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かなえの殺人レシピ(12)

 生い立ち(2)ー中学時代から「援交」?秀才少女の裏の顔

 中学時代の木嶋佳苗のことをもう少し続けます。当時の同級生によれば、「とにかく頭が良くて、成績はいつもクラスのトップ5に入っていた。特に英語ができて(早い段階で)英検3級を取ったり、英語の暗誦大会に出たりしていた。高校受験の時もほとんど焦るようすはなく、当たり前のように合格していた」と話しています。
 とにかく中学校の卒業文集での文章力といい、佳苗は秀才少女として一目置かれていたようです。

 ところが、あまりにも厳しい家庭内のしつけに対する反発、反動からなのか。中学校時代の佳苗は、陰では徐々に「親としては受け入れがたい出来事」を起こすようになっていったというのです。
 元級友の話では、「中学時代、(佳苗が)援助交際をしているのではないかという噂が広まった。隣の中標津町で40代後半の男性相手に売春をして小遣いを稼いでいる、というもの。“ないだろう”とは思っていたけど、火のないところに煙は立たないし、気になった。そもそも他の子にそんな噂が立つことなんてなかったからよく覚えている」というのです。
 
 佳苗は小学校に上がる前から小太り気味だったようです。一部週刊誌には、中学卒業当時の写真も掲載されていますが、確かに太っています。それもあってか、周囲の男子には人気がなかったものの、年上からはかわいがられていたようです。「外見はいい方ではないので、男の子に人気があるわけではなかった。ただ勉強ができることもあってか、なぜか先生たちからは気に入られていた。体も他の女の子より大きかったし、援交の噂が出ても、変に納得してしまう部分があった」と同級生は話しています。

 佳苗はまた性格面では、見た目の地味さからは想像もつかないほどプライドが高かったようです。「大人びていて、口に出すわけじゃないが“自分は天才だ”と思っていたようだ。自分に自信を持っているというのは見て取れたし、違う世界の人物という感じを出そうとしていた。今思えば、自信満々で計算高いあの性格なら、殺人はともかく、結婚詐欺ぐらいはやってもおかしくないかも」とは、別の同級生の話です。
 佳苗は、身も心もかなりおマセな早熟少女だったようです。そして同世代の男の子には興味を示さず、ターゲットは常にうんと年上の男性ばかり。とにかく名家の長女として、勉強やピアノの稽古を一生懸命するうち、大人の男性に好まれる術を早くから身につけていったということでしょうか。

 思えば「援助交際」という買春、売春行為が社会問題化したのは、1990年代半ば頃。携帯電話やインターネットの出会い系サイトで爆発的に広まってからでした。しかし佳苗が中学生だった1980年代後半頃は、ケイタイもネットも普及しておらず、「援交」という言葉すら存在していなかったのです。
 
 元同級生のいうとおり「火のないところに煙はたたぬ」で、中学時代からの「援交」の話については、複数人からぞろぞろ出てきています。
 ある地元住民は、「郵便局に私書箱を開いてそれを使って親にバレないように複数の男と連絡しあっている、と聞いたことがあります。私が直接佳苗の母親にそのことを質すと“私書箱はね。お友だちを募集するために開いてるの。それだけよ”っていう返事でした」。
 また中学時代のある同級生は、「彼女の家は中標津町にアパートを持っていて、そこに年上の男性と入っていくのを実際に見た子がいたんです。相手は身内でもなく、学校で話題になりました。中2か中3の頃です。噂は高校に上がってからもあって、彼女の名前が出ると“怪しいことしてるよね”と話したものでした」。
 その他、高校時代佳苗の財布には“万札”が詰まっていたという話。また地元のレストランで年配の男と一緒のところを目撃された、などなど。この手の逸話は枚挙にいとまがないようです。

 こうして佳苗は中学生頃から早くも、今日世間を騒がせている「結婚詐欺師」の片鱗を見せ始めたわけです。それはともかく。
 佳苗は、別海中央中学校を卒業して同町内にある別海高等学校に進学しました。同校は1950年(昭和25年)創立の公立(北海道立)高校です。佳苗在学の頃は普通科だけでしたが、‘07年酪農経営科が設置され今日に到っているようです。

 別海高校に進学後は、部活の代わりに「ボランティア局」に所属。高校3年の夏休みには、町が主催する2泊3日のボランティア体験会に参加し、その感想を町の広報誌に次のように書いています。
 「この時代に、制度的な福祉だけに頼っているだけで、果たして人間的な潤いのある社会の実現が望めるのでしょうか。(略)相手にしてあげられる喜びを大切にして実行していきたいです」。(これは20年後安藤建三さん事件などで、歪んだ形で顕れてしまいます。)
 また高校に入ると、国語、英語、音楽以外にも、家庭科を得意としたようです。後にもつながっていくことになる「料理好き」は、料理好きの父親の影響もあったとみられています。
 
 ところで。広大な北海道には、当然高校も数多くあります。偏差値60以上の高校がゴロゴロしており、70以上の高校も珍しくはありません。その中で別海高校普通科は「40」。私自身は「偏差値だけがすべて」とは決して思いませんが、一応の目安にはなります。それからすれば、道内の高校の中でも低い方と言うべきです。何を言いたいのかといいますと、中学時代あれだけの文章を書ける知的レベルにあった佳苗に、同校は果たして合っていたのか?と疑問に思われるのです。

 これは札幌、函館などと違って、地域的な制約で致し方なかったとはいえ、佳苗の能力からすれば、偏差値60以上の高校へも楽に進学できたはずです。そうすれば、周りには自分と同レベルかそれ以上の者たちがぞろぞろいるわけです。とても独りよがりな「天才気取り」は通用せず、ライバルたちの刺激を受けて佳苗の負けん気な性格では、肝心な勉強の方に軌道が修正されて行ったかもしれません。その結果“援交”という変な癖も改まり、しかるべき大学、しかるべき就職、しかるべき結婚…。
 結婚詐欺であれほどの才能を見せたのですから、別のまっとうな道で才能が生かせたのではないだろうか?ということも考えさせられます。

 これもテレビで紹介されましたが、高校の卒業文集があります。
 【自己PR】欄では、「ニックネーム きじかな」「血液型 A型」「夢 かわいい奥さん&お母さん」「好きなタイプ 逸見政孝、志村けん、梅宮辰夫」(なるほど皆ずっと年上ばかりだ)「嫌いなタイプ 不潔、貧乏、バカ」(これは特に強調して取り上げられました。嫌味なほどのプライドの高さと言うべきです)「好きなTV番組 今日の料理、スーパー競馬」(高校生で競馬か?と、これも問題視されました)「3年間で辛かったこと 太ったこと、ダイエット」など。東スポで、「高校時代の全身写真」が既に公開されていますが、確かにその頃でも60㎏超と思われるほど太目だったようです。

 そして【FREE SPACE】欄には。
 「私は温かい家庭を築くのが夢です。専業主婦になって、だんな様に尽くす素敵な奥さんになるんだもん。(略)
 3月から私は東京人となります。(略)やっぱりTOKYOはすごいと思う。ありとあらゆる楽しみがいたるところに散りばめられている。いろんな情報をしっかりキャッチして、自分が楽しめる方法を見つけられたなら、TOKYOは、いつもドキドキ興奮し続ける街。(略)」

 確かに達筆ではあるけれど、そしていかにも18歳の女の子らしくはあるけれど。中学校卒業時のあの早熟な文章を知っているだけに、佳苗は高校の3年間で「精神的な成熟度」が少し退行してしまったのかな?と思えなくもありません。「援交」と「お料理」に忙しくて、勉強や読書や内省はおろそかになっていったのでしょうか? 
 ともあれ木嶋佳苗は、高校卒業と同時に、火に吸い寄せられる夜の蛾のように「TOKYO」へと向かうことになるのです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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コメント

>思えば「援助交際」という買春、売春行為が社会問題化
>したのは、1990年代半ば頃。携帯電話やインター
>ネットの出会い系サイトで爆発的に広まってからでした。
>しかし佳苗が中学生だった1980年代後半頃は、
>ケイタイもネットも普及しておらず、「援交」という
>言葉すら存在していなかったのです。

ここは少々認識に違いがあるかと思います。
援交という言葉が言われだしたのは88~89年ぐらいであり、その温床になったのはテレクラや伝言ダイヤルといった電話メディアです。

インターネットの出会い系サイトに関しては、有料の業者が多数営業を始める2000年以降までは、「食える」サイトとして認識はされていましたが、積極的に援交に利用されるようになったのはもっと後のi-Mode以降でしょう。

投稿: ななし | 2011年10月30日 (日) 00時12分

ななし様
 貴重なご意見ありがとうございました。
 そうですか、「援交」という言葉が使われ出したのは、88年~89年ぐらいでしたか。ということは、平成に入って間もなくの頃からということですね。結構な“歴史”を有すること、はじめて知りました。
 いずれにしも、こういう負の実態もこの国の偽らざる一面でしょうね。そして援交などにより、時にさまざまな悲劇が起きてきたことを考えれば、社会全体として見て見ぬふりは許されないと思いますね。
 本文はいずれ改めておきます。

投稿: 時遊人 | 2011年10月30日 (日) 03時34分

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