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雪解川(ゆきげがわ)

           前田 普羅

  雪解川名山けづる響きかな

…… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 前田普羅(まえだ・ふら) 明治17年、東京生まれ。早稲田大学中退。新聞記者となり、大正13年から報知新聞富山支局長をつとめた。昭和4年に退社。「辛夷(こぶし)」の主宰として俳句に専念。大正元年「ホトトギス」に投句、たちまち鋭峰を顕わし、鬼城・蛇笏・石鼎と並ぶ虚子門四天王となった。『普羅句集』『春寒浅間山』『飛騨紬』『能登青し』などの句集がある。昭和29年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 いかにも大正、昭和初期の俳人らしい、堂々とした風格を備えた大景の句だなという感想を持ちます。幼少期を雪国の川側の家で過ごした私には、この句の意味するものがよく分かります。普段の季節だったら細く穏やかに流れる川も、雪解けの頃は様相が一変し、何倍にも水かさを増した大濁流となって、ゴーッ、ゴーッと大きな音を立てながら流れていくのです。

 私の郷里の村の上流は、いずれも小高い山が川の両側、西東にせり出して連なるばかり、名山などは一つもありませんでした。しかし前田普羅が目のあたりにしている雪解川は、略歴から推測するに富山県内にある名峰なのか浅間山なのかあるいは飛騨の名峰なのか、仔細には分からないものの、とにかくさる名山を一気に駆け下ってきた奔流であることでしょう。

 「雪解川……響きかな」は普通の俳人でも思いつくかもしれません。しかしこの句で何といっても秀逸なのは、中七の「名山けづる」です。凡百の者が同じ光景を通り一遍に眺めただけでは、とてもこういう卓抜な表現は思いつきません。今現前している雪解川に深く入り込んでいるうちに、『これほどまでに激しい流れなら、あの名山の岩肌も抉り取るばりの勢いで下ってきたのに違いない』と、心の深いところで着想した表現だったのではないでしょうか。

 私たちは映像によって、名山が文字通りけづり取られていくシーンを見てきました。今から19年前の1998年長崎県の雲仙普賢岳の噴火に伴う“火砕流”の発生です。同年6月3日発生した火砕流により、報道関係者、火山学者、消防団員、警察官、農作業中の地元住民など、死者行方不明者43名という大きな人的被害に見舞われました。また火砕流が流下した水無川及び島原市千本木地区に大きな被害をもたらしました。
 それ以外にも、近年の異常気象による集中豪雨などで、全国各地で突如土石流(山津波)が発生し、渓流が根こそぎけづり取られると共にふもとの地区をも一挙に飲み込んだ惨状を報道で知ることもあります。

  いずれも「雪解(ゆきげ)」の時期とは異なりますが、そのくらい深刻な事態ともなれば、さすがに「名山けづる」も生々しく実感されることでしょう。しかしそれはおよそシャレにもならぬ事態であり、とても優雅に句など詠めるものではありません。

 この句を詠んだ前田普羅はおそらく、昨今の火砕流や土石流被害など思いを致すこともなかったことでしょう。それに雪解川がいかに大増水して大音響と共に流下していても、実際のところ「名山けづる」というような事態は引き起こさないのではないでしょうか。
 小学校も3、4年頃になりますと、(その頃には町場に越していましたが)母に言いつけられたものか、近くの雪解けの山に分け入ってよく薪(たきぎ)を拾い集めたものでした。昭和30年代前半頃は、田舎町には都市ガスもLPガスもなく、炊事の煮炊きにはまだ薪を使っていたのです。
 山の表面の所々に斑ら(はだら)に残っている雪は、日に当たって表面から解け出し端っこの方からチョロチョロしずくとなって滴り、落葉で覆われた山肌を流れていくのみです。それは静かな山の雪解けのようすでした。それが方々の沢や渓流から一本の大きな川に集まると、大音響の大濁流になってしまうのです。

 よって「名山けづる」は、前田普羅という俳人のイメージの中にのみ存在し、表現された事態だったものと思われます。
 ただ名山というからにはかなりな高山であるに違いありません。そうすると岩肌むき出しの山の斜面で突如雪崩が発生し、「名山けづる」という状況が実際に生まれた。それが今前田普羅が見ている雪解川に流れ込んできているのだ、という可能性も否定はできません。
 
 (大場光太郎・記)

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