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検察は「聖域」なのか?

 嫌疑者が疑いを晴らすため、「検察と全面的に闘う」のは当然の権利だ

 先週末の石川議員らの逮捕を受けて、鳩山首相と小沢幹事長が善後策を話し合うため協議しました。その中で小沢幹事長は「検察と全面的に闘う」と言い、鳩山首相も「どうぞ闘ってください」と言って励ましたと伝えられています。
 これに猛然と噛みついたのが、野党の自民党や各マスコミです。「公平中立な捜査機関である検察に対して闘うとは何事だ」「捜査に対する政治的介入だ」などと、まあかまびすしく吠えること、吠えること。

 あまりの反響の大きさにとまどった鳩山首相は、「“闘う”とは決してそのような意味ではなく、幹事長としての務めに今後とも一層努力してもらうということだ」などと、弁明にあい努めていました。友愛者鳩山には、このように前言を翻すことがままあります。首相の一言がいかに重いものであるかをよく自覚されて、一度言ったことは断固貫き通すくらいの信念を持って事に臨んでいただきたいものです。そうでないと、検察とマスコミの「官報複合体」をますます増長させるだけです。
 ただ首相には、小沢幹事長の事情聴取を間近に控えたこの時期、いたずらに地検特捜を刺激するのは得策ではないという配慮も働いたのかもしれませんが。

 非難している自民党も大マスコミも、地検特捜が現在の首相や幹事長を怖れていないことなど百も承知のくせして、「捜査への介入」などとよく言うよ、ではないでしょうか?
 小沢一郎が与党幹事長だとしても、現時点の立場では刑事訴追されかねない一個人でもあるわけです。「己の無罪」を信じているのなら、ありとあらゆるエゲツナイ手法を駆使して有罪を立証し起訴に持ち込もうとしている検察に対して、「全面的に闘って」疑いを晴らそうとするのは当然の権利です。権利を表明して何が悪いのか?自民党やマスコミが非難している趣旨がよく分かりません。

 それとも検察は「聖域」である、検察は公正中立、その捜査は絶対・無謬だから、時の首相といえども一切口を挟むなということなのでしょうか?
 当ブログのここ一連の記事でも、東京地検特捜部はいかに問題の多い捜査機関であるかを見てきました。簡単に復習すればー。生まれも育ちもCIA(アメリカユダヤ勢力)の出先機関、従ってこれまでの政治的大物がらみはすべてユダヤ勢力にとって都合の悪い人物の排除目的だったのでした。そして今回の小沢一郎も、その可能性が大なのでした。
 さらには大マスコミも皆悉くCIAの息がかりだらけ。特捜検事が違法なリークを重ね、真偽のほどを精査もしないでそのリーク情報をマスコミが垂れ流し報道する。これはCIAを根っこに持つ、「官報複合体」として当然の連係プレーなのでした。

 以上を見ても、検察はこれまでずいぶん恣意的捜査をしてきたのであり、とても公正、中立な捜査機関などと言えるものではありません。
 また検察の無謬性にも大いに疑問符がつきます。例えばここ2、3年ニュースになっただけでもー。富山県の無実の男性に対して実刑を科したことがありました。また今話題の足利事件でも無罪の菅谷利和さんを17年間も懲役に処すなど、東京地検が犯した冤罪事件は表に出ていないだけでけっこうあるのです。さらには佐久間特捜部長が以前手掛けた福島県知事汚職事件が、部長就任後に最高裁で「全員無罪」が確定し佐久間は赤っ恥をかいています。
 その強引で脅迫じみた取り調べも大問題で、「可視化法案」の今国会での成立が強く望まれます。

 今回の小沢問題をめぐって、18日シンポジウム「『新撰組』化する警察・検察・官僚がニッポンを滅ぼす」が開かれ、著名なジャーナリスト、評論家、有識者が都内神保町の会場に集結しました。パネリストは田原総一朗、大谷昭宏、魚住昭、佐藤優、郷原信郎など。
 白熱した議論を繰り広げた会場は、立ち見客で溢れるほどで「小沢捜査」への関心の高さがうかがわれるものだったようです。

 このたびの小沢問題のように、地検特捜部がどんどん暴走するのは極めて危険です。警察・検察当局には巨大な「裁量権(さいりょうけん)」が付与されているからです。裁量権には2つの側面があります。
 1 犯罪者が存在するのに不問に付す裁量権
 2 犯罪者が存在しないのに無実の罪を着せる裁量権
 これは要は警察・検察の手心一つで、中曽根元総理、森元総理、小泉元総理らの犯罪には目をつぶるというようなことが起こり得るということと、逆に上記の富山県の事件や足利事件のように無実の者を服役させることも起こり得るということです。

 このような巨大な裁量権を有する警察・検察に、その権限を無制限に行使されてはたまりません。ですから警察・検察が暴走しないような「チェック機能」が絶対必要ですし、権限行使に対して「全面的に闘う」姿勢もまた当然の権利なのです。
 本来「チェック機能」は、大マスコミが果たすべきものです。しかし実際は「巨大な裁量権」が、巨大な利権を生んでいるのが現実なのです。マスコミ関係者で、裏金と共に「不問に付された」ケースが相当あるようです。これでは「官報複合体」を持ち出すまでもなく、検察とマスコミとのズブズブの癒着関係からも、「検察批判」などとても望めないわけです。

 前にも述べましたが、検察庁は法務省所属の一行政機関にすぎません。三権分立を定めた司法機関(裁判所)とは違うのです。ですから行政機関のトップである鳩山首相が、一行政機関たる検察庁の行き過ぎた捜査や人事に介入しても何ら問題はないのです。
 「検察に介入するな」というのを敷衍(ふえん)すれば、行政機関である他の「霞ヶ関官庁の組織改革に手出しするな」と言うことになります。そうやって官僚たちは自分の省庁を聖域化して、霞ヶ関改革を断固阻みたいわけです。

 いみじくも森ゆう子議員(民主党)は言ったそうです。「(小沢問題における)一連の混乱は“独立戦争”とみなすことができる。これは検察をトップとする官僚機構と、国民の代表である民主党政権との全面的な戦争だ」と。

 (大場光太郎・記)

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