長江濁る
山口 青邨
たんぽヽや長江濁るとこしなへ
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《私の鑑賞ノート》
山口青邨(やまぐち・せいそん) 略歴は『夏の名句(1)』参照のこと
最近の海外での「HAIKU(俳句)ブーム」とは別に、海外旅行が日常茶飯事になった近年、名だたる俳人が海外に出かけて世界各地でかの地ならではの風物を詠むということも少なくないようです。
しかし青邨のこの句は、戦時中の昭和17年刊句集『雪国』に収録されているもの。いつ作られた句なのかは分かりませんが、その頃青邨は40代半ばに達していましたから、中国大陸に兵士として出征したということでもないようです。時局から推察するに、昭和10年代初め中国を旅行した折りに詠まれた句とするのが妥当なところではないでしょうか。いわば青邨は今日の海外吟行の走りのような俳人だったと思われます。
この句で詠まれている「長江(ちょうこう)」は、チベット高原を水源地帯とし中国大陸の華中地域を流れ、東シナ海へと注ぐ川です。全長は6,300kmで、中華人民共和国及びアジアでは最長、世界でも第3位です。我が国では、最下流部の異称である「揚子江(ようすこう)」の名でよく知られています。
「長江文明」「黄河文明」という呼び方もされますが、数千年前の殷(いん)、周(しゅう)以来、中国文明は両大河川に挟まれた“中原(ちゅうげん)の地”で治乱興亡が繰り返されてきたわけです。その南部地帯に当たる長江流域では、盛唐の詩人・杜甫が
呉楚 東南に圻(さ)け
乾坤(けんこん) 日夜浮かぶ
と『登岳陽楼』で洞庭湖のさまを雄渾に詠んだように、呉と楚両国の長年の対立がありました。また秦帝国の次の覇権をめぐって、項羽と劉邦(漢の高祖)との間で熾烈な争いもありました。さらには三国時代、南征してきた魏の曹操の大軍に対して、呉の孫権と荊州の劉備連合軍が赤壁で迎え撃ち、魏軍を徹底壊滅させた「赤壁の戦い」もありました。
俳人であり、また東大教授として当時の知識人の一人でもあった山口青邨が、そんな中国の歴史を知らなかったはずはありません。深い造詣は奥に隠して、
たんぽヽや長江濁るとこしなへ
悠久の歴史を秘めながら滔々と濁り流れ続ける長江に対するに、「たんぽヽや」とは。いやあ、参りましたという感じです。そのほとりにひっそりと咲いていたであろうたんぽヽは、雄大な長江あるいは中国興亡史と等価なものとして対置されているのです。
それは何かしら、「野の花を見よ。…ソロモン王の栄華とて、この花の一つの装いだにも適わなかった」と説いた、イエスの“山上の垂訓”の一節を髣髴とさせます。
時あたかも、日中関係にただならぬ暗雲が漂いはじめた時期でもありました。この句における「たんぽヽ」は、栄枯盛衰や抗争を繰り返す文明と人の世の哀しさを、かえって引き立たせてくれていて余韻の深い句です。
(大場光太郎・記)
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