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松本清張『ゼロの焦点』

 映画『ゼロの焦点』のあまりの強い印象に、松本清張の原作が読みたくなりました。私にとって逆はあっても、映画を観てから原作をというのは珍しいパターンです。
 映画を観終わって2、3日後から、新潮文庫版『ゼロの焦点』を読み始めました。470ページ以上はあるものの、活字が大きく私のような年配の者には助かります。松本清張の筆力のなせるわざなのか、ぐいぐい物語りに引き込まれ、一気に読み終えました。

 映画を観た後なので、どうしても映画と比べながら読み進めることになりました。『あゝこの箇所は同じだったな。ここは映画ではこう変えたんだな』などと。原作は物語のプロローグから綿密に出来事や状況を積み上げていき、丹念な細部のプロットのすべてが響きあって、驚くべき感動的なラストへと収斂(しゅうれん)されていくような構成です。
 そこには齟齬や破綻がほとんど見当たらず、全編の隅々に及ぶピーンと張りつめたような精緻な構想力を感じます。清張自身「代表作の一つ」と言っていただけあって、清張という作家の創作的エネルギーがピークだったからこそ可能となった作品であるように思われます。

 映画は、原作とは事件の状況そのものすら大きく変えているところがあります。それに映画『ゼロの焦点』記事で述べましたとおり、映画の方は何やら“現代版シェークスピア劇”を観ているような荘重かつ大きなスケールの構成となっており、息詰まるサスペンスで終末の大悲劇、大破局へと向かっていきました。改めて原作を読んでみますと、『こんなに変えちゃっていいの?』と、泉下の清張が苦笑しているのではないかと思われるほど変えているところもあります。
 私のような素人にはよく分かりませんが、映画の場合それが観客を「魅せるための」演出であり、脚本であるということなのでしょうか?

 原作は推理小説でありながら珍しいことに、事件の謎を見事に解明するエルキュール・ポアロや明智小五郎といった名探偵役が登場しません。しかしそれでも最後には、犯人や鵜原憲一の失踪の理由、事件が起こった背景などがちっきり解明されていきます。
 『ゼロの焦点』では、書き出しから登場する鵜原禎子(映画では広末涼子)に名探偵としての役割を与えています。そのため鵜原禎子には、英語が堪能などストーリー上必要なインテリジェスを前もって賦与している上、なおかつ彼女を金沢や能登の断崖絶壁など、北陸各地の事件との関わりが深い場所に向かわせています。
 26歳の新妻の視点から描かれた事件解明のプロセスといった趣向で、これは当時も今も斬新な手法なのではないだろうかと思われます。

 原作は推理小説としての面白さに加えて、当時の世相や一つ一つの場面描写が的確で細密です。それがただ単に表層をなぞるだけではなく、時に深部に食い込んで核心を抉り取るような描き方です。現代推理作家にここまで迫れる者は少ないに違いなく、さすがは「社会派作家」という称号を与えられた清張だけのことはあります。
 またヒロイン鵜原禎子の心の動きも実によく描けていると感心します。苦労人清張の、女性心理の襞にまで及ぶ人間観察の鋭さには脱帽です。

 また映画『ゼロの焦点』記事で触れましたが、「ゼロの焦点」の「ゼロ」とは、戦争、敗戦のことを指しているもののようです。清張自身この作品の中で、タイトル解題をしているわけではありませんから、読み方によっては別の捉え方も出来るかとは思いますが…。私にはプロローグの「ある夫」から最終章の「ゼロの焦点」まで、ひたすら戦争という「ゼロへの告発」を目指して疾駆しているような印象を持ちました。

 「敗戦」という我が国近代史上かつてない深刻な事態が、田沼久子(木村多江)と宝田佐知子(中谷美紀)という2人の女のその後の人生を大きく狂わせてしまった。彼女たちは極端な例かも知れないとしても、昭和30年代前半はまだ、戦争の傷跡を引きずっていた人たちが多くいたのに違いない。そのことを見据えて、清張は犯人を裁いたり責めたりしていません。むしろ書きながら、犯人に憐れみや共感すら感じていたのではないだろうか?そうも思えてきます。
 
 この小説は、定型的な評価ですと「社会派推理小説」と言われています。そしてこの分野は松本清張によって確立され、その後一ジャンルとなっていったわけです。しかし私はこの小説は推理小説という枠を超えて、日本近代文学史に刻まれるべき記念碑的作品の一つなのではないだろうかと考えます。

 (大場光太郎・記)

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