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水引マック周辺随想記

 以前も述べましたように、今年の春はどうも天候不順気味です。その記事でおととしの春とパターンが似ているといいましたが、どうも同年よりもっと不順傾向は強いようです。
 そんな中当地の桜はとうの昔に終わってしまいました。どうやら桜のピークは今月上旬だったらしいのですが、今年は寒くて雨や曇りの日が続き、たまたま晴れて気温が上昇した日を見計らって、桜はその日一気に満開になってしまったもののようです。そんな具合で、今年に限っては満開の時期をじっくり味わうことなく、気がついたらいつの間にかすっかり散っていたという、甚だ欲求不満気味な桜模様となりました。

 数日ぶりの“春うらら”の晴れの一日となった18日、午後から厚木市内のマクドナルド店を利用しました。同マック店は国道246号線沿いにあります。ドライブスルータイプの店です。ご存知かとは思いますが、車で来店したお客が車を降りずとも、指定エリアで待っていると注文の品が受け取れるシステムです。久しぶりの晴天の春の休日、行楽帰りなのか、遠い地方のナンバーなどもしょっちゅうスルーし、大賑わいです。
 同店南側駐車場に接して、246号に直交する東西に走る道路があり、そこは大きな交差点となります。その道路を挟んだ、マックと同じ並びは神奈川県警厚木署です。

 厚木署は10年ほど前署内での暴力事件が明るみに出て、その出来事によって3階建ての同署正面映像が、何度か全国的に流されました。同署建物は、私が当地にやって来た昭和43年以前から変わらずの古い建物です。
 かと思ったら、次は神奈川県警本部そのものの不祥事、そして全国各地の都道府県警察の不祥事が次々に暴露報道される事態となりました。国民視聴者に「もう警察は信用できんぞ」というきっかけとなったのが、厚木署の古い庁舎だったわけです。

 そんな不名誉なことはともかく。確かに私がやって来た当時から、厚木警察署とさらに南隣の神奈川県厚木北合同庁舎の建物はありました。しかし当時は、厚木市街の端を南北に走る現在の国道246号がちょうど建設中でした。
 その頃の旧246号は、小田原、伊勢原方面から厚木市役所前など市街地の中を走り、相模川に架かる相模大橋を経て、海老名市、大和市、横浜市そして渋谷に到るルートでした。

 その頃現在マックがある辺り一帯には田園が広がっていました。当時からあったのは、厚木警察署、県の厚木北合同庁舎、そこから2、300m北の厚木市農業協同組合(現JAあつぎ)ビル、その東側対面の県立病院(現厚木市民病院)など主に公共の建物がぽつりぽつりとあっただけ。今ではびっしり建て混んでいますが、当時はずっと北向こうまで広々と見通せたのです。
 この付近は「厚木市水引」という地名が示すとおり、昔々は1キロ以上東側に南北に縦貫して流れる相模川が氾濫でもすると、この付近一帯まで同川の水が押し寄せてきたといいます。土地の古老の話では、マックや警察署からさらに数百メートル西までがいざとなると水に浸かったようです。

 それから先はガクンと切り立った崖となり、戸室地区以西の高台となり、緑ヶ丘、温水(ぬるみず)、飯山などの丘陵地帯が広がっていくわけです。高台の入り口にあるのが、神奈川県でも名門高校の1つと言われる厚木高校です。実際幾多の有為の人材を輩出してきたようです。
 この水引マックにも、夕方など学校帰りの厚高生たちがグループで利用し、わいわい興じている姿を目にすることがあります。ふざけ合っていても、さすが見るからに皆賢そうです。能力といい、若さといい、彼らの未来は本当に羨ましいほどの無限の可能性が広がっているわけです。

 昭和43年山形の高校を卒業して当地にやってきた頃は、私も彼らとそう違わない年頃でした。私はたまたま工事中の現246付近の土地の測量に従事し、この近くを走り回っていました。
 厚木警察から少し南寄りに大きな陸橋が架かっています。今いる水引マックの2階からも、ひっきりなしに車が行き交う陸橋のさまを眺めることができます。当時はそれがちょうど建設工事中だったのです。もう陸橋としてのアーチ型の姿は造られていましたが、まだ未舗装の砂利道で所々に建設資材が積まれているような状態でした。

 たまたま私は測量道具か何かを持ちながら、工事中の陸橋を北から南へ越えようとしていたのです。するとその途中で、同橋の土木作業中の知らないアンちゃんが、私をしげしげと見つめながら、「おたく、いい男だねえ」と言ったのです。思いがけない言葉に、私は照れ笑いを浮べながら一瞬立ち止まりました。見れば、私より2、3歳ほど年上の人のようです。そして一言も返さず、そそくさとその場を歩き去りました。
 山形から当地にやってきた頃、当地での仕事、生活、対人関係になじめず、悩み苦しんでいる最中でした。ですからそんな言葉をかけられても、それで苦しい現実が変わるわけじゃなし。密かに芸能人になる夢があったのならまだしも、そんなことを考えたこともない身には、何の足しにもならない言葉でしかなかったのです。

 その頃コンプレックスの塊りだった私は、自分自身をまるで信じることが出来ないまま、気がついたら40余年が過ぎていました。当時7万人にも満たなかった当市の人口は、今では21万人を超えています。旧市街地は年々装いを新たにしていき、郊外部はどんどん宅地化され新市街地へと変貌していきました。
 すべてのものが変化の渦中にある中で、ただ独り私のみは変わらずに変化から取り残されてきたようです。いえ、その時見知らぬ人が「いい男だねえ」と言ってくれた容貌だけは、容赦なく変わってしまいましたが…。

 少しはものの道理が解りはじめ、何とか自分の自信を取り戻しつつある昨今です。そろそろ私も、本当により良く変わっていかなければならないと感じる今日この頃です。

  -4月19日。我が61歳の誕生日に-

 (大場光太郎・記)

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コメント

・・・・冥土の旅の一里塚、めでたくも無し、めでたくも無し。とは言うものの、親にもらったいのち、曲がりなりにも此処まで健康で生きながらえて来たことは、やはり自分にたいする最大の“おめでとう”です。
例え親の意思をどれだけまっとう出来たかは別としても。 多くは申しますまい。

「246号線」自分が知っている頃は、未だ山の中のデコボコ道でした。 昭和29年に入社した会社は某メーカーで、防衛庁向けの陸幕用野外交換機の「製品振動試験」にそのデコボコの山道をトラックに積んで走っていたものでした。 入社4~5年目頃、技術部に所属していた頃に本社工場のある武蔵中原から同じ所属の友の家がある恩田町まで、これもヨレヨレの250CCを自分でチューニングアップして二人乗りで行った事があります。
あれが246号線でした~~。
今年は8月には76歳になります。

投稿: 仙人 | 2010年4月19日 (月) 10時11分

仙人様
 大変ご無沙汰致しております。あれ、現在は長野にお住まいでしょうか?
 「冥土の旅の一里塚」は、一休禅師の狂歌だったかと思いますが、確かに深い真実を突いていると思います。それを自覚して、1日1日を大切に生きていければと考えます。
 えっ、昭和20年代後半頃「246」は山の中のデコボコ道だったのですか?今回取り上げました昭和40年代前半頃は、誰の歌だったか「♪ルート246~」などというしゃれた流行歌として歌われるまでになっていたように記憶しています。仙人様のお若い頃のエピソード、興味深く読ませていただきました。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。 

投稿: 自遊人 | 2010年4月19日 (月) 13時33分

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