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『龍馬伝』について(2)

 風雲急を告げ出した幕末日本、そして土佐藩。『龍馬伝』面白くなってきた !

 NHK大河ドラマ『龍馬伝』だいぶ好調のようです。詳細には分かりませんが、視聴率的にも昨年の『天地人』や最近では最も好評だった一昨年の『篤姫』を抜き、毎回20%以上をキープする勢いのようです。ちなみに第11回「土佐沸騰」は、その前回より1%アップの21.4%だったとのこと。
 一般に大河ドラマなどでは、意外なことに「幕末モノはヒットしない」というのが定説だったようです。しかし坂本龍馬が主人公のドラマともなるとそんな定説もいとも簡単に破ってしまうということでしょうか?いかにも幕末の風雲児、革命児らしい破天荒な出来事です。

 大河ドラマの舞台となもなると、当該自治体はとっさにその「経済効果」のそろばんをはじくことでしょう。その意味で龍馬の出身地の高知県や高知市などは、実際ものすごい経済効果が出ているのではないでしょうか?
 これは何も出身地だけではないようで、後に龍馬が亀山社中(海援隊の前身)という我が国初の商社を興した長崎市なども大変な龍馬ブームのようです。
 龍馬と親交があった貿易商(実は「死の商人」)のグラバー邸など、龍馬ゆかりの地の旧跡巡りの観光客が急上昇中だそうです。長崎の龍馬観光ルートの中には、同市内の龍馬を演じている福山雅治生家も含まれていて大好評だそうです。

 当ブログでも『龍馬伝』はシリーズとして随時記事にしていく予定でした。しかし年初以来過熱、白熱の小沢捜査報道があったりして、なかなか記事にできませんでした。しかしドラマ本編は毎回しっかり観てきました。そして気がついてみれば、前回で早や11回目、黒船襲来で大騒ぎしていた頃から幕末色は一段と進んで、安政7年(1860年)3月3日水戸浪士らが大老・井伊直弼を暗殺した桜田門外の変へ。ということは、黒船に乗り込んで密航を企てようとして失敗した吉田松陰や、橋本左内など幕末最優秀頭脳が処刑された安政の大獄もとうに起こっていたわけです。

 いよいよ風雲急を告げ出したそんな頃、龍馬は2回目の江戸での剣術修行で千葉道場主・千葉定吉(里見浩太朗)から免許皆伝を授けられ土佐に帰ります。また同時期江戸で、長州藩の桂小五郎(谷原章介)など勤皇の志士と密会を重ねていた武市半平太(大森南朋)も、ある下士が起こした罪で土佐に戻されます。

 福山雅治の龍馬像は本当に茫洋としていて、今一つ掴みづらい感じでした。その点このドラマの語り部という設定の、もう一人の主人公・岩崎弥太郎(香川照之)は、福山龍馬がその持ち味を発揮し出すまで、このドラマの牽引役のようなものだったと思います。
 もうほとんど百姓といってもいいような岩崎家の暮らしぶり。その上弥太郎の父の弥次郎(蟹江敬三)はロクに働きもせず、飲んだくれのばくち好き、準禁治産者のようなロクでなしです。いつもボロ着を着て、なぜか鳥かごをいっぱい背負った、「歩く貧乏神」のような弥太郎の姿は強烈でした。髪はぼさぼさ顔も歯も真ッ黒でうす汚い弥次郎に、一部視聴者からは「もう少し何とかならんか?」とクレームが入ったよし。これ一つ取っても、貧窮に追い育った弥太郎像は大成功だったと言うべきです。

 そんな岩崎弥太郎は、父親に対する藩の仕置きを不服として、藩の門扉に抗議の文句を刻んだ罪により投獄されてしまいます。しかし獄中で受刑者の一人から「商売の極意」を教わり、一気に商人への関心が芽生えます。「災い転じて福となす」というべきか、弥太郎が獄中で書き上げた建白書中の「商の必要性」が藩の参政・吉田東洋(田中泯)の目にとまります。
 出獄後弥太郎は、吉田の取立てで長崎行きを命じられるなど、藩の仕事に就く事になりました。弥太郎にもようやく運が巡ってきたのです。
 史実としてはどうであれ、福山龍馬と香川弥太郎をこれからも大事な場面で互いにその場面に絡ませながら、ドラマは進行していくことになるのでしょう。

 土佐藩の上士、下士の身分上の違いは、他藩に見られないほど過酷なものだったようです。上士の下士に対する嫌がらせ、傍若無人な狼藉ぶりは、第1回から強く印象づけられました。下士の多くは、永久に続くとおぽしきこのような封建的身分制度には絶望感すら覚えたことでしょう。
 しかし「憤の一字は、是れ進学の機関なり」(伊藤仁斎)というもの。坂本龍馬にしても岩崎弥太郎にしても武市半平太にしても、そんな封建的桎梏の中から必死で剣術の腕を磨き、あるいは必死で学問を習得していったわけです。
 後に明治維新の大業を成し遂げた雄藩として「薩長土肥」が挙げられることになりました。そして武市の「土佐勤皇党」など、幕末維新の土佐の原動力となったのは、内に巨大なマグマのような「憤の一字」を抱え込んだ下士身分の者たちだったのです。

 下士たちのリーダー格が、文武両道に秀でた武市半平太でした。上士や藩政へ不満を抱く下士たちが続々と武市道場に集まりだしたのです。武市自身もだいぶ前から同じ憤懣を抱いており、それを「尊皇攘夷」という思想的なものに転換させていきます。武市の「攘夷論」は時と共により尖鋭化していき、武市は内心では懊悩しながらも攘夷原理主義者となっていきます。

 土佐に戻った坂本龍馬は、原理主義者の武市とは一線を画し一人わが道を模索していきます。そんな時、幼な馴染の平井加尾(広末涼子)と約束どおり婚姻の手はずを内々で勧めていた矢先。強硬な攘夷派の加尾の兄平井収二郎(宮迫博之)の推挙により、密偵を兼ねた京都公家・三条家の姫君の側女として、加尾に白羽の矢を立てられます。
 加尾は強硬に断りますが、この件は既に藩執行部の確定事項になっており、もし白紙となれば平井収二郎は切腹、加尾は泣きの涙で竜馬をあきらめ京都行きを決断。龍馬は藩邸に押しかけ激しく抗議するも最早覆らず。この一件で龍馬は一皮も二皮もむけ、武市をして「龍馬お前変わったな」と言わしめたのでした。

 加尾が京都に行って間もなく、土佐藩を揺るがす事件が起こります。弟を殺した上士を下士が敵討ちしたのです。さあこの一件で、土佐藩の上士と下士は全面対決の様相を見せ始めます。一触即発の事態を収束させようと、上士たちが立てこもる藩邸に行こうとする武市を制して、龍馬が単身乗り込んでいきます。
 藩邸には吉田東洋や後藤象二郎など殺気立った上士たちがてぐすね引いて待っています。そんな所に丸腰の龍馬が単身乗り込んで来たのです。その捨て身の訴えにより、上士たちも矛を収め、当事者てある下士の切腹だけで事の終息を見たのです。

 もしこれが史実だとしたら、茫洋としていた龍馬の、天馬空を行くごとき群を抜く麒麟児の本領がいよいよ発揮され出したな、というべきです。
 とにかくこの一件により、吉田をはじめとする藩政側も武市も下士たちも、龍馬を一目置き、また頼りにもされていくことになります。しかし当の龍馬本人は、加尾の非在が心の痛手になっているのか、土佐藩には自分の居場所を見つけられなくなっていきます。
 龍馬が幕末史で不滅の業績を残すのは「脱藩」以後ですが、いよいよそこまでもう間がないことでしょう。

 (大場光太郎・記) 

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