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冬至あれこれ

   冬至日の小川に鴨の遊びをり   (拙句)

 本日12月22日は冬至です。この日北半球では太陽の南中高度が最も低くなり、一年のうちで昼が一番短く夜が最も長くなる日です。「陰(いん)が極まった日」とでも言えるでしょうか。しかし、
   冬来たりなば春遠からじ    シェリー
 また「陰極まれば陽(よう)となる」とは、古代中国以来言い習わしてきた言葉です。亡母が「冬至を過ぎっと、畳の目一つ分ずつ日が伸びでいぐなだど」と、よく言っていました。世の中も季節も厳しいものがありますが、「一陽来復」を信じてやがてくる春を待ちたいものです。

 「冬至」は民族の違いを越えて、古代から一年のうちで最も神聖な日とされてきました。例えば12月25日にイエスキリストが生まれたというのも、イエスが生まれた月日は正確には分かっておらず、古代エジプトなどの「冬至=復活」という考えを習合的に取り入れて、冬至に近いこの日を、メシア(ギリシャ語、「救世主」「キリスト」の意)としてのイエスの誕生日としたというような説もあるようです。
 また正確な記憶ではありませんが、世界各地の神殿や仏殿の中には、冬至の太陽が御神体や御仏に直接射し込む方向で造営されたものもあるようです。

 私などはとても真似できませんが、世界中の心がけの良い人たちは、今でも冬至や夏至の太陽が昇った時刻、そして月が昇った時刻に互いに集い合い、祈りや瞑想を捧げることを習慣にしている例もあるそうです。
 おそらく、そういう努力によってはじめて「宇宙的な潮流」とシンクロ出来ると思うのです。誇り高き“現代人”たる私たちは、このような自然的時間の推移や節目を深く思いみることも、ましてや同期、同調しようなどとは夢考えもしません。本当にそれでいいのだろうか?一方で人知れずそのようなご努力をされている方々のことを思うにつけ考えさせられます。
                        *
 きょうの冬至当地ではすっきりした冬晴れの一日となりました。ここ数日列島各地は、この冬一番の寒波の襲来で、各地に大雪を降らせ思わぬ被害に見舞われた地方や人々も出たようです。心よりご同情申し上げます。
 当地(厚木市)は雪こそ降らなかったものの、連日冷たい北風が吹きつけ、寒い冬を体感させられました。

 たださしも居座り続けた大寒気団も、きょうくらいから少しずつ緩みはじめたようです。確かにきょうはだいぶ寒さが和らぎ、“小春日和”と形容してもいいような一日でした。そういえばいつも通る中津川沿いの道を夕方通った時、対岸の工場の二本の大きな煙突からもくもくと白い煙が出ていましたが、煙は横に倒れて北へ北へと流れているのです。つまりきのうまでの北風ではなく、きょうに限っては春先のような南風だったわけです。

 昼過ぎ所用でお隣の伊勢原市に向かいました。途中からいつものとおり、小田原厚木道路側道を右折して伊勢原市街地への道を走りました。何度か述べましたが、小田急線の線路までの手前数百メートルくらいは、昔ながらののどかな田園風景が一帯に広がっています。
 晩春には早苗、盛夏の候は一面に青々と波打つ青田。しかし冬の今は、一面の枯れ切った冬田が見渡せるだけです。

 冬至の陽光に照らされて、道端の古ぼけた墓石くらいの“庚申塚(こうしんづか)”が輝いて見えています。道路の左側に沿って、土手幅数メートル未満の小川が平行して流れています。早春にはこの小川は、土手といわず川中の土の部分といわず、菜の花のまぶしい黄色がいっぱいに咲いていますが、今では蕭々たる枯れ葦が見られるばかり。
 川の細った流れが陽にキラキラ光って流れています。と、流れの先に3、4羽ほどの鴨がうずくまっている黒い影がチラッと認められました。

 目を真西に向かう道の正面に戻して仰ぎ見ますと、大山の姿が大きく飛び込んできます。夕方になるとキリッと引き締まって凛とした威容で見えますが、小春の昼日なかでは、心持ち霞がかって少し眠た気な感じに見えました。

 (大場光太郎・記)

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