吉野川-雪解頃の思い出
もう何度も述べてきましたように、小学校1年の秋まで私は山形県(旧)東置賜郡の「太郎」という山間の部落で過ごしました。
私の家は貧しい小作農だったため、当家で耕す畑地は当然のように高台の“檀那衆”(だんなす-お金持ちの家の意)から借りたもの、その上住んでいる家もどこかの家から借地した、何とか雨露をしのぐだけのあばら家でした。
いくつの年の春先のことだったでしょうか。当家が劇的な変化に見舞われることになる昭和31年、すなわち私が小学校に上がった年でなかったことだけは確かです。今の記憶では、その前の年私が6歳になる少し前のことだったと思います。
我が家は吉野川のすぐ側にありました。吉野川は、私の母の実家があり私自身が生まれた山の中の7軒部落「水林」(みずばやし)を水源とする、最上川の一上流です。
同川の東側の少し高くなった所が真っ平らになっていて、そこに3軒の家があり、また少しばかりの田んぼや畑もありました。少し広いその土地のすぐ崖上に、南の宮内町方面から北の下荻、上荻、小滝方面を行き来できる村で唯一の街道が通っていました。我が家はその街道から坂を下りてすぐの入り口、街道の崖下の所にありました。
その時の吉野川のようすからして3月下旬頃のことだったと思います。川のようすというのは、ちょうど雪解けの季節で、川の水が大幅に増水している状況だったのです。豪雪地帯とて、冬中は根雪にすっぽりと覆われ、家のこちら側と言わず、川中と言わず、川の向こうの小山の斜面と言わず、すべてが真っ白い雪世界です。
その季節ではさすがにもう雪は解けていましたが、上流から雪解け水が川に集められ、普段ならば穏やかで細い流れの吉野川もこの季節ばかりは、様相が一変し数メートルの川幅いっぱいに膨れ上がって、水かさを増した黄濁した川の色となって、ゴーゴー音を立てながら急な流れになっていたのです。
そんな時ちびっ子の私は、とある曇った夕方近く、家から少し下流側の土手の上を歩いていました。その辺は一応当家の小さな畑になっていましたから、まあ歩き回るのも当然なのです。私は土手の上から土手下をのぞいてみました。
すると水かさを増して土手を浸している水際に、幾株かの福寿草を発見したのです。確か記憶では、蕾から開いて間もないような小さな真っ黄色の可憐な福寿草です。私は無性にその花が欲しくなったのです。
そこで土手を下りて、福寿草を採ろうと思いたちました。もちろん子どもながらに、川のようすが常ならぬものであることぐらい分かっていたつもりです。だから身を土手に添わせるように斜めにして、そろりそろりと花のある所まで下りていったのです。あと少しで花に手が届きそうな所まで下りました。しかし肝心な一番下の所がなぜか湿っていたらしく、つるんと足を滑らせてしまい、あっという間に大増水している川にドボンと入り込んでしまったのです。
しかし子どもでも、人間の「生きよう」という無意識的な意思は凄いものです。つるんとすべって川に浸かったと同時くらいに、私は水際に生えていた枯れ萱(かや)か何かの少し丈が長い草を咄嗟に掴んでいたのです。
急流に流されまいと枯れ草に必死にしがみつきながら、次の瞬間あらん限りの声をふりしぼって「オカチャー、助けでけろーっ」と、10メートルくらい上手の家の中にいる母を呼び続けたのです。父も家の中にいましたが、もうその頃は病で臥せっきりになっていましたから、誰を呼べばいいかちゃんと分かっていたわけです。
間もなく私のただならぬ叫び声を聞きつけて、母が駆けつけてくれました。母は私のようすを見て顔をこわばらせたものの、「ええが、コタロ。そのままじっとすてろよ」と言いながら、より慎重にそろりそろりと土手を下り、私を救い上げてくれたのでした。
もしあの時母が助けに来てくれなければ、私はそのうち力尽きてしがみついていた草から手を離し、そのまま濁流に飲み込まれ遠く下流に流されていたことでしょう。そうなれば私の命はそこでおしまいになっていたはずで、今回こうして当時の思い出話を書くこともなかったわけです。
父は結局その翌年の春に亡くなりました。ですから以来私は母に育てられたのです。母こそは私にとっての生みの親でありますと共に、その時の命の恩人、諸々の恩人でもあります。しかし「のど元過ぎれば何とやら」は実際のことで、私はこの出来事をずっと忘れていたのです。そのくらいですから、母には孝行どころか親不孝の限りを尽くしてしまいました。
そんな母が脳梗塞で倒れ緊急入院したのが、平成9年の6月のことです。その頃になってやっと、『あヽそういえばあんなことがあったなぁ』とその時のことを思い出したのです。馬鹿には本当につける薬がありませんね。
(大場光太郎・記)
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