« 川向こう・考 | トップページ | 時の話題(5) »

『龍馬伝』について(1)

 新春3日夜8時から、NHKの今年の大河ドラマ『龍馬伝』第1回が放送されました。全国のお茶の間には好評で、その視聴率は23.2%と好調なすべり出しを見せたようです。一般的に「幕末ドラマでは視聴率が稼げない」と言われているそうですが、さすが「龍馬パワー」、いや龍馬を演じている福山雅治効果を実感されられた感じです。

 ドラマは型どおり、坂本龍馬の生まれた頃から始めるのかな?と思いきや。意表を衝いていきなり時代がずっと飛んだ明治のある時の、鹿鳴館を彷彿とさせる華やかなりし社交場の場面から。最初を見そびれたのでよく分からないものの、明治18年以前のことだろうと思います。
 その催しの主こそ、三菱財閥の生みの親・岩崎弥太郎(香川照之)。明治経済界のドンとして君臨していた岩崎に、ある青年が近づきます。「今時の儲け話ならごめんじゃよ」という弥太郎に対して、その青年は「同郷の坂本龍馬のことを教えてください」と懇願します。弥太郎は一瞬ギクッとしながら、椅子に腰掛けて「龍馬のお。人たらしで女たらしで…。オレは好かんかった」と、どこかジェラシーを滲ませた表情を見せながらも、弥太郎は懐かしげに当時のことを回顧し始めます。(ということは、今では歴史上の人物で人気№1の坂本龍馬も、その頃は「忘れられた幕末人」であったわけです。)
 日本がこのような西欧式の文明開化ができた、その基礎を創ったのが龍馬なのだと視聴者に印象づけ、『ならばこのドラマ今後じっくり観てやろうじゃないの』という気にさせる、なかなかうまい導入だったように思います。

 こうして岩崎弥太郎の回想場面に急転ー。時代は江戸末期、坂本龍馬が生まれた頃に遡ります。龍馬は天保6年11月15日(1836年1月3日)生まれ。ちなみにこのドラマの語り部である弥太郎は、天保5年12月11日(1835年1月9日)と、龍馬よりほぼ1年早く生まれています。所は土佐の高知、幕末動乱はまだ毛ほども感じられず、特に土佐藩では上士と下士のガチガチの身分の違いが強かった時代でした。
 華やかな明治新時代の欧化された舞踏会の場面と比べると、何という前近代的な風景であることか。人々の生活も意識も制度も、諸事立ち遅れていた江戸末期の諸相を綿密な時代考証と共に、リアリスティクに描いていました。

 坂本龍馬も岩崎弥太郎も共に下士の出身、長ずるに従って上士との過酷な階級格差が浮き彫りになる出来事が起きてきます。ただ下士とはいっても、坂本家は財力には恵まれていたようです。坂本家をうんと遡った先祖は才谷村の比較的豊かな百姓で、5代ほど前の先祖が高知城下に出て、質屋、酒屋、呉服屋をはじめ一代で豪商になったもののようです。明和7年(1770年)直海という者の代、郷士(ごうし)の株を買い名字帯刀が許される武士身分となりました。直海が初代坂本家であり、その3代目が龍馬の父・坂本八平(児玉清)です。
 なお坂本家の遠祖は清和源氏の一支族美濃源氏土岐氏の庶家、明智光秀の娘婿明智秀満の末裔との説もあるようです。

 先の夫と母幸(こう)との間には、千鶴(ちづ)、栄(えい)の2人の女子。後に山本家の次男として坂本家に婿に入った父八平(直足)と幸の間には、権平(直方)、乙女そして龍馬(直柔)の二男一女が生まれました。長男の権平(杉本哲太)と龍馬は21歳も年が離れ、龍馬10歳で母幸(草刈民代)が亡くなってからは、すぐ上の3歳違いの姉乙女(寺島しのぶ)が母親代わりを務めることになります。
 こうして豊かな家庭で末っ子として生まれた龍馬は、いわばお坊ちゃんとして両親そして兄や姉達の愛情を一身に受けながら育ったものと思われます。優しく気弱な幼少龍馬を子役(濱田龍臣)はよく演じていたと思います。早くして母を亡くすという悲しい出来事はあったものの、龍馬はこうしてすくすく真っ直ぐに育ち、物事に拘泥しない自由闊達な気質を育んでいったもののようです。歴史を大きく動かす大風雲児龍馬の原点は、そんな幼少時代にあったのでしょう。

 すぐ比較しますが、一方の岩崎弥太郎はどうだったでしょうか。弥太郎は下士以下の地下浪人・岩崎弥次郎(蟹江敬三)の長男です。半士半農というより限りなく全農に近いような、画面を見ていて気の毒になるようなあばら屋の極貧ぶりがよく分かりました。そういう貧に鬱屈した感情が、龍馬に対して「ワシはお主が嫌いじゃ」というセリフになったものなのでしょうか。ただ弥太郎は幼少から勉学好きで、若くして文才を認められていたようです。演じた香川照之は昨年の映画『沈まぬ太陽』の恩地元の後輩、『坂の上の雲』の正岡子規、今回の岩崎弥太郎と、いずれも際立った個性的な演技が光ります。
 同藩であった2人は後年、龍馬が興した亀山社中(海援隊)で共に仕事をすることになります。しかし幼少時2人は、ドラマのようにひんぱんに交流していたものなのかは疑問です。

 ドラマの後半は龍馬の青年時代に移ります。何と弱虫だった龍馬少年は、身の丈174cmもあったという女傑の姉乙女の指南もあって、その頃では剣術道場で抜群の剣の使い手に。同道場には平井収二郎(宮迫博文)など下士の子弟が集まり、リーダー格は武市半平太(大森南)。武市が登場するあたりから、『さあいよいよ幕末動乱が始まるぞ』と予感させられます。

 龍馬はこれまで、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』など膨大な作品や資料によって、一定の「龍馬像」が出来上がっている感があります。しかし分かっているのは龍馬が幕末動乱にあって節目節目で取った行動であり、「どうしてそういう行動を起こしたのか」「その時龍馬はどう考えていたのか」というようなことはあまりよく分かっていないようです。
 そこに「新たな龍馬像」をつくる余地が生まれてきます。福山雅治の龍馬像は、剣の達人でありながら無用な喧嘩はしない。農道で上士にいちゃもんをつけられて「田んぼに下りてひざまずけ」と言われれば黙って泥々になりながらひざまずく。そんな茫洋とした掴み所のない龍馬像を福山はうまく演じていると思います。「韓信の股くぐり」の故事や「我れ志しを得ざる間は忍の一字を守れり」という徳川家康の言葉が思い出されて面白い場面でした。

 しかし上士によって道場に通う下士仲間が辻斬りで殺されるなど、土佐藩の上士、下士の対立は抜き差しならぬ深刻なものとなっていきます。江戸時代とは、土台封建制下での厳しい身分階級社会です。ですから全国的にまた「士農工商」いずれをも問わず、このような階級差別は存在したのでしょう。今では想像すらできない過酷で硬直化した階級社会が200年以上ずっと続いたのです。下々の階層の者には夢も希望もない時代だったことでしょう。

 ただ土佐藩の上、下士族対立は、一種特別だったのではないでしょうか。年末の『坂の上の雲』第1回は同じ四国の松山藩が舞台でしたが、下士の秋山兄弟の場合はそんな深刻な士族間対立は描かれませんでしたから。いずれにしても、この土佐藩の士族間対立が、やがて日本全土に広がって幕末動乱の口火を切ったような感もあり、いよいよ目が離せない局面となることでしょう。
 いずれにしても、幕末という時代は事件に次ぐ事件、動乱に次ぐ動乱の時代です。龍馬はそんな激動の時代の中心的な人物の一人だったわけです。第1回で早くも、『次はどんな嵐を呼んでくれるんだ』と次回が待ち遠しくなりました。

 (大場光太郎・記)

|

« 川向こう・考 | トップページ | 時の話題(5) »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 川向こう・考 | トップページ | 時の話題(5) »