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『坂の上の雲』第1部が終わって

 27日(日)夜8時から、NHKドラマスペシャル『坂の上の雲』第5回「留学生」が放送されました。これで第1部が完結し、新春の日曜夜8時台は通常の大河ドラマに戻り、福山雅治が坂本龍馬を演じる『龍馬伝』が放送されることになります。
 『坂の上の雲』第2部は、その『龍馬伝』が完結した後の放送だというのです。一年先とは、まただいぶ気の長い話です。外交官の小村寿太郎(竹中直人)ではないけれど、東洋の一小国たる我が日本が、例えば大英帝国とも対等な条約を結ぼうかという、物語はいよいよ佳境に入りかけたというのに。何かスパッと一年間の断層を置かれた感じがします。

 そのとおり(記事にしなかった)第3回以来、松山出身の3人の主人公の境遇はもとより、我が国を取り巻く国際情勢も大きく変わりつつありました。
 まず3人の主人公からいけばー。正岡子規(香川照之)は、大日本帝国憲法発布に沸き立つ世情の中、突然喀血してしまいます。当時不治の病とされた肺結核を患ってしまったのです。原作者の司馬遼太郎は、明治時代とその時代を生きた青春群像を、「楽観主義(オプティミズム)」と評しています。さだめし子規などはこの好例であることでしょう。喀血、肺結核罹患の事実に衝撃を受けたことは間違いないとしても、何とそんな病を逆手に取るかのように、この頃から後世に残る「子規」という俳号を使い始めるのです。子規とは、血を吐いてもなお鳴き止まないとされるホトトギスのことです。正岡子規には、己の難病をも客観視しどこか笑い飛ばす、諧謔精神溢れる究極のオプティミストだったように思われます。

 一方親友の秋山真之(本木雅弘)は、海軍士官学校を主席で卒業し、海軍少尉として遠洋航海に出ていた折り、洋上で父久敬(伊東四朗)の訃報に接します。また帰国したある時、日本の港を巡回する清国の北洋艦隊を見学し、敵艦偵察のため忍び込んだ清国旗艦の中で、後に真之の畏敬すべき上官となる東郷平八郎(渡哲也)と、北洋艦隊提督・丁汝昌(てい・じょしょう)にまみえることになります。
 兄の秋山好古(阿部寛)はフランスから帰国し、陸軍士官学校の馬術教官になります。そして上官である児玉源太郎(高橋英樹)の勧めで、以前下宿していた佐久間正節家の娘・多美(松たか子)と結婚します。

 そうしている間に我が国を取り巻く状況は緊迫の度を増していき、1884年(明治28年)春、時の内閣総理大臣・伊東博文(加藤剛)の戦争回避の努力も空しく、日清戦争が閣議決定されてしまいます。明治新政府となって初めての対外国戦争の勃発です。
 当然のように好古は騎兵大隊長として、弟の真之も巡洋艦「筑紫」に乗って同戦争に出征していくことになります。
 7月25日朝、日本艦隊と清国艦隊が朝鮮西岸で遭遇し、戦闘の火蓋が切られます。好古は乃木希典(柄本明)らと旅順攻略に参加し、真之は巡洋艦上で初めて実戦を目の当たりにしますが、自分の命で日頃目をかけていた部下を死なせ現実の惨状に強い衝撃を受けてしまいます。

 この戦争には、東京帝国大学を中退し陸羯南(くが・かつなん-佐野史郎)が主宰する新聞「日本」に入社していた子規も、従軍記者として戦場を訪れ、戦争と文明についての認識を新たにさせられることになります。
 しかし子規は帰船の折り大喀血し、病を悪化させてしまいます。そのまま神戸の病院そして須磨で療養、帰郷した松山で松山中学に赴任していた夏目漱石(小澤征悦)の下宿で療養することになりました。

 兵力や艦隊において優劣はつけがたかったものの、西欧列強の近代戦をじっくり時間をかけて取り入れてきた日本は終始優位に戦いを進め清国に勝利しました。翌年の4月17日下関で講和条約が成立し、我が国は遼東半島や台湾などの割譲を勝ち取ります。
 しかしその後ロシア、フランス、ドイツの「三国干渉」により、清国に遼東半島を返還することになりました。その隙に乗じてロシアが満州さらには遼東半島に手を伸ばし、南シベリア鉄道の敷設や半島突端の旅順要塞の強化などを進めていきます。こうしていよいよ満州や朝鮮半島におけるロシアの脅威を痛感した日本の首脳陣は、最早日露戦争は不可避と判断し軍備費を増大させていくことになりました。

 そんな中海軍省では、特に優秀な海軍士官を先進国に留学させるプランが持ち上がります。選考の結果、秋山真之はアメリカへ、親友の広瀬武夫(藤本隆宏)は将来の日露の衝突を見越してロシアへと留学していきます。
 真之の留学先であるアメリカは、ドイツやイギリスといった西欧列強にようやく追いつこうかという新興国に過ぎませんでした。しかしその分発展に勢いがありました。真之は戦術家として名高い米国海軍予備役大佐アルフレッド・マハンを訪ね、直接教えを乞います。その影響もあってか、渡米中の真之は海軍戦術の研究に没頭します。日露戦争における日本海軍の戦術は、この時に生まれたといっても過言ではないと言われています。

 幸運なことに真之留学中、アメリカはスペインと中南米の島国・キューバの領有権を巡って「米西戦争」に突入します。観戦武官として、アメリカ艦隊がスペイン艦隊を軍港に閉じ込める世界最初の「閉塞作戦」をその目で見た真之は、敗れたスペイン艦隊の残骸を詳細に調べ、キューバにおける米西戦争を、日本海軍史上類を見ないと評価されている見事な観戦報告書を作成したのでした。

 一方の子規は、結核菌によって脊髄を冒される背髄カリエスも併発し、東京根岸の借家で床に伏せりがちな日々を送っていました。親友の真之がアメリカ次にはイギリスに雄飛しようかという中で、文字通り「病牀六尺」の闘病生活を余儀なくされていたのです。
 「大望ありて余命なし」、子規の心中たるやいかばかりだったか。演じているのは香川照之ですが、遺された写真を見ると香川は子規に風貌が似ているようです。のみならず、子規が乗り移ったかのような迫真の演技で、思わず涙がどっとこぼれてしまいます。

 しかし狭い庭があるばかりの借家には、高浜虚子、河東碧悟桐、伊藤左千夫、島崎藤村、長塚節など、後に近代文学史にその名を刻むことになる後輩たちがしばしば訪れて来て、いつしかこの借家は「子規庵」と呼ばれることになります。
 そして起居するにも難儀で、母八重(原田美枝子)や妹律(菅野美穂)の手助けを借りなければならないほどの大病の中、旧弊と戦い俳句・短歌の革新という近代文学史上画期的な偉業を成し遂げていくことになるのです。そうしてみると、根岸の子規庵は狭いながらも自然の事象を観察、写生するにはこと欠かない小天地、ドラマの中の子規が母八重に言ったように「小天国(リトルパラダイス)」だったのかもしれません。
 いずれにしても身はたとい病に蝕まれ、病牀六尺に横たわって呻吟してはいても、その精神は自由自在に天翔(あまが)けていたのに違いなく、その意味で子規もまた立派な「雄飛者」だったと思われるのです。

 (大場光太郎・記)

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