛り上がっていた昨今の「婚活ブーム」も下火になるのでは?と懸念されています。男女とも結婚年齢が上がり少子化している今日の社会。その意味で婚活ブームは、今日の社会的要請によって生じたブームといえなくもありません。

 しかしだからといって、「結婚」という人生で最も大事なことの一つを、ネットによる出会いに求めても良いのだろうか?見合い結婚の一つのバージョンとして、それはそれでうまくまとまりめでたくゴールイン、その後も「ハッピー、パッピー」というケースがないとはいえないけれど。見えない相手を、じっくり時間をかけて各方面から見定めてからならともかく。ネット上の甘い言葉にすぐに飛びつくようでは、いくら何でも少し安直すぎはしまいか?
 中には同サイトに登録した個人情報を他に売り飛ばしたり、飛びついてきた男性に対して、美人局(つつもたせ)のようなことをしている悪徳業者もいるというし。

 俗に「魚心あれば水心」。その心理にうまくつけこまれた被害男性にも、何らかの責任があったのではないでしょうか?
 それにしても多額のお金ばかりか、人によっては命まで奪われることになろうとは…。
 その意味で木嶋佳苗の今回の事件は、結婚相手すらもバーチャルなネットで探そうとする風潮に、一石を投ずることになったことは間違いないのかもしれません。  (以下次回につづく)  

 (大場光太郎・記)

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秋の名句(4)

                 原 石鼎

   頂上や殊(こと)に野菊の吹かれ居り

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 原石鼎(はら・せきてい) 略歴につきましては、『模様のちがふ皿二つ』参照のこと。

 11月7日はもう暦の上では「立冬」です。にもかかわらず当日は、ぽかぽか陽気の晴れて暖かな一日でした。でも俳句を少しでもかじっている者ならば、当日のそんな天気は晩秋晴れの良き日ではなく、小春日和の良き日と感じなければならないのでしょう。
 とはいうものの。現実的な季節感からすれば、湘南の海にほど近く海抜さほど高くない当地などは特に、11月いっぱいは晩秋と捉えたくなります。
 というわけで、当ブログでは今しばらく「秋の名句」を味わっていくことにしたいと思います。

 この句では何が季語かと言いますと、「野菊」です。その他に「菊」「残菊」「残る菊」など皆秋の季語となります。野菊は都会ではまず見られないでしょうが、少し地方に行けば今でも野辺などに群生して咲いているのを見かけます。秋もいよいよ深まった晩秋の季語としてふさわしい花のように思います。
   遠い山から 吹いてくる
   こ寒い風に 揺れながら
   気高く清く 匂(にお)う花
   きれいな野菊 うすむらさきよ  (石森延男:作詞『野菊』1番)

 晩秋のさる日原石鼎は、とある山に登ったのです。といっても登山家が命がけで登攀を試みるような高峰ではありません。どこか登るに手ごろな何100mかの里山、あるいはせいぜい1000m強くらいといった感じの山ではないでしょうか?しかしそんな山ではあっても、その頂上に辿り着いた達成感はまた格別です。
 その達成感、感激が、発句の「頂上や」によく現れていると思います。

 そしていざ頂上に立ってみて、石鼎の目に真っ先に飛び込んできたのが野菊です。そのようすをじっくり見てみるに、「殊に野菊の吹かれ居り」。頂上ですから吹きつける風も一段と強いのです。
 山は標高が100m高くなるごとに、およそ1.6℃気温が下がるといいます。里より何100mか高くなると、もうそれだけでかなり寒く感じます。その上強風ですから、体感では余計寒く感じられたはずです。

 いつも里に咲く野菊を目にすることはあっても、山の頂上に咲く野菊の姿を目にしたのはおそらく初めてなのでしょう。「遠い山から吹いてくる こ寒い風に揺れながら」どころか、吹きつのる強風にか細い身をふるわせながら、普段は遠い山として見上げているただ中でさえ野菊は咲いている。その姿の健気さ、いとおしさ。
 原石鼎にとって、それは新しい発見であり感動であったに違いありません。

 (大場光太郎・記)

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かなえを超える大毒婦 !?(2)

 上田美由紀容疑者(35)によると思われる殺人事件の概要とはー。
 
 まず今年の4月11日、知人でトラック運転手だった矢部和実さん(当時47)が、鳥取県北栄町沖約600mの日本海で水死体で発見されました。
 続いて10月7日電気工の圓山秀樹さん(57)が、鳥取市覚寺の摩尼(まに)川の水深数十cmの所に、うつぶせの窒息死状態で発見されました。圓山さんは美由紀容疑者の紹介で家電製品を売ったものの、代金未払いのトラブルになっていたのです。同月6日朝知人に「集金に行ってくる」と言ったまま連絡が取れなくなってしまいました。
 この時圓山さんと会った相手と見られるのが、美由紀と同棲していた同女と同じ日に逮捕された「アンドウ」と名のる男だったのです。圓山さんの顔には、殴られたような深い傷があることから、この男も圓山さん殺人に関与していたものと推定されます。

 さらに10月27日、美由紀と同じアパートの向かいの別棟に住む無職の田口和美さん(58)が、自室で急死しているのが見つかりました。
 田口さんは美由紀とは互いの家を行き来する仲で、美由紀にアパートの鍵を預けて自由に出入りさせていたといいます。田口さんは今年3月、4月頃までは鳥取市内のホテルに勤務していました。しかしその後体調不良に陥り、失職せざるを得なくなったのです。
 事件前日あたりは特に容態が悪化し、7日ついに亡くなってしまいました。美由紀が作って、田口さんに食べさせていた料理に原因があるのではないかと見られています。

 県警がこの3人の遺体を調べた結果、3人の体から共通して「睡眠導入剤」の成分が検出され、同一犯人の犯行によるものではないかという結論に達したわけです。
 上田美由紀容疑者は、以前勤めていたスナックの関係者などの証言から、美由紀には狭心症の持病があり「よく眠れない」と、かなり以前から睡眠導入剤(ハルシオン)を常備していたというのです。

 その後さかのぼって調べた結果、美由紀容疑者の周辺では、上記3人以外になお2人の男性が不審死していることが判明しました。
 そのうちの一人は読売新聞鳥取支局の記者(当時41)です。この男性は数年前列車に轢かれて死亡し、自殺として処理されました。同記者は当時美由紀と交際していたのです。周囲に「子連れ女につかまった」などと話していたといいます。
 もう一人の男性(当時27)は美由紀と一時、同居していたことがあるそうです。美由紀の5人の子供の世話をさせられた上、金を無心されるは、断るとフライパンで叩かれたり熱湯をかけられるは、美由紀にさんざんな目にあわされた挙句、‘07年8月に美由紀や子供たちと日本海に海水浴に行き、水死してしまったのです。

 なお事件には到らなかったものの、その他にも出るは出るは。美由紀がこれまで交際した男性は、公務員、自動車ディラー、工員など数年間で10人にも上るといいます。いずれもデブ専スナック勤務時の客だったようですが、読売記者や公務員のようなインテリをも、美由紀は手玉に取っていたというのです。離婚歴も数回あるようです。
 いずれにしても、同女による詐欺被害あるいは殺人は、上記以外にもまだ新たに出てくる可能性があると思われます。
 まあこうしてみると、上田美由紀という女、木嶋佳苗に勝るとも劣らない魔性の女、極悪女としかいいようがありません。

 ところで8日深夜の日本テレビのニュースによりますと、今回の3人の不審死以外に、以前の2人の死亡の時、鳥取県警はいずれにも身近に上田美由紀がいたことを掴んでいたというのです。「怪しい」とにらみながら、自殺、事故死として処理していたことになります。
 木嶋佳苗の事件における千葉県警もそうでした。数年前あるいは2年前美由紀の身辺を徹底的に捜査していれば、その後の事件は起きなかったのです。繰り返すようですが、千葉県警といい鳥取県警といい、最近の警察のいい加減さが、凶悪犯罪が増大している大きな要因の一つであるように思われます。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記) 

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かなえを超える大毒婦 !?

 先日の市橋達也容疑者(30)の生存が確認され、しかも度重なる整形手術によってまるで別人のようになっていた一件には驚きました。しかし同時期もっと驚くべき事件が発覚しました。「鳥取連続不審死事件」です。

 私はそれを5日木嶋佳苗関連をネット検索中にたまたま発見しました。
 「鳥取県で3人が不審死していることが判明した。3人の遺体からは、いずれも睡眠導入剤が検出された」
というような内容が検索タイトルに続く記述でした。私は手口からとっさに、『さては“かなえ”は鳥取にまで行って殺人してたのか?』と思い、もっと詳しい情報を探るべく同サイトに入ってみました。それは確か山陰の新聞社のネット版ニュースだったかと思います。同日夜のテレビ報道で伝えられた内容を手短かに伝えているものでした。

 その中に、犯人は既に詐欺容疑で逮捕されている、「鳥取市内の35歳の女」とみられるとありました。ということは、木嶋佳苗とは全くの別人だったわけです。しかし別人ながら木嶋被告は34歳、鳥取の女は35歳。年齢が近似しています。その上、単なる偶然なのでしょうが、いずれも「睡眠導入剤」を使っている手口も同じです。
 その記事の中には、「3人の他にも女の周辺で近年謎の死を遂げている男性が数人いる」というような記述もありました。もしそれが事実なら、木嶋佳苗のケースよりさらに悪質な連続殺人事件ということになります。
 
 偶然とは言いながら、東と西の両横綱級の大毒婦が同時に社会の表に登場してきたことになります。なおネットや夕刊紙には、既に両人の顔を含めた上半身の姿が掲載されています。それを見るといずれもかなり太めな女です。特に木嶋佳苗の方は、まさに「横綱」と言ってもいいような超太め(推定100㎏)です。
 こんな「歴史的大毒婦」が同時に闇の中から飛び出してくるとは。いやはやとんでもない世の中になったものです。ともかくこの「鳥取連続殺人事件」の方も、これはこれで私の「記者魂」(苦笑)がかき立てられます。

 木嶋被告も鳥取の女も、大マスコミはいまだ氏名を公表していません。顔もぼかし入りの報道で定かには分かりません。被害者の氏名や顔写真はとっくに公開しているのに。警察当局、大マスコミの意図は本当によく分かりません。
 そんな中ネットの2チャンネルでは、早々と鳥取女の実名が出されていて“時の話題”になっているようです。また6日付けの夕刊紙「日刊ゲンダイ」がその実名を公表しました。さらに7日付けの夕刊紙「東京スポーツ」では、テレビではぼかされている赤い半そでシャツの上半身が、顔ばっちりで掲載しています。

 女の名前は、上田美由紀(35歳)。美由紀容疑者は鳥取市福部町のアパートに住んでいた、鳥取市内繁華街の「デブ専」のカラオケスナックの元ホステス。掲載された写真で判断する限り、木嶋佳苗ほどではないにしてもやはりかなり太めの女(推定70㎏)です。見たところけっして美人とは言えません。これも木嶋と共通するところです。

 ここで事件の経過の概要を振り返ってみたいと思います。
 上田美由紀容疑者は今月2日詐欺容疑で逮捕されました。鳥取市内の女性(57)から「あなたの息子が借金をしている」と、何やら“振り込め詐欺”の変則的手法を使って126万円を騙し取ったとされるものです。これ以外にも余罪があるものと思われ、同女による詐欺の被害総額は1,000万円を下らないとみられています。

 なお「女の犯罪に男あり」で、美由紀容疑者とアパートで同棲していた「アンドウ」と名乗る男(46)も同日、別の詐欺容疑で逮捕されています。こちらは農機具販売会社からトラクターなどを騙し取った容疑です。
 しかし鳥取県警は詐欺容疑のみならず、美由紀容疑者の周辺でそれまで3人も男性が不審死していることから、当初から同女の殺人容疑も視野に入れて捜査を進めているのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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おめでとう松井 ! シリーズMVP !!

 4日(日本時間5日)米大リーグワールドシリーズ第6戦が行われ、3-2で王手をかけていたニューヨーク・ヤンキースが、フィラデルフィア・フィリーズを7-3で下して世界一になりました。そして驚くべきことに、同試合の立役者は松井秀喜外野手(35)だったのです。
 2回の先制2ランを含む4打数3安打と大爆発し、シリーズタイ記録となる6打点を挙げて打線を引っ張り、2000年以来9年ぶりの悲願の世界一に大貢献したのです。これにより松井は、日本人として初のシリーズMVP(最高殊勲選手)に輝きました。

 何しろヤンキースは、伝説のホームラン王ペーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジョー・ディマジオなど数々の名選手が在籍していた米大リーグ一の伝統を誇る人気チーム。現在も選手会長のデレク・ジーターや大リーグ一の最高年俸者Aロット(アレックス・ロドリゲス)などのスタープレーヤーが目白押しです。その中での栄えあるMVPですから。
 それにかつてヤンキースのライバル球団ボストン・レッドソックスに在籍し、以前からその投球に苦しめられ続けてきた、現大リーグを代表する投手ペドロ・マルチネスの直球を完璧に捉えての先制の特大ツーランですから。松井自身感慨ひとしおなのではないでしょうか。なお4回4失点と早々とノックアウトされたペドロは、報道陣に「マツイがオレの球を完璧にとらえた。それだけだ」とはき捨てるように言うと、足早に球場を後にしたそうです。

 思えば、「命がけでやる」と巨人軍からFAでの大リーグ移籍を発表したのは、‘02年11月1日のことでした。そして「せっかく大リーガーになるからには、しんどいかもしれないが、一番注目されるチームでやりなさい」との、巨人時代の恩師・長嶋茂雄終身名誉監督の助言もあり、ヤンキースの一員となりました。
 その時から松井の中には、「ヤンキースで世界一に。そして自分はそのために最大限の貢献を」という熱い想いが常にあったはずです。

 その中で名将・ジョン・トーレ監督との心温まる師弟関係も生まれました。しかしなぜかヤンキースはその後、世界一の栄誉から見放されていくことになったのでした。またも世界一を逃した‘07年のシーズンオフにワンマンオーナーのジョージ・スタインブレナーが退任し、その2人の息子ハンクとハルが共同オーナーになるとともに、恩師のトーレがヤンキースを去りました。

 「命がけでやる」という言葉どおり、米国での7年間は松井にとってまさに身を削るような日々だったと思います。走攻守すべてに全力プレーの中、松井自身も悲運に見舞われます。周囲からさらなる飛躍を期待された4年目の‘06年5月の試合中、レフト守備の松井が飛んだきたフライ捕球のため前に突っ込み、グラウンドすれすれで捕球しようとして左手首を骨折してしまったのです。
 巨人時代から続いていた連続試合出場が1768試合でストップしました。左手首の中には、今でも患部を固定するプレートが残っているそうです。
 試練はさらに続き、‘07年には右ひざ‘08年には左ひざも手術せざるを得ませんでした。

 大リーグの先輩で実際一つ年上のイチローは、そんな松井を尻目に9年連続200本以上という大リーグ新記録達成、日米通算3000本安打達成、WBC(ワールドベースボールクラシック)で2度日本を優勝に導くなど、偉業を次々に打ち立てていきました。
 かつては「イチローか、松井か」と比べられた松井秀喜は、度重なるケガや手術との闘いの中で、チーム内で守備機会すら奪われすっかりDH要員。ここ何年かは思うような成績を残せず、もがき苦しんでいました。
 ‘05年からの4年契約の最終年である今期は、オフ後松井の「ヤンキース放出」は球団として規定事実ともなっていました。

 『本当に松井はこのまま終わっちゃうの?』。何度も述べましたとおり大の“アンチ巨人”としては珍しく当時から「隠れ松井ファン」だった私は、落胆と一抹の寂しさを隠せませんでした。
 今回のワールドシリーズMVPという大偉業は、ここ何年かのファンの鬱憤も一気に晴らして余りあるものとなりました。その報に接して鳩山首相は、「松井君はすごい。久々に国民に勇気を与えてくれた」というようなコメントをしていましたが、まさにファンの気持ちを代弁してくれています。

 松井は‘05年オフの契約更改の際、「ヤンキースで何も成し遂げていない(だから引き続きヤンキースに残りたいんだ)」と言ったそうです。今回のワールドシリーズは「松井の松井による松井のためのシリーズ」と形容しても過言ではなさそうです。
 壇上でのMVPインタビューで「来年もヤンキースで優勝したいか」と聞かれて、「もちろんそうなればいいと思う。チームメートが好きだし、ヤンキースが好きだし、ニューヨークが好き。ファンも好きですから」と大観衆に残留への想いをアピールしました。対して「松井残留」を、ヤンキースファンの55%が支持しているとか。

 しかしこればかりは、球団が最終的に決断すること。部外者はもちろん松井自身にもどうにもならないことなのかもしれません。今回改めて松井の底力を見せつけられた、オーナーや編成責任者のキャッシュマンGMは判断に迷うところでしょう。
 私も松井には「ピンストライプ」のユニホームが似合うと思いますが。でも今回で松井は立派に「ヤンキースで大仕事を成し遂げた」のです。今までの借りは全部返したはず。仮に移籍となったとしても、松井自身悔いはないことでしょう。
 私のような一ファンも、移籍となったら新球団での活躍をさらに期待するばかりです。

 (大場光太郎・記)

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市橋容疑者は生きてたの !?

 スピードの早い今の世の中、あっと驚く出来事が次々に起きてくるものです。
 何と4日、‘07年3月イギリス人英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)殺害の容疑で全国に指名手配中の市橋達也容疑者(30)が、名古屋市内の整形病院で鼻を高くする手術を受けていたことが判明しました。
 そして5日千葉県警は、その時病院で撮られた写真を公開しました。まあびっくりです。以前の手配写真時の、目じりも眉毛もキリッとつりあがった、見ようによっては険のある凶悪そうな人相から、何とも人の良さそうなふっくら丸顔に変わっているではありませんか !

 思えば千葉県市川市内の市橋の自宅マンションから、職務質問のため訪れた警官を振り切って逃亡してから2年半。その間市橋に関する足取りはまったくつかめず。イギリスに住むリンゼイさんのご遺族には申し訳ないながら、『市橋は死んでしまって、もうこの世にはいないだろう』と思っていました。
 しかし市橋はどっこいしたたかに生きていたわけです。それも整形は今回が初めてではないと見られています。整形美容外科の専門家の見立てでは、都合8ヵ所も手を入れているのではないか?というのです。一重を二重まぶたに、下唇を薄く、左頬の2つのほくろを取ったり、つりあがった眉毛を垂れさせたり、両頬や下あごにヒアルロン酸を注入して膨らませたりと、しめて総費用数十万円から百万円ほど。

 素足のまま逃走した市橋は、当初の所持金は5万円程度とみられていました。それなのに、一体そんなお金どうやって捻出出来たのでしょうか?また今回の件から、福岡県内の美容整形外科でも整形手術を受けようとして断られていたことも判明しました。
 逃走後、大阪ー福岡ー名古屋ーあるいはその他の地域。市橋は日本列島を自在に移動していたことになります。そのための資金もどうしていたのでしょう?やはり逃亡を手伝った知人の存在があったのか、逃走中に知り合った女性に貢がせたのか、あるいは大阪や名古屋あたりの風俗店にもぐりこんで市橋自身が稼いだものなのか。疑問が残ります。

 しかし今回の整形の件で市橋容疑者は、自ら墓穴を掘ったかっこうです。改めて整形後の写真が公開された以上、今までの整形苦労は水の泡となったわけです。生存が確実になって居場所が特定されたからには、警察当局としてはむしろ格段に捜査しやすくなったとも言えます。
 実際警察当局は、捜査の網の目を名古屋市に絞って、市橋が立ち寄った可能性のある、同市内の24時間営業のマンガ喫茶、ネットカフェ、ホテルなどに聴き込みを続けているもようです。また市橋のマンションから女装用のカツラが発見され、女装趣味があるとされていますが、3日午後2時前、名古屋市内のコスプレ店に市橋らしき人物が立ち寄ったとの情報も寄せられています。

 包囲網は確実に狭められ、逮捕にそう時間はかからないかもしれません。
 しかし市橋容疑者にこれほどてこずった、元々の原因は千葉県警の不手際にあります。数人の警官が自宅マンションに職質に訪れながら、一瞬の隙をつかれまんまと市橋の逃亡を許してしまったわけですから。
 リンゼイさん殺害事件は、当時母国イギリスでも大々的に報じられ、我が国の安全神話がまた一つ大きく崩れることになりました。同時に千葉県警の大失態は、日本警察に対する国際的な信用を失墜させることにもなりました。

 千葉県警の失態はそれだけではありません。
 当ブログでシリーズ化を始めている、例の木嶋佳苗(34)の結婚詐欺事件においてもそうです。2年前の‘07年8月、千葉県松戸市に住む福山定男さん(当時70)の突然死。あるいは今年5月の同県野田市の安藤建三さん(当時80)の住居火災による焼死。いずれにも関係していた木嶋佳苗を、もっとしっかり取り調べ逮捕していれば、後の事件が起こることはなかったのです。
 
 さらに今年7月には、豊田愛子さん(61)を殺害し、次女の豊田智美さん(21)を拉致して全国に指名手配中の仲田敏行(28)の事件でもそうです。仲田は智美さんに度々ストーカー行為を繰り返し、ナイフを所持していることを知りながら逮捕せず、傷口を広げてしまったのです。
 このような度重なる失態から、一部ネットでは千葉県警は「恥場県警」と揶揄されているようです。(「俺は男だ」の森田健作知事、もっとしっかりしてよ ! )
 まさか犯罪者は、『千葉県警はゆるいぞ。千葉で何か罪を犯しても大丈夫そうだぞ』と思っているわけでもないでしょうが。なぜか千葉県では、犯罪が多発しているように思われます。そういえば、先月下旬に起きた、松戸市の5階建てマンション2階での火災、同室に住む千葉大女子大生荻野友花里さん(21)殺害事件も、いまだ未解決のままです。

 警察の失態は、何も千葉県警に止まりません。押尾学事件に見られるように、赤坂警察署のように地場の闇社会や芸能界とズブズブで、そのため肝心の捜査を怠ったりと、日常的に報じられる全国警察組織のゆるみ、たるみ、乱れは目を覆うものがあります。
 郵政など次々に民営化される中、官庁組織の中でも「警察、自衛隊、消防署」は絶対民営化されないだろうと言われています。それもそのはずです。これらは国家権力維持の要(かなめ)なのですから。しかしそれにあぐらをかいてもらっては困ります。いずれも国の治安や国防に関わる重大な部局です。これらが乱れれば(実際はいずれも乱れているわけですが)国全体が乱れ、犯罪は頻発し市民生活が脅かされます。
 警察の汚名の一つをそそぐためにも、千葉県警には市橋容疑者の一刻も早い逮捕を強く望みたいものです。

 (大場光太郎・記)

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かなえの殺人レシピ(1)

 前書き 

 今最も世間の注目を集めているのは、9月に結婚詐欺容疑で逮捕された木嶋佳苗の事件です。既に報道されているとおり、ゆうに1億円を越すとみられている複数の結婚詐欺以外に、その後同女が関係した6人もの男性が相次いで怪死していたことが判明、にわかに関心を集めているのです。
 
 最新情報では、この連続殺人事件でも再逮捕に向けていよいよ詰めの段階に入ったとみられています。一時は物的証拠に乏しく立件は難しいのでは?ともみられていたものの、ここにきて新たな状況証拠も浮かんでくるなど、捜査は大詰めに向けて急展開しているもようです。
 もし連続殺人事件として立件されれば、誰かが言ったように「日本犯罪史に残る事件になる」のは間違いないとものと思われます。

 当ブログでも10月29日『時の話題(1)』記事で、木嶋佳苗のことは少し触れました。そして同記事は、先日の『日々雑感(7)』記事で紹介しましたように、当ブログ開設以来の驚異的訪問者数を記録しました。これは、ピーク時の押尾事件や酒井事件をも上回る関心の高さと言うべきです。
 私としては意外と扱いが難しい事件のように思われ、木嶋被告が自身のブログ『かなえキッチン』で紹介していたような、見事な腕さばきでこの事件を料理する自信はありません。しかし「乗りかかった船」というものです。蛮勇をふるって、何回かシリーズ化してこの事件を私なりに探ってみたいと思います。

 なお本シリーズの「タイトル」につきましては、より多くの関心を引くためにいろいろ考えてみました。「平成毒婦結婚詐欺事件」「平成毒婦連続殺人事件」「かなえ殺人料理日記」…。しかしどうも今ひとつピンときません。
 そんな中、たまたま「木嶋佳苗」でグーグル検索したところ、その中に「【殺人レシピ】木嶋佳苗の『かなえキッチン』」というサイトがありました。なかなかシャレたネーミングです。いろいろ考えても決まらないもので、これをちょいと拝借して、結局『かなえの殺人レシピ』に決めました。(なお拝借するからには、同サイトに飛べるようにしようと同サイトにアクセスを試みました。10月31日作成のようですが、「お探しのページは見つかりませんでした。」が表示されアクセス出来ません。)

 そう言えば、アメリカの往年の名ドラマ『刑事コロンボ』の中に、『殺人処方箋』というのがありました。これは同ドラマをシリーズ化する前の作品で、言ってみれば『刑事コロンボ』ドラマの原点とも言える作品です。
 精神科医として有名なレイ・フレミングは、彼の患者である若い女優ショーン・ハドソンと愛人関係になります。やがてそれは婦人のキャロル・フレミングに知られることとなり、「夫としての義務を果たさないなら離婚し、スキャンダルを公表する」と脅されます。実はフレミング医師は、キャロルの莫大な財産目的で結婚したものであり、離婚など到底出来ない相談なのでした。

 そこでキャロルには死んでもらうしかないと考え、愛人のショーン・ハドソンをそそのかして、強盗を装った殺人を計画、実行します。すべては九分九厘うまくいくかと思われた、その矢先。お決まりの、ロサンゼルス市警・刑事コロンボの登場です。
 ポンコツの愛車に乗って、よれよれのコートを着て風采のあがらないコロンボは、最初から『怪しい』とにらんだフレミングに、先方の迷惑などとんとお構いなしでことあるごとにその前に出没します。そして次第に同医師を追いつめ、高い知能を有するフレミング医師が行った完全犯罪のアリバイを突き崩す。そんなストーリーでした。

 私は大の「刑事コロンボファン」で、NHKで放送されたのも、後に日本テレビで再放送されたのも観ました。またその後ビデオ化されたものも7本ほど持っています。その中にはこの『殺人処方箋』も含まれています。『構想の死角』『黒のエチュード』『ロンドンの傘』などと並んで、シリーズ中の最高傑作の一つだと思います。

 よく一般的に「高知能の人間は詐欺犯に、低知能犯は窃盗犯に」などと言われます。いずれその「生い立ち」のところで述べることになろうかと思いますが、木嶋佳苗は郷里(北海道別海町)では優秀な生徒として、教師からも一目置かれる存在だったようです。
 結局才能が歪んだ方向に向かってしまいましたが。結婚詐欺によって、舌先三寸で世の何人もの男どもを手玉に取り、1億円以上もの金を巻き上げた知能は相当のものと見なければなりません。その上、物的証拠をほとんど残さず人を何人も殺し、埼玉県警など取締当局を手こずらせているわけですから。 

 話が思わぬ方向に脱線してしまいました。同ドラマの場合、医師だから「殺人処方箋」。
 木嶋佳苗の場合は、かつて専門学校で料理を専攻したほどの大の料理好き。関係した男たちが同女の作る料理を絶賛するほどの腕前だったようです。その集大成として昨年から始めた「かなえキッチン」は、同女の「料理」の紹介、そのレシピの公開などが主な内容だったようです。
 同ブログは、セレブな雰囲気をかもし出したシャレた構成になっていました。木嶋にとって同ブログは、獲物の男を釣るためのかっこうの罠だったわけです。そんな木嶋佳苗の犯罪のタイトルとしては、やはり『かなえの殺人レシピ』がふさわしいのかな?と思います。

 (注記) その後調べましたら、「殺人レシピ」の出典はどうやら今年8月中旬頃放送の、テレビ朝日ドラマ『新警視庁9係』第6話:『殺人レシピ』だったようです。その他にも1999年TBS月曜ドラマスペシャルで『真行寺華子の殺人レシピ』という2時間ドラマがあったようです。なのに、すみませんねぇ。『刑事コロンボ』などという古いものを持ち出したりして。
 ただ一言弁解させていただければ。両ドラマ特にTBSドラマの方のタイトルは、『殺人処方箋』からヒントを得、後年のテレビ朝日のドラマは、TBSドラマのタイトルをさらに借用したということなのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記) 

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薬物汚染の拡がりを憂う(28)

 合成麻薬MDMAの使用による麻薬取締法違反の罪に問われた押尾学被告(31)に対して、東京地裁は2日懲役1年6月、執行猶予5年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡しました。「5年」は執行猶予期間としては最長となります。

 【事件名】麻薬及び向精神薬取締法違反被告事件
 【被告人】押尾 学
 【宣告日】平成21年11月2日
 【主  文】懲役1年6月、5年間執行猶予
 以下井口修裁判長によって読み上げられた判決文(【量刑事由】)は、わずか4分の短いもの。しかしその内容は押尾被告への厳しい言葉で満ちたものでした。

 判決内容は、押尾被告が文字どおり麻薬常用者であると認定。2年前から最近まで、外国(アメリカ)でMDMAを複数回使用していたことを明示。その上で「麻薬施用者との交友関係が深く、麻薬に対する親和性が相当強い」と刑事責任の重さを強調するものでした。
 ただ前科がない上、率直に公訴事実を認めていることから、「一度は社会内で自分の力で更正する機会を与えるのが相当」と実刑を回避しました。

 押尾被告はMADAを「死亡した女性から渡された」と主張し、初公判で、女性(田中香織)に送った「来たらすぐいる?」というメールを「いる?」は押尾学の体のことで「薬ではない」と説明していました。同判決はそれらの供述に対して、「内容が不自然であり、およそ信じがたい」と、裁判所としての不信感を突きつけた形です。
 また同被告が薬物との断絶を誓ったことにも、酒井法子が夫高相被告と離婚するなど薬物の入手先と縁を切る決意を示しているのに対して、押尾の場合環境整備が十分に出来ているとは認めがたいと断じました。その結果「相当期間に渡って、再び違法薬物に手を出さないかどうか見守る必要がある」と厳しい注文をつけたものとなりました。

 法定上最長で「実刑の一歩手前」とも言える「5年の執行猶予」判決に、押尾学は「予想以上に厳しかったなあ」と周囲に洩らしたそうです。とは言えともかく、押尾は執行猶予の身となりました。
 今後の身の振り方について押尾は、日本を離れ、グリーンカード(永住権)を持っているとされる米国ロサンゼルスで「芸能活動を再開したい」との意向を関係者に明かしているそうです。しかし米国の入国審査に詳しい芸能関係者は、押尾は「2年前から米国内でMDMAを使用していた」と判決文の中で指摘された以上、「数年間は入国を認められない」との見方を示しています。

 また押尾は、保釈後から大手出版編集者と接触しており、半生、事件、裁判を振り返る著書の出版も計画していて、そこで反省の態度を示し「みそぎ」をする狙いで、年内発売の動きもありました。しかし今回の厳しい判決に加え、亡くなった田中香織さんに対する「保護責任者遺棄罪」での立件が濃厚になったことから、出版関係者はその計画を再検討し始めているとのことです。
 こうして押尾被告の次の焦点は、「もう一つの裁きを受けるのかどうか」に移りつつあります。既報のとおり警視庁捜査一課は、田中さんの死亡に到る経緯と押尾被告の行動に因果関係があったかどうか、現在は保護責任者遺棄の疑いで詰めの捜査を進めている段階と見られています。

 対して、一方の当事者だった田中さんの遺族のようすはどうでしょう。
 10月23日の初公判の時は、岐阜県から遺族4人で上京しました。その時母親は真っ先に、そもそもの管轄署である赤坂警察署を訪れ、「公判を傍聴したい」旨伝えたところ、同署員から「現場が混乱するといけないから行かないよう」強く釘をさされました。「いやそんなことはない。行くべきですよ」と勧めてくれたのは、田中さんが元勤務していた銀座のクラブ「ジュリア」の関係者たちでした。
 そこで当日一般傍聴券を求めて、田中さんの弟が長蛇の列に並び運良く1枚の傍聴券を入手、それを父親に譲ったという経緯だったようです。

 しかしその初公判法廷で、父親が目にし耳にしたことは何だったか?もちろん期待していた押尾被告の謝罪の言葉など一切なく、法廷内のやりとりは田中さんと押尾とのセックスの回数にまで及びました。また押尾が田中さんに送ったとされるメールの「来たらすぐいる?」に対する、田中さんからの「いる」という返事は、「MDMAが『いる』なのでは?」という検察官の執拗な追及に、押尾は彼自身の「体のこと」と主張して譲りませんでした。ここまではテレビなどでも報道されたところです。

 しかし実際はその後に、「それは○茎のことですか?」「はい」「すぐ○茎がほしいとのことですか?」「はい」と言うようなやり取りもあったようです。続いて「普通『いる』というのは物のことをいうのではないですか?」「人によってとらえかたは違う」「セックスは『やる』『する』というのではないですか?」「意味は一緒です」。こんな露骨なことを聞く方も聞く方なら、答える方も答える方と言うべきです。まさに「死人に口なし」とはこのことです。
 聞いていた父親は、『これじゃあ、娘があまりにもかわいそうだ』と思ったことは想像に難くありません。大変なショックを受けたようで、それが公判後の「何でもっと早く救急車を呼んでくれなかったのか」という、無念の叫びにつながったのかもしれません。
 
 それ以来遺族は、マスコミとの接触も極力避けるようになったとのこと。今判決に遺族の姿はありませんでした。それに対して母親は、「今回はあくまでも薬物に関する裁判で、娘との関係性を明らかにするものではないから」と上京しなかった理由を述べていますが、やはり初公判時のショックが相当あったのではないかと推測されます。
 押尾事件の真相究明には、遺族のそれを望む強い気持ちが不可欠です。田中香織さんの死をムダにしないためにも、ご遺族には強い意思を持ち続けていただきたいものです。

 遺族の「警察は本当のことを何も話してくれない」との訴えが報道されてから、国民の間にも一気に警察不信が広がりました。そもそも遺族が警察に対して不審を抱くようになったのは、司法解剖から戻ってきた田中香織さんの遺体を、霊安室などのきちんとした所ではなく路上で対面させ、まるで犬猫の死体でも扱うように「一刻も早く引き取ってもらいたい」と言わんばかりの対応をされてからだと言われています。
 
 加えて早々と「事件性なし」として事件の早期終結を図り、いっこうに捜査を進展させようとしない警察に業を煮やした遺族に、「こうなったら真相究明のために民事訴訟を起こしましょう」と勧めたのは、銀座のクラブ関係者でした。
 しかし早くから遺族の耳にも、この事件には大物政治家の息子(ありていに言えば森元総理の長男祐喜)が関与しているらしいとの情報が入っていて、一時は「それでは法廷で争ってもムダだな」とあきらめかけもしました。それに訴訟費用の工面もあり躊躇していた遺族に、「費用など私たちが何とかするから」と言って励ましてくれたのもクラブ関係者だったようです。

 これには、既報のとおり各方面からの圧力により事件の迷宮化を目論んでいた警察も、さすがに慌てたようです。この事件を法廷の場に持ち込まれれば、赤坂署と芸能界あるいは闇社会との癒着が白日の下にさらされかねないからです。それでやむなく重い腰を上げて捜査一課まで投入、再捜査に踏み切ったことを考えれば、遺族側の民事訴訟圧力は絶大なものがあったと言うべきです。
 ともあれ今日の状況では、もし仮に保護責任者遺棄罪で立件しなければ、もはや「世間が許さない」というほどにまでなっています。しかし押尾事件の「謎と闇」の深さからすれば、同立件は真相解明の端緒に過ぎないと見るべきです。 

 (大場光太郎・記) 

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日々雑感(7)

 当ブログおかげ様で最近順調です。10月23日(金)以来、連続で1日訪問者数が「100人」を越えています。これでやっと昨年4月の開設当初目指していた目標ラインに到達出来たかな、とほっと一安堵です。
 当ブログは毎度申し上げておりますように、その大半が「検索」によるご訪問、言ってみれば通りすがりの方が圧倒的に多いブログです。ですから、好評の『薬物汚染シリーズ』も世間の関心が薄れるとともに、また100人以下に逆戻りということは十分考えられます。

 そんな中、久しぶりで当ブログ大当たり記事が出ました。10月29日(木)の『時の話題(1)』記事です。同記事を公開したのは夜9時頃のことでした。やはり今世間で最も関心の高い、34歳の女の「結婚詐欺事件」に触れたのが大きかったようです。またその日の夕刊紙「日刊ゲンダイ」に、女の名前が「木嶋佳苗」であることが公表され、同記事でその実名を出したことも大きかったと思います。
 公開した夜はさほどでもありませんでした。ところが日付が変わってからが凄かったのです。同記事へのアクセス、引きもきらず。結局30日(金)は、7月22日の『皆既日食』記事の時の301人を少し越えた「316人」となりました。

 「木嶋香苗」での検索フレーズによるアクセスが圧倒的でした。「えっ。木嶋香苗?木嶋佳苗じゃないの?」となりそうです。そうなのです。なぜ「木嶋香苗」なのか?これには少々回りくどい説明が必要です。当初同記事公開時、私は「木嶋佳苗」を「木嶋香苗」としてしまったのです。おそらく押尾学の事件の「田中香織」という被害女性が頭のどこかにあって、無意識的に「佳」を「香」と入力してしまったのだと思われます。
 『あれっ。何で木嶋香苗なんだ?』。アクセス解析をたどってみると、次も次も次も「木嶋香苗」「木嶋香苗」「木嶋香苗」…。不審に思い、ひっとして私自身が間違えていたのかもしれないと気づき、確かめたところやっぱりそうでした。

 念のためグーグルで「木嶋香苗」を検索してみると、項目はたったの4件(今現在では200件以上)。そして少し前送信したばかりなのに、当ブログタイトル『今この時&あの日あの時』がそのトップに表示されているのです。
 『ははあ。これだな』。私は早速当ブログ記事作成画面に戻り、「木嶋香苗」を「木嶋佳苗」に直しました。しかしグーグルなどに最初に掲示されてしまうと、もう修正は出来ないようです。例のグーグル項目を見直しましたが、やはり「木嶋香苗」のままでした。

 しかしこの間違いはむしろ“けがの功名”と言うべきです。というのも、さすがネットの世界は情報が早い ! ちなみに次に「木嶋佳苗」で検索を試みますと、既に夥しい項目数(実際の数字は覚えていません)で。「木嶋佳苗って?」「木嶋佳苗 かなえキッチン」など、あるわあるわ。私の『時の話題(1)』などどこにあるか分からないくらいです。
 多くの方が「木嶋香苗」と思い違いしておられるのか。それとも「ひらがな」で「かなえ」と入力すると、ただちに「香苗」と変換されてしまうので、ついそれで検索してしまうからなのか。3日未明の段階でも、「木嶋香苗」での検索が続いている状態です。
 たまには正式名の「木嶋佳苗」でのアクセスもありますが。私が思いますに、もし最初から正式名で打ち込んでいたら、このように驚異的な(あくまでも当ブログの基準では)訪問者は得られただろうか?そこで『これはまさにけがの功名だな』と思う次第です。

 つまらない、どうでもいいようなことを長々と述べてしまいました。しかしこれはこれで、当ブログとしてのささやかな「ニュース」ですので。
 と言うわけで『時の話題』は、あまり書くことがない場合、緊急避難的にその時々の芸能、事件ネタなどを適当にブレンドしたものをシリーズ化していこう、そういう軽い考えで始めたものでした。それが予想外の大ブレークで。30日(金)ー316人。31日ー183人。11月1日ー406人。2日ー364人。300人どころか、400人すら軽く越えてしまいました。
 また同記事は、30日のココログ「雑記」「日常」カテゴリーの「ディリー部門」で、堂々の1位にもなりました。(なお、前日記事『薬物汚染の拡がりを憂う(26)』も、「雑記」1位「日常」2位でした。)

 それはともかく。今回の「結婚詐欺事件」のみならず、木嶋佳苗の周辺で男性6人もが謎の死を遂げている事件。大変複雑怪奇な内容だけに、なかなかうまくまとめきれずにいます。それに「薬物事件」といい今回の事件と言い、『少し“事件モノ”を興味本位で追いすぎていないか?』という私自身のジレンマもあります。そこで、この事件を深追いするのはよそうか?とも思いました。
 しかし皆様からこれだけのご訪問をいただいきますと、ムゲに止めるのもどうかと思います。この事件をより深く知りたい、核心を知りたいという世の中の願望がそれだけ大きいと言うことなのでしょうから。

 芸能ジャーナリストでも、事件記者でもない私如き者が、どれだけそのニーズにお応え出来ますか、自信はありません。しかし私なりにこの事件を探索し、時に私独自の切り口を交えて同事件を扱っていければと思います。
 木嶋容疑者は、出身が北海道別海町。祖父は司法書士事務所を長く経営し、同町の町議会議長も勤めたほどの名士。父親(故人)は、私と同業の行政書士でその父の司法書士事務所に勤務していました。
 そのことにまず興味がある上、木嶋佳苗の中学、高校の卒業文集がテレビで公開されていますが、中学時のものなど、中学生とは思われないほどの達筆でしっかりした文章を書いていました。町でも指折りの裕福で堅実な名家の子女で、成績優秀だったらしい同女が、なぜこんな“稀代の毒婦”的犯罪を犯すに到ったのか?私自身その辺に興味がないわけでもありません。

 犯罪と言えば。あの押尾学に2日午前中、「懲役1年6ヵ月、執行猶予5年」の判決が出されました。当然こちらも『薬物汚染(28)』記事を出さなければなりません。
 さらには1日夜の大河ドラマ『天地人』最後の「天地人紀行」は、何と私の出身地である「南陽市宮内」、そして私の母校がある「長井市」がセットで紹介されて。これに応えるためにも、『天地人』シリーズの続きも出さなければなりません。

 本当は私の願いとしては、例えば『君待つと』『秋の名句(3)』『天に北斗の光あり 地上に花の香ある』などの記事で300人を越えるようだと、大変嬉しいのですが。実際は、このような記事ですと途端にアクセスが減少してしまいます。

 (大場光太郎・記)

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『雨月物語』など

   秋薔薇のピンクの夢の在り処(どころ)   (拙句)

 きょうから11月です。あらためて言うまでもないことながら、今年も後2ヶ月を残すのみです。12月に入ってから慌ててでは大変だから、年内にやっておくべきことは何事も早め早めにと毎年思えども。ついつい日々の雑事にかまけて、気がついたら師走もどん詰まりになっていて。『あーあ。結局何も出来なかったなぁ』となりがちです。今年ばかりはそうならないようにと思いつつも、さてどうなりますことやら。

 日中は家の中にいたので確かなことは分かりませんが、けっこう良い秋晴れの天気だったようです。東京は25℃以上の夏日となり、11月の夏日は11年ぶりのことだとか。
 3時頃本厚木駅方面に向かうべく外出した頃には、早や秋の日はかの大山の上の中空にまで到っていました。日は差し込んでいても、全天厚い雲に覆われだし何やら怪しい雲行きです。
 結局駅付近で用を済ませ、さるコーヒーショップに入りそこを出たのが夜7時頃。不安的中で外はもう雨になっていました。当然傘など持って来ていません。ルーフ付きのバス停で思案気に雨のようすを見るに、さほど大降りでもなさそう。心配は地元近くのバス停を降りてからですが、ままよとバスに乗り込みました。

 結局バス停で降りて実際雨に打たれながら歩くに、やはりさほどのこともない小降り程度で、それでも早足でいつもの帰路を歩きました。
 いつかご紹介しました桜落葉散り敷く遊歩道の手前に、これも去年ご紹介しました、とある家の庭先にひょろんと細い幹を3m以上伸ばした薔薇の幾つかがあります。この季節またピンクの見事な大輪の花を咲かせているのです。全部で十余輪ほど。花が咲いているのはすべて人間の背丈より上から天辺にかけてです。私にとってこの季節その薔薇は、帰路における私だけのほんのささやかなランドマーク的目印で、いつも見上げてはつかの間の鑑賞タイムを楽しみながら通り過ぎます。
 本日はもう7時を回って辺りは真っ暗です。それでも薔薇は、夜目にも鮮やかに浮き出て見えていました。

 10月30日は十三夜。「十五夜に晴れ無く、十三夜に曇り無し」とは古来からの言い伝え。そのとおり今年の十三夜も澄み渡った夜空で、月はひときわ光を放っていました。それからすればきょうは旧九月十五日で満月のはずですが、あいにくの雨月です。
 雨月と言えば。最近の『君待つと』記事で、上田秋成(うえだ・あきなり)の『雨月物語』に少し触れました。それで最近にわかに、同書の中の「白峯」や「吉備津の釜」などを読んでみたくなりました。
 最初に読んだのは高校時代。当時の私が、まともに原文で初めから終わりまで読んだ唯一の古典です。学校の図書館に並んでいた古典文学全集中から同書を選び、早速借りて夢中で読みました。今でも、通学途中の汽車の中で『雨月物語』を読んでいる我が姿をかすかに覚えています。ということは、そうとう熱中して読んでいたということなのでしょう。

 よほど印象深いものがあったのか。当地に来てからしばらくした20代終わりの頃、本厚木駅前の有隣堂書店に並んでいた、某古典全集中の『雨月物語』を買い求めました。その時は『すぐ読みたい』というほどの強いものではなく、『いつかそのうち』という軽い気持ちだったかと思います。ただ上記に挙げた幾つかの物語は、その時も読んだような記憶があります。
 それがどこにいったか、何年か前確か見かけたはずでおそらく処分はしなかったと思いますが、どこを捜しても見当たらないのです。本というものは、思い立った時に読まないとなかなか次のチャンスが来ないものです。今後もし捜せましたら、主な作品をきちんと読んで、読後感などを述べてみたいと思います。

 上田秋成(享保19年・1734年~文化6年・1809年)は、後世の泉鏡花、内田百閒、江戸川乱歩、夢野久作などの近代幻想作家、さらには京極夏彦、小川洋子といった現代幻想作家たちの先駆者的存在でした。そして後代の作家たちも及ばないような幻想世界を描き出したのが、名作『雨月物語』だったように思います。

 書きながら思い当たりましたが、高校時代はなぜか「怪奇幻想譚」に惹かれるところがありました。ありきたりの日常につまらなさを感じ、非日常の幻想世界に耽る傾向が多分にあったようです。その頃『黒猫』などエドガー・アラン・ポーの作品も読み耽りました。
 そんなことも、高度経済成長真っ只中の現実社会に否応もなく投げ込まれる前の、モラトリアム期の懐かしい思い出です。

 (大場光太郎・記)  

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