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6月3日

  六月を綺麗な風の吹くことよ   正岡子規

 今回は『6月3日』というタイトルにしました。さてそれでは「6月3日」に特別な意味があるのでしょうか?今年に限っていえば、鳩山首相と小沢幹事長のツートップが揃って辞任した、びっくり仰天の6月2日の次の日ということになります。しかし今回は、そんな政治がらみの無粋な話題は取り上げません。
 久しぶりの「身辺雑記」「季節報告文」です。なぜ書く気になったかといえば、きょう3日は最近になく良いお天気だったからです。
 
 今年の春は気象統計上、全国的に記録的な日照不足、雨量の多い天候不順の春だったそうです。そういえばゴールデンウィーク中は好天に恵まれたものの、前後は雨がちの寒い日が続きました。また連休後5月だというのに、関東地方のどこかでは雪が降った所もあったようです。
 しかし早や5月も過ぎ、「春過ぎて夏来にけらし白妙(しろたえ)の」衣替えの6月を迎えました。きようなどはまさに、本式の夏到来を思わせるに相応しい一日だったように思います。そういえばきょうは町のあちこちで、日傘をさして通りを歩くご婦人たちを見かけました。また町行く人たちも白系の軽やかな夏の装いが目立ちました。

 夏の日を浴びて、街路樹や家並の木々は、若葉、青葉が照り映えてまぶしいほどです。「日の下のもの、すべて輝いてあり」。そんな言葉が思い浮かんでくる、すっきりした大快晴の一日でした。本当にきのうまでとは、町並みの輝度(きど)が違うようです。
 暑いことは暑いとしても、それでも真夏のじりじり体の芯まで暑さがしみとおってくるような耐え切れなさでもありません。初夏のほどよい暖かさといった感じです。

 もちろん歩くほどに汗ばんではきます。昼下がりの街路をしばらく歩く身としては、家並や木立が時折りつくる、道の西側の片陰につい吸い込まれるように入っていきます。日盛りとは截然(せつぜん)と区分けされた日陰道を通れば、その時ばかりはつかの間の涼が得られます。それに日陰では、けっこうな風が吹き渡っていることに改めて気づかされるのです。

 少し遠くに歩いて、小河川の橋を通りました。川原には葦(あし)が一面に繁茂していて、時折り吹き渡る川風にあおられ、まだ幅の狭い若い葉の白っぽい裏側を翻して揺れています。
 川幅数メートルほどの流れは、西空に少しばかり寄った午後2時前の日を浴びて、水面(みなも)がキラキラ光っていたりします。と、少し川上の流れに、一羽の黒っぽい小水鳥が浮いている姿が認められました。
 昨年8月の『秋の気配』でご紹介しました、カイツブリです。中津川のように満々と水を湛えた川とは別に、こんな小さな浅い流れにもやっぱりいたのです。ただ通りすがりに見ただけですが、カイツブリはあんな細く小さな姿で、健気に朝から晩までああして小魚を一所懸命探しているのでしょう。

 冒頭に引用した正岡子規の句は、当ブログでは初出ではありません。当初からご訪問の方は極めて少なくなりましたが、開設してすぐのおととし6月初旬『六月の綺麗な風』として取り上げました。後の『名句鑑賞』の走りとなった一文でした。
 同文、今でも時折り検索アクセスによりご訪問される方があります。本日3日もおられました。時事記事ではない一般的な記事がこうして読み継がれていくことは、作者として嬉しいかぎりです。

 6月といえばどうしても「梅雨」を連想します。しかし例年関東地方が梅雨入りするのは、6月半ば過ぎ頃。その前はきょうのような「六月の綺麗な風」が吹く日があるものです。

 「衣替え」「日傘」「片陰」「日陰」「日盛り」などと並んで、忘れてならない夏の季語があります。「薔薇(ばら)」です。
 普段通りなれない住宅街を歩いていますと、とある家の庭先あるいは生垣に、いっぱい咲いた真紅の薔薇に出くわすことがあります。一瞬ハッとさせられます。バックが深緑の大きな葉ですから、ひときわ目を引くのです。
 通り際そして通り過ぎてからも、つかの間何となく豊かな心持ちになれるのです。

 (大場光太郎・記)

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