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川向こう・考

 昨年記事『差別用語・考』の中で、いわゆる「放送禁止用語」の中に「川向こう」という言葉も入っていることを例示しました。そのため時折り、「川向こう 差別用語」などの検索フレーズでアクセスしてこられます。
 確かにちょっと考えると、川向こうというごく一般的と思われる言葉が、何で放送禁止用語に指定されているのかよく分からないところがあります。私は放送禁止用語の中にそれを見つけ、また同記事を作成しながら、何となく『昔々穢多(えた)や非人(ひにん)と蔑まれていた人たちを、“川向こう”に追いやって住まわせた、その名残かな?』と考えていました。しかし確信があったわけではありません。

 何人かの人が「川向こう」に興味をお持ちなのが分かって、私も『本当のところはどうなのだろう?』と改めて少し調べてみる気になりました。といっても、明快に分かったわけではありませんが、以下に私なりの「川向こう・考」を述べてみたいと思います。

 まず当然のことながら、本来「川向こう」は至極当たり前な日本語です。例えば私が普段使っている三省堂版『新明解国語辞典』によりますと、
   かわむこう【川向(こ)う】その川を越えた向こうの方一帯
と出ています。同辞典は第五版で2002年発行ですが、「放送禁止用語」という注釈はついていません。ごく普通の感覚からすれば、この言葉を差別用語扱いをすること自体がおかしいことのように思われます。
 だから私は当ブログにおいて、居住地付近の相模川に合流する少し上流の中津川の『寸描シリーズ』でも、川の向こう側のことを「対岸」とともに「川向こう」と何度か使っています。例の『差別用語・考』記事公開後も、かまわずに。

 確かに木橋すらない昔々は、少し大きな川だったり、急流、激流だったりすると、向こう岸に渡るのはえらい難儀だったことでしょう。そのため二千何百年か前のインドでは、おそらくガンジス川という大河をイメージしてのことでしょうが、こちら岸をこの世としての「此岸(しがん)」、対して遥か彼方の向こう岸をあの世としての「彼岸(ひがん)」と譬えました。そして悟り(ニルベーナ・涅槃)に達することを「到彼岸(とうひがん)」とも表現したのです。

 それからすれば、此岸と彼岸を分ける「川」は、この世とあの世とを分ける結界的なものと感受されたことでしょう。それは我が国にも「三途(さんず)の川」という言葉となって伝わっています。三途の川を渡り切ってしまうと、もう二度とこの世には戻っては来られない…。
 これは人類の普遍的無意識層に深く浸透しているらしく、今でも臨死体験で死の淵から甦った人の多くが、「大きな川を渡ろうとすると、向こう岸で死んだおじいちゃんが“お前はまだ渡ってはいけない”と大声で叫んでいる。それでハッと我に返ってその川から引き返した」というようなことを語っています。

 このように「川向こう」には、何かしら異界的な畏怖すべき観念が昔ほど強かったのではないでしょうか?と同時に特に我が国では「死穢(しえ)」という言葉に顕著なように、死を忌み嫌う傾向も強かったように思われます。
 向こう岸の持つ異界性、彼岸性、禁忌としての死のイメージ…。そのようなものが結びついて、各地で一般人の住む町外れの川から向こうの、荒れ地が広がる地域に穢れた(とみなされていた)被差別の民を追いやって住まわせたのではないだろうか?と考えられるのです。

 断定はできませんが、確かに川向こうは被差別部落を指して使われたことがある言葉らしく、今でも地方によっては「うっかり“川向こう”などと口走ろうものなら袋叩きにされる」というような本当か嘘か分からない話もあるようです。
 また最先端都市東京でも、目白に住む住人が「川向こうには住みたくない」などと話すことがあるようです。どうしてなのか?「お金持ちのマダムの私が住んでおります目白は、超高級住宅街なんでございますの。それに引き換え、隅田川や江戸川から向こうの墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区などはごみごみした庶民の町でござあましょう?あんな所には行きたくもござあませんわ。まして住むなんてことは…。オホホホホッ」というような次第のようです。

 世界的に「差別撤廃」が叫ばれる現代であっても、形を変えた差別が存在するということなのでしょう。「格差拡大」が叫ばれる今日、目に見えない差別は事実多いのかもしれません。
 かくいう私は当ブログで度々触れましたとおり、どちらかというと差別をより多く受ける極貧の家に生い立ちました。ですから「差別」に対しては今もって人一倍敏感なところがあります。しかしハッと我に返って我が言動を省みた時、そんな自分が『あれは差別的言動だったんじゃないの?』と思わせられることもあります。かくも「差別意識」は人間にとって、なかなかに抜きがたい「業(ごう)」であるようです。

 古代ローマ時代「川のタブー」を敢然と打ち破った英雄がいます。かのジュリアス・シーザーです。(ただシーザーは英語読みで、正式にはユリウス・カエサルです。そのため最近の世界史の教科書はその名で通しているようです。)
 時は紀元前49年1月10日、川の名前はルビコン川。長期に渡ったガリア戦を勝利したカエサルは、ローマに帰国すべくイタリア北部を流れるこの川のたもとまでやってきます。ルビコン川は共和制末期の当時、本国であるイタリアと属州ガリアの境界線の役割を果たしていました。軍団を引き連れて南下することはローマ法で禁じられており、川を越えて南下する行為は共和国に対する反逆を意味していたのです。
 しかしカエサルは、全軍に「賽は投げられた」(Jacta Alca Estーヤクタ・アーレア・エストゥ)という史上有名な檄を発して、同川を越えたのでした。以来「ルビコン川を渡る」は、二度と後戻りできないような重大な決断と行動をすることの例えとして用いられています。

 それと関連することですが、古代ローマ人からすればルビコン川から向こうに住む民族は化外(けがい)の蛮族の類いであったわけです。そのため彼らはローマ人から「ゲルマニア」と呼ばれていました。今でもゲルマン民族といいますが、ゲルマニアとはケルト人の言葉でまさに「川向こう」を意味していたのです。
 ともかくもカエサルによるガリア遠征によって、百万人ものケルト人とゲルマン人が殺され約400もの集落を破壊されたといいます。
 こうしてみますと、「川向こう」という差別用語は、古今や洋の東西を問わず広く存在していたのかもしれません。ごく一般化して言えば、「川のこちら側」は勝者、征服者たちが住む豊かで文明的な地域、対して「川向こう」は敗者、卑しい者たちが住む野蛮な未開の地域ということになるのでしょうか。

 そんな大げさなことはともかくー。考えてみれば今の時代、こちら岸と川向こうを結ぶための「橋」が幾つも架けられて、こっちからあっち、あっちからこっちと自由に行き来できる時代です。つまりどちら側も「川こっち」であり「川向こう」であるわけです。
 福沢諭吉が「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」と宣言したのは、もう百何十年も前のことです。変な差別意識は本当になくすべきです。実は「差別意識をなくすこと」は、今この時代一人一人に課せられている重要なイニシエーションの一つでもあるのです。
 その意味で、「川向こう」という言葉を放送禁止用語にしているテレビ業界はいいがなものか。それによって、かえって差別意識を助長させていはしまいかと思われるのです。

 (大場光太郎・記)

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コメント

 13日夜9時前頃から、この記事へのアクセスが少し集中しました。2時間くらいの間に、この記事に80人以上の人が訪問してくれたのです。あるテレビ番組で「川向こう」を取り上げたのでしょうか。
 以前も触れたことがありますが、この地味な記事へのアクセスがけっこうあります。隠れた人気記事といった感じです。苦労してまとめ、作成し終えた時私自身達成感が味わえた記事の一つなので、率直に嬉しく思います。

投稿: 時遊人 | 2011年9月16日 (金) 00時57分

 この記事は2010年1月公開でしたが、当時からぼちぼちアクセスのある「隠れたヒット記事」の一つでした。いつの頃からか、『NEVERまとめ』サイトの「放送禁止用語一覧」の項のトップにこの記事URLが紹介されておりますが、私としても苦労してまとめただけに懐かしい記事なので今回トップ面に再掲載しました。

投稿: 時遊人 | 2015年4月 8日 (水) 01時38分

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