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続・どん底でこそ笑え

 ここで西原理恵子の伴侶となった鴨志田穣(かもしだ・ゆたか)について、ご紹介してみたいと思います。
 鴨志田穣は、1964年川崎市で生まれ、北海道札幌市で育ちました。似たもの同士は結びつくようになっているものなのか、鴨志田の生い立ちもかなり悲惨だったようです。父親が仕事のストレスでアルコール依存症だったのです。そんな家庭環境の中でふさぎ込みがちな鴨志田少年の心をとらえたのは、「戦場の写真」だったといいます。

 鴨志田穣は23歳の時、日本を飛び出して単身タイに渡り、戦場ジャーナリストの橋田信介(はしだ・しんすけ)と出会い弟子入りします。橋田信介という名前にご記憶の方もおいででしょう。04年イラク戦争で殺害され、当時ニュースで大きく報道された人です。
 橋田に弟子入りした鴨志田は、世界中の紛争地帯で取材活動を行います。特に1993年カンボジア内戦を取材した折りは、戦場の悲惨な現実に目を奪われます。同内戦である村の村長が殺害されました。鴨志田は遺された村長の子供たちを撮り続けますが、意外なことに子供たちは「笑って」写真におさまったのです。

 『父親が殺されたというのに、子供たちは何でこんなにニコニコしていられるのか?』。疑問に思いながら、子供たちを撮り続けます。そんな中鴨志田は、いつしか戦場の悲惨な報道写真を撮ることよりも、「人々の笑顔」を撮ることの方に関心が移っていきます。鴨志田の心の変化を感じ取った橋田から、「お前のいるべき場所はここではない」とハッキリ言われ、いつしか戦場取材から遠ざかっていくことになります。

 さて鴨志田の導きにより、ギャンブルから足を洗い、漫画家の仕事に専念、鴨志田と結婚した西原理恵子でした。鴨志田との間に一男一女ももうけました。まさに幸せの絶頂、もう「負の波」との腐れ縁は切れたということなのでしょうか?
 しかしどっこい、負の波はそう簡単に彼女の前から立ち去ってくれようとはしなかったのです。今度はあろうことか、自分を絶望の淵から救い上げてくれた夫の鴨志田穣が「負の神」に姿を変じ、襲いかかってきたのです。

 アジアの戦場を引き上げ、日本に帰って西原と家庭を築いた鴨志田でした。しかし鴨志田はその頃でも、戦場のフラッシュバックに苦しめられていたのです。目の前で人が死んでいく様子、自分にも向けられる銃口、必死で銃を持つ子供たち…。
 それに妻の西原理恵子が、順調に人気漫画家としての地位を築き上げつつあったことも、夫としての鴨志田にはプレッシャーになっていきます。「負の波は連鎖する」というのはある程度法則であるらしく、父親と同じく鴨志田もいつしか酒におぼれ、アルコール依存症の日々を送ることになっていったのです。
 
 暴言を吐き、時に物を壊す夫の姿。少女時代負の波にさんざん苦しめられてきた西原理恵子は、『このままでは家庭が崩壊する。子供たちを守らなければ』と、ある意味人生上の恩人でもある鴨志田との離婚を決断します。こうなると母は強し、03年のある日酔って暴れる鴨志田を強引に家の外に追い出したのです。
 せっかく掴みかけた幸せ。しかしまたもしつこい「負の波」に襲われ、結婚生活は7年で終わりをつげたのです。

 家を追い出された鴨志田は、その後どうなったでしょうか?失意のうちにアル中はますます深まるばかり、精神病棟への入退院を繰り返します。そして家族と別れた1年後、静脈瘤破裂で緊急入院することになります。また04年5月27日、師であった橋田信介がバグダッド郊外で殺害されたことを知り、衝撃を受けます。そんな中鴨志田は、アルコール依存症を克服する決意を固めます。
 禁酒に向けた鴨志田の必死の努力を知った西原理恵子は、夫を許す気持ちが芽生え、06年鴨志田と復縁(ただし婚姻届なしの事実婚)しました。
 しかし鴨志田の体はこの時既に腎臓ガンに冒されていたのです。ガンはその後全身に転移し、医師から「半年から2年の余命」と宣告されます。宣告を真正面から受け止めた2人は、子供たちのために「どんなに辛くても笑って過ごそう」と誓い合います。

 闘病生活の間、病床の夫と絶えずギャグのやり取りをし合ったといいます。この時のことを振り返って西原は、「お父さんとお母さんがいがみ合わないのはいいことですね」としみじみ述懐していました。「家庭は天国の最小単位」と言いますが、長く共に過ごすと人間ついつい「我(が)」という悪魔にとらえられ、いがみ合うことになりがちなわけです。
 07年3月20日、鴨志田穣は42歳の若さで亡くなりました。

 夫と元のさやに納まり、残された短い時間互いに尽くすべき努力は尽くした。何の悔いもない。その充足感からか、夫亡き後西原理恵子は「これで負の連鎖から、私たち脱け出したかも知れないよ」と子供たちにしみじみ言ったといいます。

 未来は「地上天国」化していくのは確定的です。しかしこれまでと今現在の地上世界は、「魂磨き(たまみがき)の修行場」としての明確な目的があります。最近生まれ出した「クリスタルチルドレン」などの極めて高い魂(たましい)群は別として、一定年齢以上の私たちのほとんどは、多かれ少なかれ磨かれる必要のある魂たちです。
 ぬくぬくと平穏無事な日々だけでは、魂は十分磨かれません。時として突発的に不幸な現象に見舞われたり、どん底を味わうことだってないとは言い切れないのです。

 その時その悪的現象にどう立ち向かうのか?それ次第でその後の運命が決まってしまいます。不運な時にはえてして顔面筋も硬直しがち、ついつい陰気で陰険な顔つきになりがちです。そうなると余計「負のスパイラル」を急降下してしまいます。
 ある時西原理恵子は豁然(かつぜん)と悟ったのです。「どん底でこそ笑え」。我が国では昔から「笑う門には福来る」といいます。西原理恵子はこのことわざが文字通りの真実であったことを、身をもって示してくれているようです。  ー  完  ー

 (大場光太郎・記)

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