妻田薬師逍遥記
名刹も梢まわりも春隣 (拙句)
早いものできょうはもう一月も終わりの31日です。日曜日のこの日は、3月中旬または同月下旬頃を思わせるような、暖かい大快晴の一日でした。
こんな日には外に出て近所を散歩するに限ると、午後2時半過ぎ外出しました。いつもは居住地から東の方向すなわちいつも記しています中津川の方に向かいがちです。しかしきょうは反対の西の方に歩いてみました。
本当に寒中とは思われないほど、「うららか」と形容してもいいほど暖かい日差しです。日差しがそんな具合ですから、風は無風に近い微風で、周りの布旗などそよとも動かないため風向きをしかとは確かめられないものの、どうやら東風、南風の春風に違いないようです。
当ブログでは時折りその名前を出したくらいでしたが、居住地付近には「妻田薬師」という名刹(めいさつ)があります。大晦日深夜から元旦未明にかけて、いつもこのお寺の除夜の鐘が響いてきて、ことのほか行く年来る年を実感させられます。
津久井町や手前の愛川町半原に向かう、神奈川県道から東側地区が普段もっぱら徒歩や車で走り回るエリアです。県道から西側へはめったなことでは足を運びません。私がバスで本厚木駅に向かう時、同県道沿いの最寄のバス停はその名も「妻田薬師バス停」です。いつもバス待ちの間県道の先の同薬師のこんもり繁った樹木のさまを眺めたりしますが、目と鼻の先の薬師まではめったに行くことはないのです。
春のような暖かい陽気に誘われて、きょうは妻田薬師に行ってみようと思い立ちました。県道を横切ると、通り沿いの右側にドライブスルータイプの妻田マック(マクドナルド厚木妻田店)があります。くるくる回るMのマークも、高く日に輝いています。
同店沿いの大通りに直行した道を歩くと、県道に平行して走る裏道です。それを横切るともう薬師の境内です。正面ではなく脇側になります。
寺社の裏手とあって、日も射さないほどの鬱蒼とした樹木に覆われています。古い寺社がそうであるように、ここの樹木もいずれも広葉常緑樹、真冬の今でも艶々した葉を梢いっぱいに繁らせています。そのため昼なお暗いほどで、いかにも古刹といった雰囲気を醸し出しています。
境内に踏み入りますと、すぐの角地が池になっていて、鯉やら大きな金魚やらが泳いでいます。少し幽玄な趣きで、「古池や…」の芭蕉の句が想い起こされます。
その脇の石の階段を登ります。石段には赤い色の花の塊りがポツンポツンと落ちています。見上げればなるほど、赤い花をつけた山茶花(さざんか)の木があるではありませんか。
本堂と下道との落差はせいぜい2、3m。しかし石段はグルッと回り加減に設けられており、存外に奥行きのある小径(こみち)の感じをつくり出しているようです。
登りきると真っ先に巨木の根元を裏から覗き見るようなあんばいです。
その大きな根回りや艶々した葉の繁り具合に感心しながら、本堂側のいわゆる巨木の正面にやってきました。神奈川県のマーク入りの立派な金属製の碑が側に建っています。それによりますと、この木は「妻田薬師のクスノキ」という名称で、「神奈川県100木選」に指定されているとのことです。
根回り11m、樹高22m、推定樹齢500年とのこと。なるほど見れば見るほど、巨大で歴史を感じさせる風格ある大楠です。根元には空洞部があり、土も見えているその中に小さな地蔵立像が安置され、手前には花も供えられていました。
何でも戦国時代、この地域もご多分に漏れず戦乱に巻き込まれたようです。小田原北條氏に攻め入った甲斐の武田信玄の軍勢によって、この地は戦火にのまれ、この木も一部焼けたことがあったようです。しかし広葉常緑樹は火災にめっぽう強く、この樹木種が植えられている所は立派な防火帯の役割を果たすと言います。
この大楠のほかに何本かの同じクスノキ類が境内に配され、名刹らしい鬱蒼たる雰囲気を醸し出しています。
本堂である薬師堂の付近に樹木はなく、その正面はうららかな冬日をいっぱい浴びています。同堂は普段は閉められているものの、その内部には大きな厨子、その中に薬師如来坐像、同如来立像、日光・月光菩薩立像、十二神将立像などが安置されているようです。これらはすべて、戦国時代の作品で、いずれも厚木市文化財指定となっています。
この暖かい陽だまりのようなお堂のたもとの板敷きの所で、老婆と小さな女の子が腰掛けて何やら話しこんでいます。どこか近所の家のお祖母さんとお孫さんなのでしょう。こうして単なる「お話」としてではなく、古刹・名刹の雰囲気を幼児から体感させておくのは決して無意味なことではないはずです。
首都圏の一地方都市として、年々変貌著しい周囲の景観の中で、この妻田薬師などは「聖域」として昔々からほとんど変わらずに今日に到っているわけです。周辺は過去から現在そして未来とどんどん時間が推移していく、つまり変化・変滅していくのに、ここの空間のみは何百年も変わらない。特に意識せずとも、幼い時からこういう「永遠を感じさせる空間」に馴染んでおくことは大変有意義なことのように思われるのです。
(大場光太郎・記)
(注記)ある方が先日の『新聞・テレビは自壊し始めた』記事に、長文のコメントを寄せられました。私の言わんとしていることを、別の観点から論考された堂々たるご所見です。出来るだけ多くの方にお読みいただきたく、このたび当ブログ記事として転載させていただきます。なおタイトルは勝手ながら私がつけたものです。 (大場光太郎)
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我々は小沢バッシングの背景にあるものを的確に捉え、それが日本の民主主義発展に、骨子として、本当に必要なものか、問わなければならないと思います。やりたい放題のマスコミに飼いなされて、マスコミ報道を鵜呑みにしていると国民は悲劇の道を邁進することを余儀なくされることと思います。表層的な捉えは、禁物です。歴史を動かすのは、最終的には力関係です。幻想に酔っていては駄目です。現実に誠実になるべきです。小沢氏はそのことをよく認識されているので、ぎりぎりのところで戦っておられるわけです。
小泉・竹中の郵政選挙のときの小泉劇場を後押しする異常な報道や、このたびの小沢・鳩山問題の異常ともいえる民主党ネガティブキャンペーン報道で、日本のマスコミは、あまりにも露骨に「自らが果たす役割」を暴露しました。
それで、本来日本国民のために権力の暴走を抑止する機能を発揮しなければならないはずのマスコミなのに、官僚権力の暴走に加担するような行動をとっていることで、ほとんどの多くの国民は、これは明らかに「不自然で違和感のある圧力」がどこかからかかっていると気づいたと思います。
その「不自然で違和感のある圧力」とは何なのでしょうか。そして、それはどこからかかっているのでしょうか。その大元はどこなのでしょうか。国民は、それこそしっかり問い直し、究明し、鮮明に意識していくことが大切だと思います。そうすれば、マスコミ報道も検察などの官僚の動きや、政治家の動きも少しは冷静に見ることができるようになると思っています。私自身も色々考えましたが、私が考えたことは、端的に申しますと、以下の通りです。
1.アメリカウォール街の強欲金融資本は、自らの強欲を貫徹していくために日本の大手広告代理店を牛耳ります。その大手広告代理店に楯突く事の出来ない日本のマスコミを使って、アメリカウォール街の強欲金融資本は自分らの都合の良いように、世論操作をおこないます。そして日本国民をマインドコントロールしていきます。<マスコミがタブー視してそれについて全く報道しない「日米年次改革要望書」の内容はご存知でしょうか。アメリカが日本に対して企んでいることが、具体的に一目瞭然です。>
2.アメリカウォール街の強欲金融資本の飼い犬となった悪徳で売国奴的な自民党のある会派や官僚は、アメリカウォール街の強欲金融資本からの指示が出れば、目を光らせているCIAに怯えているわけですから、1.のマスコミの世論操作を介して、国民を大バカにして、やりたい放題やりまくります。<冷戦が激化する中で、元・A級戦犯の中でも、アメリカへのエージェントとしての協力を誓った人間(岸やらPODAM)を釈放し、それら元・A級戦犯を利用して間接統治を強化した戦後の歴史を見れば一目瞭然です。>
今回の異常ともいえる小沢・鳩山問題の民主党ネガティブキャンペーン報道は、まさに1.と2.のコラボレーションのもとに、展開されていることを多くの国民は認識しているとおもいます。
私は、別に民主党の支持者でも右翼でも国粋主義者でもはたまた民族主義者でもありませんが、戦後の日本にはこのような構造が今なお横たわっているわけで、この構造が取っ払わなければ日本の民主主義は発展しないと思います。しかしそこには既得権益を貪る自民党ある会派、官僚、大手広告代理店、マスコミが一枚岩となって、アメリカと強力なタッグを組んでいる図式があるわけでして、そこがガンです。日本はいまだアメリカの属国なのです。
小沢氏は、この圧力に対峙し頑張っておられると信じています。従って小沢氏をつぶしたい圧力は、今後益々強化されてくると思います。したたかなアメリカ強欲金融資本は、日本を自分らの都合の良いように利用して更なる富の増幅を目論んでいますし、日本側の上述しました勢力も自分達の既得権益を貪り続けたいがためにアメリカの圧力強化に加担し続けるでしょう。
冷戦の時代は終わったといわれますが、アメリカ強欲金融資本は、自らの利潤追求にとって都合の良い規制の限りなく少ない経済システム、つまり市場原理主義を、今なおグローバルに浸透させようとして、躍起になっているのです。私は社会主義経済の経済システムが決して良いものとは思いません。しかし、アメリカ強欲金融資本のマネーゲームで、地球上のあちこちで貧困や飢えに苦しんでいる人たちや子ども達がいることがあっていいのだろうかと思います。子ども達には何の罪もないのに・・・・。また、アメリカ強欲金融資本がつくり出した詐欺のような証券化商品によって、このたびの金融危機が引き起こされたわけですが、世界中の実体経済はグチャグチャにされました。
我々は、このようなアメリカ強欲金融資本の暴走を許していいのでしょうか。市場原理主義というまったく野放し状態の経済システムで、やりたい放題、強者が弱者を淘汰していくようなことがあってはならないと思います。色んな立場に立たされている人々の幸せを考えるなら、また健全な社会を希求するなら、最低限の規制は必要だと思います。地球上全体ではなく、日本とアメリカの関係だけをみても、いかにひどい関係であるかが一目瞭然です。
上述しました日米の間で毎年とりかわされている「日米年次改革要望書」を見てみますと、アメリカ強欲金融資本が、いかに日本に対してえげつない圧力をかけているか本当によく分かります。NHK特集で「日米年次改革要望書」が取りあげられたことがあったでしょうか。毎年、秋ごろ取り交わされているようですが、大手新聞各社がこれについて取り上げたことがあったでしょうか。まったくありません。マスコミにとっては、タブーの存在なのです。ここにも日本のマスコミの本質がちらついています。郵政民営化、労働者派遣法の改正、独占禁止法改正、建築基準法改正、確定拠出年金導入等々、アメリカ強欲金融資本にとって都合のいいことばかり強要してきているのです。そして一部の人を除いて多くの日本人の生活はグチャグチャにされたのです。そして、勤勉な日本人がコツコツ蓄えたたくわえは、外資にいとも簡単に吸い取られるシステムまでつくられてしまったのです。ほんとうに我々は、お人よしなのです。
ほんとうに、日本国民による日本国民のための自治が求められます。田中角栄にしても小沢一郎にしても、そうした理念に依拠している人だと思っています。くどいようですが、戦後のアメリカと日本の間にある上述しました構図や図式を解体することが、日本の民主主義発展を規定しているといっても過言ではないと思います。小沢氏は親中に熱心です。そのことからも分かるように、解体に向かって立ち上がっている政治家こそ、小沢一郎だと思います。このような政治家は何十年一度しか出てこないと思います。
投稿: 匿名 | 2010年1月28日 (木) 10時43分