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日々雑感(8)

   曇天に暴発しさうな冬の柿   (拙句)

 おとといは冷たい冬の雨降る一日、かと思ったらきのうは小春日和の暖かな晴れの一日、そしてきょう13日(日)はまたまた鉛色の分厚い雲が垂れ込める肌寒い一日で。まあ師走半ばの空模様はここのところ日替わりでくるくる変わっています。

 既にご存知のように、冬の気圧配置は一般的に「西高東低」と言われます。これを簡単におさらいしてみますとー。
 冬になると西の日本海上や中国大陸辺りに高気圧が、そして東の太平洋上に低気圧が居座る気圧配置のことを指しています。その東西の気圧に挟まれた日本列島に、等圧線が何本も密に南北に走っている特徴的な配置図になるのです。その結果北方のシベリア寒気団(シベリア高気圧)から寒気が吹き込みやすくなり、列島各地に寒さをもたらす北からの風(北風、北西風)が吹きつけることになります。
 そうして北海道や日本海側では大雪となり、関東地方など太平洋側は乾燥した冷たい空っ風が吹きつけることになります。

 ところで今年の気圧配置は今のところ、このお決まりの西高東低の型がびしっと定まっていないようです。出来ても「西高東低くずれ」といった按配で、あっという間に型が崩れてしまうのです。そのため今冬は例年にもまして雪が少なく、そろそろシーズン本番でかき入れ時のはずの苗場、草津、妙高といった各スキー場でも降雪がみられず、仕方なく滑降コースにだけ人口雪をあてがい、その周辺は土の地肌丸見えという状況のようです。(ただしこれは3日ほど前のお天気情報で、今もそうかは分かりません。)
 反面世界に目を転ずると、米合衆国では比較的南部の中西部に位置するコロラド州でしっかり降雪があると言います。このような気象のアンバランスは、赤道ベルトの海温がこの冬例年以上に高く、北極圏からの寒気団が日本列島などに南下出来ないことに大きな原因がありそうです。

 国連気候変動締結国会議(COP15)も良いけれど。先進国と発展途上国とがそれぞれの利害をにじませた議論を重ねるだけで、地球環境にとって真に有効な打開策が見出せないもどかしさを感じます。そうしているうちにも、笑い事では済まされないほどの気候変動がどんどん進行していくわけですから。

 いくら暖冬傾向とは言え、やはり外を歩くと体感では十分寒く感じられます。我が街でも季節は確実に冬本番、落葉樹はもうすっかり木の葉を落とし尽くし、冬枯れた裸木となって茫然と立ち尽くしているかのようです。
 そこで当ブログも『いつまでも落葉模様もないだろう』とばかりに、きょう未明ブログ背景を替えてみました。昨年から引き続きご訪問の方々にはおなじみかと存じますが、『本を開きて』。私自身落ち着いたエレガントな感じが気に入っている上、やはり冬は暖かい系に限ります。

 トップ面の「最近の記事」を見てもお分かりのとおり、ここのところ『薬物汚染の拡がりを憂う』記事が連続しています。これは今月7日の押尾学再逮捕という新しい展開を踏まえたものです。世の中の関心が依然高く、同シリーズを載せますと訪問者が断然伸びるため、私もついついその気になって続けて取り上げてしまいます。
 事件記事は、当ブログ開設当初はおよそ考えもしていませんでした。しかしこれも立派な一つのジャンルと言うべきです。押尾事件も木嶋佳苗事件も、今の社会の「相応の理(り)」として起きている面があります。いずれまた掘り下げる機会があるかもしれませんが、他の事件共々小泉政権以降の自公政権末期に起きたものである、これは大きな問題をはらんでいると思われます。
 事件物ですから、興味本位な内容になるのはある程度致し方ありません。しかしただ単にそれのみで終わるのではなく、そこに隠された本質的な部分にまでいかに踏み込めるか。大変荷の重い難しい課題です。

 押尾事件はとにかく「奥が深い」というか「謎、闇が深い」事件です。次々に新事実や新しい事件の関与者が出てきたりします。押尾からMADAを勧められ「次の逮捕者か?」とも噂される“人気モデル”とは一体誰なのか?当ブログで既に名前を出した女性なのだろうか?近いうちの逮捕は本当にあるのだろうか?
 またジャーナリストの勝谷誠彦氏が関西の某番組で漏らしたという「15日を“Xデー”として大物政治家の逮捕がある」というのは、本当の話だろうか?一説には「大物政治家」ではなく単に「大物」だという話もあるけれど。いずれにしても、間近に迫っているのにそんな気配は微塵も感じられないし…。

 押尾学自身にその自覚はなかったのでしょうが、同事件発覚によって今の社会の「ブラックボックス」さらに言えば「現代のパンドラの匣」を開けてしまった感があります。どうやらこの匣には、政界、官界、財界、芸能界、スポーツ界などのあらゆる災いが潜んでいて、それが現に飛び出していますし、これからもなお飛び出してくる可能性があります。
 この際中途半端に蓋をしてはいけません。この事件に関わる真実(膿)は悉く出し切るべきです。その結果あらゆる災いが飛び出して、同事件で最後に残るのは「希望」だけになるでしょうから。

 (大場光太郎・記)

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