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「60年安保」から半世紀(4)

 - 新条約は発効。闘争は挫折し、街に『アカシアの雨がやむとき』が流れていた -

 6月15日は樺美智子の死そして警官隊との空前の衝突事件と、60年安保闘争におけるピークの日でした。翌16日事態を重く見た政府は、アイゼンハワー大統領の訪日延期(事実上の中止)を発表しました。

 15日の惨事を議会政治の危機(言い換えれば社会主義革命、共産主義革命の導火線)と見た、広告代理店・電通の吉田秀雄、朝日新聞の笠信太郎らの主導により、在京新聞社7社は、6月17日に共同で「議会政治を守れ」としたスローガンを掲げた社告を掲載しました。
 その中で国会デモ隊の暴力、社会党の国会ボイコット、民社党との過度の対立を批判し、これは後に「七社共同宣言」と呼ばれました。この共同宣言は、学生や市民たちのデモや騒動を厳しく断罪しながら、岸政権が批判を受けた所以(ゆえん)については一切不問とする内容です。

 同共同宣言は、安保闘争に冷や水を浴びせかける、政府にとっては有利な内容でした。そのため警察側の暴力を不問に付した、論議の本質を「暴力反対」にすり替えたといった批判が当時なされ、「新聞が死んだ日」とも評されました。

 これは別な検証が必要ですが、安保騒動当時は岸内閣やマスコミ界に対して、CIAからの資金面を含めた強力な対日工作がなされたはずで、これなどは同工作が目に見える形で現われた顕著な例と言えます。
 いずれにしても電通、マスコミ界の「対米隷属」の姿勢は、何も今に始まったことではなく、半世紀も前から一貫してそうだったことの一端を示す出来事です。

 18日午前11時、東京日比谷で樺美智子を悼む全学連総決起大会が開催され、午後には東大で合同慰霊祭が開催されました。

 強行採決からちょうど1ヶ月後の6月19日午前0時、前夜からデモ隊33万人が国会を取り巻く中、新安保条約が自然承認されました。新条約は内乱鎮圧条約や、第三国への軍事的便益供与禁止などは削除され、条約存続期間は10年と定められました。

 23日午前10時20分、新安保条約は東京・白金の外相公邸で批准書の交換が行われ、すべての手続きを終えました。そして岸内閣は「人心一新」「政局転換」を理由に、この間の政治的混乱の責任を取る形で総辞職を発表しました。

 この後デモは驚くほどの早さで終息していきます。
 7月14日には自民党の総裁選挙が行われ、池田勇人(いけだ・はやと)を第14代総裁に選出。19日池田は内閣総理大臣に就任し、同日第1次池田内閣が発足。7月に行われた3つの県知事選で社会党系候補は全敗し、自民党系候補が勝利しました。

 10月12日社会党の淺沼稲二郎委員長が、17歳の右翼少年(山口二矢)に刺殺され、再び自民党政権は揺らぎかけるも池田総理は動揺を鎮めることに成功。11月20日の総選挙では、自民党は追加公認を含めて300議席を獲得する大勝を収めました。
 これで安保改定が国民の承認を得た形となり、以後半世紀にわたり安保条約は存続し続け、同条約の再改定や破棄が現実の政治日程に上ることはなくなったのです。

 デモ隊から見れば安保阻止は実現できなかったものの、運動によって内閣を退陣させることに成功した意義は大きく、活動の主体となった大学生による反体制運動は、続くベトナム戦争反対運動により拍車がかかり、1968年(昭和43年)に起きた一連の大学紛争へと受け継がれていくことになりました。

 ただ一方では安保闘争を「敗北」と総括した共産主義者同盟(ブント)をはじめ、急進派学生にとっては強い挫折感が残ったことも事実です。例えば全学連指導者の一人だった唐牛健太郎は安保闘争の終結直後に運動から身を引き、香山健一、森田実らは体制側(保守的政治学者、政治評論家)へと身を転じていったのです。

 もう少し身近な人のことを語ります。以前当ブログをしばしばご訪問されていた矢嶋武弘氏も、当時早稲田大学の学生として同闘争に身を投じていた一人でした。矢嶋氏はその後フジテレビに入局し、社会部、政治部記者になっていきます。矢島氏はご自身のブログで、その過程を「転向」と厳しく自己批判していました。

  アカシアの雨にうたれて
  このまま死んでしまいたい
  夜が明ける 日がのぼる
  朝の光りのその中で
  冷たくなった私を見つけて
  あの人は 
  涙を流して くれるでしょうか

 騒乱が収まり平穏を取り戻した街に、西田佐知子が歌う『アカシアの雨がやむとき』(作詞:水木かおる 作曲:藤原秀行)が流れていました。若者たちの挫折感に、どこか厭世的でデカダンなこの歌が共感を呼び、若者たちの間で好んで歌われ広まっていった経緯があるようです。今あらためて聴いてみますと、この歌はあの頃の時代の空気を何と代弁していたことか。感慨深いものがあります。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

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