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2010年5月

地検特捜部を解体せよ !

 「郵便不正事件」-大阪地検、前代未聞の「求刑放棄」もあり得る !?

 最近検察が扱った大事件としては、東京地検特捜部による「小沢不当捜査事件」が何といっても筆頭に挙げられます。しかし忘れてならないのは、小沢事件と同時進行のような形で、大阪地検が捜査を進めてきた「郵便不正事件」です。

 郵便不正事件は、厚労省元局長の村木厚子被告(54)が自称障害者団体「凛の会」に偽の障害者団体証明書を発行し、不正に郵便料金を安くダイレクトメールを発行させたとして、虚偽公文書作成、同行使容疑で逮捕された事件です。同事件は大阪地検の当初の見立てでは、村木元局長を入り口に、民主党の大物・石井一(いしい・はじめ)選挙対策委員長の逮捕を狙ったものだったと言われています。
 東では東京地検による小沢幹事長の逮捕狙い、片や西では大阪地検による石井議員の逮捕狙い。つまり検察という強大並ぶものなき捜査機関による、「民主党潰し」の政治的謀略捜査ということで両事件は共通なのです。

 しかし郵便不正事件公判の初期の段階で、石井議員は自ら法廷に出廷して証言し、自身は同事件には全く関係していない旨を、完膚なきまでに証明してみせました。
 その時点で大阪地検の敗北は決した形ですが、以後の法廷で同地検はやむなく村木被告の有罪をめぐる事件に特化して、これまで何とか公判を維持してきたわけです。

 ところがこの村木裁判が、とんでもない結末を迎えようとしています。というのも、検察史上に残りそうな冤罪事件に発展しそうなのです。
 26日大阪地裁で開かれた公判の中で、同法廷は村木被告に不利な“検察調書”15通のことごとくを証拠として採用しなかったのです。そして裁判長は「取調官の誘導があったとみられる」と、法廷中に響き渡る声でそう宣告したのです。

 実際、村木被告の捜査に当たった大阪地検の取調べはひどいものだったようです。担当検事は、自分の意に沿う供述が得られるまで調書を取らなかったり、捜査を指揮した主任検事がОKする内容でなければ調書が作られなかったことなどを裁判所は問題視しました。 要するに裁判所は、最初に筋書きありきの「作られた事件」だったと認定したのです。
 結審前に「無罪確実」という前代未聞の展開に、大阪地検には激震が走っているといいます。

 元検察官で現名城大学教授の郷原信郎氏は、「“核”となる証拠を失った検察は犯罪を立証できず、普通に考えれば論告もできなくなる。最悪の場合、求刑を放棄する可能性もあり得ます」と述べています。

 いずれにしても大阪地裁の今公判での判断は、特捜部の捜査手法そのものを否定したも同然です。「特捜部の捜査手法」とは、
 「予めストーリーを作り、それに沿った“証拠”を当てはめ、容疑者をがんじがらめにする。裁判所も検察の調書を信用する傾向が強かった。その裁判所が今回、証拠採用を却下した。大阪地検の捜査手法がいかにズサンだったかということ。検察の操作能力が著しく低下している表れです」と、元大阪高検公安部長の三井環氏は語っています。

 「筋書きありき」で捜査を進め、関係者をギュウギュウに締め上げる手法は、小沢事件を捜査した東京地検も同じでした。
 小沢(不当捜査)事件では、「世田谷区内の土地購入資金にゼネコン(水谷建設)からの裏献金が紛れ込んでいる。それを隠すために小沢サイドは政治資金報告書を偽装した」というのが、当初の検察シナリオだったわけです。その見立てを証明するために、現職の石川知裕衆院議員など秘書3人を無理やり逮捕しましたが、検察シナリオを成立させる証拠は何一つ出てきませんでした。そこで地検特捜部は帳尻合わせとして、その後は報告書への記載日がずれただけの微罪で終止符が打たれようとしているわけです。

 いずれにしても今回の大阪地裁の決定には、東京地検特捜部の連中もブルっているそうです。東京地検は今後、(森英介元法相の指揮権発動によって逮捕したらしい)西松事件の大久保被告、小沢事件の石川被告の公判を控えているからです。
 両被告とも全面否認の上、大久保被告の場合は検察側証人の法廷証言が覆るなど、大阪郵政事件と展開が同じなのです。また石川被告の「期ズレ」も『小沢捜査は検察の大チョンボ?』で述べましたように、まったく事件性のない正当な土地取引だった可能性も大有りなのです。「どうすんだよ、東京地検 !」というお粗末なレベルです。

 再三述べましたように、特に東京地検特捜部は戦後の占領どさくさ期、GHQの肝入りで設置された捜査機関です。その後GHQの諜報部局が分離独立して出来たのが、「世界的広域謀略団組織」CIAです。実際大鶴基成や佐久間達哉など特捜部長経験者は皆、CIAの秘密研修を受けているのです。
 かつての田中角栄逮捕から今回の小沢捜査までことごとくが、米国の秘密指令を受けたと思しき政治的謀略に満ちた捜査でした。反面アメリカ様の覚えめでたい岸信介、佐藤栄作、中曽根康弘、森喜朗、小泉純一郎ら対米隷属の「売国政治家」の犯罪は完全にスルーされ、そのため彼らがいかに巨悪であったのか、ほとんどの国民は知りません。

 その上今回の大阪郵政事件と小沢事件です。政治的謀略捜査のさらに上塗りが、検察の捜査能力の著しい劣化です。例の麻生内閣による「官房機密費持ち逃げ」という重大な犯罪は、とっくに市民団体が告発しているにも関わらずずっと棚上げ状態。「○○地検特捜部」などという捜査機関は、本当にロクな捜査機関ではありません。
 こんな百害あって一利なき捜査機関は、組織改革など通り越して早々に解体すべきです。

 (注記)本記事は、「日刊ゲンダイ」記事を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎)

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最悪の基地移転決定 !?

 日本はいつになったら、アメリカ隷属から抜け出し「真の独立」を果たせるのか?

 28日普天間基地の移転先を名護市辺野古沖にすることを閣議決定したことが、各方面に大きな波紋を広げています。まず真っ先に目に見える形で現われたのは、連立パートナーである社民党党首の福島消費者・少子化担当相の罷免です。社民党並びに福島党首が、最後まで強く「県外、国外」と言い続けてきて一歩も譲らなかったためです。

 今回の件で福島瑞穂は「女を上げた」のではないでしょうか(笑)。罷免後の会見では、心なしかいつもよりキレイに感じられました。党首個人というより、社民党全体として筋を通したわけで党として大いに株を上げたことでしょう。
 もう少し推移を見守らないといけませんが、社民党は連立政権離脱の方針を決定したとも伝えられています。

 それにしても昨年9月の政権発足時以来、「出来れば国外、最低でも県外」と言い続けてきた鳩山首相の、180度の方針転換とも言える今回の決定はどうしたことなのでしょう?
 何といっても一番ショックを受けているのは、名護市民であり沖縄県民でしょう。これまでさんざん良い夢を見せられ、蹴飛ばされて一気にその夢から覚まさせられたような心境なのではないでしょうか?当然「裏切られた」という思いを持つことでしょう。中には「屈辱的な決定だ」と吐き捨てる県民までいました。
 この問題で大いに汗をかいてきた民主党の川内博史議員などは、身内でありながら今回の決定に対して「実現不可能」と言い切っています。県民の反対が根強い以上当然そうなるわけです。

 常々「普天間問題は“3次方程式の解”を求めるような難解さだ」と言っていた閣僚もいました。連立与党、沖縄県民そして米国政府。この三者すべてがストンと腑に落ちる移転先を見つけるとなると、まさにそうならざるを得ないわけです。しかし鳩山首相はある時期まで愚直にその解を解こうと、「5月末決着」目指して取り組んでいるように見受けられました。
 しかし時が経つにつれて、三者を丸く収めるような移転先などないことがハッキリしてきました。ならば次の段階として、「三者の優先順位をどうつけるか?」になってくるはずです。
 「国民生活重視」「対等の日米関係」。これを掲げて発足した鳩山政権であれば優先順位は明らかです。沖縄県民→社民党など政権与党→米国政府の順であるべきです。「国外」もしくは「県外」にとことんこだわるべきだったのです。

 しかし今回出てきた答えは「辺野古沖」。名護市民、沖縄県民を裏切り、「国民生活重視」の旗印を自ら下ろし、代わって自民党と同じ「対米隷属」の旗を揚げ直したようなものです。

 一体どうしてこんなことになってしまったのでしょう?首相の発言をたどってみると、4月24日時点は「県外」、しかし5月4日の仲井眞知事との会見では「辺野古沖案」が出てきています。つまり連休中あたりに何か大きな変化があったことになります。
 政権の舞台裏で何があったのか知る由もありません。想像できるのは、その間「米国サイド」または米国代理人的閣僚(北澤防衛相?岡田外相?)などから、「あくまで国外、県外にこだわるおつもりなら、総理、あなたの命は保証できませんよ」というような大ブラフをかけられたのではないでしょうか?そうとしか考えようのない、首相の突然の変節です。

 今回の決定で大喜びしているのは、米国、自民党、移転案の潰し報道に終始した新聞・テレビ、辺野古に利権を有する関係者などだけでしょう。これらは長年の日米安保で甘い汁を吸い続けてきた、何でも有りの悪徳ペンタゴン連中です。自業自得による、自滅・自壊を待つしかありません。

 沖縄県民ならずとも国民の多くは、今回の政府決定をどう受け止めたのでしょうか?おかげで国民もここ何ヶ月間か、基地問題を少しは学習してきています。過分な基地負担に苦しむ沖縄県民にシンパシーを感じ始めています。今回の決定によって、内閣支持率はまた一段と落ち込むのではないでしょうか?

 間近に迫った参院選は、このままいけば「民主大惨敗」が現実のものになろうとしています。まさに年初来、大メディアなどが想い描いたとおりのシナリオでことが進んでいるのです。残念ながら。

 (大場光太郎・記)

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今年のウエサクの月

  日が没(い)りて浄(きよ)さを増しし春の月   (拙句)

 今年の「ウエサク月」は雲間にお隠れで、結局見られずじまいでした。これは年初以来の我が国の、「国内騒乱状態」が反映されている「型示し(かたしめし)」だと私は見ます。

 ー 月を見やれよ。月の御座(みくら)申すは汝(なんじ)の心の御座にござるのぞ。スミキル(澄みきる)型示しなれば冴え冴えと、清きリン(凛)たる響きにて、汝の心を映すなり。月の鏡は曇りて無いか。月が陰るは汝等の身欲(みよく)の影にてござるのぞ。心は清く涼けくあるが善いぞ。
 心が曇りて居れば、汝の成す事、思う事、総て悪花に結びて居るのじゃ。

 これは1990年代半ば頃、我空徳生(がくう・とくお)という人に降ろされた『火水伝文』(ひみつつたえふみ)の一節です。
 我空徳生というのは本名ではありません。元は都内に住むデザイナー氏であったご本人は、何度も断ったそうです。しかし使命というもの、最後には『火水伝文』をこの世に現すお役を引き受けたのです。その時降ろさせたご存在から、そう名乗るよう言われたそうです。意味は「我(が)を空(むな)しうすれば徳を生む」ということのようです。

 ウエサク月の日である旧暦4月15日は、5月28日にあたります。ただ完全に「望(満月)」となるのは同日の朝8時8分であることから、前日27日の夕刻より夜明けまで鞍馬寺の『五月満月祭(ウエサク祭)』は行われたわけです。

 多分関東地方の多くがそうだったかと思いますが、いずれにしても27、28日の両夜とも厚い雲に覆われてほぼ満月を望むことはできませんでした。
 そんな中27日夜10時少し前、気になって外に出てしばし夜空を仰ぎ見みました。はじめはただただ分厚い雲が全天を覆うのみ。月がどこにあるのか、その所在すら分からない状態でした。しかししばらくすると南に寄った中空の一角から、ポッと光が射し初めました。なお見ていると、わずかに厚い雲が少しずつ切れ出したではありませんか。

 その薄くなった雲間から、月の上辺が見え出したのです。そしてなおも薄い雲間をぬうように、ゆっくり満月はその全貌を現わしたのです。
 とは言っても完全に雲が切れ煌々と輝いたわけではなく、薄い雲を通してです。それは何やら薄いヴェール越しの朧月(おぼろづき)といった趣きでした。
 その間ほんの1、2分。後はまた元のように分厚い雲が覆い、月の在り処はとんと分からなくなりました。
 28日当地では、終夜まったく見られなかったと思いますから、前夜チラッとでもウエサク月を拝めたことは僥倖とすべきです。

 私は実はウエサク祭があることを知ったのは、今から25年以上前のことです。昨年の『ある夜の呼び声』シリーズで述べましたとおり、私は「スピリチュアルな目覚め」が世間様より少しばかり早かったのです。
 そんな私は、例年ウエサク月は、5月の初旬か中旬頃だったように記憶しています。それだとちょうど「牡牛座の満月」となるわけです。その点今年のウエサク月はもう「双子座の満月」です。

 しかしこれは致し方ありません。月の望朔(ぼうさく)はほぼ28日ごと、対して現グレゴリオ暦は、そんな宇宙のリズムなどまったく無視の「狂った暦」であるからです。だから狂った暦を使っている歴史は土台「狂った歴史」となり、つまりは「狂った人類」に。
 近未来人類はどうしても、宇宙的リズムにシンクロした「マヤ(改良)暦」を用いるようになることでしょう。

 今回『正続・ウエサク祭とは?』を公開してびっくりしました。というのも、同記事は「ウエサク祭」という奇祭があることをご紹介し、口はばったい物言いながら少し啓蒙の気持ちもあったのです。
 ところがどうでしょう。公開当日から28日まで、ウエサク祭関連のアクセスがひっきりなし、全体の7割くらいを占めたのです。連日ご訪問の方はお分かりかもしれませんが、「検索フレーズランキング」でも1位から幾つもを占めました。またある「ツイッター」で同記事にふれ、そこからのアクセスもありました。

 まさに隔世の感です。今年のウエサク月は、年初来どこぞの国の「暗黒勢力」にコントロールされている検察、大メディアなどによる大騒乱を如実に映して、首都圏ではほとんど「ウエサク無月」でした。
 しかしそんな表層的な闇の勢力による「世のかき回し」にも関わらず、この日本でも「光の勢力」が着実に増えていることの表れだと思います。嬉しい限りです。

 ですから冒頭の拙句は、今回の満月を詠んだものではありません。もうだいぶ前の年の、多分4月上旬頃詠んだ句だったかと思います。
 よく晴れたある日のちょうど日が沈んだ頃、東の方を見やりました。日没前は西の日の勢いでうすぼんやり白けていた満月が、日の入りとともに急に光り輝いて大きく迫って見えてきたのです。それは本当に神々しさを感じるような、真っ白い春満月でした。

 願わくば、来年のウエサク月がそのような月でありますように。

 (大場光太郎・記) 

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春の夕べ

            深尾 須磨子

 まっさおな春の夕べ、
 とぼしきれぬ心の灯を、
 たった一つのランプに点(つ)けて、
 木の葉のやうにふるへます。

 何かしらよいことの、
 何かしらおもふことの、
 怖ろしいほどの愛撫の手に、
 どうしやうかと私はつつぷします。

 堪(た)へることのよさ、
 堪へることの切なさ、
 堪へることの切なさに、
 うちまかせた心の苦しさ。

 さはらないで下さい、
 糸が切れます、
 張り切った糸が、
 一寸(ちょっと)でも、ああ、一寸でもさはったら。

 真っ青な春の夕べ、
 とぼしきれぬ心の灯を、
 たった一つのランプに点けて、
 木の葉のやうにふるへます。

…… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 深尾須磨子(ふかお・すまこ) 大正、昭和期の詩人。明治21年(1888年)兵庫県北部の氷上郡生まれ。生家の荻野家は没落士族で7人兄弟の末っ子。元の名前は「志げの」。7歳の時父を亡くし、翌年親戚のもとに養子に預けられる。15歳で京都師範学校に入学するも奔放な言動により退学処分となり、菊花高等女学校に転校し明治40年(1907年)卒業。
 明治44年(1911年)「須磨子」と改名。24歳の翌大正元年(1912年)、京都帝国大学卒で鉄道技師の深野贇之丞(ひろのすけ)と結婚。深野は文学や芸術にも造詣が深かったが、大正9年(1920年)病死。須磨子は夫の遺稿に彼女自身の詩を合わせ、『天の鍵』を出版、与謝野晶子に認められ、以後詩集を立て続けに刊行し詩人として名が知られるようになる。
 大正13年(1924年)~昭和3年(1928年)渡仏しパリで暮らす。昭和14年(1939年)には外務省派遣の文化使節として渡欧、ムッソリーニとも会見した。戦時中は戦争賛美の詩を作り、戦後その反省から平和運動、婦人運動にも積極的に加わった。昭和49年(1974年)85歳で没。

 私が深尾須磨子という女流詩人とこの詩を知ったのは、ほんの2、3年前のことです。当然のことながら、私などの知らない隠れた名詩人、隠れた名詩が世の中にはまだまだ埋もれているわけです。
 この事実はさらに、この世には、至らない私などには「隠されている美」が数限りなくあるということを示唆してくれます。

 一概に「春の夕べ」とは言っても、各人の感性やその時の気分次第で、感じ方は人それぞれです。なべて季節の推移などにはあまり関心を向けない現代にあっては、微妙な季節の襞(ひだ)を味わうことにはさほど重きを置きません。
 しかしこの詩で深尾須磨子は、「春の夕べ」を独特の詩的叙情性で描いています。

 「まっさおな春の夕べ、/とぼしきれぬ心の灯を、/たった一つのランプに点けて、/木の葉のやうにふるへます。」
 「まっさお」なのは春の夕べの色だけだろうか?詩人の心そのものが「まっさお」(現代流に言えば「ブルー」)なのではあるまいか?ブルー(憂鬱)であるからこその「とぼしきれぬ心の灯」。
 そんな心の灯を点けるには、今の時代にあっては骨董品となってしまった「たった一つのランプ」を点すに限ります。現代の明るすぎる電気照明では、かそけき心の襞は悉く消失してしまいますから。

 「何かしらよいことの、/何かしらおもふことの、/怖ろしい愛撫の手に、/どうしやうかと私はつつぷします。」
 直接には現われてはいませんが、詩の底流にあるのはやはり「恋情」だと思われます。それは亡夫へか、他の誰かかは分からないものの。春の夕べであるのに、心をまっさおにさせるような、「切ない恋」「叶わぬ恋」。
 略歴では述べられませんでしたが、昭和初期前後3年間のパリ在住中深尾須磨子は、著名なフルート奏者マルセル・モイーズのレッスンを受け、「性の解放」を叫んだ女流作家のシドニー・コレットから短編小説の手ほどきを教わっています。さらにはパリ大学のトゥルーズから性科学も学んでいます。
 この聯からは、深尾須磨子の「モガ(モダンガール)」としての悩ましい官能性がほの見えてきそうです。

 「堪へることのよさ、/堪へることの切なさ、/堪へることの切なさに、/うちまかせた心の苦しさ。」
 この一聯が、この詩の核心部分だと思います。何事もスピードアップ、加速化のこの時代。男と女のコミュニケーションツールはもっぱらケイタイメール。いとも簡単に互いの想いを瞬時に伝え合えます。「恋文(ラブレター)」などはとうの昔に死語となってしまっています。また「出会い系サイト」などは、手っ取り早く「性の出会い」をセッティングしてくれます。
 このような時代にあって私たちは、「堪えることベタ」になっていないでしょうか?「堪えること」による心の熟成、心の深化などは忘れ去られ、ともすれば薄っぺらい即物的な「恋愛ごっこ」に陥りがちなのではないでしょうか?

 (注記)本詩はまだ著作権法による保護期間(作者没後50年間)にあります。しかしこのたびどうしてもご紹介したく、当ブログにて公開致しました。もしご関係の方がお読みでしたら、どうぞご寛恕ください。

 (大場光太郎・記)

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続・ウエサク祭とは?

 2012年のウエサク祭。そしてその後のウエサク祭はどうなっていくのだろうか?

 一般には知られることのないウエサク祭ですが、近年アメリカなどでにわかに注目され始めています。

 そもそもウエサク祭をはじめ、インドのヴェーダ哲学などが欧米に知られるキッカケとなったのは、19世紀後半ヨーロッパに設立された「神智学協会」によってでした。詳述はできませんが、「神智学」はロシア貴族出身であるブラヴァッキー婦人がある時、ヒマラヤ(当時)に居を構えていたクートフーミ大師などから、西洋世界では失われてしまっていた「古代叡智」をテレパシーで伝達されたことに始まります。
 クートフーミ大師は、霊的聖師団(スピリチュアル・ハイラーキー)の七大聖の一人で、「愛と叡智の第二光線」のマスターであり、直前の過去世はキリスト教最大の聖者と讃えられている聖フランチェスコだったと言われています。

 その結果まとめられた『シークレット・ドクトリン(秘密教義)』『ヴェールを脱いだイシス』などの膨大な神智学体系は、それまでは対立概念でしかなかったキリスト教、古代エジプト密教、ヘルメス神学、仏教、インド哲学、薔薇十字会などの諸宗教、神秘思想を融合させた深遠かつ画期的な体系でした。
 神智学からは、クリシュナムルティ、ルドルフ・シュタイナー、アリス・ベイリーといった霊的巨人を輩出しています。そしてその流れはそのまま、現代の「ニューエイジ運動」のベースとなって今日に至っているのです。

 神智学関連の書籍では「ウエサク祭」について以下のように述べています。
1.いわゆる旅立ち(キリストの昇天)の後もずっと、キリストが私たちの間に物質的に存在していたという事実を実証するため。
2.西洋と東洋の、神へのアプローチが事実上一致していることを物質界で証明するため、キリストとブッタが共に参列する。
3.父の家(シャンバラ)と神の王国(ハイラーキー)と人類を総合的、象徴的につなぎ、代表する者たちのための集合地点を形成するため。
4.偉大で選ばれた媒介者としての、キリストの仕事の性質を示すため。

 以上は、(第二光線のクートフーミ大師の後継者)ジュアル・クール大師の指導により、アリス・ベイリーがまとめた『トランスヒマラヤ密教・第一巻』からの要約です。
 なお神智学で言う「キリスト」とは、イエスキリストのことではなく、「ロード・マイトレーヤ」を指しています。(どうしてかは省略しますが)キリストたるマイトレーヤが「スピリチュアル・ハイラーキーの長」であり、世界奉仕者団体のリーダーなのです。

 最近ウエサク祭が注目を集めることになったのは、1995年から同祭を米合衆国カリフォルニア州の聖山・シャスタ山中で祝われるようになったためです。
 スピリチュアル・ハイラーキーからの促しにより、それを企画し米国内外のライトワーカーに働きかけ実行したのは、現代の霊的巨人の一人、ジョシュア・ストーン博士(故人)でした。以降ストーン博士は、2000年代中期アセンションを果たし、内的世界に移行するまで「ウエサクbyマウント・シャスタ」を毎年主宰しました。

 例えば2003年の“シャスタ・ウエサク”では、世界中から2千人のライトワーカーが駆けつけ、(真偽のほどは分かりませんが)この祭典に高次元世界のアセンデット・マスター、ミカエルなどの大天使、エロヒム及びキリスト意識を達成している地球外生命体など100万以上の内なる世界の存在たちが結集したと言われています。

 その後シャスタ・ウエサク祭は毎年参加規模を大きくしながら、ドランヴァロ・メルキジデクが主宰を受け継いだりして今日に至っています。
 今年の「シャスタ・ウエサク2010」は、28日~30日の3日間にわたって行われる予定です。
 
 ウエサク祭は最近東京でも行われています。今年の『ウエサク祭2010』は、5月28日(金)に行われます。また鞍馬寺の『五月満月祭(ウエサク祭)』は1日早く、27日午後5時から行われます。こちらは満月となるのが翌朝8時8分であるため、月齢としては27日夜の月の方がより「望(満月)」に近いためのようです。

 この祭り一つ取ってみても、世界中のそこかしこで、2012年を迎え、超えるための取組みが知らないところで数多く起きています。
 日頃は「満月」などにはとんと関心のない私たちです。しかし5月27、28日の両夜のひと時、心静かに「ONENESS(ワンネス)」(すべてはひとつ)に想いを向けてみてはいかがでしょうか。   ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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ウエサク祭とは?

 -5月の満月の夜。今では世界各地でウエサク祭が行われている-

 「ウエサク祭」というお祭りをご存知でしょうか?多分ほとんどの方はご存知ないことと思います。この祭り元々は仏教から始まったもので、チベット、タイ、スリランカなどアジア各地で行われてきた祭りです。

 ウエサク(Vesak/Wesak)祭の起源は、ブッタ(釈尊)の降誕、悟りを開いた日、入滅の日がすべてヴァイシャーカ(Visakha)(インド暦第2月)の第一満月の夜であった」という伝承から来ており、占星のカレンダーに則ってその期日は決定されます。
 ヴァイシャーカ月の満月は、太陽が牡牛座(おうしざ-4/21~5/20頃)から昇る日であり、旧暦では4月15日になります。私たちが使用している太陽暦(グレゴリオ暦)では4月から5月の満月にあたりますが、ウエサク祭が行われるのは「(グレゴリオ暦)5月の満月」とほぽ決まっているようです。

 現実的な地名として、ヒマラヤ山中に「ウエサク渓谷」という地名が存在しているとされています。ウエサク祭はそもそもこの渓谷で行われるようになったことから、その名がついたと言われています。
 ウエサク渓谷では、過去何世紀にも溯って毎年5月の満月の夜、同渓谷でウエサク祭が行われてきたことが確認されています。伝承ではこの満月の夜、ウエサク渓谷には釈迦如来(ブッタ)が天上界から降臨し、祭に臨席されるというのです。

 実はこのウエサク祭を、我が国でも古来から伝えている所があります。京都の鞍馬寺です。鞍馬寺は平安末期、源義経が牛若丸を名のっていた幼少の頃、同寺に預けられ天狗から武道などの手ほどきを受けた伝説で有名です。

 鞍馬寺ではその名を「五月満月祭(ウエサク祭)」といい、同寺の資料によりますと、
 「五月の満月には天界と地上の間に通路が開け、ひときわ強いエネルギーが降り注がれるという。この夕、満月に清水を捧げ心のともし灯を輝かせつつ、降り注がれる神秘的なお力を身に受けて、自分とすべてのものの「目覚め」のための熱い祈りを捧げるのが、光と水と聖音の祭典「五月満月祭(ウエサク祭)」である」としています。
 同寺の祭は夕刻から夜通し三部に分かれて行われ、最後に全員で『心の書(ふみ)』を唱え、魂の夜明けを迎えるのだそうです。

 ところで鞍馬寺の本尊は「魔王尊」とされます。魔王尊とはまたおどろおどろしい尊名ですが、どのような存在なのでしょう?魔王尊とは、実は「サナート・クマラ」のことであるようです。サナート・クマラは、世界中の秘教学徒にとっておなじみの名前です。何百万年という気の遠くなるような大昔から、人類進化を見守り続けてきた、「地球霊王」「惑星ロゴス」とも讃えられる存在なのです。

 鞍馬寺の伝承によりますと、魔王尊は何百万年か前、金星から鞍馬山に飛来して鎮まったと伝えているようです。『時を超える聖伝説』という本によりますと、今から250万年前、サナート・クマラが金星から「惑星ロゴス」としての仕事を司るべく地球にやってきて、最初に降り立ったのが鞍馬山(クマラ山)だったといいます。同山は当時、地球上でも特に強力なパワースポット(ボルテックス)だったそうです。
 地球上で最初の最高評議会の会合が開かれたのも、「(聖)白色同胞団」(ホワイトブラザーフッド)が結成されたのも、この日本の鞍馬山でのことだったということです。

 今から150万年ほど前、ゴビ砂漠上空のエーテル界層にある「シャンバラ」に拠点を移すまで、実に100万年もの間、鞍馬山周辺が当時の「(霊的な)世界政府」だったことになります。

 研究家の間では、旧約聖書の「日の老いない者」という記述はサナート・クマラを指すと言われています。想像を絶するような深い叡智を具えながら、今でも16歳くらいの美しい若者の姿を保っていると言われています。
 サナート・クマラは、人類が超人(アデプト)になるために必要とされる「七つの大イニシエーション」のうち、「第三」から「第六」までのイニシエート(秘儀伝承者)に対して、イニシェーションを授ける“内なる世界”での儀式に立ち合うとされています。

 なお1998年をもって、サナート・クマラは金星に戻り、ブッタがその職掌を引き継いだという情報もあります。それに伴って、それまでの「東洋は精神性」「西洋は物質性」という従前の役割が逆転し、シャンバラも米合衆国のある場所に移ったと言われています。 (以下「続・ウエサク祭とは?」につづく)

 (大場光太郎・記)

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森英介前法相を証人喚問せよ !

 西松事件捜査は、森英介元法相が指示したものだった?これは大スキャンダルだ !

 小沢一郎民主党幹事長をめぐる「政治とカネ」の問題が止むことなく続いています。小沢幹事長がこの問題でバッシングを受けることになったそもそもの発端は、西松建設違法献金事件(以下「西松事件」)でした。西松事件では、まだ自民党政権だった昨年3月3日に、小沢氏の公設第1秘書だった大久保隆則氏が東京地検に逮捕されたのでした。

 この事件については、当時の『「ユダヤにやられた」-田原発言』記事で、当時民主党代表だった小沢一郎が、「極東の防衛は米第7艦隊だけで十分(後の米軍兵力はどうぞお引取り願いたい)」といった発言が、アメリカユダヤの逆鱗に触れ、同事件はアメリカサイドからの極秘指令だった可能性について述べました。

 ところがここに来て、そのことと深いところで結びついているのかどうか、この西松事件の捜査に、当時の森英介法相(61)が「介入」した疑いが浮上しているのです。
 森英介は法相だった頃、親しい財界人に「大久保逮捕は私が指示した事件だった」と漏らしたというのです。それを聞いた財界人は『こんなことが許されるのか』と耳を疑ったといいます。

 この話が最近ネット上を駆け回っています。きっかけは元参議院議員の平野貞夫氏が、『ニュースの深層』というケーブル・ネット専門番組でこの件を爆弾告発したことです。“政界地獄耳”のような平野氏は、森元法相の驚くべき発言を、当の財界人から直接聞いたと証言しています。

 平野氏は21日「真相を解明すべきだ」と、民主党に申し入れをしました。それを受けた民主党の小川敏夫広報委員長、佐藤公治副幹事長、辻恵副幹事長は、森前法相の発言があったのかどうか、「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」で取り上げるといいます。
 平野氏はまた、ジャーナリストの高野孟氏が主宰するニュースサイト『THE JOUNAL』で、この問題につい詳細に述べています。

 もし本当に森前法相が西松事件に介入していたとしたら、大問題です。麻生自民党による、小沢民主党(当時)への「政治弾圧」そのものに他ならないわけですから。
 昨年3月といえば、麻生内閣の支持率が急落し、『このままでは政権交代は確実』とみられていた時期にあたります。野党転落を恐れていた自民党にとって、「西松事件」は願ってもない展開だったわけです。

 小沢一郎はこの事件の責任を取る形で、同年5月民主党代表を辞任しています。のみならず昨夏の衆院選後政権交代なった今日に至るまで、東京地検と大メディアは小沢氏の「政治とカネ」の問題を追及し続けています。
 そのすべての発端が、植草一秀元早大教授が命名した「3・3事変」、すなわち大久保元秘書の逮捕にあったわけです。今に続く小沢問題、小沢捜査がいかに「政治的謀略」に満ちたものだったか。その一端をうかがわせるに十分な平野証言です。

 新聞・テレビはこれを問題視して、早速総力取材を開始し、国民に事実関係をきちんと報道するべきです。小沢捜査が沸騰していた今年1月、鳩山首相が小沢幹事長と会談し「どうぞ(検察と)戦ってください」と言ったとされる問題では、新聞・テレビは「これは司法への不当な政治的圧力だ」と騒ぎ立てました。
 今回発覚した森前法相の件は、それとは比べものにならない深刻な「司法への政治的圧力」そのものであり、「指揮権発動」とみなしてもよい実際行動です。新聞・テレビよ。我れ関せず、などということはよもやあるまいね?

 いずれにしてもこれは大スキャンダルです。徹底的な真相究明が必要です。そのためには何をさておいても、森英介前法相並びに樋渡利秋東京地検検事総長を国会に引きずり出し、証人喚問すべきです。そのことを強く要求します。

 (大場光太郎・記)

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次の焦点は検審再議決に

 検察審査会は検察の補完機関。百害あるのみ。“事業仕分け”で廃止せよ !

 小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は21日、東京第五検察審査会が「起訴相当」と議決した小沢氏を、改めて容疑不十分で不起訴処分としました。

 東京地検の大鶴基成次席検事と佐久間達哉特捜部長は、21日午後5時すぎ、東京霞ヶ関の検察合同庁舎で小沢幹事長を「不起訴処分」としたことについての会見を行いました。大鶴次席検事は、「小沢議員について、起訴済みの会計責任者らと共謀し、犯罪行為を実行したと認めるに足る確証が得られなかった」とする処分事由をゆっくり2度繰り返しました。
 また平成21年3月の西松建設違法献金事件から小沢氏への捜査指揮を担ってきた佐久間部長は、「再捜査の結果も踏まえたが、証拠に変わりはなかった」と語りました。

 要は2人の東京地検幹部による検察の全面的敗北宣言です。昨年末の得体の知れない某市民団体からの告発に飛びつくようにして捜査に着手し、以来悪徳旧勢力仲間の大メディアと共に総がかりで攻め込んだものの、小沢氏を有罪に持ち込めるだけの確証は何も出てこなかったということです。

 「小沢捜査にオレの栄達がかかっているんだ」と周囲に言い放っていたという、大鶴と佐久間は東大法学部からの先輩後輩の“赤レンガ組”です。佐久間達哉は花の特捜部長就任後、長銀事件、西松建設事件など悉くミソをつけてきました。
 「国家公務員法(守秘義務)違反事件」の容疑者と思しきリーク魔・大鶴基成も、佐久間とコンビを組んだ福島県知事汚職事件は、結局多数の自殺者を出しただけの冤罪事件として最高裁で全員無罪が確定。そして今回の小沢捜査。これで2人とも「検事総長」のイスは夢まぼろしと消え去り、さぞホゾをかんでいることでしょう。

 いずれにしても東京地検が2度目の不起訴処分の判断を下したことにより、次の焦点は東京第五検察審査会(以下「検審」)の再審査の行方に移ってきました。

 前回4月27日検審は、小沢幹事長を「起訴相当」との議決をしました。しかも審査委員11名が見事に「全員一致」でです。これはずい分面妖なことと言わざるを得ません。ということは審査委員全員が何らかの理由(外圧)により、「反小沢一郎」一色に統制させられた可能性が出てくるからです。
 
 今の日本は一応建前上民主主義国家です。民主主義という政治システムは、多数意見が優先されるとはいえ、少数意見も尊重し内包していくことによって成り立っています。そこにナチスドイツや“北の将軍様”の国とは違う、何事も意思決定のプロセスに時間がかかるといった難しさもまたあるわけです。
 しかるに前回の第5検審では「全員一致」。ここに全体主義的薄気味悪さを感じるのです。

 検察サイドは不都合な資料は隠し、小沢氏有罪をにおわせるような資料しか審査委員たちに渡していなかった可能性があります。その上前回の審査に際して審査補助員を務めた米澤敏雄弁護士が、審査委員の意思決定に多大な影響を与えた可能性が極めて高いと思われるのです。
 米澤弁護士は検事や裁判官を務めた、いわゆる「ヤメ検」弁護士です。樋渡検事総長、大鶴次席検事、佐久間特捜部長ら現役組の大先輩に当たるわけです。その上同弁護士が現在籍を置いている麻生総合法律事務所は、3月の同事務所40周年記念祝賀会で、谷垣自民党総裁や小沢氏・民主党バッシング筆頭番組(TBS)『朝ズバ !』の司会者・みのもんたらを来賓に招いています。

 米澤弁護士なる審査補助員が、素人の審査委員たちにどんな助言を誑し(たらし)込んだかは容易に想像がつきます。「市民目線からして許し難い」「独裁者小沢一郎」などという議決書の文言からも、そのことが推察できるのです。(重要な法律文書にこんな情緒的文言を入れさせた、同弁護士の法律家としての資質には疑問符をつけざるを得ませんが…。)

 以上のことから、前回の11人の審査委員は「市民(代表)」などとはとんでもないことです。彼らは検察サイドと米澤弁護士から、いいようにコントロールされていたのです。言ってみれば「11人の愚衆」とでも言うべきです。

 第一審査会が何時開かれ、メンバーはどんな氏素性なのか、どんな資料に基づいてどんな根拠で結論を出したのか、まったくもって不明なのです。今回の事件捜査には、政治事犯捜査のプロ集団である東京地検特捜部が、半年もの時間をかけてきました。その結果が2度の「不起訴処分」です。
 なのに、愚衆がわずかな時間の「密室裁判」で結論づけたものを、ある日突然議決として出してくる。それは検察捜査にも勝る、最終的な金科玉条の法的結論である。だから信ぜよ。国民にそう押し付けているようなものです。
 
 こんな愚衆委員たちが、たとえ何度「起訴相当」を出そうが、何の法的根拠も拘束力も持ちはしません。「ふふん、そうかい」と鼻で笑って、そのつど無視するに限ります。

 (大場光太郎・記)

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小沢捜査は検察の大チョンボ?

 『小沢幹事長再々聴取』記事へのコメントとして、匿名様より下記のようなお尋ねがありました。早速指定のサイトを訪問したところ、小沢土地購入問題についてまたまた驚きの新事実が書いてありました。その全文も併せて転載させていただき、私が最後に補足的感想を述べてみたいと思います。
                        *
こんな記事がありました。
わたしは、ちんぷんかんぷんですが、解説していただければ嬉しい限りです。

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-871.html

投稿: 匿名 | 2010年5月21日 (金) 11時25分
                        *
(上記サイト本文転載)

【陸山会】世田谷の土地の登記簿は?

小沢氏は 当然ながら不起訴になるようだ。

そりゃそうだろう。石川氏だって、期ズレどころか完全なえん罪の可能性が大なのに。

ネットで流れている情報が正しいならば、すべては世田谷の土地の登記簿を見れば明らかになる。
つまり、10月時点で地目が農地であり、小沢氏の名義については「所有権移転請求権」であること。翌年1月に農地転換が完了し、地目が宅地になった時点で小沢氏名義の本登記が完了したこと。

これが明らかになると、石川氏には何のミスもないことが明らかになる。
つまり、「所有権移転請求権」は債権であり、乙区に記載されるものらしいからだ。
甲区の所有者は、前の所有者のままということ。

平たく言えば、前金を払って購入を予約したようなもの。
万が一 農転できなければカネを返してもらって、請求権を抹消すれば済む。
所有権の行ったり来たりは発生しない。

実際には、1月に農転が完了したので、その時点で所有権を移転し、本登記した。
つまり、売買の行為が完了した。

となれば、10月は予約金を払っただけであり、土地の購入は翌1月だったと言うこと。
石川氏が書いた収支報告書は、一切何の間違いもない。

と、そういうことが分かるはずの登記簿が、ぜんぜん公開されていないのが不思議。
少々手間とお金をかければ、登記事項証明は誰でも手に入る。

ところが、少なくともネット上では、小沢氏の沖縄の土地やどっかのマンションの登記簿の画像はわんさか出てくるのに、問題の世田谷の分の実物画像が出てこない。悪意にみちみちている連中が、なんで世田谷については画像をアップしないのか、まったく不思議だ。

小沢氏は、この登記簿を公開し、分かりやすい解説をつければ、これ以上の「説明」はない。
ぜひ、実施して欲しい。

それでも検察審査会が「起訴相当」を再議決したならば、それはもう検察審査会がオウム並のマインドコントロールを受けているということであり、検察審査会審査会を設ける必要がある。

※司法書士さんなどで、手軽に登記事項証明をとれる方がいたら、ぜひ実物画像をアップしてアドレスを教えてください。
 地番は 世田谷区世田谷区深沢8丁目28番5(274㎡)と28番19(201㎡) らしい。 (名月様『反戦な家づくり』ブログからの転載終わり)
                        *
 私は世田谷区深沢の当該土地登記事項証明書(コンピュータ化以前は「土地登記簿」)を入手したわけではありません。ですから確実なことは申し上げられませんが、上記文が事実であるということを前提として述べてみたいと思います。
 
 小沢氏の資金管理団体「陸山会」が同土地の購入を決めた2004年10月の段階で、同土地が「農地」だったら、その時点での土地取引は法律上完成しません。(よって石川氏も、その段階での収支報告書への記載はできなくて当然だったわけです)。その前にまず「農地転用許可申請」という申請を行い、宅地なら宅地として転用を許可する旨の東京都知事の許可を得なければならないのです。
 これは、通常の土地取引における「イロハ」の話です。

 ですからこのケースでも、元の土地所有者サイドは、その時点で農転申請を進めたわけです。同申請は許可が下りるまで2、3カ月はかかります。よって翌年1月に都の農転許可が下りたというのは、経過として符号するのです。そこではじめて宅地への転用が可能となったわけで、その次の段階として、農地から宅地への「土地地目変更登記」平行して「土地所有権移転登記」を、所轄の法務局に登記申請することが必要です。

 そこまでクリアーできてようやく、当該土地登記事項証明書「表題部」の地目は「宅地」となり、同地の上に建築物を建てる要件が整います。また同証明書「甲区欄(所有者欄)」に小澤一郎の名前が記載され、法的に第三者に対抗できることになるのです。それに伴って土地代金の決済がなされ、この件の土地取引の終了となるわけです。

 一連の土地取引完了後、この場合は2005年1月に、石川氏は収支報告書にその旨を記載した。こういう流れだと思われます。このどこが虚偽記載なんだ?という話です。どこからどうみても、世間一般ごく普通に行われているノーマルな土地取引でしょう。
 ついでに言えば、政府の機関紙である当時の「官報(かんぽう)」でも、「同土地取引は正規な手続きに則っている」旨のお墨付きを与えているわけですから。

 それがなぜ「やれ虚偽記載だ」「やれ期ズレだ」と、さも犯罪が存在するかのように騒ぎ立て、関係先への一斉家宅捜索、石川議員ら3秘書逮捕、起訴、小沢幹事長への3度にも及ぶ事情聴取という大騒動になってしまったのか?
 考えられるのは、捜査の初期段階から、世間知らずで頭デッカチな地検特捜検事たちには、通常の土地取引に関する知識がなかったのではないだろうか?ということです。

 また土地登記事項証明書は、法務局に交付申請すれば、誰でもどの土地のでも入手できます。新聞・テレビは、そんな基本情報さえ取っていなかったのでしょうか?「公平」「中立」を旨とする各マスコミが、こんな肝心なことをきちんと伝えていないことには驚きます。それとも「小沢一郎 = 悪人」を国民に強く印象づけたいがため、都合の悪い情報は徹底的に隠蔽したのでしょうか?

 今回の一連の捜査はひょっとして、東京地検検事たちの「世紀の大チョンボ」だったのではないでしょうか?こんなことのために、国民はダラダラと何ヶ月もつき合わされ、政治は大混乱し、小沢一郎と民主党のイメージは地に落ちたのです。
 検察よ。新聞・テレビよ。一体どうやってこの「落とし前」をつけるつもりだ !?
 (大場光太郎・記)

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口蹄疫騒動に思うこと

 「ガイア」と共に進化を遂げたければ、動植物への虐待や肉食を止めるべきです

 宮崎県で今年4月、10年ぶりで発生した口蹄疫(こうていえき)の被害が広がっています。既に同県内の牛など10万頭以上が殺処分されました。事態を重くみた東国原知事は「非常事態宣言」を発令し、政府も対策に乗り出しました。ワクチン接種などにより、これ以上の拡大を食い止める方針ですが、最終的に同県内の牛や豚30万頭以上が殺処分される見通しのようです。殺処分される牛豚、畜産農家の深い悲しみ…。

 事態がここまで至った、今回の宮崎県と政府の対応のまずさは、一体どうしたことなのでしょう?東国原知事は、「こちらは寝ないで対応してるんだよ。(記者の)あんたたちに非難される筋合いはない」と机を叩きながら、感情むき出しで会見していました。
 また政府の担当大臣である赤松農水相は、発生当時悠然と外遊していたとかで、こちらも「海外ではゴルフをしていた?」というあらぬ噂を立てられ、非難の矢面に立たされています。第一例の牛は実は3月中に発生していて、「その時にしっかりした対策を講じていればこんなことにはならなかった」というようなことも言われ出しています。

 同県内で10年前に同じ口蹄疫が発生した時は、農水省など国の対応が素早く、初期段階で同省から宮崎県に、ファックスで事細かな対応マニュアルが膨大量流され、被害の拡大を最小限で食い止めたといいます。
 このような前例があることから、今回の被害拡大が余計クローズアップされてくるのです。宮崎県、鳩山政権共に「危機管理」の甘さがあったことは明らかです。日頃は民主党支持を表明している私も、この問題で政府を弁明できる余地はありません。
 政府レベルで指摘すべきは、政権発足後間もない「不慣れ」と、農水官僚との軋轢でしょう。10年前の前例を知りながら、現在お仕えしている鳩山政権の足を引っ張るために、官僚がわざと対応を遅らせた可能性も否定できません。
                         *
 さほど情報量のない者が、この問題にこれ以上踏み込むのは止めにしてー。別の観点からこの問題を考えてみたいと思います。

 私たちは今、この非常事態から重大な教訓を学ばなければならないと思います。それは「私たちはそろそろ、牛や豚の肉を食べるのを終わりにすべきだ」ということです。
 すべてのスピリチュアルリーダーは、「肉食は人間の霊性を著しく低下させる」と説いています。普段あまり自覚もしていませんが、「食べるものに私たちはなる」のです。つまり牛や豚の肉を消化器官、体内に取り込むことは、牛豚のバイヴレーション(波動)を取り込むこと、つまりそれにモロに影響されるということにほかならないのです。

 かつての米フォークソングの名曲『ドナドナ』ではないけれど、牛や豚など「動物王国」に属する生命体にも、立派に「感情」があります。はっきりした喜怒哀楽があるのです。私たちは彼らを食する目的で、飼育しつまりは“と殺”します。牛や豚はその時、凄まじい恐怖の念、恨みの念(波動)を出します。それがそのまま、と殺後の体に転写されてしまうのです。
 そのような牛肉、豚肉を私たちは、「ウーン、うまい !」と舌鼓(したづつみ)を打ちながら平気で食べているわけです。これが人類数千年間、夢疑うことなく続けてきた食習慣の柱です。私たち「ホモ・サピエンス(知恵ある生物)」は正気なのでしょうか?

 これは今の多くの社会慣習、社会通念にもあてはまることですが、「天国」という世界があると仮定した場合、天国でも肉食していると思います?「肉食する天国」、それこそ論理矛盾なのではないでしょうか?
 少し前『「蛍の光」は1万2千年前の歌?』シリーズで紹介しました。富士山と姉妹山と言われている、米国の世界的霊山・シャスタ山の地下1マイルに、レムリアを受け継いだ「テロス」という“光の地中都市“があるのでした。いつかもっと詳しくその「光の生活」をご紹介したいと思いますが、テロスは「菜食社会」であり、肉食する人は誰一人いないのです。テロス200万市民は、それで栄養失調か?そんなことはありません。病人や老衰の者は誰もおらず、寿命は数千歳にも及び、平均身長2m以上の強健かつ若々しく美しい人たちばかりなのです。

 「動物性たんぱく質を必要量摂らなければいけない」というのは、現世界をコントロールしている「闇の勢力」のプロパガンダ、マインドコントロールなのです。では彼らごく少数の超エリートたちは、せっせと肉食していると思いますか?彼らは実は厳格なベジタリアン(菜食主義者)なのです。
 肉食奨励は「人類獣化計画」の一環なのであり、世界の食糧も牛耳っている彼らの巨利のためです。

 肉食は、肥満、成人病、高血圧、動脈硬化、心臓病など、ありとあらゆる病気を引き起こします。

 特に日本人は、腸の長さからして菜食民族だといわれています。植物性繊維をじっくり咀嚼(そしゃく)できるよう、欧米人より腸が長いのです。
 我が国の最高神典として評価が高い『日月神示(ひつくしんじ)』にも、「日の本は肉食厳禁であるぞ」というような箴言がけっこう見られます。実際(建前上は)江戸時代までの我が国は「四つ足厳禁の国」だったのです。
 牛肉などを食するのが、“ざんぎり頭”などと共に「文明開化の象徴」とされたのは、明治新政府以降のことです。

 それでなくても畜産は、牛一頭を育てるにも大量のエサが必要となります。非効率かつ自然破壊おびただしい迂回農業なのです。
 しかし長い間の食生活は、おいそれとは止められません。また何事も急なチェンジは弊害も生みます。(30代から菜食を心がけてきた私も、通常の人よりはずっと少ないとはいえたまに肉類も食べます。)
 でも今回の口蹄疫騒動を奇禍として、これまでの食生活を見直されてはいかがでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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官房機密費大問題

 自民党内、野党にはもとより評論家にも。新聞記者には女を抱かせるために…

 過日のTBSテレビ『News23クロス』で、野中広務元官房長官が官房機密費の使途について驚きの証言をし、波紋が広がっています。この時期に機密費問題を話したことについて、野中氏は「私ももう年。いつあの世に行くか分からんから」と話しています。
 果たしてそれだけの意図だったのか真意は図りかねますが、使途は問われず、領収書もいらない、会計監査院もノータッチ、早い話私的流用しても分からない官房機密費について、改めてそのごく一部でも暴露してくれたことは大きな意義があったものと思われます。

 例えば2002年から2009年まで毎年、官房機密費として14億6千万円が予算計上され、内閣情報調査室の活動に充てる2億円ほどを差し引いた、残りの12億円余りを官房長官の裁量で使ってきたのです。その12億円余については、それこそ「使途不明、領収書なし、私的流用もオーケー」の機密費のごく一部とはいえ、小渕内閣当時の官房長官として実際機密費を管理、運用していた本人が直接そう話しているのですから信憑性は極めて高いわけです。

 野中氏は、「官邸の金庫から毎月、首相に1千万円、衆院国対委員長と参院幹事長にそれぞれ5百万円、首相経験者には盆暮れに百万円ずつ渡していた」と語ります。衆参の国対関係者に野党工作として機密費を渡していたのは永田町では常識の話として、首相経験者に中元・歳暮として高額な現ナマをプレゼントとは、改めてびっくりです。
 
 政界工作費として使われたというのは『さもありなん』という感じですが、ことはそれだけではなく、言論界への「政権批判封じ込め」目的でも機密費は使われていたのです。
 「前の官房長官から引き継いだノートに、政治評論家も含め、ここにはこれだけ持って行けと書いてあった。持って行って断られたのは、田原総一朗さんただ一人」。「政治家から評論家になった人が、『家を新築したから3千万円、祝いとしてくれ』と小渕首相に電話してきたこともあった」。

 どこのどいつだ?そんなことで時の首相に機密費という大事な“血税”を要求してきたという評論家は。ジャーナリストの風上にも置けないヤツだ。もちろん時の政権が機密費を渡すだけのメリットのある、大物評論家だったのでしょう。
 田原総一朗は、今年の番組改編で長年務めてきたテレ朝『サンプロ』の司会を外され、すっかり落ち目です。しかしこの野中発言は、そんな田原の失地回復のような発言です。だが見苦しいほどの「小泉デタラメ改革よいしょ」の田原の姿勢では、機密費ではなくても別の甘い汁を相当吸っていたであろうことは想像に難くありません。

 そんな中政治評論家の三宅久之が、官房機密費を受け取ったことを認めました。同氏の説明では、講演をしてその対価として機密費を受け取ったというものです。しかし受け取った金は、対価をはるかに越えた額だったことは十分考えられます。

 機密費は別の重要な分野にも使われていました。「マスコミ対策」としてです。これについての野中氏の証言はありませんが、代わって平野貞夫元参院議員が暴露しています。(以下は平野氏が話したことを、ジャーナリストの江川紹子氏などがツイッターで紹介しているもの。)

 ー「野党対策とマスコミ対策は、同じ」と平野氏。「直接金を配ったことはないが、喜ばせることはした」と。その額は、昭和40年代で月300万、と。
 ー「有力新聞の中で、そういう遊びに応じなかったのは朝日だけだった」と平野氏。「ちょっとした料亭に行って7、8人で飲んで食べて、銀座の中級クラブに行ってクラブの女性と行くホテルまで決まっていた。翌朝一番町で集合。一回、少ない時で20万、多い時で30万くらい」と述べる。
 ー官房機密費から記者への1千万円、3千万円という話に平野貞夫さんは「ごく一部に真っ直ぐそういうのはよくないと言う人がいた」。「近代の国家のジャーナリストではない。権力の一員」。爆弾発言がとまらない。
 ー法制上、機密費は会計監査院がチェックできる。チェックしないのは会計監査院の「内規」と、平野貞夫さんは指摘。野中さんといい、平野さんといい、腹をくくったか。

 要は自民党政権下では、党内、野党のみならず、大物政治評論家、大手新聞などの編集長、論説委員などマスコミにも、官房機密費の「毒」が回っていたということです。これは大問題です。上記ツイッターで告発しているように、新聞それと一体化しているテレビが、「権力の一部」として取りこまれていたようすが改めて浮き彫りになってきます。
 平野氏は「朝日だけは別だった」と言いますが、それは昔の話で、10余年前から朝日も商業主義に走り、「大政翼賛」的体質に変質したと思われます。
 この問題について、大メディアは例によってダンマリを決め込んでいます。それもそのはずです。今の新聞・テレビの経営陣は皆「機密費の毒」が回っている連中ですから、書くに書けないのです。

 アメリカなど先進諸国では、「5ドルルール」というのがあり、もしこれを破ったジャーナリストは、永久追放の憂き目に遭うそうです。しかし「社会正義の報道」に携わる立場の人間として、これは当然のルールと言うべきです。
 そんな規範が全く存在しない日本では、中には「新築祝いを機密費から出してくれ」「公金でもって女を抱く」だ!?ふざけんなよ、薄汚い評論家、新聞人。

 このようなマスコミとの悪しきもたれあいを改めようとしているのが、小沢一郎であり鳩山由紀夫です。ところで現マスコミ首脳陣にとっては、「機密費着服」も彼らにとっての既得権益の一部だったわけです。ここからも小沢や鳩山を目の敵のようにバッシングする、動機の一つが見えてくるのです。

 官房機密費といえば、昨夏の衆院選後すなわち政権交代が決まった後に、麻生前政権の2億5千億円もの「機密費持ち逃げ疑惑」があります。これについては今年1月大阪の市民団体「公金の違法な使用をただす会」のメンバー39人が、背任容疑などで当時の官房長官だった河村建夫を東京地検特捜部に告発しています。
 地検特捜部は、昨年末の正体不明の(日本版CIAネットワーク系)市民団体が告発した、小沢一郎の土地購入疑惑については、「待ってました」とばかりに取り上げて捜査し、年初から今に至るも騒動が収まっていません。

 この「機密費持ち逃げ事件」については、小沢疑惑などと違って犯罪要件は明らかで、公金横領に該当する極めて悪質な事件です。しかし地検特捜はいまだもって捜査を開始したという事実はありません。東京地検特捜部とは、一体どんな捜査機関なんだ?という話です。
 さすがに業を煮やした、河村建夫を告発した原告代理人の一人・辻公雄弁護士は、今回の野中氏の発言で官房機密費の実態がはっきりしたとして、東京地検に検証資料の請求を起こしたといいます。

 いずれにしても、官房機密費の毒はマスコミ首脳にも及んでいました。これは由々しきことです。これを厳しく追及していくことが、この国のマスコミがまともな言論機関に立ち返るための第一歩であると考えます。

 (大場光太郎・記)

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ドーなる !?普天間問題

 捨てる神あれば拾う神あり。普天間問題で苦慮する鳩山政権に意外な救いの神?

 「日米安保マフィア」の一翼を担う大メディアは、鳩山政権の普天間基地移設案のことごとくを潰し、元の自民党辺野古沖案に戻したくて仕方ないようです。そのため、小沢幹事長の「政治とカネ問題」とともに、普天間問題でも連日バッシング報道を繰り返しています。

 しかし普天間問題をめぐっては、そんな大メディアの思惑とは裏腹に、これまで沖縄県が抱えてきた負担削減を目指すことで、在日米軍の在り方そのものが議論される流れに変わりつつあります。
 事実「5月末決着」が出来ない場合でも、鳩山退陣を求める声は少しずつ減ってきているのです。
 
 朝日新聞が15~16日に実施した電話調査では、内閣支持率は1ヵ月前の25%から21%に続落、不支持率は61%から64%に上昇しました。また普天間問題は「評価しない」が62%を占めています。
 しかし注目すべきは「鳩山首相の退陣」については、5月末まで決着がつかなくても「辞任する必要はない」が49%(前回40%)、「辞任すべき」の43%(前回51%)を上回っているのです。
 支持率は下がっても、この1ヵ月で普天間基地移設問題の難しさに有権者が理解を深めてきたことの表れというべきです。CIAエージェント新聞の最右翼・読売は「辞任すべき」が過半数だったものの、毎日は朝日と同じような結果になっています。

 そんな世論の流れの変化に呼応したのでもないでしょうが、沖縄県の基地負担軽減に関連して、大阪府の橋下知事は17日、関西が移転候補地になった場合、「住民に一生懸命説明に回る。京都や兵庫、和歌山にという話になれば、政治家として住民に(受け入れを求めて)『すみません』と言う」と述べ、政府に協力する意向を示したのです。
 橋下知事といえば、タレント弁護士から府知事に転身してからも、何かと突拍子もない言動で世間をあっと驚かせてきました。今回の発言もその延長線上にあるのかもしれませんが、これは誰かが言わなければならなかったことです。

 思えば戦後60余年、在日米軍基地の74%をも沖縄は負担し続けてきたのです。日米安保のカサに守られて、日本は世界に冠たる経済的発展を遂げてきました。言ってみれば基地問題はその「負」の部分です。そんな負の3/4を、これからも沖縄に負わせ続けていていいのでしょうか?同じ国民として、もう見て見ぬふり、知らんぷり、うちの地域にだけはお断りは許されないのではないでしょうか?
 その裏にどんな意図があるのかは度外視して、今回東京都に次ぐ大阪府の首長が「移転受け入れ容認」を表明したことは大変意義深いことと、率直に評価したいと思います。

 また同問題では、衆院外務委員長で新党大地の鈴木宗男代表は16日、北海道釧路市内のホテルで行われたセミナーで、「(ヘリコプター部隊の訓練移転が検討されている鹿児島県の)徳之島は徳之島でお願いするとして、(在沖縄米軍海兵隊の実弾射撃訓練を)矢臼別でやってもいいんじゃないかと思っている」と述べました。
 矢臼別(やうすべつ)とは、別海、厚岸、浜中3町にまたがる陸上自衛隊矢臼別演習場のことです。別海町は、昨年結婚詐欺、同連続殺人事件で世間を驚かせた木嶋佳苗被告の出身町です。同演習場については、当ブログ『かなえの殺人レシピ(11)』記事で少し触れました。
 鈴木代表は、同地域に今でも大きな影響力を持っているはずで、すべては鳩山政権が今後どのような方針を打ち出すのかにかかっていますが、こちらも有望な分散移転候補地の一つになりそうです。

 その他、かねがね「米軍基地は抑止力のため必要」と言っている自民党の、谷垣禎一総裁の地元の京都、石破茂元防衛相の地元の鳥取、小池百合子元防衛相の東京の各自衛隊基地も、候補地に加えるべきです。
 自民党関連では、もう一つ是非候補地に加えてもらいたいところがあります。森喜朗元総理のお膝元、石川県第2区にある航空自衛隊小松基地です。

 余談ながらー。小松基地をめぐっては、防衛予算のムダ遣い疑惑が持ち上がっています。小松市が、米軍との共同訓練受け入れの見返りに受け取る「米軍再編交付金」を、ワケの分からないハコモノ建設に使っていたのです。
 しかも、建設を決めた小松市の前市長は森の後援会連合会会長で、工事を受注したのは森に献金している建築会社なのです。何やらプンプンにおう話なのです。

 同市が1億5千万円近くを計上して建設しているのは「小松市立美術館別館」。予算の9割を交付金で賄う計画になっているといいます。同館建設が必要となったのは、美術収集家だった北国銀行の元頭取が亡くなり、遺族がコレクションの寄贈を決めたことがキッカケとされます。相続税対策の意味合いもありそうな寄贈に対して、国と市が税金を使って置き場所を造ってあげたと勘ぐられても仕方ないシロモノです。
 その建設費もベラボーで、市内にある同じような規模の博物館の4倍以上もの建設費だというのです。

 ははあさては、森元総理のご威光でボロもうけした建築会社は、その一部を森に献金という形で上納する気だな。噂では森元総理は、長年そうして巻き上げた莫大な金を、海外の銀行に隠し預金として移しているとか。
 分散移転などと言わずに、半永久的な移転先として、小松基地を最有力候補として強く推薦します。

 (大場光太郎・記) 

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白鳥は哀しからずや

                               若山 牧水

  白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》

 このような鮮烈な詩歌は、青春のただ中にある者でなければ作れません。
 (調べたところ、やはり牧水二十三歳の作。)

 白鳥はそもそも、わが身を「哀しい存在」とも何とも思っていはしません。人間の喜怒哀楽などまるであずかり知らぬ次元で、飛びたいから飛んでいるだけです。ただそれだけのニュートラルな存在です。しかし、それでは味も素っ気もなく、詩歌にはなりません。

 それゆえ凡人なら、『あヽ白い鳥が飛んでいるなあ』くらいにやり過ごすところでしょう。ところが、牧水は違います。空の青、海の青とは混じり合わずに、孤なる白い飛跡を描く白鳥の姿を、霊感の一閃でとらえ、『哀しからずや』という声なき詠嘆の声を発するわけです。己れ自身の「漂泊の心」を投影して。
 するとただの一羽の白い鳥が、「空の青海のあをにも染まずただよふ」比類なき寂寥感を帯びた存在として、詩的世界の中にくっきりと立ち上がってくるのです。
                       *
 しかし、牧水といえども、近代日本・明治の子。一個の生身の人間です。だから白鳥が「染まずただよふ」のを、ただ見守るのみです。近代的自我は、それ自らでは飛翔できないのです。
 かの悲劇の皇子(みこ)・日本武尊(やまとたるのみこと)のように、自ら白鳥と化して「寂しさのはてなむ国(神話世界)」に飛んではいけないのです。
 だから漂泊なのです。「山のあなたの空とおく」の、かの国を追い求めて。牧水も、山頭火も、放哉も。
 かくいう私自身の中にも、「漂泊の心」はたしかに…。

 (注記)本文は、「二木紘三のうた物語」の『白鳥の歌』に、2008年4月28日投稿した一文を転載したものです。

 (大場光太郎・記)

関連動画
『鮫島有美子 「白鳥の歌」』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=q4k9V2Gd3qQ

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「参院のドン」政界引退

 かつて総理に担ぎ上げた青木幹雄は引退したぞ。森喜朗よ、あなたはどうする?

 「参院のドン」として自民党内で絶大な影響力をふるってきた青木幹雄前参院議員会長(75)が、15日体調不良を理由に今夏の参院選への出馬を取りやめ、政界から引退することになりました。

 関係者によりますと、青木氏は13日島根県雲南市内で開かれた集会の途中、「気分が悪くなった」と言って中座し、14日に出席を予定していた出雲大社の大祭礼も欠席、県内の病院に入院中とみられます。
 その後自民党島根県連に、夏の参院選島根県選挙区への出馬を断念する意向が伝えられました。青木氏は軽い脳梗塞といい、意識もあり話もできるものの、時折り言葉に詰まる状態だといいます。県連幹部は、青木氏がこのまま政界を引退する見通しであることを明らかにしています。参院選には、公設第1秘書を務めている長男の一彦氏が後を継いで出馬するものとみられています。

 青木幹雄(以下敬称略)は1934年島根県大社町生まれ。父親は漁協組合長を務めた漁師でした。早稲田大学第二法学部に進学し、同大学雄弁会に所属し幹事長を務めました。ちなみに、当時の副幹事長は森喜朗元総理です。小渕元総理急死後、青木は「五人組」の一人として森喜朗を総理に担ぎあげました。当時そのことが「密室政治」との批判を受けましたが、森喜朗とのつながりは早大雄弁会まで溯るわけです。
 早大時代、雄弁会の先輩でもある竹下登元総理の選挙を手伝った縁で秘書となり、同大学を中退して「竹下の城代家老」としての活躍を始めます。

 1967年から島根県議会議員となり、86年に参院議員に初当選、以後「竹下の黒子」として永田町を奔走しました。1993年小沢一郎が自民党を飛び出した際、参院からの離脱者を最小限に抑え、その功績により参院のドンとしての下地が出来たといわれています。
 1998年小渕恵三が総理になると共に、青木は参院幹事長に就任。翌99年の第2次小渕改造内閣では、野中広務の後任の官房長官として初入閣しました。
 2000年に竹下元総理が死去してからは「参院のドン」として君臨し、小泉政権以降の自民党で隠然たる影響力を誇ってきました。

 青木幹雄の政界引退によって、党内からは「重しのようなものが取れて、一挙に世代交代が進むだろう」(菅義偉元総務相)との見方が出ています。菅氏は「病気で引退されることは残念だ」と語る一方で、重鎮の退場で世代交代が加速することへの期待感を示したのです。それを受けるように中堅議員の一人は、「青木氏は“古い自民党”の象徴だった。若手が声をあげやすくなる」と語っています。
 また永田町事情通は、「自民党下野の翌年だけに、時代の転換期を感じる」との感想を漏らしています。

 青木幹雄が「古い自民党」の象徴的存在だったことの一つは、経世会の大ボス・竹下登から「金権体質」を受け継いだことが挙げられます。そもそも青木が参院を掌握できたのは、「竹下利権」 = 「竹下の闇金庫」をそのまま引き継いだことにあったといわれているのです。

 金権政治家・青木幹雄の代表例として、小泉政権下で起こった「日本道路公団(当時呼称)工事入札への圧力・介入疑惑」が挙げられます。道路公団は2001年12月に、資金調達問題を理由に13件の工事の発注を延期しました。
 この中に青木の地元島根県の山陰自動車道・仏経山トンネル西工事が含まれていたため青木が激怒し、藤井治芳総裁(当時)などに直接電話したとされる疑惑です。藤井元総裁はこの時の電話でのやり取りを記したメモを残しており、それが一部マスコミに公表され当時大問題となったのです。
 同メモの中には、「俺のところを中国地方でなぜ選んだのか」「俺が終わるか、お前らが終わるかだ」などと、恫喝まがいの内容が記されています。

 この件だけではなく、青木幹雄は地元島根県の公共工事誘致や政界裏工作などで、他にもさまざまなヤバイ案件に手を染めていたはずです。なのに何のおとがめもなしに、このまま政界引退、長男を2世議員にして楽隠居させていいのかという話です。

 「古い自民党」の象徴といえば、もう一人厄介なのが残っています。青木の早大雄弁会からの盟友・森喜朗です。森の場合は青木以上の正真正銘のワルで、本当に「疑獄のデパート」のような悪徳政治家です。森のみならず、小泉純一郎、竹中平蔵などいずれ劣らぬワル連中なのです。断言しますが、この者たちは、今連日バッシングされている小沢一郎とは比べ物にならないほどの巨悪連中です。
 しかしなぜか検察も大メディアも、この連中の薄汚い実態をまったく暴こうとはしません。だから国民は彼らの犯罪についてまったく何も知らないのです。

 (大場光太郎・記) 

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小沢幹事長再々聴取

 小沢氏聴取後の会見開かず。4時間半にも及ぶ聴取は何を意味するのか? 

 民主党の小沢幹事長は、その資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部からの再聴取の要請に早々と応じ、15日午後5時頃から3度目となる聴取が行われました。早期応諾の背景には、「起訴相当」と議決した検察審査会に、自らの潔白を積極的にアピールしたいとの思惑もうかがえます。
 小沢氏と元秘書との「共謀が成立する」と判断した議決に対し、小沢氏は改めて自らの主張を述べられる機会ととらえたという見方もあります。

 聴取場所は、東京地検特捜部が入る検察庁舎から、日比谷公園をはさんで真向かいに見える、東京内幸町の帝国ホテル東京。同ホテル周辺には、100人以上の報道陣が集まり、結婚式が複数行われていてドレス姿の客に混じり、スーツ姿の報道陣が地下駐車場やロビーを行き交うなど騒然としていたようです。

 小沢幹事長は、午後2時過ぎ自身を乗せた車で、ホテル裏口から地下駐車場に入りました。以後聴取時間まで弁護人と綿密な打ち合わせを行なったものとみられます。
 当初は3時間くらいとみられていた聴取は、約4時間半にも及びました。異例とも思われる長時間、小沢氏は同ホテルの一室で担当検事とどう向き合ったのか。これまでの2回の聴取同様、小沢氏は検事から黙秘権を告げられた「被疑者」の立場で聴取を受け、供述調書も作成されたもようです。

 密室での聴取であり内容はまったく分からないものの、漏れ伝わるところでは、特捜部は政治資金報告書の虚偽記載への積極的関与などについて説明を求め、小沢氏は改めて関与を全面的に否定したとみられています。
 今回は特に元秘書との供述の食い違いを徹底的に質したともみられます。予定を大きく越える聴取から、とにかく大鶴基成を筆頭とした特捜部の薄気味悪いほどの執念を感じます。

 小沢氏側弁護人は、聴取終了後小沢氏本人が直接説明することも示唆していました。しかしさすがの小沢幹事長も、特捜部の爬虫類的な執拗さにげんなりしたのか、あるいは相当突っ込んだ供述を強いられ怒り心頭なのか、無言のまま走り去り報道陣を慌てさせました。
 結局小沢氏の説明として、「記憶に基づき、率直に事実経過を説明させていただいた」という内容の、A4判用紙に書かれた10行弱のコメントだけでした。

 同事件に関して石川知裕衆院議員ら元秘書3人も、聴取の意向に応ずる意向を示しており、間をおかず順次聴取がなされる見通しです。
 しかし特捜部は2月4日、石川議員らの供述について「具体性に欠け、小沢氏の積極的関与は認められない」と判断し、小沢氏を嫌疑不十分で不起訴にした経緯があります。このため小沢氏ら4人が今回の聴取でも前回と同様の供述を維持した場合、小沢氏の処分は覆らず再び不起訴と判断する可能性があります。

 ある検察幹部は「必要な捜査が終われば、処分時期を延ばすことはない」として、7月27日の期限まで再捜査する気配のないことを示唆しています。既に物証の精査は終了しているといわれ、5月中にも処分が出る公算が大きいとみられています。

 仮に特捜部が再び小沢氏を不起訴とした場合、検審は自動的に再審査に入ることになります。審査するのは、4月に小沢氏を「起訴相当」とした東京第5検審です。
 同検審は、4月に議決を出した審査員11人のうち6人は5月で交代しています。再審査するのは残りの5人の審査員と、新たに加わった6人。新構成の11人のうち、8人以上が「起訴すべき」と判断すれば小沢氏は「強制起訴」となり、地検特捜部を離れ検察官役の弁護士が後を引き継ぐことになります。

 時事通信社の最新世論調査では、鳩山内閣の支持率が19.1%と初めて2割台を切り「危険水域」に突入しました。また比例の投票先も、自民党が民主党を抜いてトップに立ちました。
 ここまでは、検察、大メディアという悪徳旧勢力の「官報複合体」による、年初以来の徹底的な小沢幹事長攻撃、民主党攻撃がまんまと功を奏した格好です。さらにこの先小沢幹事長を「起訴」にまで追い込めれば、悪徳旧勢力が「最終決戦」と位置づける参院選の勝利は確定的です。悪徳旧勢力の思惑どおりになり、諸改革を後退させてしまうのか。はたまた「日本に真の民主主義を根付かせる」ことをライフワークとする小沢一郎が、参院選で指揮を取ることができるのか。
 この国の将来がかかった大一番にさしかかっています。

 (大場光太郎・記)

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永き日のにはとり

             芝 不器男

  永き日のにはとり柵を越えにけり

… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》
 芝不器男(しば・ふきお) 明治36年、愛媛県明治村生まれ。東大林学科、東北大機械工学科中退。長谷川零余子の「枯野」句会にさそわれて俳句を始め、のち吉岡禅寺門の「天の川」に投句、巻頭を占めた。「ホトトギス」にも投句を始めるが、26歳の短命で、彗星のように駆け抜けた人。独特の語感をもち、古語をまじえて、幽艶な調べを作り出す。時間空間の捉え方も個性的だった。死後2種類の全句集が出た。昭和5年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 まずこの句とは直接関係のないことからー。「芝不器男」とは一風変わった俳号です。そこで私は、芝は自身が常日頃「自分は生き方がヘタな不器用者だ」それで「不器男」という俳号にしたのかなと思いました。
 しかし調べますと、これは本名だったのです。名のいわれは、論語の中の「子曰、君子不器」(読み下し)「子(し)曰く(のたまわく)、君子は器(うつわ)ならず」から取られたものだそうです。概略の意味は、「孔子は言った。出来た人物というのは、用途の限られた器のようなものではない」となります。器物のような人は人から言われたことしかできない。それでは小人物である。君子のような大人物は、言われなくても出来る人でなければならないということのようです。

   永き日のにはとり柵を越えにけり
 ある春の昼下がり、芝不器男がとある農家かどこかに立ち寄った際、その庭を見ればちょうど1羽の鶏(にわとり)が柵を越えたところだというのです。たったそれだけの光景が、芝不器男の心を強くとらえたのです。だからこそ不器男は、この句を残すことになったわけです。
 
 「永き日」は「日永(ひなが)」「永日(えいじつ)」などと共に、春の季語です。「春分から少しずつ日が伸び始める。日中ゆとりもでき、心持ちものびやかになる。暦の上で最も日の長いのは夏至の前後であるが、春は冬の短日をかこった後なので日が長くなったという心持ちが強い」(角川文庫版『俳句歳時記・春の部』より)
 永き日と同じような季語として「長閑(のどか)」や「遅日(ちじつ)」という季語もあります。

 これらの季語から感じられるニュアンスは、春の日は遅々として暮れかねる時間的経過のもどかしさ、それゆえのアンニュイ(倦怠)の気分です。身も心も忙しく動き回りがちな若者の心は、永き日には特にそういう気分を強く感じるはずです。
 そこに一つの事件が起きたのです。にわとりが突如羽をバタバタさせて柵を飛び越え、囲いの外に出てしまった。ごくありふれたにわとりは、その時「永き日のにはとり」という、ある特別の意味合いを帯びて不器男には感受されることになります。

 その時颯(さっ)と柵を飛び越えたにわとりは、永き日にただならぬ変化を及ぼすシンボリックな生き物に姿を変えたということです。どろんとよどんでのろのろ過ぎていく時間の、それを打ち破るような跳躍。それはまた、不器男の中の倦怠をも一気に打ち破る出来事でもあったと考えられます。

 現代の「ニューエイジ思想」の説くところでは、外界で起きる事象は皆ことごとく心内の動きとシンクロしていると捉えます。偶然は何もない、何事も起こるべくして起きているということです。それゆえこの時のにわとりの跳躍は、不器男自身にとって意味のある出来事だったのです。

 この場合、「にはとり柵を越えられず」ではなく「にはとり柵を越えにけり」であったことは重要です。つまり囲いの外に飛越したにわとりは、「制限」「限界」を飛び越えて自由になったことを象徴しているわけです。
 この時まさに、不器男とにわとりは同化している一体のものとみなすことができます。ゆえに「永き日のにはとり」は、不器男の内なる制限や限界を脱け出して開放された、心的にステージアップしたことを意味すると思われます。

 芝不器男は、「ホトトギス」投句時高浜虚子による名鑑賞を受け注目を浴びます。また26歳での死去の後、横山白虹という俳人からは「彗星(コメット)の如く俳壇の空を通過した」という賛辞を贈られています。
 この句で暗示されている限界を打ち破る意識が、夭折したとはいえ芝不器男の輝かしい俳句的業績を可能にしたとはいえないでしょうか。もしそうであるのなら、この句は芝不器男にとって記念碑的な「青春の一句」であったといえそうです。

 (大場光太郎・記)

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とんがっているものほど安らぐ

 『こころの遺伝子-あなたがいたから-』-一青窈編

 先週のNHK総合『こころの遺伝子』のゲストは、一青窈(ひととよう)でした。そして一青窈にとっての「人生を変えた一言」を言ってくれた恩人とは、今は亡き作詞家の阿久悠(あく・ゆう)。その一言とは、「とんがっているものほど安らぐ」でした。

 一青窈という女性シンガーについては、今まで名前くらいしか知りませんでした。何せその漢字名も「ひととよう」という読み方も大変変わっているわけですから、『ひょっとして中国出身?』くらいの興味の範囲でしかありませんでした。
 今回紹介された生い立ちで、少し詳しく一青窈のことが分かりました。確かに彼女は、台湾の出身だったのです。1976年首都台北市で、台湾人の父と日本人の母との間に生まれました。一青窈の「窈」は特に難しい字です。これは「窈窕(ようちょう)」などとして詩文にも用いられるように「窈」とは、「奥ゆかしくたおやかなさま」を意味し、そのような娘に育ってほしいという願いを込めて父親がつけた名前だそうです。

 台北市の一青窈の家は、言語的に国際色豊かな家庭だったといいます。食事や団欒などの際、北京語、関東語、英語、日本語などさまざまな言語が飛び交っていたそうです。そんなユニークな家庭に育つうち彼女は、幼い頃から「言葉の面白さ」に魅せられていったといいます。一つの感情を表わすのにも、多くの言語表現があることに気づいていったのです。
 これが後に日本で歌手活動をするにあたって、大きな意味を持ってくることになります。

 一青窈にとって大きな転機が訪れます。父親が娘たちを日本で学ばせたいと考えたのです。こうして5歳の時、父親だけ台北市に残り彼女と妹は母親と共に日本に移住してきたのです。1985年一人母国に残った父親が他界してしまいます。また彼女が中学生の時、今度は母親が病死します。
 父母の相次ぐ死による深い悲しみを、彼女はノートに詩として書き連ねていきます。どんどん書いてはいっても、どこにも発表できるような内容ではありません。そのため感情がうまく流れてくれないもどかしさを感じながら綴っていったのでした。

 しかし幼少期のそれらの体験によって、一青窈の詩的才能が育まれていくことになりました。やがて彼女は、想いを発表する場として歌手を目指すこととなったのです。
 彼女の歌詞は、第一線のプロデューサーにも「力」を感じさせるものでした。こうして彼女は、2002年自身の作詞になる『もらい泣き』によって華麗なデビューをすることになります。意表をつき、情景が浮かび上がる歌詞、新しさの中にどこか懐かしさを感じさせるこの曲は45万枚という大ヒットとなり、たちまち一青窈はトップアーティストの仲間入りを果たしていきます。

 その後一青窈はデビュー曲のイメージから、「癒しの歌姫」という称号を与えられます。しかしそのような周囲の期待によって、彼女は『人間は多面体。固定化したイメージを持ってほしくない』『自分が本当に作りたい歌が作れない』といったジレンマに、人知れず悩むことになります。
 一人悶々としていたある時、一青窈をメーンとした雑誌の対談連載企画が作られます。その最初のゲストは、彼女のたっての希望で阿久悠に決まりました。

 というのも、彼女は幼時から作詞家・阿久悠の歌詞に魅せられていたからです。阿久悠も一青窈を密かに注目しており、対談の中で「あなたの言葉はレイアウトがいいんですよ。詩とはレイアウトだからね」と誉めてくれたそうです。
 実はその頃阿久悠も、今の歌謡界に違和感を感じていたのです。阿久独特の表現によれば、歌謡曲全盛の70年代の歌は「興奮剤」だった、しかし当節の歌は「鎮静剤」になってしまった。『どうも違うんじゃないの?』と感じていたというのです。

 そして同対談の中で、一青窈が阿久悠から「こころの遺伝子」にダイレクトに受け継いでいくことになる、鮮烈な言葉を聞くことになります。
   とんがっているものほど安らぐ
 普通は「とんがっているものはざわつく」であり、「とんがっているものほど安らぐ」というのは二律背反のように思われます。しかしそれは阿久悠という戦後最大の作詞家の、時代に流されない生き方を端的に示す、現風潮へのアンチテーゼの言葉でもあったわけです。

 阿久悠のこの言葉は、それまで歌の方向性、もっといえば生き方そのものを自分一人で模索するしかなかった悩める一青窈に、パーッと光を射し込んでくれるような言葉となりました。それは歌の実作にもヒントを与えてくれ、それ以後「とんがっていて(しかも)安らぐ歌」という、ちょっと常識を破った歌詞作りを目指すことになります。
 こうして生まれたのが、対談翌年に発表した『ハナミズキ』という名曲で、この歌は『もらい泣き』と共にその後彼女の代表曲と呼ばれることになります。

 2007年8月11日阿久悠死去。恩師の死に一青窈は衝撃を受け、一時は絶望的になったといいます。そのショックから立ち直った今日、彼女は今でも 「阿久先生は“時代”をつくるような人でした。偉大な作詞家を亡くした」という想いはあるものの、しかし同時に「誰かがその遺志を受け継がなければならない」「この私が受け継ぐんだという自信はある」と言い切ります。
 
 思えば「とんがったものほど安らぐ」と簡単には言っても、それを作詞であれ何であれ実際に表現するとなると、なかなか難しい面があるように思われます。特に今日のようなガチガチの「管理社会」にあっては。70年代のように、ただ世の中の上昇が無条件で信じられ、活力に溢れ、ある程度羽目をはずしてもあまり文句を言われなかった社会状況ではなくなっています。
 一言で言えば「冷たい社会」、無個性、没個性的な均質社会です。そんな中では、例えば小沢一郎のようにとんがった(突出した)存在は徹底的に叩かれ、ややもすれば排除しようとする力学が働きます。しかしこんな息苦しい社会で良いのか。やはりとんがった誰かが、こんな重苦しい空気を変えなければならないのではあるまいか。

 私は、阿久悠という人については、『そういばスポニチで高校野球のことをよく詩にしてたな』くらいの記憶しかありませんでした。しかし今回一青窈に伝えたこの言葉から、阿久悠という人はどこかに「大いなる反骨精神」を潜ませていた人だったんだなと認識を新たにしました。

 一青窈よ。どうぞ阿久悠の衣鉢を継いでください。そしてこれからも「時代のカンフル剤」としての「とんがっていて(しかも)安らぐ歌」作りにチャレンジし続けてください。

 (大場光太郎・記)

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第何ラウンド?検察vs小沢

 国民は、大鶴基成らパラノイア検察に一体いつまでつき合わされるのか?

 民主党の小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は12日、小沢氏や石川知裕衆院議員ら元秘書3人に任意の再聴取を要請しました。
 これは、小沢氏の不起訴処分の当否を判断する東京第五検察審査会(以下「検審」)が、4月27日「起訴相当」を議決したことを受けた対応です。

 問題の検審の起訴相当について新聞・テレビは、同議決が出たことだけを取り上げて、中身を冷静に分析もせず「民意は重い」とか「市民目線から許しがたい」と、まるで鬼の首でも取ったかのようなろくでもない報道を繰り返すばかりです。
 この件に関して小沢一郎は何をしたのか、それが法に照らして処罰に値することなのか?そうした肝心なことに対する検証など一切ないのです。これは検察と同根の悪徳旧勢力である大メディアの、劣化、衰退を示す顕著な例だと言わざるを得ません。

 確認すべきは、検審が「起訴相当」と判断した被疑事実は何かということです。
 「陸山会が2004年10月に土地を取得し、代金として3億4260万円を支出したのに、そのことが同年の政治資金収支報告書に記載されておらず、2005年1月の報告書に書いてある」という、たったそれだけのことなのです。
 土地の取得や代金の支払いを隠蔽したわけでも何でもなく、時期が2、3ヶ月ずれているというだけの話です。しかも“実行犯”は当時小沢氏の秘書だった石川知裕議員だったということです。小沢氏にかけられた嫌疑は、石川と共謀して、収支報告書に虚偽記載をさせた“共犯者”であるというものです。

 悪徳旧勢力仲間の検察との二人三脚で、「小沢金脈」「小沢疑獄」とさんざん扇動的デマ報道を繰り返してきた大メディアがこれまで問題にしてきたのは、小沢氏が立替えた4億円の中に不正な裏金が含まれていたのではないか?ということでした。その根拠としたのが、大鶴基成らの検察リークによる「水谷建設からの裏金5千万円疑惑」だったわけです。
 しかしこれについては、関係先への家宅捜索など強制捜査を繰り返すも、結局疑惑を立証するに足る証拠は何一つ得られなかったのです。つまり東京地検は完敗し、だからこそ2月4日の「嫌疑不十分で不起訴処分」となったのです。

 そのような経緯からすると、今回地検特捜が小沢氏への再聴取で聴くことと言えば、検審の被疑事実である「(2、3ヶ月の)期ズレ」のことしかないわけです。こんなことくらいで、国会会期中の議員をわざわざ呼んで改めて聴くほどのことなのでしょうか?

 まあ地検特捜部としても、「検審議決の成り行きで」ということなのでしょう。その結果改めて起訴になるケースは、「新たな証拠」が出てくる以外にあり得ません。既に家宅捜索はやり尽くしているはずで再捜索は考えにくい上、客観的証拠が残っているかも疑問です。そうなると、誰かが新たな証言をするか、小沢氏自身が自白するかしかないわけです。

 小沢幹事長は『国政が重大なこの時期に、何とバカバカしい』と内心では思っていることでしょう。しかし折りを見て再聴取に応じ、さらには国会の「衆院政治倫理審査会」にも出席する意向だといいます。小沢氏はこれまで一貫して、「私自身、何のやましいことはない」と言い続けていますから、今さら再聴取したところで不起訴が覆る見込みは極めて低いとみられます。

 ところで東京地検内部では、7月末のリミットを待たず「早期決着」を求める意見が出ているといいます。これは今夏の参院選とかち合わないようなるべく早い時期に、つまり国政への影響を考慮してかというとさにあらず。あくまでも検察内部の特殊事情だというのですから驚きです。
 というのも、6月下旬には検察トップ人事が行われるからです。現在の東京地検検事総長は樋渡利秋(64)ですが、その後任として、大林宏東京高検検事長(62)が有力とみられています。

 大林氏は、捜査経験に乏しく政治的判断を優先しがちな“赤レンガ組”の典型といわれています。現政権の反感を買って次期検察トップのイスを失いたくなかったのか、小沢起訴を狙った現場の意見を悉く潰してきたといいます。
 そんな人物がトップに就いたら、検審から与えられた「おらが栄達」の千載一遇のチャンスをフイにしてしまいます。そこで大鶴基成次席検事の息がかかった現場レベルでは、「樋渡体制のうちに、一気に小沢を起訴に持ち込んでしまえ」と息巻く検事もいるといいます。「検審の“お墨付き”を得た以上、新証拠がなくても起訴に持ち込める」という、“法の番人”が聞いてあきれるアウトローな強硬派もいるというのです。

 今月から6月にかけて、小沢捜査はどのような展開を見せるのか?何せ相手は、大鶴ら検察というパラノイア集団であるだけに予断を許しません。

 一向に上向かない国内経済、普天間基地問題、ギリシャ危機…。内憂外患あまたある中で、デッチ上げられた小沢幹事長の「政治とカネ」問題で、国民を一体いつまでだらだら付き合わせるつもりなのか。検察、大メディア、正体不明の市民団体そして検審という素人組織。その罪は極めて重いと断ぜざるを得ません。

 (大場光太郎・記) 

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「韓国哨戒艦沈没事件」の真相とは

 日本の大メディアは沈黙しているが、本当は「米原潜と衝突」か?

 3月26日、韓国海軍の哨戒艦「天安」が爆発・沈没した事件は、折に触れ日本でも報じられてきました。そのいずれもが「北朝鮮関与説」を示唆するものばかりです。しかし韓国マスコミの裏側では別の見方が根強いといいます。
 日本のメディアはまったく触れませんが、「米原潜と衝突したのではないか」という衝撃的疑惑が晴れないのです。

 きっかけとなったのは、韓国のKBSテレビが4月7日に放送したニュースでした。哨戒艦「平安」が沈没した場所に近い海域で、米軍ヘリコプターが米兵の遺体を運び去る映像などを流したのです。また海底を捜索した韓国軍の潜水特殊部隊の隊員の声として、「“天安”とは別のものが沈んでいた。潜水艦らしい」という話を紹介したのです。これに関係者が驚き、衝突説が広まったというのです。

 評論家の河信基氏は、「KBSテレビは日本のNHKにあたる韓国の公共放送局。いい加減なニュースは流しません。実際問題、このニュースはすぐに韓国政府から“誤報で名誉毀損だ”と告訴され、ネットなどで映像が見られなくなってしまった。映像テープを押収されたという話もあります。韓国政府が“何か”を隠したがっているのは明らかです」と語っています。
 この米原潜は、核搭載の「コロンビア号」と見られています。というのも、ハワイを出港、今回の米韓合同演習に参加していましたが、いまだにハワイに戻ってきていないのです。別の原潜は既に帰還しているからおかしいのです。

 同氏は続けます。「さらにおかしいのは、米韓政府が当初可能性が低いとした北朝鮮の関与説が一斉に流され、この衝突説を隠してしまったことです。しかし米韓合同演習の最中に、北朝鮮の潜水艦がわざわざ魚雷を発射して、緊張を高めるでしょうか。また哨戒艦“天安”は、レーダーやソナーで敵の攻撃をキャッチし、反撃するのが任務ですが、機能が劣る北朝鮮潜水艦がソナーをくぐり抜け、神業のごとく沈没させるなんて、あり得ないことと専門家は言っている。こうしたことは、米韓合同演習をウォッチしていた中国も分かっている。だから韓国の反対があっても、金正日の訪中を受け入れ、胡錦濤が会談までしているのです」とも語っています。

 今のところどちらとも断定はできません。しかしこれだけ状況証拠的なものを突きつられると、俄然「米原潜衝突」の可能性の方が高いように思われてきます。仮にもしそうだとすると、李明博(イ・ミョンバク)政権は真実を知っていながら、国民と世界に向かって「北朝鮮の仕業」を強く示唆していることになるわけです。「このままでは6ヵ国協議に加わることはできない」「金正日訪問を受け入れた中国には納得できない」等々。
 一方のしたたかな隣国・北朝鮮は、ピョンヤン放送などの同国メディアで、同事件のコメントは一切していないようです。こちらの国では、真相などとっくの昔に分かっていながらあえて沈黙を守っているということでしょう。韓国政府高官らは、夜もおちおち眠れないのではないでしょうか?

 また「日米安保マフィア」の一翼を担う、我が国の“衰退確定”大メディアは、米原潜情報を知っているとしても、今後とも「北朝鮮関与説」にしがみついていくしかないことでしょう。万一国民の多くに「米原潜衝突説」が知られれば、「米軍の抑止力とは一体何だ?」という議論が沸騰しかねないからです。

 (注記)本記事は5月13日付「日刊ゲンダイ」記事を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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米軍訓練地、思わぬ移転先?

 自民党の谷垣(京都)、石破(鳥取)、小池(東京)らの地元にしろとの声 !

 米軍普天間基地の移転問題で、普天間や嘉手納基地の飛行訓練を全国に分散移転させる方針が浮上しています。これは沖縄県民の思いを重く受けとめた鳩山首相として、当然の判断だといえます。
 本質的に悪徳旧勢力である新聞・テレビなどのメディアはこれまで、「鳩山首相は沖縄の“県外へ”という民意に応えるべきだ」と散々報道してきました。とにかく「現政権案は何でも反対」を旨とする大メディアですが、仮にこの分散方針にまで噛みつけば、今度はメディアが沖縄県民から「民意無視」「負担押し付けに加担」と批判されることになります。

 今のところ同分散移転案は、数ヶ月ごとにローテーションで訓練地を移動し、各地への駐留は短期間にする案が有力です。政府はまず移転候補地ごとに米側や地元との交渉を進めていく考えとみられています。それに対して「あっと驚く案」を唱える人もいます。例えば沖縄在住の某ジャーナリスト氏です。同氏は、これまで事あるごとに「日米同盟」を強調してきた、「自民党・防衛族議員の選挙区こそ真っ先に候補地とすべきだ」と言うのです。 

 同氏は、「自民党の谷垣禎一総裁や、石破茂、小池百合子両元防衛相らは、『米軍基地は抑止力のため必要』と言ってきたわけだから、訓練の分散移転を拒否する理由はない。谷垣(京都5区)の地元には海上自衛隊の地方総監部(舞鶴市)があるし、鳥取1区選出の石破は同じ鳥取県の境港市にある航空自衛隊基地の活用を提案すればいい。鳥取は中国や北朝鮮にも面しているから抑止力のいいアピールになる。小池(東京10区)も地元に陸上自衛隊の練馬駐屯地がある。それぞれ地元の有権者に『日米同盟のために訓練の分散移転を受け入れましょう』と訴えるべきです」と語っています。

 なかなか面白いアイディアです。政府も前向きに検討すべきなのではないでしょうか?これが実現するかどうかは別として、歴代自公政権がやってきたことは、しょせん沖縄県に米軍基地を押し付けることだけです。そんな連中に、普天間問題を批判する資格などないのではないでしょうか?

 (注記)本記事は、5月13日付「日刊ゲンダイ」記事を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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メディアが煽る「日米同盟の危機」は本当か?

 「普天間問題」で、自民党時代の旧思考を今も引きずる“周回遅れ”の大メディア

 悪徳旧勢力そのものである新聞・テレビは、二言目には「米国は現行案を望んでいる」と言い張り、鳩山政権の移設案を悉く潰しにかかっています。また「5月決着」を強調し、これが守られないと「日米同盟を揺るがす」と、それを明言してきた鳩山政権の責任追及に躍起になっています。
 果たして新聞・テレビが煽っているほど、日米関係は危機的状況に陥っているのでしょうか?大メディアに振り回されることなく、ここは冷静に見てみることが必要です。実際大メディアが決して伝えようとしない「米国の本音」を探ってみますと、米国は大メディアが煽るほど強硬姿勢ではないことが見えてくるのです。

 例えば「5月末決着」については、国務省のクローリー次官補は4日、「複雑で難しい問題。良い結論にたどり着けるまで作業を続ける」と言っています。また国防総省のモレル報道官は6日、「基地を抱える地域への影響を最小限にするよう、日本と緊密に連携している」と言っています。いずれも柔軟な姿勢で、特段タイムリミットなどは設けていないのです。
 さらに4月に開かれた日米の実務者協議でも米側は、航空部隊の訓練を徳之島や全国の自衛隊基地へ移設する姿勢を示しています。ここにきて「沖縄の負担軽減」を強調する鳩山政権や日本の国民感情に配慮を見せ始めているのです。

 そんな米国の姿勢の変化について、軍事評論家の前田哲男氏は、「今一番悩んでいるのは日本ではなく、むしろ米国でしょう。4月25日の沖縄の県民大会に9万人も集まったことは、米国を相当驚かせた。米国は“反植民地”“草の根民主主義”の伝統のある国です。“民意”に重きを置きます。沖縄の民意が痛いほど伝わり、普天間を日本国内のどこに持っていこうとしても困難であることがよく分かっているのです。うがった見方をすれば、鳩山首相はモタモタしているように見せかけて、実はワシントンに『日本には引き受けるところがない』というメッセージを出そうとしているんじゃないでしょうか」と語っています。
 基地問題では迷走ばかりがクロースアップされ、最近はすっかりピエロ的に報道されてれている鳩山首相です。しかしもし前田氏の後段の話が的を射たものなら、鳩山首相はかなり高度な外交を展開していることになります。いずれその真相については、今後の日米交渉の中で明らかになってくることでしょう。
 
 ところで前田氏の見解を裏づける話を、米国の外交政策に影響力のある超党派組織「米外交問題評議会(CFR)」のシーラ・スミス上級研究員が書いています。同氏は「日米共同で県外移設の協議を本格化すべき」とする論文の中で、県民大会に9万人が参加し、地元の民意が明確に示されたことの重要性を強調しています。
 同研究員は、大統領選でオバマの対日外交政策顧問のメンバーを勤めました。そんな人物が「沖縄の民意」を重要視しているのです。

 一概に「日米同盟」とは言っても、日米双方に政治的、軍事的、世界戦略的思惑が複雑に交錯しています。と共に、米国側は過去長い間同盟関係や日本各地の米軍基地により、莫大な経済的利益を得てきたことも事実です。ですから日米同盟に亀裂を生じさせたくないのは、米国だって同じなのです。
 思えば鳩山政権が提起している基地問題は、日米同盟を従来の隷属的なものから、対等なものに変えていく第一歩といえます。新聞・テレビのように大局観を見据えず、「自民党政権時代の約束を反故(ほご)にしたら米国が怒る」といった旧体制思考では、読者や視聴者をミスリードするだけと言わなければなりません。

 (大場光太郎・記)

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「基地移転問題」に見るメディアの偏向報道

 たとえば「鳩山vs沖縄県民」をひたすら煽る、テレビの無責任報道

 悪徳旧勢力である新聞・テレビは、今夏の参院選に狙いを定めて民主党を敗北、崩壊に至らせるべく、連日連夜フル回転で民主党バッシング報道を繰り広げています。大メディアが現在攻め手としているのは、小沢幹事長の「政治とカネ」問題そして「普天間基地移転」問題の二つです。
 このうち小沢問題は、今後とも引き続き述べていくことになると思います。

 ここに来て大メディアが俄然力を入れ始めたのが、「普天間基地移転問題」(以下「基地問題」)です。それというのも、鳩山首相が昨年末から「5月決着」を明言してきた、そのタイムリミットが今月末に迫っているからです。
 基地問題では、現政権と鳩山首相の「迷走ぶり」をことさら強調することによって、以前から「5月危機説」を煽って同問題を政局化させ、鳩山政権を追い詰めることに躍起になっているのです。

 確かに鳩山首相自身と現政権に、基地問題をめぐって迷走や不手際があったことも事実です。しかしこれは旧自民党政権が積み残した「負の遺産」の一つであり、新政権になったからといっておいそれと簡単に解決できるようなものではありません。
 もし大メディアが真に不偏不党の報道機関だというのなら、自民党政権下の日米同盟なるものの検証、同政権下での基地問題のいい加減な取り組み方などを公平に報道するべきです。

 鳩山政権が今回真剣に基地問題に取り組んだことにより、全国の米軍基地の74%を沖縄が負担している現実、「世界一危険な基地」と言われている普天間基地のなるほど危ない実情、自民党の移設案である辺野古沖埋立て案をめぐる巨大利権の存在…。
 まだ具体的な移転先が決まらないとはいうものの、今まで知らなかった「基地問題」に目を開かれ、国民の関心がかつてないほど高まっていることも事実です。

 鳩山政権が移転先案を探すと、大メディアはいち早くそれをかぎつけ、先回り報道して政府案を悉く潰すような報道に終始しています。先頃の徳之島案などはその格好の見本です。政府案が具体化してもいない先から、各メディアは早速徳之島に乗り込み、島民たちに「徳之島が移転先になりそうですがどう思いますか?」と尋ねて回ります。「えっ?そうかい。政府からはまだ何も言ってきてねえぞ」。噂は島全体にまたたく間に広まります。「こんな大事な問題を俺たちに何の相談もなしに…」「基地なんて絶対反対だ」となるのは当然の話です。
 反対集会に何万人集まろうと、中には移転容認派島民もかなりいるといわれています。しかし今のメディア絶対社会では、大勢の人間が反対のために結集し、そこで女子高校生が涙ながらに反対を訴えるようすがテレビで大映しされようものなら、それが金輪際動かぬ世論となってしまうのです。

 万事この調子です。そこには産業廃棄物処理施設や原発施設などと一緒で、基地などハナから受け入れたくない「住民エゴ」も絡まります。当の沖縄県内案も含めて、この調子では日本全国どの地域にも、移転先を見つけるのはまず無理な状況です。
 9万人が集結したとも言われる、4月25日の沖縄の県民集会をめぐっても、テレビは鳩山首相を叩き続けました。「はじめに基地ありき」で沖縄に基地を押しつけてきた、前政権からの脱却を図ろうとする沖縄県民も多いといいます。しかしテレビなどはそんな声は完全に無視し、ひたすら「鳩山首相vs沖縄県民」という対立図式のみを報道しまくったのです。

 テレビ局の取材は、とにかくひたすら鳩山首相に文句を言わせようという誘導尋問に終始していたといいます。記者の質問といえば「鳩山首相に言いたいことは何か?」だけ。そう聞かれれば沖縄県民としては、「県外に…」と言うだろうし、首相に対しても怒りに似た言葉もつい言ってしまいます。テレビではそういう声だけを切り取って(VTRに流し)「鳩山降ろし」に利用するのです。
 そのほか「取材されたので『鳩山首相にエールを送る』と答えたら驚かれた」「『沖縄県民対鳩山』の報道ばかりでウンザリ」など、ネット上にはテレビの取材・報道姿勢に対する県民の怒りが渦巻いているといいます。無責任報道ばかり続けていると、いずれ県民の怒りの矛先はテレビに向かうことでしょう。

 テレビ報道では分からない沖縄県民の本音を、同県出身のミュージシャン・知花竜海氏が次のように代弁しています。「沖縄の人は、鳩山首相を追い詰めても、状況は良くならないことを分かっています。前政権で無視され続けてきた声が、今のように報じられることにも感謝しています。だからこそ、いい結果を出してほしい。5月末の締め切りを焦って変な結論を出してほしくないと願っているのです」。
 テレビ報道とは、何という違いなのでしょう。どちらの言っていることが真実なのでしょうか?今まで60余年も、過剰な基地負担を押しつけてきた贖罪の意識と共に、私たちは同じ国民としてきちんと識別する必要がありそうです。

 (大場光太郎・記)

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前原、仙谷らを更迭せよ

 不満分子・獅子身中の虫の放言をこれ以上許すな。閣僚更迭、党除名にせよ。

 ゴールデンウィーク中、“お坊ちゃま大臣”前原誠司国交相が、外遊中のワシントンなどで「小沢辞任要求発言」をしたと報じられました。前原の放言は何も今に始まったことではありませんが、その時報道陣に囲まれたオフレコ発言でとんでもないことまで口走っていたことが明らかになり、ここにきて民主党内で問題になり始めています。

 問題の前原オフレコ発言とはー。
 「普天間で沖縄、徳之島、米国の3者合意は無理。(鳩山総理が)責任を取ることになると思う」
 「参院選は歴史的敗北になる。だから、このまま(の形で)参院選にならない。総理が辞めざるを得なくなった時、小沢幹事長がどういう判断を下すのか」
 「内閣支持率が10%を切った場合、総理はどう考えるのか。森内閣の最後の支持率が9%だから、同じになった時どうなるのかに注目している」
 これが現閣僚の一員の発言かと耳を疑ってしまいます。とても看過できない発言のオンパレードです。自民党の歴代政権下でも、問題行動を起こした大臣をずい分見てきました。しかし前原のように公然と、「総理はもう持たない」などと明言するような大臣はちょっと記憶にありません。これじゃあ、まるで「閣内クーデター」ではないでしょうか?

 放言は何も前原だけではありません。仙谷由人国家戦略相も滞在先のハノイで、「(小沢幹事長は)参院選の候補者のことを十二分に考えていただけるものと思っている。候補者の生の声がそろそろ(小沢氏に)届いているのではないか」と、こちらは小沢氏の自発的な辞任を促しています。仙谷は自分が総理だと勘違いしているのか、以前「今夏は衆参同時選挙もあり得る」と発言して物議をかもしたこともありました。
 また枝野幸男行政刷新相も、「(進退は)政治家としての責任に基づいて判断することだ」などと、マスコミの前で言いたい放題です。

 そもそも閣僚に課せられた使命は、総理大臣を中心に一致結束して政府の仕事を粛々と遂行することです。大臣としては無能な前原らは本来の政務などそっちのけで、事あるごとに「小沢は辞任しろ」「鳩山はもうもたない」など放言のオンパレードです。
 この者たちが今現在閣僚でいられるのは誰のおかげか?第一には、昨夏の衆院選で歴史的な政権交代を実現させた豪腕・小沢一郎のおかげです。そして第二に、自分たちを閣僚に任命してくれた鳩山由紀夫のおかげです。なのにこの者たちは、それら恩人の恩を仇で返すような行為を平気でしている、まさに人非人というべき輩です。
 前原よ、仙谷よ、枝野よ。口先だけのアンタらは、政権交代に当たってどれだけの貢献をしたというのか。自分たちが当選するだけで手いっぱい、貢献度などゼロに近かったではないか。そんなアンタらに、小沢や鳩山を批判する資格などあるのか !?

 政治評論家の本澤二郎氏は、「ここまで党内のタガが緩んでしまったのは、霞ヶ関や大マスコミなどの旧勢力が、小沢幹事長の動きを徹底的に封じ込めたから。民主党政権はこうした旧勢力にメスを入れる革命的な大仕事を任されているのに、肝心の閣僚にまるでその自覚がない。それどころか、彼らの思惑通りに踊らされているのだから呆れてしまいます」と憤慨しています。

 小沢土地購入問題、普天間基地問題等々。今現在民主党が窮地に追い込まれているのは、元をただせば、検察という霞ヶ関官僚組織による不当捜査、そして大マスコミ総がかりのバッシングの結果です。
 悪徳旧勢力のマスコミは、ことさら「5月危機説」を煽り立て、鳩山首相の退陣と小沢幹事長の失脚を執拗に画策しています。これは自分たちの悪徳利権を守りたいだけの、旧勢力による大陰謀なのです。その陰謀の罠にはまり、自壊を始めているのが今の民主党政権の姿です。

 国民がマスコミにマインドコントロールされるのは致し方ないとして。前原らはそんな構図すら読めないほど無能な政治家ということなのか。あるいはそれを知っていて、悪徳旧勢力に党内から呼応して自壊に自ら手を貸しているのか。いずれにしても、閣僚が小沢批判を口にすればするほど、大マスコミは喜んで騒ぎ立てるだけ。結果党内はますます動揺し、国民有権者の民主党離れが進んでいきます。まさに悪循環なのです。
 最近は「万犬吠ゆ」的状況で、あろうことか新米の一年生議員・横粂某までが、「国家のために幹事長は辞すべきだ」などとキャンキャン騒ぎ立てているといいます。

 民主党内のそもそもの元凶は老害・渡部恒三です。そして親父を陰からたきつけているのは、息子で親米・親戦争屋直結の御用学者・渡部恒雄だと言われています。前原、仙谷、枝野らは皆この系列に属しているのです。
 小沢・鳩山らは「日米対等、親中ライン」。片や彼らのスタンスは、自民党や第3極や大マスコミに近い旧態依然たる「親米反中ライン」。元来水と油で反りが合わないのです。「21世紀は中国の世紀」、対して米国の世界への影響力は相対的に低下しています。東アジアに位置する我が日本が、今後どちらに軸足を置いていけばいいのかは明らかなはずです。時代潮流に逆らう「米国絶対視」は危険です。

 前原、仙谷らは、本当に民主党内における「獅子身中の虫」です。彼らによって民主党政権は内部崩壊しかねません。国民の民主党イメージも悪くなる一方です。いくら「友愛」を掲げる鳩山首相といえど、この由々しき事態を黙って見過ごすべきではありません。

 大マスコミによる連日のネガティヴキャンペーンにより、民主党と現政権に対する支持率は急落中です。ちょうどいい機会です。思い切った内閣改造を断行して、政権浮揚を図るべきです。その際は、前原、仙谷という戦犯閣僚を真っ先に首にするべきです。そして改めて党内の結束を固めるためにも、閣僚更迭にとどまらず、渡部恒三もろとも彼らを民主党除名、党籍剥奪の厳重処分とすべきです。
 鳩山由紀夫よ。今こそ強いリーダーシップを発揮せよ。

 (注記)本記事は、5月8日、10日付「日刊ゲンダイ」1、2面記事を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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時の話題(8)

 ここまでやるか !?生き残りをかけた風俗店の、えげつない“代理戦争”

 今「日刊ゲンダイ」紙で、取材歴30年というベテランの風俗ライターによる『風俗界の闇』というコラムが連載されています。最近は特に風俗店はとんと縁がなく、“最新風俗事情”に疎い私などにはびっくり仰天の裏事情が紹介されており、『これも今の世相を映す鏡』と、週1回の同コラムを毎回興味深く読んでいます。
 今回は同コラムの中でも、特に面白かった話を紹介したいと思います。
                        *
 風俗業界にはよく“仁義なき戦い”が起きることがあるそうです。
 例えば、ある場所でA店が繁盛していたのに、近くにB店ができA店の売上げが激減したとします。こんな場合A店は、“みかじめ料”を支払っているケツモチのヤクザに相談するのだそうです。
 相談を受けたヤクザは、「B店のヤツらを追い出してやる」と、早速嫌がらせを開始することになります。そういう相談を受けた時のための、ヤクザ側の対応は準備万端なのです。

 まず地元警察に「B店は本番をやっている」とウソのタレコミをして、ガサ入れを促します。同時に客からの問い合わせが多い時間帯に、パソコンが自動的に“ワン切り電話”をかけるソフトを使って、B店の電話回線をパンクさせるのです。またネット上の掲示板に「B店は性病の巣だ」などとネガティヴ情報を大量に書き込んだりもします。

 このような攻撃をされたB店は、同地に進出してから順調だった売上げが、A店以下にまて減少してしまいます。やられたB店も黙ってはいません。やはりケツモチのヤクザに報復を依頼しますが、その手法は相手であるA店よりも数段えげつないことになります。
 A店の玄関にニワトリの死骸をくくりつけたり、縁起が悪いとされるわらじに血を付けて置いたりします。極めつけの例として、バキュームカーを店に突っ込ませ、汚物をまき散らしたこともあったといいます。

 当然のことながら、これらの嫌がらせは無料ではありません。風俗店がヤクザに払う実行代は大変高く、相場は月に120万円前後だといいます。
 引き受けたからには、ヤクザは相手の店が潰れるまで後には引きません。そのため頼んだ店は、嫌がらせ料の支払いがどんどんかさむことになります。代理戦争が終わった頃には、勝った店も青息吐息状態になってしまうのです。

 そこを狙うのが別の大きなヤクザ組織です。大ヤクザはこの戦争を静観し、戦争が終わったのを見届けて、A、B両店のヤクザに「シマ(縄張り)を譲ってくれ」と格安の金額で持ちかけるのです。
 しょせん大組織には逆らえず、小さなヤクザは承知するしかありません。こうして代理戦争を使いながら、大ヤクザは自分のシマを拡大していくわけです。
 こうした現象は、「風俗界の漁夫の利」と呼ばれているそうです。

 (参考)用語解説
 「みかじめ料」 暴力団の“シノギ”(収入または収入を得るための手段のこと)の一種で、縄張り内にある風俗店や飲食店から毎月受け取る金品のこと。支払いを拒否すると、地元暴力団から威圧、嫌がらせをされることもあり、それを怖れて支払う店も多い。1992年に施行された暴対法により、こうした金品の授受は減少傾向にあるとされるが、潜在的問題であるため定かではない。
 「ケツモチ」 ケツ持ちとは、問題処理のために動く組織や人間のこと。トラブル解決の際に出てくる暴力団組織やそれに相当する人物を意味する。
 「代理戦争」 元々の意味は、米ソ冷戦時代核保有国同士は共倒れになる危険性があるため、直接の交戦が出来なかった。そのためそれぞれの陣営が支援する勢力へ兵器や資金の援助を行い、それによって局地戦が引き起こされた。例えば朝鮮戦争やベトナム戦争など。その構図を暴力団組織の抗争などに当てはめて用いられるようになったものである。

 (大場光太郎・記)

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出臍の小児笛を吹く

                          北原 白秋

 ほそぼそと出臍の小児笛を吹く紫蘇の畑の春のゆふぐれ

 (読み方)
 ほそぼそと/でべそのこどもふえをふく/しそのはたけのはるのゆうぐれ
 … * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》
 北原白秋(きたはら・はくしゅう) 明治18年、福岡県山門郡沖端村生まれ。本名隆吉。早稲田大学在学中に「明星」「スバル」に詩、短歌を発表。詩集『邪宗門』(明42)『思ひ出』(明44)、歌集『桐の花』により浪漫主義の新風を築き、以後、多くの詩人、歌人に影響を及ぼす。昭和10年『多磨』を創刊。歌集『雲母』『白南風』ほか。昭和17年没。 (講談社学術文庫・高野公彦編『現代の短歌』より)

40123
薄明の時

 この短歌は中学時代の教科書に載っていたのだったと思います。しかしこの短歌からは、中学時代をさらに越えて、もっと幼少の頃の遠い記憶に結びつけてくれるような、ノスタルジックな懐かしさを呼び起こさせられます。

 出臍の小児ー笛を吹くー紫蘇の畑ー春のゆふぐれ

 ここに描かれているのは、今では失われてしまった叙情的な日本的原風景と言えなくもありません。それはあまりにも遠い昔に失われてしまったがために、今こうして改めて読み返してみると、何やらあり得ないシュールで幻想画的なワンシーンのようにも思われてきます。

 昔の子供たちというものはおおむね着物はボロ着、その上着ている物にはとんと無頓着なところがあったように記憶しています。だから陽気が緩んだ春ともなると、着物の前をはだけていて平気だったわけです。
 その情景を間近にしている白秋は、その小児を興味深く見てみるに出臍だというのです。

 「出臍」は今も昔も、普段は目に触れられないとはいえ、一種の「畸形(きけい)」にほかなりません。従前の伝統的詩形としての和歌であれば、そんな畸形を詠み込むことなどまず考えられませんでした。当然近代短歌といえども、和歌を源流としています。だから白秋のこの短歌でも、情景の多くは和歌的な伝統描写を踏まえています。唯一「出臍の小児」を除いては。

 出臍の小児を詠むに到った白秋のその時の心境など、余人には知る由もありません。しかしこの短歌は、実にこの「出臍の小児」の存在ある故にこそ秀逸なのです。もし仮に普通の小児であったなら…、それはごく平凡な叙景短歌にとどまっていたはずです。

 春の夕暮れ、紫蘇の畑で笛を吹いているのが、出臍の子供である。だからこそ、そこから聞こえてくるほそぼそとした音色(ねいろ)が、聞く者の胸に余計切々と迫ってくるのです。

 この短歌は、白秋の処女歌集『桐の花』(大正2年)に収録されています。27歳以前の若き白秋の、「近代性」「革新性」の格好の見本のようです。

 以上のようなことから、この出臍の子供は、何やらこの世の「神話的な宿阿(しゅくあ)」を一身に背負った少年のように思えてきます。この子供は、その後どんな生き方をしたのだろうか…。

 (大場光太郎・記) 

参考
北原白秋歌集『桐の花』(青空文庫版)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/56857_54427.html

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 今さら言うまでもないことながら、当ブログは@niftyココログが提供しているブログサービスに属するブログです。少し前に述べましたように、2008年4月29日開設以来、満2年と少し経ちます。
 
 この2年余の間でも、提供元の@niftyココログは、次々に新しい試みを提供してくれています。当ブログトップ左サイドでも表示している「検索フレーズランキング」は、昨年春頃から始まったものでした。
 また「アバター機能」というのも昨年冬頃から始まりました。これはブログ上でブログ運営者自身の分身となるキャラクターを作って、トップ面に表示させることができるサービスです。『これはウチのブログには合わないな』と考え、この機能は利用しておりません。
 さらには最近の「ツイッターブーム」に乗り、早春頃からココログブログでも「twitter機能」が使えツイッター参加もできるようになっています。勉強不足でどう活用していいのか今もって分からず、これも実用には到っておりません。

 そんな中4月中旬頃から、今度は1日ごとの「アクセスランキング」が表示されるようになりました。ただしこれはブログトップ面に表示されるものではなく、「管理ページトップ」から入ると、当ブログなら当ブログのココログブログ全体での、その日のアクセス数の順位が表示されるというサービスです。
 過去1週間分が折れ線グラフとなって表示されています。同グラフだけでも日ごとの順位がおおよそ分かり、ずい分参考になります。その上、該当の日付の個所にカーソルを合わせますと、ハッキリした順位が数字として表示されます。

 ちなみに同サービスに気づいてからの、当ブログの順位の推移は、下記のとおりです。(カッコ内は訪問者数とアクセス数)
 4/26-1920位(249-403)  4/27-1418位(327-489)  4/28-1241位(319-511)  4/29-1769位(232-370)  4/30-1578位(238-407)  5/1-1967位(186-313)  5/2-1842位(209-329)  5/3-1446位(253-438)  5/4-1667位(247-402)
 都合9日間ということになりますが、その間の平均順位は「1650位」ということになります。
 小沢捜査報道、朝青龍暴行事件などで世の中が沸騰していた今年1月、2月は、それらの関連記事をどんどん載せた当ブログは、日平均訪問者数で連日500人を越えていたこともありました。その時なら、今より少しは順位が高かったかもしれません。

 結果が分かっての感想はー。やっぱり上には上があるもんだなあ。1日平均200人を越しているのに、まだ平均で1500番台にも届かないのか、というようなところです。
 実際にこういう表示がされるまでは、もう少し(いや、ずっと)上位のランク、ひょっとして100位以内にも迫まる勢いなのでは?などと、あらぬ妄想を抱いておりました。
 それでも考えてみれば、一口に「ココログブログ」とは言っても「ブログばやり」の今日、それこそ無数のブログがあることでしょう。私には確かめようもありませんが、それは多分数千どころではなく、ひょっとして1万以上にも及ぶのではないでしょうか?
 だとすれば、平均で1650位という順位は、意外と健闘していると言えるのかもしれません。

 @niftyココログでは、今回の個別のアクセスランキングのほかに、ココログ全体の「ブログランキング」(100位まで)が以前から見られるようになっています。ちなみにトップテンはー
    1.ドラの脱出ゲーム攻略
    2.植草一秀の『知られざる真実』
    3.7人家族の真ん中で。
    4.香織の走って下さい ! !
    5.蒼井空(Sora Aoi)official Blog
    6.きっこのブログ
    7.よさぶろう
    8.切込隊長BLOG(ブログ)
    9.比嘉くんブログ
    10.ホウホウ先生の開運ブログ
 このうち、『植草一秀ブログ』『きっこのブログ』は、ココログでというより全ブロガーの間でも超有名なブログで、私も時折り訪問しては新しい情報をいただいております。

 実情を知らなかった頃は、たまに同ランキングをのぞいては『いつかは100位以内に入りたいなあ』と思っていました。それにはコンスタントに、1日あたり1000人以上、いやそれ以上の訪問者数が必要?ダメだ、こりゃ。
 まあ、あせらず、コツコツ行こうと思います。  -立夏(こどもの日)に

 (大場光太郎・記)  

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続々・自分に賭けてみなさい

 「考えを鮮明に結晶化しよう ! 」 (ポール・マイヤー)

 NHKの4月からの新番組『こころの遺伝子-あなたがいたから-』。たまたま最初に観たのが、第3回のアンジェラ・アキ編の「自分に賭けてみなさい」でした。
 以来興味を持って、名古屋大学教授で一昨年ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授の回、西原理恵子の「どん底でこそ笑え」の回(これは直前に正続2回の記事にまとめました)と続けて観ています。しかしやっぱり、アンジェラ・アキの回が最もインパクトが強かったように思います。

 それを取り上げた『自分に賭けてみなさい』『続・自分に賭けてみなさい』記事には、「アンジェラ・アキ」「三角形目標設定法」「ボブ・ビンガム」「輝く人 歌詞」などの検索フレーズで、今でも毎日何人かの人がアクセスしてこられます。やはり私のみならず、多くの視聴者が深い感銘と強い関心を抱いたもののようです。

 ところで3日の日は、午後外出し夜7時頃帰宅しました。早速マイブログのアクセスチェックをしました。そうしましたら、どういう訳か17時(午後5時)台だけ訪問者、アクセス数が突出して多いことに気がつきました。『?』。以前にもこういうことはたまにありました。考えられるのは、一つは当ブログで過去に記事にした内容を含んだ番組がテレビで放送されたこと、もう一つは当ブログの何れかの記事が2ちゃんねる内で紹介されていること、のいずれかです。しかし少し調べて見ますと、どうやら2ちゃんねる経由ではないようです。
 
 17時台のアクセス状況をもう少し詳しく見ていますと、同時間帯アクセスが特に多かったのは『続・自分に賭けてみなさい』記事であることが分かりました。『ははあ。さてはこの時間「アンジェラ・アキ編」が再放送されたな』。
 一応気になって、『Yahooテレビ』から同時間帯のテレビ番組表を確かめてみました。するとやっぱりそうでした。16時20分からNHKで『こころの遺伝子・セレクト』として、アンジェラ・アキ編が再放送(実際は再々放送)されていたのです。おそらく全国視聴者の間でこの回の反響が特に大きくて、今回再放送となったものと思われます。

 それにしてもこの回に限って、なぜそんなに人気が高いのだろうか?第一は、通常では実現不可能と思われる夢を見事実現させた、サクセスストーリーへの共感ということが挙げられます。次にそれを実現させたのが、ハーフという出自ゆえのコンプレックスや数々のハンディを乗り越えて掴んだ栄冠であるということ。またアンジェラ・アキが作る歌には、彼女自身の生き様や苦しみなどがストレートに歌詞になっていて、それが人の心を激しく揺さぶるということがあります。
 さらには、それだけ大きな夢の実現ともなると通常人には別次元のことと思われがちですが、ボブ・ビンガムという会社の上司が「三角形目標設定法」という分かりやすい目標設定の仕方を示してくれているということがあると思われます。つまり同番組を観た多くの視聴者も、アンジェラとはもちろん目指す目標は違うとしても、『これを参考にすれば、ひょっとして私も(オレも)自分の夢を実現できるかもしれない』と思ったのではないだろうかということです。

 それらについては『正続記事』の中でも既に述べました。今回は特に検索フレーズの多くを占める「三角形目標設定法」関連について、もう少し述べてみたいと思います。
 ご存知かとは思いますが、「自由とチャンスの国」アメリカでは19世紀後半頃から、各種の願望達成法が数多く開発されてきました。代表的なものは、かの鉄鋼王・カーネギーから目をかけられたナポレオン・ヒルが後に体系化させた『成功哲学』、『眠りながら成功する』でおなじみのジョセフ・マーフィー博士の潜在意識活用法、著名な牧師であるノーマン・ピールによる積極的思考法などが挙げられます。
 考えようによっては、それらの実践的、実用的、ポジィティヴな各種願望達成法の活用こそが、「アメリカンドリーム」達成を強力に後押しし、つまりはアメリカという国を良くも悪しくも世界一の超大国に押し上げた原動力の一つだったと考えられないこともありません。

 たまたま会社の上司だったボブ・ビンガムが、アンジェラに授けた「三角形目標設定法」も、そうした各種願望達成法の一メソットだったと思われます。この方法の優れている点は、ピラミッド形の三角形が極めてイメージしやすく、そしてそれを三等分して短期(半年~2年)、中期(2年~5年)、長期(5年~10年)の各目標が設定しやすいということです。後は各自が想い描く目標をその中に書き込む、出来ればそれを自室の壁にでも貼付け毎日何回かは目を通すことにする、それだけで間違いなく「目標達成」に近づく可能性はぐんと高まるものと思われます。

 思えば「目標」を持たない人々というのは、海図や羅針盤なしでだだっ広い大海原に航海する船のようなものと言えます。どこに漂流、漂着するか知れたものではありません。そこに目標を明確にする意義があるわけです。
 なお「目標」は、単なるふわふわした希望や願望とは違います。
 目標の条件は、「何を」「どれだけ」「いつまでに」という三つの条件が具体化されていなければならない
ということを、申し添えさせていただきます。

 「真の空想家は途中でサジを投げだすような弱い人間ではない ! 」 (ナポレオン・ヒル)
 おそらくアンジェラ・アキは、上記の「目標三条件」を具体化させ、掲げた目標を毎日見続けることによって、心に強く刻みつけていったものと想像されます。そうでなければ、一見不可能とも思えることを実現させることはとてもできなかったことでしょう。

 「心に描いた人生の夢に、真剣な欲望を燃やそう ! 」 (ポール・マイヤー)
 これをお読みの方々の「人生の夢」がどんなものなのか、私には知るよしもありません。しかしこの一文が、その「夢の実現」に少しでもお役に立つことができるなら、これに勝る喜びはありません。

 (大場光太郎・記)

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続・どん底でこそ笑え

 ここで西原理恵子の伴侶となった鴨志田穣(かもしだ・ゆたか)について、ご紹介してみたいと思います。
 鴨志田穣は、1964年川崎市で生まれ、北海道札幌市で育ちました。似たもの同士は結びつくようになっているものなのか、鴨志田の生い立ちもかなり悲惨だったようです。父親が仕事のストレスでアルコール依存症だったのです。そんな家庭環境の中でふさぎ込みがちな鴨志田少年の心をとらえたのは、「戦場の写真」だったといいます。

 鴨志田穣は23歳の時、日本を飛び出して単身タイに渡り、戦場ジャーナリストの橋田信介(はしだ・しんすけ)と出会い弟子入りします。橋田信介という名前にご記憶の方もおいででしょう。04年イラク戦争で殺害され、当時ニュースで大きく報道された人です。
 橋田に弟子入りした鴨志田は、世界中の紛争地帯で取材活動を行います。特に1993年カンボジア内戦を取材した折りは、戦場の悲惨な現実に目を奪われます。同内戦である村の村長が殺害されました。鴨志田は遺された村長の子供たちを撮り続けますが、意外なことに子供たちは「笑って」写真におさまったのです。

 『父親が殺されたというのに、子供たちは何でこんなにニコニコしていられるのか?』。疑問に思いながら、子供たちを撮り続けます。そんな中鴨志田は、いつしか戦場の悲惨な報道写真を撮ることよりも、「人々の笑顔」を撮ることの方に関心が移っていきます。鴨志田の心の変化を感じ取った橋田から、「お前のいるべき場所はここではない」とハッキリ言われ、いつしか戦場取材から遠ざかっていくことになります。

 さて鴨志田の導きにより、ギャンブルから足を洗い、漫画家の仕事に専念、鴨志田と結婚した西原理恵子でした。鴨志田との間に一男一女ももうけました。まさに幸せの絶頂、もう「負の波」との腐れ縁は切れたということなのでしょうか?
 しかしどっこい、負の波はそう簡単に彼女の前から立ち去ってくれようとはしなかったのです。今度はあろうことか、自分を絶望の淵から救い上げてくれた夫の鴨志田穣が「負の神」に姿を変じ、襲いかかってきたのです。

 アジアの戦場を引き上げ、日本に帰って西原と家庭を築いた鴨志田でした。しかし鴨志田はその頃でも、戦場のフラッシュバックに苦しめられていたのです。目の前で人が死んでいく様子、自分にも向けられる銃口、必死で銃を持つ子供たち…。
 それに妻の西原理恵子が、順調に人気漫画家としての地位を築き上げつつあったことも、夫としての鴨志田にはプレッシャーになっていきます。「負の波は連鎖する」というのはある程度法則であるらしく、父親と同じく鴨志田もいつしか酒におぼれ、アルコール依存症の日々を送ることになっていったのです。
 
 暴言を吐き、時に物を壊す夫の姿。少女時代負の波にさんざん苦しめられてきた西原理恵子は、『このままでは家庭が崩壊する。子供たちを守らなければ』と、ある意味人生上の恩人でもある鴨志田との離婚を決断します。こうなると母は強し、03年のある日酔って暴れる鴨志田を強引に家の外に追い出したのです。
 せっかく掴みかけた幸せ。しかしまたもしつこい「負の波」に襲われ、結婚生活は7年で終わりをつげたのです。

 家を追い出された鴨志田は、その後どうなったでしょうか?失意のうちにアル中はますます深まるばかり、精神病棟への入退院を繰り返します。そして家族と別れた1年後、静脈瘤破裂で緊急入院することになります。また04年5月27日、師であった橋田信介がバグダッド郊外で殺害されたことを知り、衝撃を受けます。そんな中鴨志田は、アルコール依存症を克服する決意を固めます。
 禁酒に向けた鴨志田の必死の努力を知った西原理恵子は、夫を許す気持ちが芽生え、06年鴨志田と復縁(ただし婚姻届なしの事実婚)しました。
 しかし鴨志田の体はこの時既に腎臓ガンに冒されていたのです。ガンはその後全身に転移し、医師から「半年から2年の余命」と宣告されます。宣告を真正面から受け止めた2人は、子供たちのために「どんなに辛くても笑って過ごそう」と誓い合います。

 闘病生活の間、病床の夫と絶えずギャグのやり取りをし合ったといいます。この時のことを振り返って西原は、「お父さんとお母さんがいがみ合わないのはいいことですね」としみじみ述懐していました。「家庭は天国の最小単位」と言いますが、長く共に過ごすと人間ついつい「我(が)」という悪魔にとらえられ、いがみ合うことになりがちなわけです。
 07年3月20日、鴨志田穣は42歳の若さで亡くなりました。

 夫と元のさやに納まり、残された短い時間互いに尽くすべき努力は尽くした。何の悔いもない。その充足感からか、夫亡き後西原理恵子は「これで負の連鎖から、私たち脱け出したかも知れないよ」と子供たちにしみじみ言ったといいます。

 未来は「地上天国」化していくのは確定的です。しかしこれまでと今現在の地上世界は、「魂磨き(たまみがき)の修行場」としての明確な目的があります。最近生まれ出した「クリスタルチルドレン」などの極めて高い魂(たましい)群は別として、一定年齢以上の私たちのほとんどは、多かれ少なかれ磨かれる必要のある魂たちです。
 ぬくぬくと平穏無事な日々だけでは、魂は十分磨かれません。時として突発的に不幸な現象に見舞われたり、どん底を味わうことだってないとは言い切れないのです。

 その時その悪的現象にどう立ち向かうのか?それ次第でその後の運命が決まってしまいます。不運な時にはえてして顔面筋も硬直しがち、ついつい陰気で陰険な顔つきになりがちです。そうなると余計「負のスパイラル」を急降下してしまいます。
 ある時西原理恵子は豁然(かつぜん)と悟ったのです。「どん底でこそ笑え」。我が国では昔から「笑う門には福来る」といいます。西原理恵子はこのことわざが文字通りの真実であったことを、身をもって示してくれているようです。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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どん底でこそ笑え

 NHK総合『こころの遺伝子』-西原理恵子編

 先週の『こころの遺伝子』、ゲストは漫画家の西原理恵子(さいばら・りえこ)でした。私はそれまで知りませんでしたが、彼女は『毎日かあさん』というシリーズ物などで今売れっ子の、大人向けギャグ漫画家だそうです。

 番組冒頭で西原理恵子の最近の一日の一こまが紹介されていました。夫に先立たれて、現在は2人の子供を育てながら、漫画の創作に没頭する日々のようです。新聞・雑誌合わせて40本もの連載を抱えているというのですから、彼女がいかに売れっ子漫画家か分かろうというものです。
 そんな西原理恵子ですが、これまでの半生は決して平坦な道のりではありませんでした。この番組にゲスト出演するくらいですから、波乱万丈の大変な苦難の道のりだったのです。
 
 西原理恵子は1964年高知県の漁師町に生まれ、少女時代をそこで過ごしました。最初に一家を悲劇が襲うのは彼女が3歳の時、父親がアルコール依存症で亡くなったことです。彼女流の表現を借りれば「負(ふ)の波」の第一波の襲来です。
 母親はほどなく再婚しますが、義父もまたとんでもない「負」を背負った人で、無類のギャンブル好きだったのです。母親と彼女は襲いかかる負の波から逃げまどう日々。彼女が鮮明に覚えている幼少時の記憶は、一人寂しく膝を抱えて座りながら海を見つめている姿だといいます。義父はある時、首吊り自殺を遂げてしまいます。

 また西原理恵子自身、土佐女子高校時代問題行動(飲酒発覚)を起こし退学処分になりました。(お堅いNHK同番組では、同事件はカット)彼女はそれを不服として、何と学校を相手取って訴訟を起こします。その時取材に来たフリーライターの保坂展人(社民党前衆院議員)と知り合います。
 義父の死の後母親は、「ここにいてはどうにもならないから、これを持って東京に逃げなさい」と理恵子に義父の保険金100万円を渡します。それを受け取り彼女は単身上京します。1983年19歳のことでした。

 東京では各種アルバイトをしながら食いつなぐ日々だったようです。そんな中“大検”に合格、武蔵野美大視覚伝達デザイン学科に入学、卒業しました。そして彼女は、漫画家として自立する道を目指します。が当然のことながら、なかなかまともな仕事にはありつけません。たまに舞い込んでも、成人雑誌のイラストといったものでした。気がついた時には、生活費が底をつき、光熱費も払えないようなどん底生活を送るはめになりました。
 やがて才能を認められ、プロの漫画家としてデビューを果たします。が負の波は連鎖するのか、今度は彼女自身がギャンブル依存症となり、10年間で5000万円もつぎ込むようなすさんだ生活をするようになっていったのです。

 そんな折り西原理恵子は、取材でタイへ行く機会がありました。そこで戦場カメラマンの鴨志田穣(かもしだ・ゆたか)と知り合います。鴨志田という人は発想がめちゃくちゃ面白い男で、当時は頭を丸めてタイ仏教の僧侶になっていました。
 鴨志田は、彼女がギャンブルにのめり込んでいるのを見て言います。「ギャンブルってそんなに面白い?僕が君の知らない世界を見せてあげるよ」。そうして連れて行かれたのがアジアの紛争地帯で、そこは想像を絶する貧困の世界でした。
 そもそも西原理恵子をそこに案内した鴨志田には、「本当のギャンブルは“戦場”だ」という信念があったのです。そこでは皆「命を賭けて」生きているわけですから、まさに究極のギャンブルです。

 そこで西原理恵子が発見したのは、貧困のどん底であえぐ人たちの「底抜けの明るさ」でした。きょうあすの食べ物さえおぼつかない絶対的貧困の中で、子供たちは陽気に笑って遊びまわっているのです。また『この人たちには、良いことなんてちっともなかったんだろうな』と思われるようなお年寄りたちでも、彼女を見かけると何の屈託もない笑顔を返してくれたといいます。
 そんな姿を目の当たりにして、その後の人生を変える大きな気づきを得ます。「どん底でこそ笑え」。これらの人たちに比べれば、自分の半生なんかどうってことなかった。彼女は今まで、自分の生い立ちに負けてしまっていたことに気がついたのです。

 生い立ちがどんな不遇なものだったとしても、何事も笑い飛ばしてしまえば「負の波」は追いかけてこられない。この気づきが、西原理恵子のその後の人生に幾つもの転機をもたらすことになります。
 彼女はまずギャンブルから足を洗いました。そしてこれをきっかけに、彼女の描く漫画の中でも少しずつ笑いが増えていきます。その頃から彼女は、漫画を通して伝えたいことをうまく「笑い」に包んで伝えるよう心がけていったのです。
 また西原理恵子は32歳の時、自分をどん底から救い出してくれた鴨志田穣と結婚します。  (以下「続」に続く)

 (大場光太郎・記)

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麗しき春の七曜

 
           山口 誓子

  麗しき春の七曜またはじまる

 …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 山口誓子(やまぐち・せいし) 略歴については『赤き鉄鎖』参照のこと

 今年の春はどこかでこの句を取り上げようと、その頃合を見計らっていました。しかし今年に限っては、雨がち、曇りがちの日が続き、春とは思えないほどの寒さがぶり返したり、その上時ならぬ強風が襲いかかったりと、これまでずい分天候不順気味でなかなかその機会がありませんでした。
 
 しかしさすがにゴールデンウィークともなると違います。4月29日の“昭和の日”を境に、やっと例年通りの「麗しき春」が到来しました。一歩外に出ようものなら、至る所に柿若葉などの溢れるばかりの萌黄若葉、新緑が陽に映えてまぶしいほどです。
 また畑や家々や小花壇などには、菜の花や連翹(れんぎょう)などの黄なる色、チューリップの赤い色、マーガレットの純白の色、藤の花の紫の色、さつきの赤や白などとりどりの色…。本当に彩り豊かな草花やみどりしたたる木々に、心弾む季節の到来です。

  麗しき春の七曜またはじまる
 この句は、まさに今の季節を詠んだ句です。平明な句ですから、何の解釈もいらない「春の賛歌」そのもののような句だと思います。例年ならば、何もゴールデンウィークだけではなく、4月上旬頃から「麗しき春の七曜」は実感されます。そのため、「また始まる」という心弾む期待感で、春の一週間を何度も迎えることができるというものです。
 この季節誰でも感じる想いを、かくも簡潔にとらえた誓子には脱帽です。

 そもそも「麗しき春」は、豊かな自然に恵まれた我が国の風土の賜物であるわけです。メリハリの効いた四季の巡りあるこの国。分けても春のこの季節は、自然万物の甦り(死と再生)の確かさを目の当たりに見せてくれます。
 かつて『風土』という名著の中で和辻哲郎(哲学者)は、「日本人の精神性の深いところには、豊かな自然に対する“信仰”がある」というような意味のことを述べていたと記憶しています。我が国には、縄文時代からアニミズム的な自然信仰が連綿として深く息づいてきたのです。

 そこが、例えばユダヤ教、キリスト教、イスラム教(この三教は皆「旧約聖書」を原典としている)という、不毛の大地で生まれた「砂漠の宗教」と大きく異なる点です。片や我が国の精神風土は、すべてのものを包み込む多神教的おおらかな考え方。片やかの地の宗教は、排他的、攻撃的な一神教原理です。「愛」を説きながら時に「戦う宗教」として牙をむくという、自己矛盾をはらんでいるのです。拠って立つ風土の違いによるものなのでしょう。
 
 俳句という文芸自体そうですが、山口誓子のこの句も、かかる我が国古来の汎神論的な自然観を当然の前提として詠まれたものとみることができます。この「麗しき春」の季節。私たち日本人の「信仰のよりどころ」である「豊かな自然」を、大切に守り育てていきたいという思いを新たに致します。

 (大場光太郎・記)

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民主党よ。大受難期を乗り切れ !

 “BC級大衆”を取り込んだ悪徳旧勢力による大迫害は、民主党が真の改革政党であることの証(あかし)である。この難局を乗り切れ。しからば民主党は、足腰の強い政権与党に生まれ変われることだろう。
                        *
 昨夏8月30日の衆院選で、多くの国民有権者は自公政権にハッキリ「NО !」を突きつけ、政権交代を実現させました。その結果民主党を中心とする新しい連立政権が樹立されたのです。思えばこれは、「よもや政権交代など起こらないだろう」と思われた、この国の澱んだ政治風土を打ち破り新風を吹き込んだ、国民の手による「無血革命」とも言える画期的出来事でした。

 そして昨年9月半ば、鳩山由紀夫を首相とする新政権がスタートしました。新政権に対して新聞・テレビなど各メディアは、今回の政権交代が国民の強い意思であることを弁え、“発足後100日間”は静観の構えで、政権や民主党への批判は控えていました。マスコミからの不当な誘導がなかったその期間、新政権への国民の期待は高く、各社世論調査では軒並み70%台という高支持率を与えました。
 しかし政権発足後100日に差しかかっ昨年末頃から、マスコミは満を持して新政権バッシング、小沢・鳩山バッシングを開始したのです。

 記者クラブ制度、テレビ局新社屋建設にあたって国有地払い下げの許認可、特定資本による新聞・テレビ両者独占等々。50年以上にも及ぶ自民党政権下では、各メディアは無競争の無風地帯として熾烈なこの競争社会の埒外で、さまざまな悪徳権益を享受してきました。
 しかし民主党中心の政権では、手厚い庇護にあったメディア界に対しても、容赦ない改革、規制を加えようというのです。読売のドン・渡邉恒雄を筆頭にマスコミ各社の首脳陣は、自分たちの悪徳権益が脅かされることにかつてない危機感を抱いたのです。その結果、「民主党を潰すべし」というのが各メディア暗黙の共通認識となっていきました。

 またメディアとは別に、同じく民主党改革に強い警戒感を抱いていた組織があります。東京地検を代表とする検察組織です。何と小沢・鳩山ら民主党首脳は、宮内庁長官人事と共に、検察内部で好き勝手に決めてきた検事総長などの人事を「内閣同意人事とする」と言い出したのです。
 また検察が有している、「捜査権」「公訴権」という先進諸国でも稀なほど強大な検察権力を、国家社会の害になるから削ごうというのです。この二大権力を有することによって膨大な悪徳権益を得てきた検察は、そんな改革は断固阻止しなければなりません。何かと不祥事、事件が多いマスコミ界は、検察に多額の金を払うことで、お目こぼししてもらった事件は数多いのです。言ってみれば、両者は前から“共犯関係”なのです。

 その上元々アメリカユダヤ勢力→CIAつながりで、底流では同根である検察組織と大メディアの利害は、ここにおいて完全に一致しました。つまり民主党中心の新政権が今以上力をつけるようだと、どちらの組織にとっても大変不都合なことになるわけです。
 「悪徳ペンタゴン」と一くくりにされる一翼を形成している検察とマスコミ首脳は、民主党政権対策をめぐって秘密裏の会合も盛んに持ったことでしょう。その結果前々から自明のことながら、民主党政権を潰すには同党の最高実力者・小沢一郎を失脚に追い込むのが一番である、ということを再確認しあったものとみられます。
 その成果として出てきたのが、元旦に読売が口火を切った「小沢土地購入問題」です。以来連日連夜にわたる、東京地検の執拗かつ陰険な捜査、新聞・テレビの土石流的小沢捜査報道となって噴出していったわけです。

 思えば一連の「小沢捜査」「小沢報道」「民主党バッシング」は、政権交代後まもなく政権基盤が脆弱なタイミングを見計らって行われています。足腰の弱いこの時期こそ、叩き目なのです。ズバリ悪徳旧勢力が狙い定めているのは、今夏の参院選です。同選挙でもし小沢幹事長が思い描くように、民主党が勝利して衆参両院で単独過半数を得るようだと、検察もマスコミもそれこそ悪徳権益の息の根を止められてしまいます。そこでその前に小沢幹事長を政治的に抹殺し、政局を一気に流動化させ民主党敗北、崩壊に追い込みたい。結局彼らの根底にあるのは、自分たちの悪徳権益を守り抜くためだけのうす汚い願望に他ならないのです。

 こういう構図を冷徹に見据えれば、民主党内は今こそ一枚岩となって、凶暴検察や亡国マスコミに立ち向かわなければならないはずです。しかし始末が悪いことに、これらの悪徳旧勢力と気脈を通じ、内部から呼応して党内をメチャクチャにかき回そうとする勢力があるのです。老害・渡部恒三、前原誠司、仙谷由人、生方某といった、性質(たち)の悪い“獅子身中の虫”的連中です。小沢一郎の力を削ぐことによって、あわよくば彼らが民主党や政権を乗っ取ろうというのです。動機が不純な上、彼らの誰一人として、党内をまとめ国内政治の舵取りが出来る力量などありはしません。

 この一連の大戦(おおいくさ)は、日本政治史上かつてない「ハルマゲドン」として、国民の記憶に長く刻み込まれることでしょう。「人類進化」というマクロ的観点から見ても、悪徳旧勢力の勝利を許してはいけないはずです。しかし決して予断はできません。
 小沢一郎の命運はどうなるのか?民主党はこの先どうなっていくのか?参院選の結果は?まったく先が読めません。帰趨を決するのは、つまるところ国民総体の意識レベルです。悪徳旧勢力に丸め込まれたままなのか。今度こそその呪縛から抜け出すのか。率直に申し上げて、大変憂うべき現状だと思われます。その結果はいずれ私たち国民自身に、モロにはね返ってくることになるのです。

 (大場光太郎・記)

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