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2010年3月

アトランティス文明とアメリカ

-米合衆国はアトランティスのカルマを逐一再現する役割の国。要注意である。-

 (本記事は『「蛍の光」は1万2千年前の歌?』と一部重複する箇所があります。)
 アトランティスは大西洋の中央部にあった大陸で、その北東部はヨーロッパに、西部は米国東海岸に、南部は南アメリカの東端に近接していました。初期のアトランティスは、太平洋に位置していたレムリアより少し遅れて発祥しました。アトランティスを興したのは移住したレムリア人、アンドロメダ人など他の星系からの入植者たちとみられます。

 300万年以前の初期から中期にかけて、レムリア、アトランティス両文明は互いの文明の特質をうまく生かして、共存共栄で繁栄していました。しかし中期を過ぎた150万年前以降、特にアトランティス勢力の方がレムリアとの共存を嫌いはじめ、独自路線へと転換し覇権主義を強めていくことになりました。

 時代を下るごとにその傾向は強まり、今から数万年前頃から当時7大陸あったうちのアトランティス、レムリアを除いた後進の大陸との関わり方をめぐって、両文明の対立が目立つようになりました。レムリアは、干渉は最小限にとどめそれぞれの大陸の自主的な発展に任せるべきだと主張したのに対し、アトランティス側は己れの覇権主義を秘めながら積極的に干渉、介入すべきだと主張して譲りませんでした。

 これが次第に抜き差しならない深刻な対立へとエスカレートしていくことになります。そして遂に2万5千年前、アトランティスとレムリアの間で次々に水爆を使用する凄まじい核戦争を引き起こしました。この戦争は両文明のみならず、地球全体に深刻な被害をもたらし、その後の両文明の滅亡へとつながっていきました。実際両文明は、大戦争後互いに徐々に衰退していくことになるのです。本当にどちらの文明側にも、勝者など誰もいない悲惨な戦争でした。

 その後巨大地震などが頻発するようになり、遂に1万2千年前レムリアが一夜にして海中に沈んでいったのでした。アトランティスでもそれ以前から大陸が幾つかの大きな島に分断される天変地異に見舞われ、レムリア沈没時アトランティスの一部も海中に沈みました。

 テクノロジーを異常に発達させていたアトランティスの支配階級は、何十万年も前から「奴隷種族の創造」に手を染めていたといわれています。現代で言う遺伝子工学です。数々のおぞましい遺伝子実験が繰り返され、その過程で、今では神話上の生き物となっているミノタウロス(牛頭人身)やケンタウロス(人頭馬身)なども出現し、それらの生き物が長い期間にわたって地上を徘徊することになりました。

 奴隷種族創出への遺伝子操作のポイントは、脳のシナプスの部分的閉塞とDNA構造の変更です。DNA変更は、本来人間が有していた12鎖のDNA構成を、現在の人類に見られるわずか2鎖のDNA構成(二重らせん構造)に変えたことです。これによって、変えられた人間たち(奴隷種族)は、精神的、霊的能力が極端に低下し、狙い通りに主人たち(支配階級)が“神のような存在”に見えるようになりました。

 他の大陸への軍事的介入、そして自国民や他国人に対する許されざる遺伝子操作…。プラトンの著書『ティオマイオス』にはある神官から伝え聞いた話として、「大昔アトランティスはゼウスの怒りに触れて海中に沈められた」と述べています。その記述はアトランティス滅亡の真実の一端を伝えているとみるべきです。
 結局アトランティスはレムリアの後を追うように、レムリア滅亡の200年後大西洋の海中に沈んでいったのです。

 しかしこれはレムリアのように天変地異によるものではなく、アトランティス支配階級自らが引き起こしたエネルギーの誤用による自壊が原因でした。すなわち自己防衛やコントロールの目的でエネルギー源を強化しようとする実験の過程で、巨大なクリスタルのエネルギー発生及び波動加速装置を暴走させてしまったのです。これがエネルギー崩壊の連鎖反応を起こして大陸全体の壊滅に至りました。さらに地球規模の大規模な自然災害を引き起こすことになったのです。

 アトランティス滅亡の際支配階級の多くはケンタウロスβ星に避難したといわれています。β星は地球との距離が450光年あります。しかし宇宙空間での座標を正確に設定するやり方をマスターすれば、空間移動に距離は何の障害にもならないようです。

 間近に迫った、この地球がステージとなる「宇宙のパーティー」に参加しようと、現在無数の「スペースブラザーズ」が地球上空で待機しているといわれています。彼らはすべてこの方法で地球にやってきているのです。アトランティスのテクノロジーはそのレベルに達していたということです。

 ただ奴隷階級は取り残され、少数の生き残りがすべてを失った原始的な状態の地球上で再出発して、現在の人類の先祖となったのです。
 生き残りの奴隷階級種族は、いわゆる「奴隷根性」が簡単には抜けませんでした。DNA鎖が本来の“12重らせん”から「二重らせん」にまで極端に制限され、その結果自分の本来の「神なる能力」を信じることも、実際発揮することもできなくなっていたのです。何かにつけて“自分の外に”答えを求め外側のモノに頼ろうとしました。

 そのことが王位や宗教に絡んで驚くべき凶暴で悲劇的な出来事も生んでいったのです。また指導者や王や神を外に求める気持ちが、「アヌンナキ」という、シリウスの軌道からそれて太陽系の超長期軌道に紛れ込んできた“二ビル星”の暗黒勢力のコントロールを許すことにもなったのです。
 その結果古代シュメール文明、古代ユダヤの一神教、古代ローマ帝国、ローマカトリック教会そして現代では世界中をコントロールしている現世界システムへと姿を変えながら、現歴史はすべてアヌンナキを軸に世界は回転していくことになったのです。

 ところでケンタウロスβ星に避難した支配階級たちは、ほとぼりが冷めた頃かつての支配の“蜜の味”が忘れられず、またぞろ続々と地球に転生してきました。現在彼らは地球上の各国に存在しています。アヌンナキ暗黒勢力と裏表の関係で、現歴史へ介入し続けて今日に至っているのです。

 現在特に問題なのがアメリカです。というのもアメリカは、アトランティスのカルマを(最終的にキレイさっぱり浄化されるまで)逐一再現する役割を持った国だからです。実際アトランティス支配階級の転生者が、アメリカには特に多いといわれています。
 ハリウッド映画に代表されるエンターテイメント、世界でも突出した軍事技術、そして今やクローン人間も創り出す勢いの遺伝子工学…。それらはすべてアトランティス末期でも盛んだった分野なのです。

 現代は世界中なかんずくこの日本でのアメリカナイズが顕著です。“アメリカナイズ”などといえば聞こえはいいが、それはそのまま「アトランティス末期状態化」だとしたら…。私たちはそういうことにも深く思いを致して、今後ともアメリカとの間合いをうまく取って是々非々でつき合っていくべきです。

 今は「光の時代」に向かいつつある時代です。しかし油断は禁物です。というのも思い出しましょう、両文明が超太古核戦争を起こしたのは、現代と同じ水瓶座にあった2万5千年前です。それも「フォトンベルト」にすっぽり覆われていた真っ最中のことです。「フォトン」の強い(不可視の)光は、個人でも民族でも人類全体でも、奥に隠しておいた闇を強制的、劇的に表面化させてしまうのです。

 ただ今回は、前回とはさまざまな面で違います。アメリカに関して言えば、現在同国は暗黒勢力の本拠地であると共に、それに対抗するように地球上で最も重要な聖地・シャスタ山があります。シャスタ山の地中にはレムリア都市「テロス」があり、地下から地上に光を送り続けてくれています。また同国には特に大勢の「ライトワーカー」も存在しています。

 「光の勝利は確実」だと思われますが、以上のような観点からも、超大国アメリカの今後の動向には要注意です。

 (大場光太郎・記)

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明治大学のこと

 明大が早大を逆転して志願者数初の1位に

 今春の大学受験戦線に異変が起きているようです。受験志願者数トップの座を、明治大学が初めて奪取したというのです。
 明大の10年度一般入試の志願者数は、前年度より1万人近く増えて11万5700人。連続1位だった早大は6000人近く減らして2位に転落。99年度まで首位だった日大は、10万人の大台にも届いていないとのことです。

 少子高齢化社会が既に定着しつつあり、18歳人口が減り続けている中で、明大はどうやって志願者を増やし続けているのでしょうか?
 「受験の機会を増やして志願者数を増やしているのです」と語るのは、ある教育関係者です。「学部別の一般的な入試に加え、地方都市で実施される全学部統一入試、センター試験利用入試(前期、後期の2度)があり、希望者はそのすべてを受験できます。しかも統一試験では、受験科目が重なる学部はすべて併願可能。1回の試験で法学部や政経学部、文学部などを片っ端から受けられる。志願者数が増えるのは当然です」と話しています。

 明大は「イメージ戦略」にも成功したようです。本拠地である駿河台キャンパスでは、10年以上前から校舎の建て替えが進み、古色蒼然としたムードも一新されたようです。
 そういえば私は以前、神田駿河台下の三省堂書店や神田古書街に年に数回通っていました。御茶ノ水駅を降りてすぐがその名も“明大通り”で、下り坂です。その坂道の舗道を下りていきますと、なるほど右手が明治大学の敷地です。当時は見るからに古くさい校舎が連なり、まさに“古色蒼然”。構内には、全共闘の貼り紙や立て看などがあり、薄暗くて何となく陰気な雰囲気が漂っていました。

 そんなだった校舎がパーッと明るく建て替えられたからなのか、明大は今をときめく芸能人たちも増えているようです。例えば、ジャニーズの山下智仁(商学部)や女優の北川景子(商学部)、井上真央(文学部)などです。
 そのようなイメージ戦略が功を奏して、リクルートの“大学ブランドランキング2009”では、「おしゃれな大学」の6位にランクインしているとのことです。また、就職氷河期の現在でも、同大学の就職率は他の大学に比較して好調のようです。

 以下は余談ながらー。私の長い半生で当然のこととして、何人かの明大出身者と知り合ったことがあります。その中でも特に印象的だったのがWさんという人です。
 Wさんとは、今から30年ほど前のお付き合いです。川崎市出身で、高卒後1年ほど市内の工場に勤めたものの、一念発起して明大に進んだということでした。専攻は建築関係、同大卒業後О急建設に勤め、当時E市にあったN工営出身の社長が経営する土木設計会社の社員募集に、私より少し先に応募し採用されていたのです。

 私も採用ということになり、最初の仕事が新東京国際空港公団(当時呼称)内で、成田空港関係の工事積算業務のため出向するというものでした。私は土木設計はズブの素人の上東京勤務も初めて、そこでWさんがチーフとなり2人で行くことになったのです。
 当初1年くらいはアメリカ大使館対面側の、共同通信社ビル内の同公団での職務でした。それから成田空港内(同敷地はずれ)の工事局に移りました。そのため約1年弱、成田市内のアパートでWさんと共に下宿しました。

 Wさんはまだ30少し過ぎ。私より1個年上だけなのに、既に頭髪は薄くなりどちらかというと少し老けた感じでした。妻帯者でもあり、田舎者で世間知らずの私には、業務上のことも含めて、さすが世の中をよく知っている知恵者だなという感じでした。親しくさせていただいた2年弱ほど、この人からはさまざまなことを教わりました。

 同工事局の同じグループに一人の女子職員がいました。一年前の春新卒で採用された人ですから、まだ1年と少しのキャリアです。ある日この女子を交えて、同部署の人たちと何か雑談を交わしていました。
 その時公団職員の誰かが、W先輩が明大卒であることを誉めたのだったと思います。するとすかさず、机の向こう側にいるくだんの女子職員が、先輩に面と向かって「明治大学なんてイモ大学だわよ !」と言い放ったのです。そして次の瞬間、先輩の隣の席にいる私の方を向いて、「ねぇ」と同意を求めたのです。
 なんでだよ、オレにふらないでよ。それにあのぅ、オレはイモ大学どころか高卒なんですけど。
 ちなみに彼女はA学院女子短期大学卒業でした。先輩と女子職員との間で、それ以前に何らかの感情面での行き違いがあったものなのか、知るよしもありません。先輩はただ無言で苦笑いしていました。

 W先輩は、それから1、2年後E市内に一級建築士事務所を開設し、現在に至っているようです。もう今では、明治大学を誰もイモ大学などとは言わないことでしょう。だいぶご無沙汰しておりますが、お元気でご活躍でしょうか。

 (注記)本記事は3月12日付「日刊ゲンダイ」記事を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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暴走メディア歯止め改革案

 この国のより良き未来のため、民主党によるメディア改革は絶対必要だ

 民主党は「INDEX2009」という政策論議をまとめています。この政策集には“マスコミ改革案”がずらりと並んでおり、なるほど大新聞・TV局が狂ったように民主党バッシングを展開している理由が分かってくるのです。
 項目を列挙しただけでも、「NHK本体と子会社の契約見直し」「BS放送波の削減」「マスメディア集中排除原則のあり方を検討」「電波利用料のオークション制度導入」など、TV局が目をむくような改革プランのオンパレードなのです。

 もし仮にこれらを実現されたらTV局は干上がってしまうことでしょう。例えばBS放送波制限はNHKを直撃するし、電波オークションはTV市場に新規参入を促すものとなります。大マスコミがぬくぬくと生きてこられたのは、規制で守られ競争がなかったからです。民主党はそこに風穴をあけようとしているのです。

 ビビッているのは大新聞も同じです。新聞社は監督官庁に左右されないように見られていますが、読売が日本テレビに、産経がフジテレビに、朝日がテレビ朝日に出資し、系列全体でうま味を分け合っています。だからダメージが大きいのは同じで、彼らは運命共同体であるのです。
 そのため大新聞、TVが一体となって、小沢幹事長や鳩山政権を叩きまくっているのです。「政治とカネ」や北教組事件、生方問題、中井公安委員長の女性スキャンダルなど、次々にバッシングのタネを探してきては、ネチネチと執拗に突っついてくるわけです。

 ジャーナリストの神保哲生氏はこの状況について、「原口一博総務相は講演や有識者会議で“既得権益を壊すのが私の仕事だ”と明言しています。その対象が大手メディアであることは歴然です。民主党はさらに、彼らを支えているスポンサー大企業の“優越的地位の乱用”も独禁法強化などで規制しようとしている。直接的にも間接的にも大打撃を受ける大手メディアの警戒は相当なものです。特に怖れているのが、記者クラブ制度や再販制度の見直しです。
 そして特定資本がTV・新聞など複数のメディアを所有する“クロスオーナーシップ”の規制です。(アメリカなど)先進国では禁止している国も多く、それを容認している日本は世界でも極めて特殊な位置づけです。日本の大手メディアは、そこに手を突っ込まれるのを何としても阻止したいのです」と話しています。

 こんな民主党に対して自民党時代がいかに居心地が良かったか。大新聞各社屋は政府から等価交換などで国有地を払い下げを受け、本社ビルを建てることができたし、戦前に何百社もあった新聞社は言論統制で大手新聞社に集約されました。
 これを自民党政権も維持したうえ、田中角栄が大新聞とTV局を株式交換などで結びつけて系列化したことで、さらに巨大化、寡占化に拍車がかかり、大マスコミは戦後60余年、自民党政権下で我が世の春を謳歌してきたのです。

 大マスコミにとって好都合なのは、政権交代間もない民主党を潰すのはそう難しくないことです。メディアは小沢一郎ひとりを叩き潰せばいい。剛腕幹事長さえ失脚させれば、鳩山首相も一蓮托生、さらに民主党の選挙戦略はガタガタになる。参院選での単独過半数さえ阻止すれば何とかなる。そうすればゾンビのような谷垣自民党にもわずかな活路が見えてくる。そのように読んで、執拗に小沢だけを集中攻撃しているのです。

 つい先頃の「生方問題」でもそうです。メディアにしてみれば、渡りに船と言うものです。生方サイトが流したのか、幹事長室で高嶋良充筆頭副幹事長が生方に副幹事長辞任を迫るやりとりの録音までTVで流され、小沢バッシングはよけい煽られました。元々生方という御仁、これまでも何かとトラブルメーカー的で民主党内でもあまり評判が芳しくない人物のようです。今回の件は、メディアと売名行為に走った生方がタッグを組んだとしか思えない見事な連携ぶりでした。

 結局生方更迭は撤回されましたが、その裏でメディアは「しめしめ、これで小沢辞任を求める世論ポイントがまたハネ上がったぞ」とほくそ笑んでいることでしょう。「言論弾圧を排す」などとキレイ事を言ってはいますが、要は小沢を叩き、民主党政権を潰し、既得権益を守りたいだけなのです。
 「悪徳ペンタゴン」の一角である大新聞・TVの、薄汚い思惑が透けて見えてくるようです。

 (注記)本記事は3月25日付「日刊ゲンダイ」一面、二面記事の2/3くらいを、ほぼまるごと引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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当世学習院事情など

 学習院はともかく。私立校の方が公立よりも“学級崩壊”は深刻らしい

 今月上旬野村一成東宮太夫の会見により、国内はおろか広く海外にまで報道されてしまった「愛子さま不登校問題」。学習院初等科は16日に終業式が行われ、愛子さまは全体の式にはご出席されなかったものの、クラスの方にはご出席されたもようです。
 それ以後は春休みとなり、愛子さまご自身にとっても、問題を起こした児童たちにとっても、学校側にとっても、ひとまずしばしの“水入り”となった格好です。休みが明けると愛子さまは3年生となり、クラス替えが行われます。特に愛子さまのクラスは、新しいクラスメートも含めてどのようなクラス構成にするのか、今学校側は必死で思案中のことでしょう。

 さて今回の不登校問題では既報のとおり、学習院と宮内庁の両者の対応のまずさを指摘する声が高まりました。この問題について、例によって“ネット版世論調査”ともいえる「J:COM投票」では、「愛子さま不登校、悪いのは?」という投票を実施しています。その結果では「学習院…53%」「宮内庁…47%」と、わずかに「学習院が悪い」が多い結果となっています。
 その内容としては、「問題児童を何とかすべきだった…31%」「学習院の方が悪いが、宮内庁も問題だ…29%」「皇族を預かっている自覚が足りない…17%」「学習院で“学級崩壊”なんて許せない…10%」などとなっています。

 問題が一段落して、現学習院院長の波多野敬雄氏(78)が某民放テレビ局のインタビューを受けていました。それによりますと、同氏もかつて学習院で学んだ経験から、代々学習院では、現天皇陛下や現皇太子殿下をはじめ皇族といえども特別扱いせず、他のご学友を混じえた普段着の交流の中で、時にはふざけ合い互いに“あだ名”で呼び合うなど自由な校風で通してきたそうです。
 同氏はそれを踏まえても、「普段は東宮御所で立派な大人たちに囲まれてお育ちになった愛子さまは、やや感受性が強いところがおありなのかなあ。だったら今後は、もう少しその面を考慮しなければならないのかもしれない」と語っていました。

 ところで波多野院長はインタビュー中、野村一成東宮太夫(69)に対して、「野村」「野村…野村太夫」などと呼び捨てにしているのが気になりました。しかしこれには訳があったのです。波多野氏は、学習院高等科卒業後東大法学部そして外務省に入省の経歴があったのです。最終的には国連大使も務めています。
 対して野村太夫も、東大法学部を卒業後外務省に入省、最終的には在ロシア連邦大使を務めたのでした。つまり波多野氏と野村氏は、東大法そして外務省で先輩、後輩の仲だったわけです。

 余談ながら。現在の波多野院長は第25代院長です。そもそも学習院は、前身が明治維新の20年ほど前の1847年(弘化4年)京都御所日御門前に、皇族の学問所として「学習院」が開講したのが嚆矢(こうし)のようです。以後明治維新で明治天皇が江戸城に移られたのに伴い学習院も東京に移りました。それ以降皇族、華族の子弟が学ぶ学校という伝統を受け継ぎ、今日に至っています。
 院長の中には、昨年末のNHKドラマスペシャル『坂の上の雲』第1部で早くも登場した、乃木希典が第10代として院長を務めたことがありました。

 乃木希典が院長になったのは、明治天皇がひそかに後継者と定めていた裕仁親王(後の昭和天皇)の教育係として乃木をご指名になったからです。明治40年(1907年)1月31日のことでした。時に乃木希典59歳。
 乃木の教育方針はどんなに高貴な身分の子弟に対しても、厳然たる教化第一主義をもって臨み、自らが撃剣、水泳、遊戯そして遠足をも共にしたといいます。また暑い真夏に乃木院長自らが上半身裸になり、泥だらけになりながら校内の草むしりを率先し、華族の子弟たちもいやでも右ならえせざるを得なかったとか。

 乃木希典が当時の国民に衝撃を与えたのは、大正元年(1912年)9月13日明治天皇の大葬の日、婦人と共に殉死したことです。裕仁親王は平生から乃木を慕い、乃木も聡明な親王に陽明学を学ぶよう勧めたりしていたといいます。そして殉死の前日乃木は、親王に自ら写本した山鹿素行(江戸時代前期の儒学者)の書を渡し、この本がいかに素晴らしいかを説き熟読するよう言い渡したそうです。
 当時弱冠10歳だった裕仁親王は、乃木のただならぬ気配に『これは遺言だ』と気づき、思わず「閣下はどこかに行ってしまわれるのですか?」と尋ねられたといいます。昭和天皇は晩年まで、生涯で最も尊敬する人物として乃木の名を挙げ続けておられたそうです。 

 「週刊文春」によりますと、愛子さまの“ご学友”の中には、「ファック ! シット !」といった放送禁止用語を叫びながら走り回る大柄な男子児童がいたよし。愛子さまはかつて靴を履き替える時、この子に後ろから髪をつかまれたことがあったといいます。これ一つ取ってみても、もう学習院とて聖域ではなく、子供たちのモラルは普通の小学校と変わらないレベルまで落ちているものと推測されます。
 それでなくても感受性の強い愛子さま、そして愛子さまはひょっとして未来の天皇(女帝)になられるかもしれないお立場です。いくら自由の校風とはいえ、学習院ももう少しご学友たちのモラル向上に腐心してもらいたいものです。

 ところで、現在首都圏の私立小学校には毎年2万人以上の子どもが進学しているそうです。しかし「私立だから安心」はもう全くの幻想であるようです。
 子どもの不登校や引きこもり問題に取り組むあるNPО法人所長は、「実は、いじめの相談は公立より、私立の進学校に通う子どもの方が圧倒的に多い。しかも、“お受験”して賢かったりする分、悪知恵がはたらき、悪質かつ陰湿なケースが目立ちます」と話しています。

 それを裏づけるように、文科省が発表する小学校の暴力行為の発生状況でも、<生徒間暴力>の発生学校数の割合は、公立が4.8%に対して、私立はその2倍近くの8.7%に上ります。さらに<器物損壊>は公立2.8%に対して2.5倍の6.8%にも上っています。
 しかし同所長は「特に私立はこの程度で済むとは到底思えない。信憑性は低い」と言い切っています。イメージ重視の私立の場合、いじめの実態を巧みにカモフラージュしてしまい、なかなか表面化しにくいというのです。

 今や学習院にまでその兆しが見えはじめた、名門私立の学級崩壊。その病根は深く、一学校にとどまる話ではありません。子供たちは今の社会の歪み、ひずみを鋭敏にキャッチして、如実に映し出す鏡のような存在です。かなり以前の1990年代後半、かつて教育現場に身を置いていたある人が、「子どもたちが“ハルマゲドン”を一番強く体験している」と語っていたことを思い出します。
 問題を起こした一児童あるいは学校の改善は当然のこととして、広く教育分野さらには社会全体の抜本的立直しがなされない限り、各学校に広がり続ける学級崩壊をはじめとした子どもたちの諸問題は、真に解決されないのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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三月の甘納豆

    


         坪内 稔典

  三月の甘納豆のうふふふふ

…… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 坪内稔典(つぼうち・としのり) 昭和19年愛媛県西宇和島郡生まれ。立命館大学卒。高校時代から「青玄」に投句。「日時計」などの同人誌を経て昭和62年から「船団」を発行、現在に至る。句集『落花落日』『猫の木』など5冊。評論集『弾む言葉・俳句からの発想』『俳句-口誦と片言』『正岡子規-創造の共同性』などがある。京都教育大学教授。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 まあ何というふざけた俳句なのでしょう。自由俳句かなんだか知らないけれど、こともあろうに名のとおった俳人が「三月の甘納豆のうふふふふ」とは。坪内稔典先生、少しふざけすぎていませんか?と言いたくなりそうです。
 しかし甘納豆の幾つかを口にほおばり、噛みしめるとその甘味がトロッと口中に広がっていくように、この句の持つ俳諧味、おかしみがじわっと広がってきて、つい一緒に「うふふふふ」と笑ってしまいます。

 そもそも「三月の甘納豆」とはどんな甘納豆なのか。ごく普通なはずの甘納豆に「三月」という季節、季語を冠した、その意味合いは何なのか。今その甘納豆はどんな状況に置かれているものなのか。そしてそれがどうして「うふふふふ」なのか。
 作者の坪内稔典が「実はこうなんだよ」と説明でもしてくれない限り、本当のところ読み手には金輪際解りっこありません。そして通常、俳句は5・7・5の17音だけで完結していて、その他の余計なことは黙して語らない文芸なのです。

 読み手がもっと知りたいと思うことを何も教えてくれない、いや教えなれない。ずいぶん不親切ですが、それはわずかに17音だけという超短詩形である俳句の限界であり、宿命でもあると言えます。
 しかし取りようによっては、その限界というものが実は限界ではなく、いくらでも解釈が広がり、想像力を自由に羽ばたかせてくれる詩形でもあると言えるとも思います。

 例えば三月といえば、寒さも緩み暖かさを取り戻し、そろそろ山も笑い初(そ)める季節です。春の陽気につい誘われて、そこらへんの甘納豆も「うふふふふ」と笑っているように感じられたということなのか。
 あるいは三月はまた“ひなまつり”の季節です。家の中に立派に飾り付けられた雛壇の前で、その家の女の子が何人かの友だちとキャアキャア笑いころげ夢中になって遊んでいる。雛壇に供えてある甘納豆がそれを見て、つられてつい「うふふふふ」なのだろうか。

 人それぞれに、想像する「うふふふふ」の状況は少しずつ違ったものとなることでしょう。しかしいずれの場合も、「三月の甘納豆のうふふふふ」は、つかの間ではあっても人の心をぽっかり和ませてくれる笑いであることに違いはないようです。

 坪内稔典という俳人は遊び心十分の人のようで、「甘納豆」を一月から十二月までシリーズ化しています。その中でも今回の「三月の甘納豆」が特に出色です。
 いつしか、甘納豆が「うふふふふ」と笑うにはやっぱり三月をおいて他にないよな、と思えてくるから不思議です。

 (大場光太郎・記)

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三月の雨-横浜寸描

  横浜の雨に打たれし薺花(なずなばな)   (拙句)

 春彼岸中日未明の大嵐が代表例で、その前もその後もぐづついた天気が続いています。今年の3月はすっきりした春日和が少ない、あまり日照時間に恵まれない月であるようです。比較的良い天気が続いた去年の春とは好対照です。

 確か今年のこれまでのパターンとよく似ていたのが、おととしの春の天気でした。おととしといえば当ブログを開設したのが、同年4月29日のこと。当座はどのような記事を書けばよいかと手探り状態で、取りあえず無難で書きやすい身辺雑記、日々のお天気の報告文、折々の身近な自然観察文などが主でした。
 中でも気象のことはよく記事にしていました。その記憶をもとに振り返ってみますと、おととしも3月から5月にかけてずいぶん雨がちな春だったように思います。例えば午後本厚木駅に出かけるのに、『曇ってはいてもまさか雨は…』と傘を持たずに行ったところ、夕方6時過ぎから猛烈な雨に見舞われ、往生したことが2、3度あったことなども当時の記事として残っています。

 おととしは春が梅雨の先走りのような様相で、そのまま本梅雨になだれ込んだ感じでした。梅雨が明けなかった7月20日頃、突如夕刻から夜にかけて大驟雨、大雷に見舞われ、当地では近年珍しい夜の停電も2度ほど経験しました。
 その分真夏は涼しかったかと言えばさにあらず、8月はけっこうな猛暑になったのでした。かえって春が比較的穏やかだった去年の方が、真夏は曇天の日が多くさほど暑くない過ごしやすい夏でした。
 今年はまだ3月ですから何とも判断のしようもありませんが、このままぐづつきがちの春、猛暑の真夏というおととしのパターンをなぞることになるのでしょうか?
                        *                           
 さて本日(25日)もけっこう本降りの雨となりました。そんな中午後から横浜に行ってきました。業務の都合上、神奈川県庁の一施設である県行政資料センターで調べものをするためです。本日は横浜駅から一つ目の桜木町駅で降りて、そこから同施設まで3km弱くらいの道を県庁方向目指して歩くことにしました。

 同駅のホームから長い階段を降りていきますと、白い側壁に何やら昔風の大きな写真の複製が壁面にプリントされています。見ると横浜市街の時代ごとの変遷を紹介した写真のようです。都合5枚ほど、本当は下が古くて上に行くほど新しいのですが、降りていく私は逆に時代を昔に溯っていく感じになります。
 1970年代頃までのものは、私にも何となくなじみがあります。しかしそれから1950年代、1930年代ともなると、モノクロでいよいよセピアがかったものとなり、もう私など知らない昔の町並みです。しかしなぜか、古い町並みの方に何ともいえないノスタルジックな懐かしさを感じたのでした。

 昔懐かしい写真の余韻覚めやらぬ間に、自動改札そして駅構外へと人の波に押し出されました。やはり外はけっこうの雨です。いつもの通り左手にランドマークタワービルがひときわ高く聳えています。いつぞやも触れましたが、こんな雨の日には同ビルの天辺付近は、大山の頂上付近のようにガス状の霧が薄くかかっています。そのさまはさながら町の中に突如現われ出た“マウント・ランドマーク”といった感じです。

 業務上横浜の官庁街に時折り通うようになって10余年になります。それからも“みなとみらい21”開発プロジェクトのせいか、通りの景観はだいぶ変わりました。古い倉庫が立ち並んでいた辺りは、その旧倉庫がすっかり取り壊されて見違えるような洗練された超近代ビルに生まれ変わりました。
   横浜の桜木町に桜なし
 ずい分前の拙句です。実際桜木町近辺そしてこれから行く県の施設辺りには、大通りの街路樹は別として、桜の木どころか普通の木々も申し訳程度しか見当たりません。降りしきる雨の中、道行く人はぽつりぽつりと。小さな四角い石を敷きつめた、濡れた石畳状の路面を歩きながら、『21世紀は自然との共生都市がテーマですよ』などと、要らざることを考えたりしました。

 目指す資料センターは、県の新庁舎の裏手、こちらからはその手前に当たります。同資料センターの2階で必要資料を借りて、閉館ぎりぎりの5時15分少し前まで調べたりメモ書きをしたりしました。

 帰路は一旦本庁舎前の大通りまで出ます。何度か当ブログで紹介しましたが、同庁舎は昭和初期建造の“王冠様式”という珍しい建物、その昔は“横浜三塔”の筆頭格の「キング」と讃えられました。降りしきる薄煙りした夕雨の中、ただでさえシックな建物がよけいくすんで渋く見えます。
 大通りを右折して目指すは関内駅方面です。通り沿いには古い建物も多く、本庁舎の少し離れた対面側の、これも横浜三塔の一つの「クイーン」の開港記念会館前の舗道を通ります。そこから少し離れて、舗道沿いに「岡倉天心生誕之地」という平板で大きな横長の記念碑が建っています。岡倉天心は、明治期英語版『茶の本』などで日本美を諸外国に広め、現東京藝術大学の創始者の一人だった美術家、美術史家です。記念碑中央部には岡倉天心の胸部から上の横向き肖像レリーフがあります。

 そうして歩いていると、舗道ととある敷地の間のわずかな隙間から、名も知らぬ草と共に故郷の野辺でもよく見かけた薺(なずな)が、雨に打たれて青々とした葉を四方に精一杯広げている姿を発見しました。
 都会の中のほんの1、2センチの隙間であっても、草々はそうやってしたたかに生え出てくるわけです。

 なおも歩いていますと、反対側に横浜スタジアムが見えてきました。明日(26日)からセリーグ開幕、昨年はダントツの最下位だった横浜ベイスターズ、そのため阪神と京セラドームでアウェースタートとなります。尾花新監督のもと、今年はどんな戦いぶりを見せてくれるのでしょうか?
 圧倒的な戦力からして、どうせ今年も巨人のぶっちぎりのセ界制覇、日本一もV2かと思うと、根っからのアンチ巨人の私などは開幕前から興ざめというものです。野村ID野球の継承者の一人・尾花高夫よ。去年まで在籍していた巨人情報をもとに各選手を丸裸にして、原巨人に一泡も二泡も吹かせてペナントを面白くしてやってくれ ! 「頼むぜよ !」と龍馬もそう言ってるぜよ。

 同スタジアムは球場以外も広大な市民公園になっていて、豊かな樹木で覆われています。おおむねは冬でも枯れない広葉常緑樹ですが、中に1、2本ケヤキでしょうか、うすく萌黄色に芽吹き初(そ)めた若々しい色の木が見られます。中でも目を引くのは、強いピンク色の花を満開に咲かせている木が2本、そしてそのお隣にありました、ソメイヨシノの桜の木が。見たところまだ2、3分咲きくらいのようです。
 そんな春のさまをしかと見届けながら、私はスタジアムとは対面側のコーヒーショップ“ヴェローチェ”の中へと入っていきました。

 (大場光太郎・記)

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『蛍の光』は1万2千年前の歌?(6)

 (まとめ)1万2千年前の『蛍の光』の再会が成就する「時は今」 !

 本シリーズ(1)から(5)まで、レムリア文明、2万5千年前のアトランティスとの大戦争、1万2千年前のレムリア沈没、シャスタ山内部の地中都市「テロス」のことなどを述べてきました。今回はまとめとして、レムリア沈没時神官・女性神官によって歌われたという、『蛍の光』(オールド・ラング・サイン)の意味について考えてみたいと思います。

     レムリアが完全に沈む前に予言がなされた。
     ある日、いつか遥か遠い未来で、
     私たちは大勢で集まって、
     この歌を再び歌うであろう。
     その時完全に分かっているだろう、
     「地球の勝利」が得られると。
     
 「予言」をしたのは多分「スピリチュアル・ハイラーキー」で、そこからレムリアと運命を共にする道を選んだ気高い神官らに伝えられたのものと思われます。
 スピリチュアル・ハイラーキーとは、地球上空のエーテル領域に存在する「シャンバラ」にあって、レムリア時代から地球上の人類進化を大局的に見守り続けてきた“霊的聖師団”です。サナート・クマラ(鞍馬寺の“魔王尊”)、ロード(主)・マイトレーヤー、ロード・サナンダ(イエスキリスト)、ロード・ブッタ(仏陀)、クァンイン(観音)、聖母マリア、エル・モリア大師、クートフーミ大師、聖ジャーメインなどのアセンデット・マスター(次元上昇した覚者)によって構成されています。

 「ある日、いつか遠い未来で/私たちは大勢で集まって/この歌を再び歌うであろう」
 これが予言の内容です。私たちには想像だにできない高い意識レベルに到達している光のマスターたちには、レムリア滅亡のことも、「いつか遥か遠い未来」のことも明らかに見通せているわけです。(たとえ“滅亡”が見通せていても、地球人に教訓を学ばせるため要らざる介入はしないのです)。この予言によりますと、レムリア沈没時共に沈んだ神官・女性神官そして300万レムリア人たち、さらにはシャスタ山の地中都市に避難した「テロス」市民たちが、共に「大勢集まって、この歌を再び歌うであろう」というのです。

 「その時完全に分かっているだろう/“地球の勝利”が得られると」
 その“再会の時”である「地球の勝利が得られる時」というのは、いつのことなのでしょう?レムリア滅亡から1万2千年間、この地上でそんなチャンスがなかったことは確実です。何しろ有史以来、戦争の合間につかの間の平和が訪れる程度の暗黒史的状況をたどって現代に到っているわけですから。
 
 しかし「今この時」は違います。宇宙的サイクルが「時は今 !」であることを告げているのです。すなわち太陽系が“黄道十二宮”を一巡する“1プラトン年”の「約2万6千年のサイクル」がちょうど原点に戻ろうとしているのです。レムリアとアトランティス両文明が滅んだのは“獅子座の時代”に太陽系と地球が位置していた時のことでした。
 そして今は、ちょうど真反対の「水瓶座の時代」に太陽系と地球が入りつつあります。「水瓶座」(アクエリアス)は、これまでの“魚座2千年”の精神性と物質性の対立の時代から、両者のバランスが取れて「霊性文明」が花開く時代なのです。

 また水瓶座の2千年間は、最近一部で関心が高まっている「フォトン・ベルト」に太陽系と地球が丸ごと浸りきる時代でもあります。今回詳細説明はできませんが、「フォトン・ベルト」とは「(不可視の)高次元の光の帯」を意味します。
 フォトン・ベルトに包まれると何が起きるか?地球はこれまで1万年以上の「夜の時代」を脱し、「昼の時代」になるということです。内側に「闇」を抱え込んでいる勢力、組織、人物はこの地球上に存在できなくなるのです。

 これはまことに喜ばしいことなのではないでしょうか?レムリア、アトランティス滅亡による地球人類の大混乱の隙に乗じて、地球を乗っ取り、人類の完全支配を目論んできたのが「アヌンナキ」を中心とする地球外暗黒勢力です。「彼ら」に憑依(ひょうい)されているイルミナティ暗黒結社、デビット・RFなどの偽ユダヤ勢力、各国政府・各分野要人、それらによってコントロールされている現世界システムの諸機関、これらがすべて根底から崩壊するか、根本からの変革を余儀なくされるのです。
 そして人類を有史以来さんざんな目に遭わせてきた「アヌンナキ」暗黒勢力そのものが、地球から去らざるを得なくなるのです。
 「夜明け前が一番暗い」。今はそうは思えなくても、「地球の勝利が得られる」のは確実なのです。

 今回本シリーズをここまでお読みくださった方々、レムリア沈没時の物語に心を熱くされた方々、「テロス情報」に何となく懐かしさを感じられた方々。皆様は「レムリア」とご縁の深い魂の方々かもしれません。
 間近に迫った「再会」はまずもって、沈没時共に海中に沈んだ同胞との「遥か遠い未来」である今生(こんじょう)における再会です。そしてアダマをはじめとしたテロス市民もまた、懐かしいレムリアの同胞であり家族たちです。「テロス」との再会の時、それは別々の進化の道をたどってきた地上と地中両文明の融合の時でもあります。

 ただしそのためには、私たちの意識レベルを「愛、平和、調和、喜び」に向かって上げ続けなければなりません。「5次元」とは言わずとも、「4次元の2/3以上」の意識レベルに到達することが求められているようです。そうでなければ、諸般の事情によりテロスの人たちは地上に姿を現わすことができないとのことです。
 そして「意識レベルの向上」こそが、宇宙でも稀なるイベントと言われる「ガイア・アセンション」(地球全体の次元上昇)から落ちこぼれないための必須条件でもあるのです。
 後2年半強と迫った、マヤ予言の「2012年12月22日」はやはり無視できないのでは?と私は考えます。心静かに急ぎたいものです。  ー  完  ー

 ※ 参考文献など
  『レムリアの真実』(太陽出版 著:オレリア・ルイーズ・ジョーンズ 訳:片岡佳子)(同著の姉妹本『レムリアの叡智』『新しいレムリア』)
  『ついに実現した地下存在との対話』 (徳間書店 著:ダイアン・ロビンス 訳:ケイ・ミズモリ)(姉妹本『超シャンバラ』『空洞地球』)
  拙詩『遥かなるレムリア』

 (大場光太郎・記)

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『蛍の光』は1万2千年前の歌?(5)

 シャスタ山の地中都市「テロス」の概要

 シャスタ山の内部に存在するという地中都市「テロス」について、本文だけでその全貌をお伝えすることはとてもできません。ここではその概要のみご紹介してみたいと思います。

 テロスはシャスタ山の中腹から地下1マイル(1.6km)にまで及んでおり、それぞれが数平方マイル規模の「五層構造」になっているそうです。各層はれぞれ利用目的が異なり、五層全体で約200万人が暮らしているといわれています。
 最上層はテロスの中枢部で、中央にピラミッド型の大神殿(最上部に金星から贈られた「生ける石」の光る冠石がある)で、その周りに公共の建物があり、大多数のテロス市民が暮らしているそうです。
 上から二層目は製造と教育活動の場であり、ここで暮らしている人々もいるそうです。3番目の層は市民の食糧供給を支える水栽培場、4層目は半分が水栽培場と残りは自然。一番下の層は自然の階層で、湖、巨木、公園があり、レムリア時代からの動物たちもここで暮らしているといいます。すべての動物は肉食を止め攻撃性をなくし、子羊とライオンが仲良く遊んでいる光景を目にすることができるといいます。またここには絶滅から救った動植物もたくさん存在し、テロス市民の格好の憩いの場となっているそうです。

 太陽の光が射さず、岩盤で閉じ込められた地中都市や地底都市など本当にあり得るの?というのが私たちの率直な疑問です。最も肝心な採光や換気はどうなっているのでしょうか?しかしこれらはレムリア以来のテクノロジーの応用により、すべて解決しているようです。
 例えば「採光」です。これはクリスタルを高度に再結晶化させることにより、強い光を発する「小さな太陽」の役割をさせているようです。これは約50万年間消えることなく光り続けられるといいます。昼夜の切り替えもあるそうです。換気についても地中を循環、浄化させるシステムにより、地上のように大気汚染された空気ではない純粋な空気が十分に行き渡っているようです。

 テロスは他の地底都市との交流も盛んに進めているようです。やはりアトランティス滅亡を逃れた人たちが移り住んだ、ブラジルのマットグロッソ台地の下の都市「ポサイド」とは特に、姉妹都市として交流が盛んなようです。
 両都市を行き来するのに高度な地下トンネルが設けられ、時速4,800kmの超高速で走る電磁力列車が通っており、わずか2、3時間で到着できるといいます。(なお地底都市は、この日本列島の下にも存在しているそうです。)

 テロスは、レムリアからの「神殿政治」をそのまま継承しているといいます。頂点にラーとラーナ・ムーというレムリア以来の王と王女のツインフレーム(魂の同伴者)がおり、次いで男女6組のアセンデッド・マスター(次元上昇した覚者)で構成される「12人評議会」が、テロス内のすべての政治的決定を行っているそうです。ほとんどは12人評議会で決定され、特に難しい問題のみ王、王女ペアが最終判断するシステムのようです。

 12人評議会を束ねているのが「大神官・アダマ」という存在です。アダマが中心となって、最近地上の縁の深い少数の人にテレパシーで重大メッセージを寄せてきています。そのおかげで、本シリーズの紹介も可能となったわけです。
 なおアダマについては、スピリチュアル・ハイラーキー(霊的聖師団)の一員であるロード・サナンダが、「アダマは大きなことを計画している。この惑星に重大なことで彼の名前が知られるようになるだろう」と予告しています。サナンダとは「永遠の至福」という意味で、2千年前イエスとして最後の転生をした存在です。

 とにかく12人評議会と王、王女のペアによる判断は完璧で、極めてシンプルなこの意思決定機関に不服を唱えるテロス市民は皆無だといいます。(下部にさらに12人評議会があり、上部意思を各市民に伝達している。)
 地上のように、役立たずの何百人もの国会議員、夥しい数の都府県市町村議員、自分たちの利益最優先の膨大な中央官僚、地方公共団体のお役人など、国民をがんじがらめに規制、呪縛するだけの七面倒なシステムなどないのです。にも関わらず、テロスでは極めて成熟した平和な社会が保たれているわけです。

 ついでに申せばー。テロスには、軍隊組織、警察、裁判所、監獄、税務署、病院、医師、宗教組織、風俗産業など、地上には必要不可欠な組織や施設も一切ないといいます。またテロスでは貨幣経済を最初から採用しておらず、会社組織や株などといった経済システムが存在せず、納税の義務すらないのです。それでいて市民たちは、高度な物々交換により必要なものはすべて手に入るシステムのようです。

 これ一つ取ってみても、テロスはさながら「天国」か「楽園」のような社会なのではないでしょうか?アダマをはじめとするテロス市民が、1万2千年間地中での生活を選択してきたのは、「平和」を壊されたくないためだったようなのです。
 地上では古今東西どれほど悲惨な戦争が繰り広げられてきたことか。それに地上では、地震や水害などの自然災害にも頻繁に見舞われます。さらに地上では1万年この方、地球乗っ取りを画策してきた「アヌンナキ」などの地球外暗黒勢力による、息苦しい人類コントロールが続いてきました。
 
 アメリカ政府の奥の院(暗黒勢力)は、ずっと以前からテロスの存在を知っているといいます。次元的シールドに阻まれて目的を達成できなかったものの、一時はテロス探索も決行したといいます。UFОやE.T.などもそうですが、「彼ら」の人類支配が根底から覆ることになる肝心要の情報は絶対公表しないのです。
 対してアダマたちも、アミノ酸をベースとしたコンピータシステムなどにより、地上の出来事を詳細に把握しているそうです。のみならず、銀河系や宇宙全体の情報にも精通しているといいます。もし必要がある場合は、地上の全人類の一人一人の詳細情報も知り得るそうです。

 アダマたちの説くところでは、まず大前提として「平和」な環境が確保されないと、人間は真の意味での進化は達成できないということです。そのためテロス市民は平和を何よりも最優先し、多少不便な地中都市に住み続けてきたのです。
 それによって今では、テロス全体がレムリア全盛の頃のように5次元に上昇しているといいます。つまり私たちが近未来迎えることになる、地球全体の「アセンション」(次元上昇)を、テロスではとうの昔に既に達成しているのです。ただし通常は物質的身体を保っていて、必要な場合は3次元的に姿を現わすことも可能なようです。

 かと言って、テロス市民は“愚者の天国”のような、平和ボケした怠け者かというとさにあらず。地上の私たちよりずっと強健で美しく、身長は2m以上、活力と創造性に溢れた日々を送っているといいます。
 病人や老衰した者など一人もおらず、全員40歳以下に見えるそうです。平均寿命は数千歳にも及び、中にはアトランティスとの大戦争やレムリアの滅亡を経験した3万歳の人もいるといいます。そんな人でも35歳くらいの若々しさを保っているそうです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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『蛍の光』は1万2千年前の歌?(4)

 レムリア沈没を見越して、シャスタ山に「地中都市」を建設した人々がいた !?

 レムリアが海底に沈んだ1万2千年前、約300万のレムリア人が命を落としたといわれています。それは当時のレムリアのほぼ全人口に相当しました。しかしその時レムリア人のすべてが滅びたわけではありませんでした。
 2万5千年前のアトランティスとの大戦争後、スピリチュアル・ハイラーキー(霊的聖師団)からの「滅亡予告」を真剣に受け止め、その時に備えてひそかに準備を進めていた人たちがいたのです。

 それらの人たちが滅亡時の避難場所として選んだのが、現在のアメリカ合衆国カリフォルニア州北部のシスキュー地域の名山「シャスタ山」だといいます。シャスタ山はシエラネバダ山脈最大の山ですが、1万2千年以前のレムリア大陸にあってその東端部に位置し、この山付近一帯は滅亡後も残ることが分かっていたのです。
 一部レムリア人たちがシャスタ山を探索した結果、山中にドーム状の空洞があることを発見したのです。そこを改良、改造することによって十分生存可能であることを確認し、彼らは「アガルタ・ネットワーク」中枢部に対して、シャスタ山内部に「地中都市」を建設するための許可を求めました。

 同都市建設にあたっては、彼らレムリア人たちがそれまで(レムリア後期)の圧制や戦争から十分教訓を得てきたこと、今回の地中都市建設は、滅亡に伴う被害からレムリアの記録や文化を守り後世に残すためであることなどを、同ネットワーク及び銀河連邦に願い出て許可を求める必要があったのです。
 ここで「アガルタ・ネットワーク」とは、それ以前も地中・地底に存在していた諸都市を一つに結ぶネットワークのことです。4万年以上前に地上から姿を消し地底に移住していた“ハイパーポーリア人”がその中枢を担っているようです。

 同ネットワークに加盟が認められるのは、「他者を傷つけず、侵略もしない、光 = 愛の原則に基づいた都市だけ」だといいます。このアガルタ・ネットワークという「光の地底都市同盟」は現在も存在しており、120もの都市を数えるそうです。そしてそのうち4つの都市にはレムリア人が、2つの都市にはアトランティス人が住んでいるそうです。
 なお地底都市の中には同ネットワークには属さず、独立して存在する都市も幾つかあるといいます。その中には、地上の現世界システムを奥からコントロールしている「暗黒勢力」とつながりを持つ“暗黒地底都市”もあるようです。

 こうして当時のレムリア人は許可を得て、滅亡の5千年ほど前からシャスタ山内部の地中都市建設に着手することになりました。まず溶岩流のコースを安全な方向にそらし、山の内部のかなり大きなドーム状洞窟を、エネルギー、クリスタル、音、波動などを利用したテクノロジーを用いて改良し、さらに地下1マイル(1.6km)まで掘り進め広大な地下都市を造っていったのです。
 滅亡2千年前には、レムリア各地の神殿のレプリカ(複製)、レムリア文化の記録、宝物、芸術品などを同都市内部に移しはじめました。そしてレムリア人たちは、この都市を「テロス」(Teros)と名づけました。テロスは、「スピリットとのコミュニケーション」「スピリットとの調和」「スピリットとの協調」を意味するそうです。

 ところで、「シャスタ山」は通常の山という概念を遥かに超えた、地球上でも最も神聖な場所(パワースポット)の一つであるようです。
 古来時折り、山全体が光を発しているのが見られたり、不思議な音が聞こえたりして、ネイティヴアメリカン(インディアン)たちは、昔から「聖なる山」として畏れ敬ってきました。実際透視能力に優れた人たちは、シャスタ山が巨大なエーテル体の紫色のピラミッドに覆われているのが見えるといいます。そしてそのピラミッドの頂上は地球上から遥か彼方の空間へと続き、この銀河系区域(セクター9)の惑星連邦と私たちをつないでいるそうです。そしてこの荘厳なピラミッドは内側(地中)にも造られていて、地球のちょうど「核」の部分にまで届いているといいます。(なお、地球の核は“灼熱のマグマ”というのは事実ではないようです。)

 こうしてシャスタ山内部に建設された「テロス」は、レムリア滅亡時最大200万人が収容できるような規模になっていたといいます。しかし大陸の崩壊が予想より少し早まったため、大勢がテロスに入るのに間に合わず、命が助かったのは既にテロスに入っていた2万5千人だけだったといいます。そしてこの人たちが、当時のレムリア人で唯一の生存者となったのです。

 レムリア滅亡後も諸般の理由により、レムリア人たちはテロス内部に住み続けました。つまりその時以来1万2千年間、地上とはまったく別の進化のコースをたどってきたのです。今日では地上文明とは比較にならないほどの高度な精神性とテクノロジーを発達させ、「間近に迫った」地上の私たちとの“再会”を心待ちにしているというのです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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夜来風雨の声

  春の夜の我れ責めるごと強き風   (拙句)

 いやあ、昨夜の風は「凄まじい !」の一言でした。この地上世界丸ごとふいごにかけて、どこか彼方の世界から吹きに吹きまくっているような、いつ止むとも知れぬ、畏怖の念すら抱かせる風でした。

 とにかくその風の勢いたるや凄まじく、いつぞやの孟浩然の漢詩『春暁』の中の「夜来風雨の声 花落ちること知りぬ多少ぞ」などと悠長な情趣に浸っておられるものではありません。それはまさに「春颶風」(はるぐふう)とでも言うべき、時ならぬ台風のような大暴風でした。
 住居周辺の上空で、絶えず逆巻き猛り狂いながら吹き募る。それが本当にいつ果てるともなく深夜中続くわけです。こんな激風の中では、外にある飛ばされやすい物は皆悉く飛ばされていき、動かされるべきものは皆動かされて、暴風本来のゴーゴー、ヒューヒューという夜風鳴り(よかざなり)に加えて、ガタゴトガタゴトひとしきりうるさい音を立てています。少し収まったかな?と思えばまたガタコトけたたましく煽られて、そんな物音が夜通し続きました。

 近年稀れな突風、激風の中で、たかだか1.6mの儚い身の心細さを覚えつつ、これはうちの地域だけではないだろうな、きっと関東一円広く吹いてるんだろうな、ぐらいの想像力は働きました。
 しかし一夜明けてテレビニュースを見てびっくりです。これは関東地方などというレベルではなく、列島隈なくといっていいほど広い地域で吹き荒れたもののようです。

 例えば、千葉市では明け方に南西の風38.1mを観測し、家屋の損壊被害が出ました。全国的に強風が吹き荒れ、前日の20日午前には、静岡県御殿場市の陸上自衛隊不治演習場で野焼き作業を行っていた30代住民3人が、折からの16mの強風に煽られた炎に巻き込まれ全身火傷で死亡しました。また同20日1時頃、北九州市小倉北区の無人駐車場で女性が首から血を流して倒れているのが発見されました。同駐車場料金支払機の屋根が強風で壊され、女性の首を直撃したものとみられています。

 また21日明け方、北海道旭川市では台風の時でも吹かないような、南南西の風32.5mが吹いたようです。これは同管区で気象観測を始めた大正7年以来92年ぶりの記録的強風となったようです。そのため同市内のコンクリート電柱が何本も根元から折れ、一般家屋を直撃する被害が多くみられました。また家屋の損壊や停電に見舞われた地域も多く、被害は12都道府県に及んだもようです。
 その他羽田空港では強風のため116便が欠航するなど、空の便や新幹線などにも広く影響が出ました。

 強風は午前中にはほぼ収まったようです。しかし代わって、今度は中国大陸から「黄砂」が飛来し、これがため全国的に空全体がどんより霞んだ状態になりました。
 そんな中甲子園では恒例の春の選抜高校野球が開幕しました。やはり折からの強風で、開会式に予定していた“仕掛け花火”が中止となったようです。

 ところで21日は彼岸の中日です。「暑さ寒さも彼岸まで」で、春のお彼岸ですからこれからは徐々に麗らかな春の陽気に向かう頃合です。なのにこの大暴風はどういうことなのでしょう?
 ただ俳句では「涅槃西風(ねはんにし)」という季語があります。これは「涅槃会(ねはんえ)」(陰暦2月15日)前後に1週間ほど吹き続く風を言うようです。俗に「西方浄土からの迎え風」とも言うようです。また春の彼岸の頃にもあたるため、「彼岸西風(ひがんにし)」とも言います。

 これからすれば、春彼岸の今頃少し強めの西風が吹くのは別におかしなことでもないわけです。だいたい早春から3月中旬頃にかけては、雨が続いたり夜中に強い風が吹くことは例年よくあることです。
 ただ今回ばかりは、過去に前例がないほどの猛烈な大暴風だったことが異常と言えば異常です。

 以下はあくまでも私が感じたことですがー。
 「偶然は何もない」。風害にせよ水害にせよ地震にせよ、あらゆる自然災害というものは、人間社会との「相応の理(そうおうのり)」として起こるのではないでしょうか?
 動き循環する「風」には、「祓ふ = 払う」という作用があるように思われます。では何を「祓ふ」というのでしょう?それは人間社会に膨大量積み重なった「罪穢れ」を。「人間社会」などと一くくりにしてしまえば、責任が曖昧模糊(あいまいもこ)としたものになってしまいます。しかしその社会は、私たち一人一人がその構成員であるわけですから、突き詰めていけば罪穢れとは、私たち自身の「内なる罪穢れ」でもあるわけです。その総量が如何(いか)なるものであるかを、日々社会全体が鏡として映し出してくれている…。

 今回の暴風は、社会のいな私自身の、日頃無自覚であるため気がつけない、よって祓えない罪穢れを、当座の分だけはキレイに祓ってくれたのでしょう。
 おかげ様で、当地では午後から抜けるように真っ青な春彼岸日和となりました。

 (大場光太郎・記)

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『龍馬伝』について(2)

 風雲急を告げ出した幕末日本、そして土佐藩。『龍馬伝』面白くなってきた !

 NHK大河ドラマ『龍馬伝』だいぶ好調のようです。詳細には分かりませんが、視聴率的にも昨年の『天地人』や最近では最も好評だった一昨年の『篤姫』を抜き、毎回20%以上をキープする勢いのようです。ちなみに第11回「土佐沸騰」は、その前回より1%アップの21.4%だったとのこと。
 一般に大河ドラマなどでは、意外なことに「幕末モノはヒットしない」というのが定説だったようです。しかし坂本龍馬が主人公のドラマともなるとそんな定説もいとも簡単に破ってしまうということでしょうか?いかにも幕末の風雲児、革命児らしい破天荒な出来事です。

 大河ドラマの舞台となもなると、当該自治体はとっさにその「経済効果」のそろばんをはじくことでしょう。その意味で龍馬の出身地の高知県や高知市などは、実際ものすごい経済効果が出ているのではないでしょうか?
 これは何も出身地だけではないようで、後に龍馬が亀山社中(海援隊の前身)という我が国初の商社を興した長崎市なども大変な龍馬ブームのようです。
 龍馬と親交があった貿易商(実は「死の商人」)のグラバー邸など、龍馬ゆかりの地の旧跡巡りの観光客が急上昇中だそうです。長崎の龍馬観光ルートの中には、同市内の龍馬を演じている福山雅治生家も含まれていて大好評だそうです。

 当ブログでも『龍馬伝』はシリーズとして随時記事にしていく予定でした。しかし年初以来過熱、白熱の小沢捜査報道があったりして、なかなか記事にできませんでした。しかしドラマ本編は毎回しっかり観てきました。そして気がついてみれば、前回で早や11回目、黒船襲来で大騒ぎしていた頃から幕末色は一段と進んで、安政7年(1860年)3月3日水戸浪士らが大老・井伊直弼を暗殺した桜田門外の変へ。ということは、黒船に乗り込んで密航を企てようとして失敗した吉田松陰や、橋本左内など幕末最優秀頭脳が処刑された安政の大獄もとうに起こっていたわけです。

 いよいよ風雲急を告げ出したそんな頃、龍馬は2回目の江戸での剣術修行で千葉道場主・千葉定吉(里見浩太朗)から免許皆伝を授けられ土佐に帰ります。また同時期江戸で、長州藩の桂小五郎(谷原章介)など勤皇の志士と密会を重ねていた武市半平太(大森南朋)も、ある下士が起こした罪で土佐に戻されます。

 福山雅治の龍馬像は本当に茫洋としていて、今一つ掴みづらい感じでした。その点このドラマの語り部という設定の、もう一人の主人公・岩崎弥太郎(香川照之)は、福山龍馬がその持ち味を発揮し出すまで、このドラマの牽引役のようなものだったと思います。
 もうほとんど百姓といってもいいような岩崎家の暮らしぶり。その上弥太郎の父の弥次郎(蟹江敬三)はロクに働きもせず、飲んだくれのばくち好き、準禁治産者のようなロクでなしです。いつもボロ着を着て、なぜか鳥かごをいっぱい背負った、「歩く貧乏神」のような弥太郎の姿は強烈でした。髪はぼさぼさ顔も歯も真ッ黒でうす汚い弥次郎に、一部視聴者からは「もう少し何とかならんか?」とクレームが入ったよし。これ一つ取っても、貧窮に追い育った弥太郎像は大成功だったと言うべきです。

 そんな岩崎弥太郎は、父親に対する藩の仕置きを不服として、藩の門扉に抗議の文句を刻んだ罪により投獄されてしまいます。しかし獄中で受刑者の一人から「商売の極意」を教わり、一気に商人への関心が芽生えます。「災い転じて福となす」というべきか、弥太郎が獄中で書き上げた建白書中の「商の必要性」が藩の参政・吉田東洋(田中泯)の目にとまります。
 出獄後弥太郎は、吉田の取立てで長崎行きを命じられるなど、藩の仕事に就く事になりました。弥太郎にもようやく運が巡ってきたのです。
 史実としてはどうであれ、福山龍馬と香川弥太郎をこれからも大事な場面で互いにその場面に絡ませながら、ドラマは進行していくことになるのでしょう。

 土佐藩の上士、下士の身分上の違いは、他藩に見られないほど過酷なものだったようです。上士の下士に対する嫌がらせ、傍若無人な狼藉ぶりは、第1回から強く印象づけられました。下士の多くは、永久に続くとおぽしきこのような封建的身分制度には絶望感すら覚えたことでしょう。
 しかし「憤の一字は、是れ進学の機関なり」(伊藤仁斎)というもの。坂本龍馬にしても岩崎弥太郎にしても武市半平太にしても、そんな封建的桎梏の中から必死で剣術の腕を磨き、あるいは必死で学問を習得していったわけです。
 後に明治維新の大業を成し遂げた雄藩として「薩長土肥」が挙げられることになりました。そして武市の「土佐勤皇党」など、幕末維新の土佐の原動力となったのは、内に巨大なマグマのような「憤の一字」を抱え込んだ下士身分の者たちだったのです。

 下士たちのリーダー格が、文武両道に秀でた武市半平太でした。上士や藩政へ不満を抱く下士たちが続々と武市道場に集まりだしたのです。武市自身もだいぶ前から同じ憤懣を抱いており、それを「尊皇攘夷」という思想的なものに転換させていきます。武市の「攘夷論」は時と共により尖鋭化していき、武市は内心では懊悩しながらも攘夷原理主義者となっていきます。

 土佐に戻った坂本龍馬は、原理主義者の武市とは一線を画し一人わが道を模索していきます。そんな時、幼な馴染の平井加尾(広末涼子)と約束どおり婚姻の手はずを内々で勧めていた矢先。強硬な攘夷派の加尾の兄平井収二郎(宮迫博之)の推挙により、密偵を兼ねた京都公家・三条家の姫君の側女として、加尾に白羽の矢を立てられます。
 加尾は強硬に断りますが、この件は既に藩執行部の確定事項になっており、もし白紙となれば平井収二郎は切腹、加尾は泣きの涙で竜馬をあきらめ京都行きを決断。龍馬は藩邸に押しかけ激しく抗議するも最早覆らず。この一件で龍馬は一皮も二皮もむけ、武市をして「龍馬お前変わったな」と言わしめたのでした。

 加尾が京都に行って間もなく、土佐藩を揺るがす事件が起こります。弟を殺した上士を下士が敵討ちしたのです。さあこの一件で、土佐藩の上士と下士は全面対決の様相を見せ始めます。一触即発の事態を収束させようと、上士たちが立てこもる藩邸に行こうとする武市を制して、龍馬が単身乗り込んでいきます。
 藩邸には吉田東洋や後藤象二郎など殺気立った上士たちがてぐすね引いて待っています。そんな所に丸腰の龍馬が単身乗り込んで来たのです。その捨て身の訴えにより、上士たちも矛を収め、当事者てある下士の切腹だけで事の終息を見たのです。

 もしこれが史実だとしたら、茫洋としていた龍馬の、天馬空を行くごとき群を抜く麒麟児の本領がいよいよ発揮され出したな、というべきです。
 とにかくこの一件により、吉田をはじめとする藩政側も武市も下士たちも、龍馬を一目置き、また頼りにもされていくことになります。しかし当の龍馬本人は、加尾の非在が心の痛手になっているのか、土佐藩には自分の居場所を見つけられなくなっていきます。
 龍馬が幕末史で不滅の業績を残すのは「脱藩」以後ですが、いよいよそこまでもう間がないことでしょう。

 (大場光太郎・記) 

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最近の自民党・雑感

 鳩山(邦)桝添(要)与謝野(馨)片山(さ)安倍(晋)などに関する小話

 小沢幹事長や民主党への大バッシングを決して緩めない大マスコミです。しかしこと「悪徳ペンタゴン仲間」の自民党に対しては、話が別です。PОDAM・正力→渡邉恒雄の読売グループや親米広告代理店・電通はもとより、何だかんだ言って底流では「CIAネットワーク」で深く結びついているのが新聞・テレビ業界です。そして現在の大マスコミの経営陣は、自民党長期政権下で悪徳権益の旨味を十分たっぷりと味わってきた連中です。

 そこで民主党中心の新政権下で、彼らの悪徳権益が根底から取っ払われかねず。同じ理屈の検察幹部同様、その危機感は相当なものがあるはずです。その危機意識の現われが、極端な民主党バッシング→意図的な支持率低下誘導報道となって現われているわけです。
 対して自民党には、野党に下った今でも大いにシンパシーやノスタルジーを感じています。そこで今夏の参院選では自民に何とか勝たせて“衆参ねじれ”を、あわよくばその先の民主党政権崩壊、自民党政権奪取のお先棒を担ごうと躍起になっているようです。「社会の木鐸」「正義の言論」「不偏不党」を掲げる、大メディアの何とも見上げたご立派な報道姿勢です。

 そんな中にあって、昨今やんややんやと取り上げて報道しているのが、自民党内の“コップの中の争い”など同党の詳細な動向です。桝添要一元厚労相の少しキナ臭い動きには、「すわっ、自民を飛び出して新党結成か?」、麻生内閣での財務相時代は経済政策に大失敗した張本人である与謝野馨の動きまで、「谷垣総裁と直談判。結果次第では新党も視野か?」などと逐一報道しています。
 与謝野氏は見るからに病みあがりで精気に欠け、年から考えてもパワフルな政治活動などとても無理。本来なら、かの与謝野晶子の何代か子孫に当たる孫とでも遊んだり、お年寄り仲間と碁でも打ちながら静かな余生を送るよう、引退勧告するのが報道機関としてのつとめのはずです。

 またもう一人、鳩山邦夫元総務相が15日、党内から思わず食らった豆鉄砲に慌てた鳩ポッポよろしく、はずみで自民党から飛び出してしまいました。そして飛んでいる最中に『まてよ。俺一人じゃあ、この先の旅はつらいぞ』と考え、与謝野氏や桝添氏に「一緒に旅に出ようよ」とあらん限りの秋波を送ってみても、ご両人や両陣営には軽く袖にされるわ。みんなの党の渡辺喜美のように大化けして、それでなくても少なくなった党員を引っこ抜かれるのを恐れる古巣の自民党幹部からは、「由紀夫が脱税王なら、邦夫だって一緒だ。この際邦夫の国会喚問召致も検討するか」と牽制されるわ。
 “政界渡り鳥”の鳩山邦夫氏には、当分つらい一人旅が続きそうです。

 とにかく桝添は、鳩山(邦)を「政治家にとって基本は政策だ。政党をつくるとか、誰と組むとか先にやるからおかしくなる !」とケチョンケチョンにけなし、ハナから相手にしていないようです。桝添はなぜここまで強く連携を拒否したのか?政界では「あの一言がいけなかった」という“珍解説”が飛び交っているといいます。
 与謝野と桝添に連携を呼びかけた鳩山(邦)は、「日本一頭がいい政治家・与謝野馨、国民の期待度が高い桝添要一」と語りました。鳩山としては2人に対する精一杯のリップサービスのつもりだったのでしょうが、桝添にしてみれば「その一言」が許せなかったというのです。

 どういうことなのでしょう?かつて学生時代鳩山(邦)と桝添は、東大法学部の同期生だったのです。(ついでにいえば、与謝野馨は同学部の一世代前の先輩)
 2人は高校時代から、全国模試の上位に名を連ねるライバルだったといいます。しかし鳩山(邦)は東大を主席で卒業したように、当時は邦夫の方が圧倒的に優秀だったようなのです。

 「私の友人の友人がアルカイダなんですねぇ」「(田中角栄の秘書時代は)毎月のようにペンタゴンがやってきて食事をごちそうしてくれた」などと訳の分からないことをおっしゃる、昨今の鳩山(邦)からは想像できませんが、若き日には燦然と輝いていたわけです。
 いずれにしても、負けず嫌いで上昇志向の塊りのような桝添は、いまだにそのことを気にしているようだといいます。そこに「日本一頭のいい与謝野馨」と言ったものだから、桝添は「やっぱり邦夫は、オレより自分の方が賢いと思っているのか?」とカチンときたのではないかというのです。

 ついでの話として。かつて鳩山邦夫は、「頭の良さ」をめぐって、東大法学部の後輩である片山さつきの一言に激怒したことがあるといいます。まだ財務省主計局の役人だった片山が、「鳩山先生は高校時代、全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね」と聞いたので、鳩山は自慢そうに「そうだ」と答えたそうです。すると片山さつきは「私は1位、1位、1位、1位でした」と、勝ち誇ったように言ったというのです。さすがに鳩山(邦)は、後から「あの女は何だ !」とカンカンだったといいます。

 その「あの女は何だ」の片山さつきと、かつて結婚していたのが何と桝添要一だったのです。1986年見合い結婚しましたが、89年にはもう別れています。「頭」では勝てなかった桝添でしたが、噂では「種馬」としての能力では鳩山(邦)を凌駕していたようです。
 しかし四六時中一緒にいる女が、女傑タイプの「オレより賢い女」。そんな片山の前では、桝添自慢の生殖機能も萎縮しがちだったのでしょうか?
 
 ところで桝添は、自民党を飛び出して新党をつくるつもりなど、サラサラないことがはっきりしてきました。というのも、その“黒幕”の存在がここにきて明らかになったからです。
 黒幕はどうやら安倍晋三のようです。その証拠に、桝添に裏で知恵をつけているのは、安倍の“軍師”だった菅義偉と、これまた安倍の子分の世耕弘成の2人なのです。この2人が桝添の勉強会「経済戦略研究会」の呼びかけ人だといいます。そしてこのメンバーには、安倍内閣の官房長官だった塩崎恭久や山本一太など「安倍人脈」で固められているのです。こんな連中に担がれている桝添は、たいしたことありません。

 彼らを通して桝添の動きは逐一、安倍晋三・日本版CIA長官(?)に報告が上がっているといいます。無様に政権を途中でほっぽり出した安倍は、あわよくばもう一度政権を担いたいと考えているというのです。そんなことになれば、CIAエージェント・岸信介の孫で、狂った軍事オタクお坊ちゃまが、今度こそこの国を破滅させそうで、怖いです、ホントに。

 (注記)本記事は、3月19日付「日刊ゲンダイ」を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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『蛍の光』は1万2千年前の歌?(3)

 レムリアと共に海中に沈む際、神官・女神官たちは『蛍の光』を歌い祈り続けた

 レムリアとアトランティスの大戦争が終結した後、レムリア人たちはスピリチュアル・ハイラーキー(霊的聖師団)から「今後1万5千年以内に大陸は滅亡する」と告げられました。それを真剣に受け止めた一部の人たちは、その時のための備えを始めました。
 
 そして予告どおり今から1万2千年前、レムリア大陸は一夜にして海中に没してしまったのです。沈没したのは静かな夜で空には一面の星が輝いていたそうです。
 その時、前もって母なる国の滅亡の時を知らされていた神殿の神官・女性神官の中には、沈没していく船の船長のように自分の持ち場を守り抜いた人たちがいたといいます。彼らは自らの最期を恐れることなく、歌い祈りながら従容として海中に沈んでいったのです。

 これをもう少し詳しく述べればー。このような神官や女性神官たちは、危難を逃れる方途があったにも関わらずレムリア沈没の直前彼らの故郷に戻って、その土地とレムリアの人々と共に沈むことを志願した人たちだったのです。滅亡の時を正確に把握していた男女の神官たちは、戦略的に各地に小さく分かれ、大陸のさまざまな地域に自分たちを配置したのだそうです。そうして彼ら自身の平和な心と怖れぬ気持ちを広げて、沈みゆく人々を援助したのです。

 神官たちがこのような行動を取ったのは、恐ろしい経験というものは人々のエーテル体や細胞の記憶にとても深い傷跡やトラウマを残し、その後生まれ変わった時にさらに悲劇的な経験に出会う原因となり、それが癒されるためには幾つもの転生(てんしょう)が必要となるからです。
 実際この時の神官・女性神官たちの気高い自己犠牲により、人間の生命の流れであるエーテル体にはそれほどひどい傷跡が残らなかったそうです。神官たちの手助けにより、人々の恐怖は和らげられたのです。神官たちが人々のオーラを平和の毛布でくるみ、恐怖心を和らげたおかげによるものです。

 こうして多くの神官・女性神官たちは、周りのレムリア人たちと共に海中に沈んでいきました。その時神官や女性神官は歌を歌い祈り続けました。その歌が『蛍の光(オールド・ラング・サイン)』として知られている歌だったというのです。

    レムリアが完全に沈む前に予言がなされた。
    ある日、いつか遥か遠い未来で、
    私たちは大勢で集まって、
    この歌を再び歌うであろう。
    その時完全に分かっているだろう、
    「地球の勝利」が得られると。

 神官、女性神官たちは音楽家たちと共に、波や水が口の中に入るまで歌って祈り続けたと伝えられています。彼らの気高く雄々しい献身によって、運命を共にしたレムリア人たちの魂の損傷やトラウマは大幅に軽減されたといいます。
 その後どのような伝播ルートをたどったものか、この歌はスコットランドの地に根づいて、今日まで『オールド・ラング・サイン』(Auld Lang Syne)という民謡として歌い継がれてきたというわけです。

 こうしてレムリアは一夜のうちに海中に没していきました。一方のアトランティスはどうだったのでしょうか?実はアトランティスもそれ以前から滅亡の兆候が顕われはじめていたのです。既に大陸が幾つもの大きな島に分断される事態も招来していました。
 レムリア沈没の際には、アトランティスの一部も沈んだということです。その状態が200年にもわたって続き、やがて最終的な段階を迎え残っていた大陸も完全に海底に沈んでいきました。

 ただしアトランティスの最終的滅亡は、自然現象によるものではなく、アトランティス人自らが引き起こした「エネルギーの誤用」によるものだったといわれています。
 これは自己防衛やコントロールの目的でエネルギー源を強化しようとする実験の過程で、巨大なクリスタルのエネルギー発生及び波動加速装置を暴走させてしまったことによるもののようです。これがエネルギーの連鎖的崩壊反応を起こし、大陸全体の壊滅に至ったようなのです。さらにこれが、地球規模の大規模自然災害を引き起こすことになったといわれています。

 アトランティス滅亡の際は、レムリアの時の神官たちのような、献身的行為をする者は結局現れませんでした。それが滅亡を経験した魂たちのその後の各転生で、相当のダメージとなって残りました。またこの滅亡時は、地球人と最もDNAが近いプレアデス星人たちが、あまりの惨状を見かねて銀河連邦の“不介入のルール”を破り、介入、救助しようとしました。それがプレアデス星人とアトランティス系地球人の両方に、今日に至るトラウマとなって残っています。

 アトランティス滅亡後200年間、地球はなおも沈み続けました。また同大陸が崩壊してから数百年間は膨大な灰燼が大気中を覆いつくし、地球には太陽の光が届かず、今から1万年前に終ったとされる「最終氷河期」が訪れることになりました。太陽光線が有害な大気と残骸を通過できなかったため、大気は非常に冷たくなり、食物となるものはほとんど育たず、大部分の動物と植物は死に絶えたのです。

 両文明によって引き起こされた地球規模での大災害後、世界各地にごく少数の人たちが生き残りました。彼らはレムリア以来の「古代叡智」などきれいに忘れ去り、大幅に制限された、3次元の無知なる意識レベルに固定されてしまったのです。
 その結果彼らは、災害、飢え、貧困、病気などといったネガティヴなもののすべてを受け継ぎ、わずか数十年という短命な寿命となってしまったのです。

 その後地球が完全に原状に復するまで、ゆうに数千年はかかったといわれています。そしてその頃(今から7千年前頃)から、現人類のプロトタイプ(原型)となった彼らは、シリウス星人やアトランティス(元はレムリア人)の大聖・トス(トート神/古代ギリシャではヘルメス神)などの援助により、古代エジプト文明を興すことになります。ようやく現文明の曙光が射し初めたのです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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『蛍の光』は1万2千年前の歌?(2)

 レムリアとアトランティスとの間で、超古代“核”戦争が起こっていた !?

 レムリアは、東は今の米合衆国カリフォルニア州などを東端とし、西は遥かインドやマダガスカルにも広がる広大な大陸だったようです。例えば現在のハワイ諸島、フィジー諸島、イースター島、オーストラリア、ニュージーランドなどがすっぽりおさまります。
 当時はレムリア、アトランティスを含めて7つの大陸があったといわれています。つまり「水陸の割合」は、今のように7:3ではなく逆転していた可能性があるのです。これは成層圏が今とは違う構成になっていたため、そのような比率でも大気や自然の循環が十分可能だったためのようです。

 前回触れましたように、インドのヴェーダ哲学や仏教思想はレムリアの影響を多分に受け継いでいると思われます。それと同時に、ハワイ原住民、オーストラリアのアポリジィニ、インカ民族など南米原住民、北米のネイティヴアメリカンなどもその文化を、今日に受け継いできたとみられます。
 それは我が日本列島とて例外ではありません。いずれ別記事で述べるかもしれませんが、現在の日本列島は地球上で特別な地形と位置にあります。しかしレムリア文明当時は大陸と地続きだったのか、あるいは当時から単独の島国だったのか、残念ながらよく分かりません。ただ我が国に古来から脈々と流れる「和の精神」は、間違いなくレムリアから継承したスピリチュアルな遺産だったと考えられます。

 100万年以上もの長い間、レムリアとアトランティスは共に繁栄し合っていたようです。私たちは現代文明が地球上で最も高度な文明であると信じて疑いません。しかしそれはどうやら“幻想”に過ぎないようです。何百万年、何千万年オーダーで見た場合、現文明を凌駕する文明は幾つもあったのです。
 国民を幸せにしない政治・経済、魂の救済などでき得ない宗教組織、犯罪を増やすだけの警察・検察、病人を増やし続けるだけの医療機関、学級崩壊だらけの教育現場…。この姿は、地球史でも特筆すべき「低レベル“欠陥”文明」と言うべきなのではないでしょうか?

 両文明も現文明とは違う形態だったものの、クリスタルによる光テクノロジー、波動テクノロジーによる重力コントロールなど、今を遥かに凌駕するほどの多くのテクノロジーを有していたといわれています。また両文明ともUFОを有して、遠い星系との交流、交易などもしていたといいます。

 本来両文明は対立や敵対すべきものではなく、互いに補完し合って共存共栄で歩むべきものでした。というのも、両文明は「父なる/母なる神」の両面の一方を具現し、互いにバランスを取りながら進化していくように、地球進化を見守る「スピリチュアル・ハイラーキー」(霊的聖師団)によって予定されていたからです。すなわちレムリアは神の「母性面」つまり精神性、内向性を、そしてアトランティスは神の「父性面」つまり物質性、外向性を現わしていくように定められていたのです。
 この両文明の特質は、現歴史における西洋の物質性と東洋の精神性ともリンクしています。そして日本は、東洋と西洋を結ぶべき、「結び(産霊)の国」としての使命があるのです。

 しかし時代が下るごとに、両文明は互いに反目し合うことになりました。そして今から2万5千年ほど前、遂に両文明間で大戦争が起きてしまったのです。発端は両文明以外の未開な5大陸をめぐるイデオロギー的対立だったとされています。いずれにしても、その時は水爆などの「核」が次々に使用されたといわれています。
 この時の「古代核戦争」の記憶は強烈だったようで、世界各地の神話や伝承として今日まで伝わっています。例えば、インドの有名な大叙事詩『マハーバーラタ』では、明らかに核戦争と思われる凄まじい破壊の描写があるといいます。
 この核戦争の結果は、両文明に深刻なダメージをもたらし、それ以後共にかなり衰退していくことになりました。結局核を使用した大戦争による勝者など、どちらの文明にも誰もいなかったのです。

 ここで重要なのは、外面的な衰退と共に、両文明人の内面的な低下です。実は大戦争以前から両文明人の意識が徐々に低下し始めていたのです。
 レムリアとアトランティス両文明が平和で繁栄していた当初、人々は「5次元意識」という極めて高くて精妙な意識レベルで生きていたといいます。そして5次元意識から3次元物質的形態へと、自在に姿かたちを変える能力が備わっていて、言うところの「エデンの園」のような至福状態で日々を生きていたらしいのです。
 しかしそれが「敵/味方」「損/得」「悪/善」「裏/表」というような、“2元対立分離思考”に陥ると共にその恩寵は徐々に失われ、5次元から4次元に、そして戦争を経た滅亡直前には多くの人々は現在の私たちに到る「3次元」にまで意識レベルが低下してしまったということです。

 また特筆すべきは、両文明人の驚くほどの寿命の長さです。今の私たちにはとても信じられませんが、当初のレムリア人はゆうに「100万歳」以上の寿命があったとされます。それが意識レベルの降下に伴って、中期には数10万歳そして大戦争頃は10万歳以下、そして滅亡直前は2、3万歳にまで短くなったといわれます。
 それですら私たちには驚きですが、これについても我が国の『古事記』や『旧約聖書』など世界各地の神話・伝承では、昔に溯るほど人間の寿命が長かったことが述べられています。

 「あなた方は自分たちがどこから落ちてきたかを知って、悔い改めるがよい」    (『ヨハネの黙示録』より) (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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『蛍の光』は1万2千年前の歌?(1)

 『蛍の光』はレムリア沈没の際、遠い未来での再会を約して歌われた歌だった !?

 (注記)本記事で述べることにつきまして、私自身はすべて“真実”だと確信しております。ただこのような情報に初めて接する方々は、にわかには信じがたいことでしょう。そこで以下に述べることは“壮大なフィクション”としてお受け止めください。
 なお当初は1回だけでまとめるつもりでしたが、何しろ扱う題材は広範囲に及びます。とても1回では納まりきれず、3回~5回くらいのシリーズになりそうです。本シリーズ、当ブログの中でも「最重要情報」の一つになると思います。と大げさなことを述べましても、さてどこまでうまくまとめきれますことやら。
 ともかくも最後までご一読いただければ幸いです。
                        *
 『「蛍の光」あれこれ』でみましたように、『蛍の光』は明治10年代以降我が国でもおなじみの唱歌として、今日まで歌われてきたのでした。そして同歌の原曲はスコットランド民謡の『オールド・ラング・サイン』(Auld Lang Syne)で、古来同国で歌い継がれてきた同曲に、18世紀のスコットランドの国民的詩人であるロバート・バーンズが新たに歌詞をつけたことにより、一気に全世界に広まっていったのでした。
 『蛍の光』に関してたどれるのは、だいたいその辺りまでです。しかし最近この歌に関して、びっくり仰天の情報が広まりつつあります。それは、
   「蛍の光」は、レムリアの地で歌われた最後の歌でした。
というものです。

 一体どういうことなのでしょう?わずか数千年の現歴史だけで考えてみれば、およそ有り得ない話です。しかしこれは現文明のみならず「地球年代記」ひいては地球の近未来にも関わる、重大な内容を含んでいると思われます。そこで今回は、いきなりレムリア末期のことと『蛍の光』との結びつきを語る前に、少し遠回りながらレムリアの起源などから述べていきたいと思います。

 まず問題となるのは「レムリア」という名称です。これは世界中の超太古文明研究家の間では、アトランティスと共に1万年の有史以前に栄え、そして滅亡した文明、大陸としてよく知られています。
 一方のアトランティス(Atlantis)を現歴史で最初に触れたのは、古代ギリシャの哲学者・プラトンです。プラトンはその著『ティオマイオス』の中で、ある神官から聞いた話として、大昔地中海から大西洋上に強大な軍事力を背景に栄えた巨大な島があった、アトランティス文明は世界の覇権を握ろうとしてゼウスの怒りを買い、ある時海中に没してしまったというようなことを記述しています。

 また「20世紀の眠れる予言者」として有名な米国のエドガー・ケイシーは、その形容どおり眠った状態で「アカシックレコード」(根源の記録)から情報を得て、数多くのリーディングを残しました。そのケイシーリーディグの中に多くのアトランティスに関する情報が含まれており、それを契機として20世紀後半からアトランティス研究が盛んになりました。

 そして今回問題のレムリア(Lemuria)は、以前は「ムー(Mu)」として知られていました。20世紀前半の米国(出身は英国)の作家ジェームズ・チャーチワードが、英国陸軍に所属していた頃、インドやミャンマーの寺院で粘土板を見せられ、後に解読した内容に基づき「かつてムーという、太平洋を中心とした広大な大陸で偉大な文明が存在した。その文明の名残りがインド文明などに受け継がれて今日に到っている」という趣旨の本を出版したため、以来欧米を中心ににわかに関心が高まったのです。

 今回は「レムリア」を中心として述べていきます。レムリアは今から約450万年前、地球外文明(ダール宇宙のムー星)からの移住者が、地球に新たな文明の種を蒔くためにやってきたのが発端であるとされます。(アトランティスはそれより後に、レムリア人や他の星系人によって興った文明と思われます。)
 
 ここで少し説明が必要です。実は地球上に高度な知性を有する生命体が住み着いたのは、何もその時(450万年前)が最初ではなかったようだということです。地球創生以来、“銀河系のオアシス”である地球目指して、他の(多次元)宇宙、他の銀河系、他の星系から移住してきた人々(生命体たち)はけっこう多かったようなのです。
 その中のある種族は一時立ち寄っただけで間もなく去っていったり、その後長く住み続けて優れた地球文明を築き上げたり…。

 ここから当然のように推論できることがあります。現在の地球で生存している私たちも、実はひょっとして元々は地球出身ではなく、別の星系、別の銀河系、別の宇宙から遥々時空間を旅してこの地球にやってきた「魂」だったのではないだろうか?だとしたら、私たちも遥か太古には地球外生命体だったことになり、いたずらに「地球外生命体」について怖れたり奇異な思いを抱くことはないのではないだろうか?ということです。

 というのも、近未来「未知との遭遇」が本当に現実になることがあるやも知れないからです。もし仮にそういう事態が起こったとしたら、その時は「第2の黒船」以上の衝撃となることでしょう。しかし姿を現わすのは「銀河連邦」に属する、私たち地球人よりずっと進化した優良星人だと思われます。
 彼らは、今回私たちの“飛躍的進化”のサポートを申し出ている「宇宙の兄弟」(スベース・ブラザーズ)たちなのです。決して怖れることもパニックになることもありません。むしろ心配すべきは、向こうサイドではとうの昔に準備オーケーなのに、出会いを阻害している私たちの「意識レベルの低さ」の方なのです。
 
 そして喜ぶべきは、地球はここ1万年以上もの長い“鎖国状態”を脱して、私たちは久しぶりに「銀河市民の仲間入り」が果たせるということです。
 (なお、我が国の神道で言うところの「国津神」すなわち地球生まれの魂も、少数ながら存在するようです。) (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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懲りない朝青龍

 (元)朝青龍が母国に帰って言いたい放題。協会と日本に喧嘩を売った?

 14日大相撲春場所(大阪府立体育会館)が開かれました。元横綱・朝青龍が引退したことで、今場所は白鵬が一人横綱を努める場所となります。初日日本相撲協会の武蔵川理事長は、「大相撲を愛してくださるすべての皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけし、心よりお詫び申し上げます」と異例の謝罪会見を行い、続けて「一人一人が自覚を持って、騒動を引き起こさぬよう努めて参ります」と今後の決意も語りました。

 昨年春場所は、9日間“満員御礼”が出たといいます。例年大阪での朝青龍人気は高く、朝青龍(もう「元」をつけるべきですが省略)が抜けたことによる観客の入りが懸念されました。しかし初日は何とか満員御礼が出て、協会としてもほっと一安堵といったところです。
 また先場所優勝の朝青龍が引退したため、賜杯、優勝旗返還は師匠の高砂親方が代行、その淡々とした姿に場内から従来のような割れんばかりの拍手と大きな歓声も起きませんでした。ただこの日は、07年夏場所以来となる横綱、大関が揃っての白星スタートとなりました。

 問題は朝青龍のその後の動向です。既にご存知のとおり、またも大問題を起こしてくれました。
 朝青龍(本名:ドルゴルスレン・タグワドルジ)は、11日引退後初の帰国となるモンゴルの首都・ウランバートルで記者会見をし、そこでとんでもない発言が次々に飛び出したのです。
 同会見で朝青龍はモンゴル衣装に身を包み、終始モンゴル語で通し、日本人記者からの質問は一切オミットする形で行われたようです。母国に帰って母国語で話しているうちに気も大きくなったのか、日本相撲協会の批判を含む爆弾発言を連発したのです。

 例えば相撲協会に対しては、「協会のルールは厳しかった。悪口は言いたくないが、気に入らない要求もたくさんあった。自分の思い通りにやりたいこともあった。一部に私を辞めさせようとした人もいたのは事実だ」といった具合です。
 これを伝え聞いた協会理事の一人は、まるで後足で砂をかけるような物言いに「引退相撲に影響は出るだろう。もう辞めた人だけど、(協会が)話していないことを会見で話したのなら問題だ」と憤慨しています。
 10月3日に予定されている引退相撲では協会の協力が不可欠で、チケット代やグッズ販売などで朝青龍に総額1億円以上が入ると言われるイベントが、自らの発言で「待った」がかかる可能性も出てきたのです。

 さらに引退の引き金となった「泥酔暴行事件」についても、「暴行は一切していない」と関与をキッパリ否定してみせました。一連の会見について武蔵川理事長は、「良いわけがないでしょ」と不快感をあらわにしました。特にこの件については「やったこと(暴行の事実)を認めて、責任を取って辞めたわけだから」と語気を荒げていたといいます。
 まさにそのとおりです。さらに付け加えれば、被害者の川奈毅とは1月中に示談を成立させ、1500万円(推定)の示談金も払ったと言われています。もし暴行の事実はなかったというのなら、何のための示談だったのか?と言うことになります。

 改めて事件から引退に至るまでをざっとおらさいしますとー。
 朝青龍は初場所中の1月16日未明、川奈毅が関係する六本木の外国人クラブ『フェリア』で、かなり泥酔状態だったようです。一部情報では既に同クラブ内で事件は起こっており、外国人ホステスを次々にトイレに連れ込みレイプしまくっていた。それを知って駆けつけた川奈らが止めに入り、何とか朝青龍を外に出した。店の前で両者がトラブルになり、付き人が運転する車に川奈を無理やり引きずり込み車を走らせた。朝青龍は車内で川奈をボコボコ殴った。普段は「鼻帝国」「六本木の帝王」「モンスター」などと怖れられていた川奈毅も、横綱には抵抗すべくもなく、『このままでは殺される』と感じて、約1kmほど走った路上で車から飛び降り、交通事故処理中だった警視庁麻布署員に半狂乱で助けを求めた。

 川奈毅は「ヤクの売人」で、自分も根っからの薬物中毒、鼻骨などは既に溶けている状態と言われています。川奈ら六本木クラブ人と麻布署は、日頃からズブズブです。あるいは細木数子(在日韓国人?本名:崔美姫?)その奥の山口組などの怖いタニマチを持つ朝青龍側と、一体どんな裏取引があったものやら。結局川奈は、「被害届」を出すことなく、初場所千秋楽翌日の1月25日鼻骨骨折など全治1ヵ月の診断書写しのみ麻布署に提出。その後川奈は、「暴力を振るわれたのはウソ」と言い、1月29日「今回の一件について許す」という趣旨の示談書を取り交わし、朝青龍側弁護士が2月2日同示談書を麻布署に提出しました。
 しかし日本相撲協会はこれを認めず、2月4日の理事会で朝青龍に引退を強く迫り同届出書を提出させ受理したのでした。

 一時は本庁の捜査1課に担当替えか?などと言われましたが、その後何の音沙汰なし。それに引退前から朝青龍への“事情聴取”と言われていますが、今もってそれもなしで…。マスコミは被害者の川奈毅の名前や氏素性を決して報道しないように、警視庁も当日の状況、双方の背景などを本格的に捜査しようとしないようです。「押尾学事件」のように、ヤバイ筋になることを百も承知で踏み込めないわけです。

 それに今回の母国への帰国で再認識したように、朝青龍はモンゴルでは“大英雄”です。そして今回朝青龍は、引退に至る真実などよく知らない母国人に「私は何も悪くない。本当は30~40回も優勝できる体力があるのに、協会の中の記録を破られたくない一部関係者によって、仕方なく辞めさせられたのだ」と早々とぶち上げてしまいました。
 朝青龍の「作戦勝ち」と言うべきです。あまりにも手ぬるい後手後手の日本警察は、もう捜査を打ち切るしかないと思います。朝青龍が「無罪宣言」してしまった以上、モンゴルの英雄を逮捕できると思います?それは無理でしょうよ。

 それでなくても、モンゴル人民共和国は「資源大国」。無尽蔵に眠っている天然資源を求めて、ロシアや中国は同国での大型開発プロジェクトを進めようとしています。片や資源小国・日本は同プロジェクトで遅れを取っており、朝青龍問題がこじれるようだと両国外交に決定的な溝が入り国益を大きく損ないかねません。
 一応型どおりの事情聴取くらいはするかもしれません。しかし事件はいつの間にかうやむやになるのではないでしょうか?さすがに国技館はダメでも、どこか立派な施設で堂々たる引退相撲は行われ、朝青龍は功労金諸々含めて数億円ものお金をせしめることになるものと思われます。

 後は格闘家、実業家、母国で大統領目指して政治家?「29歳とまだ若い」朝青龍の高笑いが聞こえてきそうです。

 (大場光太郎・記)

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『蛍の光』あれこれ

 『蛍の光』は『仰げば尊し』と共に、我が国では昔から卒業式で歌われる定番歌でした。この歌の由来などについて、意外と知らないこともありそうです。そこで今回は、この歌についてあれこれ述べてみたいと思います。

 『蛍の光』は、「オールド・ラング・サイン」というスコットランド民謡を原曲とする日本の唱歌です。原曲『オールド・ラング・サイン』(Auld Lang Syne)はスコットランド語で、英訳の逐語訳ではOld Long Since、意訳するとtimes gone byとなり、日本語訳では「久しき昔」となります。

 同原曲は作曲者は不詳です。昔からスコットランドに伝わるこの民謡に、現在歌われている歌詞をつけたのは、スコットランドの詩人ロバート・バーンズです。
 ロバート・バーンズ(1759年12月5日~1796年7月21日)は、スコットランド語を使った詩作で知られ、その詩は「スコットランドの心そのもの」と讃えられるほどの国民的詩人です。スコットランド民謡の収録、普及にもつとめた人物です。
 『オールド・ラング・サイン』(ジャズバージョン)の他に、日本でも「♪夕空はれて 秋風ふき つきかげ落ちて 鈴虫鳴く…」でおなじみの唱歌『故郷の空』(原題:Comin Thro` The Rye)の作詞者でもあります。またバーンズの恋人の一人に捧げられた『ハイランドのメアリー』は日本でもよく知られた詩です。

 バーンズはオールド・ラング・サインを、従来からの歌詞を下敷きにしながら一から書き直しました。こうして書きあがった歌詞は、旧友と再会し思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容になりました。
 このようにして採譜された『オールド・ラング・サイン』(猫声バージョン)は、ハイドンやベートーベンやシューマンといった著名な作曲家たちも伴奏をつけたり編曲したりしています。こうして同歌は、スコットランドだけでなくヨーロッパ中に、アメリカ大陸に、そして全世界に広く浸透していったのです。
 
 日本では明治10年(1887年)小学唱歌を編纂する時、稲垣千頴が独自性の高い訳詞を試みて採用され、これが『蛍の光』(女児合唱バージョン)となったのです。同歌は明治14年(1881年)に尋常小学校唱歌として、小学唱歌集初編に初めて載せられました。
 それ以降、卒業式やその他数多くの場面で歌われたり演奏されながら今日に至っているわけです。なお元々の『蛍の光』(正調バージョン)は5番まであります。しかし戦後、3~5番の歌詞は軍国主義の色濃いという理由から、現在では2番まで歌うのが通例です。

 思えばこの歌を卒業式で、商店・デパートなどの閉店時のサインの曲として、紅白歌合戦で「行く年」を惜しむ歌として…これまで幾度歌ったり、聴いたりしたことでしょう。
 しかし私にとって、最も印象的な『蛍の光』があります。それは映画『哀愁』の中の挿入歌としてです。

 映画『哀愁』は1940年公開のアメリカ映画です。主演はヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー。昔懐かしい白黒映画だったことが、この映画の全編に漲る叙情性と哀愁を一段と深めていたように思います。
 『哀愁』というのは、1949年(昭和24年)日本で公開された時につけられた邦題で、この映画を一言で要約するとつまりは「哀愁」ーなかなか秀逸なタイトルだと思います。
 
 原題は『WATERLOO BRIDGE』であるように、この映画はロンドン市街を流れるテムズ川に架かるウォータールー橋の回想のシーンで始まり、同橋での現実のシーンで終わります。その間第一次世界大戦から第二次世界大戦。第一次世界大戦中、大陸に出征直前のイギリス軍将校ロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)は、バレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)と夜霧が立ちこめるウォータールー橋上で偶然出会います。
 たちまち恋に落ちた2人は、その夜やっとのことで“逢ひびき”を果たします。そしてとあるダンスホールで2人は、至福のダンスを踊り続け、12時を回ってその最後に生演奏されたのが『オールド・ラング・サイン(蛍の光)』だったのです。この曲に合わせて踊る2人のシーンが、この曲は「別れの歌」としての印象が強いせいか、その後の悲しい結末を暗示してるようで…。私にはとても印象的で、あれほど甘美で切ない『蛍の光』はありませんでした。

 なお原曲は4拍子の曲ですが、この映画ではより哀愁味を出すためか、ロマンティックなワルツ(3拍子)として流されました。そしてこのワルツ曲が後に『別れのワルツ』として世界的にヒットしていくことになります。
 現在我が国で、多くの公共施設や商業施設での閉館、閉店直前のBGMとして流されるのは、この『別れのワルツ』(古関裕而編曲)の方であるようです。

 一般的に、ヴィヴィアン・リーの代表作は『風と共に去りぬ』というのが定説です。確かに同作品は『哀愁』より1年早い1939年公開のカラースペクタクル巨編で、アメリカ映画史に残る記念碑的作品ではあります。しかし私にとってヴィヴィアン・リーの代表作は、白黒でそれよりもずっと地味な『哀愁』を置いて他にはありません。
 『哀愁』におけるヴィヴィアン・リーの何と美しかったこと ! 映画をさほど観ているわけではありませんが、『哀愁』は数多ある恋愛映画の中でベストスリーに入るのではないだろうか?と私はひそかに思っているのです。

 (注記)本記事は、フリー百科事典『ウィキペディア』を参考にまとめました。なおご紹介した「各バージョン」はいずれも“Yuoutube版”でどれもお奨めですが、「猫声バージョン」は特に一聴の価値ありです。

 (大場光太郎・記)

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大マスコミの世論誘導で支持率続落

 政権交代という「無血革命」を成し遂げたのは国民だ。「政権崩壊」に導く亡国マスコミの策動は断じて許されない !

 各社世論調査における鳩山内閣及び民主党への支持率下落が止まりません。それもひどい下落です。たとえば読売新聞41%、NHK38%、共同通信36.3%…。中でも共同通信調査は前回より5.1%も下がり、政権発足時には72%もあった内閣支持率は6ヶ月で半減してしまいました。
 取分け民主党にとってショックなのは、この夏の参院選の比例投票先です。これまでは民主党が圧倒してきたのに、自民党に肉薄されているのです。それも読売調査では3ポイント差、共同調査ではたったの0.6ポイント差。もうほとんど横一線のラインです。そして両調査ともに「参院選の結果、民主党の単独過半数を望まない」という人が約6割にも達しています。

 しかしこれは年初以来の新聞・テレビなどの大メディア総掛かりの、「小沢幹事長、民主党大バッシング」報道からして、当然の成り行きだと言えます。東京地検の意向を受けた大メディアの「官報複合体」による、「小沢幹事長は犯罪者だ」「“政治とカネ”では民主党も自民と一緒だ」式の世論誘導、世論操作の成果が、こういう形となって結実し出したのです。
 年初以来あれだけ小沢幹事長への連日連夜のネガティヴ報道を繰り返されれば、根っからの民主党支持者ではない時々の政局風まかせの無党派有権者などは、「民主党に政権任せていて、この先ホントに大丈夫か?」などとぐらぐらするのは当たり前の話です。

 それに各社世論調査では、例えば(少し前の)朝日新聞の例では「鳩山の修正申告を納得できるか」「小沢は国会で説明すべきだと思うか」「小沢は幹事長を辞任すべきか」「小沢と鳩山の対応に納得できるか」「参院選で小沢問題を重視するか」というような「政治とカネ」がらみの誘導尋問的な質問を、ネチネチとぶっつけてくるといいます。
 これでは暗に、「こんな民主党を支持しているのはいけないことなんですよ」と言わんばかりではないでしょうか?直接聞かれた当事者といい、その調査結果を見せられた国民読者、視聴者といい、支持から不支持にどんどん雪崩を打っていくのは当然なのです。

 鳩山首相の母親からの巨額献金問題、小沢幹事長の土地購入問題、これらは一応検察的には決着を見た問題です。小沢捜査時に見る、虚実ないまぜの大鶴基成ら検察幹部からの捜査情報を大本営発表的に垂れ流した超過熱報道を謙虚に反省し、以後はしおらしく少しは“社会の木鐸”らしくこの国の将来ビジョンでも語り始めてくれるのかと思いきや。蛇蝎(だかつ)のごとく執拗な大マスコミは、以前にもまして「政治とカネ」報道に特化して、追及の手を緩めようとはしません。
 特に参院選前まで、キーマンである小沢氏は何としても幹事長を辞任させたいらしく、今発売の月刊各誌でも「小沢バッシング」を総力特集していると言います。また暴走検察共々、北教組の資金供与疑惑で小林千代美衆院議員を次のターゲットにしています。

 昨年の総選挙前は、検察とタッグを組んで「“かんぽの宿大疑獄”隠し」としての西松建設事件をでかでかと報道し、大久保元秘書逮捕そして選挙前の小沢氏の代表辞任に追い込むことに成功しました。そして選挙期間中は、「総選挙隠し」のために“のりピー事件”を大々的に報道し、また国民有権者に恐怖心を与え時の麻生政権・自民党になびかせるべく“新型インフルエンザ脅威”報道も連日しまくりました。
 しかしそれでも賢明な有権者は、自民党を“金輪際”見限り、強い政権交代の意思をもって民主党に300超という驚異的な大議席を与えたのです。
 検察をはじめとする霞ヶ関官僚群そして大手メディアなどの思惑は、まんまと外れたわけです。
 
 ところで(小泉内閣のりそな銀行疑獄などを摘発しようとしていた矢先、小泉の手先である当時の警察、検察、マスコミによって“痴漢冤罪”の汚名を着せられた)植草一秀元早稲田大学教授は、彼ら旧体制勢力を「悪徳ペンタゴン」と命名し厳しく糾弾し続けています。(植草一秀ブログ『知られざる真実』
 植草一秀氏によれば「悪徳ペンタゴン」とは、「政、官、業、外、電」のペンタゴン(五角形)のことだとしています。簡単に説明すれば、「政」は政治屋(自民党)「官」は特権官僚「業」は大資本(財界)「外」は米国(アメリカユダヤ・CIA)「電」は御用メディアを指しています。これら「悪の軍団」がタッグを組んで、戦後ずっと国民を誘導、誤導してきたのです。
 そして今回は、国民の意思で成し遂げた政権交代を崩壊させ、既得権益 = 悪徳権益を独占し続けようと企んでいるのです。

 この悪徳ペンタゴンも長い間の制度疲労によってモウロクしたらしく、昨年の総選挙では政権交代を許してしまいました。そしてもし仮に、今夏の参院選でも民主党が勝利し過半数を取るようなら、強固な民主党政権の確立です。逆に悪徳ペンタゴン連中は、参院選後に次々に打ち出される諸改革によって、それこそ悪徳権益の息の根が止められてしまいます。
 その意味で今夏の参院選は、小沢・鳩山ら民主党首脳にとっても、悪徳ペンタゴン連中にとっても、天下分け目の「最終決戦」なのです。今続いている大マスコミの猛烈な民主党バッシングは、そういう観点から捉える必要があります。

 民主党中心の鳩山政権が発足して、まだ半年です。対して自民党をはじめとした悪徳ペンタゴン連中は、この国を戦後65年もの長きにわたり牛耳り続け、この国を瀕死の状態に追い込んできたのです。その罪万死に値します。
 悪徳ペンタゴンよってもたらされたこの国の病状はあまりにも深刻で、半年やそこらの短期間で快癒するほど生易しいものではありません。1年、3年、5年と、国民は長いスパンで現政権の政策、改革を見守るべきです。

 以前何度か引用した言葉ですがー。旧約聖書に「幻(ヴィジョン)なき国民(くにたみ)は滅びる」という有名な箴言があります。だがしかし昨年主権者たる日本国民は、悪徳ペンタゴンの一角の自民党に完全に見切りをつけ、民主党中心の政権交代を実現させたのです。その先に見え隠れする「明るい国家ヴィジョン」を垣間見たからです。
 悪徳ペンタゴンの一翼を担う大マスコミに、かかる国民の将来ヴィジョンを奪うことなど許されるはずがありません。甚だ性質(たち)の悪い理念を亡失した大マスコミには、「ヴィジョンなきマスコミは滅びる」と強く言いたいと思います。

 (大場光太郎・記) 

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時の話題(6)

 えっ?ファッキング村でファッキングーッ !?

 (お願い)本記事は、常々「上品」を旨とする(?)当ブログにはふさわしからぬ「下ネタ話」です。つきましては、18歳未満の方、この手の話をお気に召されない方は、以下の文をお読みにならず直ちにご退場ください。
                       *
 ご記憶の方もおいでかもしれませんが、かつて北海道に「幸福駅」という名の駅がありました。1973年(昭和48年)3月のNHK『新日本紀行』で「幸福の旅~帯広~」として紹介されてから全国的に知名度が上昇。その名にあやかろうと、多くの旅行者が訪れ、また幸福駅より2つ帯広駅寄りの「愛国駅」と併せて「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなったのでした。
 この駅は広尾線の廃止に伴い、1987年(昭和52年)に廃止されました。しかし駅名の縁起の良さから、乗車券や入場券で有名であり、廃止後も観光地として整備され今日に至っているようです。

 さて今回取り上げるのは、このような日本国内のおめでたい駅名ではありません。ヨーロッパのさる地名が、最近若者たちが集まってくる観光スポットになっているというお話です。
 それはオーストリアのザルツブルク北部にある田舎の村で、その村の名前は何と「ファッキング村」。村には大きく「Fucking」と書かれた道路標識が立っているそうです。

 このファッキング村はヨーロッパの田舎によくある平和な村なのです。しかしインターネットなどを通じてその名がたちまち話題となり、若者たちが押し寄せるようになってのどかな村が一変してしまったということです。
 というのも、やってきた若者たちは、この道路標識の前で記念写真を撮るなんてことだけじゃ気が済まないのです。そう、ご想像のとおり、「Fucking」という文字に刺激されてか、道路標識の前で「記念のファック」をするカップルが後を絶たないというのです。
 “公序良俗”を愛する村人たちは、これに困り果てて道路標識の前に監視カメラを設置し、カップルたちがファックしないように見張っていると言いますが、それでもファックする不届きな若者が絶えないのだそうです。

 実はこの「ファッキング」という村名は、溯ること1400年前の6世紀、「Focko」という男性の名前からつけられた伝統のある名で、1070年に正式な村名として「Fucking」になったという歴史があるといいます。
 さすがに一時期「村名を変更しようか?」という話も出たといいますが、「いや。歴史ある村名を変えるべきではない」という意見が多数を占め、現在に至っているということです。

 真面目な目的で同村を訪れたというサビ・ライトさん(36歳)は、「ファッキング村は、ファッキングなんて言葉とは全く違う、のどかな村だよ。なのにバカな若者が夜な夜なやってきてはファックして、“ファッキング村でファッキング”とか言って喜んで帰っていくんだよ」と語っていたそうです。

 それにしても思い出しました。「ザルツブルク」といえば、ご存知音楽史上最大の天才・モーツァルトが生まれ育った、中世からの名都市ですよ。そんな由緒ある古都のすぐ近くのファッキング村で、心ない若者たちが“ファッキング”。さぞ泉下のモーツァルトもお嘆きかと思いきや。
 モーツァルトも生前は、下ネタやビロウな話が大好きだったことは、研究家の間ではよく知られた話のようです。例えば、ビアノソナタやバイオリン協奏曲などの妙(たえ)なる旋律の天来の閃きを得て、スラスラ譜面に書き上げていくかたわら、近くにいる若い女性をからかうつもりなのか、下ネタやビロウな話を次から次へと繰り出して顔を赤らめさせては面白がっていたとか。

 しかしそれこそ大天才。そうして書き上げられた楽譜は、後世の専門家がアラを探そうにも、一音たりともムダや誤りのない完璧な譜面だったというのですから。
 ですからモーツァルトはあちらの世界で、今回の話を小耳にはさんでは、案外手を叩いて大笑いしているかもしれません。

 (注記)本記事は、3月8日付「日刊ゲンダイ」の『とっておきのエロ話』欄を参考、引用してまとめました。なお、今後ともたまにはこの手の話を取り上げていくかもしれません。どうぞあしからず、当ブログとお付き合いくださいますようお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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続・今の卒業式の歌とは?

 若者たちの卒業ソングとして、『3月9日』がダントツの人気らしい

 つい最近の「ココログニュース」でも、『卒業ソングで思い出すのは』という記事が出されました。それによりますと、当ブログ記事『今の卒業式の歌とは?』とは少し違う卒業式の歌が取り上げられています。より公平を期すため、今回は同記事などをもとに、また卒業歌を取り上げてみたいと思います。

 ココログニュース同記事によりますと、「ORICON STYLE」による2010年「みんなの心に沁みる定番の卒業ソング」のランキングで1位になったのは、『3月9日』という歌だそうです。以下2位は『卒業写真』(荒井由美)『贈る言葉』(海援隊)と続いています。

 私はそもそも「ORICON STYLE」というのが初耳でした。これについて少し説明したいと思います。
 「ORICON(オリコン)」だけなら以前からよく聞く“現代用語”です。これはヒットチャートをはじめとする音楽情報サービスを提供する、日本の企業グループまたはグループの会社であるオリコン株式会社のことをいうようです。(同社の代表取締役は、小池恒-創業者・小池聡行の長男)

 同社が発表する「オリコンチャート」は日本で最も知名度のある音楽ヒットチャートで、日間、週間、月間などの異なる集計期間により、ポップス、演歌、洋楽など異なるジャンル、またDVDやゲームの売上げランキングやモニター調査による好感度も発表しています。
 そして「ORICON STYLE」は1979年創刊で、チャート情報だけでなく、音楽情報を広く扱う、子会社のオリコン・エンタティンメント(株)が出版している週刊雑誌だそうです。

 とにかく私にとっては聞きなれない歌がいきなり1位登場です。『3月9日』(さんがつここのか)。学校生活が身近に感じられる10代、20代の男女にアンケートを実施した結果、同歌はこれで4年連続で1位となり、今や若者たちの間では卒業ソングの“新定番”としてすっかり定着していることがうかがえます。
 『3月9日』についての感想ー。「卒業式の雰囲気にとてもよく合っている感じ」(京都府/20代/男性)「曲風と歌詞がピッタリだから」(茨城県/10代/男性)というように、心に沁み入る歌詞とメロディで男女問わず高い人気を獲得しているようです。実際卒業式で歌ったという人も多く、「この曲を聴くと卒業式を思い出しますね」(神奈川県/10代/女性)というような声も多く聞かれたようです。

 この『3月9日』は、日本のロックバンド「レミオロメン」のシングルとして2004年3月9日発売されました。翌年の05年に発売されたアルバム「ether(エーテル)」にも収録され、その中の一曲『粉雪』がフジテレビ系ドラマ『1リットルの涙』の挿入歌に起用された際、ドラマ中盤からは『3月9日』も同時に使用されたことで、一時『粉雪』と同時にオリコンチャートに返り咲きました。ライブでは『ビールとプリン』と並び、必ずと言っていいほど演奏される曲だそうです。

 そもそもこの歌は、メンバー3人の共通の友人の結婚記念日(2003年3月9日)を祝うために作られた曲なのだそうです。こうしてみると本来この曲は「結婚」を祝う歌であって、「卒業」を祝う歌ではなかったわけです。ただ同ドラマで使われた影響もあり、小中学校では卒業式や合唱などでよく歌われるようになったもののようです。
 私は今回初めて「youtube生ライブ版」を聴いてみました。ごくありふれた日常の中のふとした気づき、等身大の心のふれあいを素直に歌った歌だな、という感想を持ちました。それにメロディもソフトで爽やかで。こういうところが現代っ子の感性にフィットするのでしょうね。

 ただ今回のアンケートは若者を対象に実施されたものです。そもそも一昔前の世代なら、「卒業式の歌」や「卒業歌」であって「卒業ソング」などとは言いませんでしたから。
 そのため少し上の世代にとっては、「ジェネレーションギャップを感じる」とか「最近は“仰げば尊し”は歌わないそうで、歌い継いできた身としては寂しい限り」とか「私たちが歌ったのは“仰げば尊し”と“蛍の光”そしてもちろん校歌。“仰げば尊し”なんかは、歌いながら号泣したね」と懐かしく振り返る人もまたいるわけです。
 ちなみに前記事で取り上げました『旅立ちの日に』は、同ランキングでは4位でした。

 (大場光太郎・記) 

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続報・愛子さま学校問題

 「愛子さま不登校」が海外メディアでも取り上げられる騒ぎに発展

 先週は学校(学習院初等科)を休まれていた愛子さまでしたが、今週は月曜、火曜と2日続けて4時限目の国語の授業などに登校されたとのことです。授業終了後昼食はとらず、そのまま東宮御所にお戻りになったもようです。
 またその際、両日とも雅子さまが授業参観されたとのこと。今週は引き続き登校のご予定とのことで、大事には至らず喜ばしい限りです。

 宮内庁によりますと、初等科の3学期の授業は11日(木)までということで、それからしばらくは春休みに入り、休みが明けると愛子さまは3年生になるわけです。
 多分どこの学校も同じでしょうが、1、3、5年は年度始めにクラス替えの学年にあたります。愛子さまも、新たなクラスメートと共に新学期のスタートとなるわけです。そこで今回の件が「雨降って地固まる」と万事スムーズに良い方向に進むのか、あるいはまた新たな学校問題が持ち上がるのか?
 愛子さまは別でしょうが、一般例として思春期の中学生頃まで、問題行動を起こす児童が徐々に増えてくる難しい年代になってきます。今後とも不測の事態が起こることも予想され、学校側の一段の取組みが望まれるところです。

 今回の不登校問題は何とか一段落しそうですが、同騒動は国内のみならずニュースが世界中を駆け巡る事態になってしまったようです。たとえばー
 「バイオレンス・ボーイズの影響で、日本のプリンセスが学校を休む」(英国デーリー・メール紙)
 「日本の皇女が小学校で男子児童にいじめられる」(米国ABC) 
 「日本の王女が学校に行けない」(タイのバンコク・ポスト紙)
 解決に向かいそうな今となっては、何ともささいなことをさも大げさに公表してしまったために大騒動になってしまったものよ、という感じです。皇室の母校・学習院を“世界的さらし者”にしてしまった格好です。

 騒動の原因となったのは、今月5日会見を開いた宮内庁の野村一成東宮太夫(69)です。野村東宮太夫とはどんな人物なのでしょうか?
 ある皇室ジャーナリストによりますと、「外務省の“ロシアン・スクール”出身で、欧亜局長や駐ロシア大使などを歴任した。旧ソ連大使館勤務時、雅子さまの実父・小和田恒氏の部下だったこともあり、一時体調を崩していた雅子さまをよく知る人物ということで東宮太夫に起用されたといわれています。会見で発表したのは、不登校の原因が学校側にあることを示すことで、雅子さまらの立場を支えようと考えたのではないか」とのことです。

 皇太子ご一家を守ろうとして、結果的に心労を強めてしまったことになります。これに関して元共同通信記者で皇室研究家の高橋紘氏(静岡福祉大学教授)は、「東宮太夫は本来こうした問題が公表されないように“調整”するのが役目。今回の件は教育問題でもあり、関係者に与える影響が大きい。騒動は予測できたはずなのに、野村東宮太夫がなぜ公表したのか分かりません」と話しています。
 さらに教育問題に詳しい放送ジャーナリストの小田桐誠氏は、「今回の騒動はどこの学校現場でもある話です。本当は学校と当事者間で善後策を話し合い、解決を図るのが筋。子供もそうした困難を乗り越えて育っていくのです。しかし今回のケースでは、大騒ぎしたことで当事者間で決着点を見出す状況をなくしてしまった」と話しています。

 これらの貴重な意見に耳を傾けると、今回の野村東宮太夫の会見は確かに拙速の感をまぬがれません。教育的な観点に関してはまさにそのとおりだと思います。さらに付け加えれば、先ほど「学習院を世界中にさらし者にした」と述べましたが、間接的には「“皇室”を世界中にさらし者にした」とも言えるのではないでしょうか?
 ただ経歴を見る限りでは野村東宮太夫は、宮内庁トップの羽毛田長官のような明らかな“逆賊”ではなさそうです。すべては野村東宮太夫の忠義心の発露のしからしむる過ちと好意的に解釈し、今回ばかりは罪一等を減じて“厳重注意”にとどめるべきと考えます。

 しかしトップの羽毛田信吾宮内庁長官(67)には、断固責任を取らせるべきです。今後の宮内庁改革も見越して考えれば、羽毛田が最大のネックとなるからです。
 よって羽毛田長官の辞任を強く求めます。

 (注記)本記事は3月10日付「日刊ゲンダイ」を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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若菜摘む

                                   光孝天皇

  君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手(ころもで)に雪は降りつつ
                           (古今和歌集、春歌上21)

…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 光孝天皇(こうこうてんのう)第58代天皇。別名仁和帝(にんなのみかど)小松帝(こまつのみかど)。天長7年(830年)~仁和3年8月26日(887年9月17日)、在位:元慶8年2月23日(884年3月23日)~仁和3年8月26日。第54代天皇・仁明天皇の第三皇子。母は太政大臣藤原総継(ふじわらのふさつぐ)の娘・澤子。
 先代の陽成天皇が藤原基経(ふじわらのもとつね)によって廃位されたのち、55歳で即位。先代に引き続いて基経に政務を委任し、また基経を藤原氏初めての関白とした。
 58歳で崩御。在位期間は3年と短かったものの、宮中行事の再興に努めると共に、諸芸に優れた文化人でもあった。特に和歌、和琴に秀で、桓武天皇の先例にならって鷹狩を復活させた。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 この歌は早春の歌として古来有名で、「小倉百人一首」にも採られている歌です。この歌には、「仁和帝親王(みこ)におはしましける時に、人に若菜たまひける御歌」という前書きがあります。歌の大意は、「あなたのために春の野に出て若菜を摘む私の袖に、雪がしきりに降りかかってくることよ」というのです。

 ここで「若菜」とは、(旧暦の)正月七日の「子(ね)の日」の行事で、七種の新菜を採って羹(あつもの)とすることで、現代まで伝わる「七草」を言うようです。
 ただ「七種(ななくさ)」が宮中行事となったのは、光孝天皇の孫の醍醐天皇の延喜年間(901年~914年)と言われており、この歌の場合は宮中行事に用いるための若菜とはとらえない方がいいようです。

 帝が親王であったお若い時分、ある想い人がいて、「君がため」雪が降りしきるのも厭わず野に出かけて行って、若菜を一心に摘んだ。その事実をありのままに詠まれたものなのでしょう。
 このように相手を想い、捧げるまことの行為は尊い“無償の愛”と言うべきです。その愛行為は、親王という高貴な立場でも一般庶民でも、そして平安初期の昔でも平成の今日でも、何ら変わるところはないと思います。
 その無償の行為がこの歌となって結実し、千載の時を越えてもなお光を放ち、今日の私たち読み手の心にまでダイレクトに届くのではないでしょうか?

 また平安初期の当時は、爛熟を通り越して腐臭が漂っていた平安末期貴族とは異なり、諸事簡素だったのに違いありません。日々の食事もそうで、いかな高貴な身分の御方といえども、今ほどの肉食、飽食グルメではなかったことでしょう。
 皇子といえども「野に出でて若菜摘む」フットワークの良さがあり、今の庶民よりもっと自然を身近に親しまれていたと言えるかもしれません。

 いずれにしても、虚飾や余計な技巧のない、真素直な心情を詠まれた気持ちのいい御歌だと思います。

  ー 時に霙(みぞれ)まじりの冷たい雨降る、荒れた早春の日に

 (大場光太郎・記)

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宮内庁vs学習院?

 「学級崩壊」は超名門・学習院にも?“愛子さま不登校”の事態にー

 先週から愛子さまの「不登校」が続いており、大きな話題になっているようです。
 先週宮内庁の野村一成東宮太夫が「宮さま(愛子さま)が腹痛と強い不安感を訴え、今週はほとんど通学していない。同学年の男子児童が“乱暴”している」との会見をきっかけに、日本中が騒然となったのです。
 愛子さまは現在学習院初等科の2年生です。昨年秋運動会での元気なお姿がテレビを通して流されていただけに、多くの国民がビックリしたわけです。

 ただこの一件はおかしな話になっているようです。野村東宮太夫会見を受けて慌てて会見を開いた学習院側の言い分が、宮内庁の説明と食い違い、混乱に拍車がかかっているのです。
 学習院側によりますと、「愛子さまは先週、風邪をひき学校を何日か休み、2日の4時限目だけ登校して早退した」「その時、隣のクラスから飛び出してきた男児と廊下でぶつかりそうになり、怖い思いをした」「愛子さまに対して直接の暴力行為やイジメがあったとは聞いていない」(東園基政常務理事)ということです。
 これを聞く限り、宮内庁側の言う「乱暴」とはずい分ニュアンスが違うようです。一体どちらが正しくて、本当のところは何が起きているというのでしょうか?

 ただ今回の件で分かったことは、名門・学習院初等科で近頃、トラブルが頻発しているらしいということです。
 ある学習院事情通によれば、「愛子さまのクラスは特別に選抜された子供しかいませんが、他のクラスは別です。昨年から別のクラスの男児グループが、愛子さまを含む女児らにイタズラをしているらしい。かばんを投げつけたり、廊下を走り回ったり、大声を上げたり。授業中に縄跳びを振り回し、先生の話を聞かない男児もいた。“学級崩壊”とも言える事態で、臨時父母会が開かれました。また別の学年では傷害事件も起きていて、加害児童と被害児童の両親が会い、話をつけたそうです」と実情を話しています。
 “普通の学校”では近年よく聞く話です。しかし「学級崩壊」の波が名門・学習院にも押し寄せて来ているということには驚いてしまいます。

 それにしてもおかしいのは、宮内庁の対応です。幼い子供たちの問題をわざわざ発表する必要があったのでしょうか?こんな騒ぎになれば、“乱暴”を働いた男児たちは無傷では済まされないでしょうし、第一愛子さまも深いショックを受けることでしょう。実際宮内庁には批判が噴出しているそうです。
 皇室に詳しい関係者は、「宮内庁の“暴走”がまともに露呈した事件ですよ。体調不良が続く雅子妃に続き、今度は愛子さまが学校を休んでいるとなると、“宮内庁は何をやっているんだ”と非難されかねません。その前に学校側に責任をなすりつけたとしか考えられません。(中略)結局自分たちでは解決できないから、保身のため大騒ぎしたのです」と話しています。
 それに対して学校側は、「宮内庁とは深い関係ですから…」と受け流す構えのようです。

 愛子さまの件はひとまず置いてー。「宮内庁」で記憶に新しいのは、同庁トップの羽毛田長官が、昨年末の中国要人との天皇会見問題で「1ヵ月ルール」を持ち出し、“異例だ”“天皇の政治利用だ”と民主党にケチをつけた問題です。しかしその後、1ヵ月ルールは安倍内閣の時に一度、過去を溯れば都合7回も破られていたことがバレてしまいました。元厚労省事務次官で役人根性どっぷりの羽毛田は、それでもシレッとして宮内庁長官にとどまり、何の責任も取ろうとはしていません。天皇の政治利用はどっちの方だ !
 以前の『日本版CIAネットワーク』記事で、安倍晋三が総理の間に構想した“日本版CIA”は、今でも陰で裾野を広げて機能しており、今回の小沢捜査に大きく関係していたことを問題にしました。そして羽毛田長官がその一員であることも。

 羽毛田信吾は山口県萩市の出身です。同市は元々中選挙区制当時は旧山口1区で、安倍晋三にとって強固な地盤の一つでした。羽毛田は岸信介→安倍晋太郎→安倍晋三と3代続くCIAエージェント家系とは、「親米(親戦争屋)反中ライン」で強固に結びついた間柄だったのです。
 ですから突如「1ヵ月ルール」を打ち出し民主党と小沢幹事長を強く牽制したのも、日本版CIAの仕掛け人・安倍晋三からの指令によるものとも推測されるのです。

 本当にこんなロクでもない宮内庁長官は、小泉一派の樋渡東京地検検事総長(この者もネットワークの一員)など検察首脳らと共に、直ちに首にした方が我が国の国益に適います。しかし宮内庁長官人事と検事総長など検察人事は、この2つだけ内閣同意人事ではないため鳩山政権は首が切れないのです。
 それゆえの暴走宮内庁であり、暴走検察です。現政権がもっと力をつけた暁には、かかる不忠の逆賊どもを追い払える体制を整えるべきです。

 ここで愛子さまに関したお話を一つー。
 「雅子妃ご懐妊」報道がされた直後、ある人が「今度お生まれになる宮様は“女子”である。そしてこのお方がやがて“女帝”におなりになる」という趣旨の発言をしていました。なぜ早々とそんなことが分かったのか?今もって謎です。
 私はこれまで何度か、この世はまもなく「新しい世」に移行することを暗に示してまいりました。しかし仮にそうなっても、「新しい君が代」でも現皇室の皇統がそのまま続くとしたら、大変慶ばしいことです。

 最後に。皇室の幾久しい御栄えと、愛子さまのお健やかなご成育そして雅子妃のご快癒、心よりお祈り申し上げます。

 (注記)本記事は3月8日付「日刊ゲンダイ」記事を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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キム・ヨナ金メダル剥奪?

 女子フィギュア金メダリストのキム・ヨナをめぐっては、同選手を誹謗中傷する書き込みをした2ちゃんねる掲示板が韓国からのサイバー攻撃を受け、3月1日ダウンに追い込まれるという騒動に発展しました。同掲示板は3日に復旧し、これでキム選手をめぐる騒動も一段落かと思いきや。日本のネットでまたまた新たな大騒動が起こっているようです。

 事の起こりは、キム・ヨナが五輪中につけていたアクセサリーが、同選手本人がCMで宣伝しているモノだったことから、「五輪憲章に反する」「金メダル剥奪だ」とヒートアップしているのです。
 問題のアクセサリーは、キム選手が耳につけていた王冠型のイヤリングです。これはキムがCM出演している韓国のジュエリーブランド「ジェイ・エスティーナ」製のものです。同社のイメージキャラクターを務めているキム・ヨナは、SP、フリー、エキシビション、会見と大会中すべての場面でこのイヤリングをつけていたのです。

 五輪では、非公認企業の大会中の宣伝を禁止しています。ジェイ・エスティーナ社はまさに非公認企業に該当する上、大会期間中キム選手が試合でつけていることを強調したCMを流しまくっていたといいます。さらに五輪憲章には、「スタジアム会場、その他の競技エリアでは、いかなる形の広告または他の宣伝は許されない」「いかなる広告や宣伝活動、コマーシャルも、人、スポーツウエア、付属品に表示してはならない」と規定されています。
 これらのことから、日本のブログやツイッターなどで、「キム・ヨナ選手は五輪憲章に違反している。仮に違反していれば金メダル剥奪だ」という声が相次ぎ、凄まじいほどの話題になっているのです。
 実際過去にも五輪憲章に反してメダルが剥奪されるという前例もあり、中には英文まで掲載してIOCなどに届くよう仕向けているサイトもあり、また多くの日本人がこの件でIOCに問い合わせしているといいます。

 今回の騒動に対して『Yahoo韓国』ニュースは、「日本人の残念な心情を考慮すれば、このような問題提起をする心理状況は理解できなくもない。とはいえ、あまりにも強引すぎるやり方である」と述べています。さらに続けて「当時キム選手が着用していたイヤリングを確認してみると白色という点以外に明確な特徴を見ることはできない。このような小さなイヤリングにどのような間接的広告効果があるのだろうか」と伝えています。
 また同ニュースをはじめ韓国メディアは、「間接広告に対しては、競技前にISU(国際スケート連盟)とIOC(国際オリンピック委員会)がしっかりチェックしている。従ってこれに関しては後から問題になるはずがない」などと反論しています。

 この問題は、展開次第では直前の“サイバー攻撃”以上の日韓騒動に発展する可能性もあります。すべてはIOCがどのような判断を下すかにかかっているわけです。
 五輪憲章を厳密に適用すればアウト、キム・ヨナ選手の金メダル剥奪もあり得るケースだと思われます。そうなれば浅田真央が繰上げで金メダルになるわけです。しかし浅田選手本人また日本国民が、素直に手放しで喜べるものなのか?私のような「隠れキム・ヨナファン」(もうここまで公言すれば“隠れ”ではないか)は、特に複雑な思いがすることでしょう。

 ちなみにあるサイトでは、「キム・ヨナの金メダルを剥奪すべきか/すべきでないか」についてアンケートを取っています。7日時点での集計結果は、「剥奪すべき…57%」「剥奪すべきでない…43%」となっています。
 いつぞやの世論調査の、「小沢幹事長は説明責任を果たしていない…90%以上」といった振り子の針が一方に振り切れるような結果になるのかと思いきや。意外にも拮抗した結果となり、『日本人のバランス感覚はまだ安全圏かな?』と思った次第です。

 私の個人的な推測を述べればー。「政治や経済活動などには左右されない大会運営」という五輪精神はあくまでも建前で、近年は特に“商業主義”が前面に出すぎているきらいがあります。そういうことからすれば、IOCが日本が提起したこの問題を取り上げるかどうかがまず問題です。仮に取り上げたとしても、ジェイ・エスティーナ社→KОCの働きかけで、同問題はうやむや決着で落ち着く公算が大きいのではないだろうか?と思われるのです。両国のメダル獲得数からして、JОCとKОCの力量の差は歴然だと思うのです。

 とにかくキム・ヨナをめぐっては、前回のサイバー攻撃といい、今回の騒動といい、しばらく日韓バトルが収まりそうにありません。これは日韓だけの問題というわけではなく、両国のバトルを知った中国にも飛び火し新たに参戦しているようです。
 ただし中国サイトが問題にしているのはイヤリングではなく、キム・ヨナの「整形疑惑」です。同国では、キムの幼少時代の写真と現在の顔を比較し、「キムが子供の頃二重は片目だけ、鼻は低く、歯も出ていた。生まれた時は“セクシー美女”ではなかった」などと報じているとのことです。
 対して韓国ネットユーザーは、「キムは整形などしていない。成長すれば顔なんかいくらでも変わる」「実力で勝てないから外見で騒いでいるだけ」「今度は中国かよ。韓国は(日中の)間に挟まれて大変だ」などと激しく反論しているそうです。

 それにしても、キム・ヨナをめぐって今回これほどの大騒動になったのも、元はといえば浅田真央以下の選手を極端な点差で破っての金メダルだったことが大きいと思います。それがさまざまな憶測を呼び、大騒動に発展することになったのではないでしょうか?これはキム選手とは関わりがなく、審査員のルール上の問題ながら、もしこれが僅差での優勝だったら騒ぎはこれほどまで大きくならなかったのでないでしょうか?
 しかし大差をもたらしたのは、キム・ヨナ自身に他ならないわけです。結局一連の大騒動は、キム・ヨナの「スーパースター性」によるものなのかな?などと考えてしまいます。

 (大場光太郎・記) 

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今の卒業式の歌とは?

 前回記事で、今の卒業式で『仰げば尊し』があまり歌われなくなっていることを取り上げました。『仰げば尊し』や『蛍の光』といった以前の卒業式定番歌が次第に歌われなくなっているのは、戦後長く続いていた上(文科省)から押し付け方式の画一的教育が徐々に変化し、授業方式や学校行事などでそれぞれの学校が独自色を出し始めた一つの現われなのでしょうか?だとしたらむしろ歓迎すべき兆候であり、一概に批判すべきものでもないのかもしれません。
 いずれにしても、最近の卒業式では両歌に代わって歌われ出している歌があるということです。今回はそれらの歌について述べてみたいと思います。

 今の卒業式で歌われている歌は、ざっと見てみただけでけっこう多くあるようです。
 『贈る言葉』(海援隊)『卒業写真』(荒井由美)『卒業』(尾崎豊)『なごり雪』(イルカ)『さくら』(森山直太朗)『春なのに』(柏原芳恵)『乾杯』(長渕剛)『いい日旅立ち』(山口百恵)…。
 他にもまだあるようで、『仰げば尊し』や『蛍の光』が長い間定番化していた頃に比べれば、何ともバラエティに富んだ歌の数々です。このような歌なら私にもおなじみのポピュラーな歌ばかりです。ただこれらは『仰げば尊し』などの荘重さ厳粛さはなく、いかにも「現代っ子」に相応しい歌だなという感がしないでもありません。

 列記した歌の中で一番古いのは『なごり雪』です。シンガーソングライターの伊勢正三が作詞、作曲し、1974年(昭和49年)にリリースされた歌です。伊勢作品にはこの他にも『22才の別れ』という名曲がありますが、当初は伊勢もメンバーである「かぐや姫」のアルバム中の収録曲でした。しかしこの歌が爆発的にヒットし出したのは、イルカが歌ってからでした。今では、「イルカのなごり雪か、なごり雪のイルカか」と言われるほど彼女の代表曲となっています。

 それにしても74年といえば、私がまだ25歳の頃のことですよ。だから今となっては信じられないことに(苦笑)、この歌は私にとっても青春時代の忘れられない歌の一つでもあるわけです。本題からはそれますが、私はかつてある音楽サイトのこの歌にコメントを書いたことがあります。そのコメントを転載したいと思います。

   今春が来て君はきれいになった
   去年よりずっときれいになった
 本当に、そう感じる瞬間ってあるんですよね。男性諸氏。どなたも経験おありでしょう。若い頃、一度や二度は。
 そしてそう感じると決まって、その後間もなく、この歌のような別れが待っていませんでしたか?
   「雪国は嫌なの」明治通りにて    (昭和57年早春の思い出ー拙句)
     (「二木紘三のうた物語」『なごり雪』-08年4月11日コメントより転載)

 『なごり雪』が多くの学校の卒業歌として歌われているものなのか?私には分かりません。しかしなるほど「なごり雪」は卒業式の時期と重なる季節の風物詩、そして「♪汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる」という歌い出しのとおり、もしかしてこれが2人にとって“永の別れ”になるのかもしれないというとある駅のシチュエーション…。一見『卒業式と何の関係もないじゃん』と思われるのに、やはり結びつく何かがあるわけです。
 と、たまたま『なごり雪』だけを取り上げましたが、ある程度の歳月をくぐり抜けて残ってきたこれらの歌は徐々に古典化しつつあり、それだけに歌を聞くことによって呼び覚まされる思い出も格別なのに違いなく、一曲ごとに何らかのコメントができそうです。(が、紙面の都合上割愛します。)

 そんな中で、今根強い人気の新卒業歌があるそうです。『旅立ちの日に』という歌で、小中高校を通して最もよく歌われているといわれています。
 この歌は、1991年埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲だそうです。プロではなく素人が作った歌がなぜ卒業歌として全国的に歌われることになったのか?既にご存知の方もおられると思いますが、以下にかいつまんでご紹介してみます。

 影森中学校校長(当時)の小嶋登は、荒れていた学校を建て直すため「歌声が響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やしたのだそうです。最初は生徒からの抵抗が強かったものの、音楽教諭の坂本浩美と共に粘り強く努力を続けた結果、徐々に学校が明るくなっていったといいます。
 その集大成として坂本教諭が小嶋校長に作詞を依頼し、それに坂本が曲をつけて出来たのが『旅立ちの日に』です。そもそもこの歌はその年の「3年生を送る会」で教員たちが卒業生に向けて歌うサプライズ曲のはずでした。しかしその翌年から今度は生徒たちが歌うようになったというのです。
 その後しばらくは影森中学校だけの合唱曲だったものの、徐々に周りの小中学校でも使われ出し、1998年頃には普及が拡大して、全国の学校で歌われるようになったものだそうです。(なお川嶋あいの卒業ソング『旅立ちの日に…』というのもありますが、こちらもなかなか良い歌です。)

 この感動秘話を知って、私はかつて似たケースがあったことを思い出しました。それは一昨年の『厚木市と“夕焼け小焼け”』シリーズでご紹介した、童謡『夕焼け小焼け』です。(もちろん卒業歌ではありませんが)同歌は今でも全国で最も歌われている童謡であるのかもしれません。同歌が全国で歌われ出した次第を簡単におさらいしますとー。
 この歌を世に出そうとしていた矢先の大正12年9月1日関東大震災が発生し、同歌の未発表楽譜のほとんどは焼失してしまいました。しかしわずかに焼け残った楽譜をもとに、作詞した中村雨虹(なかむら・うこう)の関係者が焼け跡となった東京の一角で、震災で親を失った孤児たちに『夕焼け小焼け』を教え始めたのです。
 それがきっかけとなって、この歌は東京→関東一円→全国へと広まっていったのでした。

 いずれも、魂のこもった良い歌は、いつしか広く伝播していくという格好の見本のようなエピソードです。

 (大場光太郎・記)

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今『仰げば尊し』は歌われない?

 3月は卒業式の季節です。卒業式は、一つ上の学校あるいは社会に巣立つための、文化人類学で言う人生上の大きなイニシエーション(通過儀礼)の一つです。
 私が小学校を卒業したのは昭和37年3月、最終学校である高校を卒業したのは昭和43年3月のことでした。これは何度か述べたことですが、私はとにかく学校の勉強が嫌いでした。そのため学校生活もいい加減に過ごしたものだったのか?小中高それぞれの卒業式とも特に鮮烈な思い出がなく、『そういえば学校から心太(ところてん)式に押し出されてしまったようなもんだったなあ』くらいの感じなのです。

 ところで卒業式は必ずといっていいほど歌が歌われます。私の頃は確か『仰げば尊し』と『蛍の光』のセットだったでしょうか?私のあやふやな記憶によれば、式の始まりにまず『仰げば尊し』を歌い、来賓祝辞、在校生代表送辞などがあり、卒業生一人一人が壇上に上っての卒業証書授与、校長訓話、卒業生代表答辞と続き、最後の締めの歌が『蛍の光』というような式次第だったように思います。『蛍の光』を歌う頃には、感極まった女生徒たちからすすり泣きが漏れ聞こえてくる…。

 以上は私の本当にあやふやな記憶で、式次第の順番も違っていたのかもしれず、歌ったのも『仰げば尊し』と『蛍の光』のうちのどちらか一方だったのかもしれません。また歌には『君が代』も入っていたかもしれません。
 しかしいずれにしてもこの両歌は、私の世代よりずっと前からの卒業式の定番歌でした。これは時代がいくら変わっても歌い継がれていくんだろうなと思っていました。もちろん今でも歌われている学校もあることでしょうが、特に『仰げば尊し』の方は次第に歌われなくなっているようなのです。
 あまりまじめに勉強してこなかった私でした。それでも何年間かの学校生活で「師」である先生から学び教わった事は多かったわけです。そしてそれはその後の有形・無形の大きな財産となっていきました。その師恩に報いる感謝の気持ちを込めて、卒業式で『仰げば尊し』を歌うのは当然のような気もするのですが…。

 今思い出しても厳粛な感じのする『仰げば尊し』ですが、なぜ今ではあまり歌われなくなったのでしょうか?特に小、中学校では歌われなくなっているようです。一言で言えば「子どもたちに教えるのが難しい歌だから」というのです。
 文語調など外国語にも等しい今時の子どもたちに歌わせるには、歌詞の意味から教えなければいけない、しかし万事「詰め込み教育」のこの時代そんな余裕などありはしない、そのためつい敬遠されがちな歌になってしまったということです。
 
 しかし私たちが子供の頃を思い出せば、『仰げば尊し』を授業で教わった記憶がなく、何度か聞いているうちに自然と覚えてしまった歌の一つだったように思うのです。
 長い間歌い継がれてきた名曲とは、そうやって後の世に伝えられていくものなのではないでしょうか?しかしそのためには、年長者たちによる「この歌を後の世に残したい」という強い意思が必要です。
 これは一昨年記事『「雨」-哀感ただよう童謡』でも述べたことですが、『仰げば尊し』に限らず、文部省唱歌や童謡の昔懐かしい名曲が、今ではほとんど消えかかっているように思われます。学校でも教えなければ、テレビなどでもほとんど聞かれず、家で親も教えないわけです。

 例えばそれらを学校で教えない理由としては、やはり「歌詞が難しいから」の他に、「今とは違う時代の歌だから」「童謡として子供が歌うには暗い歌だから」等々。昔の歌の時代背景が違うのは当たり前のことで、歴史を学ぶのだって「温故知新」という意義もあるでしょうに。また「暗い歌」といいますが、それでは子供たちに「明るい歌」だけを大人たちがピックアップして与えていいものだろうか?それで本当に豊かな情操が養えるのだろうか?

 こういうこと一つ取ってみても、今という時代は過去の良いものをスパッと切り捨てて伝統との断絶を図ろうとしているようにしか思われないのです。例えば大都会などでは、昔からの情緒漂うその地方独特の町並みがどんどん姿を消し、代わって全国どこでも似たり寄ったりのステレオタイプの、冷ややかで硬質な高層ビル群や新建材住宅群が立ち並ぶ、などというのと軌を一にしているように思われるのです。

 『仰げば尊し』もそうです。他にも『朧月夜』『浜辺の歌』『荒城の月』『紅葉』『冬景色』『童謡-雨』『雨降りお月さん』『浜千鳥』…。思えば高度経済成長期以降特に、懐かしい日本の原風景がどんどん失われていきました。せめて歌だけでもぜひとも後の世に残していただきたいものです。いや私たち自身、身近なところで残す努力をすべきなのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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キム・ヨナ困惑?サイバー攻撃

 祈・日韓両国の国民レベルでの共存共栄の交流

 バンクーバー冬季五輪が2月28日閉幕しました。これで同大会はぼちぼち思い出の領域に入っていくのかな?と思いきや。女子フィギュアスケート金メダルに輝いたキム・ヨナをめぐって、とんでもない騒動が勃発しました。
 インターネット上の巨大掲示板「2ちゃんねる」サーバーが、韓国からの“サイバー攻撃”にさらされ、ついに今月1日ダウンに追い込まれたというのです。3日には復旧しましたが、ことの発端はキム・ヨナ選手に対する誹謗・中傷の書き込みでした。

 ここで「2ちゃんねる」とは、1999年に開設されたサイトで、政治からスポーツエンターティメントにわたるあらゆるトピックについて匿名で投稿できるサイトをいいます。インターネット上の“言論の自由”を拡大した一つのモデルともされてきました。インターネット調査会社ネットレィティングスによると、日本最大のユーザー数とページビューを誇る掲示板システムです。
 ただ外国特に韓国と中国を非難する書き込みを繰り返す、右翼的な“ナショナリスト”が集まる場になっていることも事実です。

 同掲示板には、キム・ヨナがショートプログラムで首位に立った直後から、「トリプルアクセルを成功させノーミスだった浅田真央より、高い得点なのは納得できない」という声が上がり始めました。そしてキムが史上最高点で優勝するに及んで、「審査員を買収したに違いない」「八百長だ」などと中傷が殺到したのです。
 しかしネットジャーナリストの井上トシユキ氏によりますと、韓国の審判員買収疑惑は、ネット上では国際大会のたびの恒例行事化しているのだそうです。そもそも事の起こりは、02年の日韓共同開催だったサッカーW杯で審判が韓国に有利な判定をしたと取りざたされて以来、脈々と続く“お約束”のようなもので、言ってみれば「ガス抜き」レベルの話だというのです。

 しかし今回はたかが「2ちゃんねるの書き込み」に対して、韓国のメディアはこれらをいちいち翻訳したのです。すると韓国側も「日本人に認めてもらわなくて結構」「この機会に独島(トクド、ドクド)で戦おうじゃないか ! 」「独島は韓国の領土だ」とエスカレートし、遂にはネット上で報復を呼びかける事態に発展したのです。そしてコミュニティーサイト「テロ対応連合」には、10万人を超える会員が終結したといいます。
 サイバー攻撃が行われた3月1日は韓国の独立記念日(三一節)に当たり、これが格好の吸引力となって数万人が参加する事態となったものと思われます。そのため2ちゃんねるは、同日午後1時からアクセス不能に陥ったのです。

 ただ「2ちゃんねる」のサーバーが米国に置かれていることにより、知らずに攻撃した韓国側も大誤算だったようです。井上氏によれば、「サーバーを提供しているサンフランシスコのPIE社は大損害。“2ちゃんねる”以外にも被害が出ていて、中には米国政府機関に関連するサーバーも含まれているそうです。被害額は250万ドル(約2億2千万円)ともいわれ、PIE社はFBIやサンフランシスコ市警と協議し、法的措置も検討しているという話」だといいます。
 FBIの登場に驚いた韓国のネットユーザーは、「何で日本じゃなくて米国から訴えられるの?」と、“逆大騒ぎ”なのだそうです。

 今大会のキム・ヨナがらみでは、試合前から「金メダルはキム・ヨナで決まり」と半ば公然と語られていたといいます。というのも、今大会の放映権を持つNBC(全米三大ネットワークの一つ)は、「歴代最高の一人であるキム・ヨナに魅了されない視聴者はいないだろう」と人気を煽るなど、どこもかしこも「キム・ヨナ金メダル」が世界共通の下馬評だったからです。その上今大会最大のスポンサーは米TV各局、となると視聴率を上げるスーパースターの登場を待ち望んでいたとしても不思議ではないわけです。
 こうして米国のみならずどこのメディアも、「キム・ヨナの金メダルありき」の空気が大会前から漂っていたというのです。

 実際あまりにも極端な点差といい、そのような大会前からの雰囲気といい、おかしいといえばおかしなことです。不条理そのものといえます。しかし『冬季五輪あれこれ』でも少し触れましたが、IOCをはじめとした国際機関はすべて欧米系です。現世界システム全体がそうである以上、彼らの利害に適った試合運びがなされてしまうのは、現実問題として致し方ないところです。
 幸いキム・ヨナは3月の世界大会を最後に引退のようです。さあそこからが浅田真央の出番です。とは言っても、4年後のソチ大会に向けて、例えば16歳で4位入賞した米国の長洲未来のような超新星が出てこないとも限りません。その意味では、浅田は本来の“異次元のジャンプ”以外にも、国際的メディアを味方につけるような“表現力”をいかに磨いていくかが今後の課題になるものと思われます。

 “サイバー攻撃”から話がそれてしまいましたが、日本と韓国は目と鼻の先の隣国同士で、古来から因縁浅からぬ関係です。他人よりも近親に対する憎悪の方が、一層ひどくて深刻だとはよく聞く話です。しかしいつまでも敵対関係を続けていてはいけません。
 日本にとって焦眉の急は、当ブログでも暗にお示ししてきたとおり、「対米従属状態」を一刻も早く脱皮して「真の独立」を果たすことです。その時韓国、中国という最隣国と敵対関係にあればそれは米国の思うツボなのであって、いつまでも米国頼みから抜けることはできません。「白人の神」が人類を幸せにすることなどあり得ないのです。

 いくら理想論と言われようとも、私は鳩山首相が唱える前から「東アジア共同体構想」を支持する一人です。政治体制や歴史認識や国情などの違いを乗り越えて、日本-韓国-中国ががっちりスクラムを組んで、北米圏やEUなどと十分対抗出来る大アジア経済・文化圏を創り出すべきだと、私は考えます。

 (注記)本記事は「日刊ゲンダイ」などを参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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大路の春をうたがはず

                   石田 波郷

  バスを待ち大路(おおじ)の春をうたがはず

…… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 石田波郷(いしだ・はきょう)は、昭和7年2月18歳にして郷里の愛媛県から俳句を極めるため単身上京してきました。ほどなく水原秋桜子(みずはら・しゅうおうし)が主宰する俳誌『馬酔木(あしび)』に投句を始めます。
 高屋窓秋(たかや・そうしゅう)と共に、流麗清新な叙情俳句に新風を開き、秋桜子門の代表的俳人となっていきます。師の秋桜子から、波郷の句は「昭和時代を代表する秀句」と絶賛されました。

 この句は昭和14年8月刊句集『鶴の眼』に収録された一句です。時に波郷26歳頃。この句はまさに「流麗清新な叙情句」の代表例のような句だと思います。
 もちろん今の私たちには、その数年後戦災によってほとんどが焼失してしまうことになる、戦前の東京の町並みなど知るよしもありません。ただ戦前の帝都にバスが走っていたということは驚きです。

 昭和14年といえば、2・26事件や日華事変が既に起きており、戦雲が妖しく立ち込めていることを、多くの東京市民はひしひしと感じていたことでしょう。しかしそんな重苦しい時代の空気とは別に、自然の四季の巡りはきちんきちんと繰り返されていくわけです。
 この句が詠まれた時期は、立春を過ぎて間もない頃とみてよさそうです。ですから並木の木々は依然葉を落としつくした裸木の状態、まだ芽吹き初めの蕾(つぼみ)さえ見られないかもしれません。しかしそんな中で波郷は、万物が皆蘇る心弾む春の兆しを「うたがはず」確信したのです。

 波郷に「春」を確信させたのは何だったのだろうか?その日その時町並みにあふれるばかり漲る日の光だったろうか?頬や体をそよとなでて吹きすぎる微風だったろうか?あるいは「大路」という広い開放的な場に立っていたからだったのだろうか?

 俳句には「季語」が欠かせないように、俳句は四季折々の風物、事物やその微妙な移り変わりなどを読み込む伝統的な詩形です。その意味で立春という暦の上の決め事の春ではなく、まさに「春そのもの」を掴み取った波郷のこの句は、決定的な「俳句的場面」をとらえた秀句であるように思われます。

 (大場光太郎・記)

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「テロ国家」イスラエル

 国際社会はイスラエルを「テロ国家」指定し、厳しく糾弾すべきだ !

 3月2日付「日刊ゲンダイ」第5面のコラム「国際政治ナナメ読み」に、『英仏豪激怒/どうする米国』という興味深い一文が掲載されています。筆者は原田武夫(原田武夫国際戦略情報研究所代表)という人です。
 同文のサブタイトルは「イスラエル暗殺事件拡大」となっています。これだけでは何のことかサッパリ分からないという人が多いことでしょう。しかしこれは、イスラエルとアラブ諸国の根深い対立によって引き起こされた国際的大事件です。そこで今回は、同事件の概要を原田氏の同文をもとにご紹介してみたいと思います。

 ある事件がきっかけで、今イスラエルが国際的に追い詰められているのだそうです。ただしもっか小沢幹事長、民主党バッシングに大わらわの我が国“腐れ大メディア”は、この国際的大事件をほとんど報道しようとしません。しかし一歩海外に目を向けると、英国を筆頭とする欧州勢が一斉にイスラエル批判を展開し、一気にイスラエルと欧州の外交問題に発展しかねない勢いだというのです。

 そもそもは、今年1月19日アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで発生した暗殺事件が発端でした。ドバイ市内のホテルで、ハマス(イスラム系原理主義組織)の幹部が複数人によって暗殺されたのです。
 事件を捜査したドバイ警察当局は、2月後半「この暗殺事件はイスラエルの情報工作機関“モサド”が行ったもの。しかも、諜報員たちは偽造した英国パスポートを持って入国し、大胆に殺害行為を行った後、出国してしまった」と発表しました。イスラエルはその発表にも、例によってダンマリを決め込んでいます。
 ところがこれに敏感に反応したのが英国です。ミリバンド外相がすぐさま駐英イスラエル大使を召喚し、事実関係を問いただし激しく抗議したのです。
 ことイスラエルがらみとなると、多くの場合このレベルまで物事が進んでも終わりになるケースがほとんどです。しかし今回ばかりは全く違う展開を見せそうだというのです。

 2月24日のBBC(英国放送協会)ニュースは同事件を続報し、その中で偽造されたのは英国パスポートのみならず、フランスさらにはオーストラリアにも偽造パスポートでエージェントたちは堂々と入国していたことをスッパ抜いたのです。
 この報道を受けて次にオーストラリアのラッド首相がすくさま反応し、「事実であれば厳正に対処する」との声明を発表したため、国際問題化に拍車がかかったのです。

 しかしイスラエルは、この期に及んでもなおダンマリを決め込むのみです。それというのも、同事件の作戦行動はモサド単独で行ったものではなく、ネタニヤフ政権の中枢が直接指示した可能性があるからです。
 もしこれが事実であるなら、イスラエルは北朝鮮やイラン以上の「テロ国家」と非難されてしかるべきです。何せ他国の領内に土足で踏み込んで「暗殺」を行い、しかも他国の偽造パスポートまで行使したのです。しかもその犯罪行為を、ネタニヤフ首相自ら指示したというのですから。国際刑事警察機構(インターポール)は、ネタニヤフの身柄を拘束し、国際司法裁判所の法廷に引きずり出すべきです。

 我が国で“ならず者国家”と言えば北朝鮮を指しますが、本当の意味でのならず者国家はイスラエルです。1967年6月の第3次中東戦争の勝利以降特に、自国内のパレスチナ難民に対する迫害や無差別爆撃、近隣中東諸国への不法行為等は目にあまるものがあります。
 そして同事件で問題になったイスラエル秘密情報機関「モサド」は、兄貴分であるCIAと共に「9・11」におけるWTCビルを崩壊させた実行部隊でもあります。
 そんなならず者国家・イスラエルを陰に日向に擁護し、最新兵器の提供や資金援助を続けてきたのが超大国アメリカです。

 それもそのはずです。超大国アメリカの“陰の政府”は、ユダヤ系財閥の「ロックフェラー帝国」であるからです。
 第2次世界大戦後の、新たな国際的枠組みの基盤として発足したのが国際連合です。そしてNYにある国連ビル敷地は、元々ロックフェラー財閥の所有地だったのです。ロックフェラーが世界を意のままに動かす思惑のもとに、土地を提供したわけです。(トップシークレットながら、国連ビル上層階の一室に“瞑想の間”というのがあり、そこには「666」が祀られている…。)
 世界の要をコントロールしているロックフェラーユダヤの庇護の下、仮にこの問題が国連安保理にかけられたとしても、結局アメリカの拒否権によって何事もなかったかのように終息してしまう可能性が高いと見られています。

 ただ同文の中で原田氏は、「しかし、本当に今回もそうなるのだろうか」と疑問を呈しています。というのも「金融メルトダウン」の裏側で進むユダヤ勢内部での激しい抗争を踏まえる限り、「もしかして今度こそ」と思えて仕方ないのだと言うのです。
 今回は金融メルトダウンについてはとても述べ切れません。同氏は「ユダヤ勢力の抗争」とは、「アシュケナージ対セファラディン」というユダヤの二大勢力間対立と見ているようです。同氏は国際問題のプロですから、あるいはそうなのかもしれません。しかし私には、どなたかがかねてから言っておられる、「戦争屋vs銀行屋」の対立構図と見た方がずっと分かりやすいように思われます。
 それはロックフェラーvsロスチャイルドであり、デビッドRFvsジェイRFというロックフェラー家の熾烈な内部抗争でもあります。

 (大場光太郎・記)

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記事数700越えました

 当ブログご訪問になり、記事をお読みいただいている皆様、感謝申し上げます。

 当ブログ、先日の『国母選手が大学生?』で記事数が700に達しました。一昨年4月末以来668日目です。けっこう休んだ日もあったはずですが、こうしてみますと1日1記事以上更新していることになるわけです。
 このようなご報告は、その時にご訪問いただいている方々との(お互い見えざる)交流を深める意味合いもあって、100、200、…500、600に達した時点でもしてきました。そのたび同じようなことを申しますが、諸事飽きっぽい私が『よくここまで飽きもせずにせっせと記事更新してこられたものよ』と、本当に我ながら驚くばかりです。

 あるブログを運営しておられる方は、ブログタイトル下の一言メモで時折り「このブログは私の命である」と掲げられることがあります。私はさすがにそこまで言い切る自信はありませんが、確かにここまで記事数を積み重ねてこられたのには、あるいは心のどこかにそんな想いもあるのかもしれません。

 アメリカの心理学者のウィリアム・マズローは、人間の欲求を5段階に分類し、その最高の欲求は「自己実現欲求」だと唱えました。そこまで大きなことは言わずとも、なるほど人は生きている限り、外に向けて何らかの「自己表現」を求めてやまない生き物であるようです。その表現こそはその人が生きている証(あかし)でもあり、それが満足いく程度達成されるとそれなりの充足感が得られるもののようです。
 ただいちがいに自己表現とは言っても、それこそ十人十色。その人の個性、適性、能力などに応じて表現方法はさまざまです。また「人さまざま」だからこそ面白味もあるわけです。仕事だけで十分表現し尽くしている人もおられるでしょう。主婦の方なら料理や室内のインテリアなどを、喜びをもって工夫することも立派な表現法と言えると思います。またある人の表現法とは、趣味の絵画や音楽などで、またはスポーツなどの身体的パフォーマンスを通して…。

 少し回りくどいことを述べてしまいました。私の場合は、「文を書くこと」が数少ない表現方法の一つであるようです。しかし書くことが私の一表現方法だとは言っても、日記が三日坊主になってしまうのはもっともなことで、誰も読まないものを一生懸命自分だけに向かって書き続けるのでは、とても適いません。
 「物言わぬは腹ふくるるわざなり」というもので、日頃思ったこと、感じたこと、考えたことなどを他の第三者の方々に読んでもらえるからこその張り合いであり、外に向けた一つの自己表現であると言うべきです。

 以前何かの記事でも述べましたが、その意味で「ブログ」はつくづくありがたい自己表現媒体だと思います。大げさに言えば、日本全国はおろか全世界に向けて自分が作成した文章を発信できるわけですから。事実どこかの県のとこかの地方にお住まいの方、あるいは日本語の分かる海外の方が、たまたま当ブログを開いて読んでくれたりもするわけです。
 こんなことは一昔前だったら、著名な作家や学者や言論人でなければ、とても適わないことでした。

 というような次第で、今後とも時間の許す限り、また私が書きたいことがある限り、時事的なこと、時々のトピックス、開設当初からの身辺雑記、季節報告文、自然観察文、名詩・名句・名短歌鑑賞文など、私の乏しい頭のアンテナで時々にキャッチした事どもを、気軽に時に力を込めて綴ってまいりたいと思います。
 どうぞ皆様、今後とも当ブログよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記) 

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大鶴基成が地検次席検事に着任?

 この大鶴人事は、検察の「小沢捜査続行」 の意思表示なのか !?

 本日3月1日付け検察人事として、最高検刑事部の大鶴基成(おおつる・もとなり)を東京地検次席検事に起用するとのことです。
 本来検察人事の異動は、他の官庁人事と同様新年度がスタートする4月1日付けというのが通例です。ですから今回の大鶴の次席検事着任は、1ヵ月前倒しした異例の人事といえます。

 ある情報によりますと、東京地検「次席検事」は、地検内にあって特捜部長を直接指揮できる立場でもあるということです。そこから検察全体があくまで「小沢捜査」を続行すると、内外に宣言したにも等しい人事と見られています。以前の『大鶴基成検事とは何者?』記事でも述べましたように、過去地検特捜部長だったこともある大鶴は、最高検検事でありながら樋渡検事総長と掛け合って地検に乗り込み、自ら一連の小沢捜査の事実上の指揮を執ってきました。
 一連の『週刊朝日』記事によりますと、「風を吹かせる」ために国家公務員法違反などなんのそのの、各マスコミへの捜査情報リークをし続けた張本人が大鶴基成だと見られています。

 2月4日の「小沢不起訴」は、検察上層部が最終的に下した決定であり、「俺の将来がこの捜査にかかっている」大鶴は、上層部に不満をぶちまけていたといいます。大鶴のみならず現場派検事にとっても、「大物政治家をあげるか否か」は各自の将来を決める分かれ道です。そのため今回の大鶴抜擢人事は、現場派たちの上層部への不満を抑える目的もあったのではないかとも見られています。

 「次席検事」という役職は、東京地検内では検事総長→検事正に次ぐ3番目のポストと見られ、職務はそれ以下の検事の監督と共に、検事総長、検事正の補佐役的役割です。そして検事総長、次長検事、検事正などは「検察庁法」で定められた役職であるのに対し、次席検事は法律上の規定のない役職で、「検察庁職務章程」という検察庁の内規で定められているに過ぎないようです。
 また検事正と次席検事では、格が違うという見方もあります。

 ともかく検察全体としても、今回の小沢捜査ではミソをつけるは、村木厚子元厚労省局長を逮捕した大阪地検の郵便不正事件は冤罪だというは、来月公判予定の西松建設事件での大久保元秘書も無罪判決の可能性が高いというは、足利事件で冤罪で17年間も服役させた菅家利和さんには現役検察官が謝罪するは…。以前の検察の威信などどこへやら、逆に「検察不信」が極まっている状況です。
 それに加えて、何年かぶりで「検察の裏金問題」が再燃しかねない状況にもあります。そこで検察の失地回復を狙って、検察全体の意思として大鶴基成を地検上級幹部として抜擢したとの見方も広がっています。

 地検と大マスコミの「官報複合体」の連係プレーで「風を吹かせた」効果はてき面でした。「小沢氏は幹事長を辞任すべきだ…70%以上」という強い追い風世論のあるうちに、再度小沢一郎を起訴、立件に持ち込もうということになったとしても、不思議ではありません。
 「小沢捜査続行」が事実なら、3月中にも大きな動きが予想されます。4月になると検察内部の人事異動で、それどころではなくなるだろうからです。今月の東京地検の動きには要注意です。

 「小沢不起訴」には、小沢や鳩山ら民主党首脳部と検察上層部との間で、現政権は検察人事に介入しない旨の「手打ち」があったのでは?という観測もあります。
 また既報のとおりそれより何より、不起訴決定直前、来日中の戦争屋・キャンベル国務次官補が小沢幹事長と会談し、同次官補は「ゴールデンウィーク中の大訪米団を要請した」と明らかにしています。オバマ大統領自身は親戦争屋(つまり親アメリカユダヤ)ではないものの、戦争屋を無視して政権が成り立たないことくらい百も承知です。
 オバマ政権→アメリカユダヤが、少なくとも嫌米ではなく、筋を通し政治的実行力抜群の小沢を、日本の政治家で最も高く評価しているフシがあります。「オザワは使える」と踏んでいるわけです。(アメリカサイドは、森や小泉や安倍といった、ただ尻尾を振るだけの忠犬を内心では軽蔑しているのです。)

 もし今後「小沢起訴」があり得る状況にでもなれば、東京地検(頭狂痴犬)の本当の飼い主であるアメリカ様の、その後の対日政策が根本から狂うことになります。ただただ己の保身のみで突っ走っている大鶴らは、アメリカ様に一体どのような落とし前がつけられるのか、これまた見ものです。

 ところであるサイトでは、この問題に関する記事で30以上ものコメントが寄せられています。小沢不起訴直後の世論調査では「検察を信じたい…50%以上」でしたが、ここでは親検察派はわずかに1、2を数える程度、後は皆厳しい大鶴、検察批判で満ちています。
 そこで最後に、その中でも最も痛烈かつ秀逸なコメントを以下にご紹介します。

01. 2010年2月28日 06:27:07
大鶴基成様、東京地検次席検事就任おめでとうございます。数々の冤罪事件をデッチあげられた貴方の手腕が評価されたのでしょう。貴方のデッチ上げで刑務所に入れられた多くの無実の人々、貴方のデッチあげで前科者になった多くの無実の人々とともにお祝い申し上げます。それから、忘れてならないのは貴方に自殺に追い込まれた多くの関係者の方々(自殺者が出るのはスジの良いデッチあげ事件だとのことだそうで)です。草葉の陰でさぞ喜んでおられるでしょう。ご遺族の方々も同じ気持ちだと思います。ただ大鶴基成様、貴方はまだまだ駆け出しですよ。貴方の尊敬する小泉純一郎氏などは毎年3万人以上の人を自殺に追い込む日本になさったのですから。でも大鶴基成様良かったですね、出世の為に多くの事件をデッチあげてきて報われましたね。当面は小沢一郎氏をどうデッチあげて逮捕し、貴方の嫌いな民主党政権を潰すかですね。それから、小沢氏の件ではまだ誰も自殺に追い込めていませんね。貴方のメンツにかかわりますね。 (引用終わり)

 (大場光太郎・記)

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