« 新しき年の始めの | トップページ | 小沢土地問題と押尾事件 »

遠山に日の当たりたる

               高浜虚子

   遠山に日の当たりたる枯野かな
…… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 以前述べましたように、高浜虚子は生涯で20余万句にも上る句を残しています。その中でこの句は、虚子自身最も好んでいた句と言われています。
 そういえば確か中学2年か3年の時の国語の教科書に(以前取り上げました)
   流れ行く大根の葉の早さかな
の句とともに載っていて教わった記憶があります。以来両句とも自然に覚えてしまいました。多分どなたもこの2つの句はご存知のことでしょう。

 「大根の葉の句」は、日常ありふれた出来事の中から、決定的な俳句的場面をこの上ない絶妙なタイミングでキャッチした名句でした。対して本句は、一つの小天地と言ってもいいような大景を描き切った好対照の名句と言えましょう。
   荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)  松尾芭蕉
   菜の花や月は東に日は西に          与謝蕪村
   芋の露連山影を正しうす             飯田蛇笏
といった、古今の大景の名句と並べても遜色ない句です。

 上に掲げた例句は、その季節と共に詠まれた時間帯までもがきちんと特定できます。それでは、本句の場合はどうでしょうか?もちろん「枯野かな」ですから季節は冬とわかります。しかし「時間は?」となると、さてどうでしょう。これが今ひとつ判然としないところがあるのです。
 それはこの句全体の解釈にも関わってくることです。

 まず「遠山に日の当たりたる」ですから、「遠山」に日が当たっているのは間違いありません。それでは作者の虚子が位置していると思われる「枯野」にはどうでしょうか?日が当たっているのか、いないのか?
 もし遠山にだけ当たっていて枯野は日陰なら、時刻は早朝もしくは夕方とみてよさそうです。逆に遠山、枯野両方とも日が当たっているとしたら、時刻は冬日が最も高い空にある昼前後と判断してよいと思われます。さてどっちだったのでしょう?

 少し回りくどくなりますが、それを読み解くヒントがあります。この句は吟行による実景を詠んだ句ではなく、「題詠」としてできた句だと言うのです。
 時は明治33年(1900年)11月25日、虚子庵(きょしあん)例会での作だということです。この年正岡子規の病状はいよいよ悪化して、それまでの子規庵(しきあん)での句会例会を同年10月14日で中止せざるを得なくなり、やむなく虚子の住居に移して句会を続行することにしたのです。時に虚子27歳頃、その初めての句会のお題が季節柄「枯野」だったと思われます。

 郷里の先輩正岡子規に師事して俳句を志したのが、虚子18歳の明治24年でした。以来10年弱、以後虚子は時に「師の子規を軽んじている」「ないがしろにしている」「家元俳句だ」などという批判を受けながらも、長年にわたって近代俳句の牽引者の役割を果たしていくことになります。本句はいわばその記念碑的な句だったわけです。「最も好んでいた句」というのは、そういう背景もあってのことだったのかもしれません。
 後年虚子はこの句について、「松山の御宝町の家を出て、道後の方を眺めてみると、後ろの温泉山にぽっかり冬の日が当たっているところに、何か頼りになるものがあった。それがあの句なのだ」と語ったそうです。

 虚子自身が「温泉山にぽっかり日が当たっている」と言っています。その表現からは、「冬の日が、スポットライトのようにその山にだけ」と捉えるのが妥当なのかな?と思います。
 しかし重要なことは、「御宝町の家を出」た実家付近を「枯野」に変えていることです。「枯野」はいわば虚子のイマジネーションを通したものだったわけです。だから結局、枯野がどのような状態だったのか、日が当たっていたのか日陰だったのかは、結局虚子にしか分からない心象風景であるということになります。

 そのことが、第2句目の「日の当たりたる」に表れているように思われるのです。特に「たる」という助詞は曲者です。「たる」は、「完了」「存続」という相反する意味を持つ「たり」の連体形であるからです。
 私は文法のことはよく分かりませんが、「たる」を完了として捉えると「遠山に日の当たりたる」でいったん切れて、「枯野かな」。日が当たっているのはやはり遠山だけ、作者のいる枯野は日陰ということになりそうです。
 次に「たる」に存続の意味を持たせて読むと、「日の当たりたる枯野かな」となり、遠山はおろか枯野にもまた冬の日が満遍なく当たっているという意味合いになります。

 この句は一読平易で、よく情景が見えてきそうな句です。しかし以上のように意外と難解な句でもあります。「日の当たりたる」をめぐっては、いまだに両方の解釈があるようです。

 (大場光太郎・記)  

|

« 新しき年の始めの | トップページ | 小沢土地問題と押尾事件 »

名句鑑賞」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。