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かなえの殺人レシピ(11)

 佳苗の生い立ち(1)ー絵に描いたような名家の優良少女

 木嶋佳苗(きじま・かなえ) 1974年(昭和49年)11月27日北海道中標津(なかしべつ)町生まれ(?)。小学校3年時、隣町の別海町(べつかいちょう、べっかいちょう)に移り、以後高校卒業時まで同町で育つ。

 佳苗が小学3年から過ごした別海町は、北海道東部(根室支庁)に位置する人口1万6千人ほどの町です。東の海岸線の向こうには北方領土の一島・国後(くなしり)島が浮かんで見えます。町の西部には、陸上自衛隊北部方面隊第5旅団別海駐屯地(矢臼別演習場)が置かれています。南は根室市、浜中町、厚岸(あっけし)町、西は標茶(しべちゃ)町、北は弟子屈(てしかが)町、中標津町、標津町と接しています。ただし別海町役場から中標津の中心街までは30km以上離れており、他の市町もほぼ同じようなオーダーです。町の西の方向数十kmには釧路湿原、ほぼ同じ距離で北西には摩周湖があります。(「北海道東部地図」
 道内では5番目に大きな市町村で、町の大半は原野を切り開いた丘陵地帯です。写真などで町の遠景を見ますと、町外れには広々とした牧草地が広がり、木立の中に西洋風の瀟洒(しょうしゃ)な家並が連なっている、どこか北欧の町が連想されるようなシャレた町並みです。同町は牛が12万頭もいるような酪農の町でもあるようです。

 別海町を地盤とする父方は、同地方では名家とみなされる家系でした。母方の実家は中標津町ですが、父方のようにはよく分かりません。ただ、そこそこの家柄であろうことは推測できます。
 父方の祖父は同町で長く司法書士事務所を経営しており、町議会議長を3期も務めた名士です。また同氏は今秋急死した元財務相・中川昭一氏の同町の後援会長的立場でもあり、ビザなし北方領土訪問団団長を務めたこともあるといいます。
 同氏は1999年(平成11年)秋の叙勲で、勲五等双光旭日章を受賞。翌年の1月14日にはウェラプラザ別海にて受賞記念祝賀会が催され、町内外から100名が出席、発起人の一人だった当時の町長が祝辞を述べています。

 父親は行政書士。(佳苗の)祖父の業務を補佐するため、それまでの勤務先を退職して中標津から一家で引っ越すことになったものと思われます。母親はピアノ講師。2人の間に長女の佳苗を筆頭に、1男3女4人の子供をもうけました。
 母親はもとより父親もまた料理好きで、佳苗が子供時代は「毎日のように家族中で手の込んだ料理を作ったり、また毎年近所の写真館で家族写真を撮っていた」とは当時を知る近隣住民の話です。

 母親がピアノ講師であったことから、当然子供たちにもピアノは教えたことでしょう。父親もクラシック好きで、父方の祖母も昔は中学校の音楽教師だったといいます。(そのような経歴からか、佳苗は上京後、肩書きの一つとして「ピアノ講師」を名乗っていました。旅行先のホテルで見事なピアノ演奏を披露したこともあったようです。)
 祖父の肩書きといい、家庭内の暮らしぶりといい。まるで絵に描いたような、人も羨む名流家庭ぶりが浮かんでくるようです。

 「しかし」と、ある近隣住民は話します。「家庭内でのしつけは厳格を極めた」と言うのです。(たいがいの名家にありがちですが)特に母親が事のほか教育熱心で、下の弟妹たちが小学校時代にはPTAの役員を務めていたそうです。
 その住民は続けます。「教育熱心なあまり、あの家にはテレビがなかった。子供の小遣いもなし」そのため見かねて「子供が欲しがってるんだから、テレビくらい買ってやんなよ」と父親に言ったこともあったそうです。その甲斐あってか、子供たちはみな成績優秀。特に長女の佳苗は両親にとって「自慢の子」だったようです。

 そんな厳格な家庭の子女として育った佳苗はどんな子だったのでしょう?
 佳苗の当時を知る同級生は、「小学校時代はおとなしくて勉強ばかりしていました。みんなでワイワイ遊んでいても、彼女は隅の方でポツンとしていた」と話しています。しかし佳苗は親の厳しいしつけと勉強の甲斐あって、別海町立中央中学校へ進むと順調に成績を伸ばしていきます。「授業中一人だけ高校のドリルをやっていました。先生も彼女だけは別格扱いだった感じです」とは、中学時代の同級生の話です。
 小学校時代から町の感想文コンクールでたびたび賞を取り、中学2年時は最優秀賞を受賞。町の広報誌に名前が載ったのも一度や二度ではなかったと言います。

 事件発覚後、テレビなどでも中学卒業時の文集の一部が公開されました。同文集には、「特技 ピアノ・食べること・寝ること」「趣味 読書・料理・映画鑑賞」と前書きがあり、続いて長い本文が続きます。とても中学生とは思えない大人びた文章です。一部を以下に引用します。
 
 …中学校生活を振り返ってみると、(略)実にいろいろな事があったものだ。一時は組織の中で部品化しているような大人達に、善人顔して、教育という名の嘘を教えられている様で耐えられなかった。そんな私に「もっと素直になれ、素直になれ、やってみろ」と教えてくれたのが、映画であり、音楽であり、絵画であり、先生達であったのかもしれない。

 この三年間、さまざまな「出逢い」と「別れ」があった。どれもすばらしい、大人へのステップになったと思う。いろいろな人と接するということは、自分が「世間」を広げるために、本当に大切なことだと思う。私の世間というのは、まだ別海町でしかない。でも、だんだん広がっているような気がする。広がれば物の見方が変わってくる。

 人間は決して一人では生きていけない。つくづく考えさせられた。だから、集団生活での決まりというものは必ず守らねばならない。守らないからこそ、大人達はより厳しいきまりをつくる。守っている者にとってこれほど迷惑なことはないし、大人達だっていい気はしないだろう。自分の考えを通すということと、自分勝手とは違う。自分がそこに生存していることを考えて、かつ、位置を見極められる人間にならなければいけないと思う。……。
 (木嶋佳苗『別海中央中学校卒業文集』より←全文が読めます) (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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